第四章 雨降って地固まる
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13.授業参観
『ふー終わった』
私は授業参観に来る保護者の名簿を作り終えて息を吐き出した。
今日も何かと忙しい。
でも、忙しいけど、ふふ・・・
頑張れる力の源が私の胸元に入っている。
それはきりちゃんから私に送られた「授業参観へ来て下さい」の手紙。
彼の言葉、文字から一生懸命書いてくれたのが伝わってきて読んだ時、胸が熱くなった。
『私も頑張らないとね』
「ん?ユキちゃん何か言った?」
小松田さんが首を傾げる。
『いいえ、何も!』
カーン
タイミングよくヘムヘムが鐘を鳴らし、会話が途切れた。
『チョーク配ってきます』
「宜しくお願いします」
「いってらっしゃーい」
授業参観の日は新しいチョークの方が気持ちが良いし、見栄えもいい。
私はチョークの入った箱を持って一年生の教室へ向かう。
まず入ったのは一年い組だ。
『ん?あれれ?』
い組の入口で私はピタリと足を止めた。
もしかしてまだ授業中だった!?
い組の生徒たちは忍たまの友を開いて勉強している。
でも、安藤先生はいらっしゃらないから・・・自習?
『あの、失礼しまーす』
思わず小さな声になってしまう私の顔を、
い組の子が一斉に見る。
「あれ?ユキさん」
「どうしたのですか?」
佐吉くんと伝七くんが首を傾げながら言う。
「もしかして遊びに来てくれたの?」
一平くんが忍たまの友を置き、駆け足でやってきて抱きついた。かわゆいなぁ~。
私はニマニマしながら『チョークを置きに来たんだよ』とここに来た目的を伝える。
「明日授業参観ですもんね」
学級委員の彦四郎くんがポンと手を叩く。
『それにしても、みんな偉いね。放課後までお勉強?』
安藤先生が「い組は優秀だ!」といつも自慢していらっしゃるのが分かる。
「明日の授業参観で父さんや母さんに良いところ見せたくてさ」
少し赤くなりながら伝七くん。
「僕たちが忍術学園で勉強頑張っているんだよってところ見せたいんだ」
佐吉くんも言った。
『きっと皆のこと見たご家族の方は皆のこと誇りに思うと思うよ』
そう言うと、みんな揃って頬を染めてお互いの顔を見合わせて照れた笑顔を零した。
『それじゃあ皆頑張ってね。あ、でも、夜遅くまで勉強しないこと。じゃないと明日に響いちゃうからね』
「「「「分かりました」」」」
みんな良いお返事。
私は白、赤、黄色の新品のチョークをトレイに置いて、教室から出たのだった。
次に向かうのは一年ろ組。
ろ組のみんなはお掃除をしているところだった。
「あ、ユキさんだ~」
私に気づいた伏木蔵くんが声を上げる。
ろ組の四人はタタっと私のもとへ駆け寄って来てくれた。
「何しに来たの~?」
怪士丸くんの質問に先程い組にしたのと同じ説明を返す。
『明日が楽しみだね』
「うん。だからこうして教室を念入りに掃除したんだ。綺麗になったでしょ?」
平太くんがハタキを掲げた。
『どこもピカピカだね』
「うん。念入りに掃除したから」
孫次郎くんが笑う。
「今日はこの後みんなで忍たまの友でお勉強するの」
『偉い偉い』
気合を入れるように両手を握る伏木蔵くん。
「みんな頑張ってね」
「「「「は~~~ぃ」」」」
私はチョークを置き、みんなの頭を一人ずつ撫でて教室から出ていった。
最後は一年は組だ。
中にはきりちゃん、乱太郎くん、しんべヱくんの姿があった。
『みんな!』
「「「あ!ユキさんだ」」」
私の元へと駆け寄ってきてくれる三人。
「何しに来たの?」
と、きりちゃん。
『チョークを置きに来たんだよ。新しいチョークの方が気持ちが良いと思って』
「そっか」
『三人は何していたの?』
「今から何しようかなって考えていたところ」
しんべヱくんが笑った。
『今日は天気も良いし、遊びに行くのもお昼寝もどちらも良さそうだものね』
「はい!それで僕たちどっちにしようかな~って迷っていたんです」
ハキハキと乱太郎くんが言う。
どっちにしようかな~。と悩む彼らを見ていると、教室に半助さんが入ってきた。
「ユキ」
『半助さん』
「どうしてここに?」
『新しいチョークを置きに来たんです』
「それはご苦労様。私は忘れ物をしてしまってね」
そう言って半助さんは教室の隅にある小さな文机の上に置いてある本を手に取った。
「お前たちは何をしていたんだい?」
半助さんが乱きりしんに聞く。
「僕たちは放課後何をしようかなって悩んでいました」
「たまには勉強するっていうのはどうだい?」
「「「えーーーー」」」
三人から悲鳴のような声が上がった。
“絶望”といった顔をする三人を見て思わず笑ってしまう。
「ぼ、僕、大事な用を思い出しちゃった!」
きりちゃんが叫んだ。
「私も!」
「僕も!」
明らかに嘘をつきながら教室からぴゅーっと走って行く三人を見て、半助さんから大きな溜息が漏れる。
「うぅ・・・少しくらい勉強してくれてもいいじゃないか~。あ、胃が・・痛たた」
『半助さん、しっかり!』
胃を押さえて前かがみになる半助さんの背中を摩る。
「ユキ、ちょっとこの本持っていてくれるかい?胃薬飲みたいから」
『はい』
半助さんが取り出したのは以前私が彼に上げた印籠。
『使ってくれているんですね』
嬉しくて言葉が跳ねる。
「愛用させてもらっているよ。何度も何度も薬を補給するくらいに」
『それは・・・何と申し上げたらいいものか・・・』
お気の毒です。
苦笑する半助さんに私も苦笑いを返したのだった。
「そういえば最近斜堂先生に忍術を習っているそうだね」
薬を飲んだ半助さんが言う。
『はい。苦無の投げ方を教わっています』
「どうしてか聞いてもいいかい?」
私は十日間のプチ休暇中に六年生対四、五年生の戦いがあった事、そしてその時私は役立たずでただ逃げる事しか出来ず、もっと言うなら足でまといにさえなりかねなかった事を話した。
『皆は私の事を守ってくれます。それは凄くありがたい事。でも、いつも彼らが傍にいてくれるとは限りません。それに、敵が彼らよりも強い場合だってある』
一人の時に襲われた時は逃げられる程度に。
皆といる時は邪魔にならないくらいに強くなりたいと思うのだと半助さんに話した。
『急には強くなれないでしょうから、地道に頑張ります』
「そうか・・・それは良い心がけだね。だけど・・・心配だな。ユキは何でも一所懸命だから」
『一所懸命にやらないと身につきませんよ?』
笑いながら肩を竦める。
「そうだけど、ユキはやり過ぎてしまう気があるだろう?前だって倒れた事があったじゃないか」
『うっ。そうでしたね・・・』
そう言われて今の自分を振り返る。
雅之助さんに週一回の護身術の稽古。
斜堂先生に週一回の忍術の稽古。
清八さんには馬術を教えてもらっていて、自分では夜更ししてしまう位に忍たまの本で勉強している。
確かに、やり過ぎ感は否めなくはない・・・
『き、気をつけます』
「そうしてくれると安心するよ」
とは言っても最近の私は体力もついてきたし、自覚があれば自分の疲れを敏感に感じ取って自分でセーブをかけられるはず。
軽い感じで私はそう考えていた。
この時の私は半助さんの予想が当たってしまうとは知らずに――――
「それにしても妬けるなぁ」
『はい?』
「斜堂先生ではなく、ユキに忍術を教えるのは私がよかった」
少しむくれたように半助さんが言う。
『半助さんは何かとお忙しいでしょ・・その・・何というか・・・ズバッと言っちゃいますとは組は補習が多いから・・・』
「うぅ。そうなんだよなぁ」
いじいじと半助さんが指で黒板に丸を書く。
「は組の子達は良い子なんだが試験の点がまるで視力検査のようで・・・」
どんな声をかければいいか分からず私は苦笑いするしかない。
『でも、は組は実戦に強いですから』
半助さんの胃が再び痛くならないうちにと私は何とか言葉を絞り出して言ったのだった。
『さて、仕事に戻らなきゃ』
「引き止めてすまないね」
『いえいえ。最近忙しくて半助さんとまともに話していない気がしたから嬉しかったです』
「私もだよ」
『っ!』
ふにゃり、と半助さんが笑った。
ナニコレ!反則だろうっ
もう一度言う。
笑顔が可愛いとかナニコレ反則だろう、半助さん!
「じゃあ、行こうか」
『は、はい』
「ユキ?どうした?顔が赤いが・・・」
『だって半助さんの顔が可愛いから』
「か、かわいいっ!?」
正直に言ってしまって、しまった!と口を塞ぐ私の前で半助さんが目を大きく開いている。
『男性に可愛いだなんておかしいですよね。すみません』
「ほんとだよ」
低い声。
半助さんの目の奥が妖しく光る。
「大人の男に可愛いだなんて言っちゃダメだ」
『!?』
私はたじろぎ、一歩後ずさる。
すると、半助さんも私の方へと一歩歩を進めた。
私が一歩後退すれば半助さんは一歩前へ。
一歩、また一歩・・・
そうするうちに、トン。
私の背中に壁が当たる。
『は、半助さん・・・?』
私の頬にすっと半助さんが触れる。
「怯えているね」
『だ、だって・・・』
半助さんはニコリと笑った。
でも、その笑みはいつも良い子のは組に見せるような爽やかな笑顔じゃなくて、妖艶な笑み。私は酷く動揺する。
『私も悪かったけど、か、揶揄い過ぎです』
逃げようとする。
しかし、トン。
行く手を半助さんの手が阻んだ。
反対側に逃げようとする。
だが、こちら側にも半助さんが壁に手をついた。
いまや半助さんの手で逃げられない。
いや、待てよ・・・
あ、逃げられるじゃないか。
ちょっとしゃがめばいい!
「わっ!?」
『へぶっ!?』
半助さんから驚き声が上がる。
私からは無様で可笑しな声。
ひゅんとしゃがんで横っ飛びで半助さんの作った囲いから逃げ出した私。
しかし、上手くいかなかった。私なんかに受身が取れるはずがない。
私は両手を広げ、カエルのような足で床に伸びることに。
「ユキ・・・」
残念そうな声が聞こえて振り向けば呆れた顔の半助さんがいた。
『だって、半助さんがいつもと違う半助さんになっちゃったから。心臓バクバクし過ぎて頭沸騰しそうになっちゃったから・・・』
「私を意識してくれたのは嬉しいけどね・・・まさか、こんなかたちで逃げられるとは」
苦笑しながら半助さんは私に手を差し出してくれる。
『ありがとうございます』
半助さんの手を取ると、ぐんと強い力で引っ張られた。
やっぱり大人の男の、それも忍者の力は強いな――――え?
ちゅっ
頬に柔らかい感触。
半助さんにキスをされた箇所が熱く熱を持つ。
『コ、コラ!』
「ハハハ!」
『ハハハ!じゃないですよ!ココ教室ですよっ』
「そうだね。凄く悪いことをしている気分だ」
『なに背徳感に浸っているんですか!』
プンスカと握りこぶしを作って上下に振りながら怒る。
「そうそう。可愛いって言葉はさっき赤面していたユキや、今のように子供みたいに
怒っているユキの為にある言葉なんだよ」
『~~~っ!』
ニコニコと笑う半助さん。
『もうっ!揶揄い過ぎです!』
私はポカポカと半助さんを叩いたのだった。
***
授業参観の日がやってきた。
私は今、小松田さんと一緒に正門にいる。
今日は一年生の授業参観の日。
ちなみに、授業参観は下級生だけがある。
保護者の方に挨拶しながら名簿表にある名前にチェックを入れていると、
「こんにちは~猪名寺乱太郎の父でーす」
「母でーす」
明るい声が聞こえてきた。
顔を上げると人の良さそうな顔の夫婦が立っていた。
『初めまして。事務員の雪野ユキです』
初めて会った乱太郎のくんのお父様、お母様にペコリと挨拶。
「あら!あなたがユキさんなのね!乱太郎からいつも手紙で聞いています。とっても優しい事務員さんで、いつも乱太郎たちと遊んで下さっているって」
『遊んであげるというより遊んでもらっているといった方が強いですが』
アハハハと笑う。
「それでは、教室の方へどうぞ~」
小松田さんが保護者の名前表の乱太郎くん父母の欄に丸をつけて二人に教室に行くように促す。
『それでは、また後ほど』
「はい、失礼します」
その後も、庄左衛門くんのおじい様や伊助くんの家のお父様、お母様、たくさんの一年生の保護者たちが忍術学園へとやって来た。
「これで全員かな」
『そうですね』
小松田さんと二人でギギっと正門を閉めて錠を落とす。
「ユキちゃんはもう行っていいよ。そろそろ授業が始まっちゃう」
『ありがとうございます、小松田さん』
私は小松田さんにお礼を言って小走りに一年は組の教室へと向かった。
ざわざわとした声が廊下にも聞こえてくる。
私は後ろの扉から教室へと入った。
私は教室の出入り口付近に立って教室を見渡す。
一年は組の子たちは興奮している様子だった。
保護者の方も自分の子供の様子が見られるとあってニコニコ顔。
「あ!ユキさん」
きりちゃんが私を見つけて声を上げた。
ヒラヒラと彼に手を振ると嬉しそうに顔を綻ばせる。
「おや、もしかして貴女はきり丸くんのお母様かな?」
『はい、そうです。ええと・・・』
「私はしんべヱの父親です。いつも息子がお世話になっております」
『いえいえ』
「忍術学園でのしんべヱの様子は如何でしょう?」
『しんべヱくんはいつも良い子で友達思いの子ですよ。友達も多く、みんなを明るくしてくれるムードメーカーです』
「そうですか!」
カーン
そんな話をしているうちにヘムヘムが鐘を鳴らした。
ガラガラ
前の扉が開く。
さあ、授業のはじまりだ。
期待膨らむ私だが、ある異変に気づいて目を瞬く。
ありゃりゃ。半助さんったら緊張している。
手と足が同じ側揃って出てしまっている。
大丈夫かな~。
「え、え~~っと」
視線が定まらない半助さん。
私が心の中でオロオロと心配している時だった。
「土井先生、頑張れっ」
「緊張しないでリラックス、リラックス」
「笑って、笑って」
あちこちから良い子たちの声が飛ぶ。
アハハっと保護者の間からも笑いが沸く。
一瞬、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をした半助さんだったが、この言葉が彼の緊張を和らげたようだ。
頭の後ろに手をやって笑う半助さんの顔にはもう緊張の色はない。
「さて、私の緊張も取れたところで授業を始めるといたしましょう」
自分の緊張も笑いに変えて、授業の開始を宣言した。
「気を付け、礼」
「「「「「「「お願いします」」」」」」」」
十一人が揃って頭を下げる。
「今日はみんなに作文を書いてきてもらいました。それを発表してもらおうと思います」
半助さんが黒板に“将来の夢”と書いた。
「まずは黒木庄左衛門」
「はいっ」
元気に返事をして立ちあがる庄左衛門くんに
「庄左衛門~頑張れよ~~」
庄左衛門くんのおじい様が声援を送った。
「も、もうっ爺ちゃんったら恥ずかしいってばっ」
再び沸き起こる笑い。
庄左衛門くんは笑いが落ち着いてから、コホンっと咳払いをして作文を読み上げる。
「僕の夢は忍者になることです。どんな忍者になりたいかというと―――――
一人ずつ、将来の夢について作文を読み上げていく。
庄左衛門くんは利吉さんのような優秀な忍者に。
伊助くんは忍装束を実家の染物屋で染める裏稼業をしながら、市井の情報を集め、活躍できる格好良い忍者に。
兵太夫くんはカラクリを駆使して戦う忍者に。
喜三太くんはナメクジさんたちと一緒に戦う忍者に。
「――――父ちゃんと母ちゃんが入れてくれた忍術学園でたくさん勉強をして、私は一流の忍者になりたいと思います!」
乱太郎くんの作文発表が終わった。
「次、雪野きり丸」
「はい」
いよいよきりちゃんの番が来た。
どんな作文を書いたんだろう?
彼はどんな忍者を目指しているのだろう?
というより、緊張せずに最後まで作文を読み通せるかな?
心配と、期待と、不安とでいっぱいになる中、きりちゃんの作文発表が始まる。
「僕の名前は摂津のきり丸でした。摂津のとは、摂津地方のという意味です。でも、最近、僕の苗字は雪野に変わりました―――――――
気が付けば、目からボロボロ涙が溢れていた。
小さい時に親が死んでしまった事。
その時に絶対に強い人間になってやろうと思ったこと。
両親を殺した、あいつらを倒せるような人間になろうと決めた事・・・
強くなろうと思うあまり、いつの間にか肩肘を張ってしまっていて、預けられたお寺では友達が出来なかったこと。
忍術学園に入学して、明るいみんなに囲まれて、自然と笑える自分に気づいた事。
信頼できる先生に出会ってから、親を失っていた時に消えてしまっていた心の温もりが戻ってきたこと。
「そして僕はユキさんに出会いました。頼りなくって、僕たち忍たまと一緒に遊ぶ時は僕たち以上にはしゃいじゃう危なっかしい人で、でも、優しくって、温かくって、土井先生に喧嘩を売っちゃうような強い人で・・・」
僕はユキさんを守れるような強い忍者になりたい。
親を殺した人を憎みながら強くなるんじゃなくて、誰かを守るために強くなりたい。
「僕はそういう忍者になりたいです」
そう、きりちゃんは結んだ。
『きりちゃん・・・』
私の手ぬぐいはびっしょり濡れていた。
あちらこちらからも嗚咽が聞こえてくる。
半助さんも、は組の良い子達も、保護者の方も泣いている。
きりちゃんが振り返った。
涙でくしゃくしゃな顔で。
『ありがとう、きりちゃん』
ニコッときりちゃんが笑う。
「お金の勘定も出来ない、潜水大会でのぼせちゃうような、僕たちより子供っぽいユキさんは僕が守ってあげないとね!」
きりちゃんはそう言って、「これで終わりです」とペコリと頭を下げて座った。
みんなから拍手が沸き起こる。
私も手が痛くなるまで拍手をした。
きりちゃん、私もきりちゃんを守れる強い大人に、この世界をしたたかに渡っていける大人になるね。
二人で仲良く、これからも進んでいこうね。
凪やかな海も
荒れた海も
共に力を合わせて進んでいこう。
私は首に下げてあるギメルリングに小袖の上から触れながら、そう思った。
「気を付け、礼」
「「「「「ありがとうございました」」」」」
座学の授業が終わる。
は組の良い子たちは一斉に自分の親のもとへと走っていった。
でも、きりちゃんは動かない。
前を見たまま頬杖をついている。
この反応は分かる。
恥ずかしいのだ。
証拠に近づくと耳の後ろが赤くなっているのが見えた。
私はふふっと微笑みながらぎゅっと彼を後ろから抱きしめる。
『きりちゃん大好き!』
「わわっ」
きりちゃんが驚き声を上げた。
「も、もうっ。ユキさんったらビックリするじゃないのさ!」
『だって、きりちゃんがコッチに来てくれないんだもん』
「ていうか、ユキさんったら凄い顔。目が真っ赤に腫れちゃっているよ。いったいどんだけ泣いたのさ」
呆れた風を装って言うきりちゃんだが、彼の目も腫れている。
『食堂に行く前に井戸に行こう』
実技の時間はお昼ご飯を挟んでからだ。
私はきりちゃんの手を取って立ち上がらせながら言う。
その時だった。
クラリ
一瞬、目の前が揺れた。
「ユキさん?」
『ううん。何でもないよ』
泣きすぎて頭がぼんやりしちゃったのかな?
私はブンブンと軽く頭を振ってからきりちゃんと共に井戸へと向かったのだった。
***
実技の見学も終え、無事に授業参観は終了した。
今は夜。
今日は私が夜の見回りの日だ。
最近はこの世界の闇夜にも慣れてきていた。
松明の灯りを頼りに歩き、藪を抜け、丘を登って飼育小屋まで行き、モンを連れて一緒に残りの見回りをする。
遠くから聞こえるカキン、カキンといった金属がぶつかる音。
上級生が鍛錬をしている音だ。
歩くにつれて、その音も遠ざかっていく。
『ねえ、モンちゃん。私も忍術のお勉強しているんだよ』
<ウォン(凄いね)>
『褒めてくれているの?えへへ、嬉しいな。あ、ここからは気をつけて。喜八郎くんの罠が張ってある場所だから』
私はモンの首元のお肉をくにっと握りながら上体を低くして松明で地面を照らし、慎重に歩んでいく。
『ふー今回も無事に通り抜けられた』
罠のある地域を抜けて一安心。
モンは私の手から解放されて飛ぶようにして走って行く。
『ちょっと待ってよ~』
走り出した時だった。
まただ!
ぐらり
視界が揺れる。
私はへなへなとその場に座り込んでしまう。
あれ?体が重い・・・
『モンー!モンー!』
口に手を当てて叫ぶ。
ハッハッという息遣いが近づいてきた。
モンが戻ってきてくれたのだ。
<ウォオン?(どうしたの?)>
『体が急に動かなくなって。支えになってくれたら嬉しいってモンっ!?』
モンの体を借りて起き上がろうとしたら逃げられた。
『モン!?』
<ウォーン(誰かつれてくる)>
一目散に何処かへ走って行くモン。
『モンー!』
叫んだ後、シンとなった中に響いた音。
ドスン
遠くの方で音がした。
もしかしてモンが罠に落ちた!?
へたっていられない!
どりゃあっと私は力を振り絞って起き上がる。
先ほどのように地面を照らして歩いていると抜けた地面が見えた。覗くとモンの姿。
『モン!』
<キュウン(落ちちゃった)>
『直ぐに助けを呼んでくるからね』
私は急いで忍たまの鍛錬場所まで走る。
『誰かー。誰かいませんかーー!』
口に手を当てて叫ぶとザッ。音が聞こえた。
振り向くと松明に照らされて八左ヱ門くんが立っていた。
「おほー。どうしたんだ?」
『八左ヱ門くん大変なの。モンが喜八郎くんの穴に落ちちゃって』
「なに!?案内してくれ」
私は八左ヱ門くんをモンが落ちた穴まで案内した。
二人して穴を覗き込む。
松明の灯りに照らされたモンは立ち上がっていた。
どうやら怪我はなさそうだ。
「直ぐに出してやるからな」
<キューン(早くお願い)>
この穴はそれほど深くない。
八左ヱ門くんが穴に降りて行って、そしてモンを抱き上げて地上にサッと飛び上がって、私の横に着地した。
<ウォン(ありがとう)>
「ははっ。くすぐったい」
感謝を伝えるように八左ヱ門くんの顔を舐めるモン。
八左ヱ門くんはくすぐったそうに笑う。
『一応怪我がないか見てくれる?』
「おう」
触診の結果、モンの足は何ともなさそうだった。
「見回りの途中だったのか?」
『うん。そうなの』
そう言いながら立ち上がった時だった。
ぐらり。
再び視界が揺れた。
今度は上手く座り込むことが出来なかった。
私の体は後ろへと倒れていく。
「ユキ!」
倒れていく私の体は八左ヱ門くんに助けられた。
力が入らず、手から松明が落ちる。
「おい!どうしてこんなに体が熱いんだ!?」
『熱い?』
「あぁ、凄く熱い」
「そこに誰かいるんですか?」
暗闇の中から声が聞こえた。
「兵助!」
遠くなった耳で私はその人の声を聞き取れなかったが、八左ヱ門くんは聞き取れたようだ。
ぼんやりしていると視界に兵助くんの顔が現れた。
「ユキちゃん!?どうしたのだ!?」
「分からない。ただ、凄く体が熱いんだ」
「直ぐに医務室へ。俺がユキちゃんを連れて行く。八はこの狼を小屋へ」
「分かった。ユキのこと、頼む。来い、モン」
<クーン(ユキが心配)>
『大丈夫だよ。直ぐに元気になるから今は小屋へお帰り』
モンを撫でながらそう言うと、おとなしく八左ヱ門くんの後についてモンは走っていった。
「ユキちゃん、走るけど苦しくなったら言ってね」
『ありがとう、兵助くん』
兵助くんが走り出す。
なるべく私に衝撃を与えないように気遣ってくれているのが伝わってきてこんな時なのに嬉しくて口元が緩んでしまう。
「失礼します。新野先生、開けてください」
ガララと戸が開くと現れたのは新野先生ではなかった。
保健室から現れたのは伊作くん。
「ユキちゃん!?」
「善法寺先輩、ユキちゃんの体が凄く熱いんです」
「ほんとだ。酷い熱じゃないか」
伊作くんが私の額に手を当てながら驚いた様子で言った。
「布団へ連れて行って」
布団に寝かされる。
体がぐったりとして重い。
「ユキちゃん、症状を聞かせてくれるかい?」
『症状・・・視界がグラって揺れることぐらいかな』
「咳や喉の痛みは?」
『ない』
「寒気とかも?」
『それもないです』
伊作くんは私の答えに眉を寄せた。
「口を開けて喉を見せて」
口を開けて喉の奥を見る伊作くんだが、やはり眉を顰めたまま。
「舌をべーっと出して」
言われた通りに舌をべーっと出す。
何かを考えるように顎に手を当てて考えていた伊作くんは、
「風邪ではないみたい。考えられるとしたら・・・熱は疲れからくるものじゃないかな」
と悩みながら言った。
思い当たる・・・とても、思い当たる・・・
「「ユキちゃん?」」
私の肩がビクリと跳ねる。
「また無茶してたんじゃないの?最近忙しくしているの知っているよ。この前、留さんが夜中にユキちゃんが食堂で勉強してたの見たって言ってたし」
「大木先生のところに週一で護身術を習う他に、最近は斜堂先生に忍術を習っているらしいし」
『や、やっぱり、それが原因かなぁ・・・』
「「絶対そう!」」
二人の声が揃った。
二人の睨みが怖くて布団を顔半分まで押し上げていると「失礼します」と八左ヱ門くんが保健室へと入ってくる。
「お二人共、病人を睨みつけてどうしたんですか?!」
驚く八左ヱ門くんに伊作くんが私がこうなった訳を説明。
八左ヱ門くんはハアァと溜息を吐き出した。
そして私の横に座り、私の額に手を乗せる。
「ごめん」
『え、何が・・・?』
「俺があの時、もっとしっかり止めておけば良かった」
そういえばモンちゃんと散歩していた時に八左ヱ門くんに顔が真っ青だって言われた事があったな。
『そんな顔しないで。私こそ八左ヱ門くんの言う事を聞いていれば倒れる事なんかなかったんだから』
申し訳なさそうな顔をしてしまっている彼に微笑みかける。
「ユキ、ごめん」
八左ヱ門くんが私の額に乗せていた手を滑らせて頬に添えた。
途端に聞こえたベチンという音。
「何イチャついてるのかな?僕の前で、僕のユキに手を出すなんて許せないな」
低ーい、こわーい声が保健室に響く。
「ひっ。イチャつくなんて、そんな!」
黒いオーラを背負う伊作くんにビビリ仰け反る八左ヱ門くん。
「伊作先輩落ち着いて下さいっ。病人の前ですよっ」
「大丈夫だよ、兵助。ユキはただの過労だから。寝てれば治る。あ、そうだ。疲れているついでにもう少し疲れてみない?今から二人をここから追い出すから二人でちょっと運動しよう?寝付きもよくなるよ?」
『ヒイィその運動絶対拒否!断固拒否!二人とも保健室から出て行かないでね!』
ぞぞぞっとなりながら言うのだが、
「ユキちゃんと運動・・・混ぜて欲しいのだ・・・」
と兵助くんが言った。
『ちょっと!にこやかな笑み浮かべながら何言ってるの兵助くん正気に戻れ!』
「運動?保健室で運動って何の運動『気づかないなら気づかないでいいから!』
ピシャリと八左ヱ門くんに言うが、
「えー俺だけ分からないのズルいよ!」
と駄々をこねるように叫ぶ。
「分からないお子ちゃまは分からないままでいいよ。それに三Pならまだしも四『伊作くんはいっぺん黙ろうか』
「四P・・・新しい扉が『扉開くんじゃありませんッ』
「やっぱりさっきから何言っているか分から「ないなら分からんでよろしい!」
真夜中に保健室から聞こえる叫び声。
ユキは倒れ込んだ事などすっかり忘れてツッコミに力を入れていたのだった。