第五章 急がば走れ
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2.ヴァンパイアな夜
夏休みのシフトが出たので早速きりちゃんと半助さんと予定を立てようということで私たち三人は私の部屋に集まっていた。
『私の休みは前半と後半』
「私の休みは前半、中間だ」
「それじゃあ僕は前半をユキさんと、中間を土井先生の家で過ごしてもいいですか?」
『半助さんさえ宜しければ』
「私は大丈夫だよ。でも、きり丸。後半はどうするんだい?」
「実は乱太郎にしんべヱと一緒に遊びに来ない?って誘われていて。乱太郎のご両親もいいって言ってくれてるよ。ユキさん、行ってもいい?」
『そうね。お言葉に甘えてお邪魔させてもらいなさい』
「やったー!」
パッときりちゃんが万歳をした。
友達と過ごす夏休みはきっと特別なものになるだろう。
きりちゃんには乱太郎くんの家に行くときにお米と手土産を持たせることにしよう。
「夏休み楽しみだな~。いっぱいアルバイトも出来るし、それに、えへへ」
私の顔を見上げたきりちゃんの笑顔が弾ける。
『夏の思い出いっぱい作ろうね』
「うん!」
「宿題も忘れちゃダメだぞ?」
「うっ。土井先生、夏休みの宿題多いんですか?」
「どっさり出す」
「えーーーそんなーーーー!!」
絶叫するきりちゃんの子供らしい反応に私と半助さんはクスクス笑う。
カーーーン
『夕ご飯の時間だ!』
待ってました!
私はピョンと立ち上がった。
「俺、乱太郎としんべヱと夏休みのこと話に行くね。何して遊ぶか今から計画立てるんだ!」
『後から手紙も書くけど、乱太郎くんのご両親に“息子がお世話になります”って伝えてもらえるように乱太郎くんに話しておいて』
「わかった。じゃあね。土井先生、失礼します」
「廊下は走るんじゃないぞ」
「はーい」
きりちゃんは元気に返事をしてパタパタと廊下を走っていった。
「まったく言っている傍から」
半助さんが胃を摩った。
『半助さん、きり丸がお世話になります』
半助さんにペコリと頭を下げる。
ずっと、きりちゃんは半助さんに面倒を見てもらってきた。そんな半助さんの事をきりちゃんは兄か父のように慕っている。
今まできりちゃんは長期休暇を半助さんと過ごしてきた。
私とも一緒にいたいが半助さんとも一緒にいたい・・・それがきりちゃんの気持ち。私たちはその気持ちを尊重して私と半助さんそれぞれときりちゃんが過ごせるようにしたのだ。
「私もきり丸と過ごせるのは嬉しいんだ」
半助さんがニコリと笑った。
「夏休み、ユキとも会えたら良いのだけど」
『夏休み前半休みが重なっていますからそこで会いましょう』
「どこか行くのも楽しそうだね。夏だし、野外で過ごすのも良いかもしれない」
野外というとキャンプだろうか。
川で釣った魚を食べたり天体観測をしたり。なんとも楽しそうだ。
私は是非と半助さんに頷いた。
「半助ー」
山田先生の声だ。
「呼ばれているみたいだ。行かないと」
『はい。細かい話はまた後日』
半助さんが出て行って私は一人食堂へ向かうことにした。
今日のご飯は何かな?
食堂に入ると香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
今日のメインは焼き鳥のようだ。鶏肉とネギが串に交互に刺さっており、お皿にはみそだれがついている。すっごく美味しそう。
口の中を涎でいっぱいにしていると後ろから抑え気味な声。
振り向けば一年ろ組の良い子たちが私の後ろに並んでいた。伏木蔵くん、怪士丸くん、平太くん、孫次郎くんが一年ろ組らしい笑顔で笑いかけてくれる。
『こんばんは』
「「「「こんばんは~」」」」
今日の一年ろ組のみんなは元気そうだ。
我先にと抱き着いてくる姿が可愛らしい。
『ごはん一緒に食べない?』
「「「「うん」」」」
二つ返事で受け入れられた私の提案。私は一年ろ組の良い子たちとご飯を食べることにした。
『毎日暑いね。調子はどう?』
一年ろ組は担任の斜堂先生と同じく日光に強くない。夏は彼らにとって苦手な時期だろうと想像できる。彼らの大好きな日陰ぼっこも暑くて仕方ないだろう。
「毎日暑くて弱っています」
「だから涼しい洞窟へ行っているんですよ」
孫次郎くんと平太くんが言った。
「涼しくなれるかな~と思って図書室で怪談話を読んでいるんです」
「スリルとサスペンス~」
ふふふと笑って怪士丸くんと伏木蔵くんがパチンと手を合わせた。
『怖い話ってどんな話?』
夕食をもらい、一緒にテーブルで食べながら聞く。
「えっと、一つ目小僧に化け猫のお話。それからろくろ首の話も!」
『怪士丸くん楽しそうだね。怖くないの?』
「ううん。とっても楽しい」
ねー!っと顔を見合わせる一年ろ組のみんな。
夏バテしていない元気な様子を見て私は嬉しくなる。私の杞憂だったようだ。
お話ししながら元気にもりもりご飯を食べている皆を微笑ましく見ていると「あのね」と孫次郎くん。
「ユキさんの世界の怖いお話聞きたいな」
「「「聞きたい!」」」
孫次郎くんの言葉に一斉に叫ぶ平太くん、怪士丸くん、伏木蔵くん。
『ふふ。いいよ』
私は笑って頷いた。
忍術学園にやって来たばかりの私はこの世界の静けさに怯え、寝ることが出来なくなってしまっていた。そんな私を気遣って三年生以下の忍たま、くノたま達が私の部屋に代わる代わる泊りに来てくれていたのだ。
しかし、夜勤も始まり、雅之助さんとの護身術稽古、斜堂先生との忍術訓練。時には清八さんとの馬術稽古も。疲れから次第に一人で眠れるようになった私。
忍たま、くノたま達も授業が忙しくなり、自然とお泊りの回数は減っていた。
もちろん、今日のようにこうして泊りに来てくれることもある。
久しぶりの一年ろ組とのお泊りか。楽しみだな。
そして夜。
私の部屋に布団を敷いて、灯りの中で怪談話のはじまり、はじまり。
みんなが聞いたことのない話ということで吸血鬼の話をすることにした。
――――吹雪の夜、道に迷った旅人が休む場所を探して歩いていると・・・
ゴクリと唾を飲み込むみんな。
――――もてなしを受け、布団に入った旅人は窓の外に幾羽もの蝙蝠が飛んでいるのを見た。この吹雪の中で何故・・・?
自然と自分の体を抱いたり、手をギューッと握っている一年ろ組のみんな。話に引き込まれている様子を見て嬉しくなってつい私は調子に乗ってしまう。
――――お前の血を吸わせろ!我々の仲間になるのだ!!
私は掛布団をマントに見立てるように手でバーッと広げてピョンと立ち上がった。その瞬間、
「「「「ぎゃーーーーーー!!!!」」」」
一年ろ組、絶叫。
『わわ!』
思っていた以上の驚きっぷりに私の方が驚いてしまう。
しまった。やり過ぎたかも・・・。
『ご、ごめん!』
「うわーん。ヴァンパイア怖いよ~」
「血吸われたくないっ」
「えーーん」
孫次郎くん、怪士丸くん、伏木蔵くんは布団から出てひしっと私に抱きついた。
一人抱き着いてこない平太くんはというと腰が抜けたのか涙目で丸くなっている。
『平太くん大丈夫?』
「ち、ちびっちゃった」
『お部屋に替えの下衣取りに行こう「「「僕たちも一緒に行く!!!」」」
私にしがみついている三人が悲鳴に近い声を上げた。
これは相当怖がらせてしまったと反省しているとバーンと部屋の戸が開く。
「どうしたんだい!?」
「大丈夫か?」
戸の入り口にいるのは半助さんと山田先生だ。
『すみません。お騒がせして。怪談話をしていたら怖がらせてしまって』
半助さんも山田先生も目をパチクリさせている。
「何もなかったらよいが・・・。夜も更けたし早く寝なさいよ」
『はい、山田先生』
山田先生は眠そうに手を振って帰っていった。
「どんな怖い話をしていたんだい?」
『それは』
「ろ組の良い子たち」
「わあ!斜堂先生っ。相変わらず気配のない!」
スーッと音も気配もなく半助さんの横に現れた斜堂先生。忍者の半助さんでもこれにはびっくりしたらしい。心臓を押さえて息を吐きだしている。
「斜堂先生!」
「ドラキュラがっ」
「血を吸いにやってきて、仲間にしてやるって」
孫次郎くん、伏木蔵くん、怪士丸くんが私から離れて斜堂先生に抱き着いた。
おやおや、と斜堂先生は怖がって自分にしがみつく生徒を撫でている。
平太くんはというと未だに丸まって動けていない。
私は彼の元へ行って、背中を摩る。
『着替え終わったら今日は私の布団で一緒に寝ようか』
「うん」
平太くんが涙を拭いて少しだけ笑みを浮かべてくれたので私はホッとする。
平太くんも一緒に甘えたいらしく斜堂先生のところへへっぴり腰になりながらも歩いていった。
「随分怖い話をしていたようだね」
『うーん。お話の選択を誤りました』
半助さんに返事をして頭を抱える。そして小さな声で話の内容をざっと聞かせた。
『みんな。続きを話すとヴァンパイアは十字架と聖水、銀で倒すことが出来るの。嫌いなものはニンニク。弱みはあるし・・・それに、作り話だから安心して』
「「「「ユキさんヴァンパイア倒せるんだね!!」」」」
『え!?』
平太くんも合わせて私の元にろ組の皆がわっと集まってきた。
「ユキさんがヴァンパイア倒せるなら怖くない」
「僕、夜はユキさんの傍にいる」
「ヴァンパイアが来てもやっつけて!」
「えーん。おしっこ行きたいよ」
孫次郎くん、怪士丸くん、伏木蔵くん。最後は平太くんだ。
『よし。ついていくから厠に行こう』
「「「一緒にいぐーーー!!」」」
大絶叫が部屋に響く。
『み、みんな落ち着いて。大丈夫だから』
ろ組のみんなは怖がってすっかり混乱してしまっていた。
半助さんと斜堂先生は困ったと顔を見合わせている。
「みんなこれは作り話ですからね」
斜堂先生がろ組の良い子を集めて宥めた。それでもフルフル震えている生徒に眉を下げながらも斜堂先生は顔を上げて、
「ろ組の良い子は私に任せて下さい、土井先生」
と言った。
「手伝わなくて大丈夫ですか?」
「大人が二人いますから」
「そうですか・・・。では、お任せします。ユキ」
『はい』
半助さんに手招きされる。
お、怒られるのだろうか?ろ組の皆から離れて半助さんに近づく。
内緒話するように手招きされた。
ビクつきながら耳を傾ける私。
かぷっ
『!?!?』
私は驚いて半助さんの方に顔をブンと向けた。
この人、今、私の耳噛んだんですけどおおおおぉぉ!?
「次の機会があったら首筋に、ね」
ふふっと楽しそうに笑った半助さんは斜堂先生にそれでは、と礼儀正しく挨拶して私の部屋から立ち去っていった。
ろ組のみんなが斜堂先生にヴァンパイアの弱点を話していてこちらに注目していないのがよかったけど・・・っていやいやいや。
一年ろ組の子供たち怯え切っているのに不謹慎ですからね!あなた!
あと斜堂先生にはバレているんじゃないですか!?だって忍者だし!
なんて事をするんだ。お化けに驚かされた時のように心臓がバクバクなっている。
まったくもう。なんて人だとプンスカする気持ちを抑えて平太くんに話しかける。
『厠行こうか。自分で歩ける?』
「手を繋いでくれたら」
『他に厠に行きたい子は?』
全員が手を上げた。
『厠行ってきます』
「その間に平太くんの布団は片付けておきましょう」
『ありがとうございます』
厠への旅はなかなか大変だった。
木陰が風でガサッと揺れるたびに皆悲鳴を上げて半泣きになってしまう。
宥めて、背中を摩り、楽しいお話を聞かせて。
厠に入っている間は大きな声で愉快な歌を歌って聞かせた。
そして戻ってきたお部屋。
「おかえりなさい」
『ただいま帰りました』
「ふふ(このやり取り良いですね)」
『斜堂先生?』
「いえ。何でもないです」
斜堂先生は新しい平太くんの布団と服を持ってきてくれていた。
平太くんは私の布団で寝ることになっていたが、それでも体が痛くなっては可哀そうだから寝にくそうにしていたら移させてもらおう。
そう考えている間に眠そうにしていた一年ろ組のみんなが自分の布団の上に移動を始めた。
「では、私はこれで。みんな、ゆっくり寝るのですよ」
「「「「!!??」」」」
斜堂先生の言葉に弾かれたように顔を上げた一年ろ組のみんなはドタドタっと走って部屋から出て行こうとする斜堂先生の腰に抱き着いた。
「?みんな・・・?」
「斜堂先生行っちゃヤダ~」
泣きだす孫次郎くんを皮切りに他の三人もシクシクと泣き出してしまう。
こんなにも怖がらせてしまったのは私の責任。申し訳なさで胸が痛くなる。
『みんな。よしよし』
伏木蔵くんの背中を摩っていると、彼は振り返って甘えるように私の首に腕を回した。
「斜堂先生も一緒に寝るの、ダメ?」
『「え゛っ」』
私と斜堂先生の声が揃った。
『さ、さすがに、その、ですね・・・』
「だって、ユキさんはヴァンパイアの倒し方知っているけど強くないし。斜堂先生ならユキさんに教えてもらいながらやっつけられるもん。ね?」
へ、平太くんそんなキラキラした瞳で・・・って皆キラキラした目でこっち見てる!
私は仰け反って固まった。
ど、どうしよう・・・。
助けを求めるように斜堂先生を見ると、困っているかと思いきや口元に握り拳を当てて笑いを堪えていた。いいご身分だな、おい!当事者意識ゼロか!
しかし、斜堂先生に怒りを向けているバヤイではない。
このままでは夜が更けてしまい一年ろ組の明日に響いてしまう。
私は仕方ないと息を吐きだした。
「我儘はいけ『みんなで一緒に寝よう』は!?」
「「「「わーーーい!」」」」
聞こえてきた声に顔を上げる。
今、斜堂先生何か喋ってた?
顔を上げて斜堂先生を見るが黙ってこちらを見ているだけだったので放っておこう。
わいわい言う皆を静めてそれぞれの布団に入るように促す。
平太くんは私の布団の中。そして斜堂先生は新しく持ってきてくれた布団の上だ。
それを不審がって孫次郎くんが首を傾げている。
「斜堂先生どうしてお布団に入らないの?」
「ええと・・・(気持ち的に何となく入りづらい・・)」
「先生、体冷えちゃうよ」
何に戸惑っているのだ、斜堂先生は。
私含め不思議そうに斜堂先生を見ていると、斜堂先生は諦めたように息を吐きだしてのろのろと布団の中に入った。一年ろ組のみんなは満足そうだ。
『今日はみんなが寝るまで灯りは消さないでおこう。それから、今度は面白いお話をしてあげる』
皆の目が輝いて私を見る。
『あるところに怖いもの知らずの男がいた。そんな男を一泡吹かせたいと――――
落語の“まんじゅうこわい”を話して聞かせる。
ケラケラと一年ろ組の良い子たちは笑ってくれている。その様子に私は一安心。
話し終える頃には伏木蔵くんと怪士丸くんは眠りについていて、二つ目のこちらも落語から“寿限無”を話している最中に平太くんと孫次郎くんもスースーと規則正しい寝息をかきはじめる。
灯りを消したいが平太くんは私の寝巻をしっかりと握りしめていた。
ゴソリと音のする方を見れば斜堂先生が布団から出るところ。
「みんな寝たようですね」
孫次郎くんの布団を直しながら斜堂先生が言った。
『今日は子供たちに本当に申し訳ないことをしたと反省しているんです。こんなに怖がらせてしまって・・・』
「そんな顔をしなくても大丈夫ですよ。子供たちには恐怖を乗り越える力があります」
『でも、暫くは様子を見ないといけません』
「もしそうなったら一年ろ組のお部屋にいらして下さい。私も直ぐに駆けつけられますから」
『ありがとうございます』
斜堂先生が私と平太くんの所へやってきた。
「ん~~」
うなされているのだろうか?
小さな眉間寄せる平太くんに不安になっていると、斜堂先生が落ち着かせるように平太くんの頭を撫でる。
パチリ
平太くんの目が開いた。
「すみません。起こしてしまいましたね」
『斜堂先生・・・ユキさんは?』
『隣にいるよ』
「よか・・・った。斜堂先、生・・・も一緒に・・・スース―」
「えっ・・・」
斜堂先生が困惑した顔で平太くんを見た。
平太くんは斜堂先生の寝巻をギュッと握っている。
指を外す。一本、二本・・・しかし、その間に話した指が戻って元の木阿弥。
斜堂先生は小さくため息を吐き出した。
『巻き込んでしまったお詫びを・・・すみません』
「いいんですよ」
斜堂先生は平太くんの横にゆっくりと横になった。
「感謝しているくらいです」
『何をですか・・・?あ・・・』
チカチカっと炎が揺れたと思ったら灯りが消えた。
灯明皿の油が尽きたのだろう。
平太くんを挟んでいるとはいえ、変な気分だ。
恋人でも、好きな相手でもない人に対してあらぬ思いを一瞬でも思ってしまったことに強い自己嫌悪を感じていると、そっと名前が呼ばれた。
「先ほど、土井先生に耳を噛まれていましたね」
『や、やはり見えていましたか?』
自分はされた方なのに何かしでかしたのを見られた気持ちになって慌ててしまう。
『ヴァンパイアみたいに血を吸われなくて良かったですよ、ハハ・・・ははは』
乾いた笑いが部屋に響いた。
き、気まずいっ。
どうしたものかと考えていると、
「ヴァンパイアに血を吸われてしまったら死んでしまうのですか?」
と私に質問しながら斜堂先生が仰向けの状態からこちらに寝がえりをうった。
『そうですね。死んでしまうか、もしくはヴァンパイアの眷属にされるという話もありますよ』
「それは面白い」
『地方によって話が違い・・・あ、あの・・・?』
斜堂先生が起き上がって膝で平太くんを跨いだ。
ゴクリと唾を飲み込む。
近づいてきた斜堂先生の顔は映画で見たドラキュラのように白くて妖艶で、私は息を止めて見惚れてしまっていたが、ハッとなり顔を背けた。
『ぁっ』
ピリッとした小さな痛みとそれを覆い隠すような甘美な感覚に思わず声を上げてしまうとフッと斜堂先生が耳元で笑った。
「これで、あなたは私のものになったでしょうか?」
『な、な、何を馬鹿なっ。子供たちもいるのにっ』
怒りよりも恥ずかしさと、快楽に荒れる息の間から言葉を紡ぐと、意地悪そうに口の端が上げられる。待て、こんな色気のある人だと知らなかったのですが!?
どうしよう。どうすればいいのと思っていた時だった。
私は眩しさに目を瞑った。
月の光が真っ暗だった部屋に入ってきて目に染みる。
月の光を背負ったシルエットは背が高く、傷んだ髪が良く目立つ。
その人は音もなく、しかし、効果音をつけるならドッドッドッというような音がするような雰囲気で私たちのところへとやってきた。
「お遊びが過ぎるのでは?」
半助さんが大声ではないが強い口調で言った。
「本気なのでお見逃しを」
「それにしたってユキの同意なく」
「彼女も満更ではなさそうでしたよ?」
『ちょ、こっちに振らないで下さいよ』
ど素人の私でも分かるこの殺気めいた雰囲気に突然投入されて私は慌てた。
恥ずかしさと混乱でいっぱいいっぱいなんだから放っておいてくれ!
「いいでしょう、いいでしょう」
半助さんがスッと胡坐をかいて座った。
「ヴァンパイアの餌食になっては困りますからね。私もここにいさせてもらいます」
「ありがとうございます、土井先生。では、ヴァンパイア退治は土井先生にお任せして私たちは眠るとしましょうか」
『ワタシ、コノジョウキョウデ、ネムルジシンナイ』
言葉がロボットになった。
何回も言いますが斜堂先生ってこんな人でしたか?
「んん・・・」
不穏な空気を察したのか平太くんが寝がえりをうちながら呻いた。
『子供たち一人でも起こしたら後で拳骨ですからね!』
抑えた声だが厳しく言う。
って私の言っていること分かっているんですかねえええぇ。
半助さんが私の横に寝転がってニコリと笑い「了解だ」と言った。
トンと私の腰に乗った手。それは斜堂先生のもので・・・
しかし、その手は直ぐに消えた。
バシンっ
斜堂先生の手を半助さんが払いのけたのだ。
半助さんは私の腰に手を伸ばして自分の方に私を引き寄せる。
だが、私の体は直ぐに後退した。
私の腰に再び手を回した斜堂先生によって引き寄せられたからだ。
そして今では私の体の上では半助さんの手と斜堂先生の手が喧嘩している。
人の体の上でヤメテクレ。
止めさせたいのだが忍者同士のやり取りに介入するタイミングが掴めないのと、あと、眠い。
正直に言う。眠い100パーセント。仲裁する気0割。だってもう、私のことは放っておかれているし。
バシン
ぎぎ
ぎゅーー
はたいて、つねって、捩じって。
眠くなって・・・
あー・・・このまま寝たら変な夢みそうだわ・・・
そう思いながら見た夢は寿限無寿限無。
おかしな名前を付けられてやけくそに饅頭を食べるという変な夢だった。
***
目が覚めたら半助さんも斜堂先生もいなかった。
途中から私の夢だったのではないかと思ったが、鏡を見れば昨日つけられたキスマークはしっかりと残っていて、顔が赤くなってしまう。
『ファンデーション落ちているだろうな。この暑さだもの』
あちらの世界から持ってきていたファンデーションでキスマークを隠していたのだが、汗を流しながら日中過ごしたためそろそろ塗り直した方がいい。
夕食前に一旦部屋に戻ろうと歩いているとバッタリと留三郎と出会った。
「よっ。首抑えて寝違えたか?」
『あーちょっとね』
「新野先生か伊作に看てもらえよ」
『大丈夫。ただの・・・あー、虫刺されだから』
「なんだ。それなら薬を持っているぞ」
珍しく私に親切を発揮する留三郎に心の中で舌打ちをする(すまん、留三郎)。
悪いが今は放っておいてくれ!
「ほら」
留三郎が貝に入った薬を差し出した。
「伊作特製の薬だ。良く効くぞ」
『ありがとう。では、遠慮なく』
ひとすくい貰ってキスマークがついているであろう位置に手を伸ばす。
「おい。全く見当違いなところにつけているぞ」
留三郎が顔を顰めた。
「痒みや痛み、膨らみがあるだろうに」
『もう治りかけだから・・・』
「こんなに赤いのにか?」
首を傾げる留三郎。やめてーーーー。
これ以上まじまじと見られたらいくら鈍い留三郎といえども何か気づいてしまうかもしれない。さっさとずらかろう。
私は薬をもうひとすくい貰って、出会った下級生に塗ってもらうことにする。と告げた。
「そうしろ。ニブチン」
『虫刺され一つでニブチン言われたかないわよ。でも、薬ありがとうね』
留三郎に手を振り、部屋へ戻ろうとしたのだが、私は顔を強張らせて足を止めた。
この暑いのに汗一つかかずにスタスタと歩いてくる彼の名は立花仙蔵。
なんでこんな時に一番会いたくない人と会ってしまうんだッ。
いや、まだ間に合う。逃げよう。
『ぶへえっ』
藪の中に逃げ込もうとした私は足が絡み転倒した。
太陽に焦がされた土の匂いが鼻に届く。
「私から逃げようとはいい度胸だな、ユキ」
両手をついて顔を上げて振り返ると仙蔵くんが縄を持っていた。
そしてその縄は私の足に絡みついていた。お前の仕業かこのドS男っ。
『か弱き乙女に何するのよ!見なさいよ顔も制服もドロドロ』
汗でべたついていた忍者服や顔は土がついたことでドロドロに汚れてしまっていた。
そんな私を見下ろして鼻で笑った仙蔵くんは鬼ですか?鬼ですね。
「誰か怪我をしたのか?」
『目の前にあなたが怪我をさせた人間がいますが?』
貝に入った薬を持っている留三郎に仙蔵くんがしれっと聞いた。
「ユキの虫刺されだ。大したことじゃあない」
「虫刺されごときで薬をやるとは随分優しいことだ」
「お、俺は別に。伊作から良い薬をもらったからってだけで」
「急に赤くなったのはこの暑い気温のせいか?それと・・・―――っ」
仙蔵くんの顔色がサッと変わった。
彼が見ているのは一点。私の首元だ。
パッと手で隠すが遅かった。
ズンズンやってきた仙蔵くんは私の腕を掴んでキスマークを露出させる。
「相手は誰だ?」
「は?何言っているんだ?」
「留三郎。お前は黙っていろ。このニブチン!」
「な、なんだよ」
さっき私に言ったことを仙蔵くんに言われて留三郎は不満そうに口を噤んだ。
もっと仙蔵くんに突っかかって私に逃げる隙を与えてくれたら良いのにと思うのに、留三郎はただ黙って、不思議そうな顔で私の横に来て突っ立っている。
そんな留三郎の使えなさ具合を嘆いていると私の腕がグイっと引かれて私は強制的に立ち上がらされた。
「どうやって吐かせるのが一番いいか」
『うっ』
ギラリと剣呑に光る仙蔵くんの目に思わず後退る。
一歩、一歩と詰め寄られる度に私も一歩、一歩と後退していく。
ちなみに留三郎は私と仙蔵くんに対して垂直の位置に立ち、一歩、一歩とカニ歩きでついてきた。使えねぇなああぁおいっ。
トン
ついに私の背中に塀がつく。
仙蔵くんの手が伸びてきて、私の顎をぐいっと上げた。
「何がどうなっているんだ?」
呑気に留三郎。
「これは虫刺されじゃない」
「そうなのか?」
また呑気に留三郎が不思議そうな顔をした。
何だろうと?とまじまじと私のキスマークを観察している留三郎の横で、私は浅い呼吸を繰り返していた。仙蔵くんから発せられる空気が怖い。
「言え」
首を横に振る。
「誰をかばっている」
君の委員会顧問だよ!
とは言えず私は再び首を横に振る。だって言った結果予想できるのは委員会中におこる仙蔵くんと斜堂先生の間での恐ろしく気まずい空気。
先生の際どい行為を話すのは斜堂先生のためにも仙蔵くんのためにも良くないだろう。
『離して』
「相手を言えばな」
「何か武器で突かれたのか!?」
留三郎がまさか!と言うように言った瞬間、仙蔵くんが「はあぁ」と大きなため息を吐き出す。
見当違いな留三郎にご立腹な様子だ。
「留三郎、貴様にはこれが虫刺されや武器で付けられた傷跡に見えているらしいが、違う。これはこうして作る」
『は?』
仙蔵くんが掴んでいた私の顎を左側に振り、右首を仙蔵くんの正面に向けさせた。
乱暴に仙蔵くんは私の首を自分の袖で拭って私の首に口を寄せる。汚くてすみませんでしたね。じゃなくてッ
ピリッとした痛みと甘い感覚。
『馬鹿!』
私は仙蔵くんを突き飛ばした。
「ななななな、お前、仙蔵。何やってんだ!?」
「お前が余りにも鈍いから目の前でどうこの跡が付けられたか見せてやったまでだ。それで、ユキ。相手を言う気になったか?」
冷たい視線に囚われて身が縮んでしまうが私は首を横に振る。
『ただのちょっとしたハプニング。相手が困るから言えない』
「誰をかばっているんだよ」
不機嫌そうに留三郎。
『誰だっていいでしょ。もうこの話はおしまい。体泥だらけになって気持ち悪いからお風呂行ってくる』
「あ、待て」
ダダっと走り出した私は前へとずっこける。
『イダダダダ』
足に縄ついていたの忘れていた。
「大丈夫か?」
「まったく間抜けな奴め」
更に泥だらけになった私の顔を手ぬぐいで拭いてくれる仙蔵くん。
「切り傷はここだけみたいだな。ユキ、手をかせ」
留三郎は竹筒の水で泥を洗い流して私の手の甲に出来た数センチの浅い傷跡に傷薬を塗ってくれた。
「まあ、いい」
仙蔵くんが小さく息を吐いてから私を見て口の端を上げる。
「私たちは忍たまだ。ユキから聞かずとも相手が誰か探すことは出来る」
私を見る顔はすっごく意地悪で、
「新しく出来たその口吸いの跡、誰にやられたか聞かれたら私にされたというのだぞ」
更に彼の言葉はもっともっと意地の悪いもの。
彼らから解放されたらすぐさまファンデーションを塗りに行こう。
私は頭痛を感じながら両方のキスマークに手を持って行ったのだった。