[番外編]青の王子は遡る
ロンドンの孤児院の近くから見えた建物と違い、街並みも一見、一昔前の建築物のように見える。街を走る車も、どれも見たことがない型ばかりで、いよいよ此処がどこなのか分からなくなって不安を拭いきれない。
ふと、通り過ぎたベンチでのんびりと新聞を読む男性を見かけ足を止める。
違和感のない程度に新聞を覗き込み、僕は目を見開く。
そこには、――1926年と記されていた。僕の居た年代は、1991年。つまり、僕は時代を約70年くらい遡っていることになる。何よりも、僕の居る場所はイギリスではなくアメリカのニューヨーク。
「…どうなっているんだ」
僕は夢でも見ているのか。
まさか、時代を遡っているとは思わなかった僕は、手から体温が失われていく。冷えた手を握り、一旦この場を離れようと一歩足を踏み出した途端、ぐいっ、と腕を掴まれた。しまった、反応が遅れた。
焦る僕を他所に、そのまま路地裏まで腕を引かれ、暗がりの中で僕は唇を噛む。
「…っ、」
人攫いか、目的は何か分からないが、助けを呼ぼうと口を薄く開いた途端――、「静かに」と唇に人差し指をあてられる。
思わず息を呑み、後退る僕の背中に壁がぶつかる。
「しー、静かに。大丈夫、僕は君に危害を加えない」
自分よりも背の高い男の顔を見上げ、僕は引っかかりを覚えた。
男はブルーのチェスターコートを羽織り、前を開けた黒のスーツからは黄色味がかった茶色のベストが覗いていた。首元には、コートと同じ色の蝶ネクタイが僅かに揺れる。柔らかな目元は僕を落ち着かせるかのように和らげられ、その目には僅かな疑問が現れていた。
癖のある赤茶色の髪を揺らし、男は僕の顔を覗き込むように口を開く。
「君はホグワーツの生徒?僕が知ってる制服とは少し違うみたいだけど、どうしてこんな場所に?」
「…うん、三年生になるよ。信じて貰えるかは分からないけれど、学校からここに飛ばされたんだ」
「学校から?」
「…信じられないと思うけど」
「……いいや、信じるよ。君の瞳は嘘を言っているようには見えない」
全てを話さずに、本当のことを話すと男はまだ浮かない顔をしていたけど、僕のことを信じたようだった。男はそのまま、辺りを気にするかのように見渡した後、杖を取り出した。
「いきなり杖を取り出してごめんね。君に攻撃するわけじゃない」
「大丈夫、貴方に敵意がないのも分かっている」
「…困ったな」
ふい、と僕から視線を逸らした男は、首元から下を眺めるように僕の格好を見つめた。
「遠くから君を見掛けて、驚いた」
「ふふ、どうしてホグワーツの生徒が…って?」
「いや。それもあるけど──、君が周囲の注目を集めて目立っていたから」
「…ああ」
自分の服装を見て、すぐに納得する。
真っ白のワイシャツに、黒いズボンはまだこの時代に違和感なく馴染めていただろう。しかし、羽織った真っ黒なローブに、青と銀のネクタイは人目を惹いたに違いない。
「だから少し、服装を変える」
男が杖を僕に向けて一振りすると、羽織っていたローブが黒のコート、中に着ていたセーターは藍色のベストに、ネクタイはシンプルな黒色に変わった。少し肌寒くて、僅かに肩を震わせると、男はトランクからマフラーを取り出して僕の首元に掛けて笑う。
「…ありがとう」
「どういたしまして。君がスーツを着るにはまだ早いけどね」
首元に掛けられたマフラーは、ハッフルパフのものだった。きっと彼は、ハッフルパフの卒業生なのだろう。どおりで、彼から滲み出ている優しさが伝わってくるわけだ。
彼がホグワーツの卒業生であることに安堵したのと同時に、頭の中で引っ掛かっていたことが次第に大きくなっていく。
「ああ、そうだ。僕はニュート。ニュート・スキャマンダー。君は?」
彼は、何を言ってるんだ?
それは、憧れていた人だった。一年生の時に教科書として出会い、僕に魔法生物に関する基礎知識や姿を教えてくれた本。その著者であるニュートが、彼だと言っているのか。
「…僕はノア。ノア・レイブンクロー」
「――え?何だって?」
何だって、と言いたいのは僕の方である。