このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

4期

第 12 話 『カゴの鳥⑧』

シャオメイの案内のもと、中枢の街へと向かう道中、メノリは皆にティアから聞いたフェイロンの過去を伝えた。

皆が彼女の口から語られた事実に驚く中で、特に驚いていたのは勿論、シャオメイであった。

「知らなかった……父さんの過去にそんな事があったなんて……」

父親の徹底した権威主義は、生来の性格によるものだとずっと思っていた。

母・ティアも教えてくれなかった事実。

いや、単に自分が聞こうとしていなかっただけかもしれない。

父の事など知る必要がない、と。

ショックを隠しきれないシャオメイの顔には動揺の色が現れていた。


「迷うなよ」

「え……?」

カオルから掛けられた言葉に、シャオメイが視線を上げる。

「迷いは心に隙を生む。敵はその隙に一気につけ込んで、お前の心を挫こうとするぞ。それに、今のフェイロンを支配しているのは『リン一族の誇り』という悪意だ。同情など一切通用しない」

カオルから容赦無い発言が飛ぶ。

憤慨するかと思われたが、当のシャオメイは至って冷静であった。

「大丈夫。驚きはしたけど、迷ってはいないわ。立ち止まってなんかいられない……私の為に尽力してくれたお母さんやセイラン、みんなに報いる為にも……!」

「そうか。ならいい」

シャオメイの揺るぎ無い決意を聞き、余計な心配であった、とカオルは納得し頷いた。


そんな中、妙にそわそわしながら動く歩道に立つルナの姿がシャアラの目に留まる。

その挙動不審な様子が気になり、シャアラは思わず声をかけた。

「どうしたの?ルナ」

「あ……う、うん……。何だかさっきから視線を感じる、というか……尾けられてる様な、そんな気がしてて……」

「そうか?別に僕は何も感じないけどな」

ハワードが辺りを見回すも、行き交う人はスーツを着たサラリーマンくらいである。

「決戦を前に、過敏になってるだけじゃないのか?」

「そうなの、かな……?」

ケラケラと笑うハワードの言葉を否定する根拠を持ち合わせていないルナは、自信なさそうに首を傾げた。

しかし、ルナの直感が杞憂でなかった事を証明する様に、淡々としたカオルの発言が、ハワードの顔色を変える事となる。


「……思っていたより早かったな」

「は……?」

「父さんの情報網を甘く見ない方がいいわよ。少なくとも、私達が学園で騒ぎを起こした事は既に伝わっちゃってるだろうしね」

「な、何だよ?何の話だよ?」

2人の意味深なやりとりに、一抹の不安を抱いたのか、ハワードがおずおずと問いただす。

「私達、尾けられてるわよ」

「何だっ……むー、むー!!?」

「しっ!大声出さないで!それから不用意に周りをキョロキョロしない!」

シャオメイに口を押さえられ、ハワードは苦しそうに唸り声をあげた。

仲間達も、シャオメイの言葉に従い、進行方向を向きながら、声を潜めた。

「どうする?尾けてる奴ら、叩きのめす?」

指の骨を鳴らしながら、何故か応戦をアピールするシャオメイ。

「いや、時間の無駄だ。撒いた方が早い」

「撒くって……第1番街までまだ少し距離があるわよ?私やルナならともかく、正直厳しいんじゃない?」

仲間達へ目を向けながら、シャオメイはカオルの意見に反論した。

「フェイロンの元へ辿り着くまでに、今は少しでも奴へ情報が流れるのを止める必要がある」

「だったら余計、全員ぶっ飛ばしちゃえば……」

「尾行が何人いるかも分からない。1人でも取り逃がしたら、結果フェイロンに情報を与えてしまうリスクがある」

「ぐ……」

カオルの論理を打ち崩せず、シャオメイは口を結んだ。

「もちろんフォローはする。絶対に失敗はさせない……だから、今だけは俺を信用してくれ」

カオルから出た、彼らしからぬ言葉。

しかし、それだけ本気なのだという気持ちがしっかりと伝わってくる。

シャオメイは「はぁー……」と呆れた様に深い溜息をついた。

「バカ……もうとっくに信用してるわよ……」

小恥ずかしそうに顔を逸らしながら、シャオメイが呟く。

その呟きは確かに仲間達に届いていた様で、皆が微笑みながら見返してくる。

シャオメイは照れを隠すかのように、両頬をパンッと叩いて気合いを入れた。

「なぁ、マジで走るのか?」

この期に及んでヘタレ発言をするハワード。

「嫌なら1人でここに残るか?」

「う…………分かったよ!走るよ!走ればいいんだろ!」

メノリの「置いてく」発言は効果覿面てきめんだった様で、ハワードも半ばヤケクソ気味に同意する他なかった。

「じゃあ、3秒カウントしたら全員第1番街へ向かって走れ。シャオメイ、先導頼んだぞ」

カオルの指示に皆が静かに頷く。

「3……」

全員が正面を向き、地面を蹴る足に力を込める。

「2……」

ここから先は、中枢都市へ到着するまで立ち止まる事は許されない。

「1……」

距離にしておよそ1.5㎞、過酷な鬼ごっこが始まる。


「走れ!!」

カオルの合図と同時に、全員が駆け出した。

彼らの突然の行動に不意を突かれ、尾行をしていたフェイロンの部下達が思わず身を乗り出す。

そのわずかに生まれた彼らの心の隙をカオルは見逃さなかった。

(全部で3人……!)

追跡者の総数を確認すると、カオルは疾走する仲間達から1人離脱し、メインストリート沿いに建ち並ぶビル間の裏路地を駆け抜けていった。


「ターゲットが逃げた!追うぞ!」

黒いスーツにサングラスを掛けた男達が、遠のくシャオメイ達の背中を見失わまいと動き出す。

「先に行け!私はフェイロン様に報告を……ぐあっ!?」

駆け出そうとした男の耳に入った悲鳴。

男は思わず立ち止まり、振り返る。

そこには、気絶している仲間と、先程まで追跡していたはずの少年の姿があった。

「なっ!?貴様、いつの間……」

刹那、男がその言葉を言い終える事も許さぬ速さで、カオルが一気に懐へと入り込み、ボディーブローを打つ。

崩れ落ちる仲間を見て、咄嗟に残りの1人がレーザー銃を構えた。

「このガキ……!!」

標準をカオルに定め、男が引き金に指を掛ける。

その時……

「ダメーっ!!」

突然現れたルナが、男に体当たりをして銃撃を阻んだ。

「ルナっ!?」

想定外の出来事にカオルは驚愕の表情を浮かべた。

(俺の行動に気付いてたのか……?)


衝突の勢いで地べたに倒れる男とルナ。

それでも、女子中学生の体当たりである。

衝撃は軽かったようで、ルナよりも早く、男がヨロリと立ち上がった。

「このガキ……!ふざけやがって……!」

手に持つ銃は、今度はルナに向けられた。

「ルナっ!!」

彼女を救おうと駆け出したカオルの体が不意に硬直した。

男が引き金を引く事なく、突然ゆっくりと地面へと倒れていったからである。

「!?」

何が起きたのか分からず、ルナも呆然と気絶している男を見つめた。

やがて、倒れた男の側に立つ1つの影にルナは気が付く。

おそらくはその影が気絶させたのだろう。

そっと影を見上げたルナは、瞳孔を開き驚愕した。

「え……!?」

カオルもその場に立ち尽くし、言葉を失っていた。

「あ……あなたは……」

その見覚えのある影は、2人を見つめ小さく笑っていた。




ジオC8は、7つの都市から成る、メガロポリス型の巨大コロニーである。

権力者達の屋敷や高級マンションなどの不動産が集合している第2番街・居住特区。

街一帯が巨大なショッピングモールとして設計されている第3番街・商業特区。

学術都市『ポセイドン』と呼ばれる第4番街・学術特区。

病院や医療福祉に関わる機関が集められた第5番街・医療特区。

宇宙港や、他のコロニーへと繋がるリニアカーの駅など、ジオC8の玄関と言われている第6番街・外構特区。

建築や製造に携わる工場や研究所が設置されている第7番街・工業特区。

それら6 つの街は環状に連結する様に設計され、そのの中心には、『コロニーの心臓』と呼ばれる第1番街・中枢特区が存在する。

レイズ・カンパニー本社ビルは、権力の象徴として、その中央に高々とそびえ立っている。


全力疾走の甲斐もあり、シャオメイ達はどうにか追っ手を撒き、無事に第1番街への突入を果たした。

「ぜぇ……ぜぇ……もぉ……走れ……ないよ……げほっ」

「さ……さすがに……はぁ、はぁ……堪えるな……」

「わた……し……ちょっ……気持ち……悪……」

「何やみんな、バテてもうて、しょうもないやっちゃなぁ」

「おまえはっ……ぜぇ……ベルの、肩に、乗ってた、だけじゃ……ないかよっ!はぁ……はぁ……」

その代償と言うべきか、シャオメイとチャコを除く一同は既にバテてしまっているが。

地べたに座り込み、呼吸を整える為に少しだけ休憩をする仲間達。

その様子に苦笑いをするシャオメイだったが、ふとある事に気付く。

「あれ……?ルナとカオルは?」

2人がこの場にいない事に、今になってようやく気が付く。

「あれ?最初は一緒に走ってた……よね?」

最後に2人を見た記憶を辿り、シンゴが仲間達に確認をとった。

「と、思うけど……」

走る事に精一杯で、誰もが自信ない反応をする中、チャコが口を開く。

「……ルナとカオルは、残ったで」

「は!?どういう事だよ!?」

「せやから、ウチらを追っ手から引き離す為に残ったって言っとんねん」

「何で言わないんだよ!」

憤慨して詰め寄るハワードに対し、チャコは冷静に返答を返した。

「言うたら、どうするつもりやったん?」

「そりゃあ戻ってたに決まってるだろ!仲間を置いていけるかよ!」

「そうよ!私、ルナとカオルの所に……」

「駄目だ!」

先程の現場に戻ろうとするハワードとシャアラに、メノリの叱声が飛ぶ。

「今はシャオメイと共に先へ進むのが最優先だ」

「冷たいぞメノリ!あの2人をほっとけっていうのかよ!?」

「私達が戻ったら、それこそ相手の思うつぼだぞ!何の為に2人が残ったと思ってるんだ!」

「ぐ…………だけど……!」

メノリの言葉にハワードは逡巡した。

仲間を助けに行きたいという気持ちと、仲間の思いを無駄にしたくないという気持ちがぶつかる。


「……前へ進みましょ」

ぽつりと吐いたシャオメイの言葉を聞き、一同の視線が集まる。

「カオルが言ってたでしょ?『今だけでいいから、俺を信用してくれ』って。もし今戻ったら、カオルを信用してないって事になる。……私は、あの2人なら大丈夫って信じてる。だから、今は後ろを振り向かない。前を向いて進み続ける……!」

強い意志を宿したシャオメイの言葉に、チャコがニヤリと小さく笑った。

「よう言うた、シャオメイ!その覚悟、ウチも付き合うで!」

「チャコ……」

チャコの伸ばした手に、シャオメイがそっと手を添える。

「私も乗るぞ。ルナとカオルを信じる」

さらにその上に、メノリの手が重なる。

「俺も」

「僕も!」

ベルとシンゴも続けざまに手を重ねていく。

「ハワード、シャアラも覚悟を決めよう」

ベルに促され、腹を括ったのか、ハワードとシャアラも手を伸ばし、仲間達の手に乗せた。

「い、言っとくけど、僕だってあの2人を信じていない訳じゃないんだからな!」

何のプライドなのか、ハワードは声を大にして仲間達へと訴える。

「うん、わかってるよ」

笑顔で頷くベルを見て、ハワードはプイッとそっぽを向いた。

「さぁ、そろそろ出発するぞ。新しい追っ手でも来られたら堪らないからな」

メノリはゆっくりと立ち上がり、目的の本社ビルを見据えた。


中枢特区のメインストリートを真っ直ぐに進んだその先に、レイズ・カンパニー本社が威厳を放ちそびえ立っている。

本社前へと到着したメノリ達は、目の前の、天に向かって伸びる摩天楼を見上げ、その高さに思わず圧倒された。

シャオメイの手が小さく震える。

それが武者震いなのか、恐怖からなのか、自分では判断できない。

「ところでさ、これからどうするの?まさか正面突破する訳じゃないよね?」

「まさか。騒ぎが起きないに越したことはない。シャオメイ、別の入口は無いのか?」

シンゴの質問にメノリは首を振った。

そして、改めてシャオメイへと問いかける。

「確か……裏に非常用の出入口があったはずよ。ほとんど使用してないし、警備員もいなかったと思う」

「そうか……なら、そこから社長室へ向かうとしよう。シャオメイ、案内を頼めるか?」

「分かったわ」

裏口へと向かうシャオメイの後ろをメノリ達が付いていく。

本社の周りを壁沿いに歩いていくと、1つの扉が目に入った。

「これがそうか?」

「ええ。見事に電子ロックが掛けられてるけどね」

「それは問題ないよ。ね、チャコ?」

「任しとき!」

シンゴの目配せに、チャコが力強くガッツポーズをとる。

そして肉球からコネクトを伸ばし、電子ロックのコンソールに繋げ、解錠を始めた。


「だけどホントに大丈夫?」

「何がだ?」

「確かに人目に付かずに最上階までは上がれるけど……」

「よっしゃ!ロックキー解錠出来たで!」

チャコの言葉通り、ドアのロックが解錠され、扉がゆっくりと開き出す。

しかし、その扉の先の光景を目の当たりにし、皆が言葉を失った。


「この先77階までは階段でしか行けないわよ?」

「「…………」」

上に向かって延々と続いていく階段が、皆の気合いを削いでいく。

「これ……マジで上るのか?」

「さすがに精神的にキツいよこれ……」

「もう嫌……」

「文句を言ってる暇があったら早く上るぞ。ここに立っていても、ゴールが近づく訳でもないんだからな」

完全に気持ちが萎えてしまったハワード、シャアラ、シンゴに、メノリが叱咤しながら階段を上がり始めた。

「まぁ、確かに他に方法が無いなら進むしかないね」

ベルも苦笑いを浮かべながら、チャコを肩に乗せて上り始めた。

「……しょうがない。行くしかないか」

「……そうね」

「この疲労感、懐かしのサヴァイヴを思い出すよ……」

3人は諦めにも近い、深い溜息をつくと、ようやくその重い腰を上げた。

「よーし、みんな頑張ろう!目指すは77階!!」

「「それを言うな(わないで)!!」」

シャオメイの鼓舞に、皆が口を揃えてツッコむのであった。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

「本日の研修内容は、実際に宇宙港に赴きシャトルの修理を行います」

宇宙港に現地集合した研修生の中には、若りし頃のフェイロンの姿もあった。

半ば強制的に参加する形となった今回の研修も、1週間が経過しようとしていた。

大学と同様に講習ばかりを繰り返す毎日に、フェイロンはそれほど強い関心も持てず、モチベーションも低下していた。

宇宙港の船倉に停めてある宇宙船を順番に点検していく中、1つのシャトルにとある問題が発覚する。

「こちらのシャトルなんですが……今朝から調子が悪いのか、エンジンが起動しなくて……」

「どれ……」

教官はシャトルの甲板を外し、むき出しとなったエンジンを点検し始めた。

「どうでしょう?直りますか?」

おずおずと尋ねる事務員に、教官から残酷な返答が告げられる。

「これはもうダメですね。エンジンが破損してしまっている」

「そ、そんな!?」

「これならいっそ、新しく買い換えた方がよろしいかと」


「あれ、本当に直せないのか?」

少し離れた場所から点検の行程をあくびをしながら眺めていたフェイロンが、隣に立つ研修生に尋ねる。

「そりゃあそうでしょう。エンジンは言わばシャトルの心臓。それが破損したとなれば、直しようがないですからね。それに、買い換えてもらった方がレイズ・カンパニーとしては儲けものでしょう?」

へらへらと笑いながら答える研修生に、少しイラッとしながらも、フェイロンは「ふぅん」鼻を鳴らして再び教官と事務員へ視線を戻した。

教官はチャンスと言わんばかりにカタログを広げ、新型シャトルの営業を始めた。

事務員は困った様子で「はぁ、はぁ」と頷くしか無い様子だ。

「この研修、シャトルの修理が目的じゃなかったか?」

「こういう営業技術も必要って事じゃないですか?」

フェイロンの質問に、隣の研修生は先程同様にへらへらと笑いながら返答した。

(こんな営業してる姿を見てても、ちっとも面白くねぇ……。いい加減飽きてきたぜ。親父の奴め、こんなものでティアと一緒にいる時間を奪いやがって……!)

退屈さから次第にイライラが募っていき、その矛先はやがて父親へと移っていった。

しかしその時、そんなフェイロンの意識を変える出来事が起きた。

「何じゃ、随分と騒がしいのぅ」

突如ひょこっと現れた年配の男がゆっくりと故障したシャトルへと近づいてきたのである。

「む?こいつもどこか調子が悪いのかの?」

「何だお前は!部外者は入ってくるな!」

ふてぶてしく研修の場に侵入してきた男に、教官が高圧的な態度で怒鳴るが、

「うるさいわ!若造は黙っとれ!」

「なっ……!?」

逆に怒鳴り返され、わなわなと体を震わせた。

「あ、いえ……このシャトルはちょうど今、診ていただいて、修復不可能だと言われたので……」

「修復不可能じゃと……?」

事務員の言葉に怪訝な顔をし、男はシャトルのエンジンを調べ始めた。

すると、不意に男から深い溜息が洩れる。

「なーにが修復不可能じゃ。この程度の破損なら30分もあれば直せるわい」

「えっ!?」

「なっ!?」

その場にいる全員が驚きの声をあげる中、男は工具箱を開け、エンジンを弄り始めた。

皆が固唾を飲んで見つめる一同。

男は実に手際よく作業を進めていく。

そして、作業開始からわずか15分、男は手に持つスパナを着用しているベストの胸ポケットへと戻した。

「終わったぞい。エンジンをかけてみぃ」

「は、はいっ!」

事務員は慌てて操縦士を呼び、エンジンをかけさせると……

キュイイイーン……

エンジンの起動する音が船倉内に鳴り響いた。

「す、スゴい……!ほ、本当に直った!あ、ありがとうございます!!」

「なぁに、この程度なら朝飯前じゃ」

男の技術は、その場にいる全ての者を魅了した。

それは、フェイロンとて例外ではなかった。

(な、何だあれ……すげぇ……たった15分で本当に直しやがった……!あの爺さん、何者だ?)

この時フェイロンは、確かに自分が興奮している事を自覚していた。


皆が称賛の目を向ける中、教官はプライドをズタズタにされ、怒りに震えていた。

そして、ズカズカと男に近づくと、胸ぐらを掴んで凄んだ。

「このジジイっ!!研修生の前で恥をかかせやがって……!」

しかし、男は顔色を変える事もなく、真っ直ぐに教官を見返した。

その眼光に、思わず教官が怯む。

「……お前さんは、このシャトルを修復不可能だと宣言したんじゃろう?ならば、その後こいつを他の誰が直そうと文句を言う筋合いなどない。お前さんは修復する事を放棄したんじゃからな」

「貴様……何の地位もない田舎のメカニックのクセに、この私に楯突くつもりか……!私は、あのレイズ・カンパニー社長から直に教官として任命された……」

「じゃあかしいわ!」

教官の言葉を遮る男の怒号。

「メカニックの誇りは機械に対し常に真摯であり続けることじゃ。なのに、さっきから地位だの、恥をかいただの、お前さんには機械に対する愛情の欠片も感じられん。何が教官じゃ!メカニックの『メ』の字も知らんヒヨッコに、教わる事など何もない!誇りも持たんお前にメカニックを語る資格など無いわ!分かったら、その手を離さんかっ!!」

男の威圧に、教官は恐怖すら覚えた。

男の胸ぐらにある手をゆっくりと離すと、後退りをしながら男から距離をとる。

「くっ……きょ、今日の研修はここまでっ!ホテルへ戻るぞ!」

教官は逃げる様に研修を終わらせ、その場を後にした。

その後に続き、研修生が帰っていく中、フェイロンは立ち止まり、男を見つめていた。

やがて、ゆっくりと男に近づくと、意を決し声をかけた。

「爺さん!」

男がフェイロンへと視線を向ける。

「何じゃ小僧」

「あ、あんた……このコロニーに住んでるのか?」

「ああ、そうじゃ。工場こうばを営んでおる」

「そ、そうか……あ、あのさ……お、俺にさっきの技術を教えてくれないか!?」

「断る」

フェイロンの要望に男は即答した。

「な、なんでだよ!?」

「見ず知らずの小僧に教えるほど、ワシの腕は安くないわ!」

「何だよそれ!じゃあ金を払えば教えてくれるのかよ!?」

「そういう事を言っとるんじゃないわ!バカもんが!」

何故か2人の会話は口論に変わっていた。

「お前は将来、メカニックになりたいのか?」

「は!?」

「メカニックとして飯を食っていくつもりはあるのか、と聞いとんのじゃ」

「そ、それは……」

答えは出なかった。

今まで考えもみなかった、レイズ・カンパニーを継ぐ以外の選択肢。

新たなる道を提示され、フェイロンは困惑してしまった。

「そういう事じゃ。メカニックとして生きていく覚悟がない者に、ワシの技術は渡せん」

そう突き放し、男は工具箱を持ち上げ、歩き出した。

「ありがとうございました!」

深謝する事務員に対し、男は振り返らず手をヒラヒラとさせて出口へと向かっていく。

ふと男が思い出した様に立ち止まり、フェイロンに声を掛けた。

「別に今すぐ答えを出す必要はない。もし、お前さんに覚悟が出来たなら、ワシの工場に来るがいい。その時は教えてやっても構わんぞ」

それだけ言い残し、男は立ち去っていった。


残されたフェイロンは自分の手に視線を落とした。

今まで目標も無く、職場と自宅を往復する毎日。

それが、あの匠な技術を目の当たりにし、フェイロンの心は動かされた。

初めて自分から望んで「やりたい」と思えたのである。

その時点で、本当はフェイロンの心は既に決まっていた、と言ってもいいのかもしれない。

(メカニックとして生きていく、か……あんなスゴい人になれるなら、それも悪くないかもな……)

そんな事を考えながら、フェイロンは拳をぐっと握りしめると、ホテルへ向かって駆けだしていった。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


プルルルル……

室内に内線電話のコール音が鳴り響く。

その音が耳に入り、フェイロンの意識は浮上した。

いつの間にか寝入ってしまっていた事に気が付く。

(……よりにもよって、なんて忌々しい夢だ。私はまだ下らん夢に未練があるとでもいうのか?)

「ふん……」

そんな筈はない、と否定し、フェイロンは馬鹿にするか様に鼻を鳴らした。

そして先程からなっている内線を受話した。

「どうした?」

電話の画面に受付嬢が映る。

どうやら、アポイントをとっていた客が見えた、という事らしい。

「そうか。お通ししろ。失礼のないようにな」

電話を終え、フェイロンはイスの背もたれに体重を掛けると、深い溜息をついた。


コンコン、とノックの音が聞こえ、フェイロンは「どうぞ」と返答を返しながら席から立ち上がった。

「失礼します」

入室してきたのは1人の男であった。

フェイロンは笑みを浮かべて男を出迎えると握手を交わした。

「わざわざご足労頂き申し訳ない」

「いやいや構いませんよ。何分こちらも生徒数が増えてきしたからね、そろそろ新調しようと思っていたところだったんです」

「そうですか。それならば、丁度いい機体がありますよ。レオナルド氏」

そう、フェイロンとアポイントを取っていたのは、宇宙飛行士養成学校『アマルテア学園』理事長、レオナルドであった。

「わが社で最新のシャトルを紹介しましょう」

「それはありがたい。おっと、そうそう忘れる所でした」

フェイロンが商談に入ろうとしたその時、突然レオナルドは思い出した様に話を遮った。

「何か?」

「いや、実はここへ来る途中で、偶然知り合いに会いましてね。彼は是非とも我が学園に欲しい逸材でして、今後もお世話になるであろうフェイロン氏にも紹介させて頂きたいのですが」

「は、はぁ……まぁ、構いませんが」

フェイロンの了承を得、レオナルドは部屋の外で控えていたその人物を呼んだ。

入室してきたのは、1人の少年であった。

フェイロンが怪訝な顔を浮かべる。

(この顔……どこかで……)

「紹介します。ソリア学園に在学しているカオル君です」

「!!?」

「初めまして、カオルといいます」


レオナルドの紹介で、フェイロンは思い出す。

彼が『奇跡の生還者達』の1人である事。

そして、シャオメイを奪還すべく、セイランと共にジオC8に乗り込んできた少年である事。

(部下どもから監視の報告が無いのはそういう事か!あの役立たず共め……!)

フェイロンは怒りで眉間に皺を寄せ、拳を握りしめた。




一方その頃……

階段をひたすら上り続けていたシャオメイ達は、ようやく社長室のある77階へと到達した。

「やっと着いたわ。さすがに疲れたわね」

一番乗りで到着したシャオメイが息を整える為に深呼吸をする。

「いや~長く険しい道のりやったなぁ」

続いて現れたチャコは何故か達成感に満ち溢れた表情をしていた。


「シャオメイっ!チャコっ!」

「ルナ!!」

元気に駆け寄ってくるルナの姿に、2人は安心した表情を浮かべた。

「よかった……!もう、無茶して!」

「ごめんなさい。それより、残りのみんなは?」

「え~と……」

ルナの質問に、シャオメイが苦笑いを浮かべながら、非常階段へと視線を向けた。

「?」

首を傾げ、その視線の先を眺めていると……


「や……や……と……着い……た……」

床を這う様に現れたベルに、ルナは思わずビクッとした。

ベルの後には、メノリ、シンゴ、シャアラ、ハワードも、まるでフルマラソンを走り切ったかの様な疲労感を醸し出していた。

(な、何かみんながゾンビみたくなってる!?)

何故この様な事態になったのか、いまいち分からないが、ひとまずルナが労りの声をかける。

「み、みんな、大丈夫……じゃなさそうだね」

「はぁ……はぁ……ルナ……よかった……無事だったか……」

「ぜぇ……ぜぇ……てか……何で……ルナの……はぁ、はぁ……方が…………げほっ、早い……んだよ?」

「あの後、ちょっと色々あってね、私とカオルはエレベーターで上がれたの」

「エ……エレベ……タ……!?はぁ……はぁ……僕の苦労は……一体……」

ルナの言葉により一層の疲労を感じ、ハワードはその場に寝転がってしまった。

「ルナ、カオルは?」

一緒に上がってきたと言っているのに、カオルの姿が見当たらない。

「カオルは……今、フェイロンさんと会ってるわ」

「「何だって!?」」

驚きで大声をあげてしまった皆に、ルナが「しぃ~っ!!」と唇に人差し指を当てて静粛を求めた。

「今、事態は急速に変わっているの。経緯と現状を話すから、みんなよく聞いて!」

真剣な表情で話すルナに、皆はゴクッと喉を鳴らして頷いた。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

「あ、あなたは……」

「やぁ、久しぶりだね。まさかこんな所で会うとは思いもしなかったが」

レーザー銃を向けられたルナの危機を間一髪で救った人物はレオナルドであった。

カオルも驚きを隠せず、ゆっくりとレオナルドとの距離を縮めていく。

「何故……あなたがここに……?」

「これからフェイロン氏とのアポイントがあってね、レイズ・カンパニー本社へ向かう所だったんだよ。そしたら前方が何やら騒がしかったものだから、気になって来てみたら、この通りだよ」

「何はともあれ、助かりました。ありがとうございます」

深く頭を下げ、礼を言うルナに、レオナルドは笑顔で受け止めた。

「さて、今度は私からの質問だ。君達は一体何故ここに?」

レオナルドからの不意な質問にルナとカオルはギクリとした。

誤魔化す事も考えたが、助けられた手前そういう訳にもいかないだろう。

「……俺達は、リン・シャオメイを奪い返す為に、リン・フェイロンに宣戦布告しました」

「ほう?」

「俺達はこれからシャオメイを連れて、フェイロンの元へ向かうつもりでしたが、追跡されていたので……」

「なるほどな、それで仲間を先に行かせる為に君達は追っ手を引き留めていた、という訳か」

簡潔すぎる内容にも関わらず、レオナルドは全てを理解したかのように小さく頷いた。

そして、何故か楽しそうに小さく笑っていた。

「フッフッフ、面白いな。敢えて困難に立ち向かうか」

「別に望んでいる訳ではないんですがね、何故か厄介事が舞い込んでくるんです」

「それでも立ち向かうか逃げるかを決めたのは君達の判断だろう?例え相手が何者だろうと、揺らぐ事の決してない信念を君達は持っている。それは誰にでも出来る事じゃない。やはり君達は面白い」

そう答え、楽しそうに笑うレオナルドであったが、不意に真顔になり、カオルに対し、とある提案を持ち出した。

「カオル君、私と取引をしないか?」

「取引……ですか?」

「君達はこれからレイズ・カンパニーに乗り込むつもりなんだろう?私もまた、フェイロン氏と会う約束がある。そこでだ、君達も一緒に本社最上階まで連れていってあげようじゃないか」

「え!?」

「そうすれば、堂々と正面から乗り込める。どうだい、悪い話じゃないだろう?」

ルナ達からすれば、願ってもない申し出であるが、これが『取引』である以上、こちら側も相応の対価を支払わなければならないと。いう事である。

「……そちらの要望は?」

カオルがやや緊張した様子で問い掛ける。

レオナルドは口元を小さく上げると、2人が予想だにしなかった意外な条件を提示したのであった。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


こうした経緯の末、取引を受諾したカオルは、レオナルドと共に社長室へと入り込む事に成功した。

「レオナルド氏……今回の商談は無かった事にさせてもらう」

「何故ですか?」

「決まっている。あなたがこの小僧を連れてきたからだ。こいつは、シャオメイを唆したばかりか、愚かにもこの私に楯突いた……!そんな奴と行動を共にいれば、共犯と見なされても不思議ではなかろう」

フェイロンの静かなる怒気がレオナルドへと向けられる。

「ふむ、困りましたな……」

言葉とは裏腹に、レオナルドはさほど困った様には見えない態度で顎髭をなぞった。


「愚かなのは、あんたの方よ!」

そんな状況を打破するかの如く、怒声と共に現れたのはシャオメイであった。

「あーあ、やっぱり飛び出しちゃった」

「はぁ……何故いつもこう、計画通りに事が運ばないんだ……」

苦笑いをするシンゴや、ガックリと項垂れるメノリ、残りの仲間達もシャオメイに続くように社長室へと入室してきた。

「シャオメイ……!貴様らも……!!」

怒りに震えるフェイロンが歯をギリッと噛み締め、ルナ達を睨む。

「ごめん。だけど、どうしても我慢ならなかったの。この男の身勝手発言にね……!」

「何だと……?」

「何が唆した、よ!何が共犯よ!結局は誰も信じられないってだけじゃない!人を信じる勇気もないくせに、偉そうな事を言ってんじゃないわよ!」

シャオメイの発言に、フェイロンが眉間に皺を寄せ睨み付ける。

「シャオメイ……そこまで言ったからには、それ相応覚悟はあるのだろうな?」

その眼光に一瞬、シャオメイは悪寒を感じ萎縮した。

それでもシャオメイは、誓いを胸に気丈を保つ。

周りには支えてくれる仲間がいる──そう思うだけで、強くいられる事をシャオメイは知っている。


「もう、あんたの脅しには乗らない!私は……みんなと一緒にロカA2へ帰る!!」

「……それはつまり、『交渉決裂』と捉えていいんだな?吐いた唾は飲み込めんぞ……!」


交渉──シャオメイがフェイロンに屈服する事を条件に、シャオメイに関わった全てに一切手出しはしない、というものである。

フェイロンは再びそれをちらつかせ、シャオメイの心に揺さぶりをかける。


「悪いけど、そんな脅しは通用しないぜ!」

「ハワード!?」

そう勇ましい発言をしたのは、意外にもハワードであった。

その堂々とした姿にシャオメイが驚きの声をあげる。

「貴様は、ハワード財閥の……」

「ハワード財閥は近々、新事業を展開する予定で人手が必要なんだ!ソリア学園に通う生徒の親を解雇させるって?それなら、そっちの従業員を丸ごと、ありがたく移籍させてもらうぜ!」

「新事業だと……!?」

フェイロンの耳にはその様な情報は届いていない。

苦し紛れのでまかせ、とも考えられるが、ハワードのこの自信に満ちた態度、そして何よりハワード自身がハワード財閥の御曹司である事が、彼の言葉に真実味を与えていた。


──もちろん、嘘である。

ハワードの自信に満ちたふてぶてしい態度も、全ては演技であった。


ジオC8に向かうシャトル内で、カオルから語られたシャオメ奪還作戦。

最も脅威なのは、フェイロン最大の武器である『権力』だ。

まずはその権力を無効化しなければ話にならない。

都合のいい事に、こちらにはそれを可能とする最強カードを持ち合わせている。

それを利用しない手はない。

目には目を、歯には歯を、権力には権力を──。

カオルの脚本どおりに演じきったハワード迫真の演技も相まって、フェイロンは見事術中に嵌り、シャオメイを封じ込めた『鳥カゴ』は、崩壊した。


「分かりますか?もうシャオメイを縛るものはありません。その『交渉』というのも、もはや無意味です」

「そういう事!シャオメイの事は諦めた方がいいぜ!」

「き……貴様らぁっ!!」

加えて怒りを煽るように、メノリとハワードがここぞとばかりに物申す。

それに促されるまま、フェイロンがついに怒りの感情を表出させた。


この時、シャオメイは少なからず驚いていた。

今まで決して敵わないと思っていた、超えることの出来ない強大な存在だと思っていた父が、余裕を失い、苦虫を噛み潰した様な表情をしている。

そんな姿をシャオメイは過去一度たりとも見た事はなかった。


「この私を誰だと思っている……!!私はレイズ・カンパニー社長、リン・フェイロンだぞ!!」

本来ならば威厳を放つ彼の言葉も、今では強がりを言っている様にしか感じられない。

そこに、シャオメイが恐れていた『絶対者』は存在せず、虚勢を張る矮小な男がいるだけであった。

「私に逆らう者などこの世には存在しない!私は……神と同等の権力を持つ絶対的な存……」

「──21XX年」

フェイロンの言葉を遮り、カオルが突如年号を呟く。

冷静さを欠き、心の余裕を失ったフェイロンへ、カオルがついにトドメの『銀の弾丸シルバーブレッド』を放つ。


「エドワード・ロビンソン主導のもと、革命運動勃発。レイズ・カンパニー社長は宇宙警察を指揮し、これらを弾圧……」

それを耳にしたフェイロンの顔色が次第に変わっていく。

「き、貴様……そ、それは……!?」

「21YY年、革命家らは市民を惑わす宗教家として公表され、首謀者エドワード・ロビンソン並びに革命家数十名を逮捕、ザンデ監獄へ収監と……」

「やめろ!!!」

酷く取り乱すフェイロンの姿に皆が驚きの表情を向けた。

「貴様……それをどこで……いや、誰から聞いた!?」

「聞いてどうする?」

「決まっている!これはリン一族への反逆だ!言え!言わなければ、貴様らも反逆の罪で捕らえるぞ!!」

フェイロンは声を荒げ、カオルを脅迫する。

しかし、カオルは怯む様子も見せず、強い意志を宿した瞳でフェイロンを見返した。

「この期に及んで権力に頼るとは、無様だな」

「何だと……!?」

「お前の権力に屈するなら、始めからここには来ていない。そんな事も理解できないのか?」

「き、貴様ァ……!!」

「彼らの意志もそうだ。お前達に弾圧され、ありもしない罪状で捕らえられ、それでも闘おうとする彼らの強い意志は後世へと受け継がれていく。たとえどんな理不尽な権力で抑圧しようと、彼らの意志を挫く事はできなかった。その時点で、お前らリン一族の『絶対者』としての威光は既に失墜したんだよ」

「違う!」

「お前らは、その事実を隠蔽し、『メッキの権力』を振りかざしているに過ぎない」

「違う!私は……我々は絶対者だ!!不可能などありはしない!!」

「ならば今すぐ見せてみろ。お前の言う『権力』とやらで俺をこの場で屈伏させてみろ!」

「ぐっ……」


カオルは心の中で舌打ちをした。

フェイロンを論理で打ち崩す事は出来たものの、その悪意を破壊するには至っていない。

(詰めが甘かったか……どうする?)


瞬時に頭を切り替え、打開策を思案していたカオルの横を、すっとオレンジ色の髪の少女が通り過ぎる。

不意にフェイロンの前に立ったルナの姿に、皆が目を丸くした。

何せルナの行動は、カオルのシナリオにはない。

(ルナ……?)

カオルは一瞬、ルナを止めようと考え、やめた。

ルナの言葉には、人の心を揺さぶる不思議な力がある──。

身を持って体験したカオルだからこそ、最後の希望をルナに託そう、と思い至ったのであった。


「もう、やめませんか?」

「な、に……?」

近づく少女を威嚇するように睨んだフェイロンの動きが不意に止まる。

自分を真っ直ぐに見据えるその凛とした蒼い瞳が、何者にも屈しない強い意志を宿した瞳が、過去のとある人物を彷彿させ、フェイロンの心をざわつかせた。

「権力で人を抑えつけて、思い通りにならなかったら排除して……そんな事しても、誰もあなたを信頼しないし、尊敬もされません」

「……ふん、そんなもの私には不要だ!信頼?尊敬?夢?仲間?くだらない、反吐が出る!」

「幸せですか?」

「は……?」

「家族も、信頼も、そうやって全部切り捨てて、傍若無人に権力を振るって、無理矢理に抑圧して……今、フェイロンさんは幸せですか?」

「っ!!」

フェイロンは言葉を詰まらせた。

(黙れ!もう貴様らと話すことはない!貴様ら全員、反逆罪で捕えてやる!)

頭に浮かんだ言葉が、喉につかえて出てこない。


『私を退学にするならお好きにどうぞ。でも、その代わりに認める事になりますよ?あなたはレイズ・カンパニーの後ろ楯が無ければ、何も出来ない、何も残らない〈からっぽ〉な人間だと……』


不意に脳裏をよぎった、いつかの誰かの言葉──。

それがフェイロンに対し無意識にブレーキを掛ける。


フェイロンは歯を強く噛みしめ、ルナを論破し屈伏させようとあらゆる考えを巡らせた。

しかし、どんな策を練り上げようとも、ルナの強固な意志を宿した瞳を見た途端に、彼女には通用しないと思い知らされ、策は脆くも崩されていく。

「人は、心に支えがあるから強くいられるんです。信頼や夢を捨て、権力を濫用する今のあなたには支えてくれるものは何も無い。あなたは絶対者なんかじゃない。権力に溺れた、からっぽな人間です」

「!!!!」


それは、意図して出た言葉ではなかった。

しかし、ルナの言葉が、先程脳裏をよぎった言葉を強制的に呼び起こし、フェイロンの精神に重力崩壊を引き起こす──。



◆ ◆ ◆ ◆

ここはフェイロンの心象世界。

見渡す限り全てが闇に染まった無の空間。

塞ぎ込むように縮こまるフェイロンと、その背後にまるで亡霊の様に黒い影──『悪意』のみが存在する世界。


そこへ突如現れた謎の光。

その光はゆっくりと変形し、やがてひとりの女性の姿を形造った。

その女性──ティアがゆっくりとフェイロンに近づいていく。

先へ行かせまいと立ち塞がる悪意。

「ようやく見つけたわ」

「&#%@:*!!」

『悪意』の言葉は聞き取れない。

しかし、ティアに敵意を抱いている事だけは確かである。

やがて『悪意』もその黒い影を変形させ、フェイロンの姿を作り出した。

「何故貴様がここにいる?どうやってここへ来た」

「おかしな事を言うのね。私はずっと、ここにいたわ。ただ、あなたが現れ、フェイロンさんの心が闇に包まれたせいで、私の姿が見えなくなっていただけよ」

そう言いながら、ティアはその距離を縮めていく。

「あの子達には感謝しなければね。彼らのおかげで、あなたの力は弱まったのだから。今なら、フェイロンさんを救い出す事が出来る」

その手から放たれた光が形を成していき、1本のナイフを生み出した。

「……!!」

その手に握られたナイフの意味を理解したのか、悪意が一歩、後退あとずさりする。

悪意が逡巡した一瞬の隙を突き、ティアが駆け出す。

悪意へと突進し、手に握られたナイフが悪意の胸に突き刺さる。

「言ったはずよ……愛する彼の為、私は『あなた』を殺す、と!」

「あ゛あ゛ア゛ァ ア゛ア゛」

うめき声を挙げ、フェイロンの姿を失っていく悪意。

それでもなお抵抗を続け、悪意がフェイロンのもとへ行かせまいとティアを突き飛ばす。

それでもティアは諦めない。

あともう少しで、フェイロンを取り戻せるのだ。

ティアは必死にフェイロンへ呼びかける。

「フェイロンさん!私の声が聞こえるでしょ!?お願いだからもう一度立ち上がって!『悪意』なんかに負けないで!!」




傷つきボロボロになった自分の心を守るように、彼の主人格は新たに生まれた『悪意』の人格と入れ替わり、永い眠りについていた。

しかし、それは偶然か、『悪意』のアイデンティティが崩されたことにより、彼の中に宿る『ティアへの想い』が、この世界へと導かれ、そして今、その叫びが彼の耳へと届く──。


(ティ……………ア……)

懐かしいその声に、フェイロンは永らく閉じていたその瞼をゆっくりと上げた。

名を呼ぶ声の方へと顔を向けた先には、黒い影が体勢を崩したティアへと襲い掛かる光景。

頭で考えた訳では無い。

咄嗟に体が動く。



やがて耐えきれなくなった精神は、内部から衝撃波を放ち、絶対者の誇り、プライドを吹き飛ばす極超新星爆発ハイパーノヴァを引き起こした。

「ぐっ……ぐぉおおおぉ!!!」

目の前に立つ少女の言葉にフェイロンは完全に打ちのめされ、愕然と膝から崩れ落ちた。






つづく
12/12ページ
スキ