第1章 優しき蝙蝠
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6.信じる信じない
『クィレル教授!』
大広間の入口に居たユキは待っていた人物に駆け寄った。
「お、お、おはよう。Ms.雪野。ど、どうしたのですか?」
『怪我の具合はどうかと思って待っていたんです。調子はいかがですか?』
「だ、だ、大丈夫ですよ。ま、全く問題ありません。心配し、してくれて嬉しいです。も、もう気にしないでく、下さいね」
『ありがとうございます。よかった』
ホッと胸をなで下ろす。
「ミ、Ms.雪野、中に入らないのですか?」
『スネイプ教授にもお礼を言おうと思って。先に行ってください』
スネイプ教授の名を聞いたクィレル教授の顔が険しくなる。
辺りに誰もいないことを確認して、秘密の話をするように声をひそめた。
「あ、あの男に、ち、近づかないほうがいい」
『スネイプ教授ですか?』
小さな声で答えると、クィレル教授が耳に顔を近づけた。
「そ、そ、そうです。あの、お、男は元死喰い人だった。い、今でも闇の、ま、魔法使いと繋がっていると、う、噂がある。死喰い人をご存知ですか?」
『えぇ。ヴォルデモートという男の配下ですね』
そう言うとクィレル教授の顔が真っ青になった。
「あ、あの方の名前を言っては、い、いけない。魔法界では"例のあの人"と呼びます」
『……分かりました。ですが、ダンブルドア校長だってスネイプ教授の噂は知っているでしょう?噂が本当ならそんな人を教師にするはずないのでは?今年はハリー・ポッターがホグワーツに入学すると聞きましたし』
第一次魔法対戦の話と生き残った男の子の話は調べている。
考えていると、地下階段からスネイプ教授が上がってくるのが見えた。
クィレル教授は怯えたようにスネイプ教授の方を見て大広間へと入っていってしまった。
心が冷たく凍っていくのを感じる。
それでも歩いてくるスネイプ教授に笑みを浮かべて挨拶をした。
「あいつと何を話していた?」
大広間のドアを睨みながらスネイプ教授が唸るように言った。
『怪我の具合を聞いていたんです。スネイプ教授、昨日はクィレル教授をお部屋まで送って下さりありがとうございます』
フンと鼻を鳴らしたスネイプ教授はクィレル教授の名前を聞きさらに不機嫌そうだ。
「あいつに近づくな」
『クィレル教授にですか?』
「そうだ。あの男は信用できない」
『理由は何ですか?』
「お前が知る必要はない。それから、我輩はお前のことも信用してはいない。しっかりと監視させて頂く。覚悟するがいい」
『それなのに、忠告してくれるのですね』
そう言うとスネイプ教授は心底不愉快だという顔をしたあと乱暴な足取りで大広間に入っていった。
目を強く閉じる
心が震える
裏切り者には死あるのみ
幼い頃から何度も聞かされてきた言葉を思いだし、寸の間顔を歪ませた。
人を疑う気持ちは簡単に持てるのに信用するというのはとても難しいことね。
***
「緊張せんでも大丈夫だ。採用試験だと思わずに俺にやったみたいに練習だと思ったらええ」
『う、うん』
いよいよ模擬授業の日がやってきた。
今日はホグワーツの先生たちの前で授業を行うことになっている。
任務の時はこんな緊張一度も感じたことなかったのに。
早鐘を打つ心臓にため息をつく。
「はははっ!ユキでも緊張することがあるんだな。そうだ、教室に入ったらこう思うんだ。先生達は皆、俺の庭にあるかぼちゃだって」
『かぼちゃ?』
頭に疑問符を浮かべながらハグリッドを見ると、彼は豪快に笑って私の頭を撫でてくれた。
「そうだ、みーんなかぼちゃだ!」
『わかった、やってみる。よし、行ってくるね』
ぎこちない笑みを無理矢理作り試験会場となった教室の扉を開ける。
教室に不揃いに置かれた椅子に先生達はくつろいだ様子で座っている。
殺伐とした雰囲気ではなく和やかな空気に緊張が少し取れる。
教壇に立ち一礼すると足を組みゆったりと椅子に座っていたスネイプ教授と目があった。
落ち着いてきていた鼓動が再び早くなっていく。
頭の中でスネイプ教授の頭をかぼちゃに置き換えると少し楽になった。
『それでは、模擬授業を始めさせて頂きます。言葉の説明を……皆さんの中にある魔力をこの授業ではチャクラと呼びます』
黒板に
忍=魔女、魔法使い
術=魔法
チャクラ=魔力 と書く。
『チャクラは生まれた時から持っている“身体的エネルギー”と練習や経験で蓄積した“精神エネルギー”に分けられます。この二種類から成るチャクラを体の中でコントロールし印を結んで術を発動させます』
印=呪文、杖の振り方
『授業では体の中にあるチャクラの量や性質を知り、コントロールする力を身につけたいと思います。自分のチャクラの量や性質を知ることで、何の魔法が得意か知るきっかけになると考えています。チャクラのコントロール方法を学ぶことで魔法が使い易くなると思います』
杖を振り、図を出す。
『術は基本的に三種類。忍術、体術、幻術―――
頭は真っ白、体が熱く、呼吸も浅い。
体もふわふわ浮いているみたい。
しかし再三練習したおかげで言葉も動きも体が覚えているようだ。
かぼちゃ、かぼちゃ、かぼちゃ。
頭の中で呪文のように呟きながら授業を進めていく。
チャクラの“性質”と呼ばれる特徴、火、風、雷、土、水の五種類を紹介した後、自分がどの属性に分類されるか分かる紙を試してもらう。
これは非常に盛り上がった。
先生たちの手にある紙は燃えたり、切れたりして先天的な魔力の性質を示す。
誰と誰が同じだ。と会話が弾んでいる様子。
『生徒たちは杖以外で魔法を使うことに慣れていないと思うので、この作業に時間がかかると思います。ですので、少し時間には早いですが模擬授業を終わりにしたいと思います。ご静聴ありがとうございます!』
頭を下げると温かい拍手が教室に沸き起こる。
安堵と同時に体に疲労感がどっと押し寄せる。
小さく息を吐いてから顔を上げて微笑んだ。
ダンブルドア校長が拍手をしながら私の横に並んだ。
「楽しい授業をありがとう!」
ウインクをするダンブルドア校長に微笑みを返す。
「さて、ここで教員試験の合否を決めようと思う。まずはセブルス。ユキの魔法の習得具合を聞きたい。ホグワーツの教員としてやっていけそうかの?」
「問題ないでしょう」
「ふぉっふぉっ。それは良かった。模擬授業もよくできていたと思う。他の先生方もどうかの?」
再び温かい拍手。
「合格じゃ!これからよろしく頼むよ、ユキ先生」
改めて歓迎の挨拶をしてくれる先生一人一人と握手を交わし見送った。
教室にはダンブルドア校長、マクゴナガル教授、それからダンブルドア校長に言われて残ったスネイプ教授の三人。
「授業で使う教科書が決まったら儂の部屋まで持ってきてほしい。生徒たちの準備リストに追加せねばならんからの。だが、今日は一先ずゆっくり休みなさい」
「短い時間でよくここまで出来ました。頑張りましたね。フフ、これで暴食も少しは落ち着くかしら」
「屋敷しもべ妖精たちも心配しておったぞ。夜にあんなに食べて体を壊してしまう、との」
『食欲のことは言わないでください』
消え入りそうな声で言い俯くと二人にクスクスと笑われてしまった。恥ずかしいな……。
「すまん、すまん。さて、ミネルバそろそろ行くとしよう。儂らがいてはユキも話しにくいからの」
『えっ。そんなことないです。あ、行かないでください』
いいから、いいからと笑いながら二人は教室を出て行ってしまう。
ご丁寧にも扉を閉めてくれた為、教室の中でスネイプ教授と二人きりだと嫌でも意識してしまう。
……私は何でこんなに動揺しているのだろう。
小さくため息をつき振り返ると怪訝な顔をしたスネイプ教授と目があった。
また息が詰まる。
ホグワーツに来てから時々息が詰まるが、その時には必ずスネイプ教授が居ることに最近気がついた。
ただ、どうして苦しくなるかは分からないのが最近の悩みの一つになっている。
「Ms.雪野?」
『えっ。あ、すみません』
ハッと我に返りスネイプ教授に残っていてもらった理由を思い出した。
机の荷物の中から風呂敷包を取り出して渡す。
『スネイプ教授のご指導のおかげで魔法を習得することができ、教師としてホグワーツで働けるようになりました。お忙しい中、今日までありがとうございます。それで、えっと、これはお礼です』
恥ずかしさのために一息で言う。
差し出したが、なかなか受け取ってくれない。
まともにスネイプ教授の顔を見ることができずに俯いてしまう。
迷惑だったろうか……。
信用していないと言われたことを思い出す。
それに自分の贈り物を気に入ってくれるか自信がなかった。
どうしようかと考えていると視界に靴が入ってきた。
顔を上げるとスネイプ教授の真剣な顔。
驚いていると、スネイプ教授は私の前髪をよけてそっと額に手を当てた。
『っな、な、な、何してんですか!?わっ!……んぅ』
驚いて後ろに飛び下がった私は後頭部を壁に激突させ声にならない呻き声を上げて座り込んだ。
顔がみるみる上気する。
驚いて口をパクパクさせていると、スネイプ教授は一瞬目を見開いて驚いたあと、片手で口元を隠すようにして横を向いた。
堪えきれない笑い声が聞こえてくる。
『わ、笑わないで下さいっ!』
「顔が赤かったから熱があるかと思ったのだ。そんなに驚くとは思わなかった。すまない」
すまなそうな顔をしようとしているが笑いを堪えようとしているのが良く分かる。
拗ねたようにプレゼントの包を抱き抱えた。
『そんなに笑うなんて。もうコレ渡しません』
「悪かったと言っているだろう。これは有り難く頂戴する」
彼は私の腕からひょいとプレゼントを抜き取り、するすると風呂敷の包を開けた。
風呂敷に包まれていたのは“忍薬学 1”というタイトルの分厚い本。
「これは?」
『忍版の魔法薬学の本です。同じ効能を持つ薬でも魔法界と私たちの世界では材料も効き目も違っていて見比べると面白かったので。スネイプ教授も興味がお有りかなと思ったんですけど、あの、やっぱり買い直させてください!字も汚いし、プレゼントにしては……地味ですよね』
1ページ目を凝視し続けているスネイプ教授から本を取ろうとするが手は空を掻いた。
私の手に届かないように上にあげて本を見ている。
『スネイプ教授?』
「面白いな」
呟くようにスネイプ教授が言う。
本を読む姿はどことなく楽しそうだ。
気に入ってもらえた事が分かり嬉しくなる。
スネイプ教授はしばらく本を読んでいたが何かを思い出したように本を閉じてこちらを見た。
「字が汚いと言っていたが、どういう意味だ?」
『魔法で英文に変換してみたんです。でも、所々文章がおかしかったり、魔法界にはない薬材の名前が訳されなくて。間違い箇所を探すよりも、書き写したほうが正確で、早かったんです。読み難くてすみません』
「そうか」
スネイプ教授は再び本を開きページをめくった。
そしてフッと頬を緩ませて温かな瞳で私を見つめた。
ダンブルドア校長やマクゴナガル教授が見せてくれる優しい瞳の色。
心臓がドクっと跳ねる。
「大切に使わせてもらう。君も魔法薬学で分からないことがあったら遠慮なく聞きに来たまえ……Ms.雪野?」
ぼんやりとしていた私にスネイプ教授が声をかける。
「やはりどこか具合が悪いのではないか?」
『大丈夫ですよ。ただ……』
「ただ何だ?」
『スネイプ教授の笑顔素敵だなと思って。もっと笑ったほうがいいですよ』
スネイプ教授の顔がみるみる上気していった。
『?顔赤いですよ。体調悪いですか?』
ペタリとスネイプ教授の額を触ってみる。
熱はないみたいだけど……
「ば、馬鹿者がっ」
手を乱暴に振り払われる。
『何故です!?』
さっき同じことをしたのに!
そう言うと彼はますます顔を赤くさせて教室から出て行ってしまったのだった。
****
スネイプは目の疲れを感じて読んでいた本をおいた。
時計を見るとちょうど12時を回ったところ。
雪野から貰った本と魔法薬学の本を比較するのは面白く、ここ数日は夜遅くまで本を読んでいることが多かった。
昼間は柄にもないことをしてしまった……まるで吸い寄せられるように……不思議な感覚を思い出して眉を寄せる。
喉の渇きを感じ紅茶を入れようとしたが茶葉が切れてしまっていた。
気分転換ついでに厨房に茶葉をもらいに行くことに。
夏でも涼しい地下の廊下を歩き玄関ホールを通って厨房のある階段を降りる。
少しぼんやりとした頭にくすくす身をよじりながら笑う洋梨の声が鬱陶しい。
緑色の取手のドアを開けると誰もいないと思っていた厨房のテーブルに本の送り主が座っていた。
何かを大急ぎで片付けたような慌てぶり。
「Ms.雪野、こんな時間に何をしているのだね?」
ニヤリと笑って彼女を見るとあきらかに挙動不審に目を泳がせた後、後ろを振り返り厨房の奥を見て小さく首を振っている。
視線の先を追っていくと厨房の一番奥の暖炉で屋敷しもべ妖精たちが大きな鳥の丸焼きを焼いているところだった。
その手前のテーブルではサンドウィッチが作られている。屋敷しもべ妖精は雪野の視線に気づかずに出来上がったサンドウィッチを鼻歌交じりに持ってきて彼女の目の前に置いた。
頭を抱えてテーブルに突っ伏したまま、ありがとうとお礼を言っている。
皿の上には軽く三人分はある量のサンドウィッチ。
「こんばんは。スネイプ教授!珍しいですね。御用はなんでしょう?」
サンドウィッチを運んできた屋敷しもべ妖精がキーキー声で声をかけてくる。
その声を聞きつけて仕事ができたと楽しそうに他の屋敷しもべ妖精も集まってきた。
未だに頭を抱えて動かない雪野を見て自然と口の端があげ、紅茶の缶を屋敷しもべ妖精に渡す。
今まで聞いてきた噂を確かめる機会ができたようだ。
「この缶に茶葉を詰めて欲しい。それから、我輩とMs.雪野に紅茶を淹れてくれ」
「わかりました。スネイプ教授にもサンドウィッチお作りしましょうか?」
「いや。紅茶だけでいい」
屋敷しもべ妖精は少し残念そうな顔をしたがパタパタと大きな耳をはためかせて紅茶を入れて運んでくる。
「さて、こんな夜更けに厨房にいる訳を聞かせていただけますかな?」
自分でも感心するほど甚振る気たっぷりな声で言うと、のろのろと雪野が渋い顔で顔をあげた。
一生懸命言い訳を考えているのかサンドウィッチをじとっとした目で見つめ続けている。
「かなりの空腹のようですな」
『あーそんなことはないですよ。ほんの少し小腹がすいて。夜食をお願いしたんです。全部食べるのではないです。明日は早起きして朝練をするので、その分も作ってもらったんです』
苦しい言い訳をいつもの人形のような微笑みを浮かべて言う。
しかし、タイミングを見計らうようにドンっと大きな鳥の丸焼きが置かれ雪野は宙を仰いだ。
「お待たせしました、ユキ先生!」
『……うん。ありがとう』
「足りなかったら言ってくださいまし!」
『ありがとうぅぅううう……』
悲痛な声。
口の端が上がるのを誤魔化すように紅茶を飲むと雪野は観念したようにサンドウィッチに手を伸ばし自分にもお皿を向けてきた。
『スネイプ教授も一緒にどうですか?』
「君の分をとっては申し訳ないのでね。遠慮しておく。それより、よく厨房には来るのかね?」
『今夜はたまたまですよっ』
一つ目のサンドウィッチを胃の中に消した雪野は頬を染めながら鳥の丸焼きにナイフを入れ始める。
隠し通せないと思ったのか今では豪快に頬張っている。
たまたまでも一人でこの量を食べるつもりだったのか?
3人分のサンドウィッチと鳥の丸焼き1羽。
見ているだけで胸焼けがしそうだ。
真夜中に油っぽいものを食べて体調を崩さないのだろうか。
しかし、そんな心配をよそに結構なスピードで丸焼きは彼女の胃袋へと消えていった。
「校長たちが心配するわけだ」
そう呟くと弾かれたように顔をあげた。
『今日見たこと、絶対に誰にも言わないでください!マクゴナガル教授には特に!』
「なぜだね?」
『夜食禁止令が出てるんです』
バツの悪そうな声で呟く。
「当然だな。体に悪い」
『うぅ』
怒られた犬のようにしょんぼりする姿を見て思わず笑ってしまう。
瞬間、雪野の目がパッと見開かれた。
『やっぱり笑顔が素敵ですね』
……真顔でそんなことを言うな。
「明日にでもマクゴナガル教授に報告するとしよう」
こめかみをほぐしながら言うと、たまに見せる訳のわからないと言った顔で見つめられた。
『褒めたのになんでですか?』
「自分で考えたまえ」
『はあ……』と間抜けな返事を返した彼女は最後の一つになったサンドウィッチに手を伸ばし、いつの間にか綺麗に消えた鳥の丸焼きがあった皿を名残惜しように見ていた。
まだ食べたりないのか。恐ろしい食欲だ。
それにしても、こちらを見ていなくて良かった。
自分の顔が赤くなっているのが分かる。
得体の知れない新任教師をしっかり監視させていただこう。
屋敷しもべ妖精に余りのデザートがないか聞く姿を見てスネイプは小さく笑った。