鷲は飛び立ち青き空を舞う
「…――魔法?」
しばらくして、ノアは確かめるように呟いた。
「その通り。何時でも良い。君に、何か不思議なことが起きた事がなかったかね?」
「…不思議なこと」
老人に言われ、ノアは身の回りに起きた不自然なことを思い出す。はて、不思議なことなど起きただろうか。
ああ、そう言えば。一度だけ。
たった一度だけあるではないか。
ノアが珍しく中庭に出歩いたある日、一羽の小鳥が木の枝から落ちたのだろう。羽を怪我して地面に倒れ落ちていた。
倒れる小鳥に触れて見ると、まだ呼吸がある。
ノアは、小鳥に治ってほしいと願った。
しかし、願っても何か奇跡が起きる様子もない。まだ息があるのに。羽を怪我した小鳥は、二度と空に戻ることは出来ない。辛そうに呼吸を繰り返しているが、手が震えて手を掛けることも出来ない。ただ、弱っていく姿を眺めていた。
次の日、ノアは小鳥の様子を見るべく中庭に出た。確かこの辺に倒れていたはず――、と辺りを見渡す。ノアはくまなく周辺を捜すが、小鳥の姿は見えなかった。あの怪我では、あまり遠くへ行けないはず。残酷ではあるが、野良猫にでも食べられてしまったのだろうか。
あまり外に長いするわけにもいかない。
肩を落として部屋に帰ろとした、その時だった。
ふわり、と一枚の羽根が宙を泳ぎ、風に落ちながらノアの手元に落ちてくる。
弾かれるように、ノアは空を見上げる。
ノアの上空を飛び回っていたのは、怪我をしていたあの小鳥だった。ありえない。たった一日で怪我が治るだ何て。不思議なことが起きない限り。
「……もしかして、これが魔法ですか?」
「ああ、君の言う通り。君は素晴らしい魔法使いだ」
そこでノアははっとしたように、顔を上げる。老人は頷き肯定したが、ノアの顔は次第に俯き、悲しみに曇った表情になっていく。
ノアは心配だった。今も、自身の不安定な体調で孤児院に迷惑を掛けており、それが学校となるとまた別の不安が生まれる。
「あの、ですが先生。僕は身体が、その…」
「おお!心配することはない。ホグワーツには優秀な校医がおる、安心して入学するといい」
「…はい」
ノアの元気な返事を聞くと、ダンブルドアは背広の内ポケットから一枚の手紙と革の巾着を取り出した。
「ホグワーツには、教科書や制服を買うために援助の必要な者のための資金がある。君は呪文の本などいくつかを、古本で買わなければならないかもしれんが」
「ありがとうございます!…あ。その本は、どこで買えますか?」
礼を言って巾着を受け取ると、再びノアの顔に不安げな表情が浮かんだ。そんなノアの顔を見て、十一歳にしては、大人びていると老人は思った。
老人はこれまでに、いくつもの生徒に出逢い、教え、導いてきた。この年の子供と言えば、元気よく駆け回り、物事の善し悪しを考えず口に出す。言ってしまえば生意気なのだ。
だが、目の前の少年はどうだ。
魔法と言う未知のものに目を輝かせ、興味を示しているのに、相手のことを考え遠慮する。かつて、老人はノアの孤児院に訪れたように、別の生徒の孤児院へ訪れたことがあった。忘れた事がない。
それは、老人にとって良くも悪くも刻み込まれた記憶だ。
誰かと比べることは、あまり良いことではない。
しかし、それでも、無意識の内に重ねてしまう。
あの子から目を離してはいけないと思った。理由ならいくらでもある。あの子は同年代の魔法族の子達に比べ、自分の能力に早く目覚め、何より、身寄りもなく友人もいなかった。しかし、それは本人のためだけでなく、他の者のためにそうすべきであると、感じていたからだ。
ノアは、あの子とは正反対だ。
先程から、この部屋の近くを子供達が心配げにうろついている。それだけでノアの周りに人が居ることが分かる。無意識に使った魔法も、動物を意のままに操り、襲わせるのではなく救うためだ。この子は、学ぶべきだと思った。
魔法を知り、世界を知り、多くを学んで欲しい。
願わくば、二度と同じことが起きないように。この子と、あの子は違うのだから。
「ダイアゴン横丁で買うことが出来る。この手紙に、教科書や教材のリストが書かれてある。そうじゃの。明日、君の学用品を買いに行く付き添いの先生を向かいに寄こそうと思うのじゃが」
どうかの?と、言うダンブルドアの問いかけにノアは顔をあげて何度も頷いた。眉尻を下げながらその姿を見ていたダンブルドアは、ノアの頭を優しく撫でて立ち上がる。
「ノア、ホグワーツでまた会おう」
瞬きをしたその瞬間、ノアの視界からダンブルドアは消えた。