第8章 動物たちの戦い
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
11.シリウス・ブラック
向いていない。俺の仕事じゃない。
ダンブルドア校長からこの任務を言い渡された時にそう思った。今も思っている。
ただ、この任務がどれほど重要なものか時が経つにつれて実感し、ヒシヒシとその重みを感じている。
俺が任された任務は聖28一族に対する説得だった。ヴォルデモート側につくか、ダンブルドアの側につくか。イギリス魔法界に置いて純血を守っている28の一族たち。たかが28の一族がどちらの陣営にいようだとて大して変わらないように思えた。だが違った。
古くからイギリス魔法界を支えてきた純血一族たちはイギリス魔法界全体にその血を広げており、一つの一族がどちらかの側につけば相当な人数がどちらかの陣営に動く。もちろん、個々の家庭の事情もあるわけだが一族の中での“裏切り”行為は後に尾を引く……命取りにもなりかねない。
「アルバレス」
「シリウス」
フリントシャー州のフォウリー家の別荘を訪れた俺は館の主であるアルバレス・フォウリーにひっそりと迎えられた。
アルバレス・フォウリーは俺の数個上の先輩だったが在学中は関わりがなかった。スリザリンのシーカーを務めていて、ただ、お世辞にも上手じゃなかったのを覚えている。
フォウリーは聖28一族の中でもお堅い家柄として知られている。魔法省では魔法省上級次官の職についている権力者。ホグワーツ理事会でマルフォイと権力を二分する男は初め、俺の呼びかけに応じなかった。だが、ある日、フォウリーは俺を呼び寄せた。彼は我々の側につき、闇の陣営と対抗すると約束してくれた。
俺はフォウリーと歩きながら、夏の強い陽射しを館の中に入れる窓に視線を移す。
「奥様とお嬢様はお元気ですか?」
「あぁ。窮屈な思いをさせてしまっているが変わりないよ。娘の方は閉じ込められる生活に嫌気がさしている。外遊びが好きな子だからね……家に閉じ込められて毎日不満顔さ」
純血一族フォウリー家の当主が結婚相手に選んだのはマグルの女性だった。幼い頃から俺の家と同じように純血を尊び何たらかんたらと五月蠅く言われていただろうアルバレス・フォウリーは昔のレギュラスのようにどっぷりとその思想に浸っていた。しかしながら運命の女性はその思想を一瞬にして変えてしまったのだ。
「シリウス、こんにちは」
白に近いゴールドの髪を持ち、紫色の瞳を持つ女性が部屋から顔を出し、にっこりと俺に微笑む。彼女がフォウリーの妻。結婚すると決めた時はそれはそれは両親に反対されたそうだ。
―――この親不孝者が!!
―――……聞いて下さい。破れぬ誓いを結びました。彼女を他殺された時には自分も死ぬと……
これが未来の妻を両親の手から守ったアルバレス・フォウリーの策。彼の両親はしかし、彼を勘当することが出来なかった。自分の息子はアルバレス1人だけであるし、マグルの女と息子が結婚したなどととんだ恥さらし、本家を分家に渡す気もなかった。両親は相談の末に外国から純血の娘を嫁にしたのだと周囲に言った。
広々とした立派な佇まいのこの館はいつ来ても楽しい。有名な作家の絵に彫刻、ワインレッドの絨毯は長い廊下に美しく、控えめだが気品のあるシャンデリアが輝く玄関ロビーは磨き上げられた大理石。
「娘さんはどうするおつもりですか?」
「妻と相談してボーバトンに入学させることに決めた」
「いち教師として申し訳なく思っています」
「本当はホグワーツに入学させたかった。あそこでの学びは私の認知の歪みを修正してくれたからね。娘には人として真っ直ぐな人間になって欲しい。そう願って娘をホグワーツに行かせたかった。だが……」
「えぇ。ホグワーツは闇の陣営に乗っ取られつつあります」
「カロー兄弟を教員にしてしまったのは私の力不足だった。スネイプを追い出せなかったことも悔やまれる」
「あなたは全力を尽くしてくれました」
「ところで、ユキは元気にやっているかい?スネイプのことではショックを受けていただろう」
「えぇ。ですがユキは任務に忠実な人間です。割り切っていますよ」
「あの子は意外と情に脆くて純粋故に騙されやすい所がある。気を付けて見てやってくれ」
「情に脆くて鈍感?よくご存じですね。学生時代、そんなに関わり合いがありましたか?」
「同じチームでクィディッチをプレーしていたんだ。分かるよ」
通された談話室では屋敷しもべ妖精がティーセットを準備していた。火のついていない暖炉横にある一人掛けソファーにテーブルを挟んで腰かける。
「葉巻は?」
「任務の関係で体に匂いのつくものは避けているんです」
「では、私も控えよう」
「ご配慮をありがとうございます」
「だが、酒は飲ませてくれ。プップス、ニ人分のウイスキーの用意を」
紅茶の替わりに上質そうなウイスキーが屋敷しもべ妖精によって注がれる。フォウリーはウイスキーをひと口飲み、息を吐き出し、憂い気なブラウンの瞳をこちらへ向けた。
「魔法省の動きが日に日に悪い方へと動いていっている。スクリムジョール魔法大臣が暗殺されるのも時間の問題だろうと思っている。本人も自覚しているだろう」
「それは我々も承知しております」
「アンブリッジがマグル生まれ登録委員会などという馬鹿げたものを作るつもりだ。時代の流れ的にいつまでも阻止は難しいだろう……不死鳥騎士団は本当にダンブルドアなしでもやっていけるのかね?」
「意志は引き継いでおります。マッド‐アイ、リーマス・ルーピンが不死鳥の騎士団を纏め上げ、ヴォルデ「例のあの人の名前を言うのはやめてくれと何度も言ったはずだ」……申し訳ありません。例のアイツを打つ作戦を練っています」
「勝算は?」
「団結力はこちらの方が強い」
「はあ。なんと根拠のない。しかもリーダーが狂った男と狼男ときたものだ。ダンブルドアの代わりがこれか。まともな指導者はもっといなかったのかね?」
「彼らほどの適任者はいません」
「我らは命を君たちに預けているのだぞ?」
「信じて下さい。勝つのは我々です」
「……あぁ……分かっている。信じているさ」
カランとフォウリーの手の中でグラスが回り、氷同士がぶつかった音が涼やかに耳に届く。
「……例のあの人側は私の周辺を嗅ぎまわっている。今に私の妻がマグル生まれだと分かることだろう。そうすれば今よりずっと私たち家族の身が危険になる」
「……逃げますか?」
「いいや。戦うと決めたからこうして君と会っている。フォウリー家はどこまでも例のあの人に抵抗し続けよう。一族総出でそうすると意見は纏まっている」
「ありがとうございます。今日はそのお言葉が聞きたかった」
「聖マンゴの病院長は私の提案を受け入れて警備の者を増やすことにしてくれた。病院と対になった両面鏡も手配している。出来次第シリウス、君に連絡を差し上げて鏡を届けさせよう」
「助かります」
「聖マンゴが落とされることがあってはならない」
「不死鳥の騎士団が今一番恐れているのはそれです。個人病院が次々に襲撃されているこの頃、聖マンゴまで落とされてしまえば市民はヴォル、失礼、例のあの人に屈服してしまう」
「幸いにして聖マンゴの理事は全てこちら側だ。今後も闇の勢力に侵食される隙は与えない。戦力の方だけ、頼むぞ」
「はい」
握手を交わし、玄関まで見送られるために歩いていると、中庭で少女がボール遊びをしている姿が目に入った。父親譲りの栗毛色に母親譲りの紫色の瞳。宙でふわふわ浮くボールは重力に逆らっていて、彼女が魔女であることが分かった。
「美しいだろう」
「そうですね。将来が楽しみでしょう」
娘に優しい眼差しを向けるフォウリー。彼にとって娘の存在は目に入れても痛くない
にこっとこちらに気づいた少女が俺に手を振る。
「シリウスさーん」
大きな呼びかけに手を振る俺に突き刺さる横からの視線。
「娘に手を出してくれるなよ」
「出しませんよ」
何でそんな顔すんだ?
過保護で警戒心の強すぎるフォウリーに挨拶をして俺は次の目的地へと向かったのだった。
バシンッ
娘に手を出すな。
こっちは逆だ。娘に手を出せと言ってくる。
カンブリア州、ミュレー家の邸宅。
マルフォイ邸に負けない豪奢な佇まいの邸宅はミュレーの富を象徴している。
フランスの名門ミュレー。
“幸いなるミュレー家よ、血によって家紋を広げよ”
その言葉が玄関ホールの初代当主の肖像画の下に書かれていたのを見た時はおぞましさにゾッとしたものだ。
残念ながらそのおぞましさは現当主にしっかりと受け継がれており、俺は現当主の娘であるデリラ・ミュレー(成人したばかり)と結婚するように迫られている。
「やあ、シリウス」
「Mr.ミュレー」
「いいかげん養父と呼んでくれてもいいではないか」
「ははは」
笑うしかねぇだろ。
俺は乾いた笑いを返しておいた。
ミュレー家の内装はグリモールド・プレイス12番地の俺の家くらい悪趣味だ。ゴテゴテした装飾の手摺、コレクションケースには見せびらかすように金ぴかの魔法具が並んでいる。そして極めつけがこれだ。
おええ。いつ見ても反吐が出る。
通された壁一面に描かれていたのはミュレー家の家系図。一番初めにこの館を訪ねた時に3時間にわたって一族の繁栄とやらを聞かされた。
「お嬢様はお元気ですか?」
ご機嫌取りに礼儀正しく聞くと、ミュレーは非常に機嫌良さそうに口の端を上げて髭を震わせた。
「開口一番に娘について聞いてくれて嬉しいよ。デリラを呼ぼう。愛しの婿殿の姿を一刻でも早く見たいだろうからね」
これほど無駄な時間はあるだろうか?
部屋に入って来たデリラ・ミュレーは青い目を吊り上げてこちらを睨みつけてくる。やめろ。そんな目で見るな。俺だってお前と結婚する気はない。なんてお互い言えずに無言で見つめ合うしかない。
「ハハハ、照れてしまって」
この険悪な雰囲気に気づきながらもミュレー当主は朗らかに笑う。彼の中で娘とブラック家の跡取りである俺との結婚は脳内で既に決まっているのだ。
血によって家紋を広げよの言葉通り、デリラをブラック家に嫁がせ、子供を数人産ませ、そのうちの1人か2人を養子として引き取ってミュレー家を継がせる。それがこの男の筋書きらしい。
その後はイギリス純血一族の中にミュレーを入れこむ。それが最終的な彼の野望だ。純血狂いの俺の両親と重なるところがあり、世界中の言葉を使って罵りたいくらいに俺はこいつのことが嫌いだ。だが、縁を切れないわけがある。
ミュレーには財があった。その財力を不死鳥の騎士団は頼りにしている。もともとどっちつかずのミュレーをダンブルドアは味方につけるか迷っていた。だがしかし、金がないとどうしようもない時がある。
現に、ミュレーの賄賂でホグワーツ理事が何人か、魔法省上級次官の何人かは買収されて闇の勢力に抗う……はいかないまでも、中立的な立場を保ってくれている。ミュレーの金がホグワーツと魔法省の陥落を遅らせていると言っても過言ではない。
だから俺は、こうやって愛想よくしているわけだ。
「今日はデリラ嬢に花束を持ってきた」
「まあ、素敵」
杖を一振りして花束を出しデリラ・ミュレーに差し出すと、嫌悪の表情に似合わず甘ったるい声が彼女の口から飛び出した。
「ありがとうございます、ブラック先生」
「こらこら。未来の旦那様じゃないか。シリウスさんと呼びなさい」
「おほほ。そうですわね、お父様。言い直しますわ。ありがとうございます、シリウスさん」
「気に入って頂けたのでしたら何よりです」
「若い者同士少し話すといい」
「っいえ。用件を話しましたら直ぐに帰ります。今日は大事な用がこの後も入っておりますので……」
「私の娘と話すこと以上に大事な用があると?」
「ぐ……」
ニヤリと口の端を上げるミュレーに何も言い返すことが出来ない。こちらが無理をお願いしている以上、向こうの方が立場は上なのだ。
デリラ・ミュレーと取り残された俺は思わず盛大な溜息を吐き出した。
「溜息を吐きたいのはこっちです」
冷たい声に視線を向けるとデリラの掌の上で小さなトルネードが出来ていて、それが先ほど渡した花束を粉々に粉砕しているところだった。怖っ。
「花に罪はないだろ」
「そうね。でも、今度持ってくるなら硬い石とかにして下さい。その方が破壊のし甲斐がありますから。お花じゃあスッキリしない」
コツコツヒールの音を響かせて部屋を横切って行ったデリラは暖炉横のソファーに座り、対面のソファーに掌を向けて俺に座るように促した。
「例のアレ、持ってきて下さったのでしょうね」
「その傲慢な態度はどうにかならないのか?俺は仮にも君の先生なわけなのだが」
「なりません」
「だろうな。はあ。改善は期待していない。さあ、ご所望のものはこれだ」
ローブのポケットから1通の手紙を取り出す。デリラは“デリラ・ミュレーへ”と書かれている文字を指でなぞり、そして封筒をひっくり返して差出人の名前をうっとりと見つめた。
ペーパーナイフで丁寧に封を切り、僅かに震える手で折りたたまれていた手紙を開く。俺を睨みつけていた目が嘘のようだと毎回思う。恋する乙女の変化に俺は戸惑いを隠せない。
青い目に薄っすらと涙を浮かべて頬をピンク色に染め上げて読んでいるのはユキからの手紙だった。
ユキとデリラは俺を通じて文通をしている。1度何を書いているのかユキに聞いてみたところ、他愛もない、今日はあれを食べたこれを食べた、天気の話、メイクの話、勉強の話、俺にしたら特に面白みのない話ばかりだと思うが、本人たちは楽しんでいるらしい。
「あぁ、ユキ先生と結婚出来たらいいのに!」
「あいつはスネイプと結婚する気らしいぞ」
「スネイプ?釣り合わないわ」
「風の噂で君が以前スネイプに熱を上げていたと聞いたことがあったが違うのか?」
「そうね。でも、比べたらユニコーンとフロバーワームよ。ユキ先生に会いたいな。今何をしていらっしゃるのかしら?」
うっとりと夢見る乙女のような顔のデリラが2度目の通読を始めたので置いてあったピッチャーからアイスレモンティーを注いで飲む。
「来年度はボーバトンか?」
「いえ。ホグワーツよ」
「なんだと?」
「お父様に花婿の傍にいたいと言ったの。そうでなければ死んでやると脅してやったわ」
「いくら純血のスリザリン生だからといってボーバトンに行った方が安全だと思うが?そんなにユキの傍にいたいのか?」
「これはブラック先生がまだアズカバンにいた話ですけれど」
「その前置きいるか?」
「ユキ先生は私をバジリスクから守ってくれた命の恩人です。はあ、ユキ先生の腕はなんと逞しかったことか……」
「新年度からは夢見心地で生活できないぞ。分かっているか?」
「そのくらい分かっています。私は……私は……覚悟を決めています」
「覚悟?」
急に硬い声になったので首を傾げながら見ると、デリラ・ミュレーは強い瞳で手にしている手紙を胸に押し当てていた。
「ユキ先生に自分らしく生きろと教わった。だから私は、勇気を出して自分に正直に生きるんです」
「?」
「要するに、あなたとは天地がひっくり返っても結婚する気はないということです」
パッと表情が変わってまた俺に嫌悪を向けている。
一瞬見せた強い決意の眼差しは何なのか。
ミュレー家の一人娘。
彼女には彼女の戦いがあるのだろう。
「聞いてちょうだい。ここにこう書いてあるんです。前回の手紙で入れてくれた手製の押し花を使った栞を早速使っていますって!嬉しい!直ぐにお返事を書くから待っていて下さいね」
俺は胸に手紙を当ててキャーキャー騒いでいる少女に知らずと優しい眼差しを向けていたのだった。
いつ結婚するのだ、というミュレー当主からの言葉に「戦いが落ち着いてから」と前々から使っていた言葉で乗り切ってミュレー家を後にする。
変わらずの支援を取り付けることが出来てホッと一息を突きたいところだが、その他にも顔を出しておきたい家がいくつかあった。挨拶回りをして打倒ヴォルデモートの意思確認をし、魔法省へ。
上級次官を中心に挨拶し、各局へも顔を出す。終わる頃には夏の太陽が地平線へ沈む時刻になってしまっていた。
あぁ、栞に会いてぇ。
は?
今、俺、頭の中でなんて言った?
立ち止まり、ポカンとする。
予告されていない衝撃に打ちのめされた俺は魔法省のアトリウムで立ち尽くし、帰宅する人々の邪魔になっていた。迷惑そうにこちらを見る人々の目は、気にならない。それどころか、邪魔だ、どけ、と罵って欲しい気持ちになっていた。
俺はさっき何と思った?
栞に会いたいと思ったのか?
何故?
そうだ―――何故か考えよう。
あの子は明るくて、正義感が強くて、笑顔が可愛くて、それで――――
「シリウス?」
ハッとして我に返る。
後ろから声をかけてきたのはアーサーだった。不思議そうに俺を見上げている。
「こんなところで何を?」
「あ……ちょっと考え事を」
「広場の真ん中で?」
「あぁ……」
「何か大事が?」
「いや、そんなことはないんだ。万事上手くいっている」
「本当かね?」
「あぁ」
「それならいい。今日は魔法省を回っていたね。今日の任務は終わりかな?」
「終わりだ。家に帰って一杯飲みたい気分だ」
「それなら家に来たらどうだろう?君に会いたがっている子がいる」
パチンとウインクされて頭に浮かんだのはハリーの顔で俺は嬉しくなってアーサーの誘いに乗ることにした。ウィーズリー家、隠れ穴に到着する。いつ来ても温かな家庭。
皆が笑い合う中に彼女はいた。
栞は良い子。可愛い生徒だ。
それ以上も以下でもない。
そう思ったのに
思ったのに
「シリウスせんせーいっ」
太陽のように明るい笑顔で出迎えられて、俺の心は熱く燃え上がった。突きつけられた事実は重く苦しく、受け止めきれないものだった。
37歳の俺が17の少女を好きになった?
そんな馬鹿な。犯罪ギリギリ……彼女は生徒だからアウトだ。あってはならないことだ。
あってはならない
そう思うのに
それなのに
「今日は狐火を10個も出すことが出来たんですよ」
「優秀だ」
「ふへへ」
頼むから、そんなに蕩けるような顔でこちらを見ないでくれ。俺を何とも思っていないことは知っているのに、彼女の目は甘く煌めいているように見える。
ユキに恋した学生時代、大人になり、もっと好きになった。失恋は大きな痛手で、彼女の幸せを願いつつも、もうニ度と恋などしないだろうと思っていた。未練がましく、恨みがましく、恋に破れた俺は最高にカッコ悪かった。
もし、万が一栞に恋をしてしまえば、あの時と同じような自分になってしまうと分かっている。実らない恋だと分かっているのに追いかけてどうする?俺はマゾか?
「……で、フラーが……ティアラ……私たちも……」
今ならまだ後戻りできる。
この道を進んではいけない。
「ドレス……いないから……りてこない……いけない」
俺は教師で、理性のある大人の男。
ちょっと、心が揺れただけだ。人間なら少しくらいこういうことってあるだろう?
「シリウス先生?」
頼む
「ボーっとしてどうしたんですか?」
そんな純真な瞳で俺を見ないでくれ
「何か飲み物を持ってきましょうか?」
黒水晶のように黒く、小動物のようにくりくりした瞳。
その瞳の中に映る俺は自分ではないと思えるような優しい顔をしていた。
「シリウス先生?」
「ファイアウイスキーをもらってくる」
逃げるように席を離れる。
「はは、なんてこった」
俺は、17の少女に、生徒に――――恋をした
「シリウス」
ファイアウイスキーを震える手で注いでいるとニヤニヤ笑いのジェームズが近づいてきた。
「喋るな」
「こんな面白そうな出来事が起こったのに喋らずにはいられないだろう?」
「勘のいい奴め」
「親友の変化には直ぐに気が付くさ。しかし……こうなってしまうとハリーと君のどちらを応援したらいいか分からないな」
ニヤニヤ笑いを引っ込めながらジェームズは蜂蜜酒をグラスに注ぎ、チラっと後ろを振り返ってハリーの様子を確認した。ハリーは栞の隣で瞳をキラキラさせながら話していて、その姿から彼の跳ねるような心臓の鼓動が聞こえてきそうだった。
「年が離れすぎている。それに生徒だ」
「君は若いよ、シリウス。それにあと一年で卒業じゃないか」
「ハリーの味方につかないんだな」
「恋は譲り合いじゃない。相手が誰を好きになるかで決まるんだ」
「名言だ」
カンとグラスを合わせる。
俺は久しぶりのこういった話に酒の力も相まって気持ちが高揚してきていた。
気づいてしまえば想いは止められなくて。いや、前々から栞のことを気になっていた自分がいたと思い出し、彼女に対する自分の気持ちがぼんやりと霧状だったものからハッキリとした輪郭を持ったのが分かった。
ここからどうすべきか。だなんて既に考え始めていて。アプローチの難しさを感じつつ、それでもそれを考えるのが非常に楽しくなってきていた。
「お膳立てしようか?」
「やめろ。いい予感が全くしねぇ。ハリーの世話もするなよ?お前のリリーへのアプローチはそれはそれは酷かった」
「だが、こうして結婚している」
ジェームズはニヤッとして肩を竦めた。
「ん?」
栞を見ていた俺は彼女の変化に気が付いた。顔が妙に赤い。
笑いながら空のグラスを持ってやってくる栞に目を丸くした。千鳥足になってしまっている。
「おかわりゅを飲みます」
「駄目だ」
栞のグラスを取り上げると不満そうな顔で見上げられる。
「今日は平日だろう。パーティーでもなんでもない日だ。いったい何杯飲んだ?」
「一杯」
「酒が弱いんだな」
「寝つきが良くなるからあと一杯飲みたいれす」
「寝つきが悪いなら魔法薬を飲め。最近眠れないのか?」
「いえ。ぐーぐー寝ていまひゅ」
「呆れた子だ」
「蜂蜜酒は甘くて美味しくてお気に入りなんれす。もう一杯だけ飲ませてくりゃさい」
「それ以上言うならモリーに言いつけるぞ?」
「げっ。それはダメです」
明らかにマズイと言った顔をする栞に笑ってしまう。モリーは子供たちの母親代わりを務めてくれているようだ。
そういえば、栞の両親は何処にいるのだろう?プリンスの双子ははじめマホウトコロから転校してきたと話があったが、いつの間にかマクゴナガルの世話を受けるようになっていた。デリケートな問題だから聞かない。だが、心寂しい思いをしているだろう。
いつも前向きで明るい栞を俺は尊敬している。
彼女は前に進んでいく力がある。
「寝る支度をして寝ろ」
「確かに眠い……くー」
「おいっ。立ったまま寝るな!」
「栞!」
ハリーがタタっとやって来たのでジェームズがワクワクした顔をしている。コイツ、他人事だと思って……。
「シリウスおじさん、どうしたんですか?」
「栞はお眠だそうだ」
「部屋まで送るよ、栞」
「ありがとう、ハリー……くー」
「寝ちゃ駄目だってっ」
と言うハリーはとても嬉しそうで俺は前途多難な自分の状況を知った。ライバルは強敵そうだ。
「おやすみ、栞」
寝ぼけ眼な栞に軽く手を振ると頭が床に届きそうなお辞儀が返ってきて笑ってしまう。この子は本当に、面白い。
栞はハリーに連れられて階段を上って行く。その後を、ウィーズリー家の末娘であるジニーが気が付いて追って行ってくれた。
「なんで止めなかったんだい?」
「露骨に嫉妬を剥き出しにしたらダサいだろう?」
「どうやら勝算はハリーにありだね」
「俺には俺のやり方がある。経験値は俺の方が上だ」
「学生時代、シリウスのモテ具合は凄かったよね」
「モテていたというか荒れていたというか……まあ、飲もう」
「そうだね。今日は記念すべき日なんじゃないか?君が新たな恋を自覚した日だ」
「恥ずかしいから明け透けに言わないでくれ」
カンとグラスを合わせて酒をあおる。
喉を流れていくファイアウイスキーは格別に旨かった。