第五章 急がば走れ
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1.パオン
人は何故、取り返しのつかない過ちを犯してしまうのだろう———
バンッ!バーーン!!
激しい音に私はたじろぎ後ろへと後ずさる。
『っ!!』
息をのみ、口を押えた。
呆然としながら目の前の光景を見つめる事しか出来ない————
『どうしてこうなってしまったの・・・』
後悔しても何も変わることはない。
取り返せない過ちもあるのだ。強く唇を噛む。
力無く地面に膝をつく私。
『皆・・・ごめん・・・』
茫然自失となりながら心臓があるあたりの服を握りしめた時だった—————
「危ねえ!」
耳に大きな声が響いたと同時に私は強い力で引っ張られた。
「馬鹿野郎!何ぼさっとしてんだッ」
「留三郎!」
「お前はここにいろ!」
『でも!』
「動くなよ!!」
強い口調で言った留三郎は素早い動きで移動し、水がめに桶を突っ込んだ。
そして勢いよく釜戸に水を放り込む。
ジュウウウウ。
ゆっくりと周りの音が静かになっていく・・・
・・・実はここ、戦場ではない。台所である。
なんださっきの危機迫った感じは!・・・いや、料理場はある意味戦場だから・・・とか言っている場合では!ない!
私はパッと顔を上げて留三郎を見た。
『留三郎、け、怪我は・・・?』
「こっちの台詞だ大馬鹿!」
「いでっ!」
ゴツンと拳骨が落とされて首を縮めているとハアァとため息が降ってくる。
「火傷は?」
怖い顔から一転、真剣な顔で手を取られ、体が跳ねてしまう。
『大丈夫。留三郎が直ぐに来てくれたから』
「なら良かったけどよ」
安心したように息を吐いた留三郎はゆっくりと目を細めていく。
あああぁぁ見逃してくれ!
しかしそうはしてくれない。留三郎はギンっとした目で私を見つめ、ビシッと惨劇の舞台を指さした。
うぅ。怒られるの嫌だーー!
「どーしてこんなになったか説明しろ!馬鹿!!」
心の中で駄々を捏ねていると留三郎の尋問が始まった。
「文次郎じゃねえが、この有様はバカタレとしか言いようがないぞ?」
『ば、馬鹿馬鹿言わないでよぅ・・・』
「ほーん?それじゃあ馬鹿じゃねぇと?」
『ぅうう・・・くっ、いえ。私は馬鹿でござい、ます・・・はい』
私はガクリと項垂れて小さくなった。
目の前の光景は悲惨だ。天井にぶつかった蓋は地面に転がり、鍋から噴きこぼれた汁は小さな水たまりを作っている。
そして泡となって鍋にこびりついた味噌汁だったもの。そう、私は味噌汁を温めていたのである。しかしこうなった理由は不明である!
おばちゃんにちょっとの間、味噌汁を見ているように頼まれた私。
もうすぐ朝食の時間。私はみんなにパッと目が覚めるような熱々で美味しい味噌汁を食べて欲しかったのだ。だから、熱っ熱の味噌汁になるように熱していたわけだけど・・・。
『まさか鍋の蓋が天井までふっ飛ぶとは』
地面に転がっていた蓋を拾い上げて首を傾げる。
「味噌汁を沸騰させちゃいけないって知らなかったのか?」
『お答えしよう。初耳』
「どーしてそこでキメ顔なんだ!?」
口をぽっかり開けて呆れる留三郎。私は片手を顔に当てて横にいる留三郎を視界から消した。
もう、ほんと、面目ございません。
「ハアァ。お前もさぁ、一応女なんだから」
鍋を覗き込もうとした肩がグイと後ろに引っ張られた。
「火傷とか、怪我とか、そういうの気をつけろよ。体に跡が残ったらどうするんだよ」
『ほん・・・?』
予想外のことを言われて驚いて振り返ってしまう。
てっきり女なら飯くらい作れるようになれーとか言われるのかと思っていた。
私と視線が合わないように顔を横に向けて、照れくさそうに手を首元に持っていく留三郎。その姿に何だか笑みが零れてしまう。
「まだ鍋熱いから近づくな」
またぶっきらぼうに留三郎が言った。
『う、うん』
留三郎の態度に何だか気恥ずかしくなってしまって私はおちゃらけた顔で肩を竦める。
『味噌汁くらい作れるようにならないとね!』
「そーしろ。・・・ん?・・・待てよ。おい、ユキ」
『ん?』
「今気が付いた。すまん!あれはもしや・・・新しい忍術だったか?良い匂いで
釣っておいて不意を突いて攻撃する・・・痛てっ」
『そーんなわけないわーー!』
べシッ
『ハハハ!』
留三郎とのこのやりとりって楽しい!
自然と零れる笑み。
カラカラと笑う留三郎。
彼の前で私もカラカラと笑う。
「あら!これはどうしたの!?」
食堂のおばちゃんが帰ってきた。
『いや、あの、その・・・』
「ふむふむ。お味噌汁を沸騰させちゃったのね。怪我はなかった?」
おばちゃんは何でもお見通し。
『留三郎が助けてくれたので大丈夫でした』
頭を下げて謝罪する。
「それは良かったわ。ありがとうね、食満くん」
「いえいえ」
留三郎が去っていき、おばちゃんに手伝ってもらいながら片付けをしながら考える。最近は料理の腕にも自信がついてきたんだけどなぁ。
ううむ。こんなにもまだまだだとは・・・。
私はありもしない料理が上手くなる裏技について思いを巡らせるのだった。
『おばちゃんには料理の手ほどきを受けているのに今日のは申し訳なかった』
忍たまもくノたまちゃんも先生も優しい。
「怪我がなくて何よりでした!」
「こんな時もありますって!」
「元気出して下さいでしゅ!」
と、ユキちゃん、トモミちゃん、おしげちゃんのくノたま三人組のように皆励ましと心配の言葉をかけてくれた。
だがしかし、私が悪いとはいえおばちゃんに料理を習っている以上、これから先おばちゃんの面目を潰すようなことはしたくない。
あと、私のぺしゃんこに潰れた料理の自信も取り戻したい。
どうすれば良いかと考えながら廊下を歩いていると———
「モソ(ユキ)」
長次くんが声をかけてくれた。
『やほー』
「・・・今、時間いいか?」
『うん。どうしたの?』
長次くんが懐から取り出したのは一枚の紙。手に取って読む私の顔がパッと明るくなる。
そこに書かれていたのは“南蛮料理教室 参加者募集”の文字。
『凄く面白そう!』
「一緒にどうだ?」
『行きたい!』
即答だ。
優しく目を細める長次君の前で私は拳を上げて飛び上がる。
『南蛮料理を学べる機会が持てて嬉しいよ。楽しみだな』
何の料理を教えてくれるんだろう? シチュー、揚げ物、お菓子もいいな。
頭に浮かぶ料理にヨダレが垂れそうになっていると、
「ユキさーーん」
元気いっぱいの声が私を呼んだ。振り返るときりちゃんだ。
「中在家先輩もこんにちはっス」
「モソ」
「ユキさんが持っているのなあに?」
きりちゃんがチラシを覗き込む。
『長次くんが南蛮料理教室のチラシを持ってきてくれたの』
「へえ。南蛮料理なんて珍しいっすね。わ!しかも無料だって!」
きりちゃんがチラシを指さし興奮して叫んだ。
「僕も行きたいです!」
ピンと手を挙げるきりちゃんに長次くんはコクリと頷く。
「モソモソ(一緒に行こう)」
『やったー!』
「やったー!」
当日は整理券が配布されるとのこと。整理券が売り切れないように私たちは早朝に忍術学園を出発することにした。
そして当日。
『ふわー。眠いね。でも、いいお天気だー』
燦燦と輝く太陽に照らされれば眠気など何処かに吹っ飛んで行ってしまう。
「おはよう、ユキさん!」
「モソ(おはよう)」
『二人ともおはよう。さあ、いざ出発!』
私たちは忍術学園を出発して意気揚々と歩きだす。
「何の料理を教えてくれるんすかね?」
「分からないが・・・おばちゃんが戻ったら習った料理を披露してほしいと言っていた・・・」
『それは名誉挽回のチャンス!』
私は鼻息をフンッと噴き出して拳を握る。
料理教室が行われるのは白虎町だ。この町を治めるクロカワという城のお殿様は民想いで先進的な考えの持ち主。
南蛮文化も積極的に取り入れているそうだ。
「・・・とはいえ、民の多くは異国から来た南蛮人と接するのに抵抗のある者も多い。そこで南蛮の文化に触れ、南蛮を身近に感じてほしいとクロカワの殿が料理教室を企画したそうだ・・・」
「へぇ。良いお殿様っすね。タダで料理教室開いてくれるなんてさ!」
朝の早い時間の白虎町を歩くうちに、会場となる広場が見えてきた。
「あ!まずい!もう天幕の前に人がいる!ユキさん、中在家先輩、走りますよ!!」
きりちゃんは私と長次くんの手を引いて走り出す。
元気なきりちゃんの様子に笑みを零していた私はふと長次くんに視線がいった。
柔らかい目できりちゃんを見るその横顔に私はとても幸せな気持ちになったのだった。
整理券も無事にもらえ、私たち三人は朝食を食べる場所を探す。
朝が早かったので朝ご飯を食べてきていなかったのだ。しかし、節約ということでおにぎりを持参している。私たちは町を出た直ぐの道にあった大きな木の下で朝ご飯をとることに。
「わーい。大きなおにぎりだ」
きりちゃんが両手で持った大きなおにぎりを目線に掲げる。
『お腹ぺこぺこだね。食べよう』
「うん!」
「もそ(いただきます)」
おばちゃんが朝炊いてくれたごはんで作ったおにぎりは冷えても美味しい。
しかし・・・私ってば未だにお米を炊くと緩く炊いてしまうんだよね。
カチカチなお米は嫌だから水分大目にしてしまう私。そんな私のお米炊き練習で忍術学園の皆さんには時々おかゆを提供しているのである。
「ユキ?」
『おっと』
ぼんやりしていたようで長次くんがどうしたのだろう?と私を見ている。
『なんでもないよ』
私は長次くんに肩を竦めて笑って見せた。
「・・・楽しみだ・・・モソ」
私を暫し見ていた長次くんは視線を前に戻してそう言った。
『うん。そうだね。南蛮料理が習えるなんてワクワクする』
「それもそうだが・・・」
竹筒の水筒を両手で持つ長次くんの手には少し力が入っている。
そして優しい声が私の耳に届く。
「ユキときり丸と一緒に料理出来る事が、私は嬉しい」
『長次くん・・・!』
ごめん。鼻血を出してもいいでしょうか。
いや。許可など取っているバヤイではありません。
鼻血は生理現象なので仕方ないのです!勝手に垂れ流れるものなのだ!
『はうううぅ』
この胸の高鳴りをどう処理したら良いのでしょう!
長次くんなんて良い子なんだ!知っていたけどさ!
大天使長次。
私は鼻の付け根に手を当ててこれ以上興奮しないように、固く目を瞑った。
「ユキ・・・?」
困惑している様子の長次くんの声に目を開ける。
あぁダメだ。顔がにやけるなぁ。
私は緩っ緩っの顔になっているのを自覚しながら口を開く。
『そうだよね。何だか上手に料理出来る事に意識をとられて“楽しく”っていう思いがいつの間にか消えていたのかも。ありがとう、長次くん。三人で料理教室楽しもうね』
「うん!みんなでお料理したら絶対楽しい。でもでも、それに加・え・て!僕の目的は覚えた料理をバイトに生かすこと。これは忘れられないんだから」
きりちゃんがニシシと笑いながら手でお金のポーズを作る。
『しっかり者の息子がいて母さんは頼もしいよ』
「へへへ」
お腹は満腹。輝く太陽。満ちた心。
珍しく涼しい風が吹く夏の日。
私たちは地面に横になって時間を潰す。穏やかな心地よい時間。
幸せだなぁ。
まどろんでいた私の耳にスースーと規則正しい寝息が聞こえてきた。横を見ればきりちゃんが口をポカンと開けて眠っている。
かわゆい。
しかし、夏とは言え冷たい風が吹く中寝ていては風邪をひくと思っていると背後からゴソゴソと音が聞こえた。
『のえっ!』
素っ頓狂な声が飛び出た自分の口を塞ぐ。
長次くんが自分の上着を脱ぎだしていた。
どええええええ!今拝まずしていつ拝む!
あぁ、神様仏様、ついに私の願いを叶えて下さる時が来たのですか?
ありがとうございます。夢にまで見た中在家長次ストリップショー!!
へいへいへいへーーーいヒューぴゅろろー
頭の中でハレルヤを歌いながら、長次くんを見上げ、音を出さないように、しかし、ノリノリで手を叩いていると視界が暗くなった。
長次くんの上着が頭からかけられたのだ。
「そんなに見るな・・・モソモソ」
『わわわ』
暗い視界の中、頭をぐりぐりと撫でられる。
「風邪を引くから・・・これはきり丸に・・・」
長次くんにかけられた上着を取ると長次くんはきりちゃんの隣へと移動していた。
私が長次くんの上着をきりちゃんのお腹にかけると、長次くんはその上着を微笑みながら直してくれる。
「モソ(可愛い)」
『うん』
風邪が草木を揺らす音を聞きながら、私と長次くんは飽きることなくきりちゃんの寝顔を見つめていたのだった。
***
「ううん・・・」
『起きたね』
「モソ(おはよう)」
「あ・・・。俺寝てたんだ」
体を起こしたきりちゃんはまだ眠そうに眼を擦る。
「時間は?」
『ちょうどいいよ。そろそ移動しよう』
私たちは料理教室会場となる広場へと移動した。参加者は二十数人程度。
広場には長机の上に材料。そして驚いたことに広場には小さいが窯が二つあった。
私たちの前に立っているのは南蛮人の男性だ。
「クエン・カステーラと申しまーす」
ポルトガルの貿易商人であるカステーラさんは明るい笑顔で自己紹介。
「今日はパオン作りを体験していただきます」
ニコニコ笑う彼はパオンがどんな食べ物か説明してくれる。
『パンが作れるなんて!』
「ユキさん嬉しそう」
『うん!とっても嬉しい』
ワクワクしながら用意されていた背の高いテーブルまで私たちは移動する。
そこには既に材料が用意されていた。
「生地作りを始めましょう!」
カステーラさんの説明を聞きながら生地を作っていく。小麦粉、水、塩などを手でまぜまぜ。
「6等分にして丸めて焼けば出来上がりでーす」
参加者に呼びかけているカステーラさん。
「何だか泥遊びみたいで楽しいね」
ニシシときりちゃんが笑いながら丸めた生地を目の高さまで上げた。
「あれ、中在家先輩何してるんすか?」
きりちゃんの声で私は長次くんの手元を覗き込む。大きな手で器用に何かを作っている。
長次くんの手がどくと・・・
「「可愛い!」」
私ときりちゃんは同時に声を上げた。
長次くんが形作ったパンはウサギの顔の形になっていた。
「焼いて形が崩れるかもしれないが・・・」
『上手くいくと良いね!焼き上がりが楽しみ』
「僕も何かの形にしようかな。ユキさんは?」
『私は・・・』
パンをじっと見つめる私は考える。パン、パン・・・パンと言えば、アンパンマン!!
そう思った私は良い考えに手をポンと叩いた。あんぱんを作りたい!
『私、餡子もらってくる』
「餡子?」
突然の私の発言にきりちゃんが目を瞬く。
「・・・パンの中に入れたらきっと美味しい」
「なるほど!ナイスアイデアだね、ユキさん。僕もやりたい!」
『うん。皆の分ももらってくるね』
私はカステーラさんに餡子を貰えるか尋ねた。目をパチクリしたカステーラさんだったが「新しい試み大歓迎でーす」と城の厨房から餡子をもらってきてくれた。
私たちはパンの中に餡子を入れて形を形成する。後は焼くだけだ。
焼く作業は係の人がやってくれる。私たちは焼き上がりをお喋りしながら待つことに。
「モソモソ(夏休みの予定は?)」
『事務員は夏休みを三分割して、どこかひと枠忍術学園に残ることになっているよ。後はきりちゃんと家で過ごす』
きりちゃんが私と半助さんの家のどちらにどのくらい滞在するかシフトが出たら決めなければいけない。
もうすぐ教職員の夏休みの予定も出るはずだ。
『長次くんは?』
「実家に戻る」
『忍術学園最後の夏休みだもんね。卒業したら・・・』
「家を離れる」
『そっか』
忍びの任務は危険だ。身元が割れれば家族を巻き込む危険がある。忍となる忍たま、くのたまは卒業したら実家を離れて独り立ちする者が殆どだ。
『たくさん親孝行してあげてね』
長次くんは口元に微笑みを作ってコクリと頷いた。
「しかし・・・」
『しかし?』
何かを躊躇う様子の長次くんの様子を窺っていると、恥ずかしそうに目を数度瞬いた長次くんは「夏休みに入りユキと会えなくなるのは寂しい」と言った。
『っ!』
どろっとした何かが込み上げてくる。
「あああユキさん!」
鼻血だ。
叫んだきりちゃんが慌てて手拭いを私の鼻に宛がった。
『た、堪らん』
「まったくユキさんったら」
きりちゃんは半眼で私を見つめ重ーい溜息を吐き出す。
長次くんの奥ゆかしさ。
深窓の令嬢という言葉がぴったりのような気がする。
「手拭いを濡らしてくる・・・顔を拭いた方が良い・・・」
『あ、ごめん。私のでお願いします』
長次くんのお言葉に甘えて手拭いを濡らしに行って貰う。
なんて気の利く人なんだ・・・!
「まったく。顔が緩みきってるよ」
『うへへ』
「困った人だよ、ホントにもう」
そんな会話をしているとパンの焼ける良い匂いが漂ってきた。
『良い香り』
鼻血も止まった。
鼻に宛てていた手拭いを取ってクンクン匂いを嗅ぐと隣のきりちゃんが噴き出した。
「ぶっ!変な顔!!ぶはははは!」
『え、そんなに?』
「酷いよ!鼻下と顎にも鼻血がこびりつ、ぶふっ」
『わ、笑いすぎだよ』
ゲラゲラ笑うきりちゃんを見て恥ずかしくなり右腕で自分の顔を覆う。
はあぁ。私ったらどんな顔をしているんだか。そんな事を考えていると、
「モソ」
長次くんが戻ってきた。
『あ、ありがとう』
「拭こう」
『え!?いやいや。大丈夫です!』
慌てて空いている左手をブンブン振りながら後ろに後退した私はーーーー
『んぐっ!?』
足を絡ませてしまい私の体は後ろへ・・・
『あわわ』
「!!」
グッと背中に手が回って倒れていく私の体は止まった。目の前にあるのは長次くんの顔。彼は目を見開きそして。
「っ・・・」
『・・・。』
彼は私を自分に引き寄せて抱きしめた。
普通ならドキドキするのだが、
『ちょっと。笑ってるでしょ』
私を抱きしめる長次くんの体はフルフルと震えている。
彼の腕の中から脱出を試みる。
離さない。
まるで私の顔を見たら爆笑が避けられないとでも言うように。
いいだろう。この変な顔で笑わせて長次くんの貴重な爆笑顔を拝ませて頂きましょう!
『えいっ』
べりっと長次くんの体を引き離す。
目の前にいる長次くんはパッと両手で顔を覆った。乙女か!
「ユキさんー中在家先輩を苛めないで下さい」
『どー見ても笑い物にされているのは私の方ですが!?』
「その顔は笑われて当ぶふっ。あぁ、もう、早くその鼻血が飛び散らかった顔を綺麗にして下さいよ!はい、屈んで屈んで」
『んん』
きりちゃんが未だにフルフル震えながら笑いを堪えている長次くんから濡れた手拭いを受け取って顔を拭いてくれる。
『ありがとう』
「どういたしまして」
「パオンが焼けましーた!」
カステーラさんから声がかかった。
『二人とも行こうか』
「うん!」
「モソ」
私たちはワクワクと竈へと走っていく。
次々と取り出されるパオン。
順番を待っているといよいよだ。
『「わああ」』
歓声を上げる私ときりちゃん。
竈の中から私たちのホカホカのパオンが出てきた。
取り出されたパオンは籠の中へ。
「中在家先輩のウサギさんパオン可愛い!」
「潰れずに焼けて良いった」
『これは可愛くて食べられないね!』
長次くんのウサギさんパオンは焼きあがっても元の愛らしい兎の姿を保っていた。一方の私はと言うと・・・
「これ何?」
きりちゃんが眉を顰めながら私が形成したパオンを指す。
『パンダだよ。明の動物』
「明にはこんな恐ろしげな動物がいるの・・・?」
『本気で怖がらないで!私の不手際であってパンダさんは可愛い動物だから!』
私の作ったパンダちゃんパオンは焼いたことで生地が膨張して悲しいことになっていた。目の周りの白い部分も目も膨張して崩れちょっとしたホラーだ。
長次くんのウサギちゃんとは別の意味で食べるのが躊躇われるくらい。うわーん。
「味があって可愛い・・・気を落とすな」
『長次くんっ』
長次くんったらいつも優しい!
気持ちがほんわか温かくなる。
「今日のイベントはここまででーす。皆さんお集まり頂きありがとうございまーす」
『「「「「ありがとうございました!!!」」」」』
料理教室の主催であるカステーラさんにお礼を言い、楽しかったこの時間に感謝を込めて皆で拍手。
わらわらと帰っていく参加者たち。
『私たちも帰ろうか』
「うん!」
「モソ」
きゅるるる
きゅーーー
『「あ」』
私ときりちゃんのお腹から音が鳴った。
「・・・帰りにどこかでパオンを食べていこう」
『「賛成!わーい」』
私ときりちゃんはハイタッチ。そして待ちきれんとばかりに走り出す。
パオン パオン パン パン パオン!
食べるの楽しみだなー
即席で作った歌を歌い、跳ねながら私ときりちゃんは走っていく。
暫くして街道沿いの川のそばにやってきた。
一休みするのに良さそうな場所だ。
『ここで休もう!』
「うん!」
「モソ(水を汲みにいこう)」
私たちは竹筒の水筒に水を汲んで木陰に座った。
夏の太陽が川の水を反射させて眩しいくらいに光っている。
せーので頂きます。
私たちはパオンをはむっと食べる。
「美味しい!」
『ふわふわだ』
「モソ(甘い)」
私たちの顔はパオンの美味しさに緩みきっている。まさかこの世界でパンを食べられるとはね!
「残りの一つは帰ってから乱太郎としんベヱと分けて食べるんだ」
きりちゃんがご機嫌で言った。
「これは小平太に・・・」
長次くんのウサギちゃんパオンは小平太くんに贈られるらしい。羨ましい・・・
私は自分の手元に目線を落とした。
阿鼻叫喚といったところか。焼く前は可愛かったのに。
私はそっとパンダちゃんパオンを荷物の中にしまった。
『長次くん、今日は誘ってくれてどうもありがとう』
「ありがとうございます、中在家先輩。とっても楽しかったです」
「モソ(私もだ)」
夏は日が長い。まだ周りは明るい。
しかし、もう夕飯の時間だ。
私は2人と別れて部屋に戻った。
今日は楽しかったな。
パンダちゃんパオンを机に置く。こうして見れば愛嬌がないこともない、かな。
クスリと笑った私の顔は歪んで大欠伸。
少し疲れたみたい。
『ちょっと横になろう。ちょっとだけ』
食堂から流れてくる美味しそうな匂い。楽しそうな忍たまたちの笑い声を聞きながら私はいつの間にか夢の中へと入っていたのだったーーーーー
コンコン コンコン
「ユキ、ユキ」
『んあ?』
何かが聞こえる。
ぼんやりと目を開けるがまだ頭が起きてはいない。音が遠くから聞こえる。
「入るよ」
『んー・・・』
起きて夕食を食べに行かないとと思うのに体がついていかないと眉を顰めている時だった。
「ユキ!!」
『うわあ!』
私の両肩がガっと掴まれ私の口からは間抜けな声が飛び出す。あービックリした。
私の目はパッチリ覚めた。
目の前には半助さんのドアップ。更にビックリして心臓が再び飛び上がる。
『ど、ど、ど、ど』
「大丈夫かい?」
半助さんは強ばった顔で私の額に手を当て、そして手首から脈を測り、何も無いことが分かったらしく、ほぅっと息を吐き出した。
『ど、ど、どうしたんです!?驚きましたよ!』
まだ心臓をバクバクさせながら身を起こす。
「驚いたのは私の方だよ。布団も引かないで、床に倒れて」
ハア心臓に悪いという半助さんは胃を抑えている。誠に申し訳ない。
「夕飯にやってこないから心配したんだ」
『疲れて寝てしまって』
「そうだったんだね。そう言えば、今日は南蛮料理教室に行ったそうじゃないか。きり丸が食堂で話していたよ。楽しかったかい?」
『はい、とても。あ!』
「ん?」
『半助さんに良いものをあげましょう!』
私はニッと笑って立ち上がる。
暗くなった部屋に灯りをともし、机の上からパンダちゃんを取る。
『今日作ったパオンです。南蛮の主食です。良かったらどうぞ』
「ありが・・・えっと、ぶふっ」
笑顔だった半助さんの顔は大きく目を見開いた顔に変わった後、また笑顔になった。
ちなみに最初の笑顔と最後の笑顔は種類が違う。
『あー!笑いましたね!』
「いや、その、ごめんっ」
すまないと顔を手の前に持ってくる半助さんにパンダという動物について説明する。
「明にはこんな恐ろしげな動物が・・・」
『ち・が・い・ま・す!焼いた時に崩れちゃっただけで元は可愛かったんですよ!まったくもう。きりちゃんと同じこと言って!』
「きり丸も同じ事を言っていたのか」
『なにニヤニヤしているんです?』
「えっ。いや別に」
ふふっと楽しそうに笑う半助さんは何を考えているのだろうか。きっと温かな事を考えているのだろう。私の表情も緩む。
「食べても良いかい?」
『どうぞ!』
半助さんがはむっとパンダちゃんを噛んだ。
「甘い!これは餡子?」
『はい!あんぱんです』
「あんぱん」
『餡子の入ったパオンであんぱんです。見た目は、あー、あれですけど、美味しいですか?』
「うん。とても」
『良かった』
人に自分の作ったものを喜んで食べてもらえると嬉しい。私は餡子の甘さに顔を綻ばせる半助さんと同じように顔が綻んでいるだろう。
ジーーーー ジーーーー
虫の声が聴こえる。
『夏ですね』
「そうだね」
『何の虫でしょう?蝉?』
「ケラだと思うよ」
『けら』
奇妙な名前だと思いながら庭に目を向ける。
濃い闇。数ヶ月前の私はこの闇が怖かった。上に顔を向ける。この吸い込まれそうな星空も同じく怖かった。
でも、今は違う。
穏やかな心でこの空を見上げている。
「星が綺麗だね」
『はい』
私は隣に並んだ半助さんに微笑む。
星のように綺麗な光が彼の目に輝いていた。
┈┈┈┈┈後書き┈┈┈┈┈┈┈
カステーラさんの名前は原作のリベラ・マイルドではなく、アニメ版の名前を使用しました。