鷲は飛び立ち青き空を舞う



 ノアはしばらくの間、ベッドに転がって部屋の天井をぼんやりと眺めていた。
 まるで絵本から飛び出してきたような御爺さんがいきなり訪ねて来て、君は素晴らしい魔法使いだなんて言って、突然消えた。

 夢かと疑うような出来事が、ついさっきまであった。
 それでも、それでも願うならば現実であってほしいと、ノアは机の上に置いた手紙を掴み、不安を打ち消すかのように胸の前で握り締める。

 うとうと、と全身を包み込むような優しく暖かい感覚に包まれ、次第に瞼が重くなったノアは、いつしか深い眠りに落ちていた――。



「…――」

 頭上で何かを囁く声がする。その低音の声は心地よくノアは布団の中で身をよじる。

「――――!」

 ふと、ノアの頬に誰かの手の平が軽く触れる。思わず、くすぐったくて逃れようとしたが、触れられた手の平の体温が暖かく、引き寄せられるかの様に擦り寄った。驚いたように、ピク、と添えたられた手の平が優しくノアの頬を親指で撫でる。
 院長先生か、とノアは思ったが、院長の手はここまで大きくない。
 ならば、この手の主は誰なんだろうと、ノアはゆっくりと瞼を開く。


 ――そこに居たのは、全身真っ黒な男。



「…だ、誰ですか?」
「先日、校長を名乗る者に向かいを寄こすと言われなかったかな?」


 ノアは思わず飛び起きて、ベットの上で後退る。目の前にいる黒い男は、眉間に皺を寄せると黒く冷たい目でノアを見下しながら言い放った。
 必死に、まだ寝惚けている頭を回転させると、ノアは勢いよくベットから立ち上がる。昨日の出来事が、夢ではなかったという喜びを抱きながら。

「っ、ごめんない!僕のために来てくだっさたのに…」

 ベットから降りて、全身真っ黒な男の前に立つと、自然と見上げる形になる。ノアはこの孤児院にいる子供よりは身長が大きいが、目の前に立っている男はその数倍は大きい。

「…着替えたらどうだ」
「すぐに支度します。ですので、こちらに座っていてください」

 相変わらず、眉間に皺を寄せている真っ黒な男の背を押して、強引に椅子に座らせる。更に皺が増えていた気がするが、ノアは見なかったことにしてクローゼットを開けた。

 そこから誕生日に院長先生からプレゼントしてもらったお気に入りのシャツを着てズボンを履く。最後に、水道から冷水を出して顔を洗えばおしまいだ。

「お待たせしました!さあ、何から買いに行きますか?やっぱり教科書でしょうか?でも動物も見てみたいなぁ…」
「待て」

 興奮気味に拳を握り語り出したノアに待ったを掛け、突如、真っ黒な男は、ノアに棒のようなモノを向けて制止を促す。いきなりの行動に、不思議に思ったノアが首を傾げると、男はそれを軽く一振りした。
 しかし、数秒経っても何も起きず、瞼を数回瞬かせてもう一度ノアは首を傾げてしまう。

「前髪が跳ねていた。そのまま路地になど行けば、めでたく君は衆目を集めていたな」
「ッ…!」

 男が上からノアを見下ろしている中、ノアは拳をぎゅっと握って勢いよく顔を上げる。

「すごい、すごいです!それも魔法ですか!?」
「あ、ああ。さよう」

 スネイプは自分の遠回しに言った嫌味でノアがプルプル震えているのだと思っていれば、頬を林檎みたいに赤く染め、きらきらと目を輝かせながら自分を見るノアに思わず言葉が詰まる。
 気を取り直すためにスネイプはゴホンと咳き込むと、足下にいるノアに自身の手を差し出した。その手をノアは頭にハテナを浮かべながらも小さな手で握りしめる。

「付き添い姿現わしをする」
「え、何ですか?」
「…実際に体験した方が説明するよりも早いだろう」

 更に不思議がるノアにスネイプが「少しでも離れたら、身体がばらける」と揶揄う様に言う。それを聞いたノアは顔を真っ青にして、更にスネイプの手を強く握りしめる。
 
 そして、次の瞬間視界が反転した。

 身体が浮くような浮遊感。その感覚から解放された後、予想もしていなかった強い目眩に耐えきれず、ノアは思わずスネイプの胸の中に倒れ込んでしまう。一瞬にして、迷惑を掛けてしまったと頭によぎったノア。
 けれど、それよりもノアは気になる事があった。


「あ、あの…。僕の身体、ちゃんとついてますか?」


 スネイプは思い掛けないその言葉に喉の奥で低く笑い、もう少し意地悪をしてやろうと曖昧に答えて足を進めた。ノアは心臓を煩く鳴らしながら、腕を伸ばしたり足がちゃんと付いているか目で確認してほっと胸を撫で下ろし、その背後を小走りで必死について行く。

 人混みの中を歩きながらどんどん進んでいくが、皆無と言うほど二人の間には会話が無い。そこで、不意に思いついた質問をノアはスネイプに問いかけた。

「名前、お聞きしてもいいですか?」
「…セブルス・スネイプだ」
「素敵な名前ですね!えと、僕はノアと、」

 ようやく繋がった会話に嬉々としたノアが自分の名前を伝えようとしたら、スネイプから返ってきた「知っている」のその一言で会話はまたもや終わってしまった。

 終始無言のまま漆黒のローブを追いかけていると、とある店の前でスネイプは立ち止まって「入れ」という。何の店だろうと看板を見れば、『マダム・マルキンの洋装店:普段着から式服まで』と書かれていた。
 ふむ、なるほど。制服を見繕ってくれるお店なのかと、ノアはワクワクしながらドアを開ける。


「「わお、おっどろきー」」
「わっ!?」


 ドアを開けた瞬間、目の前に広がる瓜二つの並んだ同じ顔にノアは思わず驚いて後退りする。だがすぐに不思議な光景を近くで見ようと、まじまじと顔を近づけて凝視する。
 髪は夕暮れの様な赤毛で、顔にはそばかすが散っている。見れば見る程そっくりで、更に顔をずいっと近づけるノアに慌てて瓜二つの少年たちは慌てて声を掛けた。

「おいおい、そんな熱い視線を送られると困るぜ。なあ、相棒?」
「そうだな、相棒。俺達の顔に穴が空いてしまう!」

 二人はそう言って冗談を飛ばすが内心焦っていた。制服の採寸を終え、ドアを開けようとしたら目の前に、端正な顔立ちをした同年代であろう子が顔をグイグイ近づけて来たのだ。

 目の前の少年も自分達に驚いていたが、それはこちらも同じだった。

「あっ、ごめん。つい…」

 申し訳なさそうに後ろに下がったノアを見ると、瓜二つの少年たちは顔を見合わせてニヤリと笑った。

「気にすんなって!なあ、君もホグワーツ?」
「うん、そうなんだ。と言うことは二人も?」
「ああ!!」

 双子の後ろで藤色ずくめの服を着たずんぐりした魔女が咳払いしても、聞こえないフリをして二人は次から次へと話題を出す。

「あ、俺はフレッド。そして隣にいるのがジョージさ」
「よろしくね。で、君の名前は?」
「えと、僕はノア。よろしく」

 まだまだ喋り足りなそうな二人に目を丸くしていると、もう一度魔女が力強く咳払いをして、流石に不味いと思った双子たちは「またなー!!」と大きく手を振りながら店を出て行った。
 二人が去った後の店は、まるで嵐が過ぎ去ったかのようだとこの時ノアは思った。

「さあさあ、こちらにいらっいゃいな」
「は、はい!」

 制服の採寸の際に身体の至る所を測られ、細いだのもっと食べなさいなどとマダムに言われてげんなりしたのはここだけの内緒。

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