第一章 郷に入れば郷に従え
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13.危険な夜
『庄ちゃーん』
「…ふ?ん、なんれすか?」
隣に寝ている庄ちゃんの肩をユサユサ揺する。今は真夜中を過ぎた頃。
『怖いから厠ついてきて~』
「……ユキさん僕より大人でしょ」
『そんなぁ』
庄ちゃんは「練習しないと」と言って布団に潜り込んでしまった。
朝まで我慢する?いや、これは絶対に無理だわ。私は仕方なく一人厠に向かうことにした。
『やっぱり怖い』
この学園の厠は外。頭の中で愉快な歌を歌いながら厠での用事は切り抜けた。
帰り道に通る庭は真っ暗。木や茂みから幽霊が飛び出してきそう。
足早に庭を横切っていると左の茂みがガサリと揺れた。貞子的なものが脳裏に浮かぶ。
『……な、なーんだ』
安堵の息が漏れる。茂みから出てきたのは前髪ロングな幽霊ではなくただの蛇。
『もう、驚かさないでよ。おいで、おいで』
しゃがんで呼んでみる。
私の言葉が分かるのか蛇は鎌首をもたげて少し考える仕草をした後、シュルシュルと近づいてきた。足元までやってきた蛇を見て私の目が点になる。
これ、マムシですね
赤褐色の体に左右に並ぶ斑紋。マムシは私の足をのぼり始めた。
『えーと。えーと』
記憶を一生懸命さがす。
『おかーさん、この蛇マムシって名前?』
「そうよ、ユキちゃん。日本には噛まれたら速攻死ぬ!って蛇はいないの。はぁぁ、つまんないよね」
数日後、アナコンダを探しに南アメリカに旅立った動物学者の母は「毒蛇に噛まれても素人が口で毒なんて吸い出しちゃだめよ。まずは安静にすること」とアドバイスもくれていたっけ。
その時は何の役にも立たないと思っていた母の助言が役に立つ日が来るとは……
ついでに父との思い出。
「ユキは目の前で象さんが大暴れしていたらどう思う?ん?ありえないって?ハハハ、そうだね。とにかくパパが言いたいのは、自分より小さい生き物の前では怖がらせないようにゆっくり動くんだってことだよ」
九死に一生を得る、の経験を山ほど積んでいる冒険家の父の言葉から現実に戻ろう。
腕までのぼってきているマムシを見る。噛まれても即死はしない。自分に言い聞かせながら驚かさないようにゆっくり動く。
マムシがどこかに行くまで頑張るのよ、私!
首筋を動く冷たい感触に全身が粟立つ。ゆっくりと私の体を移動している蛇。厠行く前じゃなくて良かったよ。
厠前だったら大変なことになっていたと考えていると、どこからか声が聞こえてきた。
「ジュンコージュンコー」
『じゅ、じゅんこ、ここれす!!』
ジュンコじゃないけど、女性の声で呼べば「ジュンコかな?」と思って来てくれるはず。蛇って耳なさそうだし叫んでも大丈夫だよね?私は動かないように気をつけながら必死に叫んだ。
ほどなくしてマムシが出てきた茂みから寝間着姿の少年が現れた。
『き、君!嘘ついて呼び寄せて申し訳ないけど、このマムシを……』
「ジュンコ!!」
『え?ジュンコ?えぇっ!?』
駆け寄ってきた少年は私の首からマムシ(ジュンコ)を外し、頬ずりをした。それ、マムシだって分かってるよね?
私の視線に気付いたのか少年は頬ずりをやめて私を見た。
「僕のジュンコを助けて下さりありがとうございます!」
『いえいえ。助けられたのは私の方だと……このマムシちゃんは君のペットなの?』
「はい!ジュンコと言います。可愛いでしょ?」
『……』
ごめん、ちょっとわからないかな。
ウットリとジュンコと見つめ合っている彼を半眼で見ていると茂みがガサガサと動き、寝間着姿の少年たちが飛び出してきた。
「孫兵、声がしたが誰かと……あ!あなたは事務員の雪野さん?」
キョトンとした顔の少年たちにヒラヒラと手を振る。私に声をかけた子は他の子達より少し年上に見える。忍装束を着ていないから学年が分からないけど。
「竹谷八左ヱ門先輩、雪野さんがジュンコを捕まえてくれたんです」
ニコリと笑う彼の言葉に驚きの声があがる。
「えぇっ!?雪野さん、ジュンコがマムシだって知ってます!?」
「うん!作兵衛、ご存知だったんだ」
マムシ好きの少年が答えた。
「あの、噛まれませんでしたか?」
「数馬、ジュンコはむやみに噛んだりなんかしないよ」
『あはは(そうなんだ……)心配してくれてありがとね』
「へぇ凄いな。マムシだと分かって平気でいられるなんて。あ、俺……僕は三年は組の浦風藤内と申します」
「同じく、は組の三反田数馬です」
「三年ろ組、富松作兵衛と言います」
「申し遅れましたが、三年い組の伊賀崎孫兵です」
『みんなよろしくね。事務員の雪野ユキです。ユキでいいよ』
尊敬の眼差しを向けてくれる三年生のみんなに私も青ざめながら自己紹介。
「僕は五年ろ組、竹谷八左ヱ門です。うちの後輩がご迷惑をおかけしました」
年上に見えた男の子がスっと頭を下げた。『気にしないで』と頭を上げてもらう。
後輩のために頭を下げる優しい、礼儀正しい先輩だな。それを思うと六年生の一部はどこに真心と礼儀をポイ捨てしてきたのでしょう?
「夜中にご迷惑をかけてごめんなさい」
『孫兵くん、気にしなくていいよ。みんなとこうやって話せてラッキーって思っているからさ』
しゅんとしている孫兵くんに『ジュンコちゃんにも会えて嬉しかったよ』と言うと彼の顔がようやく明るくなった。くっ、かわいいな、もう。
『そういえば八左ヱ門くん。うちの後輩って言ってたけど?』
「僕は生物委員長代理を勤めていて、孫兵は生物委員の後輩なんです」
『八左ヱ門くん。敬語じゃなくていいよ』
「でも年上ですよね?」
『年は十五だけど、一つや二つないようなものだって!お願い。気軽に話しかけて欲しいからさ』
藤内くんが「俺らと同い年だと思っていた」と呟いた。他の子達もどよめいている。日頃の行いの悪さが身に染みる。
「じゃあ、敬語抜きで……孫兵がしょっちゅう飼育小屋から生物を脱走させるから、その度にこうやって探すんだ。普段なら生物委員が探すんだけど、夜中に起こすのが可愛そうだから、今晩は三年生に手伝ってもらった」
たしか兵助くんも火薬委員の委員長代理だったよね。六年生に混じって大変そう。
ひと仕事終えてホッと息をついている八左ヱ門くんがハッとしたように顔を上げた。
『どうしたの?』
「……左門と三之助がいない」
「「「「あぁっ!!」」」」
『はぐれちゃったの?』
「はい。あと二人いるのですが、左門と三之助にはちょっと問題があって」
孫兵くんの言葉に首を傾げる。
「左門は決断力のある方向音痴で」
「三之助は無自覚な方向音痴。二人ともよく行方不明になるんです」
『あらら……』
数馬くんと作兵衛くんがガクッと肩を落とした。
『二人にもジュンコちゃん無事だったよって教えてあげないと。二人を探そう』
「ユキさんはジュンコを心配してくれる優しい人ですね」
<シャー>
『……』
「夜も更けたし、ユキは無理しなくていいよ」
『すっかり目も覚めたから大丈夫だよ!』
私が言うと八左ヱ門くんも「じゃあ、お願いする」と笑顔で頷いてくれた。夜中に隠れんぼするみたいで楽しそうだ。
「二人ひと組で探そう。藤内と数馬、作兵衛と孫兵、ユキは俺とペアを組もう」
『了解!』
ペアを組んだ私たちは早速二人を探すためにそれぞれ別の方向へ歩き出した。
私は一旦部屋に戻って小袖を着てから八左ヱ門くんの元へ戻る。
この時代、寝巻きは下着と一緒らしいからだ。それに、左門くんと三之助くん探しは
長くなるかもしれないしね。薄着で風邪を引いたら大変だ。
『八左ヱ門くんは夜目がきくね』
昼間のように躊躇いなく歩く八左ヱ門くんの後を付いて歩く。
「夜は忍者のゴールデンタイムって言われるくらい忍者の活動時間は主に夜なんだよ。俺たちは暗い中で動けるように訓練も受けているんだ」
『そっかぁ、お、と!』
「危ない!」
木の根に躓いた私はそのまま八左ヱ門くんの腕の中にダイブした。
『ありがとう』
「う、うん。い、行こうか」
『あ、ちょっと待って』
背伸びして八左ヱ門くんの頭に手を伸ばす。
「っ!?」
『木の葉がついてたよ』
「ありが、とな」
ジュンコを探している時についたのかな。蛇だから地面近くを探さないといけなかったからね。
『八左ヱ門くん?』
先に進まない八左ヱ門くんに首を傾げると、彼は片手を差し出した。
「転ぶから、その……」
『手を繋いでくれるの?』
「あぁ」
『ありがとう!』
六年生の一部は彼を見習うといい!私は喜んで八左ヱ門くんの好意に甘えさせてもらうことにした。相変わらず周りは見えないけれど、八左ヱ門くんと手を繋いでいるので怖くない。
「声がする」
暫く歩いたところで足を止めた八左ヱ門くん。私も耳を澄ます。
「ジュンコーどこだー?」
少年の声
「左門の声だ!」
『良かった。急ごう、八左ヱ門くん』
「うん。でも、ちょっとごめん」
『何が?』と聞く前に私の体は八左ヱ門くんに抱き上げられた。
「しっかりつかまってて」
『わかった。きゃあ』
木が避けているように見える。文字通り飛ぶように速い、を実感中の私は八左ヱ門くんの胸に身を寄せる。
顔を上げると八左ヱ門くんの平然とした顔。
「怖いか?」
『ううん。八左ヱ門くんなら大丈夫って気がする』
「っ!あっ!」
『ちょ、褒めたそばから!?』
バランスを崩しそうになった八左ヱ門くんだったが上手く体勢を立て直して次の枝へと移動してくれた。
「ユキが変なこと言うからだぞっ」
『え~言ってないよ』
八左ヱ門くんは何か言おうとしたが、結局何も言わずプイと前を向いてしまった。心なしかスピードが上がっている。
『は、早すぎない!?』
「俺なら大丈夫だろ?」
『意地悪っ』
楽しそうに笑う八左ヱ門くんにしがみつく。
信頼しているけど、怖いものは怖いんだって。
「声はこの辺から聞こえたはずだが」
私たちが来たのは運動場。キョロキョロと辺りを見渡す。
『八左ヱ門くん、誰かいるみたい』
くいくいと八左ヱ門くんの袖を引っ張る。
「あれは左門だ」
『どうしてだろう。もの凄い速さで遠のいていってるね!』
「ハアァ左門はどこに行くつもりなんだ?ここで待っていてくれ」
あっという間に闇の中に消えていった。
急に周りが静かになって心細くなる。
度胸ある方だと思っていたけど、私って実は怖がりなのかも。
ジャリ
『ひやぁ!?』
今日は変な声を出してばっかりだな。音のした方を向くと寝間着姿の少年が驚いた顔で立っていた。
『もしや、三之助くん?』
「え?そうですけど……」
『やっぱり!君のことを探してたんだよっ』
「俺を?わあっ」
二人目発見が嬉しくて三之助くんに飛びついてしまう。目を白黒させる彼に自己紹介とジュンコが見つかったことを話す。
「それでユキさんもわざわざ俺を探しに。ありがとうございます!ジュンコはどこにいたんですか?」
『中庭だよ』
「そっか。この近くにいたんだ」
『うーん。ここは運動場だから中庭からはちょっと距離があると思うけど……』
「ここ、運動場!?」
無自覚の方向音痴ってこういう事だったのね。思わずクスリと笑みを零すと三之助くんは照れを隠すように頭を掻いた。
「お待たせ、ユキ。三之助も一緒か!」
八左ヱ門くんと綱で縛られた左門くんが戻ってきた。
『偶然会ったの。それより八左ヱ門くん、その縄は……?』
「迷子防止縄だ」
『かわいそうじゃない?』
「そうか?」
八左ヱ門くんが不思議そうな顔をした。
だって手までグルグル巻き。
「お気遣いなく!会計委員の先輩方にもよく縛られて慣れていますから!」
私の心配をよそに明るく答える左門くん。隣で三之助くんが「俺もです」と手を挙げたので思わず吹き出してしまう。
「そういうことだから三之助も。よっと」
八左ヱ門くんがシュッと縄を投げたかと思うと、あっという間に三之助くんもぐるぐる巻き。
「ユキも縛るか?」
『遠慮しときます』
カラカラと笑う八左ヱ門くん、縛られた左門くんと三之助くんと一緒に校舎へと歩き出す。帰りはゆっくり歩いたおかげで左門くんともお互い自己紹介することができた。
「本当にお世話をおかけしました<シャー>ジュンコもお礼を言っています」
中庭に戻った私たちは直ぐに他のメンバーと合流することができた。
「おやすみなさい、竹谷先輩、ユキさん」
「左門こっちだぞ」
「三之助もこっち!」
「うわぁっ」
数馬くんと藤内くんにそれぞれ引っ張られていった左門くんと三之助くんに苦笑いしていると、作兵衛くんが駆け寄ってきた。
「あの、ユキさん……今度、俺たちとランチ食べてくれる?」
『もちろん!』
作兵衛くんから笑顔がこぼれ落ちる。嬉しそうに手を振ってくれる(二人は振れなかったけど)三年生に手を振り返す。みんな良い子たちだったな。
みんなが帰っていくのを見届けて、グーっと伸びをする八左ヱ門くん。
『フフ、お疲れさまだったね』
「おう、ユキもな」
『今からなら仮眠くらいは取れるよ』
「んー俺はこのまま飼育小屋に行こうかな。目も覚めちまってるし」
『じゃ、私も行く』
「え!?無理すんなよ」
『目も覚めてるし、戻って庄ちゃん起こしちゃったら可哀想だし』
「庄ちゃんって、一年は組の黒木庄左ヱ衛門か?」
なんで?と不思議そうな顔をする八左ヱ門くんに眠れなくて一年は組の子が毎日交代で泊まりに来てくれていることを伝えると思いっきり笑われた。
『シーッ!みんな起きちゃうよ』
「だって、マムシは平気なのに一人で眠るの怖いってッププ」
『もーそんなに笑わないでよぉ』
膨れる私の頭をガシガシ撫でる八左ヱ門くん。目が回る~。
「よし、じゃあ飼育小屋行くか!」
『うん!』
スマートに差し出された八左ヱ門くんの手を取る。彼の優しさに思わず顔がにやけてきてしまう。
「顔が緩んでるぞ?」
『だって八左ヱ門くんが優しいから』
「っそ、そういう恥ずかしいこと言うなよ、馬鹿」
『いいじゃない。ホントのことなんだからさ』
ニコッと笑いかけると暗い中でも分かるくらい顔を赤らめてプイと顔を逸らす八左ヱ門くんが可愛くて、私はさらにニヤニヤしてしまうのだった。
『ここは、野菜畑?』
私が名前のわかる野菜だけでも小松菜、ニラ、キャベツと何種類かある。他にも知らない種類の野菜がたくさん。
『凄い!これ全部、生物委員がお世話しているの?』
「おぅ。よく育ってるだろ?食堂でも使われている」
『じゃあ、今日の水菜も?あれ美味しくておかわりしちゃった』
八左ヱ門くんから笑みが零れる。フト見たことのある草が目に止まる。
『これってペンペン草?これも食べられるの?』
ハート型がいっぱいぶら下がっている見たことのある草。雑草のイメージがかなり強いのですが……。
「春の七草の一つ、ナズナだよ」
『えっ、そうなの?知らなかった』
「薬草としても使われるから収穫したナズナは保健委員に渡してる。次はこっち。飼育小屋を案内するな」
『わーい』
寝ている動物もいるので静かに歩く。八左ヱ門くんについて入った小屋は夜行性動物の飼育小屋。毒ガエル、毒蠍、フクロウとコウモリに餌をやるというスリリングな体験をさせてもらう。彼らは八左ヱ門くんに懐いている様子。
「よしよし、いい子だな」
『八左ヱ門くん、動物好きなんだね』
「世話しているとこいつらも心を開いてくれるからさ」
八左ヱ門くんに撫でられたフクロウがホウと鳴いた。
『……文次郎』
急に文次郎の顔を思い出して切なくなる。
「えっと、潮江先輩がどうした?」
『あ、違うの。文次郎って言うのは私が飼っていた、というか私の村でお世話していた犬の名前なの。私にとっても懐いてくれていて。急に思い出しちゃってさ」
アハハと笑うが上手く笑えなかった。
ダメだ。気分が沈んできちゃった。
「……ユキ、ちょっとこっち来い」
『え?』
熱くなる目頭を押さえていると八左ヱ門くんにグイっと手を引かれた。
「この奥見てみろよ」
『……どんな動物?』
警戒心丸出しの私に八左ヱ門くんは苦笑い。
だって、もう毒なんとかは勘弁。
一気に涙が引っ込んだ私ににこりと笑いかける八左ヱ門くんに「きっと気にいるから」と
促されて奥の小部屋に入る。
「ユキが飼っていた犬より大きいとは思うけど可愛いだろ?」
『う、うん……?』
ピシリと固まった顔でどうにか頷く。
私の飼っていた犬より大きい。
だってオオカミだもの!
横で「気に入った?」と私を気遣ってくれている八左ヱ門くん。
ちょっと怖いけど、八左ヱ門くんの気持ちが嬉しい。それによく見ればオオカミはイヌ科だけあって文次郎に似ていないこともない、よね。
『名前はあるの?』
「拾ってきたばかりで名前はまだない。実習の帰り道で衰弱していたこいつを見つけてさ。まだ生まれて数ヶ月かな。近くに引きずる様な血の跡があった。親は猟師に撃たれたらしい」
子オオカミと目が合う。人間を怖がっている目。村に来たばかりの文次郎(犬)を思い出す。
「ユキはいいやつだぞ」
『怖がっているみたい。離れたほうがいい?』
「いや。ユキ、この場にしゃがんで」
言われた通りにその場にしゃがみこむ。
八左ヱ門くんは子オオカミに近づき、白い背中を優しく撫でた。子オオカミは灰色の目を細めて気持ちよさそうな表情。
『八左ヱ門くんのこと信頼しているんだね』
「元気になるまで世話していたからな」
子オオカミは甘えるように八左ヱ門くんの手を舐めている。
『……文次郎もよく私の手を舐めていたの』
「なんというか、分かっていても複雑な気持ちになるな」
『六年の文次郎くんには言わないでね。ギンギンに絞められそう』
同時に吹き出してしまう私たち。
ちなみに文次郎くんは意外とフェミニストだから凶暴な一部の六年生のような真似はしないだろうけどね。
『あっ!』
「おほー良かったな」
クスクスと笑う私たちを観察していた子オオカミが立ち上がって近くにやってきて、私の手をクンクン嗅ぎ、ペロリと舐めた。嬉しくて八左ヱ門くんの顔を見ると彼は優しく微笑みを返してくれる。
「気に入られたみたいだな」
『本当?嬉しいな』
ふわふわの白い背中を撫で、耳の後ろを掻いてあげる。地面に顎をペタンとおろして、すっかりリラックスしているみたい。
「こいつの名前、ユキが決めていいぞ」
『私なんかに決めさせちゃっていいの?』
「あぁ。こいつもユキが好きみたいだし。ほら、こんなに甘えているだろ」
八左ヱ門くんは仰向けに転がる子オオカミのお腹をワシワシと撫でた。私なんかがって思うけど、そう言ってくれるのは嬉しい。八左ヱ門くんの申し出に甘えさせてもらっちゃおうかな。
『この子は男の子?女の子?』
「雄オオカミだ。もしかしてお前、それで俺よりユキに甘えたいのか?」
男の子か。八左ヱ門くんに「しょうもない奴だなぁ」と撫でられている子オオカミを観察する。
甘え上手なところが文次郎(犬)にそっくり。口をパッカリ開けて笑っている顔も。でも、さすがに同じ名前をつけるのは混乱すると思うから――――
『うん。決めた。文ちゃんにする!』
「ブフッ!?」
八左ヱ門くんが吹き出して、子オオカミの体がビクリと跳ねた。
文ちゃん。二文字で可愛いし、呼びやすい。
「それはまずいんじゃないか?潮江先輩に怒られるぞ」
『んー君は文ちゃんじゃだめ?』
子オオカミに尋ねると、彼は目をキラキラさせて私の胸に飛び込んできた。ぐらりと後ろに体が揺れる。しかし、バランスを崩した私の体は八左ヱ門くんに受け止められた。
「どうやら本人は気に入っているらしいな」
私を抱き抱えるようにして手を伸ばし、私の腕にいる子オオカミを撫でる八左ヱ門くん。
「潮江先輩に怒られたら、ユキが責任取れよ」
『う……ん。わかた』
「どうした?」
『な、なんでもないよ』
どうしたって、八左ヱ門くんが耳元で囁くから!
「よし。そろそろ部屋に戻るか」
頭が沸騰しそうになっていると八左ヱ門くんが私を腕から放して立ち上がった。
窓を見ると外はすっかり明るくなっている。
『うぅ。文ちゃんと離れたくないよぉ』
<ウオォォォン>
『もーんちゃーーん』
<ウオォォォン>
文次郎(犬)で鍛えたマッサージをしてあげた私のことを文ちゃん(オオカミ)は気に入ってくれたらしい。私もすでに白くてふわふわ可愛い文ちゃんの虜。
私たちは別れるのが悲しくてひしっと抱きしめあった。
「はいはい。我が儘言わない」
八左ヱ門くんが私の首根っこを掴んで持ち上げた。母親に移動させられる子猫の気分。
『かあさん……』
「……」
『いや、母猫って子猫の首元噛んで運ぶじゃない。この体勢と似ているなって思って!』
白い目で見られて焦って言い訳をする。彼のように動植物を愛する善良な好青年に変な目で見られたくない。
他にも犬もーオオカミもーとあれこれ言っていると、私の必死さが通じたのか八左ヱ門くんはプッと吹き出して笑ってくれた。
「またいつでも文ちゃんに会いに来いよ」
『邪魔じゃない?』
「邪魔になんかならねーよ。俺たち生物委員は万年人員不足。ユキみたいに毒虫や動物を怖がらずに世話できる奴が来てくれたら俺たちも助かる」
『ス、ストップ。誤解があるようなので訂正を。私は毒虫も毒蛇も怖いです』
「そうだったのか?でも、ユキなら大丈夫だろ!」
『いやいや。でも、の意味がわかりません!』
ケラケラと笑いながら飼育小屋を出て行く八左ヱ門くんの後を追う。
毒虫は怖いけど、文ちゃんに会えるなら喜んでお世話する。だって文ちゃんのこと大好きになってしまったのだもの。そう私が伝えると彼はさらに楽しそうに笑った。
「実はさ。前からユキと話してみたかったんだ」
『私と?』
校舎へと向かう帰り道。
「面白そうな奴だなって思っていたけど、なかなか話しかけられなくて」
八左ヱ門くんを見ると、彼は照れくさそうに頬を掻いた。嬉しい言葉に私も照れ笑い。
『今日の夕飯一緒に食べよう』
パッと笑顔を咲かせる八左ヱ門くん。
動物好きの優しい彼を私はもっと知りたくなっていた。