汚い
「さあ、着いたわよ」
塔子さんと話しながら歩いて、足を止めたのはお昼頃だった。一つの一軒家の前で、塔子さんが家の鍵を取り出す。今までこんなことなかったのに、心臓が煩い。
柄にもなく緊張していると、塔子さんが玄関先で階段に向かって、貴志君と名を呼ぶ。
「はーい!」
どこか慌てたような声で返事が帰って来る。数秒もしない間に、ドタバタと音を立てて階段を降りる音がした。何をそんなに慌てているのかと、降りて来た男から目を逸らす。
「塔子さん、この子が―――」
男は何かを言い掛けて、口を閉じる。
妙な感覚だった。物珍しさでもないし、険悪な空気も感じ取れない。感じたことのない感情が不思議でしかたがなく、警戒心を抱く。
それが何なのかはわからない。けど、いいものではないだろう。
「俺は、貴志。夏目 貴志だ。君は?」
何を思ったのか、名乗り出した男。男に視線を向けると、男も僕を見ていたのか目と目が重なり合う。すぐに僕は視線を逸らして下を向く。
悪い感じはしない。でも、それでもわからないのが怖いんだ。
でも、名乗らないのは失礼だと思って小さく呟く。
「ほたる」
ふと、雨の匂いがした。
上を向くと空は黒い雲に覆われ、どこまでも灰色だった。
何色にも変われない。まるで僕のようだ。