第四章 雨降って地固まる
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9.訪問者
チュンチュン
朝の日差しが格子窓から家の中を照らし、小鳥の鳴き声が耳を楽しませる。
そんな中、朝食を食べ終えた私ときりちゃんは、早速昨日のやりかけの内職を始めていた。
しかし、チクチクと匂い袋を縫っていた時だった。
私はハッとして顔を上げた。
『あ!』
「どうしたの?ユキさん」
『きりちゃん、大事なこと忘れていたよ。ご近所さんたちへのご挨拶、まだだった』
「あ!ホントだ」
昨日は夕刻に家に帰り、バタバタと夕食とお風呂に入って内職をしていた為、すっかり忘れていたのだ。
私はよいしょ、と立ち上がり、押入れからご近所さんへの挨拶の品を取り出す。
『今から行こう』
「そうだね」
内職の匂い袋を置き、固まった体を伸ばすようにぐぐっと伸びをしたきりちゃんが立ち上がった時だった。
トントンと、玄関扉が叩かれる。
『はーい。どなたですか?』
挨拶の品を一旦床に置き、草履を履いて
扉を開けると、そこには見知った顔。
『利吉さん!』
「おはようございます、ユキさん!」
玄関先には爽やかな笑顔をたたえた利吉さんの姿があった。
「すみません。朝早くにお邪魔しちゃって」
『いえ。いいんですよ。私もきり丸も、もう朝の支度は済んで内職をしていたところですから』
「もう仕事ですか。精が出ますね」
ニコリ。と微笑む姿に見惚れる。
やっぱり利吉さんって相当なイケメンさんだよね。これはモテるだろうな~。
「ん?ユキさん。私の顔に何かついてます?」
『いいえ!すみません。ちょっとこの顔モテるだろうなって考えていまして・・・(しまった!)』
「えっ!?」
『利吉さん、朝ごはん食べました?』
口を滑らせて利吉さんが驚いてしまったのを見て、誤魔化すように慌てて尋ねる。
「はい。朝餉は食べてきました(今のは何だったんだ!?(ドキドキ)」
『そうでしたか』
朝食の残りの鍋から視線を利吉さんに戻すと、彼の顔は眉が下がっていた。首を傾げてみせると、
「それより、私はタイミングが悪かったようですね。出かけるところだったんでしょう?」
利吉さんは私の背後に視線を向けている。
振り返るときりちゃんがご近所さんに配る手ぬぐいセットを持って立っていた。
『実は昨日引越しだったんですが、昨日のうちにご近所さんにご挨拶に行けなくて。今から行こうとしていたところだったんです』
「そうでしたか」
『利吉さん。もしお急ぎでないようでしたら家で待っていて頂けませんか?直ぐに戻りますから』
そう言うと、利吉さんは何故か「ん~」と顎に手を当てて何かを考え始めた。そしてニコリ。
「私も一緒にご挨拶に同行します」
そう言った。
『「えぇっ!?」』
何で!?と驚きの声を上げる私ときりちゃんに微笑む利吉さん。
「ユキさんのご近所さんに悪い人がいるとは思いたくはありませんが、女子供しかいない家だと思われるより、男もいる家だと思われる方が今後の安全を考えて良いとは思いませんか?」
『た、確かに・・・』
利吉さんの言うことは分かる。
防犯上、その方が安心な気がする。
『でも、私なんかと夫婦役というか・・・そんな役を演じてもらうのは申し訳ないのですが・・・』
「そんなことないですよ!」
パッと私の手が笑顔と共に握られる。
「むしろ、束の間でも夫婦役を演じられるのは嬉しいし、ご近所さんにユキさんの伴侶は私だと思ってもらえるのは嬉しいことです」
ボンッ
私の顔が一気に紅潮する。
『り、利吉さん!?何を言って・・・!』
あわあわする私を見てクスクスと楽しそうに笑う利吉さん。
「さあ、きり丸、おいで。挨拶に行こう」
クルリと背を向けて利吉さんが歩き出す。
『わわっ。待ってください。きりちゃん、行こう!』
「う、うん!」
唖然としていた私ときりちゃんは、私たちに背を向けて歩き出す利吉さんにハッと我に返って慌てて彼の背中を追いかけたのだった。
「あら!どなたか引っ越してきたと思ったら可愛い坊やとお若いご夫婦だったのね!」
「新婚さんかしら?いいわね~。蜜月を楽しんで!」
行く先々でおばちゃんからかけられる言葉に私は赤面しっぱなし。
チラリと利吉さんを見る。
利吉さんの言葉は本気なのか、それとも私を揶揄って遊んでいるだけなのか。
おばちゃんたちの言葉を上手く受け流す彼の姿から彼の心は分からない。
嘘がバレないかというヒヤヒヤ感と、利吉さんと夫婦の芝居をするこのシチュエーションにドキドキしながら私たちはご近所さんへの
挨拶をしていく。
『や、やっと終わったー』
私は家に入り土間から一段上がった居間に腰を下ろした。
「お疲れ様」
『いいえ!利吉さん、ありがとうございました』
私ときりちゃんの年齢は傍から見るとさほど離れていないように見える。私が若返ったから当然である。
ご近所さんたちは私たちの関係を不思議がって行く先々で質問を投げかけてきた。
「この子はええと・・息子さんではないわよね・・・?」
『はい。私の弟なんです。私たちの両親は既に亡くなりましたからこうして一緒に住んでいるんです』
きりちゃんは私の養子。そう説明するよりも、私の弟だと説明する方が後々めんどくさくないですよ、と言う利吉さんの提案を受け入れて、ご近所さんたちにはきりちゃんは私の弟だと紹介した。
ちょっと胸がキリっと痛んだが、この嘘でご近所さんたちは納得してくれてそれ以上の追求はしてこなかった。
「それにしても、おばちゃんたちはどの人もパワーがありましたね」
利吉さんは挨拶回りのことを思い出して苦笑する。
『そうですね。何だかどっと疲れました。お茶でも飲みませんか?』
「いいですね。ありがとうございます」
居間に座っていた腰を上げて釜戸へ向かおうとした私は首を傾げる。
どことなく、きりちゃんの顔が歪んでいるように見えたからだ。
『ん?きりちゃんどうしたの?』
「何がっすか?」
『口が尖っているよ』
不機嫌そうな顔だ。
『きりちゃんも疲れちゃった?』
「俺は、別に。そんなに疲れてない、けど」
『けど?』
「けど・・・何でもないよ!」
ぷいっと私から顔を背けたきりちゃんはポンポンと蹴るように草履を脱ぎ捨てて居間へと上がり、ドカリと座って内職の続きを始めた。
どうしたのかしら?
ハッ!もしや急な反抗期がきたとか!?
どうしましょう!親子になって早速の試練だわ!
きりちゃんが盗んだバイクならぬ盗んだ馬で走り出す―――――
とかしたらどうしよう、と考えていると利吉さんに声をかけられた。
「ユキさん、少しお話があるのですがいいですか?」
『あ、もちろんです。どうぞ上がって下さい』
利吉さんに居間に上がってもらい、丸ゴザを勧め、お茶を淹れて持っていく。
『あら。最後のひと袋が終わったみたいね』
お茶を配る私の目にきりちゃんが内職の匂い袋の最後の一つを作り終えたところが目に入る。
「うん。納期に間に合って良かった」
ニコリときりちゃんが微笑む。その顔を見て安心する。
良かった。まだ反抗期ではないようだ。
きりちゃんの様子にホッとしながら利吉さんに向き直る。
『それで、今日の御用は?』
利吉さんは一口お茶をすすってから、
「これはきり丸にも関係する話なんだが・・・」
と口を開く。
「僕にも関係する話?」
「そう。ユキさんときり丸にお願いがあるんだ。実は、詳しくは言えないが今、ある任務についていてこの周辺を調べている。それで、里人の術をユキさんの家で使わせて頂けないかと思って」
『「里人の術?」』
「こーら!きり丸は土井先生に教わっているはずだぞ?」
私と一緒に不思議そうな声を出したきりちゃんに利吉さんが苦笑した。
里人の術が何かを分かっていない私たちに、利吉さんが説明してくれる。
「里の者になりきり、市井に紛れ、情報収集をする術のことを言います」
と、利吉さん。
『それで・・・我が家に滞在したい、と?』
「はい!その通りです」
私がそう言うと爽やかな笑顔で利吉さんが笑った。
『・・・。』
ど、どうしよう・・・利吉さんと一緒に生活することになるのか。という事は、この狭い部屋で一緒に布団を並べて寝るってことになるんだよね?
私の心臓持つかなぁ?
でも、利吉さんの任務に微力ながらでも協力させてもらえたら私も嬉しいし・・・。
私はきりちゃんの方に顔を向ける。
『利吉さん、困っているみたいだし、きりちゃんも忍者のお仕事を近くで見られる機会だと思うし、利吉さんのお願い受けたらいいかなって思うんだけど、どうかな?』
そう言うと、きりちゃんはご近所さんからの挨拶から戻ってきた時と同じように顔を歪めた。
嫌、なのかな・・・?
「きり丸、迷惑かい?」
利吉さんが眉を下げてきりちゃんに聞く。
寸の間考える仕草を見せたきりちゃん。
そしてきりちゃんは、迷いながら口を開く。
「別に、迷惑ってわけじゃあないよ」
『本当に?』
「うん・・・大丈夫・・・うん。僕、利吉さんの任務に協力する」
少し渋々と言った感じだが、きりちゃんは頷いた。
「ありがとう、きり丸!それにユキさん」
利吉さんはきりちゃんの言葉を聞いて表情を崩す。
「あ、でも、ちゃんと滞在料は払って頂きますからね!タダ飯、タダ寝はダメですよ!」
「分かっているよ。ちゃんと滞在費と協力してくれたお礼も払わせてもらう」
キラン
協力してくれた御礼、という言葉に反応してきりちゃんの目が小銭型に変わった。
もう、現金だなぁ。
私はきりちゃんの様子に苦笑しながらお茶をすすったのだった。
『利吉さん。そうと決まれば茶碗やお布団も用意して頂かなくてはなりません』
家には余分なものがなくてと眉を下げる。
「もちろんです。では、今から買ってきますね」
「僕たちも一緒に外に出よう。作った匂い袋を納品しにいかなくちゃ」
『そうだね』
私たち三人は腰を上げて町に出ることに。
利吉さんが買い物している間に、私たちは納品する店に行くことになって私たちは別行動になった。
私ときりちゃんは二人並んで歩き出す。
きりちゃん・・・
私は歩きながらきりちゃんの顔をチラと見た。
その顔はもうすぐお駄賃をもらえることもあってご機嫌顔だが、私はさっきのことが気にかかっていた。
気にかかっていた事は二つある。
私は、まず一つ目の心配を聞くために口を開く。
『ねえ、きりちゃん』
「なあに?」
『ごめんね』
「なにが?」
キョトンとした顔できりちゃん。
私は彼の目線に合わせるように少し膝を折って彼の瞳を覗き込む。
『ご近所さんへの挨拶の時、私ときりちゃんは本当は親子なのに姉弟だと紹介してしまったでしょう?その事で傷つけてしまったかなって』
そう言うと、きりちゃんはビックリしたように目を開いた。
そしてブンブンと首を横に振る。
「大丈夫だよ!そんなこと気にしてなかったよ!」
『でも・・・挨拶回りが終わった後のきりちゃん、少し様子が変だったじゃない』
本当の気持ちを隠さないで欲しい。
もう終わってしまったことだから仕方ないが、私はきりちゃんに申し訳なくて彼に頭を下げる。
『嫌な思いさせてごめんね』
「や、やめてよ、ユキさん!僕、本当になんとも思っていないってば!」
『ほんとにホント?』
「うん。本当だよ。ご近所さんにアレコレ説明するの大変だろうなって僕も思っていたし。その事は全然気にしていなかった」
『その事は・・という事はやっぱり何か気に触ることがあったのね。どうして不機嫌になったのか教えてくれる?』
「うっ・・・それは・・・」
『それは?』
「それは、それは・・・それは、秘密!」
ブンブンと顔を横に振るきりちゃんは絶対に教える気がなさそうだった。
彼の前で困っていると、
「確かに不機嫌になったけど、でも、これはユキさんのせいじゃないよ」
『と言うと、やっぱり利吉さんを家に受け入れるのが嫌だった?』
「ズバッと言うね、ユキさん」
『だって大事な事だもの。ちゃんと確認しなくちゃ』
今からだって遅くない。利吉さんが買ってきたお布団と食器類は家が買い取って、今回の任務にはやはり協力できないと言ってもいいんだよ、ときりちゃんに言う。
『自分の心に正直にしていいんだよ?』
大人になればなるほど場数を踏んで、色々なシチュエーションに対応して、考えて話すことが出来るようになる。
だが、まだ小さな子供だと、それが難しくて嫌なことを嫌と言えずにその場の空気に流されて諾と言ってしまうことがある。
そう考えきりちゃんに自分に正直になるように伝える。
だが、きりちゃんはまた首を横に振った。
「利吉さん困っているもの。家にいてくれていいと思うよ。利吉さんは山田先生の息子さんだから身元もしっかりしているし、それに僕も忍者のお仕事を間近で見られる良い機会だもの」
そう言ってニコリと微笑んだ。
『本当に、それでいいんだね?無理していない?』
彼の目を真っ直ぐに覗き込む。
「うん!大丈夫!」
きりちゃんは強く頷いた。
私はようやく表情を崩す。
『分かった。それじゃあ、利吉さんがお仕事をこなせるように二人で出来ることは協力しようね』
「そうだね」
『じゃあ、そろそろ納品先の店に行こうか。利吉さんを待たせちゃう』
私ときりちゃんは、手を繋いでお店へと歩き出したのだった。
匂い袋の納品も終わり、私たちは利吉さんとの待ち合わせの場所に急いだ。
『良かった。私たちの方が早く着いたみたい』
布団を抱えた利吉さんを待たせては申し訳ないと思っていたのでホッと息を吐き出す。
暫く待っていると利吉さんの姿が町を歩く人の中から現れた。
『利吉さーん』
「お待たせしました」
『全部買い終わりました?』
「はい。お待たせして申し訳ありません」
『そんなに待っていませんよ。さあ、家に行きましょう。もうすぐお昼です。帰ったらお昼ご飯にしましょう』
家に帰った私は直ぐにお昼ご飯の準備に取り掛かる。
節約節約なので毎回ごはんを炊いたりはしない。炭の節約だ。
今日の朝炊いたごはんはお昼の分まで炊いてあった。
『ううん。どうしよっかな』
釜の中にあるご飯は私ときりちゃん二人分しかない。
どうしようかと考える私の目に映った鍋。
その中には朝の残りの味噌汁が入っている。
そうだ!雑炊にして量を増やそう。
私はニコリと一人笑ってごはんを味噌汁が入った鍋の中に入れて釜戸に火をつける。
雑炊を作っている間に白菜の漬物を切っていると、後ろから会話が聞こえてきた。
「また新しい内職をもらったのかい?」
「そうっす。今度は造花作りのお仕事なんです」
「よし。じゃあ私も手伝おう」
「え!?いいんすか?あっ!もしかして、手伝う代わりに滞在費を安くしてって言うんじゃ・・・」
「ハハハ。そんな事は言わないよ。タダで手伝う。滞在させてもらうお礼だよ」
「アハアハ!タダ!タダ!」
「うわっきり丸?!」
利吉さんの叫び声に振り向くと小銭型の目をしたきりちゃんが利吉さんに抱きついているところだった。
後ろ手に手を付きながらきりちゃんを受け止めている利吉さんは笑いながら優しい瞳をきりちゃんに向けている。
トクリ
その優しい色の瞳に私の胸が鳴る。
子供好きな人なんだな。
私は頬を緩ませながら切った白菜の漬物を皿へと移した。
***
ユキさんと新居で過ごした初めての晩が明けた。
僕たちは朝ごはんを食べてさっそく昨日の続きの匂い袋制作に取り掛かる。
チクチクチク
匂い袋を縫っていた僕はふと顔を横に向けた。
嬉しいな。
今日からあと四日、まるまるユキさんを独占できるんだ。
僕は嬉しさから顔が緩んでしまう。
『ん?きりちゃんどうしたの?』
じっとユキさんを見つめてしまっていたらしい。
僕の方を見て首を傾げて見せるユキさんに僕は首を振る。
「ううん。なんでもないよ」
さあ!集中して内職終わらせないと!
軽く頭を振って、僕は集中して内職を再開する。
そして、暫くした時だった。
『あ!』
「どうしたの?ユキさん」
突然ユキさんが声を上げた。
その顔は困った顔。
『きりちゃん、大事なこと忘れていたよ。ご近所さんたちへのご挨拶、まだだった』
「あ!ホントだ」
僕もユキさんと同じように声を上げる。
『今から行こう』
「そうだね」
ユキさんは立ち上がって押入れからご近所さんに配る手ぬぐいセットを出し、僕は凝り固まった体をぐぐっと伸ばす。
その時だった。トントンと、玄関扉が叩かれる。
『はーい。どなたですか?』
そう尋ねながらユキさんが扉を開けると、そこには知った顔。
『利吉さん!』
「おはようございます、ユキさん!」
玄関先には利吉さんが立っていた。
こんな朝早くにどうしたのだろう?
「すみません。朝早くにお邪魔しちゃって」
『いえ。いいんですよ。私もきり丸も、もう朝の支度は済んで内職をしていたところですから』
「もう仕事ですか。精が出ますね」
ユキさんが床に置いていった挨拶の品を取って立ち上がっていた僕は首を傾げる。
じーっと利吉さんの顔を見ているユキさん。
「ん?ユキさん。私の顔に何かついてます?」
利吉さんが不思議そうに首を傾げた。
『いいえ!すみません。ちょっとこの顔モテるだろうなって考えていまして・・・(しまった!)』
「えっ!?」
ええっ?!?!
声は出さなかったが僕も利吉さんと一緒に驚いた。そして呆れる。
ユキさんったら自分の心に正直なんだから、もう。
心と口が直結しているユキさん。
そんなところが好きなんだけどね。
だけど面白くないなー。
僕はユキさんと利吉さんが話しているのを聞きながら思う。
ユキさんには土井先生とくっついてほしいのに。
ユキさんは利吉さんの事、格好良いって思うんだ。
そりゃあ、男の僕から見ても利吉さんは爽やかで格好良いけどさ。
「それより、私はタイミングが悪かったようですね。出かけるところだったんでしょう?」
利吉さんの視線が僕に向けられる。
僕は挨拶の品の手ぬぐいセットを持って立っていた。
『実は昨日引越しだったんですが、昨日のうちにご近所さんにご挨拶に行けなくて。今から行こうとしていたところだったんです』
と、ユキさんが説明する。
「そうでしたか」
『利吉さん。もしお急ぎでないようでしたら家で待っていて頂けませんか?直ぐに戻りますから』
そうユキさんが言うと、利吉さんは何故か「ん~」と顎に手を当てて何かを考え始めた。そしてニコリ。
「私も一緒にご挨拶に同行します」
そう言った。
『「えぇっ!?」』
何で!?とユキさんと僕は同時に叫ぶ。
叫ぶ僕たちに利吉さんは爽やかな笑顔で、
「ユキさんのご近所さんに悪い人がいるとは思いたくはありませんが、女子供しかいない家だと思われるより、男もいる家だと思われる方が今後の安全を考えて良いとは思いませんか?」
と言った。
『た、確かに・・・』
呟くユキさん。
僕の眉は利吉さんの提案とユキさんの呟きで自然と寄っていった。
だってそれって、ユキさん、僕、利吉さんが家族だって周りの人に認識されるってことだよね?
心をモヤモヤさせていると、
『でも、私なんかと夫婦役というか・・・そんな役を演じてもらうのは申し訳ないのですが・・・』
と言い淀むユキさんの手を「そんなことないですよ!」と利吉さんがパッと握った。
あぁ!もう!
僕は心の中で叫ぶ。
顔を赤くしているユキさん。
土井先生以外の人にときめいているユキさんなんて見たくないよ!
だけど・・・
「・・・。」
決めるのは、ユキさんなんだよね。
将来はユキさんも誰かと結婚するんだよね。
その人は土井先生であってほしいと僕は願うけど、それはユキさんが決めることだ。
だけど、だけど、うううぅ
僕は気持ちをモヤモヤさせながら、ユキさんと利吉さんと一緒に挨拶回りへと出かけたのだった。
挨拶回りを終えた僕たち。
僕は挨拶回りの間中、ユキさんが利吉さんと夫婦を演じているのを見て心をモヤモヤさせていた。
どうして土井先生ったらここにいないのさ!
無茶なことを心の中で思っているとユキさんと目があった。
『ん?きりちゃんどうしたの?』
「何がっすか?」
僕の口から不機嫌そうな声が出て自分で驚く。
『口が尖っているよ』
ユキさんに指摘されて感情が表に出てしまっていることに気がついた。
『きりちゃんも疲れちゃった?』
「俺は、別に。そんなに疲れてない、けど」
『けど?』
けど・・・言えるわけないじゃないか!
僕は何でもないよ!と言い放ってユキさんからぷいっと顔を背け、草履を乱暴に脱ぎ捨ててやりかけの内職の前に座った。
ユキさんはどう思っているのだろう?
前は土井先生と良い感じになった事があったのになぁ。
ユキさんが利吉さんに草履を脱いで居間に入るように促して、ユキさんは僕たちのためにお茶を淹れてくれた。
『あら。最後のひと袋が終わったみたいね』
僕が内職の匂い袋の最後の一つを作り終えたところでちょうどユキさんが僕の前にお茶を置いてくれた。
「うん。納期に間に合って良かった」
ニコリと顔を見合わせて微笑み合う。
僕は、この笑顔が大好きだ。
『それで、今日の御用は?』
温かい気持ちに浸っているとユキさんが利吉さんに聞いた。
「これはきり丸にも関係する話なんだが・・・」
と口を開く。
「僕にも関係する話?」
なんだろう?と首を傾げる。
「そう。ユキさんときり丸にお願いがあるんだ。実は、詳しくは言えないが今、ある任務についていてこの周辺を調べている。それで、里人の術をユキさんの家で使わせて頂けないかと思って」
『「里人の術?」』
知らない言葉に目を瞬くと、利吉さんは呆れ顔。
「こーら!きり丸は土井先生に教わっているはずだぞ?」
しまった!と思っても里人の術が何なのか思い出せない。土井先生ごめんね。
胃をさする土井先生の姿が思い出されて僕が苦笑いを浮かべていると利吉さんが里人の術について説明してくれる。
『それで・・・我が家に滞在したい、と?』
「はい!その通りです」
爽やかな笑顔で利吉さんが笑う前で絶句する僕とユキさん。
ど、どうしよう!
ユキさんはなんと答えるだろうか?
だって、受け入れたら、この狭い部屋で一緒に布団を並べて寝るってことになるんだよね?
そんなこと四日も続けていたらユキさん、利吉さんのこと好きになっちゃうかもしれない!
土井先生、ピンチだよ。どうしよう。
ユキさん、断ってくれないかな・・・とも思うが、ユキさんはそんな事言わないと分かっていた。ユキさんは優しいからだ。
僕の顔を見て、
『利吉さん、困っているみたいだし、きりちゃんも忍者のお仕事を近くで見られる機会だと思うし、利吉さんのお願い受けたらいいかなって思うんだけど、どうかな?』
と、言った。
本当は土井先生のために嫌だ!って言いたいけど、困っているみたいだし、とか、忍者のお仕事を近くで見られるし、とか言われたら反論出来ない。
僕は断りたいのにそうできなくて、口をつぐんで俯いてしまう。
そんな僕の顔を覗き込む利吉さん。
「きり丸、迷惑かい?」
「別に、迷惑ってわけじゃあないよ」
そんな聞き方ズルイよ。断れないじゃないか。僕は心にもないことを渋々呟く。
「うん・・・分かった・・・うん。利吉さんの任務に協力する」
あぁ!言っちゃった!
自分自身に落胆する。
利吉さんは僕の言葉を聞いて表情を崩した。
「ありがとう、きり丸!それにユキさん」
笑顔の利吉さん。
僕はハッとして直ぐに利吉さんに釘を刺す。
これだけは言っておかなくちゃね。
「あ、でも、ちゃんと滞在料は払って頂きますからね!タダ飯、タダ寝はダメですよ!」
「分かっているよ。ちゃんと滞在費と協力してくれたお礼も払わせてもらう」
キラン
どうして僕はこう現金なんだろう。
御礼という言葉に反応してぴょーんと飛び上がりたい気分になって利吉さんを見てしまう。
『利吉さん。そうと決まれば茶碗やお布団も用意して頂かなくてはなりません』
「もちろんです。では、今から買ってきますね」
「僕たちも一緒に外に出よう。作った匂い袋を納品しにいかなくちゃ」
『そうだね』
僕たち三人は腰を上げて、町へとくりだしたのだった。
『ねえ、きりちゃん』
「なあに?」
『ごめんね』
「なにが?」
利吉さんと別れて納品先の店へ歩いていると、急にユキさんが立ち止まってこう言った。
ユキさんは目線に合わせるように少し膝を折って僕の瞳を覗き込む。
『ご近所さんへの挨拶の時、私ときりちゃんは本当は親子なのに姉弟だと紹介してしまったでしょう?その事で傷つけてしまったかなって』
僕は思ってもないことを言われて目を開いた。
そしてブンブンと顔を横に振る。
「大丈夫だよ!そんなこと気にしてなかったよ!」
ちょっと気にしていたけど、僕は嘘をついた。
何故ならユキさんと僕は学園長先生にも認めてもらったれっきとした親子。
ユキさんが大切にしていたギメルリングを僕にくれたことからも、僕はユキさんとの絆を深く感じていた。
だから、さっきの事はもう気になってはいなかった。
だけど、ユキさんは僕の気持ちを汲み取って気にしてくれていたみたいだった。
『でも・・・挨拶回りが終わった後のきりちゃん、少し様子が変だったじゃない。嫌な思いさせてごめんね』
ユキさんが僕に頭を下げた。
僕はびっくりして両手をユキさんの前で振る。
「や、やめてよ、ユキさん!僕、本当になんとも思っていないってば!」
『ほんとにホント?』
疑うような目でじっと僕を見つめるユキさんの目をしっかりと見返して頷く。
「うん。本当だよ。ご近所さんにアレコレ説明するの大変だろうなって僕も思っていたし。その事は全然気にしていなかった」
別に、他の人にどう思われても構わない。
むしろ、ご近所の人に養子うんぬんの面倒くさい話をするよりも姉弟と説明したほうが良いと僕自身も思っていた。
でも、ユキさんは僕のこと気にしてくれていたんだな。
心がほっこりと温かくなる。
そう思って気を緩めていた僕だったが、
『その事は・・という事はやっぱり何か気に触ることがあったのね』
しまった!口を塞ぐけれど後の祭り。
『どうして不機嫌になったのか教えてくれる?』とユキさんに聞かれてしまう。
「うっ・・・それは・・・」
言えないよ・・・!
『それは?』
「それは、それは・・・それは、秘密!確かに不機嫌になったけど、でも、これはユキさんのせいじゃないよ」
だって、土井先生とユキさんにくっついてほしいからユキさんには利吉さんと仲良くしないで欲しいなんて言えないよ。
ユキさんを四日間独占したかったからだなんて恥ずかしくて言えないよ!
ヤキモキする僕の心。
だけど、心の内は話せない。
僕は顔をブンブンと横に振って、ユキさんの質問から逃れようとしたのだが、ユキさんは話を終わりにしてくれなかった。
『と言うと、やっぱり利吉さんを家に受け入れるのが嫌だった?』
「ズバッと言うね、ユキさん」
『だって大事な事だもの。ちゃんと確認しなくちゃ』
ストレートに物を言うユキさんに僕は苦笑い。
今からだって遅くない。利吉さんが買ってきたお布団と食器類は家が買い取って、今回の任務にはやはり協力できないと言ってもいいんだよ、とユキさんは言ってくれる。
『自分の心に正直にしていいんだよ?』
優しい眼差し。
僕を気遣ってくれるのが嬉しい。
「・・・。」
利吉さんは山田先生の息子さん。悪い人じゃない。
それにフリーの忍者でバリバリ仕事をして活躍している。
ユキさんの相手になるには申し分のない人だ。
ユキさんが僕の幸せを考えてくれているように、僕もユキさんの幸せを応援してあげなくっちゃ。
それに、ユキさんとの生活は始まったばかり。まだ夏休みだってその次のお休みだってある。これからずーと僕たちの生活は続くんだから。
ちょっと残念だけど、今回は独占出来なくてもいいや。
「利吉さん困っているもの。家にいてくれていいと思うよ。利吉さんは山田先生の息子さんだから身元もしっかりしているし、それに僕も忍者のお仕事を間近で見られる良い機会だもの」
そう言ってニコリと微笑んだ。
『本当に、それでいいんだね?無理していない?』
僕の目を真っ直ぐにユキさんが覗き込む。
「うん!大丈夫!」
僕は強く頷いた。
ユキさんはようやく表情を崩す。
『分かった。それじゃあ、利吉さんがお仕事をこなせるように二人で出来ることは協力しようね』
「そうだね」
『じゃあ、そろそろ納品先の店に行こうか。利吉さんを待たせちゃう』
自然と差し出された手に僕は自分の手を重ねる。僕は歩きながらユキさんを見上げた。
ユキさん、どんな形であれ、幸せになろうね。
だけどやっぱり、ユキさんの相手は土井先生がいいけれど。
そう心の中で呟いて、僕はユキさんと共に匂い袋の納品先へと歩き出したのだった。
利吉さんと合流して家へ帰り、お昼ご飯を食べ終わった僕たちは食後のお茶を飲みながらまったりとした時間を過ごしていた。
「ねえ。ユキさん、きり丸」
トンと湯飲み茶碗を置いて利吉さんが僕たちに笑いかける。
「みんなで川に行って魚釣りでもしないかい?」
『魚釣り?』
「うん。せっかくの梅雨の晴れ間。外に出ないと勿体無いような気がしないかい?」
『忍者のお仕事はいいんですか?』
「それは大丈夫。心配しなくていいよ。それより、行く?行かない?きり丸、今日の夕飯も釣れるから一食分浮くし“お得”だと思うんだけどな」
「アハアハお得!行く!魚釣り行きたいっ」
昨日今日と内職を頑張ったから息抜きもしたかった僕は利吉さんの提案が嬉しかった。それに“一食分浮いてお得”って言葉も魅力的だしね!
「それじゃあ皆で魚釣りに出かけよう」
「おー!」
『ふふ。楽しみだね』
川の近くには貸し釣竿屋と魚釣りのエサ屋があって、利吉さんは僕たちに自分が誘ったからとお金を出して道具を渡してくれた。
ユキさん、僕、利吉さんの順で川辺に座り、糸を川の中に落とす。
梅雨の季節だが、昨夜は雨が降らなかったせいか川の水は濁っていなかった。
透き通った水の中に時たま魚の姿が見える。
『懐かしいなぁ』
ふとユキさんが呟く。
「なにが懐かしいの?」
『小さい頃、よく弟と一緒に魚釣りをしたり、川遊びをしたりしたんだ。このくらい大きな魚がーーーっわわ!?』
ユキさんが釣竿を足に挟んで両手で魚の大きさを表現している時だった。
ユキさんの釣竿がぐんっと引っ張られた。
竿が川に投げ出されそうになり、ユキさんが慌てて竿を掴みながら立ち上がる。その途端にユキさんの体がぐらりと揺れた。
「「危ない!」」
僕はユキさんの足にしがみつく。
そんな僕の背中に添えられた手。
僕は上を見上げた。
利吉さんは僕たちふたりを抱き込むように、ユキさんの左手を自分の左手で引っ張り、僕の背中に手を回し、僕が川に落ちないように体を自分の方に引き寄せてくれていた。
やっぱ、利吉さんって格好良い。
前々から知っていたけど、利吉さんって格好良いよ。
僕は守られていることを強く感じながら川へと視線を移す。
釣り針に引っかかり、川の水面でかかった魚が飛び跳ねている。
「さあ、思いっきり引っ張って!」
『はい!きりちゃんも手伝って』
「うん!」
ユキさんの釣竿に手を添えて、一緒に引き上げる。
キラリと太陽の光に輝きながら魚が空中に引き上げられた。
『やった!釣れた!』
「うわあ!大きいや!」
同時に歓声を上げる僕とユキさんを優しく見守る利吉さん。
土井先生とユキさんの恋路の為に初めは利吉さんを警戒していた僕の心は、この瞬間に利吉さんに絆されていたのだった。
―――そして夜
たくさんの魚を釣り、囲炉裏を囲んで美味しい料理を食べて、楽しくおしゃべりをした僕たち。
『ちょっと井戸まで行ってくるね』
湯呑を流しに下げて水瓶の中を覗いたユキさんがそう言って家を出ていった。
部屋に残された僕と利吉さん。
囲炉裏の火が温かいな。眠たくなってきたなと思っていると「きり丸」と利吉さんに呼びかけられる。
「なんすか?」
眠い目を擦りながら言うと「明日は何処に行きたい?」と聞かれる。
「??利吉さん、明日こそ忍者のお仕事しなくていいんすか?」
それともお仕事は夜にやるんだろうか?でも、それじゃあ里人の術の意味がないしなと考えていると利吉さんは微妙な顔をしている。
あれ?これは、もしかして・・・
僕の頭の中に浮かんだある仮説。
僕はじとーっとした目で利吉さんを見ながら口を開く。
「利吉さん、もしかしてもしかすると、忍者のお仕事なんてないんじゃないですか?」
「ぎくっ」
「あ!ぎくって言った!」
ビシッと利吉さんを指差す。
「何で嘘なんか!」
狼狽える利吉さんにキッとした目を向けていると、
「だ、だって仕方ないだろ。私は先生方や忍たまと違って圧倒的にユキさんと過ごせる時間が少ないんだから。こうでもしないとユキさんと一緒にいられる時間を作れないんだから」
と言った。
居心地悪そうに言う利吉さんの前で僕は怒って頬を膨らませる。
「だからって騙すようなことするなんて!」
「それは悪いって思っているよ。だけどさ、私の気持ちも汲み取ってもらえないかい?」
眉を下げて悲しそうな顔をする利吉さん。
うっ。その表情はずるいっすよ!
僕は言おうとしていた文句を飲み込んでしまう。
「きり丸、頼むよ。ユキさんにはこの事は言わないでくれ。彼女に嘘がバレて、軽蔑されたら私は耐えられない・・・」
パシンと顔の前で両手を合わせながら僕の良心に訴えかけてくる利吉さん。
あああぁもうっ!!
「言いません!今回だけっすからね!」
いつもキリっとした利吉さんが普段見せない悲しそうな情けないような顔をするから僕は情に絆されてそう叫んでしまう。
「よかった!ありがとう、きり丸!」
ニコリ
爽やかな笑顔。
げっ。
これは、哀車の術(だったけ?)にかかったかも・・・
僕はいつもの爽やかな笑みを浮かべる利吉さんの前で、土井先生が利吉さんに勝てる勝算を見積もったのだった。
頑張れ、土井先生!!