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熊が笑う。

 光と熱に包まれていきながら、私はさらさらと流れていく。
 同じような光と熱に包まれた熊たちが集まってくる。熊たちは皆、それぞれに穏やかな表情をしている。
 私は今、どこに向かっているのかがわからないのと同じように、他の熊たちもわかってはいないと思う。
 それでも落ち着いていられるのは、あの家で得た光と熱と、大切な人たちの姿が目に焼き付いているからだと思っていた。
 流されていくと、大切な人たちの声が消えた、顔も消えた、ぼんやりとした姿が霧の中に溶けていくように遠ざかっていく。
 大切なものがするすると抜け落ちていく。
 怖いはずなのに、それを怖いと思えなくなっていく自分自身に一番恐怖する。

ーー残念ながら、それは持ってはいけないのーー

 星を探すように言ったのと同じ声で、そう言われた。なぜ、どうしてという反論もできなかった。
 言い返したくて出した声、言葉ではなくううとかああというただの音にしかならなかった。
 男の赤ちゃんの、私の弟の笑顔も消えていくのだろうか。それがとても悲しかった。
 流されていく熊たちはきっと同じように、沢山のものを置いていくのだろう。
 私の思考に反応するような声が聞こえた。

ーーそれだけ、そのひとつだけは持って行ってもいいよーー

 すると、誰かもわからない男の赤ちゃんの笑顔だけが、やたらと頭に浮かぶようになった。
 笑顔と認識できるだけで、顔の判別もままならない。
 それなのに、気持ち悪さも嫌な感じもしなくて、ひどく奇妙であった。
 ただ、あたたかさだけが内側に灯っているような、そんな感覚があるだけだった。
 ここから先のことは私にはわからない。私が持っていくことがゆるされたのは、あの男の赤ちゃんの笑顔だけだったから。
 他の子が何を持っていけたのかも知らないし、そもそもそれが許されたのかもわからない。
 私たちは流されていく。流されて、流されて、自分の意思に反して押し出されていく。
 ずっとこのままでいられないことは理解ができてきたから、私たちはどうあがいても次に行くしかないから。思い出すことができなくなった大切なものとの別れも必要だから。
 ここから先のことは私にもわからない。ここから先は、私であり私ではないから。
 多くは持ってはいけない。私たちは次に行くために必要な最低限のものだけを大事に内側であたためている。
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