第3章 小さな動物たち
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5.子狼の秘密
あっと言う間にホグワーツ1年目は過ぎていき、長かった夏休みがようやく終わって僕はホグワーツに戻ってきた。
今日から僕は2年生になる。
賑やかな大広間。
両隣には親友のジェームズとシリウス、それにピーター。それから―――
突然バーーンと爆発音が大広間に響いた。
モクモクと煙が上がっているのはスリザリンのテーブル。
「先を越されちまったな、ジェームズ」
「さすが俺たち悪戯仕掛け人のライバル。負けていられないね」
大慌てで壇上から降りてくるスラグホーン教授を見ながらシリウスとジェームズがニヤリと笑った。
爆発騒ぎの中心にいるのは夏休みの間中会いたいと思っていた女の子、ルイ・プリンス、改め、スリザリン生のユキ・プリンス。
「あんなことやってユキは大丈夫かな?」
スリザリン50点減点!と初日から大量減点を告げられている彼女の立場を心配する僕に聞こえてきたのは何故か笑い声。
「スリザリン生をあんな顔で笑わせるなんて変な奴だよな」
スリザリンテーブルを見ながらプッと吹き出すシリウス。
ユキとその周りのスリザリン生の顔を見た僕の顔も綻んでいく。
ユキがメデューサのように髪を蛇に変えてMr.スネイプにちょっかいをかけている。
スリザリンのシンボルの髪型でおどけてみせるユキに上流階級出身者が多いスリザリンの生徒たちも堪らないと言った顔で吹き出していた。
賑やかだった新入生歓迎会が終わった。
各寮の監督生が寮に帰ろうとする在校生に向けて
「今年度の教科書を借りたい生徒はこのままマクゴナガル教授の部屋に行ってください」と案内をしている。
僕ほ赤ん坊の頃にフェンリール・グレイバックに咬まれて人狼になった。満月のたびに必要になった脱狼薬は高価なもの。
だからこうやってお金がなくて教科書などを買えない人を援助してくれる仕組みはありがたかった。
前を歩くジェームズとシリウス、ピーターから離れて僕は階段を上がる。
彼らが僕に気づかない振りをしてくれるのが有難かった。
友達にお金がないと思われるのは心地よいものではない……。
『リーマス、久しぶり!』
「ユキ!」
暗い気持ちになりながら歩いていた僕はパッと顔を上げた。
マクゴナガル教授の部屋の前にいたユキがこちらに走ってくる。
僕の顔は驚きと嬉しさで緩んでいった。
「ユキも教科書?」
『そうだよ。2年生の教科書もらえるの楽しみだね』
躊躇いがちに聞くと明るい笑顔で返事が返ってきた。
どんな時も笑顔を絶やさないユキ。
僕はいつも彼女の明るい笑顔で心が救われていた。
彼女のことが気になっていたのは入学式の時から。
そう、まず初めに惹かれたのは外見。
人とは違う外見を持つ彼女に僕は知らず知らずのうちに自分を重ね合わせていた。
彼女なら僕の苦しみを分かってくれるような気がする。
そう思いながら僕はユキを目で追ってきた。
話しかけるまで時間がかかってしまった。しかし、“甘いものが好き”という共通点を持つ僕たちは廊下で顔を合わせるたびに立ち止まってお喋り。
今年度は授業でペアを組んだり、休みの日に一緒に遊んだりしてもっと仲良くなれたらいいんだけど……
『そうだ!リーマスに渡すものがあるの。手をだして』
何かくれるのかな?
笑顔のユキにつられて顔を綻ばせながら手を差し出すと、ユキはローブのポケットから出したラッピング袋を僕の掌においた。
袋を目の高さまであげてみると中に入っていたのはブラウニー。
『チョコレートブラウニーだよ』
「ユキが作ったの?」
『ミネルバと一緒にね』
「ミネルバ……ってマクゴナガル教授のこと!?」
驚いて言う僕にユキがコクリと頷く。
『記憶がなくて家もないから長期休みはマクゴナガル教授のお家でお世話になっていたの。本当は寮監のスラグホーン教授のお家に行く予定だったんだけど』
「スラグホーン教授は男の先生だからね」
『と言うより、スラグホーン教授ったら私の面倒をみるのは大変。長期休みくらいゆっくり休ませて欲しいってマクゴナガル教授に泣きついたんだってさ」
ユキはそう言ってニヤリと笑った。
彼女の笑みを見て僕はプッと吹き出してしまう。
僕たち悪戯仕掛け人と肩を並べる通称・スリザリンの白蛇。
白蛇の渾名の理由はいくつか聞いている。
授業で加点されるのに問題行動で減点されてしまう。
“白紙に戻る”から、と彼女が蛇寮の生徒だから、とか。
悪戯をしてもスルリと現場から蛇のように消えるから。
そして彼女の髪が真っ白だから、とか。
スリザリンのシンボルを渾名にする彼女は寮生から愛されているらしい。
自寮愛の強い彼女もこの渾名を気に入っているようだった。
「今少し食べていい?」
『もちろん!あ、あとね。あんまり沢山作れなかったからリーマスとリリー、セブにしか持ってこられなかったの。だから他の仕掛け人三人には黙っておいて』
人差し指を口に持っていって秘密だよ、とユキがジェスチャーした。
ユキは同じ寮のMr.スネイプと彼の幼馴染で僕たちと同じグリフィンドールのMs.リリー・エバンズと仲が良く、よく三人で一緒にいるのをみかける。
その二人と僕にだけ手作りのブラウニーを持ってきてくれたことが嬉しい。
僕は自然と顔が綻んでいくのを感じながらブラウニーを口に入れる。
「美味しい。クルミも入ってる」
ほろ苦く、甘いチョコレートブラウニー。
『クルミは木登りして採ったの。てっぺんまで登って景色を眺めていたらこーんな顔で怒ったミネルバが箒で飛んできてね』
手で自分の目尻をグッと上げてみせるユキを見て笑ってしまう。
マクゴナガル先生の夏休みはハラハラドキドキの連続だっただろうな。
「夏休みは楽しかった?」
『凄く楽しかったよ。1週間、リリーの家に泊まりに行ってセブと三人で近くの公園で遊んだりしたんだ』
夏休みまでMr.スネイプと会っていたんだ。
胸がチクリとする。
『リーマスの夏休みはどうだった?』
「あー僕は……」
お父さんが僕のことを表に出したがらないから。
そんな言葉を言いかけて飲み込む。
その代わり「僕もユキと夏休みに遊びたかったな」と言った。
『そうだね。次の夏休みはリーマスとも遊びたいな』
「うん」
父親に大反対されるだろうから実現できる可能性は低そうだけど、でもユキがそう言ってくれるのが嬉しい。
彼女の笑顔が僕を元気にする。
「お待たせしてごめんなさいね」
階段を上がってきたマクゴナガル教授。
僕たちは先生の部屋に入って二年生の教科書を受け取った。
全教科の教科書はけっこう重そうだ。
「何冊か持つよ」
『?』
ユキの教科書の山から二冊取り、僕の教科書に積み上げると彼女はまん丸の黄色い瞳を僕に向けた。
『持ってくれるの……?』
「寮の前まで一緒に行くよ」
『でも、リーマスが大変だよ』
「こう見えても力はあるんだ。だから遠慮しないで」
そういう僕を見ながらユキは口をポカンと開けて目をパチパチさせた。
凄く戸惑っているみたいだ。
動かなくなったユキに僕も戸惑って固まっているとクスクスと小さな笑みを零したマクゴナガル教授が「こういう時は甘えていいのよ」と笑った。
『それじゃあ……ありがとう、リーマス』
はにかみ笑いのユキに笑みを返し、僕たちはマクゴナガル教授の部屋から出て行った。
薄暗い廊下を二人で歩いていく。
教科書は重たいけど、いつもより歩くスピードが遅くなってユキと一緒にいられる時間が増えるから重い教科書にも感謝したい気分。
『もうすぐ満月だね』
ふと立ち止まって窓を見上げたユキが言った。
僕の心臓がドクリと跳ねる。
彼女にとっては何気ない一言。
でも僕にとってのその言葉は胸を重苦しく塞ぐ一言。
『綺麗だね』
「僕は嫌いだよ」
柔らかく微笑みながら空を見上げていたユキが僕のほうを向く。
声は小さかったがぶっきらぼうに言葉を発した僕に驚いているようだった。
『どうして嫌いなの?』
真っ直ぐに僕を見つめる琥珀色の瞳から視線を移し、月を見上げる。
黄色く光る憎々しい月
「満月を見ていると自分の本当の姿を暴かれるような気がするんだ」
『本当の姿……?』
「うん……」
これは誰にも打ち明けられない秘密。
「行こうか」
月から目を逸らしユキに先を促す。
「ユキ?」
ユキがついてこないことに気がついて振り向くと彼女はまだ月を見上げていた。
教科書の山を抱え直しながら彼女の元まで戻る。
月明かりに浮かぶユキの横顔。
『私は満月が好き』
ふと僕に視線を向けながらユキが呟いた。
「なぜだい?」
『理由はね、リーマスと同じ』
再び月に視線を向けてユキが言う。
「僕と?」
『そう。満月を見ていると本当の自分が分かるような気がする。体の底から力が沸いてくるような気がする』
そう言ってユキは窓辺に一歩近づいた。
何であるかは分からない。
でもユキが重要なことを僕に打ち明けてくれたような気がした。
『……リーマス、行こうか』
「うん」
僕たちはスリザリン寮の入口まで無言で歩いた。
「おやすみ、ユキ」
「おやすみ、リーマス」
夜の挨拶を交わす僕たちの顔に笑顔はなかった。
お互いの心を探るように暫し見つめ合い、それぞれの寮へと帰っていく。
胸がドキドキする。
ユキは僕と似ている。
さっき彼女の目を見て分かった。ユキも僕と同じように誰にも言えない秘密を心の中に抱えている。
そして彼女も僕には人には言えない秘密があるのではないかと思ったと思う。
ユキの秘密はなんだろう?彼女の出生に関することだろうか?
彼女は僕の秘密、人狼である僕を受け入れてくれるのだろうか?
ユキは僕を信用して秘密を打ち明けてくれるだろうか?
僕は彼女に嫌われることを恐れず、人狼であると打ち明けられる事が出来るのだろうか?
「ユキ……」
もし、ユキが僕の秘密を知り、受け入れてくれたらどんなに幸せだろう……
雲が動き隠れていた月が顔を出す。
「そんなの無理だ」
月明かりが窓ガラスに反射して自嘲的な笑みを浮かべる僕の顔を映し出す。
父親さえ僕を疎むのに誰が僕を受け入れてくれるんだい?
叶わない望みなんか捨てよう。過度に期待するのはよそう。
腕に教科書の重みを感じながら僕は自寮へと帰っていった。
***
肌寒さの消えたある春の日。
僕は事情を知っている同室のジェームズ、シリウス、ピーターに見送られて寮から出て、マダム・ポンフリーと共にいつもの避難場所へと向かっていた。
大きな暴れ柳の古木の前で僕たちは立ち止まる。
「っゴホッ、ゴホッ……うぅ……」
「全部飲めたかしら?」
「はい」
マダム・ポンフリーは僕からゴブレットを受け取り、ゴブレットが空であると確認して一つ頷いた。脱狼薬は吐き出したいくらい苦い。大っ嫌いだ。
「それではいつものように夜明けに迎えに来ますからね」
マダムはそう言って僕にチョコレートをひと欠片くれた。口に入れると苦かった口の中が少しだけ楽になる。
僕は暴れ柳に向かって歩きだす。
マダム・ポンフリーの魔法で根元のこぶを押さえられた暴れ柳は隠し通路に入る僕を邪魔しない。
湿っぽい通路を通り抜けて何年も使われていない古い屋敷の中に入る。
通称、叫びの屋敷。満月の晩の僕の隠れ場所。
人狼は狼に変身すると近くにいる人間、それがどんなに大切な相手であっても襲ってしまう習性がある。
周りに襲う人間がいない時は持て余したエネルギーを自分を咬み、引っ掻くことで抑える。
満月の度にこのボロ屋敷から聞こえる叫び声の正体は僕の声。
狼に変身し、自傷行為の痛みに呻く僕の声だ。
僕は埃っぽい部屋に入り、窓から夜が迫る空を見上げた。
もうすぐ月が空に昇る。
今夜の空には所々に月を完全に隠せるくらいの厚い雲が浮かんでいた。
数時間に何回かは月が雲に遮られて休める時間が作れるかも知れないな。
小さく息を吐き出して、部屋に置いてあるベッドに腰を掛ける。
また今日も長い夜が始まる。
『リーマス……?』
苦しみがやってくるのを静かに待っていた僕の耳に鈴を鳴らしたような声が響き、僕はハッとして顔を上げた。
「だ、誰か、いるの……?」
空耳だったのかも……そう思いながら声を発した僕の顔が強張る。
『ルーモス』
聞き覚えのある声。
僕の鼓動は一気に早くなっていく。
ぼうっと杖先に灯った光が闇を押し広げて呪文を唱えた人物を照らし出す。
「どうして、ここに……」
僕は声を震わせて立ち上がった。
扉の前に立っている少女。
灯りの中に浮かび上がった白髪の少女、ユキ・プリンス。
入学式から僕が好意を持っているスリザリンの女の子。
どうして彼女がここに―――
いや、そんなこと、今はどうでもいい。
窓の外を見る。夜の空に満月が昇ってしまった。
『どうして「早く部屋から出るんだ!」
不思議そうな顔をして僕に近づいてこようとしたユキはビックリした顔で立ち止まった。
体が燃えるように熱くなっていく。
『具合が悪いの?』
「ッ出ろ、いいから、ハァユキ……ハァハァ早、く……」
頼む、頼むから出て行ってくれ……
月明かりが僕の中の狼を呼び起こす。
彼女の近くにいちゃダメだ。
ユキを僕の手で引き裂くくらいなら死んだほうがマシだ。
早く外へ―――
窓に突進する。
『リーマス!?』
「っ!?」
ユキが僕の手を掴んで引っ張った。
窓を割って外に出ようとした僕の体はユキの体と重なるようにして床へと倒れる。
もうダメだ
『いきなり何してんのよ!!』
目を吊り上げて僕に怒鳴るユキ。
どうして止めたんだ……。全身から血の気が引いていく。
もう間に合わない
『……リーマス……?』
僕から手を離したユキが目を大きく見開いて数歩後ろに下がった。
自分の手を見る。
伸びていく爪、毛深くなっていく腕。
ミシミシと床が僕の体重で軋む。
自分を……見失ってはダメ……ダ
「逃げ……ニゲ、テクレ……ユキ……ウオォォォ」
力が抑えられない……ユキ……エモノガ、イル……カメ……逃げろ
口から漏れる獣の叫び声。
僕の意思とは反対に彼女を狙って振り上げられる僕の腕。
逃げてくれ!
そう言おうとしたが僕の口から出るのは狼の鳴き声。
琥珀色の瞳に見上げられたまま僕は大好きな彼女に腕を振り下ろす。
ガンッ
木の床に爪がめり込む。
避けてくれた!振り下ろした先にユキの姿はなかった。
しかし、僕の体は自然と次の動きに入っている。
狼の鼻が彼女の居場所を探し出し、僕の足はひとりでに部屋の隅まで逃げていた彼女の方へと向かっていく。
あっと言う間に彼女に詰め寄った僕。
もう、ユキに逃げ場はない。
もっと理性を保つ練習をしておけば……こんなことには―――
再び振り上げられた僕の腕。制御できない自分の動き。
深い絶望を感じながら腕を振り下ろす。
ガンッ
『こういう事だったのか』
何が起こったんだろう?手元を唖然としてみる。
僕は確かに彼女めがけて腕を振り下ろした。しかし、僕の爪でえぐられたのはユキではなく丸太だった。
爪の跡が残った丸太から振り返ってユキを見る。
いつの間に移動したんだ?
ユキがいたのは僕が居る壁と反対側の壁際。
<ウオォォォン>
狼の僕が怒り狂ったような唸り声を上げ、ユキに向かって走り出す。
『リーマス?』
小首を傾げながらユキは僕の攻撃をサッと避けた。
僕の体の半分にも満たない彼女。普通の人間なら恐怖で動けなくなるだろう。
しかし、ユキはやけに冷静に見える。
踊るようにスルスルと僕から逃げていく。
獲物に手が届かない狼の僕の動きが激しく、乱暴になっていく。
上手くかわし続けてはいるがユキを傷つけてしまうのは時間の問題だ。
『リーマスは私の声が聞こえていないんだね』
突然、眉を寄せたユキがボソリと呟いた。
僕の瞳にユキが拳を握り締めている姿が映る。
馬鹿な真似はよすんだ!
<クウゥゴゥ……>
心の中で叫ぶのと、僕の口から苦痛に呻く声が漏れるのは同時だった。
遠くなっていく意識
『ミネルバが言ってた“男はみんな狼”ってこういう事だったんだ』
ユキ、それ絶対違うよ。
霞んでいく視界の中で最後に見たのは、納得した、というように頷きながら僕を見ているユキの姿だった。
お腹が痛い。
「うぅ……ん……」
目覚めた瞬間に感じた痛みに呻き、お腹に手をあてる。
『起きた?』
クモの巣のかかった天井をぼんやり見つめていると視界の中にユキがぬっと現れた。
「ユキ……?」
『殴ってごめんね』
掠れた僕の声を聞いたユキは申し訳なさそうに目を伏せた。
彼女の足元には古ぼけた小瓶に入った青い炎。
『痛む?』
「気にしないで……僕こそ……あ」
喋れてる。
首を回して窓の外を見る。
そうか……厚い雲が満月を完全に覆っているから僕は一時的に人間に戻っているんだ。
雲が消えればまた狼の姿に戻り、ユキを襲ってしまう。
不安が一気にこみ上げてくる。
「今すぐここから出て城に戻るんだ」
『なぜ?』
「何故って君も見ただろう?僕は、僕は―――じ、人狼、なんだ……」
既に狼の姿を見られているのに言葉に出して言うのは辛かった。
人狼。醜い化物の姿。
ジェームズたちは人狼である僕を受け入れてくれた。
でもそれは変身した僕の姿を見ていないからだ。
ユキは変身した僕の姿を見てしまった。
自分を襲おうとした僕を許してくれるはずはない。
受け入れてくれるはずはない。
「さあ、早く帰って」
月が再び顔を出す前に
『リーマス、泣かないで……?』
「え……あれ……?」
ポタっと涙が床に落ちて僕は自分が泣いていることに気がついた。
『お腹が痛むの?リーマス』
「ううん。違うよ。ちょっと、目にごみが……ね……」
心配そうに僕の顔を覗き込むユキから顔を逸らし、涙を堪えて呼吸を整える。
「月が顔を出したら僕は狼に変身しちゃう。そうなる前に早くここから」
驚いて言葉を飲み込む。
目の前で揺れる白くて綺麗な髪。
僕はユキに抱きしめられていた。
『リーマス辛そうだから傍にいる』
僕の耳元でそう言って、ユキは僕の背中に手を回してトントンと子供をあやすように叩いた。
「ダメ……だ……君を、襲ってしまう……」
涙が止まらない。
『私なら大丈夫だよ。私はリーマスが心配』
胸が熱くなる。
凄く、凄く嬉しい。
彼女は僕が人狼であると分かっていてなお友達として接してくれている。
あぁ、僕は君が好きだ。
彼女の両肩に手を置いて僕から引き離す。
「ありがとう。でもね、今度も上手く逃げられるとは限らない。上手く僕を気絶させられるとは……え?ユキ、君が僕を気絶させた……?」
話している途中で自分の言っている事がおかしいと気づく。
キョトンとする僕の前にはニコニコと笑っているユキの顔。
『私は強いから心配することないよ』
そう言って視線を窓にやった彼女。
黄色い月が雲から顔を出し始める。
「ユキ……」
『私を信じて』
慌てて彼女から離れようとする僕の手をユキが握った。
満月よりも丸い、キラキラ輝く黄色い瞳。
優しい微笑み。
『私は優しいリーマスが好き。私は大事な友達の力になりたい』
月光を浴びて変身し始める僕。
膨らみ、獣の前足に変わっていく僕の手をしっかりと握りしめるユキ。
『リーマス、私を見て』
君はいったい誰なんだい?
『金縛りの術』
僕とユキ
それぞれの秘密
『リーマス……私は自分が、怖い……』
私は魔法使いじゃない。魔法に近い術を使う。
ユキは戻ってきた記憶で名前の他に自分の国やそこで過ごしてきた記憶を取り戻したと言った。
そして自分がどうして魔法界にいるのか分からない、と泣いている。
「思い出したことを教えてくれるかい?」
『できない。誰かに話したら……消されるかも』
満月の夜が明け、僕は泣きじゃくるユキを抱きしめている。
震える彼女が嘘を言っているとは思えなかった。
『怖い、ヒック……私は……どうしてここに……』
彼女の背中をあやすように優しく叩く。
満月の夜が明け、僕たちはそれぞれの秘密を知る。
ユキは僕が人狼だという秘密を
僕はユキが人には言えない秘密を持っているという秘密を
「僕がそばにいる」
君の秘密が何かは分からない。きっと彼女の悩みも僕と同じく他人にはどうしようもできないものなのだろう。
「ユキが苦しんでいる原因を取り除いてあげたい。もし、それが無理ならせめて君の傍にいて支えてあげたいと思ってる」
『リーマス……』
ユキは僕の腕の中で顔をあげて黄色い瞳を揺らした。
「僕は優しいユキが好きだよ。君が何者であっても、ね」
『ありがとう、リーマス……』
彼女の美しい泣き顔を淡い朝の光が照らした。