鷲は飛び立ち青き空を舞う
「何の音だ?」
時刻は十二時を回った頃、通路で大きな物音がして三人は扉の方に視線を向けた。僅かに身を構え、息を潜めて見つめていれば、優し気な笑顔を浮かべた老女が扉の向こうから現れる。
「車内販売よ。何か要りませんか?」
「僕は大丈夫です」
この汽車には車内販売まであるのかと感心を抱きながら、ノアはやんわりと断った。ノアの荷物の中には、移動中にお腹がすいたら食べるようにと手渡された、院長特製のサンドイッチが入っている。
それだけじゃない。ポケットの中には、年下の子達が院を出る前に渡してくれたお菓子があるのだ。
「なあ、これ皆で食べようぜ」
「何、それ?」
ジョージと持参してきたサンドイッチを食べていると、通路に出ていたフレッドが何やらカラフルな粒が入った箱を持って帰ってきた。
「百味ビーンズさ!名の通り、百種類の味がする!」
「さあ、ノア!食べてみろよ!」
ニヤニヤと何かを企んだ二つの顔迫ってきて、ノアは困ったように眉を下げて箱から一粒掴むと口に運んだ。恐る恐る噛んでみると、口に広がるのは程良い甘さ。
「ん、美味しいね。チョコレートの味だ」
「なっ…!もう一つ食べてみてくれ!」
見るからに落胆した顔をしているフレッドに、もう一度ノアは箱に手を伸ばす。ゴクリと唾を呑む二人を他所に、味わうように粒を噛む。
「今度はイチゴの味がした!」
「何ィ!?おい、相棒。俺達も食べるとしよう」
「そうだな、相棒。せーの、で食べるぞ」
そして二人は合図と同時に、百味ビーンズを口にした。次の瞬間、顔をこれでもかと言うぐらい顰めたフレッドとジョージの姿がノアの目に映る。
「ゲエエェェ。ゲロの味だぜコレ 」
「おえええぇぇ!俺は臓物!」
「えっ?」
そんな通常では食すようなモノではない味が入っていることに、ノアは驚きを隠せない。
その後、時計回りで百味ビーンズを一粒ずつ食べて行ったが、ノアは何度も普通の味のするビーンズを引き当てて行った。密かにノアを驚かせようと企んでいた二人だったが、それが地獄を見ることになってしまったのは言うまでもない。
「フレッド、ジョージ。二人とも居るか?」
今度は、控えめに扉をノックする音が聞こえた。扉の向こうから聞こえた声は、フレッドとジョージには聞きなれた声で、直ぐに立ち上がって扉を開ける。
「チャーリー、俺達ならここに居るぜ」
「ノアも一緒にな!」
勢い良く開かれた扉に、チャーリーは瞬きを数回する。遅れてノアが顔を上げると、目を丸くしたチャーリーが、こちらを見つめていた。その後、直ぐに口元を緩めて私服のままの三人を見る。
「ああ、ノアも居たのか!ちょうど良かった。そろそろ制服に着替えた方がいい」
チャーリーは、そう短く告げると手を振りながら扉を閉めた。態々、探しに来てくれたことに感謝しながらノア達は制服に着替えることにした。
シャツの袖に手を通し、ボタンを留め終わるとネクタイを片手にノアは固まった。
ネクタイを、どうやって結ぶのか全く分からない。ノアがネクタイを結ぶ機会など、生まれて此の方一度もなかった。
「ほら、ノア。貸して」
ぐちゃぐちゃになるネクタイに悪戦苦闘していると、見兼ねたジョージがノアからネクタイを受け取る。あれほど絡み合っていたネクタイが、するすると綺麗に結ばれていく。
ノアはその様子を食い入るように見つめて、結び終わると笑顔を浮かべた。
「すごい、こんなに綺麗に!ありがとう!」
「どういたしまして」
三人が完全に制服に着替えると、列車は速度を落とし停車した。胸を高鳴らせて、ノア達は列車から外に降りる。
外に出ると、頬に触れた夜風の冷たさに僅かに身震いする。冷え切った手先を擦り合わせながら立っていると、ランプを持った長身の男が生徒達の前に現れた。
男の指示に従って、岸辺に繋がれた小さなボートに乗って湖を渡り、石段を登って扉の前に集まる。
「なあ、今から何が起きると思う?」
「うーん。あ、トロールがいきなり襲い掛かってきたりしてな!」
「ト、トロール…?」
確かにここは、普通の学校とは違う魔法学校。常識を超越する何かがあるかもしれないと、フレッドの冗談を、疑いもせず信じきったノアは顔を青褪めた。
そんなノアの姿を見て、フレッドとジョージが笑いを堪えていると、扉から厳格げんかくな顔付きをした女性が出てくる。
「ホグワーツへようこそ」
軽い挨拶の後、寮について詳しく説明される。フレッドの言ったトロールなんて言葉は一回も出てこず、全校列席の前で組分けの儀式を行って寮を決めるらしい。
隣居る二人を真顔で見つめると、笑いを誤魔化す為に二人はわざとらしく咳き込んだ。
「っふ、はは!」
「ほらほら、前が動きだしたぞ」
もはや誤魔化しきれない程、笑いだす二人にそのまま手を引かれて、ノアはホグワーツへ一歩踏み込んだ。