【中学生編】拝啓、何者にもなれなかった僕へ
運動会から数週間が経った。あれから、楓汰君の周りにはたくさん人が集まった。廊下ですれ違うだけで声を掛けられ、特に凄まじいのが部活の勧誘だ。あの選抜リレーの活躍から、どこの部活にも所属していない楓汰君は運動部から正直ドン引きするレベルに勧誘を受けていた。
その度に、やんわりと楓汰君は断っているのだが、それでも諦めないのがドン引きする理由である。
人望が厚いのはいいことだ。僕以外にも、彼を気に掛ける人が増えたのも嬉しく思う。それでも、嬉しく思う反面、楓汰君が遠い存在に思えてきて、どこか少し、寂しい。
「腹減ったー」
「隣のクラス行こうぜ」
「おう」
昼休憩になった途端、クラスメイトの男子生徒がドタバタと教室を出て行く。いつものように楓汰君を誘おうとして、その場で思い留まる。
教室の入り口に、複数の女子生徒に囲まれる楓汰君が居たからだ。楓汰君に話し掛けている女子生徒の友人だろうか、が笑いながら楓汰君の目の前に立つ女子の背中を押すように背を叩いている。
その女子の頬は赤く染まっていて、それが何を示すのか口にするのは不純だろう。
仕方ない、今日は一人で食べるか。
そう思って、弁当袋を開けた時だった。カタン、と目の前の椅子が引かれる。驚いて顔を上げると、楓汰君が手に持っていたコンビニ袋を机の上に置いた。なぜだ、どうして、と僕は椅子に座った楓汰君の顔を見る。
「今日はおなかが空いた気分です」
「…っ、そうか!ならば、僕のハンバーグを半分分けよう」
それでも、いつものようにコンビニ袋を持って、昼休憩を快く受け入れてくれる時間が、酷く心地よかった。
「夏休みに入っても気は抜かないように」
全開に開け放たれた窓から、蝉の鳴き声が先生の諸注意に紛れて鳴り響く。八月に入って本格的な暑さが増した。暑さを逃すように制服のシャツをぱたぱたと扇いでいると、プリントが前の席から回って来る。そのプリントの多くは宿題だ。
勉強に力を入れている進学校なだけあって、気付けば宿題だけで束が出来ていた。最後に、一枚のプリントが回される。
「夏祭り、か」
プリントに印刷されたそれは、けっこう大規模な近所で開催される夏祭りの案内だった。最後に夏祭りに行ったのは、いつだったろうか。小学四年生の頃に、兄さんが本格的に忙しくなって、それきりだった気がする。
先生が居なくなった教室の中で、一緒に行こうと誘う声が飛び交う。思えば、僕は兄さんとしか夏祭りに行ったことが無い。友達と行けたのなら、どれだけ――楽しいのか。そう思い立ったら席を立って、楓汰君の前に立ってプリントを掲げる。
「楓汰君!夏祭りに行こう!」
しまった、気合が入り過ぎた。自分でも驚くくらい大きな声が出て、教室中の視線が僕に集まる。じわじわと顔に熱が集まり、茹でたタコのように赤くなった僕を、楓汰君はおかしそうに笑い、頷いた。
「凄い人ですね」
「ああ」
大規模な夏祭りなだけあって、会場の入り口周辺だというのに人で溢れていた。なんとか人混みを掻きわけて、屋台の方へと歩いて行く。屋台が並ぶ付近まで来ると、楓汰君が立ち止まって、あっ、と声を上げた。
何か気になる屋台でもあったのだろうか。僕も立ち止まって見上げると、綿あめの屋台がそこにあった。いくつも屋台に吊り下がる、可愛らしいキャラクターの袋に包まれた綿あめを眺めていると、屋台のおばさんが、元気よくいらっしゃいと笑う。
「二つお願いします」
「はいよ」
二つ頼むと、おばさんは機械の中心部にある釜にザラメを入れる。機会が回転し始めると、小さくあいた穴から糸状になったザラメが飛び出してくる。楓汰君は、それを割り箸でぐるぐると絡めとる様子を、これでもかと言うぐらいに顔を近付けて眺めていた。
その瞳はきらきらと輝いていて、僕が初めて、綿あめがどういった原理で出来ているのか知った時を思い出す。
「祭り、楽しんでおいで」
「ありがとうございます」
そんな楓汰君を、微笑ましく眺めていたおばさんから綿あめを受け取ると、その片方を楓汰君に渡す。きょとんと、目を瞬かせた楓汰君は顔を綻ばせ、僕にお礼を言った後、綿あめに被りついた。一口食べて、綿あめから離れた楓汰君の顔を見て、僕は込み上げる笑いを抑えられなかった。
べっとり、口におさまりきらなかった綿あめが、口元にくっついている。
まるで、サンタの髭だ。いつから楓汰君はサンタになったのか。遅れて僕が笑っている理由に気付いたのか、怒るのでも悲しむのでもなく、ごしごしと口元を拭って、楓汰君はふふ、と笑う。
「おいしいですね」
「ああ、そうだな」
綿あめを食べ終えた僕達は、ずらりと並んだ屋台を順番に見て周った。どこからも食欲をそそる匂いが漂ってきて、ぐぅとお腹が鳴りそうなのを耐える。
今日は、楓汰君に楽しんでほしい。そんなふうに思いながら、僕は楓汰君を盗み見る。
楓汰君は、途中で立ち寄った的屋で撃ち落とした、ゆるきゃらのクッションを大事に抱きかかえて、もう片方の手には、色とりどりのスーパーボールが入った袋の中で、水に浮かんで揺れていた。
赤色に黄色、緑に青。いろんな色が混ざったボールがころころと転がる。
隣を歩く楓汰君の横顔は、きらきらと楽し気に輝いていて、昔に僕が夏祭りに行った時に、屋台を全制覇すると張り切っていたのを思い出して、なんだか懐かしく感じた。
「天哉くん。かき氷、食べませんか」
「暑くなって来たし、丁度いいな。僕はブルーハワイにする。楓汰君はどうする?」
「いちごにします」
どうやらこの屋台ではシロップは自分で掛けられるらしく、楓汰君はどばっとたくさん掛けていた。流石に止めようとしたが、幸せそうにストローを口にくわえているのを見て、我慢した。
手元の綺麗な青色に染まった氷をスプーンですくって、口に含む。あっという間に氷は溶けて、舌の上にシロップの甘さだけが残る。
「みてください、天哉くん」
「…?なんだ、っ、ふ…はは…真っ赤じゃないか!」
肩をぽんぽんと叩かれて隣を見ると、べっ、と舌を小さく出した楓汰君がゆったりと笑いかける。その舌はシロップのせいで真っ赤に変わっていて、僕は腹を抱えて笑った。
きっと、楓汰君がこうなっているのならば、僕の舌も今頃は真っ青に変わっているのだろう。
中身の無くなった紙コップをゴミ箱に捨て、まっすぐに続く道を歩いていく。夕方に来たはずなのに、すっかり空には夜空が広がっていた。
今日の夏祭りは、夜の最期に花火が打ち上げられる。家族連れや恋人達は、その花火を眺めてから家に帰って行くのがここでは当たり前だった。
屋台を見て周っている時にさりげなく聞いたが、楓汰君の家は特に門限がないらしく、僕は楓汰君の腕を掴んで会場となっている街中のずっと奥に突き進んだ。
楓汰君はリンゴ飴を手に持ちながら、不思議そうに後をついてくる。
「天哉くん、どこに行くんですか?」
「僕と兄さんの秘密の場所だ」
「僕が行って、いいんですか?」
「ああ!」
そう、僕が今向かっているのは、夏祭りによく訪れていた兄さんとの秘密の場所だ。祭りが開催される街中は、一本のまっすぐな道で続いている――かのように思えるが、道の途中にある茂みの向こうに、控え目な神社があるのを、僕と兄さんはこっそりと見付けていた。
こまめに誰かが手入れをしているのか、神社はきれいに保たれている。鳥居をくぐり、神社に続く短い石段を登っていく。全段上りきって、一番天辺の階段の上に楓汰君と座る。
「もうすぐだ」
「…――ぁ」
ほら、と二人揃って上を見上げた瞬間――大きな音と共に夜空に向かって、ひとつ、ひとつと色鮮やかな花火が打ち上げられていく。青白く輝く月の光が地上を照らす。
目を見開いて夜空を眺める楓汰君の紫紺の瞳には、儚く咲き散る花火が映っていた。
緩く吹くやわらかい風が、前髪を揺らす。見つめていた視線に気づいて、楓汰君が僕を見た。打ち上げられる花火を背にして、楓汰君はふわりと笑顔を浮かべる。
「きれいですね」
光り輝く花が、儚く夜空に溶け込んで行く。ひんやりとした冷たい夜風が、火照った腕と頬を撫でる。ああ、と頷いて僕も夜空を見上げる。
夜闇に一つ火花が散る。