第3章 小さな動物たち
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9.碧燕の天敵
ブラック家の次男
シリウスの弟
僕の名前の前にはこんな説明書きがつく。
それはホグワーツに来ても変わらない。
物心着く頃からそうだったから今はもう何とも思わない……と言いたいが、やっぱりそう言われるたびに多少イラつきを感じる。
ホグワーツに入学し、無事にスリザリン寮に入って3ヶ月。
学校にも慣れてきたある日、珍しく一人で夕食をとっていた僕はナイフとフォークを持ったまま固まっていた。
ない
皿にあったはずのキッシュがない
「ユキ!!」
唖然としていると怒鳴り声が聞こえた。
何事かとそちらへ顔を向ける。
数メートル先。怒鳴ったのは同じ寮の2つ上のセブルス・スネイプ先輩。
怒られているのは同じく2つ上で同じ寮のプリンス先輩。
「まったく何を考えているんだ!」
『だって~』
この光景はお馴染みのもの。
プリンス先輩は毎日、誰か彼かに怒られている(大体スネイプ先輩に)
いつもの事だからと特に気にしていない周りのスリザリン生。
僕も消えたキッシュ問題に戻ろうと思ったが、スネイプ先輩がプリンス先輩を引っ張って僕の方へとやってきた。
「すまない。君の料理が消えただろう」
「え!?どうしてそれを!?」
僕の驚きを見て天井を仰ぐスネイプ先輩を見上げていると、スネイプ先輩は引っ張ってきたプリンス先輩を僕の前に押しやった。
「君の料理を食べたのはコイツなんだ」
『……ごめんなさい。美味しく頂きました』
「!?」
ペコリと頭を下げるプリンス先輩。
いったいいつの間に!?
先輩たちは僕の近くに座っていなかった。
しかも誰かが皿に手を伸ばしたのに気づかなかったなんて……
「なーにが美味しく、だ!」
『だって何時までも食べないから、もう食べないと思ったんだもん』
「だからってせめて聞いてから……いや、そういう問題じゃない」
スネイプ先輩が「こいつといると何が常識か分からなくなっていく」とゲンナリした顔で溜め息をついた。
「本当にすまない。ユキももう一度謝れ」
『ごめんなさい』
「顔を上げて下さい、先輩方。あの、プリンス先輩の言う通り、もうお腹いっぱいになっていましたから」
まだ眉を下げるスネイプ先輩の横でプリンス先輩の顔がパッと輝く。
『じゃあ、そのデザートもらっていい?』
プリンス先輩が指差すのはブラッジャー程の大きさの桃のゼリー。まだ誰も手をつけておらずドーム型を保っている。
スネイプ先輩が頭を抱えた。
「えっと、どうぞ。よかったらここに座って下さい」
『ありがとう!』
ぴょんと軽やかな動きでプリンス先輩が僕の隣に座った。
「気を使わせてすまない」
「大丈夫ですよ。本当にお腹いっぱいだったので。それより、ええと……お疲れ様です」
「あぁ……分かってくれて嬉しいよ」
ぐったりと僕の右隣に座るスネイプ先輩に紅茶を注いで差し出す。
左隣をチラと見ると既にプリンス先輩がゼリーを半分の量に減らしていた。うわあぁ……
「ありがとう。僕は3年生のセブルス・スネイプ」
自己紹介して手を差し出すスネイプ先輩の手を握る。
しかし、僕は名乗る事が出来なかった。
後ろから腕を回されて塞がれる僕の口。
『あなたの名前当ててもいい?』
明るい声が耳元で響く。
目の前では眉を寄せるスネイプ先輩。
「こら、ユキ。ビックリしてるぞ。後輩に迷惑をかけるな。手を離せ」
『あ、ごめん』
謝りつつもプリンス先輩は笑顔。
これはスネイプ先輩大変だろうな……
『あなたの名前はブラック!そうでしょう?』
少し得意そうに言うプリンス先輩だが特に驚くような事ではない。
ブラック家を知らないスリザリン生の方が珍しいし、グリフィンドールの“カッコいい兄”はホグワーツの有名人。
しかし、相手は先輩。
僕はさも驚いたように目を大きく開いて見せる。
「凄い!どうして分かったんですか?」
『ナルシッサ先輩とシリウスに似てたから』
その答えに驚く僕の前で何故かしょんぼりするプリンス先輩。
「先輩?」
急にどうしたのだろう?
訳が分からず困っているとプリンス先輩が眉を寄せて『気を使わせてゴメン』と悲しそうに言った。
その言葉に固まる僕。
プリンス先輩は僕が驚いた振りをしたことに気がついていたんだ。
嘘の表情を作るのは得意だと思っていたのに……
「そんな顔しないで下さい。僕は本当にビックリしたんですよ」
『でも……』
「僕がブラックだという事には、すみません、驚いた振りをしてしまいました。でも、ナルシッサと僕が似てるって言ったのには素直に驚きました」
『ほんとに?』
おずおずと僕を見上げるプリンス先輩に微笑みかける。
「えぇ。兄とはあまり似てないと言われてきましたし、ナルシッサと僕が親戚だと顔を見ただけで分かった人は初めてです」
そう言うとプリンス先輩は可愛い顔で笑った。
『あなたはナルシッサ先輩の親戚なのね!だから似てるんだ!』
「ナルシッサと僕はいとこ同士です。あ、自己紹介がまだでしたね。僕はレギュラス・ブラックです」
『ユキ・プリンスだよ。よろしく、Mr.ブラック?』
「レギュラスでいいですよ」
『私もユキでいいよ』
両手で手を握られてブンブン上下に振られる。
この3ヶ月の印象通り、明るく人懐っこい性格のようだ。
ところで、と僕は疑問を口にする。
「ユキ先輩の事をルイというお名前で呼ぶ人もいるのですが……」
尋ねると「あぁ」とユキ先輩は笑った。
『ルイはセブにつけてもらったミドルネームなの』
「ミドルネーム?」
頭にクエスチョンマークを浮かべる僕にユキ先輩は、自分が記憶を失って名前すら忘れていたこと、名前がないと不便なのでスネイプ先輩につけてもらった事を話した。
1年生の時に氏名のうち名前は思い出したがまだ名字は思い出せていないらしい。
名字のプリンスはスネイプ先輩のお母様の旧姓を使用しているとの事だった。
「先輩方は仲が宜しいんですね」
『うん!』
「普通だ」
『むぅ』
じとっとした目でスネイプ先輩をユキ先輩が見た。
「そうだ!たしかユキ先輩はクディッチのレギュラー選手でしたよね?」
気まずい空気に話題を変える。
「クディッチ好きなんです。よかったら今度練習を見に行っていいですか?」
『レギュラスは箒に乗れるの?』
「はい。一応は……」
「謙遜するな。ルシウス先輩から5歳で箒を乗り回してたって聞いたぞ」
『そうなんだ!』
スネイプ先輩の言葉を聞いてユキ先輩が破顔した。
『それなら、クディッチの練習に参加する気はない?やる気があるならキャプテンに話してみるよ』
「よろしいのですか?」
『もちろん。というか、今すぐ聞いてくる』
タタッとユキ先輩は大広間から出て行ってしまった。
嬉しいが、あっという間の展開に暫しポカンとしてしまう。
「レギュラス、だったか?」
「え、はい。スネイプ先輩」
「僕も名前で呼んでもらっていい」
「ありがとうございます」
「あぁ。それより気をつけろ」
「はい?」
「自分の意思ははっきり示さないとユキに振り回される事になるぞ」
忠告だ、と真面目な顔で言うセブルス先輩。
いくらなんでも大袈裟な。と思っていると弾んだ声が僕を呼ぶ。
僕を呼んだのは大広間の入口で飛び跳ねながら手を大きく振っているユキ先輩。
『レギュラスーー!来年からシーカーだって!おめでとーー』
「!?!?」
ビックリしている僕に大広間中の視線が集まり、スリザリンテーブルから拍手が沸く。
え……もしかしてこれって決定なのか!?
そんなまさか―――
唖然としていると僕の肩がポンと叩かれる。
「頑張れ、シーカー」
視線を横に移すとセブルス先輩がお気の毒にと言った顔で僕を見つめていた。
そして数日後、さっそくスリザリンのクィディッチキャプテンに廊下で呼び止められ、僕は練習への参加を言い渡された。
「チームに加えて頂きありがとうございます」
「いや。礼を言うのはこっちだ。前々から今のシーカーを交代させたいと思ってたんだが家柄が家柄だからクビを言い渡せなくてね……だから、ユキから君のことを聞いた時は思わずガッツポーズしてしまったよ」
「そう、でしたか……みなさんの期待に添えるように頑張ります」
「あぁ!頼りにしてるぞ。では、明日の放課後にな」
僕の肩をポンと叩いて去っていくキャプテンの背中を見送る。
現シーカーは魔法族の中でも間違いなく純血の家系とされるフォウリー家の人間。だから彼と同じ聖28一族以外の者を後任にすることが出来なかったようだ。
魔法界で大きな力を持つ聖28一族。
シーカーを奪った者が完全な純血家系でなかった場合、嫌がらせに何かしてくるかもしれない、とキャプテンは考えたのだろう。
その判断は正しいだろうけど……
廊下で一人、重いため息をつく。
箒に乗るのは好き。クィディッチも大好きだ。
だからホグワーツに入学したらいつか選手になりたいと思っていた。
さっそく叶った願い。
だが、僕自身の力でレギュラーになったのではない。
僕がシーカーになったのは僕がブラック家の人間だから。
それからキャプテンをはじめレギュラー選手たちは現シーカーよりも自分たちより年下の僕のほうが扱いやすいと考えたからだろう、と思う。
「いつもこうだ……」
僕に関する全ては、僕の意思や実力に関係なく、ブラック家の名前と周りの損得によって決められていく。
練習行きたくないな。
僕は憂鬱な気分で授業へと向かって行った。
***
練習日初日、僕は言われた通りグラウンドへ。
僕の足取りはかなり重い。
ユキ先輩が大広間の入口で大声で叫んだせいもあって、僕がクィディッチレギュラーに選ばれた話はあっという間にスリザリン生全員に知れ渡った。
まだレギュラーになってから一日も経っていないのに僕は既にこの件に関する僕の陰口を聞いている。
「オーディションも受けずにレギュラーに選ばれるなんて……」
「フォウリー家の次はブラック家か。家の名前で強引に選手に入ったんだろう」
「また実力の伴わないシーカーの誕生だな」
予想はしていたがそれなりに精神的ダメージはくる。
好きだったクィディッチが嫌いになってしまいそうだ。
『レギュラスこっちだよ!』
グラウンドに入ると直ぐにユキ先輩が僕の名前を呼びながらこちらへと駆け寄ってきた。
「どうも」
『来てくれてありがとう』
「来ないわけにはいかないでしょう」
この人のせいで陰口を叩かれているのかと思った僕の口からは尖った声しか出てこない。
それでもユキ先輩は鈍感なのかニコニコとご機嫌な笑顔。
ハアァ悪いけどこの人好きになれそうにない。
「みんな集まってくれ」
キャプテンから集合がかかり、スキップするように歩いていくユキ先輩の後についてグラウンドを横切っていると冷たい視線。
周りを見れば「気に食わない」と顔に書いてある先輩たちの顔が目に入り気が滅入る。
『緊張しなくても大丈夫だよ』
そんな僕の気も周りの空気も読まずにユキ先輩が僕の顔を覗き込んだ。先輩を殴らなかった自分を褒めてやりたい。
この人よく今までスリザリンでやっていけたな。
「はじめての練習だ。気負わずにやればいい」
「はい。よろしくお願いします」
この人、セブルス先輩以外に友達いるのかな?と失礼な事を考えているとキャプテンから声をかけられ、慌てて頭を下げる。
僕たちは2チームに分かれてミニゲームをすることになった。
各ポジションに一人ずつ。4対4でルールは普通の試合と同じ。
審判役をやっているキャプテンの合図で一斉に上昇する箒。
僕は箒の上ですっかり緊張していた。
ただでさえやりにくい雰囲気なのに相手チームには僕に来年からポジションを奪われることになる現シーカーがいる。
ピーーー
キャプテンの笛で試合が始まった。
でも、とにかく頑張らないと―――
オーディションなしでシーカーになった僕。
ここでいい所を見せないとさらに風当たりが強くなりそうだ。
陰口を叩かれたくないならこの練習に来る前に「僕には無理です」と断ってしまえば良かったのだが、僕がシーカーになる話はスリザリン中、というか多分ホグワーツ中に広がっているはずだから今さら辞めると言うのは悔しかった。
残る道は一つ。
自分の実力を示して、皆に僕がスリザリンのシーカーに相応しいと思ってもらうしかない。
震える手に無理やり力を入れて箒をキツく握り締める。
「やってやる」
箒を上に向けて上昇する。
冷たい真冬の空気が肌を刺し、耳で風の音がゴゥゴゥと響いている。
暮れてきた空に目を凝らす。
……スニッチはどこだ?
「っうわ!?」
突如ザンッという音とともに箒が大きく揺れる。
上空を見ると今しがた僕の脇を通り抜けていったブラッジャーがあった。
全身から気持ちの悪い汗が噴き出す。
しかし、安心したのも束の間だった。
『うーん。外れた』
急上昇してきたユキ先輩が僕の横を通り抜ける。
先輩の手にはビーターが持つ棍棒。
僕にブラッジャーを打ち込んできたのはユキ先輩だったのだ。
顔を上げれば雲の色と同じ灰色の髪がたなびいて見えた。
僕に狙いを定める黄色い瞳に全身が凍りつく。
『当たれッ』
明るいソプラノの声が空に響く。それと同時にバンッという不気味な音とともに迫ってくるブラッジャー。
避けようとしたが間に合わなかった。ブラッジャーが箒の穂の部分にぶち当たる。
高速で回転する景色。
落下に胃をキュッと縮ませながら落ちないように箒にしがみつく。
平衡感覚がなくなり上下が分からない。先輩たちの叫び声が聞こえる。
まずい。このままじゃ地面に叩きつけられる―――――
「っよし!いいぞレギュラス!!」
下を見ると安堵した顔のキャプテンと目があった。
バクバクと激しく心臓が動いているのを感じながら、大丈夫だ、とキャプテンに片手をあげる。
僕は地面スレスレで体勢を立て直すことに成功した。
ひと呼吸ごとに緊張が和らいでいく。
「怪我はないか?」
「危なかったな」
同じチームのチェイサーとビーターの先輩が飛んできた。
「このくらい平気です」
本当は先ほどの恐怖で吐きそうな気分だったが、それを隠して先輩たちに笑みを向けてみせる。
「ハハ、いい度胸だ」
「もうユキに打ち込ませたりしない。だからあっちのチームより先にスニッチを取ってくれ」
「頼むぞ、シーカー」と僕から離れていく先輩2人。
嬉しい
凄く怖い思いをしたばかりなのにシーカーと呼ばれた僕の心は嬉しくて熱くなっていた。
キャプテンや先輩たちが僕を認めてくれた。
段々と日が暮れていっているはずなのに来た時よりも辺りが明るくなったように感じる。
山の合間に沈む夕日。
陽光に照らされたスニッチが輝いたのが見えた。
「よくやった、レギュラス。君のチーム入りを心から歓迎する」
「ありがとうございます」
スニッチをキャッチして地面に降りると僕の周りに先輩たちが集まってきてくれた。
先輩たちの僕を見る目が全く違う事に気が付く。
クィディッチチームへの加入は家名の力だった。しかし、僕は自分の力でチームの一員として受け入れられたんだ。
僕がここにいるのはブラック家の次男だからでもシリウスの弟だからでもない。
必要とされるからここにいる。
クィディッチチームに入れて良かった。
「レギュラスが箒から落ちていたらどうするつもりだったんだッ」
『うわーー痛ったああぁい!何で?何で!?』
この人がいなければもっと良かったと思うけど・・・。
訳が分からないと言った顔でキャプテンに怒られているユキ先輩。
僕は拳骨を食らっているユキ先輩の抗議の声を背中で聞きながら先輩たちに歓迎の言葉を貰いつつ、校舎へと帰っていった。
***
一日の授業が終わって寮へと帰る廊下を歩いていると隣を歩いていた友人が地面に届きそうなため息をついた。
「はあぁハッフルパフにまで負けちまうなんて」
彼が話しているのは昨日の寮対抗クィディッチ杯について。
僕たちスリザリンはグリフィンドール戦に続いてハッフルパフにも負けてしまったのだ。
昨日から寮全体の雰囲気は非常に悪い。
それに僕はこの話題が出るたびに居心地の悪い思いをしていた。
「目の前でスニッチを取られるなんて有り得ないと思わないか?」
「逆光で見えなかったんだよ……きっと」
「シーカーがレギュラスだったら勝てたのにな」
友人の言葉を曖昧な言葉で交わす。
昨日の試合、僕たちの寮はボンヤリしていたスリザリンシーカーの目の前でハッフルパフのシーカーにスニッチを奪われるという屈辱的なかたちで負けてしまった。
グリフィンドール戦とハッフルパフ戦で分かった事。それはスリザリンの現シーカー、フォウリー先輩がどうして選ばれたのか分からないくらい(家名の力でだけど)動きが鈍い人だという事だった。
キャプテンがクビにしたのも頷ける。
僕はこの事を口に出すことはしないが周りは容赦ない。
僕は現シーカーの話題がのぼる度に逃げ出したい気持ちになりながら閉口し、話が振られる度に頭を痛めていた。
「なぁ次のレイブンクロー戦はレギュラスがシーカーをやってくれよ」
「だから、僕は来年からだって言っているだろ。1年生は選手になれない規則なんだ」
「ダアァそれじゃあ今年は一勝もできないじゃ―――あっ」
友人の顔がマズイと言った顔に変わる。
彼の視線を追っていった僕はうっと喉を詰まらせた。すぐ近くにフォウリー先輩が立っていた。この距離だと会話は全部聞かれていたに違いない。
サーっと血の気が引いていく僕たちの方へ先輩はやってくる。
「レギュラス。話があるんだがいいか?」
「あ、はい……」
「ついてきてくれ」
どうしてくれるんだ。すまないとジェスチャーをする友人に見送られて僕は先輩の後を追う。
こうならないように十分気をつけてきたつもりなのに。
何と言って謝ろうか。大理石の廊下に視線を落としながら歩いていく。
「あの、どこまで行かれるのですか?」
ふと人の声が聞こえなくなったのに気がついて顔を上げる。
考え事をして歩いているうちに僕たちは地下の埃っぽい廊下に来ていた。
ここは地下牢教室のさらに奥。地下での授業は魔法薬学だけなのでこんな所まで来たことはなかった。
「先輩、え―――ッ!?」
突然の事に声も上げられなかった。
振り返った先輩に腕を掴まれて近くにあった小部屋へと放り込まれる。
体を床に打ちつける僕の目の前で扉がバタンと締められた。
続いて鍵のガチャガチャという音。
「何するんですかッ」
光がない室内は真っ暗。
立ち上がり、扉を拳で叩くが外から聞こえてきたのは笑い声。
「無駄だよ。ブラック家の坊ちゃん」
憎悪のこもった声に唇を噛む。この様子では何を言っても無駄だろう。
奥まった廊下にある小部屋に閉じ込められてしまった。
「泣いても叫んでもここには誰も来やしない。生意気なくそガキッ。調子に乗ってるからこうなるんだ」
明日の朝に来てやるよ、と耳につく嫌な笑い声をあげながらそいつは去っていった。
遠のいていく足音。僕は床に膝をつく。
どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないんだ。
「開けろよッ」
拳でガンっと扉を叩く。
静かな室内。
僕は扉を背に座り込む。
僕の怒りは急速に萎んでいった。光の届かない地下の部屋は真っ暗。
目の前にはどこまでも続いているかのように思われる暗闇が広がっている。
一秒一秒が異様に長く感じられ、時間の感覚が分からなくなっていく。
痛いほどシンとした室内で聞こえるのは自分の呼吸音だけ。
体の震えと息苦しさを感じて両手を心臓のあたりに持っていく。
どうしよう……冷静にならないと……そう思うのに出来ない。
……怖い……頭がおかしくなってしまいそうだ―――
『泣いてるの?』
「っ!?」
突然頭上から聞こえてきた声に心臓が跳ね上がる。
その声の主は僕をクィディッチチームに引っ張り込んだ僕がちょっと苦手としている先輩。
「ユキ……先輩、ですか?」
『そうだよ。どうして泣いてるの?ハンカチかしてあげる』
真っ暗な視界に目を凝らしていると顔にハンカチが押し付けられた。
「痛いですッ」
布がちょっと目に入った。思わず先輩の手を叩く。
『あ、ごめん』
さほど悪いと思っていない声が降ってきてゲンナリする。
ユキ先輩はいつもヘラヘラしていて何を考えているか分からないから出来るだけ関わらないようにしてきた。
それなのに、こうやって2人きりで閉じ込められてしまうなんて……ハアァ
「ハンカチお返しします。泣いてなんかいませんから」
ハンカチを暗闇に差し出すと僕の手からハンカチは取られた。
見えないがユキ先輩は僕の前にしゃがんでいるらしい。
『??泣いてるのに変なの。目から出ているのは何?汗??』
「っ乱暴に擦らないでください。涙が出たのは先輩のせいですよッ」
再びゴシゴシと顔を擦られる。
僕は目にハンカチが入った痛みで泣いたのであって怖くて泣いていたわけじゃないんだ。
それでも涙を流していたのは事実なので言葉を詰まらせていた僕は悔しさと気恥ずかしさで僕の頬をハンカチで擦るユキ先輩の手を乱暴に払い除けた。
「どうしてこんなところにいるんですか?」
むすっとしながら問う。
『フォウリー先輩に“昨日の試合頑張ったご褒美にお菓子あげる”って言われてここに連れて来てもらったの』
「んなっ。それでここまでヘラヘラついて来たんですか!?騙されやすいにも程があるでしょう!」
『?騙されてなんかないよ。向こうにちゃんとお菓子あるじゃん』
フォウリー先輩お菓子用意してたんだ……変なところに気使うな。
ん?……というか……
「こんな暗闇でよくお菓子があるって分かりましたね。僕には先輩がどこにいるかすら分からないのですが」
先輩がいるであろう方を見て言う。
暗闇に目が慣れてはきたが明かりのない室内では相変わらず何も見えない。
それなのにユキ先輩は僕のところまでやってきた。夜目が利く人なのだろうか?
いやいや、そういうレベルじゃないだろう。考えれば考えるほど不思議だ。
首をひねっているとボウっと光が現れた。
『これでどう?』
目を瞬く。
遠くで見えるランタンの灯り。
さっきまで僕の目の前にいたはずのユキ先輩は部屋の反対側の壁際に立っていた。
ランタンを持ちながらユキ先輩は歩いてくる。
『見えないなら灯りつければよかったのに。杖持ってなかったの?』
ポカンと開いてしまっていた口を閉じてギリリと奥歯を噛む。
う……杖持ってるの忘れてた。しかし、そう言うのは悔しいので話題を変える。
「開錠の呪文知ってますか?」
『アロホモラ』
自分の杖に光を灯しながら聞くと、ユキ先輩は杖を取り出して扉に向けてビュンと振った。
ドアノブを回してみる。
開かない。
「その呪文合ってます?」
『むぅ合ってるよ』
口を尖らせる先輩を無視して僕も扉に呪文を放つ。
しかし扉は開かない。やっぱり呪文が違うんじゃないか?
『この扉に鍵がかかってるんじゃなくて、外に南京錠か何かで施錠してあるんじゃないかな?』
「あ、そうか」
コツコツ扉を叩きながら言うユキ先輩。
外付けの南京錠までは呪文が届かない。
『どうする?どうしても出たいなら方法考えるけど』
「!?いい案があるんですか?」
落胆しているとユキ先輩が言った。
「何の呪文ですか?」
『粉々呪文で扉を吹っ飛ばすのはどうだろう?』
顔を顰める僕の前でユキ先輩はニヤーと楽しそうな笑みを浮かべた。
「却下です」
『何で!?』
「入学早々兄のように問題を起こしたくありませんから」
『レギュラスったらホント良い子ちゃんだよね』
「っ!?」
フンと鼻を鳴らすユキ先輩。
馬鹿にしたような言い方にカチンとくる。
それに“良い子ちゃん”という言葉は昔から喧嘩するたびに兄に言われてきた大嫌いな言葉だった。
僕だって好きで“良い子”になっているわけではない。
本当はもっと周りの目を気にせず自由に振る舞いたい。
だが、自由奔放な兄がいる手前、僕までブラック家を忘れて気ままに過ごすわけにはいかなかった。
「何も知らないくせに!僕は先輩が嫌いです!!いつも人の迷惑を考えずにヘラヘラして」
胸の中に溜まっていた思いを吐き出す。
一気に言って睨みつけると黄色い瞳が大きく見開かれた。
『???』
「あああぁもうッ。ホント、大嫌いですッ」
よく見る訳がわからないと言った顔で首を傾げているユキ先輩。
プチっと頭で何かが切れた音がした。
「レダクトッ!!」
ゆっくりと明るくなる視界。
粉々に吹き飛んだ扉。僕たちは咳き込みながら廊下へ出る。
『一発で吹き飛ばすなんてやるじゃん』
振り向けば機嫌良さそうに手を叩くユキ先輩。
『さすが悪戯仕掛け人シリウスの弟だね』
「生憎ですが、僕は兄のようにブラック家の面汚しになる気も自寮に迷惑をかける気もありません」
冷たい声で言う。
「何があったのかね!?」
暫くするとドタドタと大勢の足音が聞こえ、スラグホーン教授を先頭に先生や生徒たちがやってきた。
床に落ちている扉の破片と僕たちを交互に見るスラグホーン教授。
「こ、これはいったい」
僕は真っ直ぐに指をさす。
「ユキ先輩のレダクトです」
『!?』
唖然とするユキ先輩に胸がすく思い。
「またプリンスくんか!!」
『ち、違うよっ。私じゃなくってレギュラスが』
「言い訳無用!」
『えええぇぇっ』
ようやく迷惑をかけられてきた仕返しができた。
またユキ先輩かと散っていく生徒たち。ユキ先輩を引きずっていくスラグホーン教授。
引きずられながら僕を睨んでいるユキ先輩。
ブラック家の次男
シリウスの弟
品行方正な良い子
『レギュラスウウゥゥぅぅ後で覚えておきなさいよっ!!!』
そんな僕の本性を知っているのはユキ先輩だけ。
周りに気を遣う息苦しい毎日に光が差し始めた。
ユキ先輩には悪いけど……いや、悪くないか。僕も先輩には迷惑をかけられている。
これくらいならお互い様ですよね、先輩?