汚い
「あ、三浦さん!藤原です。こんにちは」
「おお、藤原さん」
どうやら、引き取り先の人が来たらしい。声を掛けられたおじさんの声が、うれしいのか少し上擦っている。もう、どうでもよかった。そればかりか、引き取りに来た人に感謝したいぐらいだ。
「その子が蛍君かしら」
「ええ。蛍は空想するのが大好きでして、時折、不思議な表現をする想像力豊かな子です」
世間体の良い言葉を並べるおじさんとの会話を、まるで他人事のように聞き流し、水の入ったグラスを眺める。グラスの中に漂う氷。溶けて小さくなった氷は、水の中で溺れている。
水滴がぱたりと落ち、じわじわとテーブルに広がっていった。
「蛍」
おじさんに挨拶するように促されて、食べかけの冷めたオムライスの皿を隅に追いやる。そして、どんなもの好きな人が来たのか、と顔を上げる。
「初めまして、蛍君。藤原塔子です」
それは、柔らかくて、酷く温かい声だった。優し気な笑みに一瞬で心を奪われる。もしかしたら、この人は他の大人の人達とは違うのではないか。
そこで、自分が淡い期待を抱いていることに気付いて、膝の上で拳を握りしめた。
「蛍、です」
どうせこの人も同じ。
信じるだけ、裏切られる。そんな思いをするのは、もうごめんだ。
「どうです、藤原さん。御礼と言っては何ですが、お金を出しますので何か頼まれては?」
「……いいえ。結構です」
おじさんがお礼に、藤原さんへ奢るから何か頼まないかといった。厄介者の僕を、わざわざ引き取ることに対してだろうなのに、藤原さんは断る。
どうして、と聞く前に手の平に温もりを感じた。
「行きましょう、蛍君」
おっとりとした雰囲気が消え、怒気を帯びた声に瞳が揺れる。おとなしそうな藤原さんは、威圧感とは無縁な人だと思っていた。手を引かれながら、少しだけ口角が上がるのが自分でも分かった。
勘違いでもいい。
その怒りが、僕のためであるものなら嬉しかった。
「ごめんなさいね。早く蛍君を二人に紹介したくって、お店を飛び出しちゃった」
それを聞いて、藤原さんは嘘を吐くのが下手くそだと思った。それが分かるからこそ、耳が熱くなって顔を背ける。急に顔を背けた僕に藤原さんは驚いていたが、僕が照れているのに気付くと微笑んだ。
「あの、藤原さん。からかわないでください」
「だって、蛍君ったらかわいくて。それと、私のことは是非、塔子って呼んでちょうだい」
最初はぎこちなかったけど、会話の中で塔子さんを名前で呼ぶ。どうやら塔子さんの家は、旦那さんと貴志という人と三人で暮らして居るらしい。貴志は高校生で、僕と同じく塔子さん達に引き取られた。
なんだか、モヤモヤした気分だ。
羨ましい、なんて思ってしまった。