ナイトメア



太宰side



「ふ、あはは!末恐ろしい子だ。私が求めていたのはそうじゃないよ。でも、ありがとう、と云っておくよ」
「君は、本当に退屈させない。太宰君は君にヤキモチなんて妬いてない。私に、だから。くくッ」

 そう、私が嫉妬したのは首領に向けてだ。

 その天然な処も、毛先が跳ねたその髪も、伏せ目がちな瞳も、全部全部愛おしい。




 愛おしさが胸許を突き上げ、雲雀君を渇望しようとせんばかりに溢れ出る恋情を抱いたのは、芥川君達をポートマフィアに勧誘して間もない頃だった。首領に与えられた任務は、裏切り者の後始末。
 それは私にとっては至極当たり前のことで、妙な余裕が生まれていた。

 だから、だろうか。
 拘束も碌にせずに拷問中の裏切り者と呑気に喋っていると、口の端から鋭い痛みが伝わった。


「……?」

 熱を持った頬。数回瞬きをして、頬に触れると少し腫れていた。
 ああ、私は今、殴られたのか。


「ひィッ!ゆ、許してくれ!」

 懐から出した拳銃に男は目を見開いて驚き、蒼褪める。私は痛む頬を気にせずに口角を上げて笑みを浮かべた。もう既に有益な情報は引き出した。此れ以上、この男が存在する理由なんて無い。

「許すも何も、初めから許すことなど何もないのだから」

 銃声が闇の中で鳴り響いた。
 ああ汚い。脳天を貫通した銃弾のせいで、色々なものが男から溢れた。脳漿に血液。最悪なことに、撒き散らばる汚物で靴を汚してしまった。



「うえぇぇ……」

 汚らわしいモノが付着した靴を払い除け、口の中に溜まった血が不快で死体に吐きつける。汚いなぁ。頭じゃなくて心臓にしておけば良かった。
 
 後悔しても、もう遅い。
 死体の後始末は部下に任せることにして、私は或る場所へ向かった。



 ポートマフィア本部の上層階。最も、首領の私室から近い一室と言っても過言ではない。
 故に警備も万全。五大幹部と言う絶対的な後ろ盾もある。私は、その部屋の扉をそっと開け、にっこりと笑いかける。


「やあ、雲雀君」

 部屋の主は目を見開いて驚いた後、不貞腐れた表情を浮かべた。

「……にいさんかと思ったのに」
「残念だったね。私で」

 私がそう言うと、この子は更に不貞腐れる。それが堪らなく面白い。我ながら子供染みた行為だとは分かっている。でも止められない。
 私が拾って来たのだから、私がどう扱おうが自由だ。


「それがしは今、忙しいから何もないならどっかいって」

 如何にも見え透いた嘘だ。部屋に入った時、寝台の上で寝転んでいたくせに。仔犬が威嚇しているようで愛らしいが、一丁前に口だけは達者なことで。

 まあ、ようならある。私は無言で自分の頬を指差した。



「怪我をした。君のその異能で私の怪我を治しておくれ」


「……となりに来て」
「はぁい」

 私が怪我を負っていると知ると、急に萎らしくなる。子供と云うのは不思議だ。後ろ手にコッソリと鍵を掛けると、小さな身体の真横に腰を掛けた。



「―――異能力『邪宗門』」

 淡い光が産まれ、雲雀君が着ている白衣が白獣に変化する。これで判った人はいるだろう。彼の異能力は、希少である治癒能力。彼の兄である芥川君が攻撃系の異能なら、弟の雲雀君は守衛系の異能。何ともまあ、対になっているようで愉快だ。
 何にせよ、私も思ってもみない拾い物をしたものだ。



「あれ、どうして」

 異能が私に触れた途端、無効化され目の前で雲雀君が困惑する。矢張り、治癒系の異能でも私には効かないか。


「簡単なことさ。私の異能は、触れた異能を無効化する」
「……何それ?、ッはなせ!この、」

 小鳥のように、ぴいぴい囀る雲雀君の手首を強く引き、腕の中に閉じ込めたまま倒れる。腕の中で身動ぎ抜け出そうとするが、子供の力なんて高が知れている。暫く暴れ続けた後、観念してピタリと身動きをしなくなった雲雀君。
 そのまま私の方へ少し振り向いた雲雀君は、これでもかと云うくらい拗ねていた。


「……ききたいことがある」
「んー?何かな。私に応えられることなら幾らでも聞くが」

 可愛らしい小さな口を尖らせる雲雀君の、癖のある髪の毛を指先で梳いてやる。


「どうしていつも傷だらけなの」

 目を瞬かせて、腕の中にいる雲雀君を私は眺めた。
 漆黒の黒髪に、真丸な光り輝く瞳。病的な程に白い肌はとても柔い。この子はまだ慰みも知らない、純粋無垢な子供だ。頭の中で幾通りの言葉を思い浮かべ、分かりやすい言葉を選んでやる。


「趣味さ」
「傷つくことが?」

 僅かに頷いて肯定の意を示す。この世界に生きる意味なんて無い。私がマフィアに入ったのも、何かあると期待したからだ。けれど未だにそれは見つからない。
 そんな時だった。唯一快楽を得られる趣味を見つけれたのは。


「アンタは、へんだ」
「そうかい?」

 確かに、傍から見たら私は異端かもしれない。
 でも出逢ってしまった。あれは偶然だった。偶々、任務の後に足を踏み外して私は川に落ちた。水を吸って重くなる衣服に、酸素を求めようとする度に苦しくなる肺。

 直ぐに地上へ戻ろうとしたさ。
 腕を動かしながら、ふと思う。私は今生きているのだなぁと。


 私にとって、この行為は云わば欲求を満たす為の道楽だ。簡単に言えば只の遊戯。遊び感覚に過ぎない。なのに、目の前の子供は肩を震わせ唇を強く噛んでいる。

 どうしてそんな辛そうな顔をするの。


「アンタが、その……傷だらけだとかなしむ人がいるでしょ」

 そうだろうか。私の手は汚れている。幾人もの人間を殺害し、血を浴び続けた。せいぜい私に対して感情を抱くのならば、憎悪や私怨の感情ばかりだろう。

 恥ずかしい帽子を被っている蛞蝓も、私のことを快く思っていないだろうし。



「……それがし、とか」

 敷布が擦れる音がやけに大きく聞こえた。ここまで純粋な善意を向けられたのは、これで二人目になる。初めはもどかしくて、胸の奥底に蟠りが溜まっていた。
 それが今、こんなにも心地良いと感じるなんて。


「嬉しいなぁ」

 笑みを浮かべながら、指の腹で雲雀君の目の下に薄っすら浮かび上がる隈を一撫でする。肌と肌が触れ合うだけで高揚感に包まれる。

 そうか。そういうことか。
 何故私が必要以上にこの子と触れ合おうとするのか、漸く理解できた。

 私は、この日初めて―――人を愛おしいと思ったんだ。



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