[番外編]青の王子は遡る
「…困ったなあ」
ぐるぐると辺りを見回して、僕は足を止めた。そのまま血が滴る自分の指先に視線を落として、苦笑する。この傷は、僕の不注意で本のページで深く切れてしまった傷だ。放っておけばすぐ治ると言っているのに、フレッドとジョージはそれを許してくれなかった。
医務室に行くぞ、俺達にその傷を見せろ――、とあまりにも大袈裟で、それでいて、追いかけっこを楽しむように二人から逃げるようにして、気付けば僕はこんな場所まで来てしまった。
見覚えのない外観に、恐らく8階辺りまできたのだろうと見当をつける。落ち着きなくその場を何回も往き来し、溜息を吐きながら壁に背を預ける。せめて授業が始まる前には戻らないとなあ、とぷっくりと指先に浮かぶ血を眺めていると、重心が倒れそうになる。
突然の浮遊感に踏鞴を踏みながら、僕は振り返った。
「…隠し部屋?」
そこには、先程なかったはずの扉が出現していた。
ここは確か、石壁だったはずだ。そこから導き出されるのはたった一つで、隠し部屋があったとしか考えられない。
あまりの突然の出来事に、落ち着きを取り戻していた余裕が跡形も無く崩れ、未知の体験に心が躍る。危機感とかそんなことよりも、好奇心がそれを覆い尽くして、気付けば僕はその扉を開けていた。
扉を開けて一番最初に目に入ったのは、大量の本だった。
部屋を埋め尽くすように本棚が並び、その本棚にはぎっしりと本が並んでいた。背表紙のタイトルはどれもホグワーツの図書館には並んでいないものばかりで、珍しさに目が輝く。
その中でも一際気になったのが、部屋の中心にある本だ。
その本は、純白のテーブルクロスがかけられた円形の机の上に一冊ポツンと置かれており、僕の好奇心を煽った。罠かもしれないと分かっていても、足が引き寄せられる。
視線を落とし、本を手に取って確認する。表紙はタイトルも何も書かれていない、ただの本。一体、何が書かれているのだろうか。きっと、未知な世界が広がっているに違いない。
そう思いながら、ページを捲ったその時――…。ちゃら、と栞の代わりに挟まれていたのか、鎖が伸びて手の平に落ちる。
前の持ち主のものなのかな、と鎖の先にあるものを見た途端、僕は目を見開いた。――
驚いて固まっていると、逆転時計はひとりでに回転し出す。
反射的に本を閉じようとしたが、遅かった。
「――っ…」
眩い光に襲われ、瞬間的に目を瞑る。――何かの魔法が作動した?いいや、有り得ない。こんなにも高度な魔法、一体誰が。理解できないまま、薄っすらとした暗闇の中で思案していると、体は真っ白な光に包まれた。
「……ん、」
吸い込まれる感覚がなくなって、うっすらと瞼を開く。「本」に触れた両手を軽く開いて確認すれば、しっかりと消し飛ぶこと無く残っていた。
よかった、と胸を撫で下ろすも、状況を把握するために辺りを見回して、僕はピシリと固まった。
目を開くとそこは、辺り一面見知らぬ土地だった。
「――ここは?」
何もかもが違った。街並みも風景も、僕が知る場所ではない。特に特筆すべきは、街を歩いている人達だ。
僕の時代と違い、レトロな膝丈の短いスカートを履いてボブカット、そしてツバがやや下向きで狭めの帽子を被っている女性が多い。男性も一昔前のスーツのようで、まるで過去の服装を見ているようだった。
一体、ここはどこなんだ?
本来ならば、逆転時計は一回転で1時間前に、最長5時間前まで戻れる。ただ、おかしいのが、自分が数時間前に居た場所ではないということだ。だとすれば、ここは何時間前の
「……これは、困ったね」
砂時計の部分を指先で摘まんで目の前でぶら下げるも、自分が一体何時間前に戻されたのか皆目見当がつかない。しかしまあ、嘆いても仕方がない。首元に鎖を下げて、シャツの下に隠す。
そのまま、僕は目的も無く探索するかのように、街並みを歩いた。