第3章 小さな動物たち
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20.蝙蝠の告白
「誰もいません」
「こっちもです」
短い会話を交わし、廊下に出る。
5年生に上がった僕はルシウス先輩から紹介してもらい、ヴォルデモート卿という方が開く集まりに定期的に参加していた。
―――魔法に良い、悪いはあるのだろうか?
そもそも闇の魔術とそうでないものの区別は誰がつけているのだろうか……
闇の魔術と呼ばれるものは制御するのが難しいものが多く、時には術者の命を奪うこともある。
そういった魔力を必要とする術を使いこなせない能力の低い者達が嫉妬して“この魔法は危険だ”と決めつけているのだ。と卿はおっしゃる。
知識はあればあるだけいい。
誰かが勝手に決めつけたに区分に縛られて知識を得られないのは自分にとって大きな損失だ。
あの方についていけば自分の能力を伸ばすことができる。
僕はそう思っていたが世間は違う。闇の魔術に関わる者は危険人物とみなされてしまう。
だから月1度の会合はこのように人目を憚って出掛けなければならかった。
移動方法はポートキー。スリザリン生だけでなく他寮の生徒もいるので空き教室などに集合し移動している。
前回までの集合場所である監督生のためのバスルームはシリウス・ブラックに目をつけられてしまい使用できなくなってしまっていた。
時刻は3時過ぎ。
ユキからこの時間帯はフィルチの就寝時間だと聞いていたが油断は出来ない。
誰かに見つかったら大変だ。
僕たちは周囲に警戒しながら暗い廊下を進んでいく。
「純血」
合言葉で開く寮の扉。
無事に戻って来られてほっと息を吐き出す僕達だったが談話室に入ってぎょっとした。
暗いはずの部屋に明かりが灯り、暖炉の火が赤々と燃えていたからだ。
「ったく。ユキじゃないか」
先頭にいた先輩の声に全員の緊張が緩む。
ふぅーっと息を吐き出す先輩の視線の先にいたのは二人掛けソファーで横になって寝ているユキの姿だった。
「お菓子を食べているうちに眠ってしまったんだな」
「ユキはいつまで経っても子供だな」
最上級生の先輩二人の会話を聞きながら、僕はみんなが早く部屋に戻ればいいのにと思っていた。
僕と同じく成長期のユキの外見はまだあどけなさは残っているものの周りがはっとするほど美しく変わっていた。
そんなユキの、好意を抱いている女性のパジャマ姿。
男なら誰でも他の男に見せたくないと思うのは当然だろう。
「さあ、お喋りは終わりだ。授業までに少し寝ておけ。セブルス、お前はユキを起こしてやれ。このままだと風邪を引いてしまう」
「わかりました」
男子フロアへと消えた先輩たちを見送ってユキの肩を軽く叩く。
「おい、起きろ」
『起きてるよ』
「!?」
パッと瞼が開いて漆黒の瞳に捉えられる。
この穴のあいたような濃淡のない瞳に見つめられると心の内を読まれるような感覚になる時がある。
「こんな時間まで何してたんだよ」
僕はユキから視線を逸らし、ユキの隣に腰掛ける。
『眠れなくて教科書を読んでいたら寝てしまったの』
ユキの指差す先を目で追うと、チョコレートの箱の下に教科書らしきものがあるのが見えた。
開きっぱなしのチョコレート箱の中身は空っぽ。
夜中に体に悪い、とぼんやり考えていると、自分の膝に肘をつき頬杖をつくユキに顔を覗き込まれた。
『どうしてあの会から抜けないの?』
心の準備が出来ていなかった僕の体がビクリと跳ねる。
先ほどと同じように心を読まれるような感覚。この威圧感はどこからくるのだろう?
ユキは時々、僕の知らないユキになる。
『あのヴォルデモートって男は危険だよ』
「ユキはあの方のことをよく知らないからそんな事を言うんだ」
『じゃあ、良く分かるように私も会に入れてよ』
「っそれは……!それはダメだ」
『どうして?』
ユキの目を見ていたら何もかもを話してしまいそうになり、僕は体ごと彼女の視線から逃げる。
『セブ』
「たまには一緒に行動しない時間も欲しいんだ」
沈黙の中にパチパチと暖炉の火が燃える音が聞こえている。
背中を向けていてユキの顔は見えないがきっとショックを与えてしまっただろう。でも、これでいい。
『ごめん。そうだね。私ったらいつもセブの後ばかり追い掛け回して……いい加減やめなくちゃね』
長い沈黙の後にユキが言った。
ユキはそそくさと荷物を片付けて女子寮へと戻っていった。
なんとなく寂しそうな背中を見送りながら心の中で謝る。
―――先輩、お話があります
初めは闇の魔術について知識を得られるのが楽しかった。
だが、今は違う。
―――会を抜けたいだって?そんなことが許されると思うか?
純血主義で排他的なあの方の思想は危険だ。
―――抜けたいならお前の代わりに誰か連れてくるんだな。そう、例えば……雪野とか
―――っ!あいつはダメです!
―――何故だ?卿は優秀な人材を欲しておられる。雪野なら卿も気に入って下さるのでは?
だが、抜けたいと思った時には深みに入りすぎていた。
僕は戻れないところまで来てしまっていた。
―――会は抜けません。ですから先輩、ユキだけはこの世界に引き入れないでください
「ユキ、リリー……ごめん」
僕はもうこの道を進んでいくしかないんだ。
***
イースター休暇明けのホグズミードの日。
柔らかな春の日差しを浴びながら僕とユキは正面玄関前でリリーを待っていた。
『リリーが遅れるなんて珍しいね』
「そうだな」
『ふあぁ。それにしても眠い』
「あくびするときは手で口を隠せ」
『うー、ごめん』
「また眠れなくなっているのか?そうなら早めにマダム・ポンフリーのところへ行くんだぞ」
『ふあぁい』
とろんとした目でユキが2回目の欠伸をした。
何年生の時か忘れたが、ユキは不眠症になり暫く生ける屍の水薬を処方されていた時がある。
目を瞑って隣でユラユラ揺れているユキを心配していた僕の肩が跳ねる。
突然カッと目を見開いたユキがグルンと体を反転させたからだ。
『プロテゴ』
振り返った僕の目の前で閃光が弾ける。
「だああぁ後ろにも目ついてんのか!?」
『ホグズミードの日までやめてくれないかなぁ』
叫ぶブラックにユキがイライラと杖を手の中で回しながら溜息をつく。
「俺が狙ったのはお前じゃなくてスニベリーだ!」
『どっちだって同じよ』
僕もポッターも杖を抜いていた。
ユキと同じくホグズミードの日まで絡んでくる奴らに僕も苛々している。
ちょうどリリーも近くにいない。この前覚えた呪文をブラックで試してやろう。
「楽しそうですね。僕らも混ぜて頂けませんか?」
睨み合っていた僕たちは一斉に視線を横に向ける。
レギュラスたちスリザリンクディッチチームの姿があった。
レギュラスは僕の横まで来て、ブラックの方にニコリと笑みを向ける。
「おやおや。よく見たら人数のバランスがずいぶんと悪いですね。4対2ですか?しかも我々スリザリンの先輩のうち一人は女の子だ。さすが兄さん。女性の扱いを心得ていらっしゃる」
ブラックを嘲る笑いがクィディッチチームのメンバーから漏れる。
多勢に無勢。しかも言い返すことも出来ない。杖を下ろすしかないブラックとポッターの悔しそうな顔を見て僕の苛立ちはスっと引いていく。
「ね、ねえ、そろそろホグズミードに移動しようよ……」
「あぁ、そうだな」
あいつらの中で唯一名前の知らない、気弱そうな男に促されてブラックたちは僕たちの前からいなくなった。
怒りで顔を赤くさせながら僕を睨むブラックが愉快で堪らない。
ユキの前で恥をかかせることが出来た。レギュラスに感謝しないとな。
『シリウスたちはどうして急に行っちゃったの?意味分かんない』
喧嘩ができなくて消化不良だ、と言った顔でユキが口を尖らせる。
「分からなくても困りませんから分からないままでいいんじゃないですか?」
『レギュラスっていつも私に厳しいと思う』
「これでも優しくしている方ですよ」
『人に優しくする方法が分からないならオススメの本が「必要あ、り、ま、せ、んっ」
普段から品行方正で通っているレギュラスに大声を出させるなんて……
僕はチームメイトに落ち着くように宥められているレギュラスに心から同情した。
『それにしてもみんな勢ぞろいしてどうしたの?集まろうってことになっていたっけ?』
気持ちがいい程ざっくりと話題を変えてユキが聞いた。
「ユキ先輩にお聞きしたい事がありまして……」
「外したほうがいいか?」
「いえ。直ぐに終わりますからお気遣いなく」
好きな色は?といった簡単な質問をポカンとするユキに投げかけるレギュラスたち。
「セブ」
簡単な質問にぶっ飛んだ答えを返されて四苦八苦しているレギュラスたちを面白おかしく見ているとリリーがやってきた。
『リリー!』
「おはよう、ユキ。遅れてごめんね」
『直ぐに終わるから待っててくれる?』
「えぇ」
噛み合わない問答に戻るユキとレギュラスたち。
「セブ、ちょっといい?」
リリーに手を引かれた僕は離れたところに連れて行かれる。
ユキたちと十分に距離を取って立ち止まったリリーの顔を見て嫌な予感を覚える。
これは十中八九、何かを企んでいる顔だ。
「デートプランを考えてきたの」
「はぁ?」
僕の口から間抜けな声が飛び出した。
くらっと目眩を感じて額に手を持っていく。
「ごめん、リリー……意味が……」
「だーかーらーセブには今日一日私が作ったプランでユキと一緒にデートをしてもらいます!」
ジャーンと言いながらリリーが掲げた紙を見て僕の目眩は一層強くなる。そして多分今の僕の顔は真っ赤だ。
「リリー、せっかく考えてきてもらったのに申し訳ないが」
「セブったらダメよ。セブに拒否権は与えません」
僕の言葉はリリーによってピシャリと遮られた。
「私がこの一年間どれだけ焦れったい思いをしていたか分かってる?ちっとも進展しないなんて!」
リリーの言葉に返す言葉もない。「もうすぐ5年生も終わるのよ!」と紙でペシペシと胸を叩かれて僕の体は自然と後退していく。
リリーは僕がユキを好きだと知っている。
実は、今までにもリリーは僕とユキの仲を取り持とうとしてくれたことがあったのだが僕の勇気のなさとユキの予想外の行動により全て失敗してしまっていた。
リリーの苛立ちは分かる。
僕もリリー以上に情けない自分自身に腹が立っているからだ。
しかし、苛立ちよりも恐怖が勝る。
告白することにより、ユキが僕を見る目が変わって離れていってしまったら耐えられない。
「そうやって悩んでいる間にユキが誰かに取られても知らないんだからね」
覚悟の決まらない僕に厳しい言葉を投げつけるリリー。
ただ、厳しいが本当のことだ。
明るく人懐っこい性格な上に成績も優秀。それに外見も神秘的で美しいとホグワーツでは評判だ。
ユキが誰かと付き合う
パッと脳裏に浮かんだ想像。
僕はルーピンやブラックと付き合っているユキの姿を頭から追い払う。
あいつらだけには取られたくない。
「……わかった。今日は頑張ってみるよ」
「セブ!そう言ってくれて嬉しいわ。応援しているわね!」
勇気を出そう。
覚悟を決めて言うと、嬉しそうに顔を輝かせたリリーに思い切りハグされた。
「上手くいくように祈っているわ」
「ありがとう」
幼馴染に恋の応援をされるのは気恥ずかしい。
僕は赤くなっていく顔を隠すように俯いてボソボソと感謝の言葉を述べた。
「ユキがこっちに来たわ。上手くいくはずだから自信を持って」
「は?」
その意味をリリーに確かめる前にユキが僕たちのもとに来てしまった。
上手くいくはずだから?
それってもしかして……
いやが上にも期待が膨らんでしまう。
『セブ顔が赤いよ?もしや風邪??』
「う、煩いっ」
『!?』
思わず大きな声を出してしまった。
何故!?と言った顔で固まるユキの前で申し訳ない気持ちになる。
「(もうセブったら!)話し合いは終わった?」
僕を軽く睨みながらリリーが話題を変えてくれた。
『うん。よくわからなかったけど』
「よく分からないって?」
『好きな色とか好きな香りとか沢山質問されたんだけど何でこんなこと聞くの?って聞いても教えてくれなくてさ』
肩を竦めるユキは最後までクィディッチメンバーたちの意図に気付かなかったらしい。
ユキは次学年からスリザリンのクィディッチキャプテンになる。レギュラスたちはホグズミードでユキへのプレゼントを選ぶつもりなのだろう。
『許可証を見せてホグズミードへ出発しよう』
「ごめん、ユキ。私は今日はいけないの」
『え?』
目を瞬くユキに「風邪引きそうで」とリリーが嘘の咳をしながら言った。
『医務室か寮まで送っていくよ』
「そんなに重症じゃないから大丈夫よ。ちょっと風邪気味だから悪化しないように外に出たくないだけなの。だから今日は二人で楽しんできて」
『そっか……残念だけどわかったよ。リリーにはお土産を買ってくるね』
「ありがとう!」
作戦が上手くいってパッと顔を明るくさせたリリーが慌てて咳をする。
「行ってらっしゃい」
『リリーお大事にね』
手を振るリリーに見送られて僕とユキはホグワーツ城の門をくぐる。
風はまだ冷たいが日差しは温かい。
道端には野生のスイセンが咲いて芳しい香りを放っている。
ユキとの初デートと春の陽気に頭がぼーっとしてしまう。
『インクがなくなっちゃったから買いに行ってもいい?』
『後からだと忘れちゃいそうで』と続けるユキにハッとして頷く。
ぼーっとしている場合じゃない。
せっかくリリーが作ってくれたチャンスなんだ。今日こそ勇気を出そう。
ダービッシュ・アンド・バングズ魔法用具店に入った僕は誰もいない通路に入ってリリーからもらった紙に目を落とした。
リリーが書いてくれたデートプラン。初めに行くのは――――
「……」
自分の顔が引き攣っていくのが分かる。
紙に書かれた“マダム・パディフットの喫茶店をセブの名前で予約済”の文字。
あのカップルだらけの場所に行けっていうのか!?
いくらなんでも初めからハードルが高すぎる。
僕はデートプランを見なかったことにして紙をポケットの中にしまった。
『ねえ、セブ、どこ?どこ?どこ!?』
この後は無難に三本の箒にでも行こうか。と考えていると興奮した声が店の中に響いた。
通路から出ると僕を見つけたユキが走ってきて僕の前でキキッと止まる。
「おいっ店の中で騒ぐなよ」
声を潜めて叱るがユキの耳には届かない。
なおも興奮した様子で話し出す。
『凄いケーキ、流れるって!熱くてトロって。美味しいって聞いた!』
「と、とにかく落ち着け!何を言っているかさっぱり分からない」
『説明してたらなくなっちゃう。走るよ、セブ』
「っ!?」
ユキがバンっとドアを開けたせいでドアにぶら下がっていたベルが乱暴な音を立てた。
僕はわけが分からないままユキに手を引かれて道を走っていく。
分けが分からない状況とはいえユキと手を繋げて嬉しい。
というわけにはいかない。ユキの足は速すぎる。
ユキが止まった時には息がすっかり上がってしまっていた。
『到着!』
「何が到着!だ!」
元気よくバンザイをするユキの頬を引っ張ってやる。
『やめふぇ~~~変な顔ににゃる』
僕の手から離れた顔を両手で挟み、うらめしげな顔で睨んでくるユキを無視しながら顔を上げる。こんなに走らされて連れてこられた場所はどこだろう?
ゼエゼエと繰り返していた荒い呼吸がうっと止まった。
マダム・パディフットの喫茶店
走ってかいていた汗がサーっと引いていく。
「お、おい。ここに入るんじゃないよな?」
絶対に嫌だ。
何度か通りかかったことがあったが、マダム・パディフットの喫茶店は近くで見ると更に悪趣味だった。
窓から見える店内は全体的にピンク色。ハートの風船が浮き、どこもかしこもフリルだらけ。僕の目は既にチカチカしている。
断言してもいい。僕は誰よりもこの店に似合わない自信がある。
未知の世界との出会いに恐れ慄いた僕のローブがチョンチョンと引っ張られる。
視線を向ければ瞳をウルウルさせるユキと目が合ってしまう。
『今日からフォンダンショコラがメニューに加わったらしいの。一人じゃ寂しいよ。一緒に食べようよ』
男っていうのは馬鹿だ
僕の意思はユキの一言で簡単に捻じ曲げられた。たとえ周りから好奇な目で見られ、後で馬鹿にされると分かっていても、だ。
ユキの後に続いて店に入る。
『2名デス!』
カップルが作る店の中の甘い雰囲気をぶち壊す声でユキがピースサインを突き出した。
『まさかセブが予約していてくれたなんて!』
弾けるユキの笑顔。
今日はほぼ予約で席が埋まっており、予約をしていない客はうんざりするほど長い時間待たされることになったと思う。
予約されていた席は奥まった場所にある席で人目も気にならず居心地も悪くない。
僕は店の予約をしてくれたリリーに感謝しながらメニュー表を嬉しそうな顔で見ているユキを眺めている。
『フォンダンショコラをあるだけ下さい』
「あるだけ!?……ごめんなさいね。今日はおひとり様一つずつなのよ」
「僕の分をやるからそんな顔するな。フォンダンショコラは一つずつ。紅茶はダージリンとアッサムにして下さい」
店員の後ろ姿から視線を逸らし前を見るとユキが胸の前で両手を組んでキラキラした瞳を僕に向けていた。
『セブって優しい。セブ大好き』
「……」
いつものように「馬鹿」とも「煩い」とも言えずに僕は顔を火照らせて固まってしまう。
こんなの反則だ。
フォンダンショコラがくるまでの間、僕はユキの話に相槌を打つだけで精一杯。
『おいふぃい……うぅ』
「プックク……良かったな」
僕はどんなユキでも好きだ。
こうやって大好きなチョコを嬉し泣きしながら食べている姿も
さっきみたいに不意にドキッとさせられる事を言われるのも
ヒヤヒヤさせられるのも
大真面目で馬鹿をする時も――――
もっと色々なユキを知りたい。
僕はユキが好きだ
できれば彼女に想いを受け止めて欲しい
『ん~~美味しかった。幸せ!』
「口の端にチョコがついているぞ」
『うっ……取れた?』
「まだついてる。そっちじゃない。反対だ……こっちに顔寄せろ。取ってやる」
対面に座っているユキが身を乗り出し、僕はナフキンでチョコを拭き取ってやる。
『ありがと。そう言えば前にもこういうことあったよね』
ナフキンについたチョコを少し口惜しそうに見ながらユキが言った。
『前の時はゴシゴシ擦られすぎて鼻がもげてしまうかと思った。確かあの時も食べていたのはフォンダンショコラだったような……』
「フォンダンショコラなんか一緒に食べたことあったか?」
誰かと僕を勘違いしているのだろうか?
心をモヤモヤさせていたが、
『あれ?でも私、フォンダンショコラ食べるの今日が初めてなんだよね』
とユキは首を傾げた。
『おかしいな。フォンダンショコラを見るまでフォンダンショコラが何か知らなかったのに懐かしい感じがしたんだよね』
「どこかで食べたことあるんじゃないか?」
『こんな美味しいもの食べたら忘れないと思うんだけど……思い出せない。う~もういいや!すみません、追加注文お願いします』
ユキがアップルパイを食べた後、僕たちは三本の箒に移動して昼食。
その後は気の向くままに店を覗いて歩いた。
リリーへのお土産を買い終わり、僕たちは残りの時間を大きな木の木陰でゆっくりと過ごすことに。
幹を背もたれ代わりにして僕たちは並んで座った。
『風が気持ちいいね』
「そうだな」
ユキが大きく伸びをした。
肩が触れ合うような距離で緊張する。
『お腹もいっぱいで幸せ』
「……そうだな」
『セブの返事が適当で寂しい』
ユキがぷくっと頬を膨らませた。
今は緊張と告白の言葉を考えるだけでいっぱいいっぱいなんだ。仕方ないじゃないか。
謝ったらすぐに機嫌が直ったので僕は再び告白の言葉を考える作業に戻る。
告白の言葉が頭の中で浮かんでは消えていく。
告白する相手はあのユキなのだ。
一筋縄でいくはずがない。
分かりやすく、正確に自分の気持ちを伝えられるように文章にしないとな。
「ユキ……?」
どのくらい経っただろうか。まだ言う言葉がまとまらない僕の左肩にトンと軽い衝撃がきた。
顔を横に動かして見えたのは目を閉じてスヤスヤと眠っているユキの寝顔。
いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「こんなところで寝たら風邪をひくぞ」
ユキの寝顔をもう少し見ていたい気もしたがO.W.L.試験前の大事な時期に風邪をひいてしまっては大変だ。ユキの肩を優しく叩く。
「……まったく。仕方のない奴だ」
ピクリとも反応しないユキ。
そういえばリリーを待っている時に眠そうにしていたな。
ユキは久しぶりに眠ることが出来たのかもしれない。それなら少しだけこのまま眠らせてやろう。
僕は残念なようなホッとしたような気持ちになりながらユキの体にかけるためにそっと体を動かしてローブを脱いだ。
「ユキ?」
ローブをかける時に偶然に触れたユキの手。
その熱さに驚く。
「ユキ……おい……起きろっ……」
何故僕はこんなに慌てているのだろう?
ユキはうたた寝しているだけだ。
肩を両手で掴んで揺すり起こす。
これは嘘だ。
直ぐに目を開けて、僕を見て、口を尖らせて『痛いなぁ』と眠そうな声で抗議するんだ。
ほら、ユキが目を開けた。
「ユキ……?」
『呼吸が……苦シ、くて……』
目を開けたユキが僕の胸に力なく倒れこむ。
『重くてごめん……セブ……』
いつの間にこんなに体格差が出来たのだろう?
抱き上げたユキの体が軽すぎて、怖かった。
***
あれはどういう意味だったんだ?
寮に戻った僕はベッドのカーテンを引き、頭を抱えた。
―――ユキには言うなと言われていたのですが……
僕の腕の中で意識を失ったユキは直ぐに聖マンゴ魔法疾患傷害病院に搬送された。
原因不明の高熱は収まったもののユキの意識が回復したという知らせはまだない。
―――前に一度、ユキがアニメーガスに失敗したことがあって……
ユキが倒れてから1週間
ユキの後見人になっているマクゴナガル教授があの日から毎日聖マンゴ魔法疾患傷害病院にユキを見舞いに行っていると聞いた僕はマクゴナガル教授の私室へと向かっていた。
―――その時に以前のように白髪になり目も黄色く変わりました
廊下の曲がり角で聞いたマクゴナガル教授とルーピンの会話
―――黒い耳に九本の尾?知らない動物だわ
―――ユキの世界に九尾の妖狐を体に封印された少年がいると……
ユキの世界とは何だ……?
――― ……Mr.ルーピン、あなたはどこまで知っているのですか?
―――ユキが僕たちとは違うシノビの国から来たと……
―――驚いたわ。ユキが誰かに話すなんて……詳しくは中で話しましょう
2人はマクゴナガル教授の私室に入っていき僕はそれ以上の話を聞くことができなかった。
シノビの国
そこがユキの故郷なのだろうか?
ユキは僕に今まで一度もそんな国の話をしたことはなかった。
記憶を思い出したのなら教えてくれたらいいじゃないか。
どうして何も言ってくれなかったんだ?
廊下の角から覗って見えたマクゴナガル教授の顔はとても嬉しそうに見えた。
娘に信頼できる友人がいて良かった、とでも言うように。
その信頼できる友人は僕じゃない。
僕ではなくルーピンだった。
1年生の時から僕たちはずっと一緒にいた。
ユキは誰よりも僕を理解してくれている。
僕の方もユキに信用され、理解していると思っていた。
でも、そう思っていたのは僕だけだったんだ。
酷く裏切られた気分になり僕の目から自然と涙が溢れていく。
悲しみと嫉妬。悔しさとショックでどうにかなってしまいそうだ。
胸が潰れてしまいそうなほど痛い。
―――2つとも食べていいの!?
ふとユキの笑顔が脳裏に浮かぶ。
―――セブったらまた地下牢教室行くの?私も行く
胸が潰れてしまいそうなほど痛い。
でも、ユキの笑顔が見られないのはもっと辛い。
僕がユキを好きだという気持ちはそう簡単には変わらない。
―――呼吸が……苦シ、くて……
意識を失う寸前に見せた顔。
あんなに苦しそうな表情は見たことがなかった。
「目を覚ましてくれ……頼むから……」
一瞬でも、嫌いだなんて思ってごめん。
ルーピンへの嫉妬からユキに対していい気味だと思ってしまった自分を激しく嫌悪する。
「目が覚めたら、言いたいことがあるんだ」
ベッドサイドチェストの引き出しから取り出した写真立て。
写真の中では2年生の僕たちが無邪気に笑っている。
「ユキ、ずっと言いたかった。好きなんだ」
早く君の笑顔が見たい。
明るく元気な君に戻って欲しい。
写真の上にぽたりと落ちた涙。
写真の中のユキが心配そうな顔で僕を見上げた。