第四章 雨降って地固まる
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15.滝夜叉丸のお願い
私は学園長先生の庵に呼び出されていた。
ヘムヘムが出してくれたお茶を啜りながら考える。
うん。嫌な予感しかしない。
嫌な予感に眉を顰めつつ学園長先生の言葉を待っていると、学園長先生は自分のお茶を啜ってこう言った。
「最近、退屈しておるのじゃ」
『はい、帰りマース』
「ちょっと待ていっ!」
お茶と出されていたお菓子を猛スピードで平らげていた私はもうここには用はないと立ち上がって出口へと歩き出していた。
しかし、そう簡単には退出させてくれない。
「ヘムヘム!」
可愛いヘムヘムが私の行く手を遮った。
『ヘムヘムよ。学園長先生のお話を聞いたでしょ?退屈?私たち事務員や先生たち、忍たまも暇なんてないのですよ。学園長先生のわがままに付き合っている暇はないのですよ』
おどきなさい。と言うがヘムヘムはどいてくれない。
私の下衣を引っ張って「ヘム~」と眉を下げて訴えてくる。
クソっ!可愛いな!
可愛さは罪。
私という奴は単純な人間である。
ヘムヘムの可愛さに負けて、学園長先生の前に再び座った。
『退屈って具体的に何をすれば・・・?』
「何か面白い事を思いつかんかのう?」
『面白いことですか?』
急にそんな事を言われても困るだけ。
直ぐには思いつかない。
「面白い事、面白い事・・・」
「ヘムゥ」
『うーん・・・』
学園長先生、ヘムヘムと暫く悩む。
しかし、私たちは良い案が思い浮かばなかった。
これ以上ここにいて時間を潰すのは良くないな・・・
仕事に差し障りが出る。
私はすっと立ち上がった。
『学園長先生、何か考えておきます。ですから今は一旦失礼しますね』
「うむ、分かった」
今度は学園長も私を引き止めなかった。
「何か面白い事が浮かんだら直ぐに相談しに来るように!」
『分かりました』
失礼します、と学園長先生の庵を辞す。
面白いことって言ってもなー。
何があるだろう?
そう考えながら歩いていた時だった。
遠くから「ハハハハハ!」と高笑いが聞こえてきた。
キラキラしたオーラと共に薮を抜けてやってきたのは滝夜叉丸くん。
「ユキさん!」
『こんにちは、滝夜叉丸くん。授業は?』
「先程まで実習だったのです。お題をクリアして忍術学園に帰還した者から授業終了という事になっていまして・・・勿論この滝夜叉丸が一番に学園に帰ってきたのです!」
『流石だね!』
「いやー。それほどでもっ」
鼻高々にしてサラッと髪をなびかせる滝夜叉丸くん。
「しかし・・・」
『?』
急に滝夜叉丸くんが口を尖らせてつまらなそうな顔をした。
『どうしたの?』
「この実技の成績も一番、座学でも一番、忍術学園のスーパースターである平滝夜叉丸をもっと煌めかせる何かが欲しいのですが・・・」
『煌めかせるねぇ・・・』
「あ!ユキさん!」
ハッとして滝夜叉丸くんが私の名を呼ぶ。
「そういえば前に約束して下さいましたよね。体育委員会で川へ遊びに行った時に私のお願いを一つ叶えて下さると」
『あぁ。そんな事もあったね』
滝夜叉丸くんが言っているのは1ヶ月半ほど前、体育委員さんと一緒に川遊びに行った時の話だ。
私はおにぎりの具に一つだけ鮭を混ぜておいて、その当たりを引いた子の願いを一つだけ聞いてあげると約束していたのだ。
その当たりを引いたのは滝夜叉丸くん。
『何か願い事が思い浮かんだんだね』
「はい!あの、ユキさん、私をもっと輝かせて欲しいのです。忍術学園の皆にこのスーパースターである滝夜叉丸の姿を見てもらいたいのです」
滝夜叉丸くんがパッと手を広げた。
『滝夜叉丸くんを輝かせる、か・・・』
ん・・・あ!
良いこと思いついちゃったかも!
私はポンと手を打つ。
『滝夜叉丸くんを主役にした劇をやらない?』
「劇ですか?」
『そう。滝夜叉丸くんを主役にして劇をするの!』
私の言葉にパアァと滝夜叉丸くんの顔が輝いていく。
「私を主役にした劇!」
『実はね、さっき学園長先生に“暇だから何か楽しい事はないか”って言われていて、これなら学園長先生も楽しんでくれると思う。きっと許可は出るよ』
「私はやる気満々です!是非学園長先生に話を通して下さい」
『うんっ』
私は劇の内容が決まったら話に行くと言って、学園長先生の庵へと引き返したのだった。
「楽しそうじゃ!さっそく準備に取り掛かるように!」
学園長先生の許可はあっさり下りた。
『しかし、出演者は現れるだろうか・・・』
いや、きっと現れない。
庵を出て事務室へ向かっていた私は即、学園長先生の庵に引き返す。
「そうじゃのう・・・」
学園長先生は私の言葉を聞いて、直ぐに緊急全校集会を開いた。
ざわざわとする中庭。
『・・・。』
私は辺りを見渡した。
自分が考えついた事とはいえ、こんなに多くの人を巻き込み、時間を作らせた事に申し訳なさを感じる。
随分と話が大きくなってしまったものだと思っていると、学園長先生がゴホンと咳払い。
「えー皆の者。今日から十日後、忍術学園の武闘場で劇をする事になった!」
「「「「「「はぁ!?!?!?」」」」」
目玉を大きくして口をぽっかり開ける忍たま、くノたま、先生たち。
「学園長先生!それはいったいどういう事ですか!?」
半助さんが叫ぶ。
「言った通りじゃ。ユキに台本を書いてもらい、忍術学園の生徒を役者として劇を上演する」
ニカリと学園長が笑う。
「そんな迷惑な思いつきは困りますぞ!」
と、山田先生。
他の先生方からもやいのやいのと非難の声が上がる。
しかし、学園長先生は何処吹く風。
「煩い煩い静まれーいっ」
ブンブンとついていた杖を空中に振り回す学園長先生。
「もう決まったことなのじゃ!」
「しかし、生徒も私たちも暇じゃあないんですよっ」
野村先生の言葉に皆が一斉に頷く。
しかし、学園長先生は譲らない。
「これは忍の勉強にも役立つのじゃ!」
そう言い切った。
学園長先生はぐるりとみんなを見渡して、
「劇とは違う人物になりきる事じゃ。これは変装と同じ。一人の人物を演じきる事は生徒たちの勉強になるはずじゃ」
と言い切った。
むむむ。と皆が唸る。
そして同時に諦めてもいた。
学園長は言いだしたら絶対に諦めないのを知っているからだ。
全員が全員、ハアァと息を吐き出す。
「配役はくじ引きで決める。役が決まった者に拒否権はない!分かったな!よし、解散じゃ!」
どよ~んとした地上の空気。
学園長先生の声だけがスッキリとした青空に吸い込まれていった。
***
劇が開催されると告知された翌日、私は早速くじを作って食堂へと向かっていた。
食堂でくじ引きをすると伝えていたからだ。
食堂に入るとザワザワと皆が話している。
でも、まだ全員は来ていないかな。
私が食堂を見渡していると、
「あ、ユキちゃん」
タカ丸くんが私に気づいて声をかけてくれた。
「滝夜叉丸から聞いたよ~。今回の劇、滝夜叉丸が主役を務める劇になるって」
『そうなんだ。台詞が多くて大変だけど、きっと滝夜叉丸くんなら上手く役を演じきってくれるはず。ね、滝夜叉丸くん』
「勿論です!この滝夜叉丸にお任せ下さい」
ポンと滝夜叉丸くんが自分の胸を叩いていると、横から「ありえない!」と叫びにも似た声が上がる。
「どーして滝夜叉丸が主役なんですか!?主役ならこの忍術学園のアイドル、田村三木ヱ門がいるのにっ」
ぷくーっと三木ヱ門くんが私の前で頬を膨らませる。
「ごめんね。ちょっと滝夜叉丸くんと約束していた事があって、今回は滝夜叉丸くんに主役をお願いすることに決まっていたの。次の機会があったら是非三木ヱ門くんが主役に「いーーえ!」
私の言葉を遮って滝夜叉丸くんが一歩前に踏み出す。
「次があっても主役はこの滝夜叉丸です!」
「なに~~~!」
「何度劇があろうとも、主役に相応しいのはこの私しかいないっ」
「お前よりも私のほうが主役に向いているっ。そう思うだろ、守一郎!」
「え!?俺は何とも・・・」
バチバチバチ
二人の間で火花が散る。
その間で困った顔の守一郎くん。
そんな彼らを呆れながら見つめていると、
「ねえ、ユキさん」
喜八郎くんが私の衣をちょいちょいと引っ張った。
『なあに?』
「ユキさんも劇に出るの?」
『私は出ないよー。劇に出ない忍たま、くノたまちゃん達と裏方をするつもり』
「じゃあ、僕も裏方がいいな~。あ、穴を掘る必要があったら僕に任せて下さいね」
『・・・うん。必要がなかったら掘らないでちょうだいね?』
「んー・・・」
『え!?んー・・・ってどういう意味かな!?』
くわっと喜八郎くんに言う。
武闘場の下に穴を掘られて武闘場の床が抜けては大変である。
喜八郎くんには気をつけておかねば・・・
そんな事を考えていると良い時間だ。
私は食堂を見渡す。
でも、あれ?
くノたまちゃんたちの人数が明らかに少ない。
「ユキちゃん」
『シナ先生』
不思議に思っているとシナ先生が食堂に入ってきた。
「実はね、残念なお知らせがあるのよ」
『残念なお知らせ?何でしょう?』
首を傾げる。
「実はくノ玉の四年生以上の上級生は十日後からそれぞれ実習なの。四年生は職場体験。五年生は合戦の見学、六年生はそれぞれ任務に赴くの」
『うっ。そうでしたか』
「配役に影響が出ちゃうわね。もっと早くに伝えるべきだったのに仕事でバタバタしていて・・・ごめんなさいね」
『いえいえ』
しかし、どうしよう。
私はくじ引きの箱に視線を落とした。
私が考えている劇はくノたまにも重要な役柄を演じてもらう事になっている。
『うーん・・・』
「ユキ、どうかしたのか?」
『うわあっ!?』
声と共にドシンと衝撃。
小平太くんが私に背中から抱きついたのだ。
『もー!吃驚させないでよ』
「すまん、すまん!深刻そうな顔をしていたから、つい顔を明るくさせたくてな!」
ニシシと小平太くんが笑う。
「さっきの話、聞いていたぞ。くノ玉上級生は劇に参加できないそうだな」
『そうなんだよ、仙蔵くん。本当に残念。それに、どうしようか・・・』
「重要な配役をくノたまが演じる予定だったのか?」
『うん。そうなの』
留三郎の言葉に頷く。
『何か良い案はないかな・・・』
「あるわよん」
『「「「「「「!?!?」」」」」」』
私たちは突然背後から聞こえた声にビクリと肩を跳ねさせながら振り返り、そして顔を引きつらせた。
「何よその表情は!あんた達!」
伝子さんが怒鳴る。
『「「「「「す、すみません」」」」」』
『急に化物を見た衝撃で、つい』
ゴンと私の頭にゲンコツが降ってきた。
『ひえ~すみませんっ』
だってー。不意打ちは怖いんだもん。しょうがないじゃないか!
でも、段々と味のある顔に見えてくるんだけどね。不思議。
『それで、良い案があるとは?』
ふふっと伝子さんが笑いながらクルリとその場で一回転する。
そしてバチンっと私たちにウインクを投げた。
「この姿を見ても分からない?」
私の顔がパッと輝く。
『あ!女装ですね!』
なるほど!
忍たまに女装をしてもらって演じてもらえばいいのだ。
『ナイスアイデアです、伝子さん!』
「お役に立てて何よりよん」
伝子さんは口に手を当ててふふっと笑った。
私は食堂を見渡す。
忍たまは全員揃ったようだった。
『みんな席について下さーい』
私の指示に従って席に着く忍たまたち。
私はわらわらと忍たま、くノたま下級生が席に着くのを見ながら考える。
上級生くノたまがいないなら、もう一本劇を増やしてくノたま下級生に活躍してもらおう。
私はくノたま下級生が活躍できるような劇を急いで考える。
私はみんなが席に着いたのを見て口を開く。
『今から劇の説明をします。劇は忍たま上級生によって行うロミオとジュリエット。忍たま下級生によって行う狼と七人の子ヤギ。くノたま下級生には眠り姫をやってもらいます』
ここまで言って一息つくと皆ポカンとした顔をしていた。
それはそうだ。どれも南蛮のお話なのだから。
私はそれぞれのお話のあらすじをざっと説明する。
「ロミオとジュリエット・・・美しい話だな」
仙蔵くんが口角を上げて言い、
「面白いお話だね!」
「あぁ!」
「僕は子ヤギの役をやりたいなぁ」
乱きりしんの三人がニコニコ笑顔で笑い合っている。
「素敵なお話ね」
「王子様のキスですって!」
「きゃー!どうしましょう。ドキドキしましゅ」
ユキちゃん、トモミちゃん、おしげちゃんが頬に両手を当ててキャーキャーと話している。
私が選んだ昔話をみんな気に入ってくれているようだ。一安心。
『では、初めにロミオとジュリエットの配役から決めましょう。紙には配役の他に大道具、小道具係など、劇に関わる係りの名が書かれています』
四年生以上の忍たまが私のところへとやってくる。
一人一人、紙を引いて叫び声をあげたり、ホッとした声を出したり。
続いて下級生忍たまにくじを引いてもらい、最後にくノたま下級生にくじを引いてもらった。
私はわーわーと声が溢れる食堂を見渡して、パンパンと手を叩く。
『それではまずはロミオとジュリエットから配役を発表していきましょう。
まず、主役は平滝夜叉丸くん』
「やあ!みんな宜しく!」
キラキラキラっとした笑顔を振りまきながら手を振る滝夜叉丸くんにみんなが拍手を送る。
『続いてジュリエット役は―――』
「私だ」
仙蔵くんの手が上がった瞬間、くノたまちゃんたちからキャーッと歓声が上がった。
仙蔵くんならきっと美しいジュリエットになるだろうな。私の顔も綻ぶ。
『次はロミオの友人のベンヴォーリオ―――――
ベンヴォーリオは三郎くん、キャピュレット家との闘争で殺されてしまうロミオの友人、
マキューシオ役に文ちゃん。
キャピュレット夫人の甥で、そして同じく闘争で命を落とすティボルト役は留三郎。
神父役に兵助くん。ジュリエットの乳母役に小平太くん。
ナレーター役に三木ヱ門くん。その他諸々の配役が決まった。
大道具主任に長次くん、小道具主任に勘右衛門くん。
『七匹の子ヤギの配役に移るね。狼役は誰かな?』
「はい!僕ですっ」
神崎左門くんが勢いよく手を挙げる。
『七匹の子ヤギたちは?』
長男は三之助くん、次男は孫兵くん、三男は三郎次くん、四男は伏木蔵くん、五男は喜三太くん、六男はしんべヱくん、七男はきりちゃんになった。
ナレーターは庄ちゃんだ。
大道具のまとめ役は三年生の富松 作兵衛くん。
小道具まとめ役は同じく三年生の浦風 藤内くんになった。
くノたまちゃんたちの配役発表も終わり、私はみんなを見渡す。
『練習も準備も十日間しかないけど、皆頑張ろうね』
はーーい!と皆からは良いお返事。
その後はそれぞれテーブルに集まってもらって私が書いた台本をそれぞれ写してもらう。
どんな劇になるだろう?
ちゃんと出来るかな?
私はドキドキしながら皆が台本を写すのを眺め始めたのを見た後、急遽決まった眠り姫の台本を書くべく自室へ戻ったのだった。
***
配役を決めた次の日の放課後からさっそく稽古と準備が始まった。
私はこの劇を取り仕切る責任者としてみんなの様子を見て回ることに。
まずはロミオとジュリエットをやっている忍たま上級生の稽古場だ。
稽古場となっている六年は組に近づくにつれて賑やかな声が聞こえてきた。
「今日は(キラン)良い天気だね(キラン)ベンヴォーリオ!(キラン)」
ま、眩しい・・・
教室に入った途端にキラキラとしたオーラが目に入り、私は目を細める。
「滝夜叉丸、スラスラ進んでくれないか?頼むから」
半眼になってロミオ友人ベンヴォーリオ役の三郎くんが言う。
「すみません。ですが、主役は目立ってこそ!観客にアピールしなければっ」
手を大きく広げる滝夜叉丸くんの背中には薔薇が見えるよう。
いきなり不安を見せつけられて胃の痛みを感じていると後ろからも不吉な予感をさせる声が耳に入ってくる。
「じゅりえと!お前は従兄弟のティボルトと結婚するんだぞ・・のよ?それなのに他の男に目移りするなんて・・むむむ!望んでいない結婚なんて私は反対だっ!私はじゅりえとの味方をするぞッ」
後ろを振り向くとちょうど小平太くんが鼻息荒く宣言したところだった。
その手には馬鹿力でグシャリとなった台本が握られている。
そんな小平太くんの頭を丸めた台本でパシンと叩く仙蔵くん。
「これはそういう話なのだから味方になるならないの話ではない。それから“じゅりえと”ではなく、ジュリエット、だ」
「じゅりっと?」
「ジュ、リ、エッ、ト!」
不安になるやりとりだ。
難しい題材を選び過ぎたかなと後悔していると名前を呼ばれた。
兵助くんだ。
「ユキちゃん、聞きたい事があるのだけど」
『なあに?』
「この神父さまっていうのはどういう役職なのだ?日の本で言う神社の宮司のようなものと考えていいのかな?」
『うん。南蛮の宮司と考えて大丈夫だよ』
「そうか。ありがとう」
『ロレンス神父は重要な役柄だから頑張って。私、ロミオとジュリエットが秘密に結婚する場面が好きなんだ』
「秘密の夫婦の契か・・・浪漫があるね」
『教会っていう南蛮の神社で結婚式を行うんだけど、南蛮の神社には壁にステンドグラスっていう色付きのガラスでできた窓があるの。陽の光が入ってくると寺の中が色とりどりに照らされて美しいんだよ』
「見てみたいな。それから、そういう場所で好きな人と結婚したい」
『!?』
真っ直ぐな兵助くんの瞳が私の心を射抜く。
不意打ちの熱い視線。
私は動揺し、カアァと顔を赤くさせる。
そうしていると、ぐいっ。
思い切り腕を誰かに引っ張られた。
「ユキさん」
『き、喜八郎くんっどうしたの?』
急なことで声をひっくり返しながら言うと、喜八郎くんは私をちょいちょいっと手で呼ぶ。
彼のジェスチャーに従って少し屈むと、喜八郎くんが私の耳に手を当てて、
「中在家先輩が大道具の事で質問があるから来て下さいって言ってま~す」
と伝えてくれた。
しかし・・・
『何故小声?』
コソコソ話をする必要があっただろうか?と不思議に思う私を喜八郎くんは「さあ行きましょう」と腕を引っ張って連れて行く。
(喜八郎の奴、見せつけてくれるな・・・)
(公衆の面前でユキさんに結婚を匂わせる話なんて良い度胸ですね、久々知先輩)
私は彼らが心の中でこう思っていたとは知らず、喜八郎くんに導かれるまま大道具係さんの元へと向かったのであった。
大道具作りは用具倉庫前で行われていた。
上級生の大道具作りは勿論だが、ここでは下級生、くノたまちゃんたちの大道具も作られている。
下級生の大道具のまとめ役は三年生の富松 作兵衛くん、くノたまの大道具まとめ役はみかちゃんだが、大道具は力仕事なので上級生が中心になって下級生とくノたまちゃんたちを助けてくれていた。
「中在家せんぱーい。ユキさん連れてきました」
「モソ」
『何か分からないことあった?』
長次くんの横に並ぶと、彼は作って欲しいものが書いてある半紙を指差した。
「バルコニーとはなんだ?」
『あ、ごめん。合う日本語が思いつかなくて南蛮の言葉で書いてしまっていたの。説明するね』
私はバルコニーの説明と、ここがロミオとジュリエットの話の中の重要な場面で使われることを話した。
『ロミオはキャプレット家のパーティーに忍び込む。そこでロミオとジュリエットはお互い一目惚れする。その後パーティーが終わり、ジュリエットは自室のバルコニーに出て独白を始める。何故あなたはロミオなの?と。ロミオの家とジュリエットの家は敵対しているから』
「昨日、台本を読んだ。悲しいが美しい物語だな」
『私もそう思う』
「劇が終わっても台本は何冊か図書室に置いておこうと思った」
『そう言ってくれると嬉しい。来年、再来年と入学してくる子達にも今回やるお話を読んで欲しいと思うから』
私は本が好きだ。
自分が好きな本は是非紹介したい。
そして、好きになってもらえたらとても嬉しい。
私は顔を綻ばせる。
『さてと、では、私は他も見て回るね』
「モソ」
『後を宜しくね、長次くん』
コクリ
頷く長次くんに手を振って私は少し離れた場所で作業をしていた下級生忍たま達のもとへと向かう。
そこでは下級生大道具係まとめ役の富松 作兵衛くんを中心に作業を進めていた。
『調子はどう?』
「あ!ユキさん」
作兵衛くんが駆け寄ってくる。
「お聞きしたい事があって。柱時計とはなんですか?」
作兵衛くんが首を傾げる。
『これは南蛮の時を計るカラクリなの。でも、そうね・・・観客が柱時計について知識がないなら話の内容を変えたほうがいいかも。末っ子が隠れる場所は別の場所にした方がいいような・・・』
「そうですね・・・」
作兵衛くんとうーんと唸っていると、下級生の作業を手伝っていた八左ヱ門くんが私たちに気づいてやってきた。
「おほー。ユキ、作兵衛、二人して何を悩んでいるんだ?」
『あのね―――――
私は悩んでいる訳を話す。
『どこがいいかな?』
考える八左ヱ門くんを見ていると閃いたと言った顔で顔を上げた。
「釜戸とかはどうだ?」
『いいね!』
「はい。僕もいいと思います」
決まりだ。
私たちはニコニコと顔を見合わせて笑い合う。
『台詞の変更は役の子達に伝えておくね』
「はい!よろしくお願いします」
『他に困ったことはない?』
「大丈夫です」
作兵衛くんが頷いた。
『八左ヱ門くん、下級生の忍たまやくノたまちゃんたちの事も宜しくね』
「安心しろ。こっちは大丈夫だ。作兵衛は用具委員で手馴れているから俺たちへの指示も的確なんだ」
『そうなんだね!』
八左ヱ門くんの言葉に作兵衛くんが顔を赤くする。
「くノたま達の方は自分たちがやる眠り姫の話がたいそう気に入ったらしくテンション高く作業に取り組んでいるよ。勿論、俺たち上級生が手伝っているからこちらも安心してくれ」
『ありがとう、八左ヱ門くん。作兵衛くんも後を宜しくね』
私は大道具さんたちに別れを告げて小道具係さんの元へと向かう。
「お!ユキだ。見に来てくれたのか」
『うん。勘右衛門くん、作業の進み具合はどう?』
「順調に進んでいるよ」
勘右衛門くんの言う通り、小道具係さんたちの作業の進み具合は順調な様子だった。
「「ユキさんっ」」
周りの様子にホッとしていると可愛い声が私を呼んだ。
くノ一教室のそうこちゃんとしおりちゃんだ。
『どうしたの?』
「あの、私たちせっかくだから南蛮の衣装で劇をしたいと思っているんです」
「なので南蛮の衣装の作り方を教えて頂けませんか?」
私はうっと喉を詰まらせた。
教えてあげたい。
でも、私は不器用。教えられる自信がない。
『ええと・・・』
でも、彼女たちの希望に応えて上げたいな。
そう考えた私は悩んだ末、ある事を思いついた。
『私がここに来た時、中庭で自己紹介したのを覚えている?あの時に着ていた南蛮の服を渡すから、あれを分解して型をとって作ってみてくれるかな?』
「わあ!ありがとうございます」
「やったー!嬉しいです」
『直ぐにとってくるから作業に戻っていて』
「「はーい」」
そうこちゃんとしおりちゃんはルンルンと聞こえそうな後ろ姿で自分たちの作業場へと戻っていく。
「ユキ」
『ん?』
顔を横に向ければ勘右衛門くんの真剣な顔があった。
『どうしたの?』
「いいのかよ」
『何が?』
「服を分解って・・・それって、向こうの世界の物を一つ、失うって事だろう?」
『失う・・・か』
そう言うと寂しい気持ちになる。
でも―――――
『私はこれでいいと思っているよ。私はこの世界で生きるって決めたのだもの。未練はない。使える物は使えばいいと思ってる。これだけは、別だけど』
「これ?」
私は首を傾げる勘右衛門くんにギメルリングを見せ、説明をした。
「きり丸と対になっているのか」
『うん』
「そして、こっちのは夫となる男性に渡す、と」
『そうだよ』
「じゃあ、俺がもらっていいな」
『はい!?』
勘右衛門くんが私の手のひらに乗っていたギメルリングをひょいっと取った。
『ダメダメ。これだけは大事だから返して』
「え~~」
『コラ!か・え・せ!わあっ!?』
手を高く上げている勘右衛門くんからギメルリングを奪い返そうとしたら一生懸命になり過ぎた私に体当りされたような形になった勘右衛門くんの体勢が崩れる。
どしーーん
私たちは重なり合うように倒れてしまう。
「痛てて」
『ご、ごめん!』
「いや、俺の方こそ悪かったよ。悪ふざけが過ぎた」
私たちは起き上がって謝り合う。
「なあ、ユキ」
私が勘右衛門くんから返されたギメルリングを袋にしまっていると真剣な声で名前が呼ばれる。
「あのさ、コレ以外にここに持ってきた物で失って未練の残る物はあるか?」
どうしたというのだろう?
おずおずと勘右衛門くんが尋ねる。
『ううん。ないよ』
そう言うと、勘右衛門くんの顔がパッと明るく変わる。
「そうか。良かった!」
彼の不思議な表情の変化に首を傾げる。
「実は俺、ユキが学園にやってきた日、学園長先生の庵から投げたユキの世界の
カラクリを拾ったんだ」
『そうだったんだ!私のスマホ、勘右衛門くんが持っていたんだね』
「あれ、俺が持っていていいか?」
『構わないよ。持っていても、只の鉄の塊だから役に立たないけどね』
「だが、ユキの世界の物だと思うと面白くて、何度も眺めてしまうんだ。あれ、凸凹がついてたりするけど、押しても何にもならないよな?」
『うん。もう電池も切れてしまっているし、どこを押しても大丈夫。そもそも武器じゃないしね』
「良かった。ありがとな」
『どういたしまして』
私は微笑みながら立ち上がる。
『さて、それじゃあ私は下級生の稽古を見に行こうかな』
「いってらっしゃい」
『うん。行ってきます』
私は勘右衛門くんに手を振って下級生の稽古場へと歩き出す。
みんな頑張っているかな?
私は可愛い子ヤギさんたちの姿を想像しながら歩き始めたのだった。