第一章 郷に入れば郷に従え
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12.キスの行方
吉野先生は学校用具を買いに午後から町へ。小松田さんも一緒に行ったので私は一人。今は仕事が一段落したので食堂で緑茶を飲みながら休憩中だ。
『腹筋痛い』
昨晩はお互い疲れるまできりちゃんとくすぐり合いっこ。笑いに笑った私は筋肉痛。
きりちゃんと遊んで楽しかったな。
『おっ、留三郎』
お腹をさすっていると留三郎が入ってきた。
「よ、よう。今いいか?」
『休憩中だしいいよ。留三郎もお茶いる?』
「いや、俺はいい」
『授業は?』
「午前実習で午後は休み」
留三郎は机を挟んだ私の前にストンと座った。なぜか視線を彷徨わせてソワソワしている。
「ちょっと、聞きたいんだけどよ」
しばらく落ち着きない様子で座っていた留三郎がようやく口を開いた。
内緒話をするように小声で話す留三郎。私もよく聞こえるように身を乗り出す。
留三郎が眉をハの字にして困った顔をするなんて珍しい。
「これは噂で聞いた話なんだが」
『噂?』
私が眉を顰めていると留三郎が咳払いをして、躊躇いがちに口を開いた。
「あぁ。おまえが、その噂で……接吻、したって聞いて」
『ゴ、ホフゥッ!?』
「熱っ!汚ぇな、吐き出すなよ」
私から盛大にお茶を吹きかけられた留三郎が叫んだ。他人の話だと思っていたから吃驚だ。
『ごめんゴホッ、ゴホッ』
留三郎に急いで手拭いを渡す。実習後でお風呂入ったばかりだろうに申し訳ない。
私に関する噂で思い当たることは一つしかない。昨日の今日で半助さんとのことが広まっているとは思わなかった。
誰かに見られていたなんて。噂が広まったら、もしかして忍術学園クビ!?どのくらい忍たま達に知られているのだろう?
新任事務員、わずか一週間で同僚教師に手を出しセクハラ解雇
頭の中にゴシップ記事のタイトルのようなフレーズが浮かぶ。
「やっぱり伊作とした、のか……」
『えっ!?そっち!?』
驚いて思わず叫んでしまったが、同時に心の中に安心感が広がる。ふと見ると留三郎が怪訝そうな視線を向けていた。
「そっちって他に何か……」
『いやいや。伊作くんと私が噂になってるの?』
「あぁ」
私が尋ねると留三郎は不機嫌そうに目を細めた。
怖いな。
こんな顔もできるのか。
『留三郎って伊作くんと同室だよね?伊作くん、何か言っていたかな?たとえば、あの……強制猥褻で雪野を訴えてやる、的なこと……』
「ブッ!?なんだよそれ」
留三郎が吹き出した。
『だから、事故とはいえ私との接吻に精神的にダメージを受けて刑事裁判を起こそうと
しているかもと……』
伊作くんに訴えられたらクビどころか下手したら逮捕じゃない?これは半助さんのことより深刻な問題だ。
「事故ってどーゆうことだ?」
緊張しながら返事を待っていると、留三郎が首を傾げながら聞いた。
伊作くんから話聞いてないのかな?
私はあの日、ハプニングがあってキスしてしまったことを説明した。人にこんな話を説明するなんて恥ずかしすぎる。
「なんだ。そういうことだったのか。俺はてっきりお前と伊作が……」
『私と伊作くんが?』
「いや、なんでもねぇ」
(ったく二年の奴らが誤解する言い方するからユキが伊作と付き合っちまったのかと
思ったじゃねぇか)
「何日か前から伊作の様子がおかしくなって訳を聞いたんだが、あいつ答えなくてな。
どうしたのかと考えていたら昨日、二年の奴らがお前と伊作が……せ、せっぷゴホン
伊作としたって噂しているのを聞いたんだ」
した、って……。接吻という単語を言うのが恥ずかしかったらしい留三郎がややこしい言い方をした。
余計おかしなことになっていると思う。しかし、本人は気づいていないようなので黙っておこう。指摘したら今度こそセクハラで訴えられそうだ。
「伊作のやつ、事故なら別に気にすることねぇのに」
『落ち込んでた?』
「なんでお前は加害者目線なんだよ!伊作は、どうしよ~とか、嫌われたかもとか、独り言言ってたから、伊作の方もお前に対して罪悪感を感じてるんだと思うぜ」
そんなに悩んでいてくれたんだ。私の方は嬉しいハプニングがあってラッキーくらいにしか思ってなかったのに。
『はあぁぁ。とにかく伊作くんが怒ってなくて良かったよ。本気でブタ箱行きかと思った』
留三郎が呆れたように笑った。
これで一件落着
半助さんの一件はバレていないようだ。夜にでも彼に会いに行き、私の首を飛ばさないで欲しいとお願いしに行こう。口止め料……お詫びの品は何がいいだろう。
「それで、伊作の事以外にも何かあるようだが?」
『な、何もないよ』
留三郎は私の失言を忘れてくれてはいなかった。
こうなったら、逃げよう。そうしよう。
『っ!見て、天井に誰かいるっ』
「何!?誰もいない、っ逃げるな!」
忍者の卵の前で嘘をつき続ける自信ないよ。
ガタンと椅子を蹴るようにして立ち上がる。
逃げようとした私は振り向いた瞬間、鼻を打った。
めっちゃ痛い
顔を上げれば仙蔵くん
意地の悪い笑みを浮かべる仙蔵くん
「私からもユキに聞きたいことがある」
『お仕事に戻らないと……』
「私よりも仕事を優先させる気か?いい度胸だな」
宝録火矢が出てきた。しかも、既に火がついている。
今度こそ万事休す
私はヨロヨロと崩れるように椅子に座った。
「伊作以外にユキと・・・せっぷ、……やった奴がいるのか?」
『はい、ストップ。その言い方はアウトですね』
「は?なんでだよ」
頬を染める留三郎がポカンと口を開いた。
純情で可愛いところもあるんだね。
「ユキが言いたいのは、留三郎の言い方だと接吻ではなく夜の方を想像させると
言いたいのだ」
「っ!?」
留三郎が真っ赤になって慌てている。その様子を楽しそうに観察している仙蔵くん。
根っからのS体質ですね。彼の餌食にならないように気をつけねば……。
「は、話を戻すぞ。その相手って誰だ?」
仙蔵くんがこちらを見ている。鋭い視線に息を呑む。
張り詰める空気。
「相手は……四年い組、綾部喜八郎だ」
「綾部が!?」
『!!』
歓喜の声を押し殺すことに成功した。グッジョブ、私。
留三郎に喜八郎くんとのことを話す様子から、仙蔵くんも半助さんとのことには気づいていないらしい。きっと昨日の夜のことは誰も見ていなかったんだ!
いつの間にか、仙蔵くんが喜八郎くんとのキス事件を留三郎に話していた。この話、どれだけ学内に回っているのだろう。気が抜けてぼんやりしているとまだ顔の赤い留三郎と目があった。
「……綾部にせっ、ぷんされた、のか?」
『……今日の留三郎かわいいね』
「うるせぇっ」
照れちゃって可愛いな、留三郎のくせに。
「地上にいなかったので綾部本人に確認は取れていないが、伊作や他の保健委員から聞いた話だから本当だろう」
『綾部喜八郎は地底人!?の段!』
「伊作とは違って事故じゃないようだな」
眉を寄せて留三郎が呟いた。
私の地底人発言は流された。
さみしい
「綾部に色々と言ってやりたい事があるのは確かだが、私はユキの反応が気になるな」
『へ?』
突然、仙蔵くんに話を振られ間抜けな声が出た。
「お前は喜八郎との接吻をどう思っているのだ?」
『どうって、別に』
私は肩をすくめた。すっかりぬるくなったお茶で喉を潤す私の前で目を見開いている二人。
なによ……。
「別にって、口づけだぞ?分かってるのか?」
両手でバンっと机を叩いて留三郎が立ち上がった。
「ほぅ、喜八郎の口づけは随分と良かったらしい」
仙蔵くんが冷たい目で私を見下ろしている。
そんな怖い顔しなくても……。
『好きとか嫌いとか、喜八郎くんのはそういう類の接吻じゃないよ』
「じゃあなんだよ」
『例えるなら、ほら、動物がお気に入りのおもちゃにマーキングするようなもんだって。
喜八郎くんは穴に落っこちた私を仕掛けに掛かった自分の獲物みたいな目で見ているのだと思うよ』
二人は一瞬ポカンとした後呆れ顔に。
彼が私に興味を持ったのは私に魅力があるのではなく、単に“見事に落ちた”から。それを二人に伝えると苦笑いを返された。
なぜ苦笑い?今日の二人はとことん私に冷たい。
「フッ落とし甲斐があるな」
『怖っ。まさかの穴掘り小僧デビュー?仙蔵くんの後ろは歩かないようにするよ』
なぜか仙蔵くんは私の顔をまじまじ見て溜息をついた。これ以上冷たくされたら泣いちゃうよっ。
『あと一杯飲もうかな。二人もいる?』
「あぁ、頼む」
「最近の茶は合格点の味だ」
『じゃあ、そろそろお茶係引退し……私、お茶淹れるの好きなんだ!』
仙蔵くんが微笑みを浮かべながらドス黒いオーラを出した。
彼が卒業するまで引退出来なさそう。一緒に喋れるし、ついでだからいいけどね。
厨房に入って茶葉を換え、急須にお湯を注ぐ。
「ユキ」
ガチャン
私の手から滑り落ちた茶筒が派手な音を立てて床に落ちた。
後ろから近づいてくる声の主に私の心拍数は早くなる。私の名を呼んだ彼は隣に来て、屈んで茶筒を拾って棚へと戻した。
『こ、こんにちは。半助、さん』
吃るし、裏返った私の声に半助さんは困ったような笑みを浮かべて「驚かせてすまない」と言った。
『食満くんと立花くんと一緒にお茶を飲むところなんです。ご一緒にいかがですか?』
「いや、遠慮しておく」
半助さんは一瞬留三郎たちを見てから、躊躇いがちに口を開いた。
「少し外で話せないだろうか?」
『話……えぇ』
「庭で待っている」と言って先に食堂から出ていった半助さん。
私は仙蔵くんたちに『用事ができたからまた後で』と淹れたお茶を渡しながら告げ、半助さんを追いかける。
うるさいくらい自分の鼓動が耳に響いている。
庭の池に架かる橋の上に半助さんはいた。
『お待たせしました』
何から話そうか。緊張で組んだ両手に力が入り、爪がピンク色から白く変色している。
昨日のこと。
実はキスしたことは覚えているのだが、キスした瞬間はよく覚えていないのだ。多分、半助さんの色気にクラクラっとした私の自制が効かなくなったのだと思うけど。
「昨日はすまなかった」
どのくらい沈黙が続いていたのだろうか。ハッと我に帰る。
私と目のあった半助さんは気まずそうな顔で俯いた。
目を瞬く。
頭を整理しよう。
私は半助さんにキスした記憶がない→私は半助さんにキスしてない?
半助さんが謝っている→私は半助さんにキスしてない
私は半助さんにキスしてない→半助さんが謝っている→半助さんが私にキスした
『ちょ、ちょっと確認なのですが、私たち……昨日、接吻しました?』
「……あぁ」
『それは……半助さんから?』
躊躇いがちに聞くと、顔を赤くした半助さんから「そうだ」と肯定の言葉が返ってきた。
と、いうことは―――
忍たまに無理矢理半助さんの唇を強奪したと陰口を叩かれる可能性はなくなり、
新任事務員、わずか一週間で同僚教師に手を出しセクハラ解雇のゴシップ記事が書かれることもなく、忍術学園をクビになることもない!
と、いうことは――――
『助かったあぁァァァァ!』
「えぇっ!?」
職を失う危険性から解放された私は全身の力が抜けて橋の上にペタリと座り込んだ。戸惑っている半助さんに『こっちの話です』と言って空を見上げる。
彼のバックに見える空は見たこともないくらい青く美しかった。
「ユキ?」
『はい、何でしょう?』
「怒っていないのかい?」
『怒る?アハハ、ぜーんぜん怒ってないですよ。きっと衝動的なものだったと思いますし。それに、嫌じゃなかったので(むしろ得した気分)気にしないでくださいね』
「しかし……」
『私はこのことより、半助さんとの関係がギクシャクしちゃうほうが嫌です。気にしちゃいます』
戸惑う半助さんにニコリと笑いかける。
男性は女性ほどキスの意味を深く考えていない場合が多い。昨日のように雰囲気でしてしまうこともある。と、亡くなった祖母が私に忠告してくれていた。
「ユキ、キスくらいで相手が自分を好きだと早とちりしてはいけないよ」と。幼心に祖母の過去に何があったのか気になったものだ。
『さてさて、一件落着ですし仕事に戻ります』
夕食までもうひと頑張りしないと。ちょっと休みすぎたから急ピッチで進めないとね。
心配事もなくなって気分爽快な私は立ち上がってぐーっと伸び。
『半助さんは戻らないのですか?』
「……」
橋を降りたところで振り返ると半助さんはまだ同じ場所に立っていた。私の問いには答えず、思いつめたように私を真っ直ぐに見つめている。
まだ何か言いたいことがあったのだろうか?
彼の前まで戻り、彼の名前を呼ぶ。
反応がない。
「衝動なんかじゃない」
あまりにも動かない半助さんに不安になってきた時、私は彼にギュッと抱きしめられた。
驚いて身を引こうとした私は力強い腕で抱き寄せられる。戸惑いが私の中に広がる。
顔を上げると彼の真剣な眼差しとぶつかった。
「私は君に惹かれているんだ。だから、昨日のことは衝動でしたことじゃない。出会ってから一週間しか経っていないのにと思っていると思う。だが、私は君のことが気になって仕方ないんだ」
彼の声色や態度から冗談で言っているのではないことがわかる。
昨日と同じように私の頭は真っ白。
「今すぐ気持ちに答えてくれとも言わない。もちろん、昨日のようなことも、もうしない。さっきも言った通り出会ってまだ一週間だ。だけど、ユキにはこれから私を知ってもらいたい」
私の頬を軽く触れて半助さんは体を離した。
「急にこんなことを言ったのは、君に教師やただの同僚としか見られないのが辛かったからなんだ。驚かせてすまない。もう、こんな強引なことはしないから」
切なげな声が耳に響く。
彼の突然の告白に私は完全に動揺してしまっていた。
半助さんは何も言えないでいる私の頭をポンポンと撫で「先に戻っているよ」と微笑んだ。その笑顔は私が知っているいつもの笑顔。
その表情に何となく安心感を覚えながら、私は半助さんが校舎へと戻っていくのを見送っていた。
***
ガチャン
『こ、こんにちは。半助、さん』
派手な音を立てて床に落ちた茶筒と動揺した様子のユキの姿に俺と仙蔵は顔を見合わせた。
『食満くんと立花くんと一緒にお茶を飲むところなんです。ご一緒にいかがですか?』
「いや、遠慮しておく」
明らかに様子がおかしい。
仙蔵の方もそう思っているようで二人の様子を覗っている。二人の様子に嫉妬めいたものを感じていると、一瞬土井先生が俺たちの方を見た。
鋭い視線
「少し外で話せないだろうか?」
『話……えぇ』
胸がざわつく
『二人ともごめん。用事ができたからまた後で』
冷静さを装ってはいるがわずかに震えているユキの手。ユキは俺たちのお茶を置いて土井先生を追いかけて食堂を出ていった。
「なぁ、仙蔵。土井先生のあの視線。まさかとは思うが、まさか」
「あぁ。私たちへの嫉妬だな」
「まさか……土井先生もユキを」
「土井先生も、か。やはり留三郎はユキが好きだったようだな」
「っ俺は、ユキのことなんか……俺はあいつが好き、なのか?」
「私に聞くなッ」
自分の感情に混乱していると仙蔵に喝を入れられた。
ユキは変な奴で見ていて飽きねぇ。友人としては好きだが、女として好きかと聞かれると即答できない自分がいる。
「競争相手にお前のような恋愛初心者が増えたところで私にはなんの支障もない」
「それってお前もユキを!?」
「問題は土井先生だな」
俺の驚きを無視して仙蔵が呟いた。
先ほどのように心がざわついてくる。
「仙蔵、様子を見に行くぞ」
「土井先生に見つかるのは御免だ。留三郎、ヘマをするなよ」
俺たちは慎重に庭へと向かった。
庭についた俺は心の中で舌打ちをした。二人がいたのは池にかかった橋の上。身を隠す場所がない。
仕方なく俺と仙蔵は池のほとりに生えている桜の幹に身を隠した。
「昨日はすまなかった」
どうにか声が聞こえる距離のようだ。
(ユキのやつ、謝られている理由わかってんのか?)
(あの様子からすると分かってないらしい)
呆れた顔の仙蔵からポカンとした顔のユキに目を戻す。
心配していたような色恋の話ではないのかもしれない。そう思いかけていたとき、
『ちょ、ちょっと確認なのですが、私たち……昨日、接吻しました?』
間抜けな声が俺の耳に響く。
動揺する俺に対して、教師に質問するように片手を小さくあげて首をかしげるユキは緊張感の欠片もない。
「……あぁ」
『それは……半助さんから?』
「そうだ」
胸に鋭い痛みが走る。その時、
『助かったあぁァァァァ!』
「えぇっ!?」
伊作のような事故であってほしいと願う俺の耳に歓喜の雄叫びが聞こえた。
思わず仙蔵と顔を見合わせる。当然ながら土井先生はかなり当惑した表情を浮かべていた。
「怒っていないのかい?」
『怒る?アハハ、ぜーんぜん怒ってないですよ。きっと衝動的なものだったと思いますし。それに、嫌じゃなかったので気にしないでくださいね』
(少しは気にしろよ!)
思わず突っ込みそうになった俺の口は仙蔵に塞がれた。
「しかし……」
『私はこのことより、半助さんとの関係がギクシャクしちゃうほうが嫌です。気にしちゃいます』
これで一件落着と大きく伸びをしているユキは土井先生との接吻も伊助との事故や喜八郎のマーキングくらいのレベルで考えているのだろう。
良くも悪くも人を疑わない素直さ。
全く知らないこの世界に来ても動じない心の強さ。この強さがユキに興味を持ったきっかけ。
俺はユキが好き、なのか……?
いやいや、ありえないよな……?
***
留三郎、安心するのは早いぞ。
大きく伸びをしながらこちらの方へ橋を渡ってくるユキに対して、橋の上に残る土井先生の目は嫉妬の色を含んでいた。
戻るなと叫びたかった。
単純に土井先生が一緒に来ないことを不思議に思って、ユキは再び橋へと戻っていく。
「私は君に惹かれているんだ。だから、昨日のことは衝動でしたことじゃない。出会ってから一週間しか経っていないのにと思っていると思う。だが、私は君のことが気になって仕方ないんだ」
こちら側からは背中しか見えないが、ユキの驚きは充分伝わってくる。驚いて身を引こうとするユキを離さないように、抱く力を強くした土井先生は本気だ。
私と留三郎は同時に身を固くした。
私たちは気づかれていた・・・・
ユキの頬を軽く触れて彼女から離れた土井先生と目が合った。
嫉妬ではなく挑発ともいえる眼差し。
「急にこんなことを言ったのは、君に教師やただの同僚としか見られないのが辛かったからなんだ。驚かせてすまない。もう、こんな強引なことはしないから」
(仙蔵、逃げるか?)
(今さら遅い。それに俺たちの行為を咎めるつもりはないだろう)
不思議そうな顔をする留三郎にため息をつく。
土井先生が覗き見されているのを知りながら俺たちに気づかないフリをしていたのは俺たちに見せつけるためだろう。留三郎はこういうことには疎いからな。
「先に戻っているよ」と言い、ユキの頭を愛しげに撫でてから橋を渡ってくる土井先生の顔には不敵な笑み。私たちに向けているのは教師ではなく一人の男の顔。
その勝負、受けて立ちますよ。
『ぎゃっ!仙蔵くん!?』
「おい、何出ていってんだよ」
『留三郎!二人とも見てたの?いつから?』
目を丸くしているユキに「全て聞いた」と言うとさらに目を丸くさせた。
「ユキ、どうする気だよ。お前、土井先生と……」
『フフフ、留三郎。将来的に私は土井先生の嫁よっ』
口をパクパクさせて真っ赤になる留三郎とガッツポーズで喜びに浸っているユキ。
「ほ、本気で言ってんのかよ?」
『当たり前よ。このチャンスを逃す気はないわ。あの場でいきなり結婚申し込んだらドン引きされるでしょ?念入りに計画を立てて交際、婚約、結婚まで最短で持っていくわ!』
本当に面白いやつだ。普通の女だったら恥ずかしがるか、悩むだろうに目の前のユキは目をキラキラ……否、ギラギラさせている。
いつも私の考えの斜め上を行き私を楽しませてくれる。
そんな彼女を手放す気はない。
『そういう訳ですので仙蔵くん。私が半助さんの嫁として相応しい人間になるように、これからもビシビシ指導してください』
「あぁ。結婚までに教えたいことは山ほどあるからな」
留三郎が悲鳴に近い声をあげるのを無視して、ユキの柔らかい唇の感触を楽しむ。
唇を離し、耳元にも口づけを落とす。
ビクリと反応したユキに自然と私の口角があがる。
『せんぞ、くん?』
「ユキは私の嫁だ。相手が誰であっても譲る気はない」
もう一度、口付けを。
「まったく。お前と言う奴は……くくっ」
口付けをしている時には目を閉じろ。
まずはこれから教えてやることにしよう。
『留三郎、婚姻届ってどこでもらえるのかな?この世界、重婚って合法?』
「っぜってーおしえねぇーーー!!」