【中学生編】拝啓、何者にもなれなかった僕へ
それで、どうしたんですか。
桜の幹に座った不和君がそう言って、額に浮かべた汗を拭う僕を見て微笑む。
胃が痛い。
どうしたと聞きたいのは僕の方だ。飛び降りる必要はあったのか、どうして飛び降りたのか、何故声を掛けても飛び降りるのを止めなかったのか。
あの距離なら、充分間に合ったはずだ。
気付いていたながら、彼は飛び降りた。
「一緒に食べないか?」
理由を聞き出したいが、せっかくの昼休み。喉元まで出かかった言葉を呑み込んで、弁当が入った鞄を顔の前まで持っていく。断られたら、大人しく教室に戻ろう。
ああ、と納得したように不和君の視線が、一度弁当に移る。
「いいですよ」
少し考えた後、不和君は了承した。拒絶されなかったことに安堵しつつ、すぐ近くの煉瓦で囲われた花壇に腰掛ける。
不和君がビニール袋から取り出したのは、コンビニの陳列棚に並ぶおにぎりとパンだった。それだけで足りるのか、と思いながらも弁当の蓋を開ける。
うわ、と声を出さなかったのを褒めてほしい。
あれだけ動き回ったせいか、弁当の中身はぐちゃぐちゃだった。
「食べないんですか?」
「あ、いや……」
パンを頬張る不和君が、一向に箸を進めない僕を不思議がる。言葉を詰まらせていると、不和君の視線が僕から弁当の中に移り、そして目をぱちぱちと瞬かせた。
そうなるのも、無理もない。
誰が好き好んで、中身がぐちゃぐちゃの弁当を作る。しかし、この悲惨な弁当にしてしまったのは俺自身。
作ってくれた母さんに申し訳なく思いながら、卵焼きを口に運んだ。
空になった弁当箱に蓋をして、伸びをする。
桜の木で陰になっているこの場所は、心地良いそよ風が吹き、腹が膨れたのもあって眠気を誘う。確かに、彼がここへ訪れたくなるのも分かる気がする。
静かで、とても落ち着く。
「いつもここに来ているのか」
「はい」
短い返事が返ってきて、会話が終わる。そんな言葉のやりとりを続けていたら、自然と笑いが漏れた。こんなにも続かない会話をしたのは初めてだ。
急に笑い出した僕を不思議に思ったのか、じッと僕を一目見た後、不和君は桜を咲かせた枝に視線を戻した。
いかにも彼らしい。
気付かれないように、こっそり眺めているその横顔を盗み見る。
彼は、人目を引く容姿をしていると思う。
長い睫毛に縁取られた紫紺の双眸に、小瓶からそのまま掬って、垂らしたかのような蜂蜜色の柔らかい髪を見ていると、口の中になめらかな甘い味がした。
まだ幼さが残るものの、掴み所のない雰囲気と重なり儚い印象を与える。
「飯田くん。しってますか?」
「……何を?」
見ていたのを気付かれてしまったと思ったが、どうやら違うようだ。枝から視線を外し、俯いたは不和君は、片方の手を木の根に重ね、撫でた。
「桜の木の下には死体がうまっているんです」
「ああ。聞いたことがある」
誰もが、一度は聞いたことがある迷信だ。現に僕も知っていた。
いきなりどうしたのかと思い、さっきとは違い真っ直ぐ彼を見つめる。雲ひとつ無かったはずの空はいつのまにか厚い雲に覆われ、僅かな木漏れ日に照らされた横顔が、にこり、と寂しそうに笑った。
「そのあとは、どこにいくんでしょうね」