第2章 純粋な猫
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17.小旅行 前編
天文台に着地したのに体がフワフワして、まだ空を飛んでいるよう。
唇に残る感触。
心臓が早鐘を打っている。
このキスの意味は
『あの』
「見た目は普通の宿り木の実と変わらないな」
言おうとした言葉を飲み込む。
スネイプ教授は杖の明かりで宿り木の実を観察していた。
全身の力が抜けていく。
キスに意味なんてない。
宿り木の実を採種するためにしただけなのだ。
『……その実、私に下さい』
クリスマスの日にだけ突然頭上に現れる宿り木に去年から興味があった。
なぜ私は少しガッカリしているのだろう、と思いながら手を差し出す。
「断る。これは1年に一度しか手に入らないのでな」
スネイプ教授は実をポケットにしまってしまった。
『私の頭の上に出現した宿り木ですよ』
「摘み取ったのは我輩だ」
『そんなぁ。来年まで待たなきゃいけないなんて!』
抗議の声を上げる。
「日付が変わるまで後5分ある。自分の部屋まで戻ればロックハートが協力してくれるだろう」
『冗談じゃない。あのへなちょこ教師とキスなんて嫌です』
では、スネイプ教授とのキスは嫌ではなかったのかと考えると嫌ではなかった。
むしろ……
「そんなに実が欲しいなら相手をするが、どうかね?」
『なっ!?』
ニヤリと意地の悪い笑み。
頭の中を見透かされたような問いに体がカァっと熱くなる。
居た堪れなくなって逃げるように天文台から逃げ出す。
踊り場から踊り場まで階段を飛ばして下り、廊下で悪戯の準備をしていたピーブズの体を通り抜け(少し火照りがおさまった)自室に飛び込み、リビングを突っ切って寝室の扉を開ける。
急に明るい部屋に入り目を細める。
「お帰りなさい。遅かったですね」
『……はは、ただいま』
やっぱり居座っていた。
私の宿り木から実を摘み取ったもう一人の人物。
昨日は考えるのを放棄して寝てしまった。彼とのキスでも心が乱れていたのに更にスネイプ教授ともキス。
慣れない事態に頭が痛くなりそうだ。
「ユキもシャワーを浴びてきたらどうですか?」
バスローブ姿で濡れた頭をタオルで擦りながらクィリナスが言った。
ふと周りを見渡して目が点になる。
何故、新しいタンスが増えている?
何故、本棚の本が増えている?
何故、彼はパジャマに着替えようとしている??
『ちょっと待って!クィリナス、今日もここに泊まるの?朝になる前に帰りなさい』
「嫌です」
『何で!?』
「私もここに住むからですよ」
『は?』
しれっとした顔でこの人は何を言っているのだろう。
開いた口が塞がらない。
『ダメだって。一緒になんか住めるはずないでしょう?』
「はぁぁ。わかっていませんね、ユキ」
クィリナスがため息をつきながら首を横に振った。
「私はあなたの猫。ユキのペットです。ペットが帰る家は飼い主のいる家。すなわち、ユキこそが私の家なのです」
『うぉぅ……』
強いめまいを感じる。
危ない、危ない、危ないよ。
前から薄々勘付いてはいたがクィリナス・クィレル、この人は相当危ない。
「シャワーを浴びてきてください。その間に寝る前のハーブティーを用意しておきましょう」
巨大なトランクから出した服をタンスに移し替えるクィリナスが微笑む。
熱めのお湯に浸かっても、熱いお茶を飲んでも寒気が消えることはなかった。
***
ブルガリアへの旅行の日、27日がやってきた。
ユキは校門の両脇に並ぶ羽の生えたイノシシ像の隣に座り、鼻歌を歌いながらスネイプを待っている。
初の海外旅行、イギリス以外の魔法界、魔法使いに会える。
任務で男性の忍と並んで寝ることなど当たり前だったユキはスネイプと二人きりの旅行に何の抵抗も感じておらず、心の中はワクワクで一杯だ。
雪で銀色に光る丘を黒い人が下ってくる。
『おはようございます』
太陽の光を手で遮りながらスネイプは顔を上げた。
「待たせたな」
普段からこの忍術教師の突飛な行動を見ているスネイプは表情一つ崩さない。
ユキはピョンと柱から飛び降りた。
『私が早く来すぎただけですよ。スネイプ教授は時間通りです。珍しく防寒してますね』
色は黒だがマフラーと革の手袋もしている。着ているローブはクリスマスに贈ったものだったのでユキは嬉しくなる。
「髪は染めたのか?」
『黒じゃないと落ち着かなくて。灰色の方が良かったですか?』
「君には黒髪が似合う」
東洋的な顔、黄色い目、おまけに灰色の髪は目立つ。
出来るだけ目立たないようにとユキは髪を黒く染め、服は魔法界の魔女の服装。
スリザリン生からプレゼントされたグリーンラインの入った帽子。
ユキもスネイプも検知不可能拡大呪文をかけた鞄なので1泊旅行なのに持ち物は小さい。
『ブルガリアまで姿現しですか?』
「ブルガリアまでは遠い。ダイアゴン横丁の漏れ鍋に行き、ポートキーで移動する」
『わぁーポートキーの移動は初めてです』
「ダイアゴン横丁まで姿現しする。掴まれ」
『お世話になります』
ユキはスネイプの腕に自分の腕を絡ませる。
二人の姿はバチンッという破裂音とともに校門から消えた。
『休暇中はダイアゴン横丁も人が少ないですね』
ほとんどの店は冬の休暇で閉店している。例外なのはポートキーの設置場所に選ばれた漏れ鍋と家族団欒のクリスマスなど縁のないノクターン横丁くらい。
『おはよう、トム。お久しぶり』
漏れ鍋に入ったユキは店の老主人に声をかける。
「おぉ、ユキちゃん!君にクリスマスプレゼントがある。チョコレートだよ」
『嬉しい!ありがとう』
「ここでも餌付けされているようですな」
スネイプの冷めた目付きにユキは乾いた笑い。
「今日はどうしたんだい?」
『スネイプ教授にブルガリアに連れていってもらうの』
「なんと!もしや、ヨーロッパカップに行くのかい?」
店主は驚きの声をあげて、目を丸くしてユキとスネイプを交互に見た。
「おじさん今日は起きているから真夜中に帰って来ても……」
『1泊の予定だから大丈夫だよ』
にっこり笑うユキを見た店主はショックで頭を抱えた。
スネイプは心の中に広がる優越感に思わず口の端をあげる。
「そろそろ時間だ。ポートキーはどこかね?」
「は、はい。こちらです」
気落ちした主人が奥の部屋へと案内する。部屋は数十人の魔法使いや魔女でいっぱいになっていた。
案内されたテーブルには錆び付いたフライパン。
「時間です、ポートキーに触ってください。5・4・3……」
『フライパン?あそこは長靴??』
色あせたクッションやバネが飛び出したラジオなどに良い大人の魔法使いたちが手を伸ばしている光景は奇妙だ。
「置いていかれたいのか、馬鹿」
キョロキョロしてポートキーに触れていないユキを見たスネイプが慌てて手を引っ張りポートキーに触れさせる。
途端に周りの風景がぐにゃりと歪む。
『イタタタ……』
「よそ見をしているからだ」
スネイプは顔面から地面に突っ込んだユキの腕を引っ張り起き上がらせる。
ユキが周りを見渡すと古びたパブから森の中に移動していた。
『こんなに沢山の魔法使いが一堂に会するなんて』
20分ほど歩いて森を抜けると大きな広場に出た。
霧で遠くまでは見えないが、見える範囲だけでも何百というテントが並んでいる。
煙突のあるテント、木製の扉がついたテント、見ているだけで面白い。
「1年半後のクィディッチ・ワールドカップが思いやられるな。これではマグル達に気づかれてしまう」
『確か4年に一度の大会ですよね?』
「次の開催国はイギリスだ。魔法省はマグル対策に苦労することになるだろう」
『私たちもキャンプですか?』
「スタジアム近くのホテルを予約しておいた」
『ありがとうございます!楽しみだぁ』
テントも気になるが魔法界のホテルも楽しそう。
「どこかで昼食にしよう」
『ブルガリアの名物料理が食べたいです』
試合は夕方から。
二人は昼食を食べたあと、お茶をしながら行商人から買ったパンフレットを読んだりと時間までゆっくりと過ごした。
***
どこからか銅鑼を打ったような音が聞こえてくる。
「時間だ。スタジアムへ向かうぞ」
競技場は森を抜けた先にあるようだ。
ランタンで照らされた森の小道を興奮した様子の魔法使いや魔女が同じ方向に進んでいく。
森を抜けた広場はテント村とも雰囲気が違っていた。
『お祭りみたい!』
遠くに見えるのは銀色に輝くスタジアム。
スタジアムに続く真っ直ぐに延びる大通りの両端にはワッフル、フライドポテト、ハンバーガー、土産物の屋台が並んでいる。
香ばしい匂いにお腹がきゅるると鳴ってしまう。
『タンドリーチキンがある。スネイプ教授、あれだけ買ってもって私はぐれちゃった!?』
屋台に気を取られている間にスネイプ教授とはぐれてしまったらしい。
周りは人、人、人。しまった……
賑わったこの通りを走って追いかけるのは難しそう。
座席の位置を聞いていないからスタジアムで合流することはできない。
『うわーん。あんなによそ見するなって言われていたのに怒られちゃうよ』
屋台の屋根を走るのが手っ取り早いけど、もっと怒られるよね。
抜け道はないかと見渡すと屋台と屋台の間に細い道を見つけた。
屋台で使う材料が入っているだろう木箱の間を抜けてスタジアムを目指す。
大通りから外れた道に出た私は知った雰囲気に眉を潜めた。
「お嬢さん、20ガリオンで特等席に変えられるよ。どうだい?」
いかにも怪しげな魔法使いを無視して先へと進む。
どこにでもノクターン横丁のような場所はある。私が足を踏み入れたのはそんな通りだった。
しかし、ノクターン横丁よりは治安が良さそうだ。
スリに気をつけながら進んでいく。
『この方向で合っているはずなんだけどな』
闇市の店もまばらになってきた。
方向は合っているはずだけど、そろそろ大通りに戻りたい。
「このような所にいては危ないですよ?」
声をかけられて振り返ると身なりのこざっぱりとした男性が立っていた。
この通りには似合わない爽やかな笑顔と声。
「どうして若いお嬢さんがお1人で?」
『失礼ですが、あなたは?』
「私は大会警備員です」
人は良さそうだが、どことなく胡散臭い。
「この裏通りはスリや人攫いなどが多く危険です。安全な通りまでご案内致しましょう」
『……お願いします』
早くスネイプ教授と合流したいので案内してもらえたら有難い。
もし警備員でないと分かれば殴って逃げればいいことだ。
自称警備員のあとに続いて暗い道を進んでいくのだが……
『大通りはまだですか?』
「この先です、お嬢さん。あの角を曲がったら大通りですよ」
どんどんスタジアムから離れていっている。
角を曲がると木がまばらに生えた空き地。
そこに一台の古いトラックが止まっている。
トラックの後ろから様子を伺う人影、右の茂みに二人、左の木陰に一人。
隠れるつもりがあるのなら、もう少し上手く隠れて欲しいものだ。
「知らない人について行くなって教わらなかったかい、お嬢ちゃん」
前を歩いていた男が振り向き、人の良さそうな顔から一転して凶悪そうな顔でニタリと笑った。
それを合図に隠れていた仲間も茂みから厭らしい笑みを浮かべながら出てきた。
無駄な時間を使ってしまったことに心の中で舌打ちをする。
「よくやった。こいつぁ上玉じゃねぇか」
「珍しい目だ。この女、高く売れるぜ」
『帰らせてもらうわ』
「お前は大事な商品だ。はい、どうぞ。とはいかねぇよ」
そう言って一番の悪人顔をした男がゲラゲラと笑ってから杖を取り出した。
「ステューピぐえっ」
急所を蹴られた男は白目を剥いて地に伏した。
男たちが一気に殺気立ち、次々に杖を抜く。
相手はたったの4人。
私の相手ではない。
『スカート動きにくい』
「何だ、この女!?」
一回転したユキは魔女の服から黒い忍装束に早着替え。着地と同時に驚く男たちを体術だけで倒していく。残りの4人が気絶して倒れるまで1分もかからなかった。
『早くスネイプ教授を探しに行かなくちゃ』
駆け出そうとしたユキの足が止まる。
5つほどのランタンの灯りがこちらに猛スピードで近づいてくる。
目を凝らすと揃いの青いローブを着た男たち。
その中でも抜きん出て早いスピードで向かってきた男性が見事な箒コントロールを見せながら目の前に着地した。
背が高く、年齢はユキと同じくらい。
栗色の髪をしたハンサムな男性。
「ブルガリア魔法省の者です。お怪我……!?」
『私は大丈、え?えぇっ!?』
ユキは目を瞬かせる。
ハンサムなブルガリア魔法省の男性に抱きしめられたからだ。
迷子の子供を見つけた母親のように強く、優しい抱擁。追いついてきた同じくブルガリア魔法省と思われる人たちも、同僚の行動に驚いているらしく、目を丸くして見ている。
「無事で、無事で良かった。生きていたんですね」
『ちょっと、誰かと間違えていません?!』
見たことのない男性。そもそもブルガリアに知り合いはいない。
それに、黄色い目に東洋的な顔をした自分を誰かと間違うのも不思議。
『聞いてます?』
男性をベリっと片手で引き離したユキの心臓がドキリと跳ねる。
涙をこらえて無理に作った笑顔、優しい光を帯びた瞳。
「申し訳ありません。人違いでした」
頭を下げた男性。
顔を上げた時には引き締まった役人の顔に変わっていた。
その様子を見た他の役人たちは地面に気絶した男たちを縄で縛っていく。
「この男たちはブルガリア魔法省が懸賞金をかけて追っていた人攫いの犯行グループです。犯人逮捕のご協力感謝します。ええと、Ms.―――」
『雪野です』
「ありがとうございます、Ms.雪野。先程は大変失礼致しました。行方不明の妹と似ていたものですから……お許し下さい。僕はブルガリア魔法省の闇祓い、グライド・チェーレンです」
私は差し出された手を握り握手を交わす。
突然抱きつかれて驚いたが、礼儀正しい男性のようだ。
眩しい光に片手をあげる。
いつの間にか騒ぎに気づいた野次馬が集まってきていた。
先ほどの光はカメラのフラッシュ。
早くここを立ち去りたい。
『今から試合を見に行くんです。はぐれてしまった連れも探さないといけないので、失礼します』
「待ってください。お連れの方を探す手伝いをさせて下さい」
『でも、仕事があるのでは?』
「姿くらましで運ぶだけですから人手はいりません。それより、スタジアムへ向かう大勢の人の中からお連れの方を探すのは大変ですよ。箒で上空から探しましょう」
異国の地、初めての場所で土地勘もない。
何万という人がスタジアムに向かって一斉に移動している中スネイプ教授を探すのは難しい。
それに野次馬の中から感じる嫌な視線。
お言葉に甘えて箒に乗せてもらうことにする。
「上昇します。しっかり掴まっていて下さい」
カメラのフラッシュに目を細めながら集まってきていた人たちに視線を走らせると、大きな木の脇に先程から視線を送ってきていた人物を見つけた。
あいつはヴォルデモートの手下……
アルヴァニアの森で会った狼人間。
憎悪でぎらつく瞳と目があう。
名前は確か――フェンリール・グレイバック。
フェンリール・グレイバックは残忍そうな笑みを浮かべて森の中に消えていった。
「お連れの方の特徴を教えてください」
Mr.チェーレンの声に前を向く。
『黒髪、黒い目、背は高くて少し猫背、やや血色悪し、黒い服にローブ着用』
「了解しました」
振り向いたチェーレン氏は爽やか好青年の笑顔。
いつの間にかメインストリートの上まで飛んできていた。
スネイプ教授がいないか目を凝らす。
『わぁ。皆さん派手ですね』
「全身黒ずくめの服装は逆に見つけやすいかもしれませんね」
ほとんどの人が各代表のチームカラーを身にまとっている。
杖から花火を出したりと試合前なのに既にお祭り騒ぎだ。
「どちらからいらっしゃったのですか?」
『イギリスです』
「それは遠いところから」
『同僚がチケットを取ってくれてワクワクで来ました』
「強豪チームの対戦です。きっと楽しめるでしょう」
スタジアムに近づくにつれて人が更に多くなってきた。
箒の後ろに座っていると下が見えにくい。少しだけ……
「念のため言っておきますが、よく見えないからといって立ち上がらないで下さいね」
『た、立ち乗りなんてはしたない乗り方しませんよー。あはははは』
ビックリした。この人は後ろにも目がついているの?
箒の柄にかけていた足をそっとおろす。
ごった返すスタジアム前。
『あ!いました。右側の入り口付近です』
Mr.チェーレンにも分かるように指を指す。
スネイプ教授はとても見つけやすかった。
通行人が不機嫌な顔で怒りのオーラを撒き散らすスネイプ教授の近くを避けて歩いているからだ。
箒はぐーんとスピードを上げていく。
『お待たせしましたーー!』
立ち上がって大きく手を振る。
私に気づいたスネイプ教授は安堵の表情を見せたが、すぐ不機嫌な顔に戻る。
滑らかに後下していく箒から飛び降りて、スネイプ教授に駆け寄り頭を下げる。
『よそ見して、はぐれて申し訳ありませんでしたあぁ痛いっ!!』
両頬が大きく引っ張られ、続いてぶちゅううと顔を潰される。
『あぶぶふぅ』
スネイプ教授は変な顔になっている私の顔が面白いのか大きく鼻を鳴らして笑った。
『笑うなんて酷いです!』
「我輩がどれだけ心配したか分かっているか?一体どこではぐれた?」
『タンドリーチキンのお店近くでございました』
「森を抜けてすぐではないか!」
決闘クラブでロックハートに見せたような凶悪な顔で睨まれる。
正直、森であった人攫い達より悪人面。
「人が多いから迷わないように気をつけろと言っておいただろう。それに雪野、君は何故忍装束に着替えている?まさか問題を起こしたのではあるまいな?」
『も、問題は起こしていないと思います……多分』
助けを求めるようにMr.チェーレンを見ると、
クスクス笑うのをやめてスネイプ教授に一礼した。
「私はブルガリア魔法省、闇祓いのグライド・チェーレンと申します」
魔法省と聞いてスネイプ教授の眉間の皺が増えた。
思わずMr.チェーレンの後ろに隠れる。
「何かご迷惑をかけたでしょうか?」
「とんでもない。我々はMs.雪野に助けられたのです。この1年、ブルガリア魔法界では若い女性を攫い、記憶を修正して売り飛ばすという実に卑劣な事件が起こっていました。Ms.雪野は犯行グループの一味逮捕に協力して下さったのです」
Mr.チェーレンが説明したにも関わらずスネイプ教授の顔は険しいまま。
「それで?雪野、君はなぜ事件に巻き込まれることになったのかね?普通に大通りを歩いてくればそのような輩に出会うことはないはずだが」
『……大通りは混んでいたので裏道に入ったのですが迷ってしまって。大会警備員を名乗る男性に安全な道まで案内すると声をかけられたのですが……』
「そいつが人攫いだったと」
『イダダダダ』
耳を引っ張られてMr.チェーレンの後ろから引きずり出されてしまった。
「よそ見をしない、知らない者についていかない。子供でも出来る事であろう馬鹿者!」
『耳元で怒鳴らないで下さいよぉ。とっても反省していますから怒りを静めて下さい。そんなに怒ると眉間の皺が増えちゃいますよ?』
人差し指をスネイプ教授の眉間に当てて皺を解す。
「それが反省している者の態度かっ」
スネイプ教授がカッと目を見開いた。
慌てて身を引いて頬を引っ張られないように両頬を手で包み込み、ぎゅっと目を瞑る。しかし、何の衝撃もやって来ない。
「Ms.雪野は十分反省しているようです。お説教はこの辺にしてあげて下さい」
そっと目を開けるとMr.チェーレンがスネイプ教授の腕を掴んで止めていた。
さすが闇祓い。細身だけど力はあるみたい。
「それにMs.雪野だけが悪いわけではありません。事件に巻き込まれたのは人の多い異国の地でMs.雪野から目を離したスネイプ教授にも責任はあると思いますよ」
『いやいや。スネイプ教授に責任なんて微塵もないですよ。何を言っているんですか。お祭りにはしゃいで浮かれていた私が悪いんです」
仲裁に入ってくれたのは嬉しいが余計なことを付け足さないで欲しい。
あわあわする私を見たMr.チェーレンがふわっと優しく微笑んだ。
その笑みが何故か怖い。
「仮に僕が」
『おぉ!?』
突然のことに驚く。
腕が引かれて後ろからMr.チェーレンに抱きしめられた。
「このように美しい人をエスコートする事になったら片時も目を離さない。不安な思いはさせない。ましてや危険な目になど遭わせはしない」
私たちの周りだけ気温が2,3度一気に下がった気がする。
眼光鋭いスネイプ教授を見て体から冷や汗が出てくる。
「ついでに言わせていただきますが、女性を乱暴に扱う男なんて最低です。英国紳士の名折れだと思いませんか?」
「彼女の事を何も知らない君にとやかく言われる筋合いはない」
スネイプ教授が杖を振った。
体が浮き上がって飛んでいき、スネイプ教授に抱き留められる。
「初対面の女性に抱きつくという行為は君の言う“最低な男”に含まれないのかね?しかも今は職務中であろう。ブルガリアの闇祓いも落ちたものですな」
嫌味たっぷり声にMr.チェーレンの眉がピクリと跳ねる。
両者睨み合い。
―――試合開始15分前です!場外にいらっしゃるお客様は速やかに中にお入りください!――
弾んだ声のアナウンスがピリピリとした空気を破ってくれた。
「中に入るぞ」
スネイプ教授が私の手を握ってスタジアムへと歩き出す。
『は、はい!Mr.チェーレン、お世話になりました。ありがとうございます』
振り返り、歩きながら礼を言う。
「こちらこそ、Ms.雪野。試合楽しんで下さい。次にお会いできる日を楽しみにしています」
Mr.チェーレンは箒に跨り、ポーンと地面を蹴って上空に消えていく。
高スピードで滑らかな箒の動き。
「機会など来ない」
隣で小さな呟きが聞こえた。
**
細い三日月を背に上空に浮く青年。
各チームカラーの打ち上げ花火が夜空で花開き、地上では遅れてきた観客が足早にスタジアムへと向かう。
ブルガリアの闇祓い、グライド・チェーレンはユキとスネイプが入っていった入り口を見つめ続けていた。
「またお会いしましょう……できるだけ近いうちに」
夜の闇をかける冷たい風。
その中に溶けていった小さな呟き。
チェーレンは左前腕をローブの上から軽く撫で、箒を反転させて闇の中へと飛んでいった。