第一章 郷に入れば郷に従え
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1.はじまり
3月末のポカポカ陽気のある日、私は無人駅を降りて家へと歩いていた。
家まで歩いて40分。慣れない8センチヒールを履いた足には少々酷だが、今の私は金欠。
春夏用の服が入った左右の紙袋に節約を誓いながら溝にヒールを取られないように気を付けて歩いていく。
『だ、ダメだ、足が壊れ、る』
ヒールで田舎道歩くとかなめていました。すみません。
取り敢えず休もうと辺りをキョロキョロ見渡すと田んぼの奥にある森の入口に朱い鳥居があるのが見えた。
こんなところに神社なんてあったっけ?
あぜ道を歩いていくと鳥居の奥には小さな社。
数段の石階段に腰をおろす。
『あだだだ。絆創膏あったかな』
カバンをごそごそ探っていると社奥の茂みがガサっと揺れた。
反射的に体をビクリとさせながら見るとこの辺では珍しい狐が姿を現した。
『かわいいー。あ、そうだ』
狐を驚かさないようにゆっくり動きながら買い物袋の一つを開ける。
中にはデパ地下で買った油揚げとデザートがわりの豆腐数種類。
もしかしたら、このお稲荷さんに仕えている狐かもしれないと思いながら油揚げを手で半分にちぎって自分の手が届く限り遠くの石畳の上においてやる。
『毒なんて入ってないよ。高級お揚げだよ』
警戒するようにこちらの様子を伺っている狐を安心させるように優しく声をかけて、自分の手元にある揚げを一口かじってみせる。
すると暫く私と揚げを交互に見つめていた狐は茂みから出てきて揚げを口に咥え、また茂みへと戻っていった。
食べている可愛い姿を見たかったのに残念だと思いながらスマホを取り出す。
『あーまた同級生が一人。オメデトウゴザイマス』
時間を確認するついでに開いたSNSに高校の同級生のウエディングドレス姿が投稿されていた。
最近、第二次結婚ラッシュに入ったらしい私の同級生たちの写真が次々に投稿されている。
結婚の予定どころか彼氏もいない私がカタコトで祝いの言葉を呟いたのを許して欲しい。
『神様、私を結婚なんて意識していなかった年齢に若返らせるか今すぐ運命の相手を与えください』
天を仰いで両手を広げる。
のんびりと青い空を渡っていく白い雲。
誰も見ていないとはいえ急に恥ずかしくなり、一人苦笑いしながら左側に置いてあったカバンにスマホを突っ込んだ。
『ぎゃっ!?あんたいたの!?』
そろそろ重たい腰を上げて歩き出そうかと思い右を向くと先ほどの狐が揚げの入ったビニール袋から顔を上げて固まっていた。
さっきの独り言も聞いていたのか。
恥ずかしいな。
『村長から頼まれた分だからあげられないよ』
噛まれないか警戒しつつビニール袋を手元に引き寄せる。
それを目で追っていた狐は私の顔を見上げて
甘えるようにキューンと鳴いた。
『いやいや、鳴いてもダメだって。村長泣いちゃうから』
村長は揚げに納豆を入れてオーブンで焼いて食べるのが好きなのだ。
お酒を飲みながらこれを食べるのが楽しみらしい。
そんなことを考えていると狐は私の前までトコトコ歩いてきておすわりをし、黒くて丸い目をキラキラさせてキューンと鳴いた。
お手をするように右手を上げて手招きするような動作までしている。
『か、かわいいなぁ』
あまりの愛らしさに心の声が漏れる。
キツネの姿が愛犬、柴犬のモンと重なって尚更愛おしく思える。
私の揺れる心がわかったのか、狐はトドメだと言わんばかりにひっくり返ってお腹を見せるという愛犬家瞬殺のポーズをして潤んだ目で見つめてくる。
あぁぁ村長ごめんね。
今夜の酒のつまみは別のもので我慢してください
『えへへ。おいで、ぜーんぶあげるからね』
今、私の顔を見たら頬が緩みにゆるんだ阿呆な顔をしているだろう。
そう自覚しつつ買ってきた揚げを食べやすい大きさにちぎって石畳においてやる。
狐は気持ちを表すように尻尾を楽しそうにゆらゆらさせながら高級揚げを頬張っている。
空の揚げパックにペットボトルの水を注いでやると満足そうな顔をして狐はぴちゃぴちゃとお水を飲んだ。
『美味しかった?』
聞くとパックから顔を上げた狐が大きなゲップ。
どうやら大変ご満足の様子らしい。
『それじゃあ、またね』
狐に別れを告げて、買い物袋を左右の手に持って立ち上がる。
疲れていた足は大分回復していた。
家まで残り15分ほど。自分を心の中で励ましながら木の根に躓かないように気をつけながら歩いていく。
鳥居のところで振り返ったが狐の姿は既になかった。
『かわいい狐だったなぁ』
家のモンちゃんには負けるけど、と心の中で呟きながらあぜ道を歩いていく。
そして家の方向へと歩き出して数分、私はあることに気がついた。
やたらと道が歩きにくい。
『こんなに荒れた道だっけ?』
コブや大きめの石が落ちている道に首を傾げる。
自転車で走ることもあるこの道は荒れているとはいえ大きな石やコブは取り除かれているのだ。
不思議に思って周りを見るが、左側には見慣れた小川と小さい頃に登って遊んだ桜の木。
足が痛いせいで小さな石ころまで気になっているのだろう。
道は間違っていないと再び歩き出した私だが、桜の木の横まできた時、強い違和感を感じて立ち止まった。
『木が小さくなった?』
近づいて幹を叩いて首をかしげる。
「小銭~小銭は落ちていませんかぁ~」
『うん?』
見上げると桜の木の上に奇妙な格好をした少年。
もしかして桜の妖精!?かと思ったが妖精さんは銭などと世俗的なことは口にしないよね。
唖然としながら見上げているとその少年と目があった。
『こんにちは?』
「こんにちは」
きょとんとした顔の少年に見つめられる。
私の村どころか隣町まで顔見知りのこの地域でこの少年を見たことはない。
少年をよく見ると、時代劇で見たことのある服装に草履を履いている。
『そんな所にいたら危ないよ。降りておいで。せめてスニーカーくらい履かないと』
そう言うと少年は首を傾げたあとスタンッとかなりの高さから飛び降りた。
『怪我してない?』
「このくらい大丈夫っすよ」
少年はニコッと笑ってお尻を手で叩いた。
もしかしてこの少年はどこかの劇団の子なのだろうか。
「お姉さんの服、変わってるね。南蛮のもの?」
『ナンバン?チキン南蛮?』
「チキン?」
少年が眉をしかめた。
聞きなれない単語にくだらないことを口走った自分の舌を呪う。
『えーと、ここまで一人で来たの?』
「ううん。もうそろそろ、あ、来た!」
「おーーい、きり丸」
きり丸少年がパッと顔を輝かせる。
振り返ると男性が一人こちらへと駆けてきていた。
「ここでーーす!」
きり丸君が両手をブンブンと振る。
私の顔は男性が近づくにつれて引きつっていった。
彼もまた昔風の服装に、草履を履いた徹底的なコスプレ姿。
『今日は演劇の公演があるのかな?』
「?いいえ」
『そ、そっかぁ』
「??」
そうこうしているうちにコスプレ男性は私たちの前で立ち止まった。
彼は少し驚いた顔をして私の姿を見つめている。
『こんにちは』
「……こんにちは。きり丸、この方は?」
『私はこの先の村に住んでいるものです。ええと、素敵なお衣装ですね。演劇の先生ですか?』
「いえ、違いますが……」
『ええと、では普段からこの格好を?』
「?はい」
趣味でこの格好!?しかもよく見ると彼が背負っている荷物から何やら鎌っぽい鋭利な物が見えている。
私は血の気が引いていくのを感じた。
男性は困惑した表情を浮かべている。困惑しきっているのは私のほうだ。
よくよく考えるとこの先には私の村と花粉を撒き散らす杉山が連なっているだけ。
この人、絶対に不審者だ。
私の頭の中で警報が鳴り響いた。
『きり丸君のお父様ですか?』
「いえ、違います」
じゃあ何?怪しい。
まさかきり丸くんは誘拐された、とか。
鼓動が早くなる。
「僕たちはにん「きり丸!」
男性はきり丸君の言葉を少し重ための声で遮った。
お父さん、お母さん、村のみんな、この平和な村で事件が発生しました……。
『きり丸君のご両親はどこにいるのかな?』
きり丸君に目線を合わせるようにしてしゃがんで尋ねると、彼は肩をすくめて「死んじゃったんだ」と呟いた。
『ごめんなさい……私、知らなかったとはいえ無神経なことを……』
「大丈夫っすよ。今は友達もいっぱいいるし、幸せだからさ」
きり丸くんはそう言ってニシシと笑った。
「それより先に進もうよ。お姉さんもこっちの方向?」
『うん』
私は両手に荷物を持って立ち上がった。
何を言われてここまで連れてこられたかは分からないが、私はこのコスプレショタコン変態男からきり丸君を守らなければならない。
「荷物持ってあげようか?」
どうしたらこの男からきり丸君を助けられるだろうかと考えていると、きり丸君が声をかけてくれた。なんと性格のよい子だろう。
『大丈夫。それにきり丸君には重すぎるよ』
逃げる時に荷物が足に引っかかっては困る。
「では、私が持ちましょうか」
『お願いします』
「えっ!?全部!?」
私は自分のハンドバックを残して全ての買い物袋をコス男に押し付けた。
非常に迷惑そうな顔をしたのは私たちを襲いにくくなるからだろう。
私は心の中でガッツポーズをした。
「きり丸、先に行って団子を3つ注文していてくれないか?」
「『団子?』」
私ときり丸君の声が重なる。
この先に団子屋なんてない。
「奢り?」
「もちろん私の奢りだよ」
「やったーーーー奢り、奢りアハ、アハ」
目を輝かせたきり丸君は軽やかに走っていった。
こうやって純真無垢なこの少年をどこからか連れ去ってきたのだろう。
「たしか、この先の村にお帰りになるところでしたよね?村の名前は?最近、このあたりでは山賊が出るとの噂もありますし送っていきますよ」
『サンゾク?』
私は昔話の中でしか聞いたことのない単語に顔をしかめた。
この誘拐犯の頭の中はお花畑のようだ。
『私の村は爺様の代から空き巣さえ入らない平和な村ですから大丈夫です』
あなたが村の平和を乱した第一号よ、と心の中で呟く。
私は隣を歩く変態さんを刺激しないように落ち着いた動作でスマホを取り出した。
変態さんからの視線を感じる。
「何をしていらっしゃるのです?」
反射的に私の肩がビクリと跳ねた。
『今、何時かなーと思って。あはは』
「……そうですか」
間が怖いです
私は警察を呼ぶのを諦め(隣町から来るから時間かかるし)村に住む御歳85歳の村長に
メッセージを打つことに決めた。
常にスマホをいじっている村長にメッセージを送れば即座に不審者情報は村中に拡散されるだろう。
平和な村だが猪狩り用の銃は各家庭にある。いくら平均年齢75歳の村でもこの男一人くらい撃退できるはずだ。
震える手で送信ボタンを押し、胸にスマホを押し付け村長が昼寝中でないことを祈る。
村に入るまでに私もこの男から距離をとっておかなければならない。
爺様たちの震える手が誤って私を撃つ可能性はけっこう高いのだ。
私は隣の変態さんをチラリと見て、大きく深呼吸を繰り返した。
『う、痛っ。うぅぅ』
私は覚悟を決めて作戦を決行。
辛そうに足をさする。
「足を痛めたのですか?」
緊張で脂汗をかき、実際に足に豆ができて痛い私の動きは演技だとは思われなかったのだろう。
変態さんは私の足の具合を見るようにしゃがみこんだ。
チャンスは一度きり
勇気を出すのよ、雪野ユキ!
『どうらぁぁぁ!』
「え?ぐ、うぐぅぅぅぅぅ」
渾身の蹴りが見事に変態さんの急所にヒットした。
私は悲痛な叫び声に若干の哀れみを感じつつも、全力でその場を後にする。
足の痛みに顔を歪ませながら村長に電話をかける。
『ハァ、ハァハァ、で、電話……出て、そんちょ「ただいま電話に出ることが出来」クッソーーー』
この大事な時にっ。
怒りに任せてスマホを地面に叩きつけようとしたが寸前のところで思いとどまる。
これを買ったときに私の万札は何枚も飛んでいったのだ。
理性が感情に勝利した。
後ろを振り返るが、まだ変態さんは追いかけてきてはいない。(強く蹴り上げてよかった)
私は全速力で田舎道を疾走する。
目の前にある竹林に入って数メートルで石碑を左折、そうすればすぐに橋がある。
橋を渡ってお地蔵様をさらに左に曲がれば村の入口、村長さんの家。
頑張れ私。
竹林に入ってすぐ、石碑を左に曲がろうとするきり丸君の後ろ姿を発見した。
『き、きり丸、くん!!!』
「ん?」
『手、かしてハァハァ、は、走るよ!!』
「おわぁっ!?」
私は戸惑うきり丸くんの手を取り走る。
「きり丸!!」
『ひっ、追いついてきた。(早いっ)』
「土井せん『振り返らないで、走って!早く!!』
私はスピードを緩めるきり丸くんの手を引いて石碑を左に曲がった。
心臓が喉から飛び出そうになりながら竹林を抜け出る。
橋を渡って、それから―――――――
『ぅあぁっ!!!』
突如背中に感じる強い衝撃。
私は土の上をバウンドしながら数メートル先まで前方に吹き飛ばされる。
起き上がろうとしたが強い力で上から押さえつけられた。
「お前、どこの忍だ?」
『っ、さい』
口の中にじんわりと広がる血の味。
『うっさいって言ったんじゃ!この脳内お花畑のコスプレショタコン変態男ガアアアァァァァ』
「ん!?」
変態ショタ男の目が大きく見開かれる。
私は最後の気力を振り絞り、足を大きく広げて8センチヒールを男の脇腹に突き刺した。
「っだあっ」
『き、きり丸君、走って逃げて!!!』
私は身をよじって変態ショタ男の下から上半身だけ這い出してきり丸君に叫んだ。
「き、君はいったい、いだだだだ」
『あんな小さい子を、よくも!変態!ショタコン!コス男!メルヘン脳の変質者っ!!!』
無我夢中で変態ショタ男の髪を両手で引っ張り足をばたつかせる。
『私のことはいいから、村まで走りなさい!きり丸くん!!』
きり丸君さえ無事に逃げてくれさえすれば、未来ある少年さえ守れたら―――――
「ぷっ、くぅ、あ、アハハハハヒーッく、苦しい。も、もう我慢できませんよぷっははは」
突如響き渡った場違いの笑い声。
揉み合っていた私と変態ショタ男は動きを止めて、息を荒くしながら視線を橋の方に向けた。
私は目の前の光景に大きく目を見開いた。
『な、なにこれ』
掠れた声が口から漏れる。
私の目に飛び込んできたのはあるはずのない団子屋と時代劇風の格好をして地面を叩きながら笑う一人の青年の姿だった。
神様、これはなんの冗談でしょうか?
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