第3章 小さな動物たち
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28.碧燕の運命
ちょうど日の沈む時刻。
黒い岩石でできた海岸にいたレギュラスはクリーチャーと共に背の高い岩石に立ち、水平線に太陽が沈んでいくのを眺めていた。
後ろには切り立った崖。自分たちが立つ数個先の岩には荒々しい波が打ち付けており、激しい波飛沫を飛ばしていた。
厳しさを和らげる草木もない荒涼たる風景の中にいるレギュラスだったが、覚悟を決めてきたせいか心は思いのほか落ち着いていた。
「行こうか、クリーチャー」
「はい。レギュラスお坊ちゃま」
「岩と岩が離れているから抱き上げるよ。おいで」
レギュラスはクリーチャーを抱き上げ、日が沈んだ暗い海に背を向けて大岩の海岸を崖の方へと進んでいき、崖に一番近い大岩で足を止めた。
「ここだね」
彼らの立つ大岩と崖との間にはぽっかりと穴があいていた。
底を覗き込めば黒い水が渦巻いているのが見える。
「足元が悪そうです。お気をつけて、レギュラスお坊ちゃま」
「うん。気をつけるよ、クリーチャー。でも、転んだら許しておくれ」
クリーチャーを虐待された後、ヴォルデモートの弱みを探し始めたレギュラスは、まずは彼の過去について調べてみることにした。
ヴォルデモートが育った孤児院の場所や一緒に育った子供たちのこと、ホグワーツに入学してからのこと、スリザリンの末裔だと言う彼の先祖のこと……
そしてレギュラスは危険を承知でヴォルデモートにも探りを入れた。
レギュラスはヴォルデモートが不死を望み、そしてそれを成し遂げたことを聞く。
――――卿が分霊箱を作って不死を成し遂げたことは分かった。あとは分霊箱の隠し場所さえ分かれば……
しかし、どこを調べても分霊箱の隠し場所の手掛かりは得られなかった。
ヴォルデモート本人に聞くことは出来ない。
手詰まりになったレギュラス。
そんな彼にヒントを与えてくれたのはクリーチャーだった。
――――生きて、レギュラスお坊ちゃまのところに帰りたい……
ヴォルデモートの館で痛めつけられたクリーチャーは治療もされず床に放置されていた。
衰弱して動けないクリーチャーは虚ろな目で部屋の中を見渡す。
彼の目に留まったのは一枚の絵画。
―――
それは陰気な雰囲気の絵だということを除いてどこにでもありそうな風景画だったが、それにはヴォルデモート卿の自筆と見られる文字が記されていた。
書いてあったのは日付とレギュラスたちが今いる場所の地名。
そして木の額縁に戦利品のように留められていた登山帽。
少し体が動くようになってから、その不思議な帽子を手に取ってみることにしたクリーチャー。
―――オイゲン・バルヒェット……?
帽子の縁の裏に刺繍されていた名前が大きなヒントになった。
この話を聞いたレギュラスはマグルの図書館に行き、風景画に書いてあった地域の過去の新聞を調べた。
オイゲン・バルヒェットの名は旅行中に心臓発作で亡くなった旅行者として小さな記事に書かれていた。
旅行者が亡くなった場所はヴォルデモートが育った孤児院の近く。
レギュラスは色々な方向から考えて、哀れな旅行者は心臓発作で死んだのではなく、ヴォルデモートの分霊箱の生贄となったのだと結論づけた。
それから旅行者が亡くなった場所に何度か足を運んだレギュラス。
彼が分霊箱の隠し場所を発見したのはつい先日のことだった。
「ルーモス」
レギュラスは崖と岩の間に出来た縦穴を、濡れた石で足を滑らせないように気をつけながら慎重に下りていった。
縦穴の底に着き、潮の流れに流されないよう足を踏ん張りながら辺りを見渡す。
海水は冷たかったが水位は腰までしかないので歩いて移動することが出来そうだ。
「あちらでございます、レギュラスお坊ちゃま」
クリーチャーが大きく目を見開きながら進むべき道を指し示した。
レギュラスは潮の流れに逆らいながら細長い洞窟の壁に手をついて進んでいく。
両壁の間隔は1メートルほどしかなく、満潮時にはこの洞窟は水没するのであろう、手を付く岩肌はヌメヌメとしていた。
「潮の満ち引きを調べてくるのを忘れたよ。運が悪かったら帰りは泳がないといけないかもしれない」
自分に万が一のことがあれば、クリーチャーは一人でこの洞窟を戻っていかなければならない。大丈夫だろうか?
「泳ぎは得意かい?」
「大丈夫でございます、レギュラスお坊ちゃま。クリーチャーめはレギュラスお坊ちゃまの足でまといになったりは致しません」
クリーチャーがまん丸な目で真っ直ぐレギュラスを見ながら頷いた。
「そう。それならいいんだ……」
レギュラスは腕に抱くクリーチャーに優しく微笑み、彼の背中を軽く叩いた。
ざぶざぶと水の中を進んで行くレギュラスとクリーチャー。
緩やかな左カーブが続き、暫く真っ直ぐに歩いて行くと陸が見えてきた。
海の冷たさで半分感覚がなくなりかけている足を動かし、ようやく水の中から脱出する。それと同時にクリーチャーが指を鳴らし、レギュラスの濡れた服を乾かす。
「ありがとう」
「どういたしましてでございます」
目の前の岩と岩との裂け目には階段がある。
2人は意志を確認し合うように目を見合わせてから階段を上って行った。
階段の先にあったのは大きな洞穴だ。
「行き止まりですね」
「どこかに入口を開ける仕掛けがあるはずだ。手分けして探そう」
レギュラスとクリーチャーはゴツゴツした岩の1つ1つに触れ、入口を探していく。
暫くの後、声を上げたのはクリーチャーだ。
「ありました!ここでございます!」
クリーチャーが大きな声でレギュラスを呼んだ。
岩に触れるレギュラス。彼はその岩から確かに魔法の痕跡を感じ取り、無言で頷いた。
レギュラスは杖を岩壁に向ける。
「アロホモラ」
「やりました!」
岩壁にアーチ型の輪郭線が強烈な白い光で現れ、クリーチャーが歓声を上げる。
しかし、すぐにその光は消えてしまった。
光が消え、洞穴の中は再び暗闇へと戻ってしまった。
クリーチャーも試してみるが結果は同じ。
輪郭だけが浮かび上がって消えてしまった。
「ダメだ……何か仕掛けがあるんだ」
入口の輪郭が浮かび上がることから開錠の呪文を使うこと自体は間違ってはなさそうだった。
では、足りないものはなんなのか……
「分からない。どうしたらいいんだろう」
それは偶然の出来事だった。
唇を噛みながら入口となる岩に手を置くレギュラスの掌には洞窟を通ってくる時に出来た切り傷があった。
レギュラスの血に反応して、岩が生きているようにドクリと鼓動する。
「もしかして……」
ハッとしたレギュラスが血のついた自分の手のひらを見つめる。
「対価だ……ここを通るには対価が必要なんだ!」
「何をなさるのですっレギュラスお坊ちゃま!」
ぶつぶつと独り言を言うレギュラスを不思議そうに見ていたクリーチャーだったがレギュラスがローブの袖を捲くり、自分の腕に杖を当てるのを見て慌てる。
「おやめくださいまし!」
しかし、クリーチャーの制止は間に合わなかった。
地面に滴る赤い血。
レギュラスは手のひらに血を受け止め、それをベタリと岩に擦り付けた。
「アロホモラ」
カッと強い光が岩から発せられ、二人は思わず目を瞑った。
「よし!」
目を開けたレギュラスは破顔した。
「やったぞ、クリーチャー!」
今度の光は消えなかった。岩壁の一部が消え、目の前に新たな道が開けていたのだ。
「さあ進もう」
「進もう、ではありません!ああいうことはクリーチャーめにやらせて下さいましっ。大事なレギュラスお坊ちゃまの、うぅっ」
レギュラスを止められなかった自分を責めて壁に頭を打ち付け始めようとするクリーチャー。
「ご、ごめん。泣かないでよ、クリーチャー」
レギュラスはそんなクリーチャーを宥めるのに少々苦労した後、アーチ型の入口を通ることが出来たのだった。
「広いね……」
アーチ型の入口の先は、先程居た場所よりさらに大きな洞穴の内部だった。
目の前にあるのは巨大な黒い湖。2人は湖のほとりに立っていた。
洞穴の天井は高すぎて見えない。
湖の向こう岸も見えなかったが、湖の真ん中に緑色に霞んだ光が見えている。
「きっとあそこに行く手段があるはずだ。取り敢えず湖の周りを歩いてみよう」
音のない洞穴の中を二人は湖に沿って進んでいく。
不気味な静けさに緊張が高まっていく。
「レギュラスお坊ちゃま」
「そうだね。ここだ」
ようやく二人は魔法の跡を見つけた。
レギュラスが見えない鎖を空中で掴み、クリーチャーが指を鳴らす。
パチンッ
レギュラスは握っていた見えるようになった鎖をぐっと思い切り引っ張った。
ジェラジャラと激しい音を鳴らしながら自動的に鎖が巻き上げられていく。
レギュラスとクリーチャーが波立つ湖を見つめていると、鎖に引き上げられた小舟が湖から徐々に姿を現し岸へとやってきた。
「あまり綺麗とは言えないけど、乗ってみようか」
わざと明るく言い、レギュラスは小舟に乗り込んだ。
クリーチャーもすぐ後に続く。
小舟はすぐに動き出した。
「ヒッ坊ちゃま!」
船が出発し、怖々と周りを見渡していたクリーチャーが悲鳴を上げる。
ビックリしながらレギュラスが振り向くと、クリーチャーがぶるぶると震えながら船の真下を指差していた。
「何かいたのかい?」
「し、死体が……」
「死体?」
警戒しながら光のついた杖で暗い水面を照らしたレギュラスは眉を顰めた。
水底に横たわるいくつもの死体。
杖明かりの僅かな光が水面のすぐ下に横たわる死体を不気味に浮かび上がらせていた。
分霊箱を手に入れたらコイツらは大人しくしていないだろうな。
その時自分はどうなるのか―――――
湖に引きずり込まれる自分の姿を想像してしまい、恐怖で身が震える。
だけど、ここまで来たんだ。やるしかないだろ……
ゴンッと軽く小島に衝突して小舟が止まる。
レギュラスは目を瞑り、大きく息を吐いて気持ちを落ち着けてから小島へと一歩踏み出した。
小島の中央にある緑色の光へと近づいていくレギュラス。
「もし僕に何かあったら、分かっているね」
黒い台座の上に置かれた水盆。緑色に光る水面を見つめながらレギュラスは言った。
「……はい」
クリーチャーは今きっと、耳を垂らしてとても悲しい顔をしているだろう。ごめんね、クリーチャー。
辛い仕事を頼んでしまったことを心の中で詫びながら、レギュラスは水盆の縁に置いてあった金のゴブレッドを手にとった。
ゴブレッドがあることから、やるべきことは決まっていた。
「僕はこの水盆の中の水を全て飲み干さなければいけない。だから、もし僕が飲むのを途中でやめてしまったら手伝ってくれ。どんなに苦しんでいても、嫌だと言っても、この液体を僕の喉に流し込んで欲しい」
これもクリーチャーの顔を見て言うことは出来なかった。
僕を慕ってくれているクリーチャーに、家族のように思っているクリーチャーにこんな事を頼むのは辛かった。
「よし。始めよう」
覚悟を決めて、ゴブレッドに不気味に光る緑色の液体を満たす。
生ぬるい液体がゆっくりと喉を通っていく。
「っ!」
「レギュラスお坊ちゃまッ」
「だ、大丈夫」
異変は直ぐにやってきた。
これは何だ――――――――?
頭の中に流れ込んできたのは先程小舟の上で想像したこと。
死人たちに湖へと引きずり込まれる自分の姿。
いつの間にかかいていた額の汗を手の甲で拭い、震える手で水盆の液体をすくう。今度は一気に飲み干す。
「う、ぐ……」
体中が恐怖に支配されていく感覚は初めてだった。
先程と同じ映像が今度はより鮮明に頭の中に浮かんでくる。
それだけでない。頭の中に最悪の想像が次々と浮かんできた。
自分の裏切りがバレて拷問される両親の姿。
ヴォルデモート卿に痛めつけられ悲鳴を上げるクリーチャーの姿。
想像ではなく、現実なのではないか?
そんな思いが沸き起こる。
「違う……そんなはずない、よな……これは、罠だ」
自分に言い聞かせながら3杯目を胃に流し込む。
「ッ!?嫌だッ……や、やめてくれっ!!」
僕は堪らず叫び声を上げていた。
これはヴォルデモート卿の罠ではない。
僕は今、未来を見せられているんだ。
これは未来に、現実に起こることなんだ。
僕のせいで両親は見せしめのように死喰い人たちの前で拷問を受け殺される。
ヴォルデモート卿はクリーチャーが苦しむ姿を楽しみながらじわじわと死に追いやっていく。
「――ちゃま、お気を……ださい――しっかり……」
これは、未来に起こる―――――ダメダ、チガウ……罠だしっかりしろ……いや、実際に起こる―――――――――
「クソッ」
頭を振って悪夢を振り払い、水盆の台座にもたれ掛かっていた体を起こすレギュラス。しかし―――――
「嘘だろ……まだ、こんな、しか……」
レギュラスの手からゴブレッドが滑り落ちた。
揺れるエメラルドの水面。
半分の量にも減っていないエメラルド色の液体がギリギリのところで保たれていたレギュラスの正気を崩壊させた。
レギュラスの心に諦めと絶望が広がっていく。
僕には……無理だ……僕には、もう――――
「帰りたい」
ボソリとレギュラスが呟く。
そうだ。帰ったほうがいい。
そうすれば両親もクリーチャーも助かる。
そうだ。クリーチャーを連れて家へ帰ろう…………
「いけません!レギュラス坊ちゃまは―――ッ坊ちゃまッ!!」
小舟へと向かおうとした足がガクンと崩れ、
僕は岩の地面に両膝をついた。
膝の痛みに正気を取り戻す。
僕を通さないように立ち塞がってくれていたクリーチャーが大きな目を不安そうに揺らして僕の顔を覗き込んでいた。
「ごめんね。正気に戻った。まだ自力で飲める。だけど、すまないがあの液体をくんできてくれるかい?体が……辛く、て」
無理やり微笑みながら言う。
「畏まりました。直ぐにお持ち致しますです」
クリーチャーは辛そうな顔をしながらも僕の指示に従ってゴブレッドにあの液体を持ってきてくれた。
1杯……また1杯…………
緑色の液体が立ち直りかけていた僕の精神を再び蝕み始める。
これ以上飲めない。
飲んだって意味がない。
無事に分霊箱を得ても破壊する前にヴォルデモート卿に見つかるに決まっている。
磔の呪文を受ける自分の姿が見える。
「嫌だ……行かせて。帰らせて、クリーチャー……」
「飲んで下さいまし。レギュラスお坊ちゃま、どうか……」
苦痛にもがき苦しむ両親の姿が見える。
全部僕のせいだ。
「ごめん……僕は、いつもこうなんだ……いつも……」
「しっかりなさいまし。レギュラス坊ちゃまにはクリーチャーめがついております。だからあとひと踏ん張りなのです。飲むのです!」
僕には、君の姿も見えているんだ。
ひと思いに殺されず、甚振られてもがき苦しむ君の姿が。
「ヤダ、ヤダ、ヤダヤダ!もう無理だッ。逃げようっ。今なら……間に合う……ダメだ……あ、どうしよ……けない……もう、僕は死ぬのを待つだけなんだ……ヤダ……ヤダッ死にたくないのに!」
「お。落ち着いて下さいまし!!」
体が弱って逃げることさえも出来ない。
もう何もかもが手遅れだ。
ヴォルデモート卿に逆らおうとしたのが間違いだったんだ。
「もう、もう、やめさせてくれ!耐えられないッ。ヤメロ!!みんなが、―――せい、ぁ、嫌だ。僕のせいで、ッウアアアアァァ!!」
「レギュラス坊ちゃま!!」
「ヤダよ。クリーチャー、ごめん。もう、やめさせて。お願い」
「坊ちゃま……」
クリーチャーにしがみついて声を上げて泣いてしまう。
僕には無理だったんだ。
初めから、無理だったんだ。
僕は弱い。泣くことしか出来ない弱い人間だ。
僕に出来ることはこうやって地面に伏して泣くことだけ。
幼い時から何も変わっていない。
兄に勝負で負けて泣きじゃくる僕を、今のように頭を撫でながら慰めてくれたクリーチャー。
あの時から僕は何も変わってはいやしない。
周りの力に押し潰されるのが僕の運命――――――――
『止めたらダメだよ、クリーチャー』
「「っ!?!?」」
顔を上げた僕は衝撃のあまり驚くことも出来なかった。
『お揃いの表情。二人って本当に仲良いよね』
その人は僕たちの顔を交互に見て言った。
僕はいつの間にか僕の目の前、クリーチャーの真横に立っていた、ここに居るはずのない人の顔を見上げる。
「ユキ先輩……本物……?」
『うん。本物』
僕とクリーチャーの視線の先には、あのユキ先輩が立っていた。
馴染みのある悪戯っぽい微笑みを浮かべながら僕を見下ろしている。
『レギュったら鈍すぎ。ぜーんぜん気づいてくれないんだから』
「どうしてここに……?」
これはあのエメラルド色の液体が見せる幻なのだろうか?
「入院していたはずじゃッ!?」
舌を噛みそうになって口を閉じる。
視界がグルンと回転したと思ったら、いつの間にかユキ先輩の肩に後ろ向きに担がれていた。
「うぐっ」
肩に当たるお腹が痛い。
あぁ、これは夢じゃないんだ――――――――
『ごめんね、レギュ。説明したいのだけど時間がないのよ』
お腹減ってるから急いでいるのよ。みたいないつものトーンでユキ先輩が僕に言った。何だか懐かしい。
クリーチャーの唖然とする目に見送られながら僕は再び水盆の前まで連れて行かれる。
不気味に揺らめくエメラルド色の液体
「い、いやだ」
突然、驚きで忘れていた苦しみが蘇ってきた。
地面に下ろされた瞬間逃げ出そうとする。
しかし、ユキ先輩は容赦なかった。
『あと少し……じゃないけど、我慢して飲む!』
「ガハッ」
最悪だ。
ユキ先輩は僕の後ろに回り込み、足で僕が逃げ出さないように体を固定しながら僕の顔を上げさせた。
地面に膝をつく僕の口はユキ先輩に無理やりこじ開けられ、液体を流し込まれる。
『ほらっ飲む!』
「や、やべふぇ」
振り回した手が虚しく宙を掻く。
どんな抵抗も、ユキ先輩の馬鹿力に対しては無意味だった。
「ゴッフッ、ガハッ」
『よし。その調子』
無理矢理こじ開けられた口は無理矢理閉じさせられ、ユキ先輩の手で塞がれる。液体が喉に流れ込むのを止める術はない。
再び鮮明に脳裏に浮かび上がる恐怖。
「ゴホッゲホッ、うっ……」
『あと5杯と半分』
僕の苦しみなど構うことなく、ユキ先輩は僕の口に液体を運ぶ作業を淡々と繰り返す。
冷酷無情なこの行動は、後から思い返すと僕の助けになるものだった。
あの時の僕は口に流し込まれる液体を飲み込むのに必死で恐怖に浸っている暇がなかったから……
「ゴホッ、ゲホッゲホッ……ッゴホッ」
突然、僕は恐怖から解放された。
「よくぞやり遂げられました!レギュラスお坊ちゃま!!」
ぼんやりとした視界の中に、僕の手を握りながらクリーチャーが涙を流している姿が映る。
僕はクリーチャーの頭を軽く撫で、水盆の台座に掴まりながら体を起こし、水盆を覗き込んだ。
からの水盤のそこにある、金色のロケット
「あった……これだ……」
『レギュ!』
「お坊ちゃま!」
金色のロケットを取り、用意していた偽のロケットと入れ替えた瞬間、僕の体は限界に達し崩れ落ちていった。
ユキ先輩が僕の体を受け止めてくれ、僕の頭を膝の上に乗せてくれる。
『よくやったわね、レギュ』
ふわりと僕の頬を撫でてくれるユキ先輩の手を掴む。
「み、水――――」
本当はもっと別の言葉を言いたかったのに、喉が渇きすぎてそれどころじゃなかった。
水が、水が欲しい―――――――
『火遁・業火砲』
「え…………?」
突然ユキ先輩が口から火を吐いた。
「火、じゃなくて水……」
錯乱する僕を見てユキ先輩が笑う。
『ぷっ。レギュったら可愛いわね』
「……」
『もう少し我慢できる?あいつら、少し厄介そうだから』
ユキ先輩の雰囲気がスっと変わった。
厳しい顔つきのユキ先輩の視線を追った僕はうっと喉を詰まらせる。
いつの間にか小島に上がっていた死人たちの一部がユキ先輩が噴き出した火で燃えながら倒れていくのが見えた。
「―――っ!?」
ハッとして辺りを見渡した僕は息を呑む。
激しく揺れ動く黒い湖面から白い頭や腕が突き出している。
分霊箱を守る死人たちが動き出してしまったのだ。
よたよたと不安定な動きで、でも確実に僕たちの方に向かってくる死人たちを見て顔が引き攣っていく。
『箒持ってきてないの?』
「も、持ってきてませんよ。それに、箒があってもそれで帰るのは無理だったと思います」
『そっか。じゃあ、あの小舟で戻るしかないわけだね』
めんどくさい、と言ったように舌打ちをするユキ先輩を見上げる。
「……ユキ先輩、ずいぶん落ち着いていますね」
『そう?』
僕たちを囲む死人の輪は狭まってきているのに僕と違いユキ先輩は随分落ち着いているように見えた。もしや……
「何か策が?」
期待を込めて聞く。
『うーん。ない』
期待は一瞬で打ち破られた。
「チッ」
『何故舌打ち!?酷ッ』
片頬をピクッと痙攣させる僕にユキ先輩がぎゃーぎゃー文句を言ってくる。
「お喋りしている場合じゃないですよ!早く奴らをどうにかする方法を考えないと、僕たち全員湖に引きずり込まれますよッ」
ユキ先輩の頬を両手でぶちゅりと潰しながら言うと、尖った口で『策なんてなくていい』と言われた。
手を離し、訝しげな顔をする僕にユキ先輩はニッと笑う。
『考える時間が勿体無いもの。真正面から突破しましょう。私、ややこしいのは嫌いなの』
息を呑み込んだ僕の喉がヒュッと鳴る。
ユキ先輩が死人の群れに突撃していったからだ。
慌ててローブのポケットから杖を取り出す僕は腕を
振り上げたまま固まることになる。
「え……凄い」
ユキ先輩に投げられた亡者が水飛沫を上げながら湖の中に消えていく。
殴り、蹴り、そして何かの武器を投げて亡者の動きを止めながらユキ先輩は亡者たちを倒していく。
『ちょっと!ぼーっとしてないで手伝ってちょうだいッ』
亡者を湖に放り投げながらユキ先輩が言った。
『さっきの私の火遁忍術、効いていたように見えたわ。二人とも火の魔法で自分を守りながら小舟に乗って』
「ユキ先輩は!?」
だんだんと船から遠のいて行っているユキ先輩に叫ぶ。
『レギュラスたちが船に乗ったらそっちに走る。だから早く船に移動して!』
「こっちに来るってどうやっ『つべこべ言わないで早く乗りなさいッ』
「坊ちゃま……」
「……クリーチャー、おいで。君は後ろと左を守って。僕は前と右だ」
わけが分からないが今はユキ先輩の言うことに従っておいた方が良さそうだ。
クリーチャーを抱き上げて杖を振る。
「インセンディオ!」
明らかに亡者たちは火を怖がっていた。
僕たちに火をつけられた亡者は倒れて動けなくなり、それを見た他の亡者たちは燃え上がる火から逃げるように暗い水中へと戻っていく。
「ユキ先輩、早く!」
小舟は乗り込んだ途端に動き出す。
小島の端で亡者に囲まれていたユキ先輩が、亡者の上を踏んだり飛び越えたりしながら小舟へと乗り込んでくる。
来た時と同じように自動で動き出す小舟。
水中に沈んだ亡者は水底で再びただの動かない死体に戻っていく――――――
「追いかけてこないようです。あぁ!よくおやりになりました。うっヒック、クリーチャーめは、どうなることかと心配して、ヒック」
僕の胸にしがみついて泣くクリーチャーの背中をさすって宥めながら後ろを振り返る。
小舟の後に立ち、死人たちの様子を見つめていたユキ先輩がゆっくりと僕の方を向く。
暫し無言で見つめ合う僕たち。
先に口を開いたのはユキ先輩だった。
『そのロケットが何か教えてくれる?』
鎖を持ち、ジャラっと金色のロケットを宙に落とす。
ユキ先輩の鋭い漆黒の瞳が、金のロケットをじっと見つめる。
「これはヴォルデモート卿の分霊箱です」
『ーーッ!?』
僕は地上に戻る道中、ユキ先輩に全てを話した。
ヴォルデモート卿の分霊箱の話、クリーチャーを虐待されたこと、死喰い人を抜けると決めたこと、この分霊箱を破壊しようと思っていること。
『泳げそう?』
満ち潮で水没した細長い洞窟の前でユキ先輩が聞いた。
「水も飲みましたし体は戻りました。泳げます」
『良かった』
ユキ先輩は僕に質問する間を与えず、小さく微笑んでから『お先に』と水の中に消えてしまった。
体は大丈夫なのだろうか?
口から出した炎は何だったのだろうか?
彼女は、何者なのだろうか――――――
「行きましょう、レギュラスお坊ちゃま」
「うん……」
水の中は思ったよりも冷たくなかった。
杖明かりを頼りに一本道の洞窟を泳ぎ、
出口を目指す。
『姿現しできないから連れて行って』
無事に陸に上がった僕たちは姿現わしで崖の上へと移動した。
夜風が気持ちいい。
地面に座り、後ろ手に両手をつく僕の頭上には無数の星が輝いていた。
潮の香りと波の音が、僕の心を少しずつ落ち着けていく。
「……」
星空から視線をユキ先輩の背中に移す。
ユキ先輩は先程から僕たちに背を向け、何かを考えているようだった。
全身黒色の見たことのない服、結い上げられた髪、髪に刺さるスティック、腰にはウエストポーチ。
見たことのない姿、僕の知らないユキ先輩。
『すまない。待たせたね』
暗すぎて、僕の方にやってくるユキ先輩の顔が見えない。
『どうしたの?レギュったら口を開けて、間抜けな顔』
フッと笑いながら僕の前まで来たユキ先輩の顔を見上げる。
「あなたは、何者ですか……?」
昔のように、答えを言うのを拒絶するだろうか?
そう思ったが、今日は違った。
僕の目をしっかり見つめながらユキ先輩は口を開く。
『私は、忍なの』
「シノビ……?」
知らない単語に眉を潜める僕にユキ先輩は言う。
『私は火の国、木ノ葉隠れの里の忍。今は、違うけどね』
柔らかく笑うユキ先輩に手を差し出される。
ユキ先輩の目が全く笑っていなかったことに
この時の僕は気付いていなかった
「ありがとうございます」
ユキ先輩の手を借りて立ち上がった僕は、自分の腹部に視線を落とす。
鳩尾に入れられた拳
「な、んで……」
『悪いね、レギュ』
僕の意識は、そこでプツリと途絶えてしまった
┈┈┈┈┈後書き┈┈┈┈┈┈┈
気づかれないようにレギュラスの体に触れて姿現ししました。