第3章 小さな動物たち
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8.黒狐の任務
暗部訓練生だった私が何故、魔法の世界に来たのか。
こんな場所があるとは知らなかったが、きっと私を魔法の世界に送り込んだのは暗部の上官だと思う。
では、送り込まれた理由は何か。
それはきっと魔法の知識を木ノ葉の里に持ち帰るため。
魔法を知らない我々忍が一から学ぶには学校が適している。
だからまだ子供である私たち訓練生がスパイに選ばれたのだろう。
記憶が消されたのは未熟な私たちがへまをしないためであろうか……。
ホグワーツに入学出来たのは、きっと上官たちのお膳立てがあってのこと。
気配を感じたことはないが私と直ぐに連絡が取れる場所にいるに違いない。
いつこの任務が終わるか分からない。
この予想が当たっているかも分からない。
だが、いざ上官が迎えに来たときに「任務を聞かされてなかったから」ではすまされない。とにかく、やれる事はやろう。
出来うる限り魔法界の情報を集めよう。
『ルーシウス先輩!』
ソファーに座っていたルシウス先輩に声をかけたら先輩の両肩が大きく跳ね上がった。
「ユキか。紅茶を溢すところだったよ。驚かせないでくれ」
『エヘヘ、ごめんなさい』
おいで、と促されて先輩の隣に座る。
『ナルシッサ先輩は?』
「来週のパーティーのために友人とドレスの相談をしている」
『パーティー!!』
「ハハ、残念ながらユキが想像するような食べることがメインのパーティーではないよ。連れていってやりたいがダンスなどには興味がないだろう?」
大きく頷くと、ルシウス先輩は「君が自然にレディに目覚める日を待つとしよう」と笑った。
「ところで、私に何か用事があったのでは?」
ルシウス先輩が私の手元を見ながら言った。
『お借りしていた本をお返しします』
「驚いたよ。もう読み終わったのかい?感想を聞いても?」
『うーん。この本に書いてある呪いは殺傷力が強いけど相手にバレやすいものばかりでした』
ルシウス先輩に借りていた本は、物に呪文をかけ、触れた者に呪いをかける方法が書かれている本。
私が『見破られてしまっては意味がない』と不満を呟くとルシウス先輩は灰色の目を楽しそうに細めて微笑んだ。
「ふむ。なるほどな。では、呪いの匂いを消す呪文が書いてある本を貸そうか」
「そんな呪文があるのですか?」
「あぁ。屋敷しもべ妖精に持ってこさせよう」
「ありがとうございます、ルシウス先輩!」
人に苦痛を与えたり、殺傷を目的とする呪文や術のことを闇の魔術というらしい。
魔法界では興味を持つことさえもタブー視されている。興味を持っていると周囲に知られれば危険人物とみなされてしまう。
しかし、スリザリン寮だけは違っていた。
この寮は闇の魔術を歓迎する雰囲気さえある。
物を浮かせる呪文、縮める呪文……これらも役に立つ呪文だろうが私たち暗部の専門は暗殺。私は殺傷を目的とする呪文を多く知りたかった。
闇の魔術について先生達に聞くわけにはいかなかったが、その代わりスリザリンの先輩たち、特にルシウス先輩が私の力になってくれた。
闇の魔術について話している先輩たちがいれば何気ないふうを装って近づき、会話の輪に入り、本を借りる約束を取りつけていく。
1冊借りてしまえば後は簡単。
先輩たちはさっきのルシウス先輩のように次々と本を借してくれた。
「ユキ」
ルシウス先輩と話していた私は男子寮の入口を見る。
談話室に入ってきたのは親友のセブ。
私の鼓動はなぜか少しだけ早くなる。
『セブ!』
「待たせて悪い。ルシウス先輩、こんにちは」
「やあ」
やってきたセブの視線がルシウス先輩の持っていた本にとまる。好奇心に黒い瞳が開かれていく。
「あの、先輩その本は?」
「物に呪文をかけ、触れた者に呪いをかける方法が書かれている本だ。興味があるなら読んでみるかい?」
「はい!」
元気のいい返事にルシウス先輩の目尻が下がる。
「知識は多ければ多いほどいい。君たちのように闇の魔術だからと嫌煙せずに貪欲に知識を求める者が私は好きだよ」
セブに本を渡してルシウス先輩は立ち上がる。
「これからカエルの聖歌隊の演奏会を聴きに行くが一緒に来るかい?」
『私たちはこれから森に薬草探しに行くんです』
「そうか。これからデートだったのに引き留めてすまなかったね」
「デ、デートなんかじゃありません。ただの薬草採りです」
急に声を大きくするセブにビックリする。
ルシウス先輩はそんな様子のセブを楽しそうに見ながら寮を出て行った。
『ねぇセブ、デートって何?』
「……ユキが知らなくてもいい言葉だ」
『??もしかして下ネタ??』
「ッバカ!どこでそんな言葉覚えたんだよ!」
『シリウスから』
「馬鹿が移るから2度とあいつと口をきくな」
寮の出口へと早歩きで向かうセブの後を追う。デートについては後でリリーに聞いてみよう。下ネタじゃないなら教えてくれるはずだ。
私とセブは森の奥へと進んでいって薬草探しを開始する。
スラグホーン教授は魔法薬学の先生。私たちは先生に頼み倒して特別に週に1度だけ、薬学クラブとは別に魔法薬学教室での調合を許してもらっていた。
絶対にスラグホーン教授がいる時以外は調合しない事、それから先生の授業のお手伝いをすることが条件。
だから私たちはこうやって授業で使う薬材を
森に探しに来ているのだ。
「落ちている実が少ないな」
セブが籠を揺すって眉を寄せた。
薬材で使う実がなっている木の下に来ているのだが地面に落ちている実が少ない。
木を2人で蹴ってみたが拾わなければいけない量の実は落ちてきてくれなかった。
「箒を借りてきて上に上がるか」
仕方ないというようにセブが言った。
『んー校舎まで戻るのめんどくさい。私が木登りして実を落とすからセブは下で拾ってよ』
「気をつけて登れよ」
『はーい』
ピョンとジャンプして枝に掴まり木に登る。
『いっぱいなってるから直ぐに終わりそうだね』
枝の実をもぎ取りながら下を向くと、私と目のあったセブはパッと下を向いてしまった。
『セブ?』
「ひ、拾うから地面に落としていってくれ(パンツ見えてる……)」
『うん?……わかった』
顔が赤く見えたのは気のせいだったのだろうか?そう思いながら私は実を摘んで地面に落としていく。
近くに実がなくなったら太い枝に足をかけて上へと登る。
春を感じる風が気持ちいい。
「もう十分だ」
下からセブの声が聞こえた。
木からおりる前にぐるりと辺りを見渡した私は1軒のお屋敷を見つけた。
周りに家がなく、ポツンと建っているその屋敷はかなり古そうだ。
『ねぇ、あっちの方向にポツンと古い屋敷があるんだけど、誰のお屋敷か知ってる?』
口に手を当てて叫ぶ。
「たぶん、叫びの屋敷って呼ばれている屋敷だ」
自分の口に両手を当ててセブが叫び返す。
叫びの屋敷。面白そうな名前。
私はセブから屋敷についての話を聞きたくてスルスルと木をおりる。
「あの屋敷はもう何年も人が住んでいない古いお屋敷なんだ。でも、時々人のいないその屋敷からは恐ろしい叫び声が聞こえてくるらしい」
それで叫びの屋敷と呼ばれているとセブは言った。
ホグズミード村の人たちも気味悪がってその屋敷には近づかないようにしているらしい。
誰も近づかない屋敷。
魔法の練習をするのにピッタリだよね。
きっと噂なんてデタラメ。
私はさっそく今日の夜に叫びの屋敷に行ってみようと決めた。
『帰る前に湖の畔で休んでいこうよ』
「そうだな」
今日は天気もいい。
私とセブは並んで倒れた木に腰をおろす。
目の前には柔らかな風で波立つ湖。
セブはルシウス先輩から借りた本を膝に広げて読んでいる。
会話はなかったが何か話さなければと気を遣う雰囲気はなく、むしろ私は居心地の良さを感じていた。セブといると心が落ち着く。
セブも私と同じように思ってくれているかな……
その時、私の脳裏にリリーの姿が浮かんだ。
何故かざわつく心。
「どうしてこの本をルシウス先輩から借りたんだ?」
自分の心の変化に戸惑っているとセブが話しかけてきた。
『間接的に魔法をかける方法があるか調べてたらこの本に行き当ったの。でも、図書館では禁書になっていて……ルシウス先輩に相談したら親戚から借りてきてくれたんだ』
「じゃあ、闇の魔術に興味があってこの本を借りたわけじゃないんだな」
『もちろん』
私の答えにセブはホッとしたように息を吐き出した。
『セブはどうなの?闇の魔術に興味があるみたいだけど』
黙りこくるセブをじっと見つめる。
私は木ノ葉の里に魔法の知識を持ち帰るという目的を持っている。
しかしセブは魔法界の人間。
闇の魔術に興味を持ったきっかけはなんなのだろうか?
「僕は……誰にも負けない何かが欲しいんだ」
『どういうこと?』
首をかしげる私にセブは話し出す。
自分は社交的じゃない。頭の良さも普通だろう。正直言って自分に自信がない、とセブは言う。
「僕はユキのように喧嘩が強くない。箒にうまく乗れるわけじゃない。魔法だってユキの方が上手だ。勉強だって、魔法薬学を除いたら君の方ができる」
自分を誇れるものが欲しい。力が欲しい。強くなりたい。
セブはそう言って唇を噛んだ。
『そんなに思いつめないで。勉強だって出来る方じゃない。1年生の学年末試験、薬学はセブがトップだったでしょ。それにセブは優しいし面倒みもいいし……喧嘩の事だって大人になったら殴り合いの喧嘩なんてしなくなるんだから気にすることない』
「大人になってからじゃ遅いんだ。卒業するまでにあいつらより強くなって……」
『あいつらって、ポッターとかシリウスの事を言っているの?』
「……そうだ。これ以上あいつらにやられてリリーにカッコ悪いところ……あ」
セブは顔を赤くして口をつぐんだ。
どうしてここでリリーが出てくるの?胸がざわつく。胸に得体の知れないザワつきを感じていると暫く黙っていたセブが意を決したように口を開いた。
「ユキだけには言う。僕は……僕は、リリーが好きだ」
『好き?私もリリーの事好きだよ』
ゆっくりと首を横に振るセブ。
「違う。そういう好きじゃない。僕は女性としてリリーが好きなんだ」
『意味がわからない。私も女性だよ。セブは私のことが嫌い?』
どうしてだろうか、体温が下がっていくのを感じる。
無意識のうちに私の顔に微笑みが広がる。よく訓練された微笑みが。
戸惑い気味にセブは話す。
「ユキのことも友達として好きだ。でも、でもリリーは違う。彼女は、彼女は―――僕の特別なんだ」
急に目の前が真っ暗になった気がした。
『……特別』
どうしてそうなったのか自分でも分からない。
頭を鈍器で殴られたような衝撃。
リリーはセブの特別。
私は違う。
どうしてだろう―――胸が痛い
「……このことは誰にも言わないでくれ」
『うん』
女性として好き。
その意味はよくわからなかった。
でも、私はセブに強く突き放されたような気分になっていたのだった。
***
『アグアメンてぃ』
杖から勢いよく火花が飛び出したのを見て魔法が失敗したことが分かった。
爆発音とともに私は吹き飛ばされて壁に背中を打ち付ける。
古い屋敷の天井からバラバラと木の破片が降ってきた。
『最近、失敗ばっかり』
イライラして近くにあったベッドを蹴るとベッドの脚がボキッと折れた。
レパロを唱えて直し、ベッドに腰をおろす。
ここは叫びの屋敷。時刻は12時を回った頃だろうか。
私は毎日のように人目を十分に気にしながらホグワーツ城を抜け出し、森を通り抜けて叫びの屋敷に忍び込んで魔法の練習をしている。
森の中だと色々な生き物がいて集中して鍛錬や魔法を練習することができなかった。
私はこの静かな練習場所に満足している。
『はあぁ憂鬱だ』
三日月を見上げてごちる。
私は森で薬材の木の実を集めに行ったあと、寮に戻ってきたナルシッサ先輩にデートの意味を聞きに行ったのだ。
デート
恋愛関係にある、もしくはそうなりつつある二人が連れ立って外出することだとナルシッサ先輩は言った。
『恋愛ってなんですか?』
「恋をして愛を感じるようになることよ。誰かに恋をするとね、寝ても覚めてもその人のことしか考えられなくなってしまうの。フフ、ユキは恋をしているの?」
私はすぐさま『いいえ』と答えた。
セブのことを頭に思い浮かべたが、寝ても覚めても彼のことを考えているわけではない。普段は任務のことを考えていることの方が多い。
「あら、残念。誰かを愛するようになるとね、何よりよりもその人の事が一番大事になるものよ。ふふ、ユキにもそんな人が見つかるといいわね」
『……はい』
私にとって一番大事なことは任務をやり遂げること。
そう、任務。
私にとってこれが一番大事なことだ。
『アグアメンティ』
感情を捨てろ。
幼い頃から聞かされてきた言葉が聞こえたような気がした。
部屋の中で渦巻く水の塊を杖を振って消し去る。
『ここは私の居るべき場所ではない』
声に出して何度も繰り返して言う。
今ならまだ引き返せる。もし、愛や恋を知ってしまったら私は暗い闇の世界、元いた暗部の世界に帰れなくなってしまう。任務をこなせなくなってしまう。
『感情など邪魔なだけだ』
では、どうして感情を持たせるような環境に置いたんですか?
どうしてこんな平和で温かな場所に私は連れてこられたのですか?
セブルス・スネイプに恋していることに気づいてはいけない。
ユキは自分の身を守るために自分の気持ちに気づかないふりをする。
彼女の虚ろな目からはとめどなく涙が零れ落ちていった。
***
地下にあるスリザリン寮は寒い。
外は寒さの消えた春になっていたがこの寮の暖炉にはまだ火が入っている。
夜も更けた談話室にいるのはユキとセブルスの2人だけ。
『セブ?そんなに見つめられたら本が読みにくいよ』
本から顔を上げて先程から私の顔をじっと見つめていたセブを見ると、彼は気まずそうに目をパチパチと瞬かせた。
『何か話があるんでしょ?』
両手を膝の上で組んでそこに視線を落としているセブに問いかける。
1年生の初めからずっと一緒にいる私たち。
最近では彼の細かな癖も分かるようになってきていた。
『なんでもいいから話してみてよ』
なかなか話し出そうとしないセブを促すと返ってきた言葉は意外なもの。
「話があるのはユキの方じゃないのか?」と言われて目を瞬く。
『思い当たることがないけど……?』
「最近様子がおかしい。何か悩み事があるんじゃないか?」
悩み事や不安は頭がパンクしそうな程いっぱいある。
いつ任務が終わるか分からない予測不能の未来。
私がスパイ活動をしている事が誰かにバレる事への怖れ。
暗部に戻って私は前のように感情をなくすことができるのかという不安。
長くここに留まるほど私は感情を手に入れ、暗部の兵器ではなく人間へと変わっていってしまう。それが怖い。
もし、ホグワーツの誰かに私が火の国の忍だと知られたら、私は私をどこからか見張っている暗部の者に殺されるだろう。
その恐怖がいつもつきまとう。
私は時々、不意に涙が目から零れてしまう事があった。
心はいつも重苦しく、息苦しさを感じていた。
辛い 怖い 苦しい……
誰かに話を聞いてもらいたい。
全てを話してしまいたい衝動に駆られる時もある。
だが、このことは絶対に話してはいけないのだ。
『寝不足の日が続いてて。ちょっと辛いんだ』
「寝不足……か。医務室には行ったか?」
『ううん』
「いつから眠れてないんだ?」
『さあ、いつからだったかな……』
突然手を取られて立ち上がらせられた私は驚いてセブを見る。
「医務室に行くぞ」
私の手を引くセブの細く長い指。
揺れるウェーブのかかった黒髪を見ているうちに涙がこみ上げてくる。
もう気づかないふりなんて出来ない。
私はセブが好きなんだ。
もう自分を騙しきれない。
私は恋を知ってしまった。
『セブ』
前を歩く彼の名前を呼ぶ。
あなたはリリーが好きだと言った。
この思いを伝えてはセブを困らせてしまう。
愛する人のことを1番に考える。
それはとても苦しいことだと知った。
あぁ、苦しいくらいに私はセブが好きなんだ。
「ん?なんだ?」
振り向いた彼に微笑みかける。
『いつもありがとね』
「フン、変な奴」
手を引かれて廊下を進む。
私はいずれ暗部に戻る。
だからこの想いは胸に秘め、この温かいホグワーツで彼との思い出を沢山作ってから帰ろう。
彼との思い出があれば、血に染まった暗い日々が訪れても私はきっと耐えていけるはずだから―――
『すっかり春だ』
セブとマダム・ポンフリーには悪いが医務室で飲んだ薬はトイレに行って吐き出した。
一日でも鍛錬を怠ると体が鈍る。そして鍛錬できる時間は夜しかない。
私は風の中に春を感じながら森を走っていた。
向かうのは最近見つけた叫びの屋敷。
鍵が壊れている窓から中には入り、傷んだ階段を踏まないように気をつけながら2階へと上がる。
鍛錬の場所に使っている部屋の扉を開ける。
ここは屋敷の中で一番広い部屋。
誰かいる―――
一歩部屋の中に入った私は驚いて息を止めた。
闇に目を凝らして部屋の奥を見つめる私の目が大きく開かれる。
見えたのはベッドに腰を下ろしている少年の姿。
『リーマス……?』
「だ、誰か、いるの……?」
しまった。彼の声を聞いて唇を噛む。
リーマスは私の存在に気づいていなかった。声をかけなければそっと部屋から出ていくことが出来たのに……
『ルーモス』
自分の失敗に深く後悔しながら呪文を唱えると杖の灯りが闇を溶かし、私を浮かび上がらせる。
「どうして、ここに……」
声を震わせて立ち上がったリーマス。
あなたこそどうしてこんな場所にいるの?
月明かりに青白いリーマスの顔が照らされる。
彼には悪いが記憶を消してしまうしかない。オブリビエイトを人に使ったことはないが私は彼にここに来た理由を知られるわけにはいかなかったし、上手く誤魔化す自信もなかった。
警戒心を抱かせないように気をつけながら足を前に踏み出す。
『どうして「早く部屋から出るんだ!」
私の声はリーマスに遮られた。彼の意外な反応に驚く。
リーマスの様子がおかしい。
『具合が悪いの?』
「ッ出ろ、いいから、ハァユキ……ハァハァ早、く……」
リーマスの呼吸が荒くなっていく。苦しそうに自分の胸を掻きむしりだした彼に戸惑う。
うめき声を上げるリーマスの目線が窓に行った。
自然と私は走り出す。
『リーマス!?』
「っ!?」
窓に体当りしようとしたリーマスの手を引っ張って床に重なり合うように倒れる。
『いきなり何してんのよ!!』
訳がわからないまま窓から身投げしようとしたリーマスを怒鳴りつける。
『……リーマス……?』
私はリーマスを床に押さえつけていた手におかしな感触を感じて反射的に手を離した。手に触れた柔らかい何か。
『っ!?』
全身に悪寒を感じ、反射的に飛び退き彼から身を離した私は驚いて息を呑む。
リーマスの体から毛が生え、体の形が変わっていく。
「逃げ……ニゲ、テクレ……ユキウオォォォ」
いったい何が……
私の目の前でリーマスは狼へと変身した。
突然の出来事に戸惑いながらも私は冷静に周りを見渡し逃げ場を探す。
獲物を狙う獣の瞳から逃れて部屋の反対側の隅まで移動する。
見ると狼のリーマスは私がいた場所の床に爪を突き立てていた。
振り向いた彼が突進してくるのを見ながら私はふと夏にミネルバに言われた事を思い出した。
「ユキ、男はみんな狼だから気をつけなさい」そう言っていた。
魔法界の男性はみんな狼に変身するのかもしれない。
言われた時は意味が分からなかったがようやく合点がいった。
変わり身の術で攻撃を避けた私。苛立たし気な唸り声が部屋中に響き渡る。
『リーマス?』
彼の攻撃を避けながら声をかける。ギラギラと光る目。怒りの表情。
狼になってしまうと理性を失うようだ。
なるほど。だから「気をつけなさい」なのか。
もし理性を失っているうちに誰かを傷つけたりしたら優しい彼は心を痛めてしまうだろう。
しかし、この狭い部屋の中で逃げ回るのは大変。それにせっかく見つけた練習部屋が壊れていってしまう。
痛い思いをさせてしまうが気絶してもらったほうが良さそうだ。
私は拳に力を込めてリーマスの懐に潜り込む。
<クウゥゴゥ……>
鳩尾に入った私の拳。
ゆっくりと床に倒れていった狼リーマス。
痛い思いをさせてごめんね。
『ふうん。狼だけど人間の部分も残っているのね』
魔法界の男の子って不思議。床に伸びているリーマスを観察する。
顔も狼、毛並みも狼。しかし、本物の狼は2足歩行出来ない。
今のリーマスの姿は狼と人間を足して2で割ったような姿。
そんな彼の横に私は座る。
オブリビエイトをかけて去りたいところだが狼の状態の彼に魔法が十分に効くか分からなかった。
それに強く殴ってしまったので彼の怪我の状態も気になっていた。
怪我の状態を確かめてからでも記憶消去するのは遅くない。
私は部屋に転がっていた小瓶に火を入れてリーマスが起きるのを待つことにした。
『んん??』
ぼんやりと彼の目覚めを待っていた私の前で再び不思議現象が起こる。
リーマスの姿が見る見るうちに元の人間の姿へと変わっていく。
なんのきっかけで人間に戻るのかしら?
暗くなっていく部屋。
私は窓の外を見る。
厚い雲に隠れていく満月。
「うぅ……ん……」
もしかして変身は月と関係があるのだろうか。
考えていると小さな呻き声。リーマスの瞼がピクピクと動く。
『起きた?』
「ユキ……?」
リーマスの目が薄く開かれる。
『殴ってごめんね』
体を動かそうとしたリーマスが眉を寄せた。
私に殴られた箇所が痛むみたい。
『痛む?』
「気にしないで……僕こそ……あ」
突然言葉を切ったリーマスの顔がサッと青くなる。
窓の外を見るリーマス。やっぱり変身には月が関係するみたい。
魔法界の男の子はおもしろい。
「今すぐここから出て校舎に戻るんだ」
『なぜ?』
焦った顔で言うリーマスに首を傾げてみせる。
ここを出るのは怪我の状態を聞いてから、記憶を消してから。
気づかれないようにゆっくりと杖に手を伸ばす私。
「何故って君も見ただろう?僕は、僕は―――じ、人狼、なんだ……」
彼の言葉に動きを止める。
人狼―――聞いたことのない言葉。
「さあ、早く帰って」
人狼の意味を聞こうとした私だが、開いていた口を閉じた。
リーマスの頬を伝う涙。
胸がズキリと痛む。
無理やり微笑もうとしている顔。
『リーマス、泣かないで……?』
彼の涙に動揺しながら言うとリーマスは泣いていることに今気がついたようで、手を頬に持っていき、小さく驚きの声をあげた。
『お腹が痛むの?リーマス』
痛みで泣いていたわけではない事は分かっていたが聞いてしまった。
「ううん。違うよ。ちょっと、目にごみが……ね……」
目を擦りながら肩をすくめて笑うリーマス。
その表情には見覚えがあった。
私が嘘をつく時にする表情とそっくり。
辛い 怖い 苦しい……全てを隠す笑顔の仮面。
私と彼は似ている。
以前からどことなく感じていたがハッキリと気がついた。
目の前のリーマスに自分の姿が重なる。
『リーマス辛そうだから傍にいる』
ここから出て行けと言う彼に首を横に振る。
彼は私だ
私は思わずリーマスを抱きしめていた。
『私は優しいリーマスが好き。私は大事な友達の力になりたい』
悩みを打ち明けることはできない。
だけど彼なら私の気持ちを理解してくれるような気がする。
少しだけ……ほんの少しだけ、本当の自分を見せてもいいだろうか……
柔らかな朝日が差し込む部屋。
リーマスは私に“人狼”というものについて話してくれた。
魔法界で危険視され忌み嫌われる人狼。
「僕が、怖い?」
私は即座に首を横に振る。
『むしろ親近感を感じたよ』
埃っぽい床に水滴が落ちて自分が泣いていることに気づく。
涙を止めようと手を目に持っていった私をリーマスの腕が包み込む。
『リーマス……私は自分が、怖い……』
気が付くと私はリーマスの胸にすがって泣き叫んでいた。
私の心は限界にきていたようだ。後から後から涙が溢れてくる。
「思い出したことを教えてくれるかい?」
『できない。誰かに話したら、たぶん……消される』
震える声で言うとリーマスは「言わなくていい」と囁いて私の背中をあやすように摩ってくれた。
手から伝わってくる温かさに胸の奥から溜まっていたものが吹き出してくる。
記憶がなかった頃の不安。
自分が暗部訓練生だと思い出した時の衝撃。
いつかはこの魔法界を去らなければならない悲しみ。
誰にも相談できない苦しみと恐怖。
『怖い、ヒック……私は……どうしてここに……』
「僕がそばにいる。ユキが苦しんでいる原因を取り除いてあげたい。もし、それが無理ならせめて君の傍にいて支えてあげたいと思ってる」
『リーマス……』
顔をあげると優しい瞳が私を見つめていた。
私たちはそれぞれ秘密を持っている。
彼は人狼であるという秘密を
私は木ノ葉の里の暗部訓練生であるという秘密を
私たちはそれぞれ誰にも言えない秘密を持っている。
私たちは同じ痛みを持っている。
「僕は優しいユキが好きだよ。君が何者であっても、ね」
自分の秘密を話すことはできない。
でも、彼は私の苦しみを理解してくれる唯一の人。
痛みを理解してくれる人がいると分かった私の心は軽くなっていた。
お互いの苦しみは解決できるものではない。
だけど、精神的に支え合うことは出来る。
『ありがとう、リーマス……』
涙で歪む視界の中でリーマスが微笑んでくれた。