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4期

第 5 話 『カゴの鳥①』

変わらぬ朝。

朝のホームルームが終わると、担任と入れ替わりで専門科目の教師が教室へやって来て授業が始まる。

午前の部が終わると友人同士で集まり、教室やカフェテリアで昼食を摂る。

午後の授業ではウトウトする生徒が現れ始め、中には教師に見つかり叱られる不運な者が目に付く。

そして、放課後を迎えると、部活へ向かう者、生徒会の仕事に就く者、帰宅する者、各々が自身の時間を思いのままに過ごす。

当たり前の様に過ぎていく日常の風景がそこにあった。


突然のシャオメイ転校騒動から1週間が経ち、困惑の空気が漂っていた学園内もすっかり落ち着きを取り戻していた。

まるでシャオメイという少女が、最初からソリア学園に存在していなかったかのように。

その現実に、ルナは強い違和感を抱えたまま、学園生活を過ごしていた。

様々なイベントを通して絆を深め、学園の中でも特に仲が良かったからだろうか。

シャオメイが当たり前の様にいた日常は、彼女の存在が抜け落ちた瞬間に『非日常』へと変貌を遂げてしまっていたのだ。

まさに、ぽっかりと心に穴が空いてしまったかの様な感覚、という言葉がその心境を的確に表現できている。


同様の心境を抱いているのはルナだけではない。

シャオメイの失踪は、彼女が直近までアルバイトをしていたカフェ、『プラス・ド・リュミエール』にも影響を及ぼしていた。

カトレアの元へシャオメイから「しばらく休ませて欲しい」と電話が入ったのは、丁度ルナが諸事情でバイトを休んでしまったのとほぼ同時期であった。

理由を問うと「実家へ帰省する必要が出た」との返答である。

しかしそれから1週間後、ルナも元気になり、完全復活を果たした矢先、再びシャオメイからの電話がカトレア宛てに掛かってきたのだ。


『カトレアさん』

「シャオちゃん?あれから随分経つけど、元気なの?いつ頃こっちへ戻って来れそう?」

『その事ですけど……すみません。たぶん、もう戻れそうにないです……』

「……え?」

『だから……本当に勝手で申し訳ないですけど……今日付けで、バイトを辞めさせて頂きます……』

「ちょ、ちょっと、シャオちゃん!?」

『今まで良くしてくれて……ありがとうございました……失礼します』

「ま、待ってシャオちゃ……」

『ツー……ツー……』


画面表示のされない、音声のみの電話。

しかし、カトレアは感じ取っていた。

シャオメイの声は、気丈を保とうとしていながらも、わずかに震えていた事を。

そして、顔が見えなくとも、彼女の表情が苦悶に満ちていたであろう事を。

通話の切れた音を受話器越しに聞きながら、カトレアは全身に酷い脱力感を感じ、その場にしばらく立ち尽くしていた。




ある日の閉店後のカフェ、休日の日勤を終えたルナとカオルは、客のいなくなった店内に2人、後片付けをこなしていた。

キッチンに立ち、食器を洗うカオル。

ホールでテーブルや床を掃除するルナ。

2人の間に会話は無く、水の流れる音、食器の当たる音、モップが床をこする音、普段は気にも留めない生活音がやけに大きく耳に入ってくる。

沈黙が続く中、ルナが不意に深い溜め息をついた。

作業の手を止め、カオルへ話しかける。

「ねぇ、カオル?」

「何だ?」

「カオルは……シャオメイが突然転校しちゃった事……どう思う?」

ルナからポツリと出た言葉に、カオルは手を止め、彼女へ視線を向けた。

「そう言うルナはどうなんだ?」

ルナは少し間を置き、今まで口に出さなかった思いを打ち明ける。

「私は……やっぱり納得いかないわ」

「そうか」

さもその返答を察していたかの様にカオルは小さく頷くと、視線を手元へ戻し、片付けを再開した。

「だってどう考えたって不自然だもの。あいさつも無しに急に転校しちゃうし、連絡を取りたくても携帯も全然繋がらないし……」

「そうかも知れないな」

カオルのつれない返答に、ルナが不満そうな目を向ける。

「カオルは変だと思わないの!?」

「思うさ」

「なら……!」

「だからと言って、俺達に何が出来る?」

カオルの視線が真っ直ぐにルナの瞳を捕らえる。

ルナは経験上知っている。

カオルの今の凛とした瞳の前では、彼を論破する事は100%不可能であると。

「納得していないのはみんな一緒だ。だが、アイツが『家庭の事情』と言っている以上、俺達に引き留められると思うか?」

「それは……そうだけど……」

「それに……もしかすると、今回ばかりは俺達の手には負えない事態の可能性がある」

その意味深な言葉が引っ掛かり、ルナは怪訝な顔をした。

「……どういうこと?」

「いや、あくまで憶測だ。気にするな」

それっきり、カオルは口を閉ざしてしまった。

言葉の意図を探ろうとも考えたが、こういう時のカオルは頑なである。

ルナも諦めた様に小さく溜め息をつき、モップ掛けを再開した。




翌日、再び巡る変わらない朝。

しかし、まるでもやがかかったように晴れ晴れとしない心。

昨日のカオルの言葉が気になっているのか、はたまた、シャオメイの失踪を引きずっているせいか、ルナの表情はいまいち冴えない。

いつもは学校に行くのが楽しみであるはずなのに、こういう日は億劫おっくうになり気が乗らない。

小姑こじゅうと・チャコにどやされながら、ルナは支度を済ませ、逃げる様に部屋を後にした。




教室に足を踏み入れ、ルナは妙な違和感を覚えた。

何故か周囲からの視線を感じるのだ。

やや居心地の悪さを感じるのも束の間、そこへ救いの手を差し出すかの様に、先に登校していたメノリとシャアラがルナの元へと集まった。

その表情は心なしか不安げに見える。

疑問に感じ、首を傾げながらもルナは「おはよう」と元気よくあいさつをした。

「おはよう。えっと……ルナ?」

メノリはルナの前に立ち、まるでクラスの意見を代弁するかのように、周囲の注目を受けながら話を切り出した。

それがこのような奇妙な緊張感を生み出す結果となっている。

「どうしたの?」

「その……最近周りで何か変な事は起きてないか?」

「変な事……?」

「誰かに後をつけられている気がするとか、どこからか妙な視線を感じるとか、人の気配がするとか……」

脳内の記憶を辿ってみるが、メノリが言う様な事には心当たりがない。

「う~ん……特に思い当たらないけど……でも何で?」

「実は、ルナの事を探っている怪しい奴が学園付近をうろついている、という報告を何件か受けていてな」

「私を!?どうして!?」

「分からない。だが、うちのクラスでも何人か声を掛けられたそうだ」

クラスメイトらが自分に注目していたのは、その為だったのか、とルナは心の内で納得した。

「とりあえず現在はルナに被害が及んでいない様だが、充分気をつける必要はあるな。しばらくは1人で帰るのは避けた方がいい」

「だ、大丈夫よ。そこまでしなくても私は平……」

「ダメよ!!」

シャアラの強い口調に、ルナは思わず身を引いた。

大きな声をあげるシャアラの姿に、クラスメイトも目を丸くして注目している。

「ストーカーとか変質者とか、そういう類いかも知れないのよ!?ルナとメノリは美人なんだから、なおさら気を付けなきゃ!」

「ふぇ!?」

「わ、私も!?」

突然の振りに、ルナだけでなくメノリまでも驚きの声をあげる。

「な、何を突然言うんだシャアラ!わ、私は別に……び、びじ……」

慣れない言葉に顔を赤らめ、メノリの声がどんどん小さくなっていく。

「そ、そうよ!メノリは確かに美人だけど、私はそんな事……」

「ル、ルナ!?」

ルナにまで言われ、メノリは恥ずかしさのあまり、紅くした顔を思わず手で覆ってしまった。

「そんな事あるの!ルナもメノリも自覚無さすぎだわ!」

珍しく強気なシャアラに押され、ルナも顔を引きつりながら「そ、そうかな……?」と答えるしかなかった。

そこへ(ルナとメノリからしたら)タイミング悪く教室へ入ってきたハワードが、視界に広がる異様な光景に目をぱちくりとさせた。

「………なにやってるんだ?お前ら。メノリ、何か顔紅くないか?」

「な、何でもないっ!!」

「そ、そうそう!気にしないで!」

誤魔化し繕う2人の様子に、ハワードは首を傾げるのであった。


放課後になり、ルナはバイトへ向かう為に帰り支度を調えていた。

カバンにノートパソコンを入れ、忘れ物が無いかチェックした後、席を立ち、カバンを背負い、廊下へ出る。

教室の扉が開くと、壁に寄りかかり、腕を組みながら立つカオルの姿が目に入った。

「準備できたか?」

「うん」

「じゃあ行くぞ」

頷くルナを確認し、カオルは壁から背中を離し、エントランスへ向かって歩き出した。

ルナも遅れない様、カオルの隣を確保し、肩を並べて歩く。


カフェまでの道中、基本的に2人のやり取りは依然と比べてもほとんど変化は無かった。

ルナが主に話しかけ、カオルがそれに対し受け答えをする形がほとんどである。

それでも、ルナにとって、カオルと一緒にいられるこの空気はとても心地が良く、幸せを感じられるのだ。

そんな中、今日は珍しくカオルが話題提供を持ち出してきた。

「ルナ、メノリから聞いたんだが、誰かから狙われている、というのは本当か?」

朝に話していた内容の事であろう。

何やら少し話が大げさになっている気がする、とルナは苦笑いを浮かべた。

「狙われてるって……別にそんなんじゃないわ。よく分からないけど、知らない人から私の事を聞かれた子がいるって話があったってだけよ。気にする事じゃないわ」

「だが気をつけるに越した事はない。コロニーの中だって危険はあるんだからな」

「そ、そうだけど……」

「とりあえずは1人で夜道を歩くのはやめておけ。俺が送ってやるから」

「え!?い、いいよ、そんな……」

遠慮をするルナの悪い癖が出た、とカオルは深い溜息をつく。

「迷惑か?」

「迷惑だとか、そういう事じゃなくて……むしろ、カオルに迷惑かけちゃうから……」

「おい、ルナ」

隣を歩くカオルが急に立ち止まった為、ルナは数歩先へ進んだ所で立ち止まり、振り向く。

自分を呼ぶ声は、心なしか怒っている様に聞こえた。

「いい加減、俺という人間を理解しろ」

「え……?」

「お前の目には、俺が迷惑そうにしてる様に見えるのか?」

「そうじゃないけど……」

「なら俺に対しては遠慮するな。むしろ、頼ってくれた方が俺としては嬉しい」

「カオル……」

カオルの優しい言葉がルナの心に浸透していく。

涙腺が緩みそうになるのを必死に抑えながら、ルナはポツリと心中を吐露し始めた。

「ゴメンねカオル……。でもね、怖いの。一度頼ってしまったら、そのままズルズルと頼る事に慣れていってしまいそうで……。そしたら、カオル……私に幻滅しちゃうんじゃないかって……嫌いになって離れていっちゃうんじゃないかって……。せっかく心が通じ合えたのに……それが怖くて……」

ルナの本音を聞き、何もルナの事を分かっていなかった、とカオルは自分を罵倒した。

ルナが自分を頼ろうとしないのは、自分を想ってくれてるが故の不安。

そんな思いをさせているのは、カオルが作り出したこの曖昧な関係のせいでもある。

お互いに好きあっているにも関わらず、『恋人』という枠には収まっていない。

己の過去のトラウマに甘んじて、今の関係に満足している自分は、なんて腑抜けなのだ。

ルナは「不安なんかない」と言っていたが、そんなはずはないのだ。

曖昧であるが故に、不安定で脆弱な関係。

この関係からまだ脱却出来ないのであれば、カオルはそれ以外の方法でルナを安心させなければならなかったのだ。

カオルの体が、考えるよりも早く、無意識に動く。


一瞬、ルナは何が起きているのか理解できなかった。

それでも、直に感じる体温、匂い、感触、それらがルナの五感を強く刺激するうちに、今の状況を次第に理解できるようになっていった。

(え!?私、今……カオルに……抱きしめられてるっ!?)

華奢きゃしゃに見えて意外にもガッチリとした体つき。

力強い、想い人からの初めての抱擁に、ルナは緊張のあまり全身が硬直した。

心臓は激しく鼓動し、顔は熱を持って紅潮している。

「ルナ……」

「は、はいっ!?」

耳元で囁かれ、思わず甲高い声をあげてしまった。

「約束する。これからずっと、俺はルナの隣にいる。たとえ高校から離れ離れになろうとも、心はルナから離れることは絶対に無い。……こんな口約束じゃ説得力無いかもしれないけどな」

最後に自嘲気味な言葉を添えて自身をおとしめるも、ルナはカオルの胸に顔を埋め、背中に手を回した。

「ううん、嬉しい……!」

その時ルナが見せた幸せそうな笑みを、カオルは心に深く刻み込んだ。

この笑顔をずっと守り続けようと、確固たる決意も添えて。




暗い夜道、まるで亡霊の様な足取りの人影が1つ、ふらふらと夜道を彷徨っていた。

その影はゆっくりと無人の公園に入っていき、力無くブランコへと腰かけた。

(結局会わせてもらえなかった……。でも当然か……周りから見たら不審者そのものだし……)

全身から悲愴感を漂わせ、端から見れば、本当に幽霊なのではないか、と疑ってしまいそうだ。

(どうしたらいい……?どうしたら彼女に会える?もう時間が無いのに……!)

膝に置いた拳をギュッと握りしめ、悔しそうに唇を噛む。


ふと、耳に入ってきた人の声。

周囲が静寂な事もあり、はっきりと聞こえる。

若い男女の声だ。

声の方へとジッと視線を向ける。

それは、最後の希望をそこに託しているようだ。


「──でね、ハワードが今度の日曜日に遊びに行こうって」

「……あいつ、進級試験の勉強は大丈夫なのか?」

(ハワード……?と、いう事は、ソリア学園の学生……?)

物陰に隠れながら、2人の会話をそっと探る。

「ハワードだって、やる時はやるわ。卒業がかかってるんだから、さすがに疎かにはしないでしょ?」

「……だといいんだがな」

(ハワード財閥の御曹司と随分仲が良いみたいだ。取り巻き……とは違う様だが……)

「カオルはどう?試験勉強は順調?」

(カオル……?どこかで………あ!あの少年は『奇跡の生還者』の1人……!だとしたら、もしかして……)

その瞳に、強い希望の輝きがにじみ出る。

じっと少女へと視線を集中させ、月明かりで見えたその顔を、見逃さなかった。

(お、オレンジの髪に……蒼い瞳……!ま、間違いない……やっと……やっと見つけた……!!)

感極まったのか、地べたに手を付け、その場に崩れ落ちた。


と、ふと聞こえてきた足音が消えた。

まさか、目を離した隙にどこかへ行ってしまったのか、と慌てて顔を上げる。

そこにはまだ2人の姿があった。

どこかへ行ったわけではなく、その場で立ち止まったのだ、と分かり、ホッと胸を撫で下ろす。

しかし、では何故突然立ち止まったのか?

「どうしたの、カオル?」

それは当人のルナも分かっていない様で、首を傾げる姿が目に入った。

一方のカオルは、何やら険しい顔をし、全神経を集中させている様に見える。

すると、おもむろにカオルが口を開く。

「出てこい。そこに隠れてるのは分かっている」

投げ掛けられた言葉に影は動揺した。

(そ、そういえば、カオルという少年は鋭い勘の持ち主だという情報だった……)

気配を完全に消せていなかった自身の失態を省みて、諦めた様子で2人の前に姿を晒した。

「あなたが……ルナさん……ですね?」

「え!?だ、誰……?」

突然物陰から姿を現した人物に警戒心を露にし、ルナは一歩後ろへ下がった。

カオルもルナを守るように腕を伸ばし、彼女へ近づけまいと威嚇の体勢をとる。

暗くてはっきりとは分からないが、身の丈と声色から推測するに、恐らく女性であろう。

「近頃、学園周辺で噂になっている不審者とは、お前だな?」

「多少誤解も混じっている様ですが、おそらくそうです」

「何が目的だ?」

「お答えする前に、1つ確認させてください。その少女が『ルナ』さんで間違いないんですね?」

「え?は、はい……そうですけど……」

「正直に答えるなっ!」

すんなりと首を縦に振るルナにカオルは一喝した。

まだ相手の正体も目的も、何も知らない状態で、ルナの存在を晒すのはあまりにも危険すぎる、とカオルは危惧しているのだ。

しかし、そんなカオルの考えを余所に、女性は目の前にいる少女がルナだと分かった途端、緊張の糸が切れたかの様に、その場で泣き崩れた。

「あ、あの……?だ、大丈夫……ですか?」

不審者ではあるのだが、こんな姿を見てはどうにも声を掛けずにはいられなかった。

さすがのカオルも、何だか不憫に感じてしまい、先程までの警戒を解いていた。

「よかった……やっと……やっと会えた……!!」

その言葉からは、本当にルナと会える事を切に願っていた事が窺える。

そして、女性は2人の前に手を付き、土下座をする様に心の叫びを吐露した。

「お願いです……!どうか……お嬢様を……シャオメイ様を……お助けください……!!」

「「!!?」」

この出会いは、何かとてつもない事の前触れなのではないかと、ルナとカオルは妙な胸騒ぎを感じてならなかった。

つづく
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