第7章 果敢な牡鹿と支える牝鹿
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16.ケリドウェン病院 前編
既に日が暮れた中、週1回のドラコとの鍛錬の時間。
ドラコはちゃんと時間通りに来たものの、初めからフラフラの状態で私が出す攻撃、出す攻撃全て当たって地面に叩きつけられていた。それでも何とか立ち上がって続けようとする様子に今の彼の姿が映されているような気がして私は堪らなくなり鍛錬を終わりにする。
私はドラコと共に丘を下って城へと戻って行く。
『寒いわね』
「冬ですから」
『お腹はしまって寝るのよ』
「僕は子供じゃありません。でも、分かりました」
青白いを通り越して唇を紫色にしているドラコは吹きさらしの廊下まで来て頭を下げた。
「稽古をつけて下さりありがとうございます」
『待って』
クルリと背を向けるドラコに声をかけるのだが、私は彼の為に何が出来るのか分かっていなかった。でも、どうにか楽にしてあげたい。
『部屋に……来ない?』
灰色の瞳が大きく見開かれて私を凝視した。
『いや……かな?』
おずおずと言うと、ドラコは不思議なことに可笑しそうに口に笑みを浮かべた。でも、どこか悲しそうでもあり、彼の心の中がハッキリとは分からない。戸惑う私の前でドラコは印を組んだ。
「口寄せの術」
ポンと白煙が上がり、白猫のスカイが現れた。
ドラコの口寄せ動物はピョンと飛びあがってドラコの腕の中に抱かれる。
<ドラコかおおおおお悪いいいいい>
「顔“色が”悪いだよ、スカイ」
優しく訂正してスカイを撫でるドラコは空色の瞳に微笑んでふわふわの頭に頬擦りをした。
「ユキ先生が猫缶をくれるそうだよ。ありますよね、師匠」
『勿論。いつ来てもいいように常備しているの。もちろんドラコのお菓子も用意している。いらっしゃい』
雪の降りそうなキンと冷えた外から部屋に入ると幾分体が楽になる。
暖炉に火を放り込んで、暖炉前のソファーの席をドラコに勧め、まずは温かい紅茶を出した。紫色だった唇が薄桃色に色づいて私はホッとする。スカイには猫缶、私たちはティラミス。
ドラコは今年度に入ってから今までにもこうして私の部屋を訪れていた。必要の部屋で何をやっているかは頑なに話してくれない。私は言いたくないことを執拗に聞き出すことを止めた。私がドラコの為に出来ることはただ寄り添う事。いまいちな味のお茶と美味しいお菓子で迎えて2人で穏やかな時間を過ごすことだ。
『安らぎの水薬の減りはどう?』
「半分残っています」
『馬鹿はしないと知っているけれど、絶対に用量以上飲んではいけないからね』
「家族を置いて深過ぎる眠りにつくことは出来ません」
『食欲は?ちゃんと3食食べられているの?』
「周りのお節介な奴らに無理矢理食べさせられているので大丈夫です」
『食べたいものがあるなら作るから言って頂戴。育ち盛りだもの、いくら食べてもいいと思うわ。それにしても……大きくなったわよね。入学した頃は私より小さかったのに』
「まるで親戚のおばさんですね」
『ナルシッサ先輩の息子だもの、親戚の子供のようなものだわ。親戚いたことないけど……きっとそんな感じでしょう』
私の視線を恥ずかしそうに受け止めて、ドラコはティラミスに口をつける。紅茶に向かって「渋っ」と呟いているドラコの膝にはスカイが乗っていて、撫でて欲しそうに膝の上でお腹を出して体をくねらせている。
視界の端に白いものが映ったと思って横を向けば窓の外では雪が降り始めていた。暗闇の中に降る雪は清らかな美しさがある。
「知っていました」
窓からドラコに視線を戻すと、彼はスカイに目を落として撫でていた。
「きっとユキ先生なら僕のすることを阻止するだろうと思っていました」
『ネックレスのこと?』
「はい」
『あれを止められたのは幸運だったわ。あなたの作戦はターゲットである誰かのもとへ届かなくとも誰かを傷つけることは成功していたかもしれない』
「成功……」
『ケイティ・ベルは死んでいたかもしれなかった』
そう言うとドラコは辛そうに瞳を閉じた。
「任務の前に余計な感情を持ち込んではいけない。成功を目指して粛々と任務を遂行すること。ユキ先生はそう僕に言いました」
『そうよ。だから、そんな顔をする必要はない。それに前にも言った通り、あなたのやったことは全て私がやった事なの。悩む必要はない』
「人殺しさえもですか?」
『あなたに人殺しをさせたくない。魂が分裂する行為よ。でも、万が一そうしたら、私が責任を負います』
「どうやって?」
『1番いいのは今回のように阻止することね。もし事が起きてしまったら私がした事にする。もしくは他人に
「他人に……擦りっ、ぐす、付けるって……はは……相変わらず過激……」
ドラコはハラハラと泣きながら顔を両手で覆った。私はドラコの横に行き、立膝をついてゆっくりとしたテンポで背中を撫でている。心配そうに主人を見上げる白猫は小さい声でミャアと鳴く。
「ユキ先生」
緊張した声。
『なあに?』
ゴクリと唾を飲み込んだ音が聞こえ、隆起した喉仏が上下する。
「師匠が……ユキ先生が……1番見られたくない記憶は何ですか?」
私はフッと笑ってしまいながらドラコに抱きついた。
心の中が透けて見え過ぎだ。ダメな弟子。
『馬鹿ね』
「っ!」
『鍛錬なさい』
ドラコの頬に手を添えると、表情が崩れていった。
「うああああっ」
大きな叫び声と共に今度は号泣が始まる。
心の痛みを外に出すように大粒の涙が零れていく。
「ユキぜんぜいっ、ししょうっ、ごめんなさいっ」
『いいのよ』
ドラコは私に抱きつき、肩に顔を埋めてエグエグと鳴き声を上げている。そんな彼の背中を心を落ち着けるように撫でているとスカイは自分を忘れるなと私たちの間に体を割り込ませてきた。
「こう伝えて頂戴」
感情のないあの日々
実は危ういバランスで保たれていた心
ホグワーツで幸せを得たことで感じ出した過去への後悔
『暗部の時の記憶は全て見られたくない。特に、担任殺しは疲れたわ』
「分かり……ました……」
『今度からは探りを入れずに直接言われた言葉を伝えてくれていい。差し出せるものを差し出すわ』
「ヒクっ、ごめんなさい……」
『いいのよ。私が闇の陣営に囚われることはないわ。もし囚われたとしても、閉心術には長けているし、対策もしている。問題なしよ』
まだ年若い子にどれだけ負担を掛けたら気が済むのだろう。
落ち着いたドラコと一緒に城を歩く。
地下へと続く階段から昇ってくる空気は冷たく、階段を1段1段下りるにつれて体が足から冷えていくのを感じた。
『おやすみなさい。直ぐに寝るのよ』
「はい。おやすみなさい」
よく眠れますようにと願いをかけて歩き出すと、魔法薬学教室の扉が開いた。出てきたのは教室の主、スラグホーン教授。
「おや、ユキ」
『こんばんは』
「ちょうどいいところに来た。今、時間は?」
『あります』
「では、この前頼まれていた研究記録について話そう。
『勿論です。宜しくお願い致します』
セブと研究しているナギニの毒に有効な解毒薬についてスラグホーン教授の意見を聞きたくて研究記録をお渡ししていたのだ。
スラグホーン教授はとても優秀な魔法薬学の研究者。ホグワーツに再就職するまではホラス・E・F・スラグホーンの薬屋という店の主人で、販売する薬を作る傍ら新薬の開発にも勤しんでいたらしい。
私室に招かれた私は出されたパイナップルの砂糖漬けに手をつけることなく、恩師のアドバイスに傾聴していたのだが――――
あぁ、気が遠くなっていく。なんて高度な話。
どうにかついていかなければ。
「2人とも頑張っているよ」
『私は言われたことの手伝いしか出来ていません』
「それでもスネイプ君にとって君の存在は大きいはずだ」
難しい話を聞いて頭がパンクしかけていた私は丁寧に挨拶をしてフラフラとスラグホーン教授の部屋から出て行く。
寒さが身に染みると思いながら自室へ続く吹きさらしの階段を上って部屋に入るとリビングルームに置いてあった食べっぱなしのティラミスが片付いていた。実験室を覗けばセブがいる。
『いらっしゃい。食器を片付けてくれてありがとう』
「ドラコか?」
『えぇ』
部屋に入るとセブは椅子に座って資料読んでいるところだった。
「ドラコは今晩の食事の席にいなかったな」
『今やっている任務に追加して、私の過去を聞き出す任務を与えられて気持ちが追い詰められていたのよ』
「そのような任務は我輩にくるはずだが」
セブは小さく眉間に皺を寄せた。
『私がドラコを可愛がっていることはルシウス先輩からヴォルデモートに伝わっているからでしょう。ドラコがいつまでもグズグズ任務を遂行できなかったら直ぐにセブに話がいっていたと思うわ』
「それで、何と質問され、何と答えたのかね?」
『一番見られたくない記憶を聞かれ、担任殺しだと答えたわ』
「担任殺し……話を聞いてもいいか?」
『嫌よ』
「ユキ」
『無理矢理聞き出そうとするなら疑問形ではなく命令すべきだったんじゃない?』
フンと鼻を鳴らして私はスラグホーン教授から返ってきた手元の実験記録に視線を落とした。全く内容が入ってこないと思っているとセブが椅子から立ち上がって私の手から羊皮紙の束を奪い取った。
「座れ」
『座らないわ』
「状況が状況だ。我輩は君の過去を知っておくべきだと思っている」
『知る必要なんてないわ。絶対に教えない』
残酷な過去の行いを人に、特に愛する人には知られたくなかった。
『心配してくれるのは嬉しいわ。でも、ヤマブキが冥界でかけてくれた言葉がある。それで私は自分を保っていられる。捕まったとしても閉心術は得意だしね』
「君は何も分かっていない」
強い感情のこもった声を前に私はたじろいだ。何か、何か―――私は間違っている?急に足元が危ういような感覚に陥って体から一瞬でブワッと汗が噴き出す。強い動悸に私は手を胸に持っていった。
「すまない。追い詰め過ぎた」
落ち着いた声で言ったセブは私から奪った羊皮紙の束を机の上に置き、私に手を差し出した。取ろうとした手は思いがけず震えていて、自分の感情が分からずに眉を顰める。導かれて椅子に座らせられる。
「ユキ、我輩はもちろん君を信じている」
セブが親指の腹で私の頬をなぞった。
「ただ、とても心配なのだ。君の危うい面を知っている。闇の帝王に付け込まれはしないか不安でならない」
『ありがとう……セブ』
私はそれしか言えず、言葉がない代わりにセブの首に腕を回した。
『愛してるわ。ありがとう』
私はこの話を終わりにした。
心が落ち着いてきたのでセブの首筋にキスを落として顔を上げる。気づかわし気な瞳に微笑んで立ち上がって机に向かい、羊皮紙の束を手に取った。
『これを読み始めましょう。そろそろ始めないと夜が明ける前に終わらないわ』
強制的に話題を変えてセブに羊皮紙の束を手渡す。実験記録に目を落として読んでいくセブの顔がどんどんと引き攣っていった。
「スラグホーン教授に話を聞くのは明明後日だと聞いていたが」
『ドラコを寮へ送った帰りにばったり会って、お話を聞いたの』
実験記録の余白には細かい文字でびっしりと注意書きやアドバイスがされていた。さすが我らの先生。2人の頭で及ばなかった点を指摘して下さっている。
「ハア」
セブは落ち込んだのか頭を落として溜息をついた。
『流石はスネイプ君、よくここまで辿り着いたと褒めて下さっていたわよ?難しい研究をよく進めているって』
「……甘かった」
小さい声で呟かれた言葉が拾えずに聞き返す。
『セブ?』
「出て行ってくれ」
『私ももう一度スラグホーン教授から返された実験記録を見たい』
セブが杖を出してパッと振ると寝室へと続く扉が開く。
そうですか、そうですか、そうですか、分かりましたよ!!
部屋を出ると私が閉める前にパッと扉は閉まる。閉まって行く扉から見えたセブは羊皮紙に目を向けていて、既に私の事など眼中になかったのだった。
こっちはこっちでやる事があるからいいですよおおおお!
守りの護符を作り、もしかしたら食べるかもとセブの夜食を作っておいた。セブには申し訳ないが追い出されては手伝えないとベッドの中で気持ちよく寝ていたら実験室の扉が開いて敏感な私は目を覚ます。
『終わった?』
外はまだ暗い。
『寝るでしょう?今何時?』
「4時だ。今から始める」
『はあ?』
目を閉じながら頭を横に倒す。
『もう朝よ?』
「今日は土曜日だ。一日付き合ってくれ。手伝いが欲しい」
『今日は無理よ』
「予定が?」
『ブルガリアへ行く』
「はあ?」
あと2時間寝よう。今朝のシリウスとの鍛錬はキャンセルしてもらっている。
横になって布団をかぶるとベッドがギシギシ軋む音がして隣に人の気配がやってきた。
『寝る気になった?』
「ブルガリアに行くと聞いていない」
『言わなかったっけ?1泊で検査しに行くのよ』
ピリッとした気配にハッとして目を開けると実験室から漏れる薄い灯りで顔半分を照らされ、もう半分は影が差して真っ暗な顔のセブが「貴様!!」と言いそうな怒りの形相で私を見下ろし睨んでいた。
しまった……言ったものだと思っていたら言っていなかったみたい……。
「どういうことか説明しろ」
私は慌てて起き上がって体の前で手を振る。
『言っても言わなくてもいいかなと思ったから言わなかっただけ。ほら、あなたも知っている、私の体の中に毒がある問題。ケリドウェン魔法疾患傷害病院は毒に強いからそこで検査してもらおうと思って』
「言っても言わなくてもいいだと?」
セブは目を吊り上げた。
「これだけ心配している者を目の前によく言えたものですな」
『ひっ。検査結果は伝える気でいたわよ。でも、検査自体は1人で行こうが何しようが変わらないでしょう?私なんで怒られているの?』
セブは気が遠くなるように目を閉じて頭をクラリと後ろに倒した。
「君が我輩の心をあと千分の一でも理解してくれれば有難いのだがな」
『読心の技術を磨きます』
「そうしてくれ。それから、ブルガリアへは我輩も共に行く」
『素敵!』
気の重い検査の旅が恋人と思い出の地を訪れる楽しい旅になりそうだ。それに会わせたい人もいる。
『それじゃあMs.ハッフルパフにセブも一緒に行くことになったと向こうについたらフクロウを送るわ』
ポカっと口を半開きにしたセブ。
「ハッフルパフだと?」
『えぇ』
「その方は……あのキルケー魔法薬学賞を3度受賞し、欧州魔法薬学名誉理事を務め、ケリドウェン魔法疾患傷害病院の病院長をしながら現在も現役の癒者として、研究者として第一線で活躍されているヘルガ・ハフッルパフの子孫であるヴェロニカ・ハッフルパフで間違いないな?」
『一息で頑張ったわね。うん。間違いないわ。私が学生の時からヴェロニカのお世話になっているのは知っているでしょう?』
今更何を驚いているのだろうと目を瞬く私の前でセブはソワソワした様子だ。
「会うのは何時だ?いや、本当に我輩が邪魔をして良いのか?」
『日曜日の昼にヴェロニカの家に行くわ。私も自慢の恋人を紹介できるのは嬉しい。ヴェロニカも喜んで迎えてくれるはず。あなたの論文を手紙で褒めていたし』
サッとセブの顔に赤みが差した。
「もしお会いできるならば光栄だ」
『ヴェロニカに会いたかったなら言ってくれたら引き合わせたのに』
「今日の出発は何時だ?」
『11時に漏れ鍋』
「少し寝よう」
『着替えなさい』
セブは掛布団を引っ張って肩までかけ、私の腰に手を回した。仕方ないダーリンね。少し脂っぽい髪に指を入れて揉み揉みしながら夢の中に入って行く。
『ヴェロニカもスラグホーン教授同様、優しいけど厳しい人だから覚悟しておいてね』
そう言うとガサリと急にセブが起き上がったので目を開く。私は寝ぼけまなこでセブを見上げる。
「覚悟?」
強ばった声。
『ヴェロニカにも私たちの研究記録送ったって言わなかったっけ?』
「聞いてないぞ!」
セブは音を立てて靴を履き、実験室へと駆けこんで行った。
あれ。言わなかったっけ?
11時。私とセブはダイアゴン横丁にある漏れ鍋に来ていた。セブはギリギリまで実験室にこもっていて私は旅行の準備をセブの屋敷しもべ妖精であるトリッキーに頼みに行き、魔女の服を着てセブと移動した。
「ユキちゃん、気を付けて行ってくるんだよ」
漏れ鍋の店主トムおじさんが魔法省に手配してくれていたポートキーに乗ってブルガリアへと移動する。こちらへ来て2年目にセブとクィディッチ・ヨーロッパカップを観戦に来たブルガリアは思い出の地。こうして付き合って再び来ることが出来たのは嬉しい。
到着したのは魔法使いの町の中にあるパブで今日の宿泊先でもある。生憎部屋は埋まっていて2人部屋に変更出来ず、今日は狭い1人用ベッドに2人で寝ることになりそうだ。
セブは部屋に入って直ぐに持ってきていた黒い鞄から羊皮紙の束を出して文机に置き、座った。
インク壺に羽ペンを浸して羊皮紙に書き込みをしているセブの眼中に私はいない。
『え?町をぶらついたりしないの?』
「明日はハッフルパフ女史に会うのだぞ。遊んでいる暇などない。今日は検査で結果は明日だな?ならば我輩はここに残る」
『せっかくのブルガリアよ!?』
「せっかくハッフルパフ女史に会える機会だぞ。本当はスラグホーン教授の意見を元に研究を纏め直してお会いしたかったのだ。一刻一秒でも惜しい。遊びたいなら1人で行け」
『そう……よね。じゃあ、手伝うわ』
「結構」
『私は邪魔ってこと?』
セブは私を無視して何も言わずに羊皮紙を捲った。キイイィィ!
『町をぶらついて病院に行きます!では!』
腹を立てながら部屋から出て階段を下って行く。
寒空にある太陽の熱は微弱で体を凍り付かせるが、ブルガリアはヴォルデモートの影響もなく、この町も活気に満ち溢れている。
赤い屋根の建物はヘンテコで、尖がった屋根は右へ左へ傾いている。体をくねらせて笑っているような建物を見ているうちに先ほどの怒りも忘れてご機嫌に異国の散歩を楽しむ。
ヴェロニカにフクロウを送った私は店を覗くことに。
ブルガリアは薔薇が名産なようで薔薇のコスメ専門店を店の外から眺めた。私は出来るだけ体に匂いがつかないようにしている。なので、化粧品をお土産にするのは諦めて食料品店に入ってローズウォーターを購入。宿に戻ったらセブにも渡そう。
料理店の奥で何かの丸焼きが焼かれているのを見て足を止める。美味しそうだと思わず店の外から見つめてしまっているとふいと隣に人が並んだ。
「美味しそうですよね」
『何の丸焼きなんでしょう?』
爽やかな雰囲気のダークブロンドの男性は名物のヤギの丸焼きだと教えてくれた。
「一緒に中に入りませんか?ご馳走させて下さい。宜しければその後に観光案内でも……旅行に来られたのでしょう?」
『実は病院に検査に来たんです。だから今から行かなくてはいけなくて』
「それは残念だ」
男性はケリドウェン魔法疾患傷害病院まで親切に送ってくれた。イギリス人もそうだが欧州の人は木ノ葉の人間と比べてフレンドリーに話しかけてくる人が多いと思う(木ノ葉でよそ者が話しかけられている時は警戒されている時だ)。時にフレンドリー過ぎる人もいて困るが、知らない人とのふとした会話や旅先での出会いは楽しい。
ケリドウェン魔法疾患傷害病院は賑わっていた。
『検査をお願いしているユキ・雪野です』
血圧を測られながら気が付く。
セブったらいってらっしゃいの挨拶もなかったわ!
「血圧高いですね」
『もう1回測ってください。下げます』
「?」
各種検査が終わった私は学生の時にケリドウェン魔法疾患傷害病院に手伝いでお世話になっていた時の友人と待ち合わせをしていた。友人2人はケリドウェン病院で癒者として働いている。
「まさかユキが学校の先生になったなんて意外よね」
「今からでも癒者を目指さないか?ケリドウェンに来いよ」
『私は愛しの恋人と1秒でも長く1センチでも近い場所にいたいのよ』
私の頭に一瞬だけ憧れだった癒者になる自分の姿が浮かんだ。
「そうだ。頼まれていたライカンスローピー遺伝のデータを纏めた資料を渡すよ」
『ありがとう』
リーマスが子供への遺伝を気にしている感染症のライカンスローピー。データを見れば遺伝率は4割だった。
『4割か……』
「ただ、妊娠中の母親がハナハッカエキスが含まれる魔法薬を服用することで遺伝率を抑えることが出来ると最新の研究で分かった。3か月前の学術誌に乗っていたほやほや情報だ」
『その話詳しく聞きたい』
「それなら聖マンゴで詳しい癒者を紹介するよ。近い方が話を聞きやすいだろ?」
『ありがとう!』
冬の陽はあっという間に水平線場へと消える。
「元気で!」
「今度イギリスへ遊びに行くわ」
『2人とも元気でね!』
友人と別れ、夜食になりそうな贅沢なローストビーフサンドとリンゴを買って宿へと歩いていると後ろから人の気配がついてくる。剣呑なものではないのだが気になって振り向くと、隠れようともせずついて来ていたのは昼に出会ったダークブロンドの男性だった。
『あら』
「偶然通りがかったのが見えて」
男性は居心地悪そうに笑った。
「夜道に1人、異国の町を歩くのは大丈夫かと心配になったんです」
『ご親切にありがとうございます』
「宿まで送りますよ」
『私、とっても強いんですよ。暴漢程度なら杖一振りで撃退できます。それに』
「宿の名前は?」
サッと言葉が割り込んでくる。私は肩を竦めた。
『ドラゴンのおひげです』
「こっちです」
悪い人ではなさそうだ。パブについたら1杯ご馳走してお礼をしよう。
賑わっている店に入るとちょうど階段からセブが下りてくるところだった。外出用マントを着ているセブは堂々とした様で遠目からでも男の色気を放っていてカッコいい。こちらに気づくようにブンブンと手を振ると私に気が付いたセブが近づいてくる。
「あの方は……」
『恋人です』
「別れる予定は?」
『はい?』
失礼な質問に膨れる私の前にやってきたセブは頬を膨らませている私を珍妙そうに見てから道案内をしてくれた男性に視線を向けた。
「ユキ、この方は?」
『夜道が危ないと送って下さった親切な方なの』
失礼だけどという言葉が頭の中では追加されていた。
「ご親切にありがとうございます。宜しければお礼に1杯如何ですかな?」
「いえ、その」
男性は口元に無理矢理笑みを作った。
「失礼します。御機嫌よう。ええと……あぁ、名前も知らなかった。僕ったら……あぁ、失礼します」
ベルが鳴りながら扉が閉まって私たちは顔を見合わせた。
「あれは何だ?」
『だから親切にここまで送ってくれた人。礼儀正しい好青年。危ない人じゃない』
「それで君は我輩が研究で忙しくしている間にその好青年とやらと何をする気だったのかね?」
『お礼に1杯おごるくらいいいでしょう?』
「下心が無いとでも?」
『無いわ。言い切れる』
「何故言い切れる」
『だって!……こういうのって普通じゃないの?』
セブは呆れたように目を瞑って小さく舌打ちし、腕を組んだ。
「今までもこういうことが?」
『こういうがどういうかは分からないけど、イギリス人は親切で紳士的だわ。道案内してくれたり、荷物を持ってくれたり、話をしている途中にお茶に誘われて……別に断る理由もなかったから……でも、セブと付き合ってからは男性と2人きりになるのは極力避けているけど』
「極力?」
『さっきみたいに親切にしてもらってお礼もしないなんて失礼でしょう?』
「この馬鹿がッ」
唾を吐き出すように言うセブに目が吊り上がる。
『何がよ!ただのお礼じゃない。さっきの人は紳士的で下心があるように思えない。私だって愛しの恋人がいるのに行きずりの恋を楽しもうだなんて思わないし、そもそも一緒に来ているのにそんな気起こすはずがないでしょう!!』
「下心はあるのだ!その下心が付けこむ隙を君は自ら作り出して相手を翻弄している。ユキに全く非がないとは言えませんな」
『何ですって!』
「思い返せば昔から男の気を引くのがお上手だった。1度貞操観念を叩き込んだのにこのざまとは呆れかえる他ない」
余りの物言いにカッと頭に血が昇る。
『私だってあなたの嫉妬深さには呆れ返っているわよ!』
ギロッと睨まれてたじろぐがグッと両手を握りしめてセブを睨みつける。
『束縛しないでちょうだい!』
パッと怒りで頭を沸騰させた顔をしたセブだったが大きく鼻から息を吐き出して気持ちを抑え込んだ様子。
そして私もセブも漸くそこで周りの客がニヤニヤ笑いでこちらに注目していることに気が付いた。
「戻るぞ」
「ねーちゃん一緒に1杯どうだい?」
私は酔った客を一瞥してセブの横を通り過ぎ、宿泊スペースへと続く階段をドシドシと歩いて行って部屋へと入った。
文机の上にはイギリスから持ってきたのであろう本と羊皮紙が散乱していて今の今まで頑張ってきたことが伝わってくる。もしかしたら私の帰りを心配して下りてきてくれたのかもしれないと思うと申し訳なくなった。
「先に寝ていろ」
『何か手伝うわ』
「触るな」
羊皮紙の束に触ろうとした瞬間ピシャリと冷たく言われて体が跳ねた。収まっていた怒りがじわじわと体に広がっていく。
『足手まといってこと?でも私は医術の心得があるし、あなたにはない木ノ葉の知識もある。役に立てるわ』
冷たい物言いをして、しまったという顔をしている目の前のセブを憤然と見上げる。
「今は手伝いの要らない段階というだけだ……普段は」
『普段だって実験室から私を追い出すくせに!』
「集中したい時は1人になりたいんだ。他人がいると目が気になる」
『他人?』
「自分以外の人間という意味だ。揚げ足を取るな!」
『いいえ。セブの気持ちはよく分かったわ。私は今後サポート役に徹させて頂く。あなたの邪魔にならないように言いつけられた雑用をする。邪魔がない方が完成に早く辿り着けるでしょう』
「そうか。では今夜は静かに寝ていてくれ」
セブは突き放すようにそう言って文机へと向かい、椅子に座って私に背を向けた。
『明日の病院への付き添いは結構よ。12時にケリドウェン魔法疾患傷害病院の玄関ロビーに来て頂戴。そこで待ち合わせしてヴェロニカの家に向かいましょう』
私は古いバスルームでシャワーを浴び、1つしかないベッドの真ん中で寝たのだった。