第3章 小さな動物たち
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26.子狼の別離
満月が近づくと僕は具合が悪くなる。
次の授業への出席は無理だと判断した僕は医務室へと向かっていた。
満月の前の1週間飲み続けなければ効果がない脱狼薬。
苦くてまずい薬なのに授業を休まなければならないほど体調が悪くなることに、僕は毎回うんざりした気持ちになっていた。
脱狼薬がチョコレート味だったらいいのにな。
叶わない妄想をしながら医務室へと続く廊下の角を曲がった時、ちょうど数メートル先の扉が開いた。
出てきたのはマダム・ポンフリーだ。
「あら、Mr.ルーピン。来たのね」
マダム・ポンフリーはいつもの癒者の服ではなかった。
どうやら今から外出するところだったらしい。
「もしかしてお出かけですか?」
「人手が足りないからと緊急で呼び出しがあったのよ」
マダム・ポンフリーが眉を下げて言った。
「寮に戻ったほうがいいですか?薬は夜に取りに来ます」
脱狼薬を飲んでいる時は他の薬を同時服用してはいけない。
医務室にいていいことは寮の部屋と違って周りを気にせず苦しむことが出来るくらい。苦しみが和らぐわけではないのだ。
ただ、ジェームズたちに迷惑をかけてしまうから出来れば医務室にいさせてくれた方が有難いのだけど―――――
「医務室にいてもらっていいわ。中にユキもいますしね」
マダム・ポンフリーはユキに僕が来るかもしれないと話してあると言った。
彼女の名前を聞くだけで早くなる僕の鼓動。
「薬のこともユキに伝えて準備してあるから飲んでちょうだい。ゆっくり休んで」
「ありがとうございます」
ウキウキした声を出してしまった僕に眉を上げてからマダム・ポンフリーは去っていった。
それにしても、ユキは頑張っているんだな。
Mr.スネイプとMs.エバンズと仲違いしたばかりの頃のユキは見ているのが辛いほど落ち込んでしまっていた。
6年生の初めに話した時もまだ傷は癒えていないようだった。
でも、彼女は強い。
まだ傷は癒え切っていないだろうが、それでも前を向いて進んでいける強さがある。自分のすべき事に取り組むことができる。
1年生の頃から優秀だったユキはマダム・ポンフリーに医務室の留守を任せて貰えるくらい信頼されているようだった。
悲しんでばかりいる姿よりもこうやって夢に向かって頑張っている姿を見るほうがいい。だが僕は、その姿を嬉しく思うと同時に今の一生懸命過ぎる彼女を心配していた。
何ヶ月か前。今日のように具合が悪くなって医務室に行った時、ユキも医務室の中にいた。
その時のユキはマダム・ポンフリーの手伝いではなく患者としてベッドに横になっていた。
―――――貧血起こしちゃったの。癒者目指しているのに自己管理も出来ないなんてね。
ベッドの上で力なく笑うユキの顔は真っ白だった。
それに6年生になってからのユキは以前のように悪戯をして遊ぶこともなくなっていた。
授業以外の時間はクィディッチの練習をしているか、医務室にいるか、図書館で勉強しているかで遊ぶために使う時間はないのではないかと思う。
無理し過ぎているのではないだろうか?
僕はそう思いながら医務室の扉を開けた。
ドアの音に気がついたユキが医務室の奥で振り向く。
『いらっしゃい。というのは変よね。こういう時ってなんて言ったらいいのかしら』
作業の手を止め、ユキは僕に笑顔を向けてくれる。
「普通はどうしたの?って聞くんだろうけどね。でも、そうだな……待ってたよって言ってくれたら嬉しいかな。気分が明るくなる」
ユキの笑顔にホッとしながら僕も笑みを返す。
今日のユキは顔色も良く元気みたいだ。
『フフ。待ってたよ、リーマス――――っぷ。変なの』
「そうかな?」
『そうだよ』
コロコロと鈴を転がすようにユキが笑う。
「薬の整理?」
ユキのもとまできた僕はテーブルの上に並ぶ薬に目を向ける。
『古くなった薬がないか確認しているのよ。そうだ。薬といえば個室にリーマスの薬があるってマダム・ポンフリーに言われたの』
ユキが言う個室というのは医務室の奥にある小部屋のことだ。
今僕たちがいる場所にもベッドが並んでいて休まなければならない生徒は通常ここのベッドに横になる。
奥の小部屋は危険な感染症が発生した場合に患者を隔離するためのものだ。
僕はいつもこの小部屋に防音呪文をかけて
使わせてもらっていた。
「マダム・ポンフリーに言われたって言っていたけど、ユキが僕の事情を知っているとマダムは知っているの?」
『知らないと思うよ。マダム・ポンフリーからはリーマスが来たら小部屋に通して中に置いてある薬を飲むように伝えるよう言われただけだから』
そう言ってからユキは二ヤッと笑ってちゃんと薬を飲んだか確認する為に空のゴブレッドを受け取るように言われていると付け足した。
「ユキが監視役なら誤魔化せないな」
『嫌なことはさっさと終わらせちゃいましょうよ』
僕を小部屋に連れて行こうとユキが僕の背中を押す。
「あの薬を飲むのは毎回勇気がいるんだよ」
このじゃれあいが楽しくて足で少しブレーキをかけてみるとユキが僕を押す力を強めた。
もう少し、こうやって遊んでいたい。
『コラ。リーマスったら進みなうわっ!?』
急に僕が前に進んだせいでユキがバランスを崩す。
振り返った僕の胸の中にユキが飛び込んできた。
突然の不意打ちに驚いた顔は直ぐに笑顔に変わる。
『もうっ。ビックリするじゃない』
クスクスとユキが笑みを溢す。
良かった。笑ってる―――――
何だか久しぶりにユキの笑顔を近くで見たような気がして、僕は思わずじっと見つめてしまっていた。
『リーマス?』
「あ、ごめん。可愛くて見蕩れてたよ」
不思議そうな顔をするユキの頭にポンと掌をのせながら言うと、ユキの顔は一瞬で真っ赤に染まってしまった。
『そういうこと言われると反応に困るからやめてよね』
「本当の事だからいいじゃないか」
むぅっとした顔をするユキに肩を竦めてみせる。
鈍感なユキに対しては積極的に態度を示さないとね。
「ハハ!膨れっ面も可愛い」
膨れている頬に手を伸ばし、親指と人差し指で潰してしまう。
ぷしゅっと空気の抜ける音。鳥のように尖る唇。
『やめふぇよっ』
「ぷっ。アハハ」
僕は面白い顔になったユキに吹き出してしまい、ポカポカと背中を叩かれた。
『リーマスはいつもそうやって私を揶揄うんだから!』
「ごめん、ごめん」
涙を拭いて謝りながら腕組みして怒っているユキを見る。
『……せっかくリーマスの為に苦い薬をストレスなく飲める方法を考えてきたのに。もう教えてあげないよ?』
「えっ!そうなの!?」
ぷいっとそっぽを向いているユキ。
うっ。これはまずいな。
ちゃんと謝ってユキのご機嫌を直さないと今日はその方法とやらを教えてくれなさそうだ。
ユキは結構手厳しいところがあるからなぁ。
「ごめんね、ユキ。痛かったよね」
両手で顔を包みながら言う。
恥ずかしさで声が出ないらしいユキが口をパクパクと動かしている。
僕はユキから方法を聞き出すのをすっかり諦めていた。
ユキとゆっくり話せる時間は少ない。話せるうちに話したいし、こうやって触れ合えるうちに触れ合っておきたいからだ。
『リ、リーマス……』
赤く染まった頬
潤んだ瞳が僕を見つめる
「ユキ」
この反応は、少しは期待してもいいのだろうか?
名前を呼ぶと弾かれたように体を跳ねさせたユキが僕から1歩飛び退いて距離をとった。
『中に入って。その方法っていうのは魔法じゃないの。だから防音呪文をかけた部屋で話さないと……』
早口で言い、真っ赤な顔で目をパチパチ瞬かせながら僕の横を通り過ぎたユキは小部屋の中に入っていく。
僕は小さく息を吐き出す。
僕の心の中にあるのはユキが手の中から離れていってしまった寂しさと、これから狭い部屋で二人きりになることへの躊躇い。
あんな顔を見せられて、僕はユキに何もせずにいられるだろうか?
満月が来る前に狼になってしまいそうだと考えている自分に気づき、僕は苦笑する。
『ぼーっとしてどうしたの?』
小部屋からユキが顔を出す。
「何でもないよ。すぐ行く」
よし、入ろう。
大きく息を吐いてから、僕は小部屋の中へと入って行った。
小部屋の中にはベッドと小さなチェスト付きナイトテーブルが1つ。
ナイトテーブルの上でテーブルランプが淡い光を放っている。
やっぱり入るんじゃなかったかも。
僕はユキが部屋に防音呪文を張る横で既に男の自分を押さえつけるのに一生懸命になっていた。
柔らかな光が灯る薄暗い部屋の中は雰囲気がある。
緊張で唾をゴクリと飲み込む僕の横でユキが両手を胸の前で合わせて複雑に組みだした。
『影分身の術』
ポンという音が鳴り、ユキが煙に包まれる。
煙が消えて見えてきたのはユキとその隣にもう一人、ユキ。
凄い!と思わず歓声を上げてしまった僕にユキはにこっと微笑んだ。
『えへへ、凄いでしょ?この術は結構難しいんだよ』
少し得意そうに胸を張ってユキが言う。
「これは幻?」
『実体だよ。ちゃんと触ることもできるし意思もあるんだ。ちょっとくらいの術や衝撃を加えても消えないし、私が分身を消したら分身の記憶が私に戻ってくる優れものの術なの』
このユキの説明を聞いているうちに僕はようやく思い出した。
何年か前、僕は実際には見ていないけれど、僕の正体を探ろうとしていたMr.スネイプの事をユキの分身が妨害したり見張ってくれた事があったっけ。
そんな事をぼんやりと思い出していると、小部屋の扉を開けて人が来ていないか確認したユキが影分身を小部屋の外に送り出した。
『誰か来ても影分身に対応を任せるよ。影分身はもう一人の私みたいなもので魔力も十分あるからね。簡単な怪我の治療なら任せておいて大丈夫』
そう言ってユキは小部屋の扉を施錠してしまい、『これで誰にも邪魔されない』と満足気に頷いた。
『術の説明をするね』
リラックスした顔になって、ユキがポーンとベッドに勢いよく腰掛けた。
反動で体をバウンドさせているユキの横で僕は気づかれないようにそっと息を吐き出す。
僕は随分信頼されているらしい。
ユキが警戒しているのは医務室にやって来る生徒に自分の国の技を見られないかということだけ。
彼女は目の前の僕がこんな邪な心を抱いていると知ったらどう思うだろう?
ギシギシ軋むベッドの音に揺れる理性。
何ていうか、こんな事ばかり考えてしまう自分が嫌で仕方ない。ハアァ。
『リーマス』
「っ!?」
突然ユキに顔を覗き込まれて驚く。
僕は後ろに一歩下がった拍子に膝の裏をベッドで打ち、さっきのユキと同じようにベッドにバウンドしながら腰を下ろすことになった。
隣に腰掛けるユキが眉を下げて僕を見上げる。
『もしかして、私に術をかけられるのは不安?もし嫌だったら断ってくれて構わないんだよ。魔法じゃなくて忍術だからリーマスも抵抗あると思うし……』
申し訳なさそうな顔をするユキに首を振る。
「あ、いや、違うんだ。不安なんかじゃないよ。全然」
言えない。本当のことは、言えない。
『無理してない?』
「うん。無理していないよ。苦い薬は大嫌いだから是非術をかけてもらいたいよ。それにユキの術なら忍術だって何だって不安はない。君は優秀な僕の自慢の友人だからね』
ユキは暫く僕の心を見定めるようにじっと僕の顔を見ていたが、やがて術をかけると決心してくれたらしく微笑みを浮かべた。
『じゃあ、術の説明をするね』
「うん。頼むよ」
兎に角、今の状況を忘れるためにユキの説明に集中するとしよう。
苦手な魔法薬学の授業を受けている時のようにユキの話を集中して聞いていると心が落ち着いてきてくれた。
『術なら副作用は関係ないでしょ?』
「うん。これなら苦い思いをして薬を飲まずに済みそうだ」
ユキが僕にかけようとしてくれているのは味覚と嗅覚を奪う術。味と匂いが分からなければ何の抵抗もなく飲み干せるというわけだ。
舌の感覚と嗅覚を奪われる怖さはあるがユキなら大丈夫だろう。
彼女のことは信頼しているし、それに彼女自身も『十八番だった』と言うくらいこの術には自信を持っているようだった。
「それじゃあ早速頼むよ。僕はどうすればいい?」
『楽にしてくれていたらいいよ』
ユキの手が僕の方に伸びてきて、指先でトン、トン、トンと耳の後ろや腹のあたりを突かれた。
特に痛みなどはない。だが、僕は確かに体の異変を感じていた。
ブヨブヨとした口の中の感覚には覚えがある。
何年か前に虫歯になって歯を抜くことになった時、痛みを感じなくする為にと麻痺魔法薬を口に含まされた時があった。15分も薬を含んだままじっとしてろと言われて辛かったのを覚えている。
「僕ってもう術がかかった状態になっているのかい?」
念のため聞く僕にユキはニヤッと笑って薬の入ったゴブレッドを差し出してきた。
『効いているかどうかは試してみればいいんじゃない?』
「……ユキ、君を信じているよ」
受け取ったゴブレッドからは独特の嫌な臭いが感じられなかった。
僕はゴブレットに口を寄せる。
「ぷはっ」
いつもは飲み込むのに苦労する脱狼薬は簡単に喉の奥へと流れていく。
あっという間に空になったゴブレッド。
『どう?』
「凄いね。水を飲んでいるみたいに味がしなかったよ」
『よかった!』
ここで僕は先程思った疑問を聞いてみることにした。
麻痺魔法薬は口に含むだけだからこっちの方法でもいいんじゃないかな?
『あれは15分も口に含まないといけないでしょ?
その間に飲み込んじゃう人が多いのよ』
脱狼薬の調合と服用には細かいルールがある。
まだ開発されてから日が浅いこの薬には弱点が多いのだった。
「あの……ユキ。迷惑になると思うんだけど、時間とタイミングが合う時でいいから、これからもこの術をかけてもらっていい?」
『もちろんだよ!』
申し訳ない気持ちになりながら言う僕だったが、ユキは直ぐに笑顔で頷いてくれた。
「ありがとう、ユキ」
『こちらこそ』
「え……?」
『ありがとう。こちらこそ、ありがとう。リーマス』
僕はユキの表情にハッと目を奪われ、同時に胸を熱くしていた。
僕の視線に気がついたユキが恥ずかしそうに目を伏せる。
ユキが僕を大事な人に向ける眼差しで見てくれていた。僕の存在に御礼を言ってくれている。そんな言葉と眼差しだった。
『解術しよう。感覚が無いままだと気持ち悪いでしょ。感覚が無いと舌を噛んでも分からないしね』
ユキは照れを隠すように早口で言い、スっと僕の手からゴブレッドを取って後ろを向いた。
柔らかな笑顔
僕を見上げていたキラキラした瞳
これは恋とは言い切れないかもしれないけれど、でも、ユキは僕に好意を持ってくれている。そんな風に感じられた。
鼓動がトクトクと早くなっていく。
『解っ』
並んでベッドに腰掛け、上体を捻って向かい合う僕とユキ。
術が解かれ、失っていた感覚が戻ってくる。
『それじゃあ私はこれで失礼するね。リーマスは睡眠を取って。夕食は運んでくるから時間は気にせず体を休めて―――リーマス?』
空のゴブレッドを持ち、扉へと歩き出そうとしていたユキは僕に腕を掴まれ、やや驚いた顔で振り返った。
「僕はユキが好きだ」
ゆっくりと、大きく見開かれていく黒い瞳。
掴んでいた腕を離すと、ユキは恥ずかしさから頬を紅潮させ、戸惑いで目を瞬かせながら後退し、扉にトンと背中を打った。
ゴブレッドを胸の前でギュッと握り締める両手は僅かに震えている。
『私……あの、リーマス……』
「4年生の時、僕がユキに告白したのを覚えてる?」
動揺で瞳を揺らしているユキだったが、コクコクと首を縦に振ってくれた。
4年生の秋
湖のほとりで僕はユキに告白をした。
でも、僕はユキから答えを聞く前に、ユキに告白の答えを先延ばしにして欲しいと頼んだのだ。
そう頼んだのは、ユキが当時思い出せていない記憶で悩み、自分の素性と生まれ故郷の事を誰かに知られないように周囲の人と一線を引き、親密になりすぎないように気をつけていたと感じたからだった。
でも2年が経ち、状況は変わった。
ユキは全ての記憶を思い出し、僕に話してくれた。
周りの人に打ち明けていないのは今の魔法界の状況を考えての事であって、秘密にしている理由はそれ以外にはない。
最後の記憶を取り戻してから、ユキは変わった。
自分が魔法界に来ることになった経緯を思い出し、故郷とのしがらみから解放されたユキは人との間に作っていた垣根を取り払った。
ユキはようやく自由に生きていけるようになったのだ。
今のユキなら僕への告白への答えを自分の気持ちだけに従って答えることが出来る。
緊張している空気を払うようにコホンと小さく咳をして、僕は扉を背に硬直しているユキの前に立った。
「ごめん。急にこんなこと言って困らせたね」
肩を竦めて言うとユキはハッとしたような顔になって顔をブンブンと横に振った。
『困ることはないよ。ちょっとビックリしちゃっただけなの。リーマスの気持ちは凄く嬉しい。だけど、私……』
だんだんと声が小さくなっていったユキは視線を下げて唇をキュッと結んでしまった。
ユキの特別はやはりMr.スネイプだけなのだろうか。
答えを聞く前から胸がキリキリと痛む。
気まずい沈黙が満ちる部屋。
取り敢えず何か言わなくてはと働かない頭を働かせて言葉を探していると、僕の耳にか細い声が聞こえてきた。
『ごめん、私……自分の心が分からない』
「ユキ?」
泣きそうな声。
次の言葉を待っているとユキはポツリポツリと自分の思いを話し始めてくれた。
僕のことは好き。でも、付き合うほど好きなのか分からない。
この“好き”の種類はちゃんと恋愛の好きなのだろうか?
はっきり答えることが出来ないとユキは言う。
『本当にごめんなさい。自分のことなのに答えられないなんて情けないわ。せっかく告白してくれたのに……』
俯いて唇を噛むユキ。
だが、彼女に対して僕の表情は明るかった。
じわりじわりと胸が温かくなっていく。
ユキは僕とのことを前向きに考えてくれている。
優しく彼女の名前を呼ぶと、顔を上げたユキが迷子の子供のような顔になっていたので僕は思わず笑ってしまう。
「そんなに難しく考えることはないよ」
何故笑っているのだろう?と不思議そうな顔をするユキに微笑む。
「取り敢えず、気軽にデートでもしてみない?デートしてみて、僕と一緒にいると楽しい、ずっと一緒にいたいと思えるか考えてみてよ。答えはそれから。ね?」
ユキの緊張がふっと溶けたのが分かった。
『ありがとう、リーマス』
ふわりとした笑み
僕は、ユキが好きだ
「では改めて。次のホグズミード、一緒に行かない?」
少しおどけたように言う僕を見て、ユキがクスクスと笑みを零しながら頷いてくれる。
『うん!受けて立つよ!』
「!?それちょっと違うと思う!」
『あ、ごめん。お受け致す……致し……一緒に行きたい、デス』
顔を見合わせた僕たちは同時に吹き出した。
暫く二人でクスクスと笑い合う。
『次のホグズミードは決闘トーナメントの3日後だったね』
決闘トーナメントは闇の魔術に対する防衛術の先生が上級生に向けて開く特別授業。
下級生も見学に来られるから今のホグワーツはこの話題で持ちきりだ。
「ユキは決闘トーナメント出るの?」
『トーナメントには出ないけど、救護のお手伝いで会場にはいるよ』
「残念だな。ユキなら優勝を狙えそうなのに」
『最近はほら、色々あるしね……こういうのは避けないと』
ユキは小さく溜息を吐いて肩を竦めた。
スリザリン寮ではヴォルデモート卿という危険思想を持つ人物の集会に参加する生徒が増えていると聞く。
噂でその参加生徒たちが思想に共感する者を探したり、優秀な人物を集会に参加させようと勧誘していると聞いたことがある。
ユキは優秀だからきっと勧誘も激しいのだと思う。
ユキがあんな差別的な思想に影響される事はないだろうし、それに彼女は忍の事を隠したいからどんなに勧誘されても断固拒否すると思う。
でも、目立たないに越したことはない。
もしユキがトーナメントに出たとして、万が一にでも優勝してしまったら勧誘はより一層激しくなるだろうから。
「……大丈夫かい?」
まだ学生だし、同じ寮生の知り合いだから手荒なことはしないと思うが心配になる。
「何かあったら僕に言って欲しい」
『ありがとう、リーマス。でも上手く逃げまくってるから大丈夫。それに何かあっても困るのは私じゃないから』
ニヤッと笑うユキ。
彼女が強がりで言っているのではない事は知っている。
ノックアウトされるのは確実に勧誘してくる側になるだろうな。
『ところで、リーマスは?トーナメントに出るの?』
「出るよ」
『そっか!応援してるね』
「ありがとう。ユキがいると思うと心強いよ。怪我をしても一瞬で治してくれそうだ」
『うーん。治すけど、出来たら怪我しないでよ?』
「もしかして心配してくれてる?」
『当たり前じゃん』
「そっか」
『??(何で嬉しそう??)』
医務室の小部屋。
夕食の時間が来るまでユキとのお喋りを楽しむ。
いつの間にか、僕は気分が悪いことなどすっかり忘れていたのだった。
***
「よっし!俺たち3人で表彰台を独占だっ!」
肩に衝撃。
僕とシリウスの間に入ってきたジェームズがガシッと僕たちの肩を組みながら明るい声で叫ぶ。
「痛てーぞ、ジェームズ」
「悪い、悪い」
僕たちが向かっているのは大広間。
僕、ジェームズ、シリウスは決闘トーナメントに参加することになっていた。
「ギャラリーが多そうだな」
「やる気が出るよ」
鬱陶しそうな声を出すシリウスと、楽しそうなジェームズの声を聞きながら階段を下りていく。
大広間の中にぞくぞくと人が入っているのが見えてくる。
「みんな頑張って。僕は見やすい場所を探しに行くよ」
中に入るとピーターがそう言って僕たちから離れていった。
ピーターは自分には向かないと言ってトーナメントにエントリーしていなかったからだ。
人ごみの中に消えたピーターから視線を横の二人に移す。
「今日は魔法省の闇祓いの人も来るらしいね」
「あぁ。そんなこと誰か言ってたな。頑張れよ、ジェームズ。勝ち残ってしっかりアピールしろよ」
「任せろ!」と元気よく言うジェームズの進路希望は闇祓い。
今回のトーナメントには闇祓い就職希望者の生徒は全員参加していると思う。グリフィンドールではジェームズ、Ms.エバンズ、Mr.オルコットとか。
後の参加者は僕やシリウスのように腕試ししてみたい者、面白そうだから、ノリで参加したといった者が殆どだと思う。
ただ、中には剣呑な雰囲気を纏う者もいるから注意しないといけないけど―――――
「チッ」
急に舌打ちをしたシリウスの視線を追う。
その理由が分かった僕は溜息をついた。
彼の視線の先にいたのはMr.スネイプ。
「出ると思ってたけど、あんな奴参加させて大丈夫なのか?」
「僕も同感だね。彼とあたった誰かは呪い殺されちゃうよ」
どうしてこの二人はMr.スネイプにだけこうなんだ。と呆れる僕はその理由が女の子だと気がついて更にげんなりとなった。
二人ともそろそろ大人になろうよ。
それからトーナメント前に騒ぎを起こさないで欲しい。
僕は二人が何かする前に止めることにする。
「二人とも騒ぎを起こしたらその時点で失格だって分かっているかい?」
二人の肩を叩いてトーナメント表を見に行こうと促す。
「そうだ。リリーと当たらないか確認しないと!」
ジェームズが人をかき分けながら大広間の奥へと進んでいった。こっちはオーケー。
「……フン。あいつとあたるのが楽しみだ」
……こっちもギリギリオーケー。
Mr.スネイプをひと睨みしてからシリウスもジェームズの後を追って大広間の奥へと進んでいった。
ホッと安堵の息を吐き出していた僕だったが、
『ハアァ!?どういう事よ!!』
後ろから聞こえた大声に肩を跳ねさせる。
振り返った先にいたのは驚愕の表情を浮かべているユキの姿だった。
いけないことだと分かっているが、嫌な予感がしたので僕は彼女たちの会話が聞こえる距離まで移動することにした。
『ガーベラったら酷いわ!私は救護の手伝いがあるって知っていたでしょ!』
「知ってたわよ『じゃあどうして!』マダム・ポンフリーが試合がない時に手伝ってくれたら良いって言ってたからよ」
『待って、ガーベラ。もしかしてあなた、私がこれに出たがってるってマダム・ポンフリーに嘘を言ったの??』
「このトーナメントで上位に入ったら寮に得点が入るのよ?今スリザリンはグリフィンドールに大差をつけられて2位。しかも今年のグリフィンドールには闇祓い志望が多いそうじゃない」
『だからって何で私が……私、棄権するわ』
「さあ。初戦の相手が誰か確認しに行きましょう」
『ガーベラ!?話し聞こうよ!』
ユキの友達は強引な子らしい。
両側から友人たちにガシッと腕を組まれたユキが引きずられていく。
周りには友達と思われるスリザリンの女の子が大勢いるからユキが逃げるのは難しそうだ。
大丈夫かな…………
ユキ達の後を追って対戦相手が書かれているトーナメント表の前までくる。
空中に浮かぶ銀色の文字を見て僕はうっと喉を詰まらせた。
ユキの隣にあったのはMs.エバンズの名前。
「ユキ」
声をかけたらユキの周りに居たスリザリン生も一緒に振り返った。
グリフィンドールが何の用よ、と言った鋭い視線が痛い。
『……はあぁ。ガーベラ、勝手にエントリーしたんだから最前列で応援してくれるでしょ?』
「出てくれるの!?」
「棄権しないのかい!?」
僕とガーベラと呼ばれる子が同時に声を上げた。
ユキは思い切り僕を睨みつけるガーベラを見て苦笑いを浮かべている。
『今更棄権したらご迷惑がかかるもの。でも、こういう事は今回でやめにしてよね』
「ふふ、もうこれっきりにするわ。ありがとね、ユキ。1回戦はあの鼻持ちならないエバンズよ。絶対に勝って頂戴ね」
スリザリン生たちは仲間意識が強い。ユキの友人達は、本当はユキを試したくてこんな事をしたんじゃないだろうか?
ユキはスリザリン生の友人たちに嫌われたくないからトーナメントに出ると決めたのだろうか?
きっとユキの友人たちはユキがMs.エバンズと仲良くしていた事を知っていたはずだ。
ユキの心情を思うと、胸が痛い。
頑張ってね!とユキに声をかけたスリザリン生たちは僕に冷たい視線を向けながら大広間の中心へと歩いて行った。
「本当に出場するのかい?」
『うん。勧誘が鬱陶しくならない程度に頑張ることにするよ』
仕方ないと言ったように肩を竦めるユキ。
「……トーナメント表は見た?」
躊躇いがちに聞くと、ユキはキュッと唇を結んで頷いた。
「1回戦の相手はMs.エバンズだったね……なんていうか、こんな事を僕が言う権利はないかもしれないけど、棄権した方がいいんじゃないのかな?余りにも、その……」
言葉を濁す僕にユキは首を振る。
『心配ありがとう。でも、あの表見て』
ユキの横に並んでトーナメント表を見上げる。
「あ……」
空中に浮かぶ銀色の文字を見ていた僕の口から思わず声が漏れる。
『そういう事』
視界の端にユキの苦笑いが映った。
ユキがいるAブロックに見つけた知っている名前。
セブルス・スネイプ
もしユキが棄権した場合、不戦勝で2回戦に進むMs.エバンズの次の対戦相手はMr.スネイプかMr.アボット。
いや・・・実力から言ってMr.スネイプが勝ち上がってくるに決まっている。
『セブはリリーに杖を向けられない。辛い思いをしてしまう。でも、私なら大丈夫。セブもリリーも私には杖を向けられると思う。私も杖を向けられても平気だ』
「何が大丈夫で平気なんだ?」
怒気を含んだ僕の声に一瞬ユキが驚いたように目を見開いた。
だが、驚いたユキの顔は直ぐに微笑みに変わる。
『私はね、こういうの慣れているから大丈夫なんだよ』
穏やかな口調で言われた言葉。
ユキの目には光がなく暗かった。
何を見ているか分からない。何を考えているか分からない
漆黒の瞳。底なしの闇。
全身に鳥肌が立ち、背筋が寒くなる。
じっとりと背中を流れる嫌な汗。
『そろそろ救護場所の設置に行くよ』
ユキの視線が僕から逸れて、体の緊張が緩む。
『また後でね、リーマス』
「うん。また後で……」
僕は僕の知らないユキを、呆然としながら見送った。
Aブロック
特別授業、決闘トーナメントの1回戦。
グリフィンドール生の落胆の声とスリザリン生の歓声。
勝負は一瞬でついた。
「エクスペリアームス!」
『プロテゴ。エクスペリアームス』
僕は壇上のユキとMs.エバンズがお互いピリピリとした空気を発しながらも握手を交わし、壇上から無事に降りてきたのを見て胸をなでおろした。
「やっぱアイツ強ぇな」
「あぁぁっ僕のリリーが負けてしまった!君の
何の因果か知らないが、Aブロックにはジェームズとシリウスも入っている。
ユキがMr.スネイプに勝てば彼女の次の対戦相手はシリウス。
シリウスに勝ち、ジェームズが順調に勝ち進んでいけばユキとジェームズはAブロックの1位決定戦でぶつかることになる。
「シリウス、ユキと戦いたいから君は負けてくれ!」
「……ジェームズ、目がキラキラしてて気持ち悪ぃぞ。それに何だよ、そのテンションは」
シリウスがジェームズに握られた手を顔を引き攣らせながら引き抜いた。
「ジェームズはユキと対戦したくて仕方ないんだよ」
シリウスにジェームズの頭の中を説明する。
ジェームズとユキは1年生の頃からクィディッチでも魔法のかけ合いでも良いライバルだった。
ジェームズはもう一度あの日のようにユキとやり合いたいのだ。
「ちょっと前なのにアイツと悪ふざけしてた頃が懐かしいな」
ふと僕たち悪戯仕掛け人とユキとで遊んでいた頃を思い出しているとシリウスが呟いた。
「シリウス爺くさい」
「うっせ」
しんみりした空気を破るようにジェームズが言う。
少し明るくなった空気。
「シリウス、君の番次じゃない?」
「そうだな」
シリウスも、僕もジェームズも無事に1回戦を突破した。
トーナメントは順調に進んでいく。
そして、Aブロックから2回戦が始まる。
「3――2――1!」
ユキとMr.スネイプの対戦が始まった。
壇上の下で見守る僕たちはみんなユキの勝利を予想していたのだが―――――
「エクスペリアームス」
『プロテゴ!ステューピファイッ』
「プロテゴ。ステューピファイ!」
『プロテゴッ!ッ!?…………』
徐々にユキの体が後退していく。
「おいっ。何遠慮してんだッ!しっかりしろっ」
明らかに押されているユキにシリウスが檄を飛ばす。
「インカーセラス!」
『ップロテゴ』
違う。ユキはMr.スネイプに遠慮しているんじゃない。
本当に力負けしてしまっているんだ。
魔法を防ぐ度にユキの足は一歩ずつ後ろへ。
壇上になっている長机の端まで追い詰められていく。
「インペディメンタ!!」
カランと杖が落ちた音。
続いて大きな拍手。
「二人とも握手をして」
審判に促されて握手をしたユキはMr.スネイプの視線を避けるように壇上から飛び降りた。
「リーマス、どこ行くんだい?もうすぐシリウスの試合が始まるよ」
直ぐにユキの後を追いかけようとしたが、ジェームズに声をかけられてやめる。
チラッと横目で見ると、ユキは大広間の入口近くに設置された救護所でマダム・ポンフリーと何かを話していた。
もしかしたら、顔が青白く見えたのは気のせいだったのかも。
シリウスとジェームズの試合が終わったら僕の試合まで時間がある。その時にユキの様子を見に行けばいい。
僕はこの判断が間違いだったと後悔する事になるとは知らずシリウスたちの試合の観戦を続けてしまった―――――――
「すみません、マダム・ポンフリー。ユキはどこでしょうか?」
「あら、リーマス。あなたも出てたのね。ユキなら怪我人続出で薬が足りなくなったから医務室に取りに行ってもらっているわ」
歓声を背中で聞きながら大広間を出る。
どうしてだろう?嫌な予感がする。
自然と足が速まっていく。
「待て」
『わざと負けたんじゃない。何と言ったら納得してくれるの?』
静かなロビーに響く低い二つの声。
「嘘をつくな!君が―――」
『もうやめて。話したくない』
「っ待て!」
もうたくさんだと言わんばかりに片手を上げたユキが階段を駆け下りてくる。
「ユキ」
『リーマス?どうしてここに?』
「君が心配で」
その時、ゴトンと音がして階段が動き始めた。
『どいてくれる?ジャンプ「はしちゃダメだよ」……』
踊り場から僕のいる階段へ飛ぼうとするユキを制する。
上ではユキを呼び止めようとしていたMr.スネイプも階段が動いたせいで上の階に取り残されていた。
古い木の階段が鈍い音を立てながら僕たち三人を分ける。
「ユキ!」
ユキの手から籠が落ち、包帯と薬瓶が宙を舞う。
下からはガシャン、ガシャンと玄関ロビーに瓶が落下して割れた音が聞こえてくる。
倒れていく体
動かない階段
ユキは踊り場に掴まって落下しないように懸命に耐えていた。
「ユキ!」
Mr.スネイプが彼女の名を呼び、ユキのいる階段へと飛んだ。
僕は杖を振り、呪文を唱える。
「ウィンガーディアム・レビオーサ!」
僕の声は虚しく、吹き抜けの天井に吸い込まれていく。
僕の呪文もMr.スネイプの助けも間に合わなかった。
『りーま……』
「直ぐに助けを呼んでくるから」
『いや……信じて……待って。違うの……私は全部話した……嘘は言ってない……ヤダ……信じて……』
錯乱しているのか、僕の声は彼女の耳に届いていないようだった。
絶え絶えの声
虚ろな瞳
「分かってる。分かってるよ。だから喋っちゃダメだ」
『離れないで……いや……一人にしないで……』
黒い瞳から涙が零れる
「……ユキ……ユキ!!」
閉じられた双眸
卒業までに、ユキが聖マンゴ病院から退院することはなかった。