第四章 雨降って地固まる
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19.思わぬ事態
「今日も暑いね~」
『そうですね~』
夏日というにふさわしい文月の一日目。
ちょうど正門の前を小松田さんと通り過ぎようとした時、トントンと正門が叩かれた。
『はーい。どちら様ですか?』
「出茂鹿之介だっ。学園長先生に事務員採用のお願いに来た」
事務員採用?
事務員就職希望という事なのだろう。
私はそう思いながら扉を開ける。
「ん。お前は・・・?」
潜り戸を通って入ってきた出茂鹿之介さんは私の顔を見た途端に眉間を顰める。
そして、私の顔から視線を下に移した時だった。彼の口から「あーー!」と大きな声が上がった。
「事務員!?」
『はい、そうですが』
「お前、いつ雇われた!?」
『今年の春に』
「春、だと!?!?」
胸ぐらを掴まれそうな勢いで詰め寄られて思わず一歩後ずさる。
『ど、どうされました!?』
「どうしたもこうしたもないっ。俺を採用せずに何故お前が採用されたんだ!?」
いまいち要領を得ずに小松田さんを見ると、
「出茂鹿之介さんは、ずっと忍術学園の事務員に就職を希望している人なんだ」
と言った。
「そういう事だ!前々から事務員を雇う時は是非私をと言っていたのにこれはどういうことだ!!学園長先生に抗議してくるッ」
「あっ。その前に入門表にサインをっ」
「鬱陶しいッ」
「ダメですよ!規則ですから!」
ずいっと詰め寄る小松田さんを睨みつけて、出茂鹿之介さんは奪うようにバインダーを受け取り、乱暴にサインをし、学園長先生の庵へと鼻息荒く歩き出して行く。
『ハッ!ぼーっとしている場合じゃない。出茂鹿之介さんを追いかけましょう!』
「えーいいんじゃないかな。出茂鹿之介さん、学園長先生の庵の場所も知っているよ」
『そういうわけにはいきませんよ。一応、部外者の人なわけですし。利吉さんや雅之助さんのように学園関係者でもないんですから』
私は小松田さんの背中を押して走らせながら出茂鹿之介さんを追いかける。
そういえば、さっきの出茂鹿之介さんの顔、どこかで見たことがあったような。
ええと、どこだっけ・・・ううむ・・・
「ユキちゃん?」
私に押されて走り出した小松田さんの横に並んで走る私。
私の考え込んでいる顔を見て小松田さんが首を傾げる。
『あ!思い出したっ』
私はポンと手を叩いた。
「わあっ!」
突然大声を上げた私に小松田さんが驚いて声を上げる。
「急にどうしたのさ」
『あ、いえ、何でもありません』
私はアハハと誤魔化し笑い。
出茂鹿之介さんとどこで会ったか思い出した。
酒豪選手権大会の三回戦で同じ組として戦ったのだ。
確か大会司会の人に、己のプロフィールとして“秀才”と伝えていた人だ。
なんか嫌な予感がするな。
とてもプライドが高そうな人の印象を受ける。
「学園長先生!おられますか!?出茂鹿之介です。出てきてください!」
学園長先生の庵まで行くと、出茂鹿之介さんが庭先で叫んでいた。
「なんじゃ、なんじゃ?」
学園長先生が姿を現す。
「お久しぶりです、学園長先生」
「おや。出茂鹿之介ではないか」
「はい。出茂鹿之介です!今日は私を事務員に採用して頂きたくご訪問させて頂いたのですが、どういう事ですか!?」
「は?」
「とぼけないでくださいッ。私が前々からあれほど忍術学園の事務員に採用して頂きたいと言っていたのに、いつの間にやらこんなやわそうな女の事務員を雇っていただなんて!」
ようやく出茂鹿之介さんに追いついて彼の横に並んだ途端、ビシっと指をさされる。
「この女はくノ一ですか?」
「いや。雪野くんはくノ一ではないが・・・」
「くノ一ではないというと一般人という事ですか!?」
「うむ。そうなるのう」
「では、学園関係者の縁者ですか?」
「いや、それとも違う」
「どういう事だ!!」
ギロっと出茂鹿之介さんに鋭い目で睨みつけられて体がビクリと跳ねる。
「くノ一でもない、学園の縁者でもないただの一般人に差し置かれて事務員の座を取られていただなんて許せないっ。学園長先生も酷いではありませんか!私は前々から忍術学園の事務員になりたいと申し上げていたはずです。それなのに、ポッと出の一般人に職を奪われただなんて納得できないっ」
出茂鹿之介さんは一気に言って、ゼーゼー荒い息をしながら私を睨んだ。
「断固抗議させて頂くッ。学園長先生!こんな不公平は許されない。忍術学園の事務員に相応しいのは誰か、今一度考え直して頂きたい」
大きな出茂鹿之介さんの声が庵前の庭に響き渡る。
ビシッと指さされている学園長先生は何かを考えるように顎に手を持っていき、「ふうむ」と唸った。
嫌な予感。
「出茂鹿之介が言うことも最もかもしれんな・・・」
「えぇっ!?!?」
『うっ』
私と小松田さんが声を上げる。
嫌な予感的中だ。
「出茂鹿之介の言う通り、彼は前々から事務員の職を欲しておった。それを突然やってきた雪野くんがいとも簡単に就いたのじゃ。出茂鹿之介の怒りも分かる」
それを聞き、ニヤリと出茂鹿之介さんが口角を上げる。
「では・・・」
「うむ」
学園長先生は暫し考える仕草をした後、顔を上げてニコリと笑った。
「よし、決めた!雪野くんと出茂鹿之介、どちらが忍術学園の事務員に相応しいか、三本勝負で決めることとする!」
「ありがとうございます!学園長先生っ」
え、え~~~~~~~!!
私は学園長先生の宣言を聞いて愕然とした。
三本勝負。
忍術学園の事務員に相応しいかを決める勝負ということは、ただの事務員能力を見るような勝負ではない。
ここは忍者を育成する学校なのだ。
事務能力を比べるだけでなく忍者に関する勝負内容もあるはずだ。
「ふっ。この勝負、俺がもらった。今から転職先を考えておくといい」
私を見て意地悪く出茂鹿之介さんが笑う。
「勝負は一週間後、勝負内容は公平を期して当日まで教えないことにする。それまで、各々勝負に向けて備えておくように」
「はい!」
『・・・はい・・・』
私は出茂鹿之介さんを正門まで送り届けるのを小松田さんに頼んで、足取りを重くして事務室へと帰っていったのだった。
***
『ふーっ』
仕事終わり。
どよーんとした気を纏いながら私は鍛錬場へと足を向けていた。
今日は斜堂先生に実技を教えて頂く日だ。
「ユキさん」
『うわあっ』
急に後ろから声が聞こえて体を跳ねさせる。
「すみません。驚かせてしまいましたね」
楽しそうに笑う斜堂先生はわざと気配を消して声をかけてきましたね?
本来ならばユキちゃん怒りの鉄拳が火を噴くところだが、今はそれどころではない。
「随分と暗い顔をしていますね」
『えぇ。大変な事になっていまして』
「???」
私は眉を下げて出茂鹿之介さんの事と、自分がクビになりかかっている事を斜堂先生に話した。
「・・・。」
『学園長先生の言い分も分かるのですが、お人が悪いですよね。三本勝負だなんて勝つ自信が・・・いや、弱気になっちゃダメですよね。しっかりしないと!』
パンパンと気合を入れるために自分の顔を叩く私を斜堂先生が見つめる。
ん?どうしたというのだろう?
「ユキさん」
『はい』
「ユキさんには忍術学園にいて頂きたい。ですから、私で出来ることは力を惜しまず協力致します」
『ありがとうございます!』
「ですが」
『??』
「もし、負けてしまったその時には、次の就職先を私にして下さってもいいですから」
『へ?』
思考停止
「考えておいて下さい」
就職先を私に。という事は・・・つまり・・・そういう事だよね!?
ボンと顔が赤くなるのを感じる。
斜堂先生は、真っ赤になって口をパクパクさせる私を楽しそうに笑ってからクルリと私に背を向けた。
「勝負の日まであと一週間。今日からは毎日鍛錬をしましょうね」
何事もなかったかのように「苦無以外の武器も扱えるようになった方がいいですね」と私を用具倉庫へ促す斜堂先生の心が読めない。
斜堂先生ってこんな冗談言う人だったっけ!?
私は頭を混乱させながら斜堂先生の後についていく。
カキンッ カンッ
「「「「「「うわーーーーん、ユキさーーーん」」」」」」
初めて扱う手裏剣に悪戦苦闘していると、悲鳴にも似た声で名前を呼ばれる。
振り返れば一年生が全員揃ってこちらへと駆けてくるところだった。
『みんなどうしたの!?』
「どうしたもこうしたもありませんよっ」
「ユキさん、忍術学園をやめるって本当ですか!?」
い組の伝七くんと左吉くんが叫ぶ。
「やめちゃ嫌だよぉ」
「どうして辞めちゃうの!?」
彦四郎くんと一平くんが私の足にぎゅっと抱きついた。
『みんな落ち着いて。私は辞める気はないよ』
“気”はね。
と心の中で呟いてしまった自分を叱る。
今からこんなに弱気でどうするのよ!
「じゃあ、噂は嘘なんですね?」
「ずっと僕たちの傍にいてくれるんですね?」
伏木蔵くんと怪士丸くんが潤んだ瞳で私を見上げる。
「僕たち、ユキさんがクビになっちゃったって噂を聞いたんだ」
「学園にいられるのはあと一週間だけだっていう噂」
私は平太くんと孫次郎くんに首を振る。
『それは噂が正しく伝わっていないね』
「どういう事ですか?」
乱太郎くんが不安そうに私を見上げる。
他の子も同じだ。私を不安そうな目をして見上げている。
『出茂鹿之介さんって知っている?』
「知ってる!」
「あのすんごく性格の悪い人でしょ」
急に顔つきを険しくしたきりちゃんとしんべヱくん。
二人の表情の変わりように目を大きく開いていると、出てくる出てくる。
出茂鹿之介さんの悪い話が次々と。
「あの人は小松田さんを目の敵にしていて」
「ユキさんが来る前も小松田さんの職を奪って自分が事務員になろうと画策していたんだ」
庄ちゃんの言葉をついで伊助くん。
「僕、会ったことあるけど嫌味で高飛車で高慢ちきで意地悪だった」
『こらこら兵太夫くん、そんなにハッキリと・・・』
「あいつはクズなの!庇わなくたっていいよっ」
兵太夫くんが怒って言った。
さすがS法委員は毒舌である。
「でも、忍者の実力は程々にあるんだよね」
三治郎くんが眉を下げた。
「それで、出茂鹿之介さんとユキさんがクビになっちゃうかもって話とどう関係があるの?」
と聞く団蔵くん。
私は学園長先生に一週間後、三本勝負で事務員の座をかけて出茂鹿之介さんと勝負することになったのだと皆に伝えた。
一斉に息を飲むみんな。
「そ、そんな!」
「学園長先生ったら酷いよ!」
虎若くんと喜三太くんが叫ぶ。
「僕、抗議してくる。事務員は出茂鹿之介さんよりもユキさん方が相応しいものっ」
「僕も行く!」
「僕も!」
「い組も一緒に行く」
「ろ組も一緒に行くよっ」
金吾くんの言葉に同調して皆が声を上げる。
『みんな・・・』
感動で胸がじーんとなる。
皆が私を慕ってくれているのが伝わってきて嬉しい。
だけど・・・
『みんな待って』
私は学園長先生の庵へと向かおうとする皆を引き止めた。
『みんなの気持ち、とっても嬉しいよ。ありがとう。でも、私は勝負しなきゃいけないの』
みんなの視線に合わせるように少し膝を折って言葉を続ける。
『私は突然やってきて、学園長先生や他の先生方のご好意で事務員として今まで働いてきた。自分では頑張ってお仕事してきたつもりだよ。でも・・・出茂鹿之介さんから見たらそんなの関係ないよね。彼からしたらポッと出の私が自分が望んでいた職をいとも簡単に手に入れたのが許せないと思う』
それに、と私は心の中で付け加える。
出茂鹿之介さんにただの一般人と言われた時、ガツンと頭を殴られたようなショックを受けた。
彼の言う通りなのだ。
私はくノ一でもない。小松田さんのように侵入者を察知するような特殊能力もないただの一般人なのだ。
そんな私が忍術学園で働かせてもらっている。
私は心のどこかで『これでいいのだろうか?』『私はここにいていいのだろうか?』と引け目を感じていた。
『私はこの勝負に勝って、認めてもらわなくちゃいけない』
「ユキさんは良い事務員さんだよ。今更認める認めないだなんて話おかしいよ」
喜三太くんが私の足に抱きついてわっと泣く。
『泣かないで、喜三太くん。大丈夫。あと一週間、一生懸命鍛錬して三本勝負で出茂鹿之介さんに勝つから。みんなも応援して?ね?』
シンと静まり返った一年生たちは顔を見合わせて
「「「「「「応援するけど、でも、うわあーーーん!!!!」」」」
一斉に泣き出してしまった。
こ、困った~~~!
『み、皆、まだ負けるって決まったわけじゃないんだから。泣かないで。よしよし』
「ユキさん行っちゃヤダー」
「離れたくない~~~」
四方から抱きつかれた私は、涙を流してくれる良い子の頭を一人ずつ撫でて気分が落ち着くまで寄り添ったのだった。
「ユキしゃん応援しているからね」
「負けちゃ嫌だからね。うぅっ」
「みんな、ユキさんの練習の邪魔になっちゃうから行こう、ヒック」
「うん、えっく、ヒック」
まだぐすんぐすんとしゃくり上げている子達を見送る。
『嬉しいなぁ』
みんなの背中が見えなくなって、そっと呟く。
「みんなに愛されていますね」
『嬉しいことです』
「・・・・ユキさん」
『はい』
「さっき言った話、なしです。負けて私の元へ永久就職はダメです。勝ってください。勝って、事務員を続けて下さい。私も心からそう願います」
『斜堂先生――――はい!』
私は力強く頷いた。
「では、練習の続きといきましょうか」
『宜しくお願いします』
私は陽が落ちて手元が見えなくなるまで、手裏剣を打ち続けたのだった。
***
三本勝負の中には事務処理能力を試す課題も出るだろう。
一番分かりやすい事務能力を見る方法は何か。
私はそれが算盤だと予想をつけた。
『鍛錬あるのみだよね』
夜の事務室。
私は過去の帳簿を引っ張り出して、計算練習をする事にした。
いつもは電卓で計算をしている私。
算盤は慣れない。
暗算も苦手だ。
でも、やらなくっちゃね。
私はフンと気合を入れて帳簿を見ながら算盤を弾く。
パチッ パチパチ パチ
『あぁ、もうっ。またどこかでミスった』
長い時間帳簿と向き合っていた私の集中力はほぼ切れていた。
計算が合わず、悪態をついた私は後ろへとひっくり返り、床へと仰向けに寝そべった。瞬間に合った顔。
「よっ」
『ぎゃあっ』
三郎くんがニッと笑って手を上げる。
天井の板が外れていて五年生が顔を出していた。
『いつからいたの?』
「ちょっと前からだ」
勘右衛門くんを先頭に次々に飛び降りてくる五年生。
「苦戦しているみたいだな」
八左ヱ門くんが帳簿と算盤を見比べながら言った。
「随分長く練習してたの?」
『うん、雷蔵くん。かれこれ一辰刻(二時間)ほどやっていたから手が痛いや』
「マッサージしてあげよう」
『兵助くん優しい~~』
兵助くんに右手をクニクニとマッサージしてもらっている時だった。
「甘やかすな、兵助」
仙蔵くんの声が聞こえて顔を上げる。
スパンと戸が開いて六年生が事務室へと入ってきた。
「休んでいる暇はないぞ、ユキ!ギンギンに鍛錬せねば出茂鹿之介に勝てんぞっ」
「そうは言っても文次郎、休憩も必要だよ。ユキちゃん、はい、お茶」
『ありがとう、伊作くんっ・・・あ、これ。怪しい薬とか入っていないよね?』
「入ってないよ!もうっ!」
プンスカ怒る伊作くんにお詫びを言ってお茶を受け取る。
だって前科があるんだもの・・・睡眠薬をお茶に入れて私に大人の悪戯をしようとしたのはどこのどなたさんだったかな?
あの時は屋根裏にいた三郎くん&勘右衛門くんに助けられたからいいものを・・・ん、待て。
よく考えたら屋根裏にいた三郎くん&勘右衛門くんも充分問題ありだね!
伊作くんは五年生も含めたみんなの分のお茶も淹れてきてくれていた。
私は他の子達がお茶をすするのを確認して湯呑に口をつける。
私たちは暫し伊作くんの淹れてくれたお茶を味わう。
「しかし、厄介なことになったもんだな」
留三郎が眉をハの字にして言う。
『本当にね。でも、出茂鹿之介さんの言い分も分かるし、学園長先生を責める気はないよ』
「だが、負けたらクビなのだぞ!?私はユキに忍術学園を去って欲しくない!」
『ぎょえっ』
小平太くんに抱きつかれて口から変な声が漏れる。
く、苦しい。うぅ。あ、あれは三途の川―――――
「小平太、落ち着け」
長次くんが小平太くんを私から引き剥がしてくれる。
危なく三途の川を渡りかけたよ。
ありがとう、長次くん!
「ユキ、どういった対策を練っている?」
『えっとね―――――
仙蔵くんの問いに答える。
目に見えた事務能力を計る方法は帳簿計算だと思うから、算盤の練習をしているという事。
実技の方はどんな形で試されるか分からないから斜堂先生に一通りの武器の扱い方を教えてもらっている事。
知識の問題が出されてもいいように忍たまの友を使って勉強している事を話した。
『なにせ時間がなくて。やる事が一杯ありすぎて焦るよ』
私は息を吐き出しながら頭を抱えた。
「焦る気持ちは分かるが、焦っては負けだ。一つ一つ鍛錬を積んでいくしかない」
「効果的な練習方法を僕たちが考えるよ」
「ユキは無理しすぎる傾向がある。適度に休憩を挟んだ計画を立てるよ」
『三郎くん、雷蔵くん、八左ヱ門くん・・・』
他のみんなも任せておけ、というように私に微笑んだり、頷いてくれる。
「取り敢えず今日はあと一刻(三十分)くらい俺が算盤の練習を見る」
「その後に私と一緒に忍術の知識と孫子の兵法を学ぼう」
『分かった。ありがとう、文ちゃん、仙蔵くん。宜しくお願いします。みんなもお世話を
おかけします』
幸せだな、私。
私は自分のピンチの状態も忘れて、優しいみんなに感動し、瞳を潤ませてしまう。
「なーに泣いてんだ。そんなんじゃこれからの厳しい鍛錬についてこれねぇぞ?」
『ちょっ。ここはスルーする所でしょう、馬鹿留三郎っ』
げしっと留三郎にパンチを入れる私。
明るい笑いが事務室に満ちる。
「七足す五と六足す八の時に計算間違いが多い」
『繰り上がり苦手なんだよね』
「暗記してしまった方がいいぞ。ミスが少なくなる」
『了解、文ちゃん』
文ちゃんからは算盤を
「百戦百勝は善の善なるものに非ず」
『百戦百勝が必ずしも良いとは限らない?どういうこと?』
「百勝したとしても、犠牲を伴ったり、高いリスクがある勝負を繰り返していれば、百一回目の戦いに負けた時に甚大な被害を負うことになる。たった一つのその負けが、命取りになることもあるという事だ」
『なるほど・・・』
「たとえ命拾いしたとしても、百の戦いに負けた相手たちの恨みや復讐心は消えることがない。つまり、いずれにせよ安心して眠れる日は来ないということだ」
『厳しい教えだね』
仙蔵くんからは孫子の兵法と忍術の知識を学ぶ
「ユキ、まだ体力に余裕はあるか?」
時刻は真夜中といったところ。
『あるよ!まだまだ大丈夫』
「それならちょっとばかし外で鍛錬しよう!」
『お願いします!』
小平太くんに頭を下げる。
私たちは外へと移動する。
五年生たちが松明を持って私たちを中心に円を描くように立ってくれたので昼間のように良く見える。
鍛錬の相手をしてくれるのは小平太くん、長次くん、留三郎。
武器を使っての戦いの練習。
半助さんにもらった守刀は持っているけど、人に対して向ける事は今までなかった。
もし傷つけちゃったらどうしようと考えると動けない。
「ユキ!どっからでもかかってきてくれていいぞ」
『う、うん・・・』
「お前の苦無なんか弾き飛ばせる!躊躇してないで打ってこいって長次ーー!」
カキンッ
留三郎が長次くんが打った手裏剣を鉄双節棍で弾いた。
「モソ(ほら、大丈夫だ)」
長次くんは私の心を見透かしたのだろう、大丈夫だと言うようにポイポイポイと留三郎に向かって手裏剣を投げてみせる。
「ヤメロ。本気で投げてくんなッ」
ヒュン ヒュンッ
「モソモソ(このくらいやっても平気だ)」
『ぷっ。ホントだね』
俊敏に反応して手裏剣を弾いた留三郎と、無表情で留三郎に向かって手裏剣を投げる長次くんのシュールさに思わず笑ってしまう。
『じゃあ、私も行きます!』
やあっと留三郎に苦無を持って飛びかかる。
ガキン ビクッ
思い切り振り下ろした苦無が鉄双節棍で受け止められ、武器を伝って私の体に振動がくる。
初めて交わした刃
私はその衝撃に固まった。
怖い―――――
「余計なこと考えんな。いつもみたいに本能のままかかってこいっ」
留三郎からすかさず檄が飛ぶ。
『う、うん!』
そうだ。怖いなんて思って立ち止まっている暇はない。
あと一週間しか時間はないのだ。
留三郎を、長次くんを、小平太くんを信じよう。
彼らは私よりも何倍も強い。
私は雅之助さんに習っている護身術の動きを思い出しながら留三郎たちの拳を交わし、時には突き飛ばされ、そして武器を彼らに振り下ろしたのだった。
『みんな、これから一週間宜しくお願いします』
ヘロヘロになりながら頭を下げてお礼を言ったユキが自室へと帰っていく。
「あいつ、割とやるよな」
留三郎が闇に姿の紛れたユキから視線を外し、みんなに向けて言った。
「ちゃんと訓練すればくノ一になれそうな運動神経の良さだ」
「モソ」
小平太がニシシと笑い、長次が頷く。
「しかし・・・」
皆が仙蔵を見る。
彼は難しい顔をしていた。
「対戦相手の出茂鹿之介はプロの忍になれるほど実力がある。忍術学園の事務員の職を欲しているのはプロ忍は命の危険に晒されるのが高いから、それを嫌がってだそうだ」
「ユキよりも実力は数段も上、か」
文次郎が仙蔵の言葉を聞き、歯を噛み締めながら言う。
「ユキちゃん、勝てるかな?勝ってほしいな・・・」
「勝ってもらわないと困ります!」
弱々しく言う伊作の言葉に被せるように叫んだのは八左ヱ門だ。
「ユキのいない忍術学園なんてつまらない」
「ユキは良い奴で、面白い奴で、俺たちの大事な仲間です」
「先輩方、そんな弱気な事を言わないでください」
「ユキさんの事を信じてあげましょう!」
三郎、勘右衛門、兵助、雷蔵が順に言う。
「そうだな」
五年生の勢いにやや驚いていた顔をしていた仙蔵は、固くなっていた表情を緩め、微笑む。
「残り一週間。ユキが勝てるように策を練ろう」
ユキが勝てるように助力は惜しまない。
五,六年生たちはユキが学園から消えてしまうという不安を押し込めながらユキを全力でサポートしようという気持ちを確かめ合ったのだった。
自室の戸を開けたユキは『おっ』と小さく声を上げた。
ユキの部屋には十一人の可愛い一年は組の良い子たちの姿があった。
みんなユキを待っていてくれたのだろう。
でも、今は夜中をゆうに過ぎた時刻。
みんな待ちくたびれて寝てしまっていた。
『このままじゃあ風邪ひいちゃうね』
ユキはそれぞれの部屋から掛け布団を持ってきて良い子たち一人一人に掛けてあげる。
「ううん・・ユキしゃん、行っちゃやらぁ」
むにゃむにゃと喜三太が寝言を言うのを聞いてユキは目を細める。
『ありがとう』
優しく喜三太の頭を撫でて静かに部屋から出て行くユキ。
さて、どこで寝ようと考えていると、後ろで戸が開く音。
『きりちゃん。起きちゃったんだねっておっと』
勢いよくきり丸に飛びつかれてユキはぐらりと体勢を崩す。
『よしよし』
「子供扱いしないでよ」
『ごめん、ごめん』
ユキを見てムッとした顔をしてみせるきり丸だが、直ぐに眉の下がった不安そうな顔に変わる。
『一緒に寝よう?』
ユキはきり丸の手をとって、乱太郎、きり丸、しんべヱの部屋へと入っていった。
『お布団借りるね』
「うん」
二人は敷布団を敷いてその上に寝転んだ。
「今まで忍術の練習していたの?」
『五,六年生が稽古をつけてくれていたんだ』
「ねえ」
『ん?』
「勝て、そう・・・?」
不安げに自分を見る二つの瞳。
出茂鹿之介はそこそこな実力者と聞いている。
比べて自分はほぼド素人。
ユキは一瞬言葉に詰まった。しかし、それは一瞬。
直ぐに優しい笑みをきり丸に向ける。
『先生方も、忍たまもくノたまのみんなも私を応援してくれている。
鍛錬に付き合ってくれている。不安がないといえば嘘になるけれど・・・でも、勝たなくちゃね。皆が行かないで欲しいって言ってくれている。その気持ちに応えたい。私自身も忍術学園を愛している。皆を愛している。ここにいたい』
ユキはふわりと微笑んで『勝ってみせるよ』ときり丸に言った。
「・・・ユキさん、抱っこ」
『うん』
きり丸をぎゅっと抱きしめるユキ。
このぬくもりが遠くに離れて行ってしまうかもしれない・・・。
乱太郎やしんべヱ、他のみんなだって家族と離れて暮らしているんだ。
もし、ユキさんが忍術学園を去っても、皆と同じになるだけじゃないか。
きり丸は心の中で呟いて自分を無理やり落ち着かせようとする。
忍術の心得のある出茂鹿之介とほぼド素人のユキ。
きり丸もどちらが優勢か分かっていた。
でも―――――
「ふえっ」
離れたくない。負けて欲しくない。行かないで欲しい。
『あらあら。泣いちゃって。まだ私が負けるって決まったわけじゃないんだよ?』
「でもっ」
『不安なんだよね。ごめんね。不安にさせて。でも、勝ってみせるからね』
ユキはきり丸が色々と考えている事を受け止めながら、彼の頭を撫でる。
『私は自他共に認める超がつく程の強運女だからね。三本勝負も運を味方につけて勝ってみせるよ。心配ないよ~』
おどけながらきり丸を抱き抱え、ゴロリゴロリと体を揺らすユキ。
ユキの言葉を信じたい。そうなって欲しい。
きり丸はユキの腕に抱かれながら、強く、強くそう願った。