4期
「はい、どうぞ」
着席したセイランの前に、カトレアが淹れたてのホットコーヒーを差し出す。
「ありがとうございます」
セイランは会釈をすると、湯気の立ったコーヒーへ角砂糖を静かに落とした。
スプーンでかき混ぜ微糖となったコーヒーを啜り、冷えた体が内から温まっていく感覚に、ほっ、と安らぎの息を吐く。
「落ち着きました?」
「はい。先程は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
カップを手に持ちながら、セイランはルナへ小さく頭を下げ謝罪の言葉を述べた。
「よければ話してくれませんか?さっきの言葉……シャオメイを助けてほしいって、どういう意味ですか?」
「……少し長くなりますが、構いませんか?」
「はい」
ルナが頷くのを確認し、セイランは一連の騒動の全容を語り始めた。
3人は静かに話に耳を傾ける。
「──この計画を考えたのは奥様でした。奥様は、ご病体であるせいでお嬢様に母親らしい事を何もしてあげられない、といつも悔やまれておりました。だからせめて、お嬢様が苦しんでいる時は力になってあげたい、と……。その思いに私も共感しました」
そこで一旦言葉を止め、セイランは小さく溜息をついた。
「しかし、計画は破綻しました。お嬢様は甘く見ていたんです。レイズ・カンパニー社長、リン・フェイロン様の持つ絶対的権力を……」
「……?どういう事ですか?」
言葉の意味が分からず、ルナは小さく首を傾げる。
その疑問に答えるかの様に、今まで沈黙を守っていたカオルが不意に口を開いた。
「権力の及ぶ、あらゆるネットワークを使って、アイツの居場所を探り当てたのか」
「はい」
セイランは静かに頷いた。
ルナは依然として、いまいち理解出来ていない様で、カオルに更なる解説を求める表情を向けた。
「今のは比喩でも何でもない。言葉通りに捉えればいい。宇宙船の乗客リスト、携帯電話の発着信履歴……アイツが関わりそうな情報全てを権力一つで収集した、という事だ」
「え……!?いや、でも……だってそれって……そんな事出来るはずが……」
事情を理解したルナは動揺を隠せない。
もし、カオルの言葉が事実だとしたら、それは間違いなく犯罪と呼べる行為である。
ルナは「ありえない」と否定するが、カオルは反論を述べる。
「出来るんだよ。ルナも知ってるはずだ。ハワードが工事現場で火災を起こした時、結果どうなった?」
ルナは思い出しハッとした。
死人が出てもおかしくなかったあの火災事件は、単なる火事として処理され、捜査は打ち止めとなった。
そう、ハワードの不祥事を、父であるハワード財閥の社長が揉み消したのである。
「ルナ、よく覚えておけ。この宇宙では、ハワード財閥とレイズ・カンパニーが実権を二分していると言っていい。例え連邦議員だろうが警察だろうが、誰も逆らう事など出来ない。俺達が生きてるのは、そういう世界なんだよ」
カオルの言葉を聞き、ルナは思い知った。
無限に広がる宇宙で、自分達は何て閉塞的な世界に生きているのだろう、と。
権力や財産など無くたって人は生きていけるのに。
サヴァイヴでの生活で、自分達はそれを実証出来たというのに。
それらを奪い合って、戦争が起こり、自然は破壊され、結果一つの惑星を瀕死状態にまで追い込んだ。
例えどんなに宇宙開発が発展しようとも、人の心が進化しなければ、今度は宇宙全体を滅ぼす事にだってなりかねない。
自分らが生きるこの世界の闇を知り、ルナは息がつまる様な心苦しさを感じるのであった。
「話を戻しましょう」と前置きし、セイランは話を再開した。
「しかし、私達も最悪の事態を想定していなかった訳ではありませんでした。万が一、お嬢様の居所が割れてしまった場合の対処法も考えてはいました」
「……アイツの家出に共謀した人物の特定。そして、そいつを人質に脅迫……といった所か。協力者はアイツの母親とお前。母親を人質に、というのは現実的じゃない。そうなると矛先は必然的にお前に向くだろうな」
カオルの推理を聞き、セイランは目を丸くし、感心した表情を向けた。
「……驚きました。正にその通りです。だからこそ私はお嬢様に、もしもの時は私を切り捨てる様に進言しました」
「切り捨て……って、そんな!?」
「お嬢様も始めは反対されましたが、私の覚悟……信念とでも言いましょうか、それを知って腹を括ってくださいました。これで、お嬢様の進む道の障害となるものは何も無くなる……そう思っていました」
そこで話を止め、セイランは小さく溜息をついた。
「でも、そうはならなかった……?」
ルナの言葉にセイランは頷く。
その一瞬、セイランが苦悶に満ちた表情を浮かべたのをルナは見逃さなかった。
「……何があったんですか?」
「それは……」
先程と違い、言葉の歯切れが悪い。
とても言いづらそうに見える。
「……そういう事なのか?」
ふとカオルがそうセイランへ問い掛ける。
セイランも、カオルが事情を察したと理解したのか、無言で小さく頷いてみせた。
その途端、カオルから深い溜息が洩れる。
「全く……こういう時に限って、悪い予想というのはよく当たる」
「カオル……?」
自嘲気味に呟くカオルに、ルナは首を傾げ尋ねる。
「前に俺が言ったのを覚えてるか?今回の件、もしかしたら俺達の手には負えないかもしれない、と」
「ええ。覚えてるわ」
「その憶測が当たってしまったって事だ。出来れば思い過ごしで済ませて欲しかった、最悪のケースがな……」
カオルの物言いにルナは喉をゴクリと鳴らした。
そして覚悟を決め、カオルへ問い掛ける。
「最悪のケースって……なに?」
「………」
カオルは珍しく少し逡巡しながらも、ルナの覚悟を受け入れ口を開き真実を告げた。
その衝撃的事実に、ルナは絶句した。
「シャオ……メイ……」
その時のシャオメイは、どれほど辛かっただろう。
どれほど苦しんだだろう。
シャオメイが受けた絶望感を思うだけでもルナは胸が張り裂けそうになった。
翌日の放課後、カオルはメノリとシャアラから「話がある」と呼び止められた。
あまり周りには聞かれたくない内容なのか、教室ではなく展望フロアへと場所を移す事を提案され、カオルもそれに従った。
話はメノリから切り出された。
「ルナは何かあったのか?」
「……お前の目にはどう見えた?」
「どうって……別に根拠がある訳ではないのだが、何となく元気がない様に見えたというか……」
「私もそう思う!ルナ、無理してる時ほど私達に笑顔を向けるの。だから分かるの。今日のルナ、何か悩みを抱えてるんじゃないかって。 だから、何か知ってる事があるなら教えて?ルナの力になりたいの! 」
メノリに同調し、シャアラは悲しげな顔でカオルに訴えかける。
「待て、何故俺が事情を知ってると思うんだ?」
「女の勘よ!」
恐ろしく抽象的根拠をはっきりと言うシャアラに唖然とするも、その『女の勘』とやらもなかなか侮れない。
事実ルナは、とある悩みを抱えているし、カオルもその原因を知っている。
別に隠す事ではないが、それを教える前に、一言前置きを据えた。
「話してもいいが、聞くからには相応の覚悟を持て。それが無理そうなら止めておけ」
「……どういうこと?」
意味が分からず、シャアラは首を傾げる。
「お前達の感じているルナの悩みは、それだけの重みがある、という事だ。それを受け止める覚悟はあるか?」
カオルの目は真剣だった。
それが冗談や脅しなどではない事を物語っている。
一瞬、2人は怖じ気づくも、ルナの助けになりたい、と覚悟を決め、コクリと強く頷いた。
「わかった」
2人の意志を確認し、カオルも小さく頷き返した。
と、視線が2人から外れ、扉へと移る。
「お前達も同じ気持ちと考えていいのか?」
カオルの不可解な行動に2人は首を傾げるも、その理由はすぐに分かる事となる。
カオルの呼び掛けに観念したのか、扉からゾロゾロと男子陣が姿を現したのだ。
「……何をやってるんだ、お前達は?」
メノリが呆れた様に、ハワード達を睨んだ。
「い、いやぁ、だって気になるじゃないか。僕達だってルナの様子が変だって気づいてたんだぜ?」
「そうそう!」
ハワードの言葉にシンゴも同意する。
「分かった。なら改めて確認するが、本当にいいんだな?」
カオルの眼光にハワード達は思わず怯むが、気を持ち直し、強く頷いて意思表示をした。
全員の覚悟を見て、カオルはわずかに口元を上げて微笑む。
しかし、すぐにいつもの無愛想な表情へと戻り、昨日起きた事を話し始めた。
カオルの口から淡々と語られる内容を、仲間達は静かに聞いていた。
一区切り付いた所で、ベルがポツリと呟く。
「まさかシャオメイにそんな事情があったなんて……」
「周りも家出に協力するくらいだから、シャオメイのお父さんって、本当にとんでもない人なんだね」
シンゴも妙に納得した様子で、シャオメイが父を嫌う理由を把握した。
「で、そのシャオメイが従わざるを得なくなった、最悪のケースっていうのは一体何なんだよ?」
ハワードが早く言え、と先を急かす。
と、メノリが何か思い至ったのか、次第に顔が蒼白になっていく。
「いや、待て……まさか……」
「何だよメノリ?何を狼狽えてるんだ?」
メノリの様子に、ハワードが怪訝な表情を向ける。
カオルは、メノリが真実にたどり着いたと確信し、話しかけた。
「その様子だとメノリは分かったようだな」
「だ、だが……バカな……本当に……?」
「ああ、事実だ」
「こんな……っ!こんなバカげた事が許されると思うのかっ!!」
突然の怒号。
メノリが何故怒っているのか分からず、仲間達はただ戸惑うばかりだ。
「お、おい!何なんだよ!?2人だけで分かった気になってないで、早く教えろよ!」
ハワードの催促に、カオルは少し間を置き、やがて低い声で真実を告げた。
「脅迫したのさ。人質を使ってな」
「は……?セイランって奴をか?それはさっき失敗したって……」
「違う。セイランじゃない」
「じゃあ誰だよ?」
「…………私達だ」
カオルが伝えるよりも先に、メノリが答えを口に出す。
その表情は、怒りと苦渋の入り交じり、ぐっと奥歯を噛み締めていた。
「は?僕達?何言ってるんだよメノリ。そんな訳……」
「正確にはソリア学園を、だ……」
「え……どういうこと?ソリア学園を人質にって……学園の理事長はハワードのお父さんなんだから、人質にとるなんて無理なんじゃ……」
先の読めない事態に、シャアラは不安を隠せない。
「では聞くが、私達の学費は誰が払っている?」
「学費?それは……特待生を除けば普通は親が払ってくれるよね?」
「そうだ。ならばその親の職場がもしレイズ・カンパニーの傘下なら?もし解雇にされたら学費はどうやって払う?今後の生活はどうする?」
ハワード達は絶句した。
メノリの言葉通りの感情が沸き起こる。
こんなバカげた事が許されるはずがない。
しかし、それを平然とやってのける理不尽なまでの絶対的権力を、相手は持っているのである。
話の続きをカオルが引き継ぐ。
「ロカA2にもレイズ・カンパニーの傘下となる企業の支店が多々設立されている。ソリア学園の中にもレイズ・カンパニーの傘下の企業で働く親を持つ生徒は沢山いるだろう」
「わ、私のお父さんもレイズ・カンパニーの子会社で働いてるわ……」
「僕のお父さんも……」
カオルの話を聞き、シャアラとシンゴが名乗り出る。
「ちょ、ちょっと待って!じゃ、じゃあ……シャオメイがお父さんに従ってロカA2を去ったのは……俺達を守るため……?」
ベルの導き出した答えに、カオルは静かに頷いた。
「ま、待てよ!そんな事……パパが見過ごすはずが……」
「リン・フェイロンが行うのはあくまで自社の社員の解雇だ。いくらハワード財閥の社長と言えども、他社の雇用問題に口出しする筋合いなどない」
「じゃ、じゃあ……レイズ・カンパニーの陰謀をパパに前もって伝えれば、何か対策を考えてくれるかも……」
「無駄だ。証拠がないし、相手も知らばくれるだろう。事実、今はこっちには何の被害も出ていない訳だから、下手に動いて不利になるのはお前の父親の方だぞ 」
「………」
カオルの言葉を最後に、誰も何も話そうとはしなかった。
いや、正確にはあまりに衝撃的な事実に、返す言葉がないのだ。
しばらくの沈黙の後、ふとベルが口を開く。
「あ、あのさ?シャオメイの事は分かったけど、一体ルナは何を悩んでるんだい?」
「……そうだな。話を続けよう」
カオルが見せた少しの間が、不安な気持ちを煽る。
たまらずハワードが声をあげる。
「な、何だよ!?これ以上まだ何かあるのかよ!?」
「これ以上聞きたくない、と言うならそれでも構わない。強制はしないが……どうする?」
皆の前に選択肢を提示するカオル。
しかし仲間達は誰一人としてその場から動かない。
聞く、という事の意思表示であろう。
「ハワード、いいのか?」
「~っ!聞くよ!僕だけ何も知らないでいるのは嫌だ!」
「……わかった」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「ちょっと待って」
不意に、今までじっと話に耳を傾けていたカトレアが口を挟む。
「何でしょう?」
「さっきカオル君から大体の事情を聞いたけど、あなた……ルナちゃんに助けを求めたんですってね?」
「はい」
「まさか、ルナちゃんを『ジオC8』へ連れてくつもり?」
そこには真剣な表情をしたカトレアがいた。
いつもと違う雰囲気にルナは戸惑いを隠せない。
セイランはカトレアの問いに答えなかった。
沈黙は是なり、と捉え、カトレアは話を続ける。
「やっぱりそうなのね……。悪いけど、ルナちゃんを連れていかせる訳にはいかないわ」
「!!」
セイランの顔が途端に険しくなる。
「シャオちゃんがとってもいい子だって事は知ってる。力になってあげたいって気持ちも正直あるわ。それでも『ジオC8』へ行く、となると話は別よ」
カトレアがこれ程までに拒否的となる、『ジオC8』という得体の知れないコロニーに対し、ルナは一抹の不安を抱いた。
隣に立つ、博識な彼ならば何か知っているかもしれない、とカオルへ話しかける。
「カオル……ジオC8って、一体何なの?」
「……海王星を公転する衛星に設施されたコロニーで、宇宙工学の最先端技術を研究する施設や工場、宇宙航空技術の学校が集約され、宇宙最高峰の学術都市と云われている。そして……そのコロニーに本社を置き、統括しているのがレイズ・カンパニーだ」
「宇宙科学が凄く発展したコロニーだって事は分かったけど、一体何が問題なの?ロカA2も似たようなものじゃ……」
「いや、全く違う。統治体制が根本的にな」
「統治体制……?」
「ジオC8は徹底した権威主義だ。弱者は強者に虐げられる弱肉強食の社会……その頂点に君臨するリン・フェイロンは絶対的な存在なんだ。独裁国家の暴君とも影では言われている。つまりセイランがやろうとしている事は、その絶対者に対する反逆行為に他ならない。それに加担すればどうなるか、想像はつくだろう?」
カオルの言葉に脅威を感じ、ルナはゴクリと喉を鳴らした。
「つまりはそういう事よ。危険と分かってる場所に連れて行くと知って、はいそうですか、って簡単に同意出来ると思う?ルナちゃんに反逆の片棒を担がせようとしているのなら、到底認める事なんて出来ないわ」
カトレアの言葉に何も言い返せず、セイランは沈黙し俯いた。
「……お騒がせしました」
そう一言添えてお辞儀をすると、ゆっくりと立ち上がり、入り口へと歩き出した。
「え!?セ、セイランさん!?どこへ行くんですか!?」
「……ジオC8へ戻ります。カトレアさんの仰る通りです。お嬢様の事ばかり考えて、ルナさんへ及ぶ危険の事などまるで考えていませんでした。……軽率でした」
扉を開け、カラン、と鈴が音を立てる。
外の冷たい空気が店内へ入り込んでくる。
「待て」
ふと、カオルがセイランを呼び止める。
「1つ、答えろ」
「……何でしょう?」
セイランがちらっとカオルへ視線を向ける。
「何故、ルナなんだ?」
他にも頼るべき人物は沢山いただろうに、セイランが選んだのは、遠い星に住む、中学生の少女であった。
ルナでなければならなかった理由が、カオルにはどうしても分からなかった。
「……お嬢様は、ソリア学園に通っていた時、毎日の様にその日あった事を報告してくださいました。ある日、お嬢様が仰っていたんです。今でもはっきりと覚えています……」
『ねぇ、聞いてセイラン。ルナがね、私の事を仲間 って言ってくれたんだ。何だか不思議なの。言われた時、心が温かくなって……少し恥ずかしかったけど、でも凄く嬉しくて……変かもしれないけど、こういうのを本当の友達っていうのかな?とか、そんな事思っちゃったりしてさ……。ゴメン、自分でもよく分からないの。でも私……ソリア学園に転校して良かった……!ルナ達に会えて良かった……!今なら心からそう思えるの!』
店内がシンと静まり返る。
セイランは続けて唇を動かし始めた。
「お嬢様には、ご友人と呼べる方はいませんでした。周囲は皆、レイズ・カンパニーの御令嬢として接しますからね。尊敬の目を向けはしても、対等に接しようとはしません。……しかし、あなた方は違いました。それがお嬢様にとって居心地の良いものだったようです。……ですから、ルナさんの話を伺った時、確信したんです。お嬢様にはそういった存在が必要なのだと」
そこまで話すと、セイランはその場にいる3人の顔を見つめ、小さく頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました……。失礼します」
そして、もう一度謝罪の言葉を述べ、静かに扉の向こうへと消えていった。
扉が閉まる刹那、わずかに見えたセイランの落胆した表情が、ルナの衝動を刺激する。
ルナは駆け出し、セイランの後を追った。
「セイランさん!」
背中から声を掛けられ、セイランが振り返る。
暗くて表情は見えにくいが、ルナには泣いている様に見えた。
「少しだけ……私に考える時間をくれませんか?」
「え……?」
「ちゃんと家族にも話して、その上で結論を出させてください」
ルナの真剣な表情を見つめ、セイランが暗闇の中で小さく微笑む。
「……ありがとうございます。お嬢様が、あなたの事を話題にあげる理由が何となく分かる様な気がします」
そう答え、セイランはジャケットのポケットからメモ帳を取り出すと、何かを記入し、その一枚をちぎってルナへと渡した。
「私はあと2日だけならこちらに滞在できます。それ以上は旦那様に疑われてしまうので。結論が出ましたら、こちらに連絡を」
「わかりました」
セイランから番号が記入された紙切れを受け取り、ルナは力強く頷いた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
夕暮れのメインストリート、ハワードとベルは並んで帰路についていた。
カオルの話が、ずっと2人の思考を支配し続け、お互い会話をする訳でも無く、無言で動く歩道に揺られていた。
「……なぁ、ベル。ルナはどうするつもりだと思う?」
ぽつりとハワードが問いかける。
「たぶん、行くと思う」
「……だよなぁ」
即答するベルの答えが自分の考えと一致し、ハワードは深い溜息をついた。
大切なものを守る為ならば、例え危険な目に遭おうとも、行動に出る。
周りが止めたとしても、聞きはしないだろう。
そして、他人は巻き込めないと言って、全てを1人で背負おうとする。
それがルナという人間なのだ。
「ベルは……どうするつもりなんだ?」
「……気持ちとしては、ルナの力になりたい。だけど……俺がジオC8に行くって言ったら、父さんや母さんは反対すると思う」
「……だよなぁ」
ハワードの場合は特に深刻である。
自分の身の振り次第では、関係悪化に結び付き、ハワード財閥の不利益にもなりかねない。
ハワードと言えども、自分の立場というものは重々承知していた。
「漂流して、パパにもママにもいっぱい心配かけちゃったから、もう心配はかけさせたくないんだ……」
「分かってるよ。だから、一緒に行けなくたって、誰も責めはしないよ」
『誰も責めない』
本来であれば安心できる言葉であるはすなのに、不思議と違和感を覚えた。
(誰も責めない……確かにそうだけど……本当にそれでいいのか……?)
帰宅し、夕食と入浴を済ませたシャアラは、自室戻るなりベッドへ横になり、携帯でとある人物へと電話をかけた。
『もしもし』
「あ、メノリ?今、大丈夫?」
『ああ。ちょうど部屋でゆっくりしている所だ。どうかしたのか?』
「うん……あのね……」
なかなか話を切り出さないシャアラの様子を見て、事情を察したメノリは先に声を掛けた。
『シャオメイと……ルナの事か?』
「うん……」
シャアラが小さく頷く。
『難しい問題だな。場所がジオC8であるだけにな。私達個人の独断で決められる事ではないだろう』
「うん……お父さんもお母さんも、多分反対すると思うわ」
自分の発言に落胆したのか、シャアラが深い溜息をつく。
「……ねぇ、メノリ」
『ん?』
「カオルは、ルナと一緒にジオC8に行くと思う?」
全ての事情をルナと共に聞き、自分達に説明をしていたカオルは、どのように考えているのだろうか?
その心境は当の本人以外には分かりかねるものではあるが、彼の取る行動は不思議と想像できた。
『分からないが……カオルは行く様な気がする』
「メノリもそう思う?」
『ああ。ルナとカオル、あの2人は自分を持っているからな。自分がどうしたいか、をよく考えた上で行動している節がある』
「自分がどうしたいか、か……」
メノリの言葉を反復する様にシャアラは呟く。
『シャアラはどうしたいんだ?』
今一度、自分の胸に聞いてみる。
「私は……」
約束の日の朝、ルナはチャコと共に宇宙港へ来ていた。
父から譲り受けたリュックを背負い、待ち合わせの場所へと向かうルナをチャコが見上げる。
「ルナ」
「ん?」
「ホンマに、みんなに何も言わんでええんか?」
その問いに、ルナは少し寂しげな笑みを浮かべた。
「……うん。これは私のワガママだから。みんなを巻き込めない。みんなを危険な目に逢わせる訳にはいかない」
「……さよか」
ルナの返答にチャコは小さく溜息つき、それ以上追及する事は無かった。
待ち合わせの改札前にセイランの姿を見つけ、ルナは駆け寄った。
「セイランさん!」
手を振って近づいてくるルナに、セイランは深い感謝の意を含めたお辞儀をする。
「お嬢様の為に……ありがとうございます!」
「頭を上げてください。私は私のやりたい様に行動しているだけですから」
「ルナさん……」
「考えなしにな」
せっかく良いの言葉を台無しにする、チャコの余計な一言。
「ちょっと、チャコ!」
顔を赤くして文句を言うルナを無視し、チャコはセイランを見上げた。
「アンタがセイランやな?ウチはチャコ、ルナのお目付け役や。よろしゅう頼むわ」
「初めまして。お話には伺っております。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
「おう、任しとき!」
力こぶを作るように腕を曲げ、チャコはにっと笑ってみせた。
「それでは、出発しましょう」
「はい!」
「あ、もうちょい待ってくれんか?」
「チャコ……?」
改札を通ろうとした所を引き留められ、ルナはキョロキョロと辺りを見回すチャコを不思議そうに見下ろした。
「お、来た来た!」
「え……?」
チャコの視線の先をゆっくりと追っていく。
そこには……
「もう!ハワード、急ぎなよ!」
「もっと早く走れ馬鹿者!置いてくぞ!」
「待てって!荷物が重くて大変なんだよ!」
「ベルが半分持ってくれてるじゃない。そもそもどうしてそんなに荷物いっぱいあるの?」
「とにかく急がなきゃいけないから、もう少し荷物持つよ!」
「甘やかすなベル、自業自得だ」
「それに遅刻したのもハワードが荷造りにモタモタしてるからだし。乗り遅れたらどうしてくれるのさ!?」
「口ばかり動かしてないで足を動かせ」
こちらに向かって駆け寄ってくる仲間達の姿。
ルナは驚きでその場に立ち呆けた。
「ルナ~!」
「よかった、間に合った!」
「ど……どうしてみんながここに……?」
「カオルからシャオメイの事情を聞いたんだ。それで俺達も力になりたいって思ってね」
いまだ動揺しているルナに、ベルがいつもの笑顔で説明する。
「カオルが……?でもカオル、反対してたんじゃ……?」
「反対したのはカトレアだ。俺は何も言っていない」
「だ、だけど危険だって……」
「言ったがそれがどうした?危険だから俺達には内緒で行こうと考えていたのか?」
図星を突かれ、言い返す事が出来ない。
「そんな事だろうと思ったから、チャコに情報を教えてもらっていたんだ」
「え!?」
更なる衝撃の事実。
チャコとカオルが通じていたという事を知り、思わず足元のチャコを見下ろす。
「ウチは何度も言うたはずや。『みんなに言わんでええんか?』てな」
「だってそれは……」
「ルナ」
言い訳を遮る様に、カオルがルナを呼ぶ。
「俺達は全てを知った上で、自分の意志でここへ来たんだ。だから1人で背負い込もうとするな」
「!!」
「シャオメイを助けたいと思っているのは私達も同じなんだ。その手助けを私達にもさせてくれ」
メノリに同意し皆が力強く頷く。
仲間達の思いを知り、ルナは胸が熱くなった。
「うん……!」
同様に力強く頷き、顔をセイランへと向ける。
「セイランさん。シャオメイの所までの案内をよろしくお願いします!」
「え……?み、皆さん来てくださるんですか……?」
目の前に立っているのは、かつて全宇宙を沸かせた『奇跡の生還者達』総出である。
驚きと戸惑いを隠せず、セイランの目が大きく見開かれる。
「当然だよ!自分を切り捨ててまで、僕達を……ソリア学園を守ってくれた最後の仲間を迎えに行かなきゃ」
「仲間……」
セイランの脳裏に、シャオメイから聞いたフレーズが甦る。
「そうですよ。シャオメイは私達の大切な仲間です。だから……必ず助けます!」
シャオメイの為に動いてくれる彼らの意志に感激し、セイランは深く、深く頭を下げた。
「ありがとう……ございます!!このご恩は一生涯忘れません!!」
「礼を言うのは全てが無事に片付いてからだ」
「はい……!!」
淡々としたカオルの言葉に、セイランは頷き顔を上げた。
「じゃあ、行きましょ!」
一行はジオC8を目指す。
目的はシャオメイの奪還。
暴君、リン・フェイロンとの衝突は避けられない。
『奇跡の生還者達』の負けられない戦いが幕を開く。
着席したセイランの前に、カトレアが淹れたてのホットコーヒーを差し出す。
「ありがとうございます」
セイランは会釈をすると、湯気の立ったコーヒーへ角砂糖を静かに落とした。
スプーンでかき混ぜ微糖となったコーヒーを啜り、冷えた体が内から温まっていく感覚に、ほっ、と安らぎの息を吐く。
「落ち着きました?」
「はい。先程は取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
カップを手に持ちながら、セイランはルナへ小さく頭を下げ謝罪の言葉を述べた。
「よければ話してくれませんか?さっきの言葉……シャオメイを助けてほしいって、どういう意味ですか?」
「……少し長くなりますが、構いませんか?」
「はい」
ルナが頷くのを確認し、セイランは一連の騒動の全容を語り始めた。
3人は静かに話に耳を傾ける。
「──この計画を考えたのは奥様でした。奥様は、ご病体であるせいでお嬢様に母親らしい事を何もしてあげられない、といつも悔やまれておりました。だからせめて、お嬢様が苦しんでいる時は力になってあげたい、と……。その思いに私も共感しました」
そこで一旦言葉を止め、セイランは小さく溜息をついた。
「しかし、計画は破綻しました。お嬢様は甘く見ていたんです。レイズ・カンパニー社長、リン・フェイロン様の持つ絶対的権力を……」
「……?どういう事ですか?」
言葉の意味が分からず、ルナは小さく首を傾げる。
その疑問に答えるかの様に、今まで沈黙を守っていたカオルが不意に口を開いた。
「権力の及ぶ、あらゆるネットワークを使って、アイツの居場所を探り当てたのか」
「はい」
セイランは静かに頷いた。
ルナは依然として、いまいち理解出来ていない様で、カオルに更なる解説を求める表情を向けた。
「今のは比喩でも何でもない。言葉通りに捉えればいい。宇宙船の乗客リスト、携帯電話の発着信履歴……アイツが関わりそうな情報全てを権力一つで収集した、という事だ」
「え……!?いや、でも……だってそれって……そんな事出来るはずが……」
事情を理解したルナは動揺を隠せない。
もし、カオルの言葉が事実だとしたら、それは間違いなく犯罪と呼べる行為である。
ルナは「ありえない」と否定するが、カオルは反論を述べる。
「出来るんだよ。ルナも知ってるはずだ。ハワードが工事現場で火災を起こした時、結果どうなった?」
ルナは思い出しハッとした。
死人が出てもおかしくなかったあの火災事件は、単なる火事として処理され、捜査は打ち止めとなった。
そう、ハワードの不祥事を、父であるハワード財閥の社長が揉み消したのである。
「ルナ、よく覚えておけ。この宇宙では、ハワード財閥とレイズ・カンパニーが実権を二分していると言っていい。例え連邦議員だろうが警察だろうが、誰も逆らう事など出来ない。俺達が生きてるのは、そういう世界なんだよ」
カオルの言葉を聞き、ルナは思い知った。
無限に広がる宇宙で、自分達は何て閉塞的な世界に生きているのだろう、と。
権力や財産など無くたって人は生きていけるのに。
サヴァイヴでの生活で、自分達はそれを実証出来たというのに。
それらを奪い合って、戦争が起こり、自然は破壊され、結果一つの惑星を瀕死状態にまで追い込んだ。
例えどんなに宇宙開発が発展しようとも、人の心が進化しなければ、今度は宇宙全体を滅ぼす事にだってなりかねない。
自分らが生きるこの世界の闇を知り、ルナは息がつまる様な心苦しさを感じるのであった。
第 6 話 『カゴの鳥②』
「話を戻しましょう」と前置きし、セイランは話を再開した。
「しかし、私達も最悪の事態を想定していなかった訳ではありませんでした。万が一、お嬢様の居所が割れてしまった場合の対処法も考えてはいました」
「……アイツの家出に共謀した人物の特定。そして、そいつを人質に脅迫……といった所か。協力者はアイツの母親とお前。母親を人質に、というのは現実的じゃない。そうなると矛先は必然的にお前に向くだろうな」
カオルの推理を聞き、セイランは目を丸くし、感心した表情を向けた。
「……驚きました。正にその通りです。だからこそ私はお嬢様に、もしもの時は私を切り捨てる様に進言しました」
「切り捨て……って、そんな!?」
「お嬢様も始めは反対されましたが、私の覚悟……信念とでも言いましょうか、それを知って腹を括ってくださいました。これで、お嬢様の進む道の障害となるものは何も無くなる……そう思っていました」
そこで話を止め、セイランは小さく溜息をついた。
「でも、そうはならなかった……?」
ルナの言葉にセイランは頷く。
その一瞬、セイランが苦悶に満ちた表情を浮かべたのをルナは見逃さなかった。
「……何があったんですか?」
「それは……」
先程と違い、言葉の歯切れが悪い。
とても言いづらそうに見える。
「……そういう事なのか?」
ふとカオルがそうセイランへ問い掛ける。
セイランも、カオルが事情を察したと理解したのか、無言で小さく頷いてみせた。
その途端、カオルから深い溜息が洩れる。
「全く……こういう時に限って、悪い予想というのはよく当たる」
「カオル……?」
自嘲気味に呟くカオルに、ルナは首を傾げ尋ねる。
「前に俺が言ったのを覚えてるか?今回の件、もしかしたら俺達の手には負えないかもしれない、と」
「ええ。覚えてるわ」
「その憶測が当たってしまったって事だ。出来れば思い過ごしで済ませて欲しかった、最悪のケースがな……」
カオルの物言いにルナは喉をゴクリと鳴らした。
そして覚悟を決め、カオルへ問い掛ける。
「最悪のケースって……なに?」
「………」
カオルは珍しく少し逡巡しながらも、ルナの覚悟を受け入れ口を開き真実を告げた。
その衝撃的事実に、ルナは絶句した。
「シャオ……メイ……」
その時のシャオメイは、どれほど辛かっただろう。
どれほど苦しんだだろう。
シャオメイが受けた絶望感を思うだけでもルナは胸が張り裂けそうになった。
翌日の放課後、カオルはメノリとシャアラから「話がある」と呼び止められた。
あまり周りには聞かれたくない内容なのか、教室ではなく展望フロアへと場所を移す事を提案され、カオルもそれに従った。
話はメノリから切り出された。
「ルナは何かあったのか?」
「……お前の目にはどう見えた?」
「どうって……別に根拠がある訳ではないのだが、何となく元気がない様に見えたというか……」
「私もそう思う!ルナ、無理してる時ほど私達に笑顔を向けるの。だから分かるの。今日のルナ、何か悩みを抱えてるんじゃないかって。 だから、何か知ってる事があるなら教えて?ルナの力になりたいの! 」
メノリに同調し、シャアラは悲しげな顔でカオルに訴えかける。
「待て、何故俺が事情を知ってると思うんだ?」
「女の勘よ!」
恐ろしく抽象的根拠をはっきりと言うシャアラに唖然とするも、その『女の勘』とやらもなかなか侮れない。
事実ルナは、とある悩みを抱えているし、カオルもその原因を知っている。
別に隠す事ではないが、それを教える前に、一言前置きを据えた。
「話してもいいが、聞くからには相応の覚悟を持て。それが無理そうなら止めておけ」
「……どういうこと?」
意味が分からず、シャアラは首を傾げる。
「お前達の感じているルナの悩みは、それだけの重みがある、という事だ。それを受け止める覚悟はあるか?」
カオルの目は真剣だった。
それが冗談や脅しなどではない事を物語っている。
一瞬、2人は怖じ気づくも、ルナの助けになりたい、と覚悟を決め、コクリと強く頷いた。
「わかった」
2人の意志を確認し、カオルも小さく頷き返した。
と、視線が2人から外れ、扉へと移る。
「お前達も同じ気持ちと考えていいのか?」
カオルの不可解な行動に2人は首を傾げるも、その理由はすぐに分かる事となる。
カオルの呼び掛けに観念したのか、扉からゾロゾロと男子陣が姿を現したのだ。
「……何をやってるんだ、お前達は?」
メノリが呆れた様に、ハワード達を睨んだ。
「い、いやぁ、だって気になるじゃないか。僕達だってルナの様子が変だって気づいてたんだぜ?」
「そうそう!」
ハワードの言葉にシンゴも同意する。
「分かった。なら改めて確認するが、本当にいいんだな?」
カオルの眼光にハワード達は思わず怯むが、気を持ち直し、強く頷いて意思表示をした。
全員の覚悟を見て、カオルはわずかに口元を上げて微笑む。
しかし、すぐにいつもの無愛想な表情へと戻り、昨日起きた事を話し始めた。
カオルの口から淡々と語られる内容を、仲間達は静かに聞いていた。
一区切り付いた所で、ベルがポツリと呟く。
「まさかシャオメイにそんな事情があったなんて……」
「周りも家出に協力するくらいだから、シャオメイのお父さんって、本当にとんでもない人なんだね」
シンゴも妙に納得した様子で、シャオメイが父を嫌う理由を把握した。
「で、そのシャオメイが従わざるを得なくなった、最悪のケースっていうのは一体何なんだよ?」
ハワードが早く言え、と先を急かす。
と、メノリが何か思い至ったのか、次第に顔が蒼白になっていく。
「いや、待て……まさか……」
「何だよメノリ?何を狼狽えてるんだ?」
メノリの様子に、ハワードが怪訝な表情を向ける。
カオルは、メノリが真実にたどり着いたと確信し、話しかけた。
「その様子だとメノリは分かったようだな」
「だ、だが……バカな……本当に……?」
「ああ、事実だ」
「こんな……っ!こんなバカげた事が許されると思うのかっ!!」
突然の怒号。
メノリが何故怒っているのか分からず、仲間達はただ戸惑うばかりだ。
「お、おい!何なんだよ!?2人だけで分かった気になってないで、早く教えろよ!」
ハワードの催促に、カオルは少し間を置き、やがて低い声で真実を告げた。
「脅迫したのさ。人質を使ってな」
「は……?セイランって奴をか?それはさっき失敗したって……」
「違う。セイランじゃない」
「じゃあ誰だよ?」
「…………私達だ」
カオルが伝えるよりも先に、メノリが答えを口に出す。
その表情は、怒りと苦渋の入り交じり、ぐっと奥歯を噛み締めていた。
「は?僕達?何言ってるんだよメノリ。そんな訳……」
「正確にはソリア学園を、だ……」
「え……どういうこと?ソリア学園を人質にって……学園の理事長はハワードのお父さんなんだから、人質にとるなんて無理なんじゃ……」
先の読めない事態に、シャアラは不安を隠せない。
「では聞くが、私達の学費は誰が払っている?」
「学費?それは……特待生を除けば普通は親が払ってくれるよね?」
「そうだ。ならばその親の職場がもしレイズ・カンパニーの傘下なら?もし解雇にされたら学費はどうやって払う?今後の生活はどうする?」
ハワード達は絶句した。
メノリの言葉通りの感情が沸き起こる。
こんなバカげた事が許されるはずがない。
しかし、それを平然とやってのける理不尽なまでの絶対的権力を、相手は持っているのである。
話の続きをカオルが引き継ぐ。
「ロカA2にもレイズ・カンパニーの傘下となる企業の支店が多々設立されている。ソリア学園の中にもレイズ・カンパニーの傘下の企業で働く親を持つ生徒は沢山いるだろう」
「わ、私のお父さんもレイズ・カンパニーの子会社で働いてるわ……」
「僕のお父さんも……」
カオルの話を聞き、シャアラとシンゴが名乗り出る。
「ちょ、ちょっと待って!じゃ、じゃあ……シャオメイがお父さんに従ってロカA2を去ったのは……俺達を守るため……?」
ベルの導き出した答えに、カオルは静かに頷いた。
「ま、待てよ!そんな事……パパが見過ごすはずが……」
「リン・フェイロンが行うのはあくまで自社の社員の解雇だ。いくらハワード財閥の社長と言えども、他社の雇用問題に口出しする筋合いなどない」
「じゃ、じゃあ……レイズ・カンパニーの陰謀をパパに前もって伝えれば、何か対策を考えてくれるかも……」
「無駄だ。証拠がないし、相手も知らばくれるだろう。事実、今はこっちには何の被害も出ていない訳だから、下手に動いて不利になるのはお前の父親の方だぞ 」
「………」
カオルの言葉を最後に、誰も何も話そうとはしなかった。
いや、正確にはあまりに衝撃的な事実に、返す言葉がないのだ。
しばらくの沈黙の後、ふとベルが口を開く。
「あ、あのさ?シャオメイの事は分かったけど、一体ルナは何を悩んでるんだい?」
「……そうだな。話を続けよう」
カオルが見せた少しの間が、不安な気持ちを煽る。
たまらずハワードが声をあげる。
「な、何だよ!?これ以上まだ何かあるのかよ!?」
「これ以上聞きたくない、と言うならそれでも構わない。強制はしないが……どうする?」
皆の前に選択肢を提示するカオル。
しかし仲間達は誰一人としてその場から動かない。
聞く、という事の意思表示であろう。
「ハワード、いいのか?」
「~っ!聞くよ!僕だけ何も知らないでいるのは嫌だ!」
「……わかった」
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「ちょっと待って」
不意に、今までじっと話に耳を傾けていたカトレアが口を挟む。
「何でしょう?」
「さっきカオル君から大体の事情を聞いたけど、あなた……ルナちゃんに助けを求めたんですってね?」
「はい」
「まさか、ルナちゃんを『ジオC8』へ連れてくつもり?」
そこには真剣な表情をしたカトレアがいた。
いつもと違う雰囲気にルナは戸惑いを隠せない。
セイランはカトレアの問いに答えなかった。
沈黙は是なり、と捉え、カトレアは話を続ける。
「やっぱりそうなのね……。悪いけど、ルナちゃんを連れていかせる訳にはいかないわ」
「!!」
セイランの顔が途端に険しくなる。
「シャオちゃんがとってもいい子だって事は知ってる。力になってあげたいって気持ちも正直あるわ。それでも『ジオC8』へ行く、となると話は別よ」
カトレアがこれ程までに拒否的となる、『ジオC8』という得体の知れないコロニーに対し、ルナは一抹の不安を抱いた。
隣に立つ、博識な彼ならば何か知っているかもしれない、とカオルへ話しかける。
「カオル……ジオC8って、一体何なの?」
「……海王星を公転する衛星に設施されたコロニーで、宇宙工学の最先端技術を研究する施設や工場、宇宙航空技術の学校が集約され、宇宙最高峰の学術都市と云われている。そして……そのコロニーに本社を置き、統括しているのがレイズ・カンパニーだ」
「宇宙科学が凄く発展したコロニーだって事は分かったけど、一体何が問題なの?ロカA2も似たようなものじゃ……」
「いや、全く違う。統治体制が根本的にな」
「統治体制……?」
「ジオC8は徹底した権威主義だ。弱者は強者に虐げられる弱肉強食の社会……その頂点に君臨するリン・フェイロンは絶対的な存在なんだ。独裁国家の暴君とも影では言われている。つまりセイランがやろうとしている事は、その絶対者に対する反逆行為に他ならない。それに加担すればどうなるか、想像はつくだろう?」
カオルの言葉に脅威を感じ、ルナはゴクリと喉を鳴らした。
「つまりはそういう事よ。危険と分かってる場所に連れて行くと知って、はいそうですか、って簡単に同意出来ると思う?ルナちゃんに反逆の片棒を担がせようとしているのなら、到底認める事なんて出来ないわ」
カトレアの言葉に何も言い返せず、セイランは沈黙し俯いた。
「……お騒がせしました」
そう一言添えてお辞儀をすると、ゆっくりと立ち上がり、入り口へと歩き出した。
「え!?セ、セイランさん!?どこへ行くんですか!?」
「……ジオC8へ戻ります。カトレアさんの仰る通りです。お嬢様の事ばかり考えて、ルナさんへ及ぶ危険の事などまるで考えていませんでした。……軽率でした」
扉を開け、カラン、と鈴が音を立てる。
外の冷たい空気が店内へ入り込んでくる。
「待て」
ふと、カオルがセイランを呼び止める。
「1つ、答えろ」
「……何でしょう?」
セイランがちらっとカオルへ視線を向ける。
「何故、ルナなんだ?」
他にも頼るべき人物は沢山いただろうに、セイランが選んだのは、遠い星に住む、中学生の少女であった。
ルナでなければならなかった理由が、カオルにはどうしても分からなかった。
「……お嬢様は、ソリア学園に通っていた時、毎日の様にその日あった事を報告してくださいました。ある日、お嬢様が仰っていたんです。今でもはっきりと覚えています……」
『ねぇ、聞いてセイラン。ルナがね、私の事を
店内がシンと静まり返る。
セイランは続けて唇を動かし始めた。
「お嬢様には、ご友人と呼べる方はいませんでした。周囲は皆、レイズ・カンパニーの御令嬢として接しますからね。尊敬の目を向けはしても、対等に接しようとはしません。……しかし、あなた方は違いました。それがお嬢様にとって居心地の良いものだったようです。……ですから、ルナさんの話を伺った時、確信したんです。お嬢様にはそういった存在が必要なのだと」
そこまで話すと、セイランはその場にいる3人の顔を見つめ、小さく頭を下げた。
「ご迷惑をおかけしました……。失礼します」
そして、もう一度謝罪の言葉を述べ、静かに扉の向こうへと消えていった。
扉が閉まる刹那、わずかに見えたセイランの落胆した表情が、ルナの衝動を刺激する。
ルナは駆け出し、セイランの後を追った。
「セイランさん!」
背中から声を掛けられ、セイランが振り返る。
暗くて表情は見えにくいが、ルナには泣いている様に見えた。
「少しだけ……私に考える時間をくれませんか?」
「え……?」
「ちゃんと家族にも話して、その上で結論を出させてください」
ルナの真剣な表情を見つめ、セイランが暗闇の中で小さく微笑む。
「……ありがとうございます。お嬢様が、あなたの事を話題にあげる理由が何となく分かる様な気がします」
そう答え、セイランはジャケットのポケットからメモ帳を取り出すと、何かを記入し、その一枚をちぎってルナへと渡した。
「私はあと2日だけならこちらに滞在できます。それ以上は旦那様に疑われてしまうので。結論が出ましたら、こちらに連絡を」
「わかりました」
セイランから番号が記入された紙切れを受け取り、ルナは力強く頷いた。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
夕暮れのメインストリート、ハワードとベルは並んで帰路についていた。
カオルの話が、ずっと2人の思考を支配し続け、お互い会話をする訳でも無く、無言で動く歩道に揺られていた。
「……なぁ、ベル。ルナはどうするつもりだと思う?」
ぽつりとハワードが問いかける。
「たぶん、行くと思う」
「……だよなぁ」
即答するベルの答えが自分の考えと一致し、ハワードは深い溜息をついた。
大切なものを守る為ならば、例え危険な目に遭おうとも、行動に出る。
周りが止めたとしても、聞きはしないだろう。
そして、他人は巻き込めないと言って、全てを1人で背負おうとする。
それがルナという人間なのだ。
「ベルは……どうするつもりなんだ?」
「……気持ちとしては、ルナの力になりたい。だけど……俺がジオC8に行くって言ったら、父さんや母さんは反対すると思う」
「……だよなぁ」
ハワードの場合は特に深刻である。
自分の身の振り次第では、関係悪化に結び付き、ハワード財閥の不利益にもなりかねない。
ハワードと言えども、自分の立場というものは重々承知していた。
「漂流して、パパにもママにもいっぱい心配かけちゃったから、もう心配はかけさせたくないんだ……」
「分かってるよ。だから、一緒に行けなくたって、誰も責めはしないよ」
『誰も責めない』
本来であれば安心できる言葉であるはすなのに、不思議と違和感を覚えた。
(誰も責めない……確かにそうだけど……本当にそれでいいのか……?)
帰宅し、夕食と入浴を済ませたシャアラは、自室戻るなりベッドへ横になり、携帯でとある人物へと電話をかけた。
『もしもし』
「あ、メノリ?今、大丈夫?」
『ああ。ちょうど部屋でゆっくりしている所だ。どうかしたのか?』
「うん……あのね……」
なかなか話を切り出さないシャアラの様子を見て、事情を察したメノリは先に声を掛けた。
『シャオメイと……ルナの事か?』
「うん……」
シャアラが小さく頷く。
『難しい問題だな。場所がジオC8であるだけにな。私達個人の独断で決められる事ではないだろう』
「うん……お父さんもお母さんも、多分反対すると思うわ」
自分の発言に落胆したのか、シャアラが深い溜息をつく。
「……ねぇ、メノリ」
『ん?』
「カオルは、ルナと一緒にジオC8に行くと思う?」
全ての事情をルナと共に聞き、自分達に説明をしていたカオルは、どのように考えているのだろうか?
その心境は当の本人以外には分かりかねるものではあるが、彼の取る行動は不思議と想像できた。
『分からないが……カオルは行く様な気がする』
「メノリもそう思う?」
『ああ。ルナとカオル、あの2人は自分を持っているからな。自分がどうしたいか、をよく考えた上で行動している節がある』
「自分がどうしたいか、か……」
メノリの言葉を反復する様にシャアラは呟く。
『シャアラはどうしたいんだ?』
今一度、自分の胸に聞いてみる。
「私は……」
約束の日の朝、ルナはチャコと共に宇宙港へ来ていた。
父から譲り受けたリュックを背負い、待ち合わせの場所へと向かうルナをチャコが見上げる。
「ルナ」
「ん?」
「ホンマに、みんなに何も言わんでええんか?」
その問いに、ルナは少し寂しげな笑みを浮かべた。
「……うん。これは私のワガママだから。みんなを巻き込めない。みんなを危険な目に逢わせる訳にはいかない」
「……さよか」
ルナの返答にチャコは小さく溜息つき、それ以上追及する事は無かった。
待ち合わせの改札前にセイランの姿を見つけ、ルナは駆け寄った。
「セイランさん!」
手を振って近づいてくるルナに、セイランは深い感謝の意を含めたお辞儀をする。
「お嬢様の為に……ありがとうございます!」
「頭を上げてください。私は私のやりたい様に行動しているだけですから」
「ルナさん……」
「考えなしにな」
せっかく良いの言葉を台無しにする、チャコの余計な一言。
「ちょっと、チャコ!」
顔を赤くして文句を言うルナを無視し、チャコはセイランを見上げた。
「アンタがセイランやな?ウチはチャコ、ルナのお目付け役や。よろしゅう頼むわ」
「初めまして。お話には伺っております。こちらこそ、どうぞよろしくお願いします」
「おう、任しとき!」
力こぶを作るように腕を曲げ、チャコはにっと笑ってみせた。
「それでは、出発しましょう」
「はい!」
「あ、もうちょい待ってくれんか?」
「チャコ……?」
改札を通ろうとした所を引き留められ、ルナはキョロキョロと辺りを見回すチャコを不思議そうに見下ろした。
「お、来た来た!」
「え……?」
チャコの視線の先をゆっくりと追っていく。
そこには……
「もう!ハワード、急ぎなよ!」
「もっと早く走れ馬鹿者!置いてくぞ!」
「待てって!荷物が重くて大変なんだよ!」
「ベルが半分持ってくれてるじゃない。そもそもどうしてそんなに荷物いっぱいあるの?」
「とにかく急がなきゃいけないから、もう少し荷物持つよ!」
「甘やかすなベル、自業自得だ」
「それに遅刻したのもハワードが荷造りにモタモタしてるからだし。乗り遅れたらどうしてくれるのさ!?」
「口ばかり動かしてないで足を動かせ」
こちらに向かって駆け寄ってくる仲間達の姿。
ルナは驚きでその場に立ち呆けた。
「ルナ~!」
「よかった、間に合った!」
「ど……どうしてみんながここに……?」
「カオルからシャオメイの事情を聞いたんだ。それで俺達も力になりたいって思ってね」
いまだ動揺しているルナに、ベルがいつもの笑顔で説明する。
「カオルが……?でもカオル、反対してたんじゃ……?」
「反対したのはカトレアだ。俺は何も言っていない」
「だ、だけど危険だって……」
「言ったがそれがどうした?危険だから俺達には内緒で行こうと考えていたのか?」
図星を突かれ、言い返す事が出来ない。
「そんな事だろうと思ったから、チャコに情報を教えてもらっていたんだ」
「え!?」
更なる衝撃の事実。
チャコとカオルが通じていたという事を知り、思わず足元のチャコを見下ろす。
「ウチは何度も言うたはずや。『みんなに言わんでええんか?』てな」
「だってそれは……」
「ルナ」
言い訳を遮る様に、カオルがルナを呼ぶ。
「俺達は全てを知った上で、自分の意志でここへ来たんだ。だから1人で背負い込もうとするな」
「!!」
「シャオメイを助けたいと思っているのは私達も同じなんだ。その手助けを私達にもさせてくれ」
メノリに同意し皆が力強く頷く。
仲間達の思いを知り、ルナは胸が熱くなった。
「うん……!」
同様に力強く頷き、顔をセイランへと向ける。
「セイランさん。シャオメイの所までの案内をよろしくお願いします!」
「え……?み、皆さん来てくださるんですか……?」
目の前に立っているのは、かつて全宇宙を沸かせた『奇跡の生還者達』総出である。
驚きと戸惑いを隠せず、セイランの目が大きく見開かれる。
「当然だよ!自分を切り捨ててまで、僕達を……ソリア学園を守ってくれた最後の仲間を迎えに行かなきゃ」
「仲間……」
セイランの脳裏に、シャオメイから聞いたフレーズが甦る。
「そうですよ。シャオメイは私達の大切な仲間です。だから……必ず助けます!」
シャオメイの為に動いてくれる彼らの意志に感激し、セイランは深く、深く頭を下げた。
「ありがとう……ございます!!このご恩は一生涯忘れません!!」
「礼を言うのは全てが無事に片付いてからだ」
「はい……!!」
淡々としたカオルの言葉に、セイランは頷き顔を上げた。
「じゃあ、行きましょ!」
一行はジオC8を目指す。
目的はシャオメイの奪還。
暴君、リン・フェイロンとの衝突は避けられない。
『奇跡の生還者達』の負けられない戦いが幕を開く。
つづく