第7章 果敢な牡鹿と支える牝鹿
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28.半純血のプリンス
グリフィンドール対レイブンクローのクィディッチ戦を控える中、今年度最後になるはずだったホグズミード行きは中止とされた。ダイアゴン横丁と違いどのお店も開いているのだが、城の外に出るとなると危険。
生徒達は安全の為に
『生徒たちが可哀そうだわ』
日曜日のこの日、私とセブはホグズミード村を歩いていた。ミネルバから散歩ついでに見回ってきなさいと言われていたからだ。まさか抜け出す生徒はいないと思うが、ホグズミード行きが中止になって生徒はブーブー言っている。
空を見上げれば柔らかな空気の中に夏らしい草木の香りが混じっているのを感じた。春を過ぎた木には青々とした葉がついていて風に揺れてサラサラと音が聞こえてくる。
なんと良い日和だろう。もし生徒がいたらこの通りは賑わっていて、明るい声で満ちていたはずだ。悲しい気持ちになりながら歩いていた私は店の前で立ち止まる。ゾンコの悪戯専門店の中にいたのはフレッドとジョージだった。
『中に入ってみましょう』
「我輩は先に三本の箒へ行っている」
『ちょっと話すだけだから一緒についてきて。あなたと離れるのが寂しいわ』
「上目遣いで目を瞬いたところで何の効果もない。その下らぬ技……技と言えるかは疑問だが、どこで知識を得た」
『雑誌』
セブが馬鹿にしたように鼻を鳴らしたので私はパチパチと目を瞬きながら上目遣いをするのをやめた。おかしいわね。雑誌には上目遣いで目を瞬きながらお願いされると男は弱いと書いてあったのに。
だが、通じないなら仕方ない。私はいつも通りセブの腕を掴んで馬鹿力で引っ張って行き、店の中に入った。
『フレッド、ジョージ!』
「「ユキ先生、スネイプ教授、お久しぶりです!」」
『元気そうね』
「はい!こんなご時世ですが店の売り上げは好調ですしね」
「今日も商談で来たんです」
『商談?』
「この子たちはうちの店を吸収合併したいと言ってきたんですよ」
『それは、ええと、いいこと?』
「いいことずくめですよ。協力し合えば悪戯の幅が広がるってもんです」
「ゾンコの品にはお世話になりました。ゾンコは僕達の源流。でも、海へと続けば水はぜーんぶ一緒」
「むむむむ」
店主のゾンコは悩みどころらしく腕を組んで唸った。
「実はダンブルドア校長にうちの店の商品の出張販売を持ちかけているんですよ」
「今度のクィディッチの試合の時にでも店を出せたらと考えているんです」
『既に通販をしているでしょう?』
「実際に商品を手に取らないと分からないものもありますよ」とジョージ。確かに、店に並ぶ色とりどりで可笑しな品々の魅力は手に取らないと伝わらないと思う。
『私からも許可を下ろして欲しいとダンブルドア校長にお願いしておくわ』
「「ありがとうございます。さーすがは師匠!生徒に優しいユキ先生だ!」」
生徒の笑顔が増えますように。
私は興味なさそうに突っ立っていたセブと一緒にお店を出て行く。
ホグズミード村を一回りして私たちは三本の箒にやってきた。曲線美の美しいマダム・ロスメルタがやってきてメニューを聞きにやってくる。
ボンっキュっボンのマダム・ロスメルタは私の憧れでいつかこんな女の香りが匂い立つような女性になれたらと思っていると、マダムの体が急に前のめりに倒れてきた。ピカピカのハイヒールが床を滑り、音を鳴らす。
『マダム!』
腕にマダム・ロスメルタの体重がぐっとかかる。
「んっ。ごめんなさい」
『大丈夫ですか?ここへ座って下さい』
私が座っていた椅子に座らせて、セブがカウンターから水の入ったグラスを持ってきた。マダム・ロスメルタの顔は真っ青。
「急に眩暈が……」
『ご気分が優れないなら部屋までお送りしますよ』
「いいの。最近よくあるのよ……でも、直ぐにもとに戻るわ」
『宜しければ診察します』
「ユキ先生は確か癒者でしたわね……ん……お願い致しますわ」
脈を診るとどこか変。気の乱れがあった。
『健康状態は問題ありません。ですが……眩暈はいつからですか?』
「この1年ずっと。気がついたら前にいたところと別の場所にいたり……記憶を失っている時間があるみたいで……」
『記憶を失う……』
私とセブは顔を見合わせた。
『呪いの可能性を考えてスネイプ教授に診てもらうのが宜しいかと思います』
「スネイプ教授、お願い出来ますかしら?」
セブは立ち上がって杖をマダム・ロスメルタの頭の先から爪先まで動かした。しかし、首を振る。
「我輩の見立てでは今は術にかけられてはおらぬ。だが、前は違うかもしれん」
『というと、マダム・ロスメルタは最近まで術にかけられていた状態だった……私も同じ見立てよ。ずっと何かの薬を盛られていたか、術をかけられていたかは定かではないけれど』
「薬を盛られていたかは調べれば分かるであろう。しかしそれは病院に行った方がいい」
『そう致しますわ』
『もう少し意識が飛んだ状況などを詳しく話して頂けますか?』
私たちはマダム・ロスメルタから詳しい話を聞くことが出来た。三本の箒から出た私たちは歩きながら自分の考えを伝えあう。
「マダム・ロスメルタは服従の呪文にかけられた可能性が高いと我輩は思う」
『私も同じ意見よ。そういえば呪いのネックレス事件……ケイティ・ベルは三本の箒のトイレから帰った時にネックレスを受け取っていた。それにマダム・ロスメルタが関わっているとしたら……ドラコはマダム・ロスメルタに服従の呪文をかたんだわ!』
「そう考えれば全ての説明がつく」
『ドラコにとってマダム・ロスメルタは用が無くなったのかしら』
「いや、ホグズミードにも目を向けておいたほうがいいだろう」
『ドラコはまた同じ手を使ってくるかもしれない』
「ドラコの監視は続けているのであろう?」
『えぇ』
ドラコは慎重になっている。だが、私の監視の目は盗めないと思うが。
***
クィディッチ杯の決まるグリフィンドール対レイブンクローの試合当日がやってきた。生徒たちはスタジアム前の広場で足を止めていた。
芝生の広場には長テーブルが並べられており、そこには色とりどりのパッケージに包まれた悪戯グッズが並んでいた。あちらこちらでパーンと花火が上がり、歓声がわっと沸く。
「あの子たちが程ほどにするとは思えませんとダンブルドア校長には申し上げたのですが」
私の横に並んだミネルバは咎めるような口調をしながらも目を細めて温かな眼差しを生徒に向けている。
『でも、久しぶりにウィーズリーの双子が起こす騒動を見て見たい気もします』
私も生徒たちに交じって悪戯グッズを見て回った。というよりも、悪戯グッズを見ている生徒たちを眺め歩いた。私はこの活気が好きなのだ。これが私の好きなホグワーツ。
試合が始まるからスタジアムへというアナウンスに促されて生徒たちはクィディッチ競技場へと向かっていく。私もスタジアムへ。
4色のローブに混じって歩いていく私は教員の集まる席に座った。そこにはセブもいたが最早帰りたいという顔をしていた。今年度は残念ながら我らスリザリンに優勝杯が回ってくることはないのだ。
『セブの部屋の優勝杯がどこかへ行くのは悲しいわ』
「来年度は取り返す」
『そうね』
「そうはさせませんよ。昨年度こそスリザリンに優勝杯を渡してしまいましたが、今年度からまたグリフィンドールの連勝が続くことになります」
「それはどうかな、ミネルバ。今年のレイブンクローの選手たちは皆優秀だ」
ミネルバとフリットウィック教授の静かなるバチバチを珍しく観察していた私のところに慌てた様子の栞ちゃんが走ってきた。息を切らせた彼女が内緒話をしたいというように口に手を当てたので耳を傾ける。荒い息の間から言われた言葉は「マルフォイが切り裂かれたんです」という言葉。
『侵入者!?』
サッと顔が青くなるが栞ちゃんは首を振る。
「ち、違うんです。兎に角、来て下さい」
『マダム・ポンフリーを』
「他の人に知られたくないんです。お父、す、スネイプ教授も一緒に」
状況は分からないがドラコが危険な状態らしい。私とセブは何ごとだろう?という教師たちの視線を受けながら席を離れて客席から下りて廊下を走る。
『ドラコ!』
栞ちゃんに導かれてやってきたのはスタジアムから少し離れた雑木林の中だった。地面から膨らんだ根の間の凹みにドラコは倒れており、木の根には血痕と思われるシミが出来ていた。
「エピスキー!エピスキー!」
ドラコに必死に呪文を唱えているのはハリーで真っ青な顔で泣きそうになっているがドラコはピクリとも動いていない。
『ハリーどいて!ドラコ、しっかりしなさい。何の呪文を使ったの?』
「せ、セクタムセンプラです。ま、マルフォイが怪しい動きをしていて、僕は」
『少し離れて場所を開けていて頂戴』
「ヴァルネラ・サネントゥール」
『アクシオ』
セブがドラコに呪文を唱え始め、私は袂からポーチを出して増血薬と活力薬を出し、ドラコの上半身を起こして口を無理矢理こじ開けた。
『—っ』
口に流し込んだ魔法薬は飲み込まれることなくダラリと口から流れ出てしまう。
『リナベイト 活きよ!』
「うっ」
眉間が小さく寄せられ、ドラコが声を漏らした。
『起きて。私の声が聞こえるわね。口に流し込むものを飲むのよ』
様子を見ながら魔法薬を流し込むとコクリコクリと喉仏が下がってドラコが魔法薬を飲み込んだのが分かった。増血薬に続けて活力薬、そしてまた増血薬を飲ませる。
セブの方は治療を終えてドラコの傷をすっかり塞いでくれていた。それでもドラコは目を開けることは出来ずに私の腕の中でぐったりしている。
『ごめんなさいっ、ドラコ、ごめんね。守ると約束したのに』
友達と一緒にクィディッチ競技場に向かうドラコの監視を私は消した。ドラコは私から監視されていることを分かっていて、それは窮屈そうだった。生徒の中にいれば悪さをすることもないだろう。だから、私はこのひと時はと思い監視を止めたのだ。
土は血で湿っていて、私の着物の膝の部分は紅く染まっていた。
『ドラコは私の部屋に運びましょう』
「あ、あの、マルフォイは無事ですか……?」
「君の目には無事に見えているのかね?」
「—っ」
ハリーは息を飲みこんで震えた。自分のしてしまった事に恐怖を覚えているようだった。その様子を見て冷静さを取り戻した私はハリーに頷く。
『命に別状はない。栞ちゃんが直ぐに私たちを呼んだのは正解だったわ』
「僕、あの呪文がどういうものなのか、知りませんでした」
私が口を開く前にセブが前に出てハリーを見下ろした。
「ポッター」
冷たい怒りの声。
「我輩は、君を見くびっていたようだな。君があのような闇の魔術を知っていようとは、誰が考えようか。あの呪文は誰に習った」
「僕―――どこかで読んだんです」
「どこでかね?」
「あれは―――図書館の本です」
それはでっち上げだった。呪文を開発した本人は目の前にいる。
「思い出せません。何という本―――」
「嘘を吐くな」
「嘘じゃありません―――僕は―――」
「その本を持って我輩の研究室に来い」
「図書館の本、です。僕は―――持っていません」
「貴様が持っているその本は我輩のものであった!」
重い怒鳴り声にハリーの顔が衝撃で固まった。怒鳴られた恐怖で固まっているのではないと分かった。もっと別の、何かに裏切られたような顔だった。
「お前の卑怯な父親が我輩の上級魔法薬の教科書を持ち去った。取り返せる日が来るとは喜ばしい。行け!教科書を持って我輩の部屋へ来るのだ!」
ショックで動けないハリーの手を引っ張って栞ちゃんが歩いて行く。
ハリーは半純血のプリンスを尊敬していた。それが一時期大嫌いだったセブだとは思っていなかったようだった。今のハリーのセブへの態度はリリーの影響もあって軟化しているが心中は複雑だろう。
更に父親が苛めをしていたこともハリーにショックを与えた。
私の方はドラコに気を送り終えたところだった。
『血を流し過ぎたわ』
「魔法薬は全て飲んだのか?」
「えぇ。危ない状態ではない。だけど、ハナハッカエキス入りの魔法薬を飲んでも傷はある程度残るわね。回復まで時間もかかる」
「担架を出す。乗せたまえ」
『ハリーにお手柔らかにとは言えないわ』
「マルフォイ家に手紙を書くのか?」
『そうしないわけにはいかない。それとも寮監のあなたから連絡する?』
「いや、君に任せる」
『私はドラコを私室に運ぶ。後で来て』
私たちは玄関ロビーで二手に分かれた。
ドラコを私室のベッドに寝かせ、文机で手紙を書いてフクロウを飛ばす。
セブが私の部屋に来て暫し後、影分身に迎えに行かせたルシウス先輩とナルシッサ先輩が私の部屋にやってくる。ダンブルドア校長には事情を話し、2人がホグワーツに入る許可は取り付けていた。
ナルシッサ先輩は血の気のない顔で私の部屋に入って来た。
「ドラコは!?」
『隣の部屋です』
「ドラコ!」
悲鳴のような声をあげてナルシッサ先輩はベッドに横たわるドラコの上に覆いかぶさるようにして肩を掴んだ。
「傷だらけだわ!」
『傷口は全て塞いでいます。ですが、血を流し過ぎました』
「命に別状はないわよね?」
『はい。大丈夫です』
「何の呪文?誰がドラコをこんな目に!ユキ!あなたはドラコを守ると誓ったはずよッ。よくも約束を違えてくれたわね!」
「ナルシッサ、落ち着きなさい」
「いいえ、いいえ。私たちを呼ぶほどなのよ。ドラコは気を失うほどに傷つけられた。もう我慢できないわ。ドラコをホグワーツから引き取ります」
「それは出来ないと言ったはずだ。ドラコは今、闇の帝王より任務を仰せつかっている」
「息子の命と任務、どちらが大切なの?ルシウス、私は息子の命よりも大切なものはありません」
「勿論、私もそう思っている。だからこそドラコはホグワーツに残り任務を続けなければならないのだ」
ナルシッサ先輩は涙の溜まった目でルシウス先輩を睨みつけた後に私に視線を移した。
『……ドラコが起きてしまいます。リビングへ移動しましょう』
全員でリビングへ行き、扉を閉めるとクルリと振り返ったナルシッサ先輩と視線が合う。
「ユキ、あなたを信じることは出来ないわ。あなたはドラコを守れなかった」
『申し訳ございませんでした。もう同じ過ちは繰り返しません』
「っ信用できない。所詮、あなたはダンブルドア側の人間……」
肩で息をしていたナルシッサ先輩の顔がゆるりと動き、彼女の視線は私の肩越しに注がれた。ハッとしてナルシッサ先輩の視界のど真ん中に入る。そうさせるわけにはいかない。セブに類が及ぶようなことになってはならない。
『誓います。ドラコを命をかけて守ると誓います』
「口だけなら何とでも言えるわ」
怒りを含んだその目はまるで私がドラコを傷つける外敵であるように見ていた。何としてでも信用を取り戻さなくてはならない。
ナルシッサ先輩がセブにドラコの身の保証を頼めば、セブの立ち位置がより複雑で苦しいものになってしまう。闇の陣営、不死鳥の騎士団での二重スパイでも大変なのに更に表面上は忠誠を誓っているもののヴォルデモートを裏切っているマルフォイ家に関わらせたくない。これ以上セブの負担を増やせない。
私は呼吸を整え、口を開く。
『破れぬ誓いを立てます』
「「「っ!」」」
張り詰めていた空気が更にピンと糸を張ったような空気へと変わった。
誓いを破れば死ぬことになる破れぬ誓い。絶対に守られる約束などあるのだろうか?だから、この契約を魔法界の中で結ぶものは数少ない。だが、私には覚悟がある。
「破れぬ誓いを……結ぶの?本気ね、ユキ」
『はい』
「やめろ」
大股で歩いてきたセブが私の腕を掴んで自分の方に振り向かせた。切羽詰まった顔は顔色が悪く、恐れの色が滲んでいた。
セブのことを考えての申し出だが、別の想いもある。
『弟子を守るのが師匠よ』
「破れぬ誓いを結ぶことを軽く考えている」
『命をかけてドラコを守るわ』
「ダメだ。ナルシッサ先輩、残念ですが、こればかりは―――ユキは破れぬ誓いを理解していないようです」
「セブルス、もうユキはあなたの後をついて歩く雛のような存在じゃないのよ。彼女は」
ナルシッサ先輩が私の手を取った。
「1人の大人でドラコの師。恋人だろうと、ユキの覚悟を曲げることは出来ないわ」
『セブ、“結び手”になってちょうだい。それとも、ルシウス先輩に―――』
「考え直すべきだ。今でなくともいいだろう。せめて一度時間をおき、冷静になった頭で考えるべきだ」
『いいえ、今よ』
ナルシッサ先輩が気持ちを変えないうちに。
私がドラコを守るのに相応しいと思う気持ちを変えないうちに。闇の陣営に身を置いているセブの方がドラコを守るのに都合の良い存在だと、それに気づかれてはならない。
『これは契約に含みませんが、私からは“私以外の者にドラコを守るよう頼まない”と誓って頂きます。前にも言いましたが、いざの時に誰かとかち合っては話がややこしいですから』
「わかりました。私の方からはドラコが死ぬ時はユキが死ぬ時だと誓ってちょうだい」
「ナルシッサ、ドラコが平和な世の中になった後、病気になって死んでしまう可能性もあるのだよ。期限と制約を設けなさい」
「そうね。では、闇の帝王が死ぬまでを期限とし、ドラコが他者に殺されることになった場合のみ有効としましょう」
『分かりました。セブ、結び手の役を』
「断る。これがどれだけ危険なことか」
『分かっているわ。ドラコは守る。あなたが結び手をやってくれないならばルシウス先輩に頼むけど?』
セブはサッと杖を抜いて私に向けた。
「誓いを結ばせるわけにはいかない」
『ここで止めても場所を移すだけよ』
「何故だ」
震えた小さな声が部屋に響く。
「何故こうまでする。我輩の心が分からないわけではないであろう?」
『ごめんなさい。でも、師匠として弟子を守るのは当然なの』
私はセブに背を向け、ナルシッサ先輩と向かい合って跪くようにして座り、右手を握り合った。握手していた手を目線まで掲げた。セブが動かないのを見てルシウス先輩が私たちの横へとやってくる。
ルシウス先輩は私たちの頭上に立ち、結ばれた両手の上に杖の先を置いた。
「ユキ、あなたはどのような脅威からも私の息子、ドラコを護ってくれますか?」
『そうします』
眩しい炎が、細い舌のように杖から飛び出し、灼熱の赤い紐のように2人の手の周りに巻き付いた。
「ドラコが死ぬ時はユキ・雪野が死ぬ時、そう誓えますか?」
「誓います」
「この誓いは闇の帝王……ヴォルデモートが死ぬまで続く。他殺の場合にのみ適応される。そう理解していいですね?」
『はい。私は―――命を懸けてドラコ・マルフォイを守ります』
3つ目の細い炎の閃光でナルシッサ先輩の目が赤く照り輝いた。舌のような炎が杖から飛び出し、他の炎と絡み合い、握り合わされた私たちの手にがっしりと巻き付いた。
それはまるで熱く熱せられた鎖のように――――
カサリ
破れぬ誓いが交わされた静かな部屋の中に衣擦れの音は大きく聞こえた。目線を向ければドラコが衝撃の表情を張り付けてこちらを見つめていた。灰色の瞳は一点、私とナルシッサ先輩の握り合わされた右手にある。
「師匠」
『見ていたのね?』
「分かっているんですか?」
『今回の事、悪かったわ。次は防ぐ。ところで、私が渡していた守りの護符はどうしたわけ?あれがあったならセクタムセンプラを弾き飛ばせたはずよ』
「使い……切りました……」
『はあ!?』
「っドラコ!今回以外にも危険な目に遭っていたということなの?」
「母上、落ち着いて下さい。僕が―――悪いんです。任務のために……ユキ先生の監視の目を潜り抜けたんです」
『どうやって?』
「言えません」
『言いなさい。今見ていたでしょう?私はあなたを守ると誓った。目の届かない範囲で危険な目にあったら守ることが出来ない』
「任務なんです。言えません。師匠は……ダンブルドア側の人間です」
「マルフォイ家の味方でもあるのよ」
「母上……すみません」
『ハア』
天井を仰いだ。
ドラコがどうやって私の監視から逃れたのか想像できない。もしやいつぞやのクィリナスのようにアニメーガスになって私の目から逃れたのだろうか?
「ユキはお前が死んだら自分も死ぬと誓ったのだぞ。それでも言えないというのかね?」
『セブ』
私は立ち上がって今にも呪いを放ちそうな静かなる怒りを発しているセブを宥めようと彼の腕に手を置こうとしたのだが、触られたくないと体を逸らされた。
『ドラコは病み上がりよ。その話は別の機会にしましょう。今は体を休めなくては。ドラコ、歩けそうなら医務室か監督生の部屋に送るわ』
「医務室はマダム・ポンフリーに何か聞かれた時に厄介ですから……寮の部屋に戻ります」
「私たちはドラコの部屋に寄ってから帰る。私たちの見送りにユキの影分身を1体つけてくれ。ユキ、君自身は……セブルスと話した方がいい」
「ユキ、本当にありがとう。感謝するわ」
私とホッとした笑顔のナルシッサ先輩はハグをし、影分身と共にドラコたちは私の部屋を出て行った。残された私とセブ。なんと話しかければいいか分からない。セブが同じことをしたらどれだけ胸が痛むか。想像するだけで強い不安に襲われる。
『ごめん』
「何故いつもこうなのか……」
『セブ……あの……』
「何故いつも身を切るようなことばかりするんだ!」
ビリっと体が震えた。大きな声を出されたからではなくて、彼の悲痛さが胸に響いたからだ。瞬間、全身の毛が粟立った。こんなことは予想していなかった。セブの目には恐怖が映ってて、黒い瞳は動揺して揺れている。
『っセブ!ごめんなさい。泣かないで』
セブは涙を零し、大きな両手で顔を覆った。向けられた背中は大きいはずなのに猫背で震えていて小さく見えた。
後ろから抱きつけば、やめろと腕で払いのけられ、それでも抱きつくと、手で押されて離された。心が痛み、私の目からも涙が零れる。
『ごめんっ……』
セブは出て行って、部屋の中は静寂で満たされた。
コツコツコツコツ
ルシウスは館の玄関ホールを横切りながらふと妻の言葉を思い返す。
―――闇の帝王が死ぬまでを期限とし、ドラコが他者に殺されることになった場合のみ有効としましょう
闇の帝王が死ぬまでを期限とし……
隣の妻は自覚しているのだろうか
自分の心を――――――
***
ユキが何故破れぬ誓いなどという命を危険に晒す行為に走ったのか、セブルスは初め理解できなかった。
どうにかして止めたかったが、ユキの意志は固く、自分の言うことなど聞かないと分かり、目の前で破れぬ誓いが結ばれるのを見るしか出来なかった。あそこで止めたとしても後で自分の知らぬうちに結ばれていたであろう。
弟子とはそれほどまでに大事なものなのか。もしかしたら自分たち魔法族とは違う忍特有の師弟間の価値観のようなものがあるかもしれない。確かに、それもあるだろう。だが、セブルスはあの時の事を、ナルシッサの視線を思い出した。
ドラコを守ることに失敗したユキを信じられないと怒っていたナルシッサはユキ越しに自分を見た。一瞬のことだったし、直ぐにユキが喋り始めたのであの時は会話の流れに気を持っていかれて気が付かなかったが、ナルシッサはあの時自分にドラコを護れと言おうとしたのではなかろうか。そしてユキはそれを予想し、動いた。
その考えは胸にすっと落ちていった。
―――私以外の者にドラコを守るよう頼まないと誓って頂きます
ユキ以外と考えるとナルシッサが助けを求めるのは自分しかいない。
―――前にも言いましたが、いざの時に誰かとかち合っては話がややこしいですから
ずっと前からユキに守られてきたというわけか
セブルスはショックから立ち直れないでいた。ユキに何度自分を大切にしろと言っても無駄なのか。どれだけ心配し、苦しんでいると思う?何故分かってくれない?
愛している。
だが、疲れるのだ。
自ら身を痛めつけ、泥沼へと入って行くユキの身を案じ、救い出そうともがくのは非常に心がすり減る。
口で言っても聞かないユキだったが、自分がヴォルデモートに痛めつけられて瀕死の重傷を負った折り、大切なものが失われようとする苦しみを理解したと思っていた。
今回は多分、自分のためとはいえ、それがどれだけ辛いことか考えてくれたら分かるはずだろうと思う。2人で話し合えば違う結果を導き出せたかもしれないのに何故1人で決断するのか。
まだ薄暗い春の明け方。
セブルスは胸の痛みを晴らそうと外を歩き回っていたのだが、花の香りを含む風を胸に吸い込んでも気は晴れなかった。
セブルスは足を止めた。
ホグワーツのどこもここも、ユキとの思い出でいっぱいだ。
湖でスケートし、ブナの木の下で本を読んだ。森の中を散歩したり、図書館では勉強をした。
学生時代のほぼ全てをユキと一緒に過ごした。家庭の中に居場所がなかったセブルスはホグワーツこそ自分の家のように感じていた。
その家の中にはユキがいて、セブルスとユキはお互いに気を使わない自然体で過ごしている。強い愛情で結ばれた心地の良い関係性。失うことなど考えられない。
―――愛しているわ
あの眼差し、あの声。思い出すだけで幸福感に包まれる。
山の間から昇ってきた太陽は白く、キラキラした光を真っ直ぐに伸ばしてセブルスを照らした。神々しい光は何も解決していないもののセブルスの心に明るい変化をもたらした。
ユキに振り回されて疲れていた心をセブルスは頭を振って追い出した。ユキは昔よりも―――ホグワーツに来た時よりもずっと、感情豊かになり、人を思いやる心を持って人として成長してきている。
疲れる。確かにそう思うが、それが全てではない。ユキが自己犠牲で救おうとするものは彼女が大切にするもの。ユキの愛は自分に大きく向けられている。真っ直ぐな愛はセブルスの心を満たしている。
ユキを愛する心は変わらない。
疲れる。
この問題も、ユキの理解が進むにつれてなくなると信じている。
セブルスの耳は音を拾った。
金属音は遠くから聞こえてきていて、時折激しい地をえぐるような音も聞こえてくる。
丘を上って見えてきたのはユキとシリウスが鍛錬している姿だった。
劣勢なのは見るからにシリウスでセブルスの口の端は知らずと孤を描く。
「見たところ圧勝なようだな」
『セブ!』
ユキはシリウスを地面に倒し、声をかけられてパッと顔を明るくして、そして次の瞬間、泣きそうな顔で微笑んだ。ナルシッサと破れぬ誓いを結んで以来、ユキとセブルスが言葉を交わすのは今が初めてだった。
『おはよう。早いのね』
「終わったのか?」
『次はクィリナスの番よ』
ユキの視線の先には倒れているユキの姿をしたクィリナスがおり、それはビクッと跳ねた。
『情けないわね』
「お前が強すぎるんだ」
シリウスが口の中の血を地面に吐きながら言う。
「1対1では勝てる気がしません」
のっそりと起き上がったクィリナスは暗に1人では手合わせしたくないとシリウスに視線を向ける。
「正直2対1でもキツい」
肩を竦めるシリウスが見たのは意外なことにセブルスだった。学生の頃から憎み合っている自分に向けられた視線にセブルスは眉を寄せる。共闘など冗談ではない。
だが、あのシリウス・ブラックが自分を仲間に引き入れたいほどユキは強いのかと興味が出てくる。
魔法での決闘はいつもセブルスが勝ってきた。しかし、忍術を交えての勝負をしたことはない。いつも魔法でも自分に勝ちたいと言ってきたユキの実力はいかに。
『ふふ。セブさえよければ3対1でやらない?私、今日は絶好調なの』
「……いいだろう」
セブルスのやる気にシリウスとクィリナスが立ちあがった。
2人は思う。これならばユキに勝てるかも―――
「影分身を出すのはなしだ」
「完全獣化と火遁・煉獄の術もなしです」
シリウスとクィリナスがサッと言った。
『いいわ。他にハンディキャップは必要?』
首を振った2人はセブルスのもとへと歩いて行く。
「3人を相手にする者にハンディキャップまで要求するとは情けないとは思わないのかね?」
「言い合っている暇はありません。スネイプ、攻撃は前後左右からだけでなく上からも下からも来ます。注意を払いなさい」
「俺が近距離で攻撃する。クィレル、お前は遠距離でサポートしろ。スネイプは隙をついての攻撃だ」
「ユキは中・遠距離が特に得意です―――
言い争うことなく作戦を話しているシリウスとクィリナスにセブルスは驚いていた。この2人の仲も良くないはずだ。バラバラに動いては倒せないほどユキは強いと2人は判断している。
―――作戦は以上。スネイプ、質問はあるか?」
「……ユキはそれ程までに強いのか?」
「はあ?知らないのか?1度あいつが不調の時に勝ったことがあるが……その時以外はいつもボコボコにされる」
「実力のある人ですが、なにより身の切り方が上手いのですよ。勝つための損傷を恐れない」
「身の切り方……」
『もういーかーーいっ』
ユキが口に手を当てて言い、ニヤニヤした。
「3人いれば何とやらだ。行くぞ、スネイプ」
「何をしているのです?
空中に放り投げられた苦無が地面に落ちるのが試合開始の合図
ドンとした衝撃はセブルスを数メートル先まで吹き飛ばした
勝つための損傷を恐れない
そうやって彼女は戦って、生きてきたのだろう
身の切り方が上手い
それが当たり前だった――――
『セブ、大丈夫?』
ユキはシリウスとクィリナスを放っておいてセブルスの治療に専念していた。
身の切り方が上手いとは本当で、避けるべき攻撃と攻撃を受けてでも勝負を決する瞬間をユキは見逃さなかった。
『血の滴る良い男。ズタボロな様子も素敵よ』
「本当にそう思うかね?」
『え?』
「我輩はかすり傷でも君が傷ついている姿は見たくないが」
ユキはセブルスが破れぬ誓いのことを言っているのだと感じ、俯いた。
『ごめん』
「悔い改める気のない謝罪の言葉はいらん」
朝の鍛錬は解散し、シリウスは今度は栞との鍛錬に走って行き、クィリナスは蓮との待ち合わせ場所に足取り軽く去って行く。
セブルスとユキは丘を下っていた。
ここで月見をしたことがあったとセブルスはふと思い出す。
疲れる。
そんな感情を持つならば手放せばいいのに、そうは出来ない。自分にはユキが必要なのだ。あんなところが好き、こんなところが好き、好きは沢山出てくる。嫌な部分も勿論ある。あれこれとどんなところがどうだと考えればキリがない。
誰かを愛するのに理屈など必要だろうか?
セブルスにとってユキは自分の一部になっていた。
ユキなしに幸福な人生を歩めないだろう。
「ユキ」
『なあに』
嫌われていないだろうか?そんな不安げな瞳を向けるユキの頬にセブルスは節くれだった大きな手を添える。
「絶対に、死んでくれるな」
ユキは微笑む。『勿論だよ』と。
そしてセブルスに嫌われていないことに安堵し、大きな胸の中に飛び込んだのだった。