4期
1月初旬、ソリア学園の3年生に高等部進級を懸 けた試験日程が告知され、どのクラスも何とも言えない緊張感が漂っていた。
奇跡の生還者達も例外でない様で、試験対策について話し合う彼らの姿が見られる。
「対策と言っても、中等部の総まとめだしな。もちろん試験範囲は今まで習った所全部だろうし、傾向も毎年バラバラだ。さて、どうしたもんか……」
腕を組み、しかめ顔をするハワードが悩ましげに唸り声をあげる。
「ま、結局は日頃の積み重ねだから、普段からちゃんと勉強してれば問題ないでしょ」
成績的に問題の無いシンゴからは余裕の声。
メノリも正論だ、頷く態度を見せる。
「身も蓋もないことを言うなよ!こっちは不安でいっぱいなんだよ!」
ハワードも決して成績が悪い方では無いが、それでも進級のかかった試験となると、不安が強くなるのである。
その気持ちが分かるシャアラは、皆に1つの提案を出す。
「じゃあ、また前みたいに勉強会をやりましょうよ!」
「うん、いいね!あの時も結構はかどったし」
ベルも二つ返事でシャアラの案に同意する。
「そうだな……またチャコに講師を頼むとするか」
「げっ!?」
メノリの言葉に、ハワードがあからさまに嫌そうな声をあげる。
予想以上にスパルタであったチャコの教鞭 に少なからずトラウマのあるハワードであった。
「朝からやかましいな」
その言葉と共にカオルが教室へと入ってきた。
「よぉ、カオ……ル?」
「何で疑問形なんだ」
ハワードの反応に、カオルの表情がやや不機嫌になる。
「しょうがないだろ?今までの髪型で見慣れてたから、何か今の短い髪に違和感を感じるんだよ」
「知るか。頑張って慣れろ」
2人のやり取りに、一同は苦笑いを浮かべた。
ハワードの言いたい事も分かるのである。
かと言って、髪型ひとつで騒ぎ立てるのも、カオルに対して申し訳ない。
ここは一つ、ハワードに代弁者(身代わりとも言う)となってもらう事で納得するのであった。
そこへ、廊下をドタドタと激しく走る音がメノリの耳に届く。
途端にメノリの表情が風紀委員の顔へと代わり、音源の先をキッと睨み付けた。
「全く、誰だ?廊下を走っているのは……」
メノリが犯人を突き止めようとする間も無く、足音はどんどん近づいていき、教室の前で止まった。
それと同時に、教室の扉が開くと、息を切らしたルナが飛び込んできた。
「み、みんな────!!た、大変だよ!!!!」
ルナの尋常ではない慌て様に、さすがのメノリも説教をする事も忘れ、理由を問いただした。
「一体どうしたというんだルナ?」
「はぁ……はぁ……さっき、隣のクラスの子から聞いたんだけど……」
切らした息を必死に整えようとしながら、ルナは説明を続ける。
「シャオメイが……」
「シャオメイ?そういえば最近姿見てないな」
ハワードがここ数日間の事を想起させる。
しかし、その中にシャオメイを見た記憶はどこにもなかった。
他の仲間達もそれは同様のようで、ハワードの言葉に小さく頷いていた。
「それが……」
ルナは深呼吸をして、呼吸を整えた。
そして、深刻そうな表情で、言葉を続けた。
彼らが記憶するに、これほどまでに衝撃を受けたのは、恐らくカオルが編入するという話を聞かされた時以来だろう。
その久々の感覚を懐かしむ者は1人もなく、誰しもが言葉を失っていた。
「シャオメイが……転校しちゃった!!!」
──ロカA2から数光年離れた、とある惑星に建設された巨大コロニー。
宇宙でも知らぬ者はいない程に名の通ったある実業家の所有する広大な敷地がそこに存在する。
そして、ここに腰を据えた事を象徴する様に、占有地の一角には大豪邸が佇む。
外観も内装も豪華絢爛 で、住まう者の権力・富力を具現化しているようだ。
しかし、荘厳たる様式の中に1つだけ、耽美 を損ねる部屋があった。
扉には、荒々しい筆跡で『Keep out! 』と書かれた貼り紙が掲示されている。
その室内の様子もまた、凄惨としたものであった。
壁は所々に凹みや傷が目立ち、家具は倒れ、花瓶などの装飾品は割れ砕け床に散らばっている。
まるで、この部屋にだけ暴風雨でも来たかのような有り様であった。
そんな異質な空間の中、窓際に配置された円テーブルに顔を突っ伏し、椅子に座る少女の姿があった。
少女は精根尽きたかの様に、その体勢のまま微動だにしない。
窓の外から聞こえてくる鳥の囀 りが、静寂な室内に響く。
それに反応するように、少女の頭がわずかに動く。
頬はテーブルの面に付けたまま、顔だけを窓の外へと向けていた。
視界に入ってきたのは、『晴れ』の空を飛び戯れる小鳥。
少女の瞳が悲哀の色に変わる。
(これ見よがしに目の前で飛び回らないでよ……私に自由を見せつけないでよ……!)
目頭を伝った涙が、ポタリとテーブルに滴り落ちる。
「自由に……なりたいよ……」
少女──シャオメイの心の悲鳴が、不意に口に出る。
それはいつもの彼女らしからぬ弱々しい声であった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
リン・シャオメイは父が嫌いだった。
宇宙でも1位、2位を争う財力を持ち、その権力を鼻にかけ傍若無人に振る舞う姿。
全てが自分の思い通りになるという、唯我独尊な考え。
娘さえ、自分に従わせようとする支配欲。
まるで、かつて地球で戦争があった時代に存在したという独裁者を彷彿させた。
シャオメイの意志はことごとく抑圧され、父が敷いたレールの上を歩く事を強いられていた。
進学する学校、習い事、将来就く仕事、さらに将来結婚する相手まで、自分自身の人生が生まれた時から決められていたと言っても過言ではない。
全てが父の思いがままであり、そこにシャオメイの意志はない。
その事を自覚した時、シャオメイの中で、自由に対する強い憧れが急激に沸き上がった。
「父さん……話があるの」
ノックをし、シャオメイは父の書斎へと足を踏み入れる。
「見てのとおり、忙しいのでな。用件は手短に言いなさい」
イスに腰掛け、書類に目を通す父の重々しい声が、シャオメイに圧力をかける。
緊張からか、手は汗でじとっと湿っていた。
それを振り払うかの様に、拳をギュッと握りしめると、意を決して自身の思いを伝えた。
「私……中学を卒業したら、家を出ようと思うの。医者になりたいから、もっと専門的に学べる学校へ行こうと思ってる」
父の手が止まり、鋭い視線をシャオメイへと向ける。
「……話と言うから何かと思えば、そんな下らない事か?」
(くだ……ら……ない……?)
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「く、下らないって……!!進路の話よ!?それを……」
「お前の進路は私がもう決めてある。余計な事を考えている暇があったら、勉強に専念しなさい」
「決めてある……ですって……?」
「そうだ。私の指定した高校、大学に進み、数年間の留学を経て、この『レイズ・カンパニー』を継いでもらう」
「ちょ……私は医者に……」
「そんなものになる必要はない」
自分の夢を『そんなもの』扱いされた事で、シャオメイの中で、今まで抑圧されてきた感情が一気に爆発した。
「何よそれ……私の意志なんてどこにも無いじゃない!!」
「お前は私の言う通りにしていればいい。それが正しい選択だからだ。何故それが分からん?」
シャオメイは愕然とした。
文字通り、話にならない。
シャオメイがどんな進路へ進むか、父にとっては内容など問題ではなかった。
容は『自分が決めた事に娘が従うか否か』。
ただそれだけなのである。
そして悟った。
ここに居ては一生自由など手に入らない、と。
シャオメイの中で父へ対する嫌悪感が急激に沸き上がる。
「冗談じゃないわ!私は父さんの所有物なんかじゃない!!自分の進む道は自分で決める!!!」
力の限りシャオメイは叫び、書斎を飛び出した。
屋敷を飛び出したシャオメイは、自然ととある場所へと足を運んでいた。
広い敷地の中にそびえ立つ、白き巨塔。
その正面玄関を通過し、受付でアポイントをとると、エレベーターで最上階まで昇っていく。
目的の階に降りると、廊下をまっすぐ突き進み、最奥の扉の前で立ち止まった。
ノックをすると、中から「どうぞ」と返答があった。
開閉ボタンを押して中へと進入する。
室内は、天井も壁も床も、全てが清潔な白で覆われていた。
部屋の中央に設置されたベッドには、上半身を起き上がらせてシャオメイに微笑みかける女性の姿があった。
「おはよう、シャオメイ」
「おはようって、もう夕方だよ?」
苦笑いを浮かべながらシャオメイはベッド横のイスに腰掛ける。
「そうだったわね。さっきまで眠ってたから、つい」
「体の調子……あまり良くないの?」
シャオメイが心配そうな表情を向ける。
「そうじゃないわ。外も段々と春の陽気へと変わってきたから、暖かくてウトウトしてしまっただけ」
「そっか。それならいいんだけど……無理はしないでね、お母さん」
シャオメイの言葉に、母はニコッと柔らかく微笑んだ。
シャオメイの母が入院を余儀なくされたのは、半年前の事である。
いつもと変わらぬはずだった日常が一転、突然の病魔が母を襲った。
救急搬送された病院に駆けつけたシャオメイは、医師から告げられた病名を聞き、絶望した。
『宇宙病』
それが母に付けられた診断名であった。
科学の進歩している現代においてもなお、いまだに治療法が発見されていない難病の1つである。
宇宙に潜在する未知の病原菌が体内に侵入し、抗体の無い者は臓器等が炎症を起こし、徐々に体を蝕んでいく。
広大な宇宙で、同種のウイルスにかかる方が珍しく、故に抗生剤もほとんど効果を発しない。
病院での治療も、投薬で炎症を抑える事と、痛みを和らげる鎮静剤を打つ事に限られてしまう。
症状の進行を抑える事が出来ても、ウイルス自体を殺す事は出来ない。
専門的な事が分からなくとも、宇宙病が『不治の病』と呼ばれている事は世間でも周知されている。
だからこそ、シャオメイは諦めたくなかった。
受け入れてしまったら、母は助からない、という現実を認めてしまう事になるからだ。
『お母さんを助けたい……!』
その思いがきっかけだったのかもしれない。
シャオメイは次第に医学へ興味を示していった。
病室で母と談笑している間、シャオメイの心の中には少し迷いが生じていた。
父には「家を出る」と啖呵を切ってきたが、家を出れば、今のようにここへお見舞いに来る頻度がぐっと減ってしまうだろう。
母の為に医学の勉強をしたいと思う反面、母に寂しい思いをさせてしまうのでは?と考えてしまうのだ。
そんな揺れる思いが表情に出てしまい、シャオメイの表情が暗くなる。
「どうしたの、シャオメイ?」
母に呼びかけられ、はっとして無理矢理笑顔を作る。
「ううん、何でもない」
病気の母に余計な心配をさせ、負担はかけられない、と首を横に振った。
「そう?ならいいけど……。あまり抱え込み過ぎないようにね?シャオメイは人一倍頑張り屋さんだから」
「うん!肝に銘じておくわ」
母の言葉に、シャオメイは笑顔で頷いてみせた。
シャオメイが帰った後の病室は静寂が広がっていた。
「……セイラン、いる?」
窓の外へ視線を向けながら、まるで独り言の様に、母が唇を動かす。
それを言い終えると同時に、扉が静かに開き、黒いスーツを着た若めの女性が入ってきた。
「ここに」
「1つ……お願いがあるの」
視線を窓の外からセイランと呼ぶ女性へと向ける。
その瞳は、いつになく真剣な眼差しであった。
病院を出たシャオメイは、ふと父とケンカした事を思い出す。
(すっかり忘れてたわ……。どうしよっかなぁ……このまま帰ったら、父さんと顔を合わせちゃうだろうし……)
腹立たしさと気まずさで、しばらくは顔も見たくない。
(う~ん……)
悩むこと数秒、シャオメイの出した結論は……
「しばらくはホテルに泊まる事にしよっと」
即決してからのシャオメイの行動は早かった。
早速自宅へと電話をかける。
「もしもし、シャオメイだけど」
『あ、お嬢様。どうなされました?』
「私、しばらく家に帰らないから。父さんにもそう言っといて」
『え!?お嬢様!?あの……』
家出の宣告をされ、電話のモニターの向こうで慌てふためく使用人の姿が窺える。
そんな可哀想な使用人の様子を気にも留めずに電話を切り、その足で近くのホテルへと向かっていった。
観光産業にも手を伸ばすレイズカンパニーは、ホテル業界にとってお得意様である。
社長はもちろん、その御令嬢ともあらば、顔も広く知れ渡っている。
シャオメイの姿を見るや否や、従業員はこちらが恐縮するほどに畏まった対応を始める。
抜き打ちの視察に来たとでも思っているのだろうか?
チェックイン時には、長期の宿泊を希望するシャオメイに対し「お嬢様からお代金など頂けません!」などと言う始末だ。
シャオメイは苛立ちを覚えながらも、支配人と交渉を始めた。
「代金はチップも合わせてきっちり払うわ。だから、私がここにいる事は父には黙ってて」
「いえ、しかし……」
「い・い・わ・ね?」
「か……かしこまりました……」
シャオメイの剣幕に萎縮し、支配人も首を縦に振る他なかった。
それから数日後、シャオメイに転機とも言える出来事が到来した。
宇宙中を震わせたとある大事件が起きたのである。
『ソリア学園生徒7名、修学旅行の事故から8ヶ月、奇跡の生還!』
世間は『奇跡の生還者達』の話題で沸き上がっており、テレビはどの局もその特集で持ちきりであった。
特にメディアが注目していたのは、ハワード財閥とヴィスコンティ議員についてである。
局によっては、ほとんど2人のみの特集を詰めている所もある。
シャオメイがテレビを付けるタイミングは決まってそんな番組ばかりであった為、ハワードとメノリを除く残りの5人についてはほとんど印象に残ってはいなかった。
しかし、彼らが話した未知の惑星での冒険譚は、シャオメイの心を震わせた。
(地球に似た無人惑星でサバイバル……本当はこんな事思っちゃいけないんだろうけど……羨ましいな……)
自由を求めるシャオメイにとって、彼らの体験に憧れるものがあった。
(ロカA2か……どんな所なんだろう?)
この話題がきっかけだったのかもしれない。
シャオメイの中で、ロカA2に対する興味が強く沸き上がっていくのであった。
シャオメイがホテル生活を始めて1ヶ月が経とうとしていた。
父から何かしらのアクションを起こしてくるかと覚悟していたが、予想に反して平和そのものであった。
ここまで音沙汰が無いと、逆に気味が悪い。
何か良からぬ事を仕掛けてくるのでは?と不意に勘繰ってしまっている。
それだけの恐ろしさを、シャオメイは父に抱いていた。
そんな不安な日々を送っていたある日の事。
とある人物がシャオメイの部屋を訪れた。
ノックの音を聞き、いつものようにホテルマンがやってきたのだと思い扉を開けると、そこに立っていたのは見知った顔であった。
「せ……セイラン……!」
相変わらずの、笑みのない冷淡さを感じさせる表情をした黒衣の女性がそこにいた。
「お休みのところ、申し訳ありません」
「ど、どうしてここが分かったの?」
「このコロニーにあるホテルは全てレイズ・カンパニーの傘下です。探し出すのは非常に容易です」
「……じゃあ、もしかして私がここにいる事を父さんは……」
「すでに分かっておいででしょう」
「で、でも!それなら何で今まで何の音沙汰も……」
「お嬢様は気付いておいででしたか?このホテルから外出される時に、ずっと監視がついていた事を」
「!!!」
淡々としたセイランの言葉にシャオメイは愕然とした。
家を出れば自由になれると思っていた。
しかし、実際はどうだ。
このコロニー自体が、父の手中にあるに等しいのだ。
ここにいる限り、父の支配から逃れる事は出来ない。
「……それで?あんたは父さんの命令で、私を連れ戻しにでも来たの?」
父が自分の居場所を知っていながら1ヶ月もの間、放置していたのは、明らかに自分を馬鹿にしていた、という事に他ならない。
こうやって直に使用人を面会させた、という事は、「遊びは終わりだ」とでも言うつもりなのだろうか?
悔しさで唇をギュッと噛みしめる。
そして、恨めしそうな視線をセイランへと向けた。
しかし、彼女から返って来た言葉は、意外なものであった。
「いいえ。私がここへ来たのは別の理由です」
「別の……理由……?」
思わずシャオメイは目を丸くする。
「少し混みいった話となるので、中に入ってもよろしいでしょうか?」
「え、ええ……」
セイランの目的がいまいち分からず、シャオメイは少し警戒しながらも彼女を室内へと招き入れた。
部屋へ入ったセイランは、食器棚からカップを取り出し、お茶を用意し始めた。
シャオメイはその背中をジッと疑いの眼差しで見つめていた。
セイランの事は小さい頃から知っているが、笑顔を見た事が無く、冷淡なイメージを周囲に与えていた。
表情が読めない為、何を考えているのかよく分からない。
しかし、使用人としてのスキルは高く、その点はシャオメイも認めていた。
それでも、コミュニケーションを取った記憶がほとんど無く、正直シャオメイは苦手意識をもっていた。
先程部屋の入口で交わした会話は、普段からしてみれば、よく話した方だと自信を持って言える。
そんな彼女の口から、一体どんな内容の話が飛び出してくるのか、少し怖くもある。
そんな事を考えているうちに、お茶の用意が済んだようで、シャオメイの前には湯気の立った良い香りのする紅茶が置かれた。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
勧められるままにシャオメイは紅茶を口へ運ぶ。
「……おいしい」
文句のつけようのない完璧な味わいである。
「ありがとうございます」
礼を言う表情も、笑顔は無く淡々としていた。
やや気まずさを感じながら、シャオメイは本題を切り出した。
「それで?話してちょうだい。セイランがここへ来た理由っていうのを」
「はい」
セイランは小さく頷くと、変わらぬ淡々とした口調で話し始めた。
「お話しする前に、1つ確認させて頂きたい事があります」
「なに?」
「お嬢様はこれからどうされるおつもりですか?」
「え……?」
「このままずっとホテルで生活をされるおつもりですか?」
意外な言葉にシャオメイは動揺した。
父と顔を合わせたくない理由からホテル生活を始めたが、さすがにこのままだらだらと続ける訳にもいかないだろう。
「私は……」
シャオメイは考える。
一体自分は何をしたいのか?
そもそものきっかけを思い返し、自然と口から言葉が洩れる。
「私は……自由になりたい。このコロニーを出て、自分のやりたい事をやりたい……!」
「お嬢様の気持ちは分かりました。それならば、私はお嬢様をサポートします」
不思議な感覚であった。
その言葉は淡々としたものであるのに、暖かみを感じたのだ。
シャオメイの本心を聞き、それを受け入れてくれたのは、今まで母以外にはいなかった。
その時、シャオメイは思った。
セイランは、本当は心の温かな人なのではないだろうか、と。
すると、セイランが途端に人間らしく感じられる様になっていった。
「そ、それは嬉しいけど……でも何で?」
「何で、とは?」
「どうして協力してくれるの?」
シャオメイの問いかけに、やや間を置いて、セイランは返答した。
「奥様に頼まれましたから」
「お、お母さんに?」
「『あの子の力になってあげて』……それが奥様の言葉です」
「………」
シャオメイは胸が熱くなった。
母はちゃんと自分を見てくれていた。
自分の心の声を聞いてくれていた。
そんな母が背中を押してくれている。
ならばやるべき事は決まっている。
「でも、いいの?いくらお母さんのお願いとは言っても、それだと父さんに刃向かう事になるわよ?」
「そうですね」
セイランは小さく頷くも、特に怯える様子も無かった。
「しかし、私から見ても、旦那様の考えは間違っていると思いますから」
シャオメイは驚いた。
この宇宙で、しかも使用人の立場で、父の考えを『間違っている』と断言する人間など、今までにいただろうか?
父に刃向かえば、一瞬にしてその権力に潰されてしまう。
それは誰もが知っている事であるのに、彼女には恐れが無いのだろうか?
「お嬢様?」
「あ、うん、ごめん。なに?」
声を掛けられ、ハッと我に返る。
目を向けると、セイランが不思議そうにこちらを見ていた。
「ですから、今後の事について決めておく必要があります、と……」
「そ、そうね!セイランは何か良い案がある?このタイミングでここへ訪ねて来たのも、考えあっての事なんでしょ?」
シャオメイの予測に、セイランは頷いた。
「さすがお嬢様ですね。確かに私が今日ここに来たのは、今が動くに絶好の機会だからです」
「というと?」
「まず、旦那様が現在火星へ出張へ出ております」
「なるほどね、確かにいいタイミングだわ」
「それからもう1つ」
「なに?」
「ここを出られるつもりなのでしたら、『ロカA2』へ行く事をお勧めします」
シャオメイは目を見開いた。
それはまさに、自分が行ってみたいと思っていた場所であった。
「今話題となっています、あの奇跡の生還のニュースがあってから、ロカA2へ観光に向かう方が増えております。それに紛れて乗船されれば、あまり目立たずに向かう事が出来るはずです」
提案をするセイランを見つめ、シャオメイの中にある疑問が浮かんだ。
そして自然とその思いを口に出した。
「セイランは……どうしてそこまでしてくれるの?お母さんの頼みだからってだけじゃないよね?」
「そう思います?」
「うん。だって、父さんの事をあんなはっきり『間違っている』って言える人が、頼みだからってだけでここまでしてくれるとは思えないから。何か、セイラン自身の意志を感じるの」
「やはりお嬢様は鋭いですね。しかし、理由は単純なものですよ?私にとって、お嬢様は大切な人ですから……大切な人には幸せになってほしい、と思うのです。ただそれだけの事です」
「セイラン……」
無意識の行動であった。
シャオメイはギュッとセイランに抱きついていた。
周囲からは冷淡と思われていた彼女は、とても温かく、いい香りがした。
「お、お嬢様?」
突然の行動に、セイランから珍しく動揺した様な声が聞こえてきた。
シャオメイが顔を上げると、セイランは少し照れた様に頬をわずかに紅く染めていた。
初めて見るセイランの人間らしい表情に、シャオメイはクスッと小さく笑い、その胸に顔を擦り寄せた。
「セイラン……ありがとう」
顔は見てないが、その言葉を受けたセイランがわずかに微笑んだ様にシャオメイには感じられた。
その翌日、セイランとの打ち合わせ通りに、シャオメイはついに作戦を決行する。
外出の際の監視を上手く撒いて急いで宇宙港へと直行した。
宇宙港に到着すると、ロカA2行きのチケットを1枚購入し、改札を通過する。
見送りは誰もいないが、出発する前に立ち寄った病院で、母とセイランから貰った言葉が、彼女の心を温かな気持ちで満たしてくれる。
『たった一度の人生なんだから、あなたの思う様に生きなさい。お父さんが何と言おうと、いつだって私はシャオメイの味方だからね』
『何かあったら遠慮無く申しつけ下さい。奥様に代わって、私が出来る限りのサポートを致しますから。だからお嬢様は自分の信じた道を進んで下さい』
指定席に着き、シャオメイは窓の外から慣れ親しんだコロニーを見つめた。
「お母さん……セイラン……ありがとう。それじゃあ、行ってきます」
定刻を迎え、シャトルがゆっくりと上昇を始める。
自らの夢の為、そしてそれを叶える為に、父という強大な『敵』と闘い、本当の意味で自由を得る為、シャオメイを乗せたシャトルは、ロカA2を目指して出港した。
奇跡の生還者達も例外でない様で、試験対策について話し合う彼らの姿が見られる。
「対策と言っても、中等部の総まとめだしな。もちろん試験範囲は今まで習った所全部だろうし、傾向も毎年バラバラだ。さて、どうしたもんか……」
腕を組み、しかめ顔をするハワードが悩ましげに唸り声をあげる。
「ま、結局は日頃の積み重ねだから、普段からちゃんと勉強してれば問題ないでしょ」
成績的に問題の無いシンゴからは余裕の声。
メノリも正論だ、頷く態度を見せる。
「身も蓋もないことを言うなよ!こっちは不安でいっぱいなんだよ!」
ハワードも決して成績が悪い方では無いが、それでも進級のかかった試験となると、不安が強くなるのである。
その気持ちが分かるシャアラは、皆に1つの提案を出す。
「じゃあ、また前みたいに勉強会をやりましょうよ!」
「うん、いいね!あの時も結構はかどったし」
ベルも二つ返事でシャアラの案に同意する。
「そうだな……またチャコに講師を頼むとするか」
「げっ!?」
メノリの言葉に、ハワードがあからさまに嫌そうな声をあげる。
予想以上にスパルタであったチャコの
「朝からやかましいな」
その言葉と共にカオルが教室へと入ってきた。
「よぉ、カオ……ル?」
「何で疑問形なんだ」
ハワードの反応に、カオルの表情がやや不機嫌になる。
「しょうがないだろ?今までの髪型で見慣れてたから、何か今の短い髪に違和感を感じるんだよ」
「知るか。頑張って慣れろ」
2人のやり取りに、一同は苦笑いを浮かべた。
ハワードの言いたい事も分かるのである。
かと言って、髪型ひとつで騒ぎ立てるのも、カオルに対して申し訳ない。
ここは一つ、ハワードに代弁者(身代わりとも言う)となってもらう事で納得するのであった。
そこへ、廊下をドタドタと激しく走る音がメノリの耳に届く。
途端にメノリの表情が風紀委員の顔へと代わり、音源の先をキッと睨み付けた。
「全く、誰だ?廊下を走っているのは……」
メノリが犯人を突き止めようとする間も無く、足音はどんどん近づいていき、教室の前で止まった。
それと同時に、教室の扉が開くと、息を切らしたルナが飛び込んできた。
「み、みんな────!!た、大変だよ!!!!」
ルナの尋常ではない慌て様に、さすがのメノリも説教をする事も忘れ、理由を問いただした。
「一体どうしたというんだルナ?」
「はぁ……はぁ……さっき、隣のクラスの子から聞いたんだけど……」
切らした息を必死に整えようとしながら、ルナは説明を続ける。
「シャオメイが……」
「シャオメイ?そういえば最近姿見てないな」
ハワードがここ数日間の事を想起させる。
しかし、その中にシャオメイを見た記憶はどこにもなかった。
他の仲間達もそれは同様のようで、ハワードの言葉に小さく頷いていた。
「それが……」
ルナは深呼吸をして、呼吸を整えた。
そして、深刻そうな表情で、言葉を続けた。
彼らが記憶するに、これほどまでに衝撃を受けたのは、恐らくカオルが編入するという話を聞かされた時以来だろう。
その久々の感覚を懐かしむ者は1人もなく、誰しもが言葉を失っていた。
「シャオメイが……転校しちゃった!!!」
──ロカA2から数光年離れた、とある惑星に建設された巨大コロニー。
宇宙でも知らぬ者はいない程に名の通ったある実業家の所有する広大な敷地がそこに存在する。
そして、ここに腰を据えた事を象徴する様に、占有地の一角には大豪邸が佇む。
外観も内装も
しかし、荘厳たる様式の中に1つだけ、
扉には、荒々しい筆跡で『
その室内の様子もまた、凄惨としたものであった。
壁は所々に凹みや傷が目立ち、家具は倒れ、花瓶などの装飾品は割れ砕け床に散らばっている。
まるで、この部屋にだけ暴風雨でも来たかのような有り様であった。
そんな異質な空間の中、窓際に配置された円テーブルに顔を突っ伏し、椅子に座る少女の姿があった。
少女は精根尽きたかの様に、その体勢のまま微動だにしない。
窓の外から聞こえてくる鳥の
それに反応するように、少女の頭がわずかに動く。
頬はテーブルの面に付けたまま、顔だけを窓の外へと向けていた。
視界に入ってきたのは、『晴れ』の空を飛び戯れる小鳥。
少女の瞳が悲哀の色に変わる。
(これ見よがしに目の前で飛び回らないでよ……私に自由を見せつけないでよ……!)
目頭を伝った涙が、ポタリとテーブルに滴り落ちる。
「自由に……なりたいよ……」
少女──シャオメイの心の悲鳴が、不意に口に出る。
それはいつもの彼女らしからぬ弱々しい声であった。
第 3 話 『イカロスの翼(前編)』
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
リン・シャオメイは父が嫌いだった。
宇宙でも1位、2位を争う財力を持ち、その権力を鼻にかけ傍若無人に振る舞う姿。
全てが自分の思い通りになるという、唯我独尊な考え。
娘さえ、自分に従わせようとする支配欲。
まるで、かつて地球で戦争があった時代に存在したという独裁者を彷彿させた。
シャオメイの意志はことごとく抑圧され、父が敷いたレールの上を歩く事を強いられていた。
進学する学校、習い事、将来就く仕事、さらに将来結婚する相手まで、自分自身の人生が生まれた時から決められていたと言っても過言ではない。
全てが父の思いがままであり、そこにシャオメイの意志はない。
その事を自覚した時、シャオメイの中で、自由に対する強い憧れが急激に沸き上がった。
「父さん……話があるの」
ノックをし、シャオメイは父の書斎へと足を踏み入れる。
「見てのとおり、忙しいのでな。用件は手短に言いなさい」
イスに腰掛け、書類に目を通す父の重々しい声が、シャオメイに圧力をかける。
緊張からか、手は汗でじとっと湿っていた。
それを振り払うかの様に、拳をギュッと握りしめると、意を決して自身の思いを伝えた。
「私……中学を卒業したら、家を出ようと思うの。医者になりたいから、もっと専門的に学べる学校へ行こうと思ってる」
父の手が止まり、鋭い視線をシャオメイへと向ける。
「……話と言うから何かと思えば、そんな下らない事か?」
(くだ……ら……ない……?)
一瞬、何を言われたのか理解できなかった。
「く、下らないって……!!進路の話よ!?それを……」
「お前の進路は私がもう決めてある。余計な事を考えている暇があったら、勉強に専念しなさい」
「決めてある……ですって……?」
「そうだ。私の指定した高校、大学に進み、数年間の留学を経て、この『レイズ・カンパニー』を継いでもらう」
「ちょ……私は医者に……」
「そんなものになる必要はない」
自分の夢を『そんなもの』扱いされた事で、シャオメイの中で、今まで抑圧されてきた感情が一気に爆発した。
「何よそれ……私の意志なんてどこにも無いじゃない!!」
「お前は私の言う通りにしていればいい。それが正しい選択だからだ。何故それが分からん?」
シャオメイは愕然とした。
文字通り、話にならない。
シャオメイがどんな進路へ進むか、父にとっては内容など問題ではなかった。
容は『自分が決めた事に娘が従うか否か』。
ただそれだけなのである。
そして悟った。
ここに居ては一生自由など手に入らない、と。
シャオメイの中で父へ対する嫌悪感が急激に沸き上がる。
「冗談じゃないわ!私は父さんの所有物なんかじゃない!!自分の進む道は自分で決める!!!」
力の限りシャオメイは叫び、書斎を飛び出した。
屋敷を飛び出したシャオメイは、自然ととある場所へと足を運んでいた。
広い敷地の中にそびえ立つ、白き巨塔。
その正面玄関を通過し、受付でアポイントをとると、エレベーターで最上階まで昇っていく。
目的の階に降りると、廊下をまっすぐ突き進み、最奥の扉の前で立ち止まった。
ノックをすると、中から「どうぞ」と返答があった。
開閉ボタンを押して中へと進入する。
室内は、天井も壁も床も、全てが清潔な白で覆われていた。
部屋の中央に設置されたベッドには、上半身を起き上がらせてシャオメイに微笑みかける女性の姿があった。
「おはよう、シャオメイ」
「おはようって、もう夕方だよ?」
苦笑いを浮かべながらシャオメイはベッド横のイスに腰掛ける。
「そうだったわね。さっきまで眠ってたから、つい」
「体の調子……あまり良くないの?」
シャオメイが心配そうな表情を向ける。
「そうじゃないわ。外も段々と春の陽気へと変わってきたから、暖かくてウトウトしてしまっただけ」
「そっか。それならいいんだけど……無理はしないでね、お母さん」
シャオメイの言葉に、母はニコッと柔らかく微笑んだ。
シャオメイの母が入院を余儀なくされたのは、半年前の事である。
いつもと変わらぬはずだった日常が一転、突然の病魔が母を襲った。
救急搬送された病院に駆けつけたシャオメイは、医師から告げられた病名を聞き、絶望した。
『宇宙病』
それが母に付けられた診断名であった。
科学の進歩している現代においてもなお、いまだに治療法が発見されていない難病の1つである。
宇宙に潜在する未知の病原菌が体内に侵入し、抗体の無い者は臓器等が炎症を起こし、徐々に体を蝕んでいく。
広大な宇宙で、同種のウイルスにかかる方が珍しく、故に抗生剤もほとんど効果を発しない。
病院での治療も、投薬で炎症を抑える事と、痛みを和らげる鎮静剤を打つ事に限られてしまう。
症状の進行を抑える事が出来ても、ウイルス自体を殺す事は出来ない。
専門的な事が分からなくとも、宇宙病が『不治の病』と呼ばれている事は世間でも周知されている。
だからこそ、シャオメイは諦めたくなかった。
受け入れてしまったら、母は助からない、という現実を認めてしまう事になるからだ。
『お母さんを助けたい……!』
その思いがきっかけだったのかもしれない。
シャオメイは次第に医学へ興味を示していった。
病室で母と談笑している間、シャオメイの心の中には少し迷いが生じていた。
父には「家を出る」と啖呵を切ってきたが、家を出れば、今のようにここへお見舞いに来る頻度がぐっと減ってしまうだろう。
母の為に医学の勉強をしたいと思う反面、母に寂しい思いをさせてしまうのでは?と考えてしまうのだ。
そんな揺れる思いが表情に出てしまい、シャオメイの表情が暗くなる。
「どうしたの、シャオメイ?」
母に呼びかけられ、はっとして無理矢理笑顔を作る。
「ううん、何でもない」
病気の母に余計な心配をさせ、負担はかけられない、と首を横に振った。
「そう?ならいいけど……。あまり抱え込み過ぎないようにね?シャオメイは人一倍頑張り屋さんだから」
「うん!肝に銘じておくわ」
母の言葉に、シャオメイは笑顔で頷いてみせた。
シャオメイが帰った後の病室は静寂が広がっていた。
「……セイラン、いる?」
窓の外へ視線を向けながら、まるで独り言の様に、母が唇を動かす。
それを言い終えると同時に、扉が静かに開き、黒いスーツを着た若めの女性が入ってきた。
「ここに」
「1つ……お願いがあるの」
視線を窓の外からセイランと呼ぶ女性へと向ける。
その瞳は、いつになく真剣な眼差しであった。
病院を出たシャオメイは、ふと父とケンカした事を思い出す。
(すっかり忘れてたわ……。どうしよっかなぁ……このまま帰ったら、父さんと顔を合わせちゃうだろうし……)
腹立たしさと気まずさで、しばらくは顔も見たくない。
(う~ん……)
悩むこと数秒、シャオメイの出した結論は……
「しばらくはホテルに泊まる事にしよっと」
即決してからのシャオメイの行動は早かった。
早速自宅へと電話をかける。
「もしもし、シャオメイだけど」
『あ、お嬢様。どうなされました?』
「私、しばらく家に帰らないから。父さんにもそう言っといて」
『え!?お嬢様!?あの……』
家出の宣告をされ、電話のモニターの向こうで慌てふためく使用人の姿が窺える。
そんな可哀想な使用人の様子を気にも留めずに電話を切り、その足で近くのホテルへと向かっていった。
観光産業にも手を伸ばすレイズカンパニーは、ホテル業界にとってお得意様である。
社長はもちろん、その御令嬢ともあらば、顔も広く知れ渡っている。
シャオメイの姿を見るや否や、従業員はこちらが恐縮するほどに畏まった対応を始める。
抜き打ちの視察に来たとでも思っているのだろうか?
チェックイン時には、長期の宿泊を希望するシャオメイに対し「お嬢様からお代金など頂けません!」などと言う始末だ。
シャオメイは苛立ちを覚えながらも、支配人と交渉を始めた。
「代金はチップも合わせてきっちり払うわ。だから、私がここにいる事は父には黙ってて」
「いえ、しかし……」
「い・い・わ・ね?」
「か……かしこまりました……」
シャオメイの剣幕に萎縮し、支配人も首を縦に振る他なかった。
それから数日後、シャオメイに転機とも言える出来事が到来した。
宇宙中を震わせたとある大事件が起きたのである。
『ソリア学園生徒7名、修学旅行の事故から8ヶ月、奇跡の生還!』
世間は『奇跡の生還者達』の話題で沸き上がっており、テレビはどの局もその特集で持ちきりであった。
特にメディアが注目していたのは、ハワード財閥とヴィスコンティ議員についてである。
局によっては、ほとんど2人のみの特集を詰めている所もある。
シャオメイがテレビを付けるタイミングは決まってそんな番組ばかりであった為、ハワードとメノリを除く残りの5人についてはほとんど印象に残ってはいなかった。
しかし、彼らが話した未知の惑星での冒険譚は、シャオメイの心を震わせた。
(地球に似た無人惑星でサバイバル……本当はこんな事思っちゃいけないんだろうけど……羨ましいな……)
自由を求めるシャオメイにとって、彼らの体験に憧れるものがあった。
(ロカA2か……どんな所なんだろう?)
この話題がきっかけだったのかもしれない。
シャオメイの中で、ロカA2に対する興味が強く沸き上がっていくのであった。
シャオメイがホテル生活を始めて1ヶ月が経とうとしていた。
父から何かしらのアクションを起こしてくるかと覚悟していたが、予想に反して平和そのものであった。
ここまで音沙汰が無いと、逆に気味が悪い。
何か良からぬ事を仕掛けてくるのでは?と不意に勘繰ってしまっている。
それだけの恐ろしさを、シャオメイは父に抱いていた。
そんな不安な日々を送っていたある日の事。
とある人物がシャオメイの部屋を訪れた。
ノックの音を聞き、いつものようにホテルマンがやってきたのだと思い扉を開けると、そこに立っていたのは見知った顔であった。
「せ……セイラン……!」
相変わらずの、笑みのない冷淡さを感じさせる表情をした黒衣の女性がそこにいた。
「お休みのところ、申し訳ありません」
「ど、どうしてここが分かったの?」
「このコロニーにあるホテルは全てレイズ・カンパニーの傘下です。探し出すのは非常に容易です」
「……じゃあ、もしかして私がここにいる事を父さんは……」
「すでに分かっておいででしょう」
「で、でも!それなら何で今まで何の音沙汰も……」
「お嬢様は気付いておいででしたか?このホテルから外出される時に、ずっと監視がついていた事を」
「!!!」
淡々としたセイランの言葉にシャオメイは愕然とした。
家を出れば自由になれると思っていた。
しかし、実際はどうだ。
このコロニー自体が、父の手中にあるに等しいのだ。
ここにいる限り、父の支配から逃れる事は出来ない。
「……それで?あんたは父さんの命令で、私を連れ戻しにでも来たの?」
父が自分の居場所を知っていながら1ヶ月もの間、放置していたのは、明らかに自分を馬鹿にしていた、という事に他ならない。
こうやって直に使用人を面会させた、という事は、「遊びは終わりだ」とでも言うつもりなのだろうか?
悔しさで唇をギュッと噛みしめる。
そして、恨めしそうな視線をセイランへと向けた。
しかし、彼女から返って来た言葉は、意外なものであった。
「いいえ。私がここへ来たのは別の理由です」
「別の……理由……?」
思わずシャオメイは目を丸くする。
「少し混みいった話となるので、中に入ってもよろしいでしょうか?」
「え、ええ……」
セイランの目的がいまいち分からず、シャオメイは少し警戒しながらも彼女を室内へと招き入れた。
部屋へ入ったセイランは、食器棚からカップを取り出し、お茶を用意し始めた。
シャオメイはその背中をジッと疑いの眼差しで見つめていた。
セイランの事は小さい頃から知っているが、笑顔を見た事が無く、冷淡なイメージを周囲に与えていた。
表情が読めない為、何を考えているのかよく分からない。
しかし、使用人としてのスキルは高く、その点はシャオメイも認めていた。
それでも、コミュニケーションを取った記憶がほとんど無く、正直シャオメイは苦手意識をもっていた。
先程部屋の入口で交わした会話は、普段からしてみれば、よく話した方だと自信を持って言える。
そんな彼女の口から、一体どんな内容の話が飛び出してくるのか、少し怖くもある。
そんな事を考えているうちに、お茶の用意が済んだようで、シャオメイの前には湯気の立った良い香りのする紅茶が置かれた。
「どうぞ」
「あ、ありがと」
勧められるままにシャオメイは紅茶を口へ運ぶ。
「……おいしい」
文句のつけようのない完璧な味わいである。
「ありがとうございます」
礼を言う表情も、笑顔は無く淡々としていた。
やや気まずさを感じながら、シャオメイは本題を切り出した。
「それで?話してちょうだい。セイランがここへ来た理由っていうのを」
「はい」
セイランは小さく頷くと、変わらぬ淡々とした口調で話し始めた。
「お話しする前に、1つ確認させて頂きたい事があります」
「なに?」
「お嬢様はこれからどうされるおつもりですか?」
「え……?」
「このままずっとホテルで生活をされるおつもりですか?」
意外な言葉にシャオメイは動揺した。
父と顔を合わせたくない理由からホテル生活を始めたが、さすがにこのままだらだらと続ける訳にもいかないだろう。
「私は……」
シャオメイは考える。
一体自分は何をしたいのか?
そもそものきっかけを思い返し、自然と口から言葉が洩れる。
「私は……自由になりたい。このコロニーを出て、自分のやりたい事をやりたい……!」
「お嬢様の気持ちは分かりました。それならば、私はお嬢様をサポートします」
不思議な感覚であった。
その言葉は淡々としたものであるのに、暖かみを感じたのだ。
シャオメイの本心を聞き、それを受け入れてくれたのは、今まで母以外にはいなかった。
その時、シャオメイは思った。
セイランは、本当は心の温かな人なのではないだろうか、と。
すると、セイランが途端に人間らしく感じられる様になっていった。
「そ、それは嬉しいけど……でも何で?」
「何で、とは?」
「どうして協力してくれるの?」
シャオメイの問いかけに、やや間を置いて、セイランは返答した。
「奥様に頼まれましたから」
「お、お母さんに?」
「『あの子の力になってあげて』……それが奥様の言葉です」
「………」
シャオメイは胸が熱くなった。
母はちゃんと自分を見てくれていた。
自分の心の声を聞いてくれていた。
そんな母が背中を押してくれている。
ならばやるべき事は決まっている。
「でも、いいの?いくらお母さんのお願いとは言っても、それだと父さんに刃向かう事になるわよ?」
「そうですね」
セイランは小さく頷くも、特に怯える様子も無かった。
「しかし、私から見ても、旦那様の考えは間違っていると思いますから」
シャオメイは驚いた。
この宇宙で、しかも使用人の立場で、父の考えを『間違っている』と断言する人間など、今までにいただろうか?
父に刃向かえば、一瞬にしてその権力に潰されてしまう。
それは誰もが知っている事であるのに、彼女には恐れが無いのだろうか?
「お嬢様?」
「あ、うん、ごめん。なに?」
声を掛けられ、ハッと我に返る。
目を向けると、セイランが不思議そうにこちらを見ていた。
「ですから、今後の事について決めておく必要があります、と……」
「そ、そうね!セイランは何か良い案がある?このタイミングでここへ訪ねて来たのも、考えあっての事なんでしょ?」
シャオメイの予測に、セイランは頷いた。
「さすがお嬢様ですね。確かに私が今日ここに来たのは、今が動くに絶好の機会だからです」
「というと?」
「まず、旦那様が現在火星へ出張へ出ております」
「なるほどね、確かにいいタイミングだわ」
「それからもう1つ」
「なに?」
「ここを出られるつもりなのでしたら、『ロカA2』へ行く事をお勧めします」
シャオメイは目を見開いた。
それはまさに、自分が行ってみたいと思っていた場所であった。
「今話題となっています、あの奇跡の生還のニュースがあってから、ロカA2へ観光に向かう方が増えております。それに紛れて乗船されれば、あまり目立たずに向かう事が出来るはずです」
提案をするセイランを見つめ、シャオメイの中にある疑問が浮かんだ。
そして自然とその思いを口に出した。
「セイランは……どうしてそこまでしてくれるの?お母さんの頼みだからってだけじゃないよね?」
「そう思います?」
「うん。だって、父さんの事をあんなはっきり『間違っている』って言える人が、頼みだからってだけでここまでしてくれるとは思えないから。何か、セイラン自身の意志を感じるの」
「やはりお嬢様は鋭いですね。しかし、理由は単純なものですよ?私にとって、お嬢様は大切な人ですから……大切な人には幸せになってほしい、と思うのです。ただそれだけの事です」
「セイラン……」
無意識の行動であった。
シャオメイはギュッとセイランに抱きついていた。
周囲からは冷淡と思われていた彼女は、とても温かく、いい香りがした。
「お、お嬢様?」
突然の行動に、セイランから珍しく動揺した様な声が聞こえてきた。
シャオメイが顔を上げると、セイランは少し照れた様に頬をわずかに紅く染めていた。
初めて見るセイランの人間らしい表情に、シャオメイはクスッと小さく笑い、その胸に顔を擦り寄せた。
「セイラン……ありがとう」
顔は見てないが、その言葉を受けたセイランがわずかに微笑んだ様にシャオメイには感じられた。
その翌日、セイランとの打ち合わせ通りに、シャオメイはついに作戦を決行する。
外出の際の監視を上手く撒いて急いで宇宙港へと直行した。
宇宙港に到着すると、ロカA2行きのチケットを1枚購入し、改札を通過する。
見送りは誰もいないが、出発する前に立ち寄った病院で、母とセイランから貰った言葉が、彼女の心を温かな気持ちで満たしてくれる。
『たった一度の人生なんだから、あなたの思う様に生きなさい。お父さんが何と言おうと、いつだって私はシャオメイの味方だからね』
『何かあったら遠慮無く申しつけ下さい。奥様に代わって、私が出来る限りのサポートを致しますから。だからお嬢様は自分の信じた道を進んで下さい』
指定席に着き、シャオメイは窓の外から慣れ親しんだコロニーを見つめた。
「お母さん……セイラン……ありがとう。それじゃあ、行ってきます」
定刻を迎え、シャトルがゆっくりと上昇を始める。
自らの夢の為、そしてそれを叶える為に、父という強大な『敵』と闘い、本当の意味で自由を得る為、シャオメイを乗せたシャトルは、ロカA2を目指して出港した。
つづく