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熊が笑う。

 鏡に映っていたのは熊だった。それもただの熊ではない、ごつごつとした大人のような骨太で筋張った腕、ゆらゆらとした黒目、口はだらしない半開きでそこからだらりとよだれが垂れている。
 これを自分の姿だと認識するまで少し時間がかかったけれど、認識してしまえばそれだけのことだった。
 ここにたどり着くまでだって、流されて来たのだから今更焦ったところでどうにもならない。
 玄関のたたきには靴があったので、この家の主は今ここに居るのかもしれない。こんな熊と遭遇しようものなら大変なことになることは容易に想像ができた。
 時間や日を改めようかとも考えたけれど、まあいいやと深く考えることは止めた。考えたところでどうにもならない気がしたから。
 それでも堂々とすることは憚られたので、息を潜めながら家の中へと進んでいった。
 心の中でお邪魔しますとは呟いておいた。
 玄関を入ってすぐ左手には洗面所が見えた。よく見るとお風呂場もそこにあることが見えた。電気はついてない。
 右手には部屋があった。ドアは開けっ放しだったので容易に中を覗き込むことができた。電気はついていないけれど、マンションの共用廊下に面したこの部屋の窓からその煌々とした明かりがきっと誰の許可もなく部屋を照らしている。
 そこには真新しい学習机と、傷の目立つ赤いランドセルがあった。
 本棚はがらんとしていて、教科書だけがパラパラとならんでいるくらいだった。
 この部屋はなんというか生きてない気がした。誰かの跡はちゃんとあるのに、どうにもしっくりとはこないのだ。
 赤いランドセルに、カーテンもベッドも、薄いピンクで統一されていてきっと小さな女の子の部屋なんだと思う。でも、女の子が居ないということだけではなく、本当にこの部屋は生きていない気がした。
 はっきりとした理由を表現することはできなかったし、その違和感を証明することもできなかったけれど、私は何かにひっかかり続けてる。

ーーバタンーー

 どこかの扉が閉まるような音が聞こえた。
 足音も聞こえる。
 奥の方からじわじわと大きくなる音。
 女の子の部屋の中に入って息を潜めた。侵入者と遭遇するだけでも大変なのに、その侵入者がこんな熊だとか驚くだけでは済まない気がする。
 足音が部屋の前で止まったかと思うと、洗面所の方に人影が消えていった。
 水音が聞こえてきた。どうやらお風呂を入れているようだ。足音はまた遠ざかっていった。
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