【中学生編】拝啓、何者にもなれなかった僕へ
入学してからの、初の登校日。
小学生の頃と変わったことと言えば、やはり制服だろうか。通学路には、僕と同じブレザー姿の生徒が何人か登校していた。
重たいと感じながら背負っていた、ランドセルはもうない。
いよいよ中学生になったのだと改めて自覚する。
「おお、不和君ではないか。おはよう」
教室に入ると、まだホームルームまでは時間が数十分あったが既に座っている生徒が何人かいた。時間前に行動するのは良いことだ。
その中に不和君を見つけると真っ先に挨拶をし、そのまま僕は近付く。
「おはようございます。はやいですね」
「それを言うなら君も……む?」
そこまで言い掛けて、僕は気付いた。
本来ならあるべき、首元の装飾。昨日までしていた筈のネクタイを、不和君がしていないことに。
「ネクタイはどうしたんだ」
「ああ、あれですか」
何でもないように、自分の首元をじっと眺めがら彼は返事をする。しかし、あれとは何なのだ。ネクタイと言えど大事な制服の一部。「服装の乱れは心の乱れ」ともいう。
それをしないなど―――。
「なくしました」
僕は不和君を見ながら数回瞬きをした。同時に不和君から帰ってきた言葉に、言葉を詰まらせてしまう。
彼は今何と言った。
僕の聞き間違いでなければ、無くしたと言ったか。それも、たった一日で。
そんな時、窓の前に佇んでいた不和君の姿が脳裏に過る。
そうだ。そう言えば彼は校内で迷子になっていたじゃないか。きっと彼は、うっかり屋さんなのだろう。
「……それは、災難だったな」
「そうでもないです」
僕はこの言葉の意味が分からなかった。取りあえず腑には落ちなかったが、僕はそうかと言葉を返した。
それからも、不和君がネクタイをしている姿は見たことがない。
最初は先生からも制服は着崩すな、と注意を受けていた彼だが、一週間も経てば見慣れたもので、今ではそれが彼の普通になっていた。
先生が容認するのならば、僕からはもう何も言うまい。
そんな彼は、人と関わろうとしない。関わらない、と言っても、話し掛けられたら言葉はちゃんと返す。そうだな。自分からは関わりに行かない、そう言った方が正しいか。
不和君は休み時間になると、いつも席を立って何処かへ行く。
一度、どこへ行っているのか聞こうとしたが、気付いたら居なくなっている。
彼は、まるで気まぐれな猫のようだ。
「……あ」
あと少しで授業が始まる――そんな時に、教室の扉が開いた。
最初に目に映ったのは癖のついた蜂蜜色の髪で、足を一歩踏み出すのと同時にふわり、と落ちる桜の花びら。よく見れば、花びらは肩にも乗っていた。
本人は気付いていないようで、そのまま席に戻ろうとする。
彼は、外にでも居たのか。
「不和君」
声を掛けると、不和君はちょうど僕の真横で足を止める。一言断りを入れてから手を伸ばす僕を、不和君は無言で見つめたまま動かない。向けられた視線にくすぐったさを感じながら、不和君の肩の上にある花びらをつまみ上げ机に乗せて眺める。
春の訪れを告げる、薄桃色の花。
ふと、換気の為に開いていた窓から風が吹く。
机に乗っていた花びらが、風に煽られてふわふわ、と宙を舞って床に落ちて行く。
少し寂しさを憶えながらその様子を見ていると、落ちて行ったはずの花びらが自我が芽生え始めたかのように、ゆらり、ゆらりと宙を漕いで浮き上がり鼻先を掠める。
「なっ……!」
不可思議な現象に、驚いて勢い良く椅子を引くと、頭上から柔らかい笑い声が降ってきた。
「ふふふ、春のおとどけです」