第3章 小さな動物たち
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24.碧燕の洞察
「おかえりなさい」
『ただいま』
談話室の暖炉の前。
ソファーに座って教科書を読んでいると外からユキ先輩が帰ってきた。
「マダム・ポンフリーの手伝いだったんですか?」
『うん。沢山宿題もらっちゃった』
対面のソファーに座ったユキ先輩がふーっと疲れたように息を吐き出した。
「紅茶でも淹れましょうか?」
『ありがとう』
ユキ先輩が持ってきた本の山をローテーブルの端にずらして紅茶を着地させる。
『甘くて美味しい。ん~温まる』
ユキ先輩が今度は満足したようにふーっと息を吐き出す。
「ブルガリアへは来年も行くんですか?」
『Ms.ハッフルパフも来ていいって仰って下さったからご厚意に甘えさせて頂こうかと思ってるよ』
空になったユキ先輩のカップに紅茶を注ぎながら「良かったですね」と相槌を打つ。
ユキ先輩は癒者を目指している。
普段のバカな言動からは分からないが、ユキ先輩は5年連続で学年トップの成績だった。
O.W.L.試験の直前まで入院してしまったので心配していたが、先輩は無事に癒者になるのに必要な優判定を全ての科目で獲得できたようだった。
そしてこの夏はスラグホーン教授の紹介でブルガリアの病院で手伝いをしながら勉強していたとホグワーツ特急で話していた。
「就職先はやはり聖マンゴ魔法疾患傷害病院を希望ですか?それともスコットランドかアイルランドの方に……」
『ううん。イギリスの病院に就職する気はないんだ』
「……え?」
カップに伸ばそうとしていた手が止まる。
『第一希望は夏にお邪魔させて頂いたケリドウェン魔法疾患傷害病院。出来たらMs.ハッフルパフの下で働きたくて。でも狭き門だから――――
僕は外国の病院の名を上げていくユキ先輩の話を半ば呆然として聞いていた。卒業しても当然イギリスに、会いに行ける場所にいると思っていた。
この夏ついに兄が家出し、母によって兄はブラック家の家系図から抹消された。それによって僕は正式にブラック家の跡取りになった。
これからの僕の未来は決まっている。
僕はずっとブラック家と共にあらねばならない。
国外に住むなどもっての外だ。
兄が家督を継いでくれていれば次男の僕は勉強のためといって海外に行くことも許されただろうが……
『レギュラスったら急にぼんやりしちゃってどうしたの?』
ユキ先輩に目の前で手を振られてハッとする。
「あぁ、すみません……ええと、でもどうして外国に?聖マンゴ魔法疾患傷害病院もヨーロッパ有数の病院ですよ?」
言葉の壁もあるのに……と話しているとユキ先輩の意識が僕から別の場所にずれた。先輩の視線の先を追うために首だけ振り返る。
そういうことか―――――――
男子寮から出てきたセブルス先輩が僕たちの横を通り談話室から出て行った。
ユキ先輩に視線を戻すとセブルス先輩を視界に入れないよう本に目を落としている。
「セブルス先輩を忘れるために外国へ行くんですか?」
ユキ先輩は目線だけ上げて僕を見た。
「ユキ先輩って意外と失恋を引きずるタイプだったんですね」
『馬鹿言わないで、レギュラス』
抑えるべきなのに棘のある言葉がポンポン口から出てきてしまう。
「違いましたか?僕にはそうにしか見えませんでしたけど。でも、間違っていたなら謝ります」
苛々する。
時々セブルス先輩のことを考えるのか切なげな表情をするユキ先輩を知っている僕はつい意地の悪いことを言ってしまった。
さっさとセブルス先輩のことなんか忘れてしまえばいいのに。
『私が国外にこだわるのはイギリス以外の魔法を知りたいからよ。勘違いしないで。それにケリドウェンは毒に強いの。とても興味があるのよ』
「そうでしたか。すみません」
強い目力で僕を見るユキ先輩に形だけの謝罪をする。
さっきもあれだけ傷ついた顔をしていたんだ。
嘘をついているのは丸分かりだった。
ほんと強がりだよな、この人。
気づかれないようにそっと息を吐き出す。
ユキ先輩は誰にも弱みを見せようとしない。
前にセブルス先輩がそう愚痴っていたことがある。
まるで野生動物みたいな人だ。
硬い空気の中、僕たちはそれぞれ本を読み始める。
ドサッ
どのくらい時間が経過したのだろうか?
物音がして本から顔を上げる。
「珍しい」
思わず口に出して呟いてしまった。
先ほどの物音はユキ先輩の手から本が滑り落ちた音。
それにも気づかず先輩はスヤスヤと深い眠りについている。
ユキ先輩はどんなに眠そうにしていても布団で寝ないと眠れないと言って寝ようとしない。だから寝顔を見るのは今日が初めてだった。
談話室はいつの間にか僕たちだけになっていた。
暖かい暖炉の火に照らされるユキ先輩の顔。
この人やっぱり美人だ――――――
東洋系の顔の人は幼く見えるものだがユキ先輩はどちらかというと大人っぽい美人系の顔だ。
陶器のように白く滑らかな肌
濡れたような黒い睫毛
絹糸のように美しい黒髪
この容姿に明るく人懐こい性格。
モテないはずがない。
だが、ユキ先輩は今年度に入るまで告白されることなど殆どなかったと思う。
まず1つはユキ先輩が告白してきた相手の話を独自に解釈して告白を意味のないものにしてしまうから。
そしてもう1つはセブルス先輩の存在だ。
ユキ先輩は用事のない時以外は常にセブルス先輩の傍にいた。
殆どの男は好きな人がいても勝算がないと分かっていれば告白はしない。誰だって出来れば恥はかきたくないからだ。
だからユキ先輩を好きな男子生徒はセブルス先輩に恨めしげな視線を送りながら遠巻きに見ているだけだった。
だが状況は変わった。
もうユキ先輩の隣にセブルス先輩の姿はない。
『うぅ……ん……』
嫌な夢でも見ているのだろうか、ユキ先輩が眉間に小さく皺を寄せて唸る。
今年に入ってからユキ先輩は慣れない男子生徒への対応。
それからセブルス先輩たち二人の親友を忘れるかのように勉強とマダム・ポンフリーの手伝いに勤しんでいる。更にはクィディッチのキャプテンとしてスリザリンチームを率いる。
僕はユキ先輩がぼんやりとしたり疲れた顔をしている時があるので心配していた。
「ユキ先輩」
驚かさないように控えめな声で呼んだのにユキ先輩の目はパッと開いた。
「起きました?」
『うん。いつの間にか寝ちゃってたみたい』
まるで重大な規則違反をしてしまったというようにユキ先輩が顔を顰める。
「疲れているみたいですからベッドに行ったほうがいいです」
『いや、いい。もう少しここにいる』
眠気を払うように頭を振るユキ先輩を前にため息をつく。
ここにいても先ほどのようにウトウトして眠ってしまうに決まっている。
だが、どんなに勧めてもユキ先輩は部屋へと戻ろうとしない。
「頑固ですね」
『レギュラスは先に寝てていいよ』
「半分夢の中にいる先輩を心配で置いていけませんよ」
ユキ先輩は年頃の男子生徒が自分に向けている視線の中に純粋でないものが混じっていることにも、学年が上がって出てきてしまった男女の体格差にも気づいていないらしい。
危なっかしいったらありゃしない―――――――
パタンと二人掛けソファーに体を倒すユキ先輩に僕の眉は寄っていく。
「こんなところで寝転がらないで下さい」
『15分横になったら勉強再開するからこのままでいさせてよ』
「ダメです。無防備すぎるのにも程がありますよ。そのうち誰かに襲われてもしりませんからね」
『襲う?そんな奴がいたら返り討ちにするよ』
ユキ先輩は僕に二ヤッと不敵に笑って見せてから目を閉じてしまった。
ここまで言っても分かりませんか??
両手を上げて大あくびをしながら体を伸ばしているユキ先輩の姿に僕の中の何かが切れた。
『寝るの?おやすみ』
「違いますよ」
僕は立ち上がり、眠そうな顔で僕にひらひらと手を振るユキ先輩を見下ろした。
寝ているユキ先輩のところまで行き、先輩の上に跨り両手首を掴んでソファーにグッと押し付ける。
もう僕たちの体は子供じゃない。
無防備すぎる態度がどんな危険を招くか学ぶべきだ。
直ぐ近くにあるユキ先輩の顔。
だがやっぱりというか、先輩は抵抗しなかった。
『急にどうした??』
自分の置かれている状況が理解できていないらしい。
僕に組み伏せられた今でもポカンとしている。
「4年生の僕でも体の方は大人になっているんですよ?僕はこのまま先輩を辱めることだって出来るんです。分かりますか?」
ポカンとした顔が変わり眉間に皺が寄る。
この顔は僕が何を言っているか理解していない顔ですね。
この人どこまで無知なんだ!
僕は若干イライラするのを感じながらユキ先輩の太ももの上に自分の脛を乗せ、体を動かせないように体重をかけた。
ゆっくりと重なっていく僕たちの体。
『レギュラス?何を……っ!?』
ようやく異変に気づいたようだ。
だがもう遅い。
ユキ先輩の体がビクッと跳ねる。
言っても聞かないから、危機感を持たせなくちゃいけないから。
そんな言い訳を頭の中でしながら僕はユキ先輩と唇を合わせる。
押さえつけている手首から体の震えが伝わってくる。
ユキ先輩が悪いんですよ……
僕は欲望のままにキスをしてしまう。
『レギュ……レギュラス、何を……はあ、何故……どうして』
乱れた呼吸。震えた声。
押さえつけていた手を離し、ソファーから下り、一歩後ろに下がってユキ先輩を見下ろす。
体を起こし、俯いている先輩の表情は見えない。
怖い思いをさせてしまった。
好きな人に酷いことをしてしまった。
高揚感でぼーっとしていた頭にジワジワと罪悪感と後悔の念が広がっていく。
嫌われた
頭の中の僕が言う。そう思った瞬間、急に頭が冷えて体がサーっと冷たくなっていく。
僕はどうかしてた。
ユキ先輩になんて事をしてしまったんだ……
「ユキ先『こういうの、いけない』
重ための声が僕を遮った。
顔を上げたユキ先輩を見て動揺する。
悲しげな瞳の色。
ユキ先輩の顔は辛そうに歪んでいた。
『私が悪かった。“襲われる”はこっちの意味だったね。以前ナルシッサ先輩に言われていたのに今まで忘れていたよ』
淡々と言い、寸の間瞳を閉じたユキ先輩は自嘲するように笑ってから立ち上がる。
『……気づかせてくれてありがとう。これからは年齢に相応しい態度を取るように心がける。だからレギュラスももう好きな人以外にこういう事しないで』
『おやすみ』と荷物をまとめてユキ先輩は女子寮へと歩いて行く。 魂の抜けたような後ろ姿。
僕がどうかしていたんだ。
謝らないと――――――
一瞬、ユキ先輩に拒絶された兄の姿と自分が頭の中で重なる。
「っ待って下さい。ユキ先輩……あの……すみませんでした」
僕に手を掴まれたユキ先輩が立ち止まる。
嫌だ。
ユキ先輩に嫌われたくない。
僕は嫌な音で鳴る心音を感じながら口を開く。
「僕がどうかしていました。あんな事をして……許して下さい。先輩に対して僕はあんな酷い真似を――――」
『いいの。レギュラスが謝る必要なんかないよ』
「ユキ先輩……?」
優しい声。
振り返ったユキ先輩は何故か微笑んでいた。
でもその微笑みは僕の胸を痛くする微笑み方。
『私はどうしてこう他人の感情を読み取れないんだろうね。こうやってレギュラスに迷惑をかけてしまうのが心苦しいよ。いつか見放されないといいんだけど……』
「っそんなこと……そんな事しませんよ!」
ユキ先輩は怒っていなかった。
ただ、自分に深く失望している様子だった。
『ありがとう』そう小さく呟いてユキ先輩は今度こそ女子寮へと消えていく。
「ごめんなさい……」
誰もいない談話室。
僕は目の前にいないユキ先輩に向かって謝る。
暖炉の中で薪がはぜる音
ユキ先輩は次の日からも僕に笑顔で接してくれた。
いつも通り
そう思えないのは、先輩がときどき僕の顔色をうかがっているような気がするからだった。
***
オーディションが終わり、クィディッチチームには新しいメンバーが入った。
良い選手がチームに入ったと僕もユキ先輩も満足している。
そして今日は新メンバーとの顔合わせの日。
僕たちは今、前を向いてキャプテンの言葉を待っている。
『キャプテンのユキ・雪野です。ポジションはビーター。今年も他の3寮をボッコボコにして優勝しましょう!』
開口一番、物騒な言葉で彩られた抱負。
元からいるメンバーはいつものことなので慣れているが新メンバーの顔は明らかに引き攣っている。
威嚇するなら他寮の選手にして欲しかった。と心の中でごちる。
『いいですか皆さん。反則はバレないようにやるものです。減点や退場があっては困ります。バレない自信がない人は――――――
みんな真っ直ぐに前を向き、微動だにせずユキ先輩の話を聞いている。
それは話に聞き入っているからではなく唖然として動けないからだ。
どこのチームに反則の仕方について語るキャプテンがいるだろう。
(でもなるほど、と思う部分があるからちょっと悔しかった)
ホグワーツでも変人と名高いユキ先輩。
思えばユキ先輩の突飛な行動や言動を見てきたおかげで最近はちょっとやそっとで驚かなくなった。
何があっても動揺しない心。
たぶんこれがスリザリンチームの強さの秘密だと思う。
『練習は週明けからです。では解散!』
拳を天井に突き上げたユキ先輩に解散を告げられてわらわらとミーティングをしていたロッカールームから出ていく選手たち。
「ユキ先輩は寮に戻ります?」
『うーん。天気もいいし散歩しようかなって』
「ご一緒しても?」
『もちろん』
心の中でホッと息をつく。
よかった。これでゆっくり話すことが出来そうだ。
僕はユキ先輩と一緒に湖の方へと歩いていく。
まだ夏休みが明けたばかりだから日差しも強く気温も高い。ローブの袖を捲っても暑いくらいだ。
手で自分を扇ぐユキ先輩を横目で見る。
ユキ先輩の顔はこの暑さでも火照ることなく白さを保っていた。青白いとさえ言えるかもしれない。
ユキ先輩は何の前触れもなく気を失っては意識が戻るまでに幾日もかかることを何度か繰り返していた。
僕が知る限りで2度。僕が入学する前にも1度あったらしい。
試験期間の初日に退院したばかりのユキ先輩と話したとき、今までの気絶の原因が分かった。もう倒れることはない、と言っていたが実際はどうなのだろう?
ユキ先輩はあっけらかんとしているように見えて実は相当な秘密主義だ。
以前、試合中に骨折したユキ先輩はそれを隠したまま試合を続けていたことがあった。
試合の数日後、僕は廊下でたまたま会ったマダム・ポンフリーからそのことを聞いた。この偶然がなかったら僕はユキ先輩の骨折を知ることはなかっただろう。
僕たちに心配をかけないためか、はたまた言いたくないだけかは分からないがユキ先輩は怪我のことも気絶の病気のことも自ら話そうとしない。
しかし、今日こそはっきりと気絶の原因を聞き出そうと僕は固く決めていた。
いつものように誤魔化されないようにしなければ……
そう思いながら僕は口を開く。
「少し座りませんか?」
『うん』
ユキ先輩を促して木陰に腰掛ける。
そして僕は雑談を挟むことなく単刀直入に話を切り出した。
「今までの気絶の原因を教えてくれませんか?」
僕を横目でチラと見てからユキ先輩は視線を湖の方に戻した。
話したくないようだ。嫌そうな顔をしている。
『せっかくの良い天気なんだからもっと明るくて楽しい話をしない?』
「しません」
『意志が固そうだね』
「えぇ。本格的に練習が始まる前に確認しておかないといけませんからね」
ユキ先輩は前を見据えたまま小さく眉を寄せた。
話すのを戸惑っているらしい。
何を戸惑っているかは知らないが箒で高いところにいる時に気絶して落下しては命はない。だからちゃんとした理由を聞かなければ安心できなかった。
病気のことはデリケートな話題だ。
だから聞き出す時に強く催促したくはなかった。
だが、いくら待ってもユキ先輩は口を開こうとしない。
「躊躇うようなことですか?」
僕はただ心配して聞いているだけだ。それなのにユキ先輩は話そうとしない。一体どういうつもりなんだ?
「ちゃんとした理由はあるのでしょう?」
『……ある』
「先輩、試合中の僕たち二人はいつも箒がぶつかりそうなほど近距離で飛びながらプレーしています。僕は好奇心から先輩の気絶の原因を聞きたいんじゃないんです」
僕がスニッチを見つけたらユキ先輩は僕の邪魔になりそうな人やボールを排除するために僕の周りを飛び回る。一歩間違えば衝突して大怪我をする可能性もあるプレースタイル。
ユキ先輩もそれは分かっていると頷いている。
「じゃあどうして話してくれないんですか?」
しかしそう聞いたらまたダンマリだ。
思わず大きなため息を吐き出してしまう。
「もういいですよ」
僕はいつからこんなに短気になったのか。
それとも、以前のセブルス先輩ほどではないが自分はユキ先輩と親しくしているという自信があったから話してくれないことにショックを受けてこういう態度をとっているのか。
とにかく苛立っていた僕は城へ帰る道を歩き出す。
青さが残ったまま落ちた落葉が僕の足の下で音を鳴らす。
『き、記憶が戻ったからなのっ』
急に縋るような叫び声が背後から聞こえた。
足を止めて後ろを振り返る。
「ユキ先輩……?」
僕は急いでユキ先輩に駆け寄った。
「先輩しっかり!!」
あぁ、僕はまたやってしまった。
崩れ落ちそうな体を支える。
この前のようにユキ先輩の気持ちを傷つけてしまった。
僕は自分の唇を強く噛みながらユキ先輩を落ち着かせようと背中をさする。
『き、気を失って意識が回復するたびに忘れていた記憶を思い出してた。でも、もう全部記憶戻ったよ。だから、もう、もう倒れない。心配ないの……もう……』
「喋らなくていいです。ゆっくり呼吸して」
言葉を切ったユキ先輩が過呼吸のように荒い呼吸をし始めた。
『ごめ、レギュラス……ごめん』
「落ち着いて。とにかく座りましょう」
先輩らしくない姿に動揺し、この表情をさせてしまったのが自分であることに胸を痛める。
ユキ先輩を地面に座らせる。
その顔は真っ青だった。
『レギュラス……出来れば時間をくれない?私は話すのが苦手だから話す言葉をまとめたい。もしレギュラスが許してくれたらだけど……』
「ユキ先輩……」
両手で僕の腕を強く握るユキ先輩はとても怯えた目をしていた。
心の中で多くを葛藤しているようだった。
『ちゃんと説明するから。時間をくれたら話すから』
涙の溜まった目
震えた声
セブルス先輩達のように離れていかないで欲しい。
ユキ先輩の言葉から、表情からその思いが伝わってくる。
「深呼吸して。吸って、吐いて。そうです……吸って―――――
あやすように背中を叩く。
正直ユキ先輩の過去に興味はあるし、話して欲しいという気持ちもある。
だが、様子を見るからにユキ先輩の過去は決して明るいものではなく思い出したくないもののようだった。
それを無理やり言わせるのは僕の本意ではない。
僕は不安げに揺れる瞳をまっすぐと見つめ口を開いた。
「僕が聞きたいのはこれから先、今まで何度かあったように突然気を失うことはないのかということです。この意味分かりますね?」
頷いたユキ先輩の肩を抱き、自分の方に引き寄せ、抱きしめる。
先輩は抵抗しなかった。それどころか離れたくないと言うように僕の服を手で握っている。
「昔の記憶は話さなくていいです。僕が聞きたいのは倒れた原因だけ。それなら言えますか?」
小さな子供を諭すように優しく言うと、ユキ先輩は何度かコクコクと頷いてから口を開いてくれた。
『倒れたのは記憶が戻る反動みたいなものだったの。忘れていた記憶は揃った。もう倒れたりしない』
僕の胸に顔を押し当てたままユキ先輩が硬い声で呟く。
「本当ですね?」
ユキ先輩がコクリと頷くのが見えた。
僕はユキ先輩を抱きしめる腕にギュッと力を込めた。
先輩の体が小さく跳ねる。
「どうしてそんなに怯えているんです?」
分からないというようにユキ先輩が頭を振った。
普段では考えられないようなユキ先輩の態度に困惑しながら僕は片手でユキ先輩の髪を梳いている。
先輩の頭にコツンと顎をつけながら考える。
聞こえてきたくぐもった泣き声。
腕の中で小さく震える体。
『レギュラスは……私が、嫌い?』
人の気持ちを上手く読み取れない
おまけに自分の感情にも鈍い
「馬鹿なことを……」
そして怪我をしても痛みを顔に出さない姿
『離れていかない?そばにいてくれるの?』
「もちろんです。僕はユキ先輩を……」
ユキ先輩が顔を上げて僕を見た。
母を見る子供のような純粋で真っ直ぐな瞳。
その瞳に見つめられた僕はある事にハタと気がつき、言いかけの言葉を最後まで紡がぬまま口を閉じた。
もしかしたら……もしかしたらこの人は自己を抑圧されるような環境で育ったのではないだろうか?
だから上手く感情が発達しなかったのではないだろうか?
そう考えたら空気を読まない態度も、人の気持ちに鈍感なところも上手く説明がつく気がした。
ただの想像だったが胸の中に広がる嫌な感じが真実だと告げているように感じる。
「……ユキ先輩」
上目遣いで僕を見る目は恐れの色で染まっている。
瞳の中にユキ先輩の暗い過去が垣間見えた気がした。
黒い瞳が大きく見開かれた。
冷たかった唇が少しずつ熱を帯びていく。
僕はこの前とは違う、荒々しさのない優しいキスをする。
「ブッ!?どうして目を閉じなかったんですか」
『え……ごめん。ビックリしていて……』
ほうけた顔で言うユキ先輩の顔に手を伸ばし、頬に伝っていた涙を優しく拭いながら笑う。
ユキ先輩は用事のない時はいつも親鳥を追う雛のようにセブルス先輩を追いかけていた。
普通の人でも友人との仲違いは堪える。
心が未発達の状態、しかも親友二人から絶縁を言い渡されたユキ先輩の心痛は相当なものだろう。
壊れた心
『……どうして?好きでもない人にキスしちゃダメだって前に言ったじゃない……』
「僕はあなたが好きですよ」
『――っ!?』
その傷を治すのは僕だ。
「ユキ先輩はセブルス先輩のことなんか忘れて僕を好きになったらいいと思います」
『レギュラス!?』
驚いて体を離そうとするユキ先輩の手を引っ張って腕の中に閉じ込めてしまう。
セブルス先輩、どうしてあなたはユキ先輩の手を振り払ったりしたのですか?
ユキ先輩はみんなが思うより、セブルス先輩が思うよりずっと繊細で傷つきやすい人なんだ。
あなたはユキ先輩のことを分かっていなかった。
そんなあなたに、ユキ先輩を深く傷つけたあなたになんかユキ先輩は返せない。
傷心のユキ先輩を攻めるのは間違った行いかもしれないが僕はスリザリンなんだ。
この機を逃すつもりはない。
ユキ先輩を守るのは僕だ。
「後輩だからと遠慮しないで甘えてきてください。好きな人に甘えられるのは嬉しいんですから」
『レギュラス、ええと、私……』
「レギュでいいですよ。家族や親戚は僕をそう呼びます。だからユキ先輩もこれからはレギュと呼んで下さい」
『あ、ありがとぅ、レギュ』
目線を横に動かせば真っ赤に染まった耳がある。
もうあなたの出番はありませんよ、セブルス先輩。
ユキ先輩は僕がもらいます。