第四章 雨降って地固まる
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11.忍者のお勉強
プチ長期休暇の十日間が終わり、長い梅雨が明けようとしている。
一雨ごとに夏の兆しが垣間見える。
紫陽花は見頃を終え、代わりに葉が雨を肥料のように吸収して大きく、濃くなり、木の下に気持ちの良さそうな木陰を作り始めた。
十日間が終わり、私にも日常が戻ってきた。
早朝は八左ヱ門くんと待ち合わせをしてモンちゃんのお散歩。
部屋に帰ったら二度寝。そして泊まりに来てくれた忍たまの子に起こしてもらって、その子と共に朝食へ行く。
その後は事務室で適度に休憩を入れながらお仕事。昼食は交代で行く。
昼食のお皿洗いのお手伝いをしてから午後の仕事を開始し、午後の仕事はその日の具合で終わりになる。
早く終われば下級生たちと夕食を食べ、そのままお風呂へ。
仕事が遅くなれば上級生たちと食べて私のお風呂は一番最後。
部屋に帰れば泊まりに来てくれる子が待っていてくれて、私はその子と一日のことを楽しく話しながら眠りにつく。
そんな日常の中に私は今日から取り入れようと決めている事があった。
ここは事務室。
私は自分で帳簿に記載して金庫にお金を入れる。
私が購入したのは“忍たまの友”
忍たまたちが使っている教科書だ。
「ユキちゃん忍たまの友なんて買ってどうするの?」
不思議そうに小松田さんが首を傾げる。
『私、忍たまたちのこと全然知らないなって思って。忍者の基礎くらいは知っておきたいと思って勉強することにしたんです』
「それは良いことですね」
吉野先生がニコリと笑った。
「実技も勉強するの?」
『はい。少しでいいから触れてみたいと思っています。忍者の大変さを知っておきたいし、それに、私もう少し強くなりたいんです』
金楽寺の一件で私は六年生のみんなに守られっぱなしだった。
今も大木先生に週一回の護身術の授業をつけてもらってはいるが、それにプラスして鍛錬をしたいと思っていた。
でも、どうしようかな?
大木先生に護身術を週一回のペースで習っている私。
でも、忍術を習うとなると、人の目もあるから大木先生に忍術を習うのは厳しいだろう。
かといって、忍術学園の先生はみんなお忙しいみたいだし・・・
「雪野さん・・・」
『はい?ってうわっ!?』
急に背後から声をかけられて体がビクッとなる。
後ろを振り向けば斜堂先生がいらっしゃった。
『しゃ、斜堂先生ったら気配消さないで下さいよ~。吃驚しちゃったじゃないですか!』
「すみません・・・ふふ」
私の驚く顔がおかしかったのか斜堂先生はクツクツ喉の奥で笑いながら謝罪の言葉を述べた。
よし、いい度胸だ。ユキちゃんの拳が火を吹くぜ?
ちょっと庭に・・と腕を捲りながら言いかけた時だった。
「もし、私で宜しければ忍術の実技をお教えしましょうか?」
と、斜堂先生が言ってくれた。
前言撤回!
斜堂先生ったらなんて優しい人なんでしょう!!
『でもでも、宜しいのですか?斜堂先生もお忙しいでしょう?』
「問題ありませんよ。私は教科担当なのでろ組の実技補修をすることは少ないですから」
採点などは夜にやればいいことですし。と斜堂先生は言ってくれる。
『お言葉に甘えてしまっても宜しいですか?』
「はい、もちろんです」
斜堂先生がにこりと笑った。
さっそく今日の放課後から週一回のペースで実技の練習に付き合ってもらうことを約束して、斜堂先生は事務室から出ていった。
「よかったね、ユキちゃん」
『はい!』
小松田さんと顔を見合わせてニコニコしているとヘムヘムが鐘を鳴らした。
お昼ご飯の時間だ。
昼食は事務室を空室にしないように交代で取っている。
『吉野先生、小松田さん、お先に行って』
ぐ~~きゅるるるるる
私の腹の虫が盛大に鳴って部屋にこだました。
ぷっと吹き出す吉野先生と小松田さん。
「雪野くん、小松田くん、先に行ってくれていいですよ。私はこのやりかけの書類を片付けてしまいたいですから」
『あ、ありがとうございます』
恥ずかしい!
私は真っ赤になりながら吉野先生に頭を下げたのだった。
小松田さんが「あ!忘れてた!」と何かを思い出して食堂へ行く道を引き返していき、結局私は一人で食堂に向かっている。
私は歩きながら考えていた。
実は、忍術の実技以外にも習いたいことがあるんだよね。
その事を考えていると、一年は組がわーっ!っとこちらへ駆けてくるのが見えた。
「ユキさんも今から昼食?」
「一緒に食べようよ!」
私の手を三治郎くんと虎若くんが引いてくれる。
『うん。みんなで食べよう』
私たちは賑やかに食事を待つ列に並ぶ。
「ユキさんもA定食とB定食どっちも食べる?」
じゅるりとヨダレを垂らしながら聞くしんべヱくんに首を横に振る。
『実はダイエット中なの』
「「「「「「「「「「「頑張れーーーーー!!」」」」」」」」」」」
『おおいっ。誰も必要ないよ!とか言ってくれないんかいっ!』
は組の反応にずっこけるとみんなアハハと楽しげに笑った。
私はA定食の鯖の味噌煮定食を持って席に着く。
声を揃えて元気に頂きます。
は組の子たちは午前中に実技の授業だったようで、みんなもりもりとご飯を食べている。
気持ちの良い食べっぷりに私は頬を緩ませる。
いつもの大食いでみんなより早く食べ終わった私は先程買った忍たまの友を読んでいた。
そんな私にみんなの視線が集まる。
「どうして忍たまの友なんて持っているんですか?」
乱太郎くんの質問に吉野先生や小松田さんに答えた事と、斜堂先生に実技を見てもらうことも話す。
「実技もやるんだ。ユキさん大丈夫?ユキさんって危なっかしいから心配だよ」
きりちゃんが眉を顰めて言った。
『だいじょーぶ。慎重に、真剣にやるから』
「怪我しないように気をつけてよ?」
『分かったよ。心配ありがとね』
私はまだ心配そうにこちらを見るきりちゃんを安心させるように微笑んでおいた。
『でも、あと、馬の乗り方も覚えたいんだよね。斜堂先生、教えてくださるかな?』
ていうか、陽の当たるところに出ても大丈夫なのかな?
私の鍛錬場所は日陰になるのかな?
むしろ私の鍛錬は夜限定になるのかな?
と考えていると、くいくいと上衣が引っ張られた。
見下ろせば隣に座っていた団蔵くんがニコニコ笑顔を向けてくれている。
「馬の乗り方なら僕の家のものに任せてよ」
『団蔵くんのお家の方?』
「うん!清八っていう若い馬借がいるんだ。良かったら清八に、ユキさんに馬の乗り方を教えてあげてって頼んでみるよ。清八には会ったことある?」
『ううん。会ったことないな。いつも私が
馬借便を受け取るのは喜六さんか源兵衛さんだから』
「そうだったんだ!ユキさんには是非、清八にも会って欲しいな。僕、直ぐにお手紙書くね」
『ありがとう!』
団蔵くんと話している間に、は組のみんなは全員昼食を食べ終わったらしく、サッカーをしに校庭へと走って消えていった。
事務室に戻る廊下を歩いていた私はふと手に持っていた忍たまの友に目を落とす。
今日から頑張らないとね!
私は心の中で『よし!』と気合を入れながら事務室へ戻って行った。
***
事務の仕事が終わる頃、斜堂先生が私を迎えに来てくれた。
「色々考えたのですが、雪野さんには苦無の練習をして頂こうかと思います」
『苦無ですか?』
スタンダードな手裏剣ではなく?
疑問に思っていると私の頭の中を見透かしたらしい。
「手裏剣は先が尖っていて持つだけでも怪我をする恐れがあります。苦無は手裏剣より重いですが、その代わり持ち手があり、打ちやすいです」
と説明してくれる。
「もともと苦無は飛び道具ではなく、穴掘りなどに使われていたのですが最近では武器としても使われてきています」
斜堂先生の説明を聞きながら用具倉庫から苦無を出して的のある練習場へと行く。
「まずは握り方からです」
斜堂先生が見せてくれた握り方で私も苦無を握ってみる。
「そして、こう投げます」
ヒュン トン
斜堂先生が苦無を的に向かって投げた。
流石と言ったら失礼だが、さすがは先生。
苦無は的の中心部に寸分たがわず突き刺さった。
「習うより慣れよ、です。雪野さんもやってみましょう」
『はい』
握って的を絞る。
意識を集中させて、投げる!
ヒュン
「「「「「「うわあっ!」」」」」」
『「は!?」』
私と斜堂先生は顔を見合わせた。
私の苦無は的とは別方向、茂みの方へと飛んでいった。
目を瞬いて茂みを見つめていると人が飛び出してくる。次々と、次々と・・・
私たちの前に現れたのは六年生全員だった。
「誰か隠れていると思いましたが六年生でしたか」
(この気配の消し方、下級生だとは思っていなかったので放っておいたのですが・・・
出てきていまいましたね・・・残念)
「お邪魔して申し訳ありません」
仙蔵くんが斜堂先生に頭を下げた。
「ユキが何をしているか興味があって、みんなで見ていたのです」
留三郎がニヤニヤっと言った。
ニヤニヤしているこいつらは、どうやら私のへっぽこ練習を影で眺めて笑いにきたといったところか。
まったくもう!自分の鍛錬をしろ!自分の鍛錬をッ
「それよりユキ!俺らを殺す気かよ。この苦無、俺の顔の真横を通過したぜ!?」
留三郎が何かを喚いた。
『うるさいなー。そんな所にいる方が悪いんでしょ』
留三郎に向かって思い切り歯を剥きだしてやる。
「それにしても、斜堂先生に苦無の練習を見てもらうなんてどういう風の吹き回しなんだ?」
文ちゃんが聞いた。
『あぁ。実は―――――
私は本日三度目となる説明をする。
「練習なんてしなくてもユキの事は私たちが守ってやるのに」
「小平太、ユキちゃんの話し聞いてた?ユキちゃんは自分一人でも敵から逃げ切れるように強くなりたいんだよ」
伊作くんが小平太くんを宥めるように言う。
「殊勝だな、ユキ。偉いぞ」
文ちゃんがやってきて私の頭を撫でてくれる。
「言わんとすることは最もだが、そういう危険に遭わないようにするのが一番。いつもそれは心に置いておけよ」
『分かったよ、留三郎』
急に留三郎が優しくなった。
どうした?頭打ったのか??
「打っとらんわ!声に出てるの気づけ馬鹿!」
留三郎からチョップが飛んできた。
痛ったーー
留三郎と睨み合っていると長次くんが私の方へやってくる。
『どうしたの?』
「モソモソモソ(ユキ、練習を邪魔してすまない)」
『ううん。気にしないで』
長次にだけ笑顔の振りまき方が違うという皆からの文句を受け流しながら私は長次くんに首を振る。
「モソ(みんな行こう)」
「えー!もっとユキの練習を見ていたい」
小平太くんがダダをこねた。
「ダメだ。私たちは向こうに行ってバレーでもしよう」
もっと絡まれると思ったが珍しく大人しく引き下がって仙蔵くんが言った。
「バレーしたい!でも見たい!」
暴君は暴君を爆発させた。
「小平太、両方は無理だ。ユキも俺たちがいては集中できないだろう。今日は大人しくバレーを選ぼう」
文ちゃんが小平太くんの後ろ襟をむんずと掴み、引っ張っていく。
「じゃあな、ユキ。頑張れよ」
留三郎の言葉に手を振る。
六年生は運動場へと消えていった。
『練習を中断してしまって申し訳ありません。続きをお願いします』
「頑張りましょぅ」
『はい!』
私は二本目の苦無を構える。
さあ、やるぞ!
『雪野ユキ、行きます!』
なんかガンダムの発射時みたいだ、という気持ちを追い払い、集中して苦無を構え、投げる。
ヒュン ガサッ
『・・・。』
次、三本目!
ヒュン カツン
『・・・・。』
つ、次!四本目!
ヒュン
「っ!?・・・・・」
『す、すみません~~~』
藪の中、的を大きく外れて壁に激突、挙句の果てには手を滑らせて後ろへと投げてしまった苦無が斜堂先生の足元に突き刺さる。
『み、道のりは長そう・・・でも、頑張りますから!』
見捨てないで下さいね!
私は箱いっぱいの苦無が無くなるまで的に向かって投げ続けた。
夕日がゆっくりと傾いていき、
私と斜堂先生の影も長く伸びていく
「良くなってきていますよ」
『はい!』
一つ一つ丁寧に。
根気強く。
疲れを感じながらも集中して投げていた私の気持ちが実った。
カツン
『あ!』
私は嬉しくて思わず拳を握る。
『斜堂先生!』
パッと斜堂先生を振り返る。
「頑張りました。当たりましたね」
パチパチと拍手をしてくれる斜堂先生。
的に当たった苦無は端も端。
的の端っこに刺さっただけだった。
中心点からは程遠い。色付けもされていない場所。
それでも木の板に当たったのは間違いない。
私はタタっと駆けていって的に当たった苦無に触れた。
懸命に練習した成果。
愛おしささえ感じられてしまう。
「雪野さん」
『は、はいっ』
私は斜堂先生に声をかけられビクッと肩を跳ねさせた。
愛おしそうに苦無撫でている女子なんてただの変人でしかないよね。
『アハハ。的に当たったのが嬉しくって、ええと・・・』
「はい。良く出来ました」
ポンポン
斜堂先生は私の傍にやってきて、優しく私の頭に手を乗せる。
私を見る斜堂先生の目は凄く優しくて、何かを慈しんでいるような目で、私の心臓は驚き、そして鼓動を早くする。
自分の顔が夕日に照らされていて良かったと思う。
私の顔は、今とっても赤いだろうから。
「さて、今日はこのくらいで終わりにしましょうか」
斜堂先生の言葉にハッとする。
止まっていた時が動き出したように私は慌てて頷く。
『御教授ありがとうございました』
「いいえ。どういたしまして」
二人で苦無を箱に戻して私達は一つずつ箱を持ち上げて、用具倉庫へと歩いて行く。
私は隣を歩く斜堂先生をそっと見る。
私は先程、斜堂先生に頭をポンポンされた事を思い出していた。
斜堂先生ってこういう事しなさそうなのに、意外・・・
『あ、あの、斜堂先生』
「はい。何でしょう?」
『良かったら私の事、名前で呼んで頂けませんか?』
斜堂先生は足を止めて驚いたといった表情。
ず、図々しかったかな・・・?
ちょっと距離が近づいたと思ったから思い切って言ってみたんだけど。
『あ、あの!呼びにくかったら今までのままで・・・』
「ユキさん」
あわあわしていると優しく名前が呼ばれた。
ふわりとした笑み
『ありがとうございます、斜堂先生』
私は頬を緩ませたのだった
***
今日泊まりに来てくれたのは一年ろ組の伏木蔵くん。
私たちは今日一のことを布団の中で楽しくおしゃべり。
『おやすみなさい、伏木蔵くん』
「ユキさん、おやすみなさぃ」
ふっとロウソクを吹き消してから暫く。
隣の布団から規則的な可愛い寝息が聞こえてくる。
私は静かに布団から抜け出した。
淡い月の光をたよりに文机に置いてあった忍たまの友と蝋燭を手に取り、私は部屋を抜け出して食堂へと歩いて行く。
真っ暗の食堂。
私は一人、蝋燭の明かりで忍たまの友を読む。
『五車の術とは・・・喜車、怒車、哀車、楽車、恐車の五つのことをいう』
暗記するため目を瞑り、ぶつぶつと呟く。
喜車はおだて、喜ばせる事で隙を生み出すこと。怒車は挑発し怒らせ冷静さを失わせること。
『なんだか知らず知らずに使っている事だよね、これって』
だけど、これを意図的に使われて相手に操られると考えると怖い。
薄ら寒い気になって、思わず小さくぶるっと震える。
『忍者こえー』
そう思いながら次のページをめくる。
蛍火の術――――
山彦の術―――――
忍の三病――――――
忍の三禁――――――――
慣れないこの世界の文字を解読しつつ忍たまの友を読み進めていく。
分からない漢字や文字があっても前後の内容で意味を理解していたのだが、壁にぶち当たった。
タイトルが分からない。
『何の術って読むんだろう?山彦までは読めるんだけど、ううん・・きゃああっ』
急にトンと肩に手を置かれて悲鳴を上げながら飛び上がる。
ビクッとしながら振り向けばそこにいたのは仙蔵くん。
「ふっ。凄い間抜け顔だ」
くすくすと笑みを零す仙蔵くんの顔は蝋燭の顔にほのかに照らされ美しい。
ハアァ。仙蔵くんって本当に残念なイケメンだよね。
こういういじめっ子体質さえなければ良い子なのに。
『吃驚するじゃないやめてよ』
頬を膨らませて言うが、彼が謝る確率なんて100%ない。私の言葉を無視して、
「こんな夜更けに何をしていたのだ?」
と私の手元を覗き込んだ。
『勉強だよ。忍術のべ・ん・きょ・う』
「ほう」
感心したように仙蔵くんはやや目を見開く。
「これも昼間言ったのと同じ、自分で自分を守るための勉強か?だが、それなら、実技だけで十分だろう?」
ストンと私の横に座りながら仙蔵くんが言う。
『あぁ。それもあるんだけどね』
「他に理由があるのか?」
『うん。みんなのこと、もっと知りたいんだよね』
「私たちのことを?」
『そう。だって私は忍術学園の事務員なのに忍術の事を全く知らない。
だから、忍術の勉強をして、みんなが何を頑張っているか、みんなが目指している忍者ってどんなものかを知りたいと思ったの』
「そうだったのか」
ドキリ
凄く優しい笑みで仙蔵くんが笑った。
不覚にも、その美しさに見惚れてしまう。
あの、いつも意地悪な仙蔵くんに見惚れてしまうなんてね・・・
あの意地悪な仙蔵くんに・・・私としたことが・・・
いや、確かに仙蔵くんは見目は麗しい。
それは認めよう、うん。
だが、何故こんなに心が微妙な気持ちになっているのか。
それは仙蔵くんが意地悪だからである。
いじめっ子の優しい笑顔に騙されていはいけません。
彼の性格を知らない女子なら一発KOになるところだが、私はすんでのところで恋心を持っていかれるのを阻止した。
『仙蔵くんは何しに来たの?』
「夜の鍛錬を終えて水を飲みに来たんだ」
『そっか』
「茶でも沸かそう」
『え?』
「勉強を見てやる。困っていたのだろう?」
仙蔵くんの言葉に驚いていると「眉間に皺を寄せて唸っていたではないか」と言われた。
『見てたんだ』
「あぁ」
面白い顔だった、とまた意地悪なことを言って、クスクス笑いながら仙蔵くんは厨房へと歩いて行く。
『ありがとう』
仙蔵くんがお茶を目の前に置いてくれる。
「それで、どこが分からなかったのだ?」
『ここ。漢字が読めなくて。山彦までは読めたんだけど・・・』
「あぁ、これは山彦試聴の術と読む。この術は山彦の術を破るための忍術だ」
仙蔵くんは分かりやすくこの術を説明してくれた。
『教えてくれてありがとう』
「他に分からないところは?」
『でも、もう夜遅いよ。仙蔵くんも鍛錬の後で疲れているでしょう?もう休んだほうがいいよ』
「夜は忍者のゴールデンタイムだ。徹夜も慣れている。お前なんかよりずっと体力もある。余計な気は回すな。ユキのくせに」
『最後のユキのくせには余計ですっ!でも・・・お言葉に甘えてもいい?』
「あぁ。構わない」
私は仙蔵くんの有難い申し入れに甘えることになった。のだけれど・・・
「これは算数の基礎だぞ馬鹿者!三角形を求める公式は底辺×高さ÷二だ!」
『や、やってるよ~』
「よく見ろ!割る四になっているだろうがっ」
『あ、あれ~~』
雪野ユキ、絶賛算数で怒られ中です。
『わ、私は忍術だけ教えて頂ければいいのですが・・・算数とか理科とかそういった物は覚えなくても良いのですが・・・・』
ギロリと睨まれてヒイィと悲鳴を上げる。
「偏った知識になるのは感心せんな。満遍なく勉強しろ」
『人には得意不得意というものがありまして、私の場合、前いた世界では私に理数科目を教えてくれた先生は全員私に教えることに匙を投げましたが・・・』
「私はお前を見捨てたりしない。否、逃しはしない」
覚悟しろ、と仙蔵くんは左の口角を上げる。
ぞぞぞっと背中に走る寒気。
『ひ、ひえ~~』
仙蔵くんがずずっとお茶を飲む横で、私はバタンっと教科書の上に突っ伏したのだった。
『ええと、三角形を求める公式が底辺×高さ÷二で、四角形を求める公式が縦の長さ×横の長さ、台形の面積を求める公式が(底辺+上辺 )×高さ÷二』
「よし、そうだ。ようやく覚えたな。ではこの問題をやってみろ。六十数えるまでにだ。一、二・・・」
ヒイィ、スパルタ!
私は持ってきていた書き損じの半紙の裏で必死に問題を解いた。
公式はすんなり覚えられたが暗算が苦手な私。
普段の事務作業は電卓(ソーラーパネル付)でやっているから計算間違いなんて殆ど起こさないんだよね。(それでもうっかりミスで春誕生日会の予算は間違えたけど・・・)
初めは暗算のミスで答え間違えを連発したが、仙蔵くんに間違える度に睨まれて慎重にやるように気をつけたら答えが合うようになってきた。
「五問連続正解したら終いだ。始め!」
必死に、慎重に解いていく。
そして回答し終え、答え合わせ。
「よし、正解。次も・・・正解だ」
ドキドキドキ
答え合わせを待っていると、仙蔵くんは一つ頷き私を見た。
彼の言葉を待っていると・・・
「今日はこれで終いにしよう」
仙蔵くんがふっと息を吐き出しながら言った。
『ありがとうございました!』
嬉しくなりながらぺこりと頭を下げる。
『やれば出来るじゃん、私!』
「教え方が良かったのだ」
『そうだね!仙蔵くんは今までで最高の算数の先生だよ』
何せ小学校時代のテストでは一桁を連発した私だったから。
嬉しくって私は大きく手を広げ、仙蔵くんにハグをする。
ハグ――――――ハグ!?!?!?
し、しまった!!!
『ごめん、馴れ馴れしくって!』
仙蔵先生はさぞご立腹だろう。
恐る恐る離れてみるとやはり、驚いた顔で固まっていらっしゃった。
「馬鹿かお前は」
低い声が食堂に響く。
『す、すみません。嬉しくって、つい。不愉快でございましたですよね?』
謎の日本語が口から飛び出る。
俯き、様子を伺うようにそっと視線を上げた時だった。
ぐっと腕が引っ張られた。
私の体が仙蔵くんの胸の中におさまる。
「馬鹿かお前は」
今度も低い声だった。
低く、何かを抑えているような声。
私は彼の言葉に隠された感情は何だろうと仙蔵くんの腕の中で考える。
でも、答えは分からない。
ただ、怒ってはいないらしい。
ぎゅっと回されている腕に力が入る。
「こんな夜更け、二人きりの時に男に抱きつく?お前は自分のした事が分かっているのか?』
耳をくすぐる息に私の体がピクっと跳ねる。
『せ、仙蔵くん・・・』
「お前は日頃から警戒心がなさすぎる」
『あっ・・・』
カプリと仙蔵くんが私の耳を噛んだ。
思わず自分の口から漏れてしまった甘い声に恥じらう。
『は、離れて』
「出来ん相談だな」
『あ、あまりふざけていたら怒るよ?』
「非力なお前に何ができる?」
『防犯ブザーを鳴らすこととか』
「は?」
『防犯ブザー。私の世界のからくりで、危ない人に襲われた時にからくりの紐を引けば大音量の音が鳴り響くものなの』
「ふっ。そんな物を持っていたって役に立たないさ。私がお前にそれをさせるとでも?」
私はぐっと言葉に詰まった。
『意地悪しないで。怒るよ、ホントに。ホントの、ホントに』
私は顔をぐいっと上げて仙蔵くんを見た。
真っ直ぐに仙蔵くんを見つめる。
仙蔵くん瞳が揺れている。
彼は、小さく息を吐き出して、体の力を抜いた。
解放される私の体。
「お前は本当に私の思い通りにならないな。他の女なら私の言う事を喜んで聞いてくれるというのに」
『仙蔵くんは顔も良いし、優秀だからね。惚れちゃう女子は多いと思うよ。でも、忠告。女の子を泣かせたら、いつか自分に咎が降りかかってくるんだからね』
「咎か・・・」
視線を落とした仙蔵くんは静かに言う。
「もう咎を受けているかもしれない」
『え?』
「お前は私をどう思っている?」
真剣な瞳にたじろいで、私は言葉に詰まる。
「お前は私を恋愛の対象とは見ていない。他の忍たまとは違って」
『それは、仙蔵くんがいつも私に意地悪するから・・・』
「ふっ。という事は、恋愛対象として見ている忍たまがいるという事か」
『っ!?』
「素直だな。思った事がハッキリと顔に出ているぞ」
『そもそも、仙蔵くんは私なんかに興味なんてないでしょう?こんな話、終わりにしよう』
私は居心地が悪くて視線を仙蔵くんから外した。
「ユキ」
彼の手が私に伸びてきて頬に触れる。
「今からでも無理か?」
視線を上げれば真っ直ぐな瞳の仙蔵くんと視線がぶつかる。
「お前が私たちの前に現れ、お前の事を見ているうちに、私の中はお前の事だけでいっぱいになってしまった。もう、他の女子に興味はない」
トン
仙蔵くんの額が私の肩につけられる。
「私を見てくれ、ユキ。お前の前での私はいつもの冷静さを失う。優秀な生徒ではいられない。お前に翻弄されっぱなしだ。他の奴の愛などいらない。お前が私を好いてくれるならば・・・」
情熱的な言葉
彼の見せる弱さ
私は自然と仙蔵くんの背に手を回していた。
『考えてみる』
今は、答えを出せないけれど・・・
『好きだって言ってくれて、ありがとう』
仙蔵くんの背中に回していた手を、彼の肩から腕に滑らせて、私は仙蔵くんの両手を握る。
仙蔵くんが顔を上げた。
優しく笑う彼。
『じゃあこれからは、意地悪はなしだからね』
ニッと笑って言う私。
「ふん。それとこれとは別問題だ」
にやっと口角を上げる仙蔵くん。
私たちはお互い顔を見合わせて、くすくすと笑ったのだった。