3期
第 9 話 『学園祭(中編)』
観客の私語が入り乱れ、騒つく体育館。
ソリア学園の体育館は電動式移動観覧席が導入されており、体育館としての機能だけではなく、今回の様に演劇やコンサートなどの講堂としての機能も備わっている。
普段は壁に収納されている観覧席が展開され、体育館は劇場と化していた。
観覧席は満席となっており、現在およそ500人を超える観客が劇が開演するのを待っているのである。
その様子を、演劇部員とルナ達助っ人一同がステージの袖から眺める。
そのスケールの大きさに、ルナ達は緊張から思わず唾を飲み込んだ。
顧問が腕時計へ視線を向け時間を確認すると、演劇部部長へと顔を向けて小さく頷いた。
「じゃあカオル、照明を落として」
部長が出した指示にカオルが小さく頷く。
照明を操作すると、体育館はすぅっと暗くなった。
それと同時に、観客側の私語が消え、体育館内は静寂に包まれた。
「ルナが袖から出たらスポットライトをお願いね?ベル、シャアラ」
今度は手に持つトランシーバーに向かって部長が指示を出す。
2人が現在いるのは2階ギャラリーの両サイド。
スポットライトの横に立ち、耳にインカムを取り付けたベルとシャアラがそこに待機している。
両者から「了解」という返答が来たのを確認し、部長がルナへと顔を向ける。
「じゃあルナ、お願いね」
「う、うん!」
部長の言葉にルナは力強く頷くと、やや緊張した表情でステージの中央を目指し歩き出した。
袖から出た瞬間、2つのスポットライトがルナを照らす。
ルナはステージの中央に立つと、観客へ向けて一礼をした。
そして手に持つマイクのスイッチを入れると、ゆっくりと口を開いた。
「ご来場の皆さん、ソリア学祭にお越し頂きありがとうございます。
今年の演劇は、皆さんが一度は見聞きした事があるでしょう有名なお話『星に願いを』を上演します。
もしかしたら中には初めて聞く方もいるかと思いますので、簡単に物語のあらすじをお話します。
主人公は宇宙飛行士であるレンという青年。
彼は宇宙船の操縦中に小隕石との衝突事故に遭い、見知らぬ場所へ不時着する事となります。
そこでレンは、オリヒメという不思議な1人の少女と出会います。
機能停止した船が修復するまでの間、レンはオリヒメと共に過ごす事となりました。
しばらく一緒に過ごすうちに、レンは色々な事実を知る事となります。
2人が今いる場所は『天の川』という所であるという事。
でも、それはレンが知っている『天の川銀河』の事ではなく、更に、ここが自分がいた世界ではないという事。
そして、ここ『天の川』に存在する人間は、オリヒメという少女唯一人であるという事……
孤独に生きながらも清純な心を持つオリヒメに、レンは次第に惹かれていきました。
そしてオリヒメもまた、いつも側にいてくれるレンをかけがえのない存在と思うようになっていきました。
しかし、そんな2人の幸せもそう長くは続きませんでした……。
レンとオリヒメの切ない物語……その結末は、皆さんの目で見届けて下さい。
初めてご覧になる方も、何度もご覧になった事のある方も、ハンカチの用意をお忘れなく。
どうぞ最後までお楽しみください」
そう挨拶を述べ一礼をすると、ルナは袖へと歩き出した。
観客の拍手と共に
一仕事を終え、ルナは袖へ隠れたルナが「ふぅ~」と息を吐いた。
「お疲れさま、ルナ」
部長がルナに近づき、労りの言葉を掛ける。
「ちょっと緊張したけど、最後まで噛まずに言えて良かったわ」
ルナも緊張が解けた様子でホッとした笑みを浮かべた。
「じゃあ、後はよろしくね」
そう言って部長はルナへトランシーバーを手渡した。
前説を終えたルナの次なる仕事は、裏方の総指揮である。
照明係のカオル、スポットライト係のシャアラとベル、音響係のシンゴへ場面場面での指示を出す役割を担う。
「カオル、シンゴ、お願い」
ルナの指示を受け、カオルがステージの明るさを調整し、シンゴが台本通りのBGMを流す。
役者の演技はもちろん、そんな裏方の働きの甲斐もあって、観客はすぐに物語の世界へと入り込んでいくのであった。
一方の教室では、デモンズカフェが変わらず繁盛し、廊下には長い列が出来ていた。
今の時間はメノリも参加しており、当然の事ながら彼女も仮装をして接客をしている。
メノリは黒いドレスに三角帽をかぶった衣装。
恐らく魔女をモチーフとしているのだろう。
「次のお客様、中へどうぞ」
そこへ入ってきた意外な人物に、メノリが思わず反応を示す。
「いらっしゃいませ……って、チャコ!?演劇を見に行ったんじゃなかったのか?」
「メノリの仮装姿を拝んどらんと思ってな、急いで戻ってきたんや。いやぁ~、メノリよう似合っとるで」
「か、からかうな!」
チャコの言葉に、メノリは恥ずかしそうに頬を染めて、プイッと顔を背けた。
「照れんでええやん。それとホレ、素が出とるで」
チャコに指摘され、メノリは冷静さを取り戻す様に咳払いをした。
「よ、ようこそデモンズカフェへ。当店の給仕係、ウィッチと申します。こちらの席へどうぞ」
メノリに導かれて席に着いたチャコが、案内を終えて立ち去ろうとするメノリを捕まえて話しかける。
「メノリちょい待ち!ちょっと気になっとる事があるんやけど」
「な、何でしょうか?」
「どういう経緯でこないなけったいなカフェに決まったん?」
チャコの質問に、メノリが怪訝な顔をする。
「けったいとは随分な言い草だな。この出し物の発案者はルナだぞ?」
「ルナが?これをやりたいって言うたんか?」
あまり想像できない返答に、チャコは首を傾げた。
「いや、そうではない。ルナは、『皆から出た案を全て取り入れればいいんじゃないか?』という案を出したんだ」
ルナの提案したもの。
それは、他の案を棄却するのでは無く、よい部分を取り入れるというものであった。
『メイド喫茶』や『執事喫茶』の案からは、店員が仮装するという点を。
そこに『お化け屋敷』という案を取り入れ、仮装のモチーフをお化けとし、さらに『可愛らしい雰囲気』という案を取り入れ、仮装や内装を、怖くない印象ものにするという具体的な案まで提示したのである。
「全く、実にルナらしいというか……」
メノリは呆れたような言葉を洩らすも、その顔は不思議と微笑んでいた。
その表情を見て、チャコは顔をにやつかせて言葉を掛けた。
「メノリ楽しそうやん。めっちゃ可愛いで」
「……っ!?」
チャコの発言に、メノリは顔を赤らめると「し、失礼します!」と少し荒い対応をして立ち去った。
そんなメノリの様子を、チャコは微笑ましく見つめるのであった。
『星に願いを』は、主に登場する人物がレンとオリヒメだけという事もあり、配役2人を前半、中盤、後半で分けている。
ステージ上で繰り広げられる物語も中盤残りわずかとなり、ステージの袖では後半の部の主役2人がスタンバイしていた。
その中にはハワードの姿もある。
ハワードは、後半の部の『レン』という大役を担っていた。
本来であればそのプレッシャーに押し潰されようものであるが、意外にもハワードは落ち着いた表情で待機していた。
中盤最後の台詞を言い終えた所で、カオルがステージの照明を落とした。
その間にハワードは中盤のレン役と交代でステージへ足を踏み入れる。
中央に立ち、観客席へと目を向けたハワードはその光景に圧倒された。
暗闇からでも分かる、体育館を埋め尽くさんばかりの観客の視線。
そして初めて肌で感じる本番の空気。
(な、何だこれ……リハーサルの時は、こんな感じじゃなかったのに……)
ハワードの体は小さく震えていた。
「ハワード、もしかして緊張してるんじゃあ……」
ルナが心配になり、カオルへ小声で話し掛ける。
「いや……多分そうじゃない」
「え?」
「ハワードの顔を見てみろ」
カオルに言われ、ハワードの顔を注視するが、暗くて表情を上手く読み取る事ができない。
「ゴメン、暗くてよく見えないわ。ハワード、どんな顔をしてるの?」
「……にやけている」
カオルの言葉にルナは思わず「え!?」と驚きの声をあげるのであった。
(体がゾクゾクする……何だこれ……?まだ演技もしてないのに……みんなに注目されてるのが気持ちよくてたまらない……!!)
ステージの照明が灯り、スポットライトがハワードに当たる。
その瞬間ハワードの震えは止まり、スイッチが入ったかの様に役に入っていった。
その様子を、顧問が目を細くして見つめていた。
「彼、凄いわね。初めての舞台であんな堂々と演技出来るなんて」
「まぁ、元々目立ちたがりではありますからね」
感心した様子の顧問に、シンゴが苦笑いしながら答える。
「なるほど……注目される事に快感を得るタイプって訳ね?……面白いわ」
そう呟きながら微笑む顧問の様子に、ルナとシンゴは首を傾げ、互いに顔を見合わせた。
ストーリーは進行し、シーンは星空の下での2人の会話へと突入する。
このシーンでは神聖な雰囲気を醸し出させる必要がある。
そこで採用されたのが、
星空の背景を映像として映し出す事で、観客に臨場感を感じさせる事が可能となった。
もちろん経費削減の為、このホログラムはシンゴの特製である。
演劇部部長演じる『オリヒメ』は、満点の星空を仰ぎながらハワード演じる『レン』へと話し掛ける。
「知ってる?星にお願いをすると、それが叶うって」
「聞いたことはあるよ。実行した事はないけどね」
「もしも願いが一つだけ叶うとしたら……レンなら何を願う?」
オリヒメは視線をレンへと移し、問い掛けた。
「僕は今が充分幸せだから……これ以上望むものも、願う事も無いよ」
レンは笑顔で答えた。
「オリヒメ、君だったら何を願う?」
「……私?私は……」
逆に質問され、オリヒメはやや戸惑いながらポツリと小さな声で返答した。
「1つだけ……」
「どんな願い事?」
興味津々に尋ねるレンの言葉に、オリヒメは首を横に振った。
「ごめんなさい……今は言えないの……」
オリヒメの表情は哀しげであった。
レンは「そっか」と頷き、それ以上は追及しなかった。
オリヒメは「ごめんなさい」と再度謝ると胸元に飾ってあるペンダントを外し、レンの前に差し出した。
「それは?」
オリヒメの手には、きらきらと輝く小さな石。
「『星の涙』っていうの。私の宝物……受け取って」
レンが『星の涙』を受け取ると、オリヒメはレンの手を両手で優しく包み込んだ。
そして祈るようにこう唱えた。
「例えこの先何があっても私の心はいつでもあなたの側に……」
劇もいよいよ、この物語一番の見せ場へと突入する。
この場面のオリヒメは、訳あってホログラムを利用している。
事前に録画したオリヒメの演技を投影しているのだ。
「ついに船が直った!これでいつでも出発できる!」
歓喜するレンを、オリヒメは哀しげな表情で見つめていた。
「オリヒメ、行こう!僕と一緒に!」
「……私は行けないわ」
レンの誘いにオリヒメは小さく首を振った。
「どうして!?」
「この『天の川』は、人が星に還る場所……私はそんな星達を見守る義務があるから……行けないの」
「何を言ってるんだ!いいから行こう!」
掴もうとするレンの手が、オリヒメの体をすり抜ける。
「え……?」
何度もオリヒメに触れようと手を差し伸べるが、まるで実体が無いかの様に、彼女の体をすり抜けた。
オリヒメは「ごめんなさい……」と何度も謝りながら両手で顔を覆った。
「どうして……どうしてオリヒメに触れられないんだ!?」
レンはその場に泣き崩れた。
そんなレンを、オリヒメは包み込むように優しく抱きしめた。
「レンには沢山のものをもらいました……2人でいる事の楽しさ、離れた時の寂しさ、人を愛する喜び……どれも私にとってかけがえのないものです。あなたに出会えて……私は幸せでした」
オリヒメの言葉を聞き、レンはうなだれる顔を上げ、彼女を見つめた。
オリヒメは涙を流しながらも、レンに微笑みかける。
「あの時、あなたに伝えられなかった私のたった1つの願いを教えるね……」
オリヒメはレンの耳元に口を近付け、そっと囁いた。
「レンが助かりますように……」
舞台が暗転し、再び照明が点くと、背景は病院の個室へと変わった。
「レン!」
彼の名を呼ぶ2人の男女、レンの両親である。
配役は前半、中盤で出演した演劇部が兼任している。
突然耳に入ってきた悲痛な呼び声に、レンはそっと目を開いた。
そこは『天の川』では無くベッドの上。
全身包帯だらけとなっている。
「良かった……!本当に良かった……!」
そう言いながら嬉し涙を流す2人の男女をレンは見つめた。
「母さん……父さん……僕は……一体……」
「小隕石と衝突したのよ!救助隊から『瀕死の重傷』だって聞かされた時は、心臓が止まりそうになったわ!」
「とにかく目を覚ましてくれて良かった……!」
無事を喜び合う両親の横で、レンは白い天井を見つめていた。
「……あれは全部夢だったのかな?」
そう呟いた時、レンは自分の手に何かが握られている事に気付く。
体に走る激痛に耐えながら、腕を動かして手の中にある物を見た。
「これは……」
それはオリヒメから貰った『星の涙』であった。
ふとオリヒメの言葉が蘇る。
『例えこの先何があっても私の心はいつでもあなたの側に……』
再び孤独となる道を選んででも、レンが生きる事を願ったオリヒメの心に触れ、レンの目から涙が溢れ出た。
「ぅああぁあぁあ!!」
突然泣き出したレンに驚き、両親が声を掛けるも、レンは涙が枯れるまで泣き続けた。
物語はクライマックスへと進み、背景が星空の見える病院の屋上へと変わる。
空には光輝く天の川。
レンは夜空を見上げた。
「オリヒメ……君はそこから僕を見てくれているのかな……?」
そう呟くと、手の中にある『星の涙』へ視線を落とした。
「天の川は人が星に還る場所……君と初めて出会った時、僕は生死をさまよって、星に還りかけていたんだね?それをオリヒメ、君が引き留めてくれてたんだね……?ありがとう……!」
レンの瞳から涙が溢れ、『星の涙』へと滴り落ちた。
レンは袖で涙を拭き、再び星空を見上げた。
「君の願いは叶ったよ。僕は今、こうして生きている……あの時は、願いは無いって言ったけど……今は僕にも叶えて欲しい願いが出来たんだ。聞いてくれないかな?」
レンは『星の涙』を握りしめ、星に願いを唱えた。
「またいつか必ず、君に巡り会えますように……」
エンディングのBGMが流れ、緞帳がゆっくりと降り始めると、観客からは盛大な拍手が贈られた。
役を演じきり、我に返ったハワードは戸惑った。
生まれてこの方、こんな大勢の人から賛辞を受ける事など一度も無かった。
どう立ち振る舞えば良いのか分からず、ステージに呆然と立ち尽くしていた。
そんなハワードの元へ役者陣が駆け寄り、ステージに一列に並び、隣同士手をつなぎ始めた。
両脇に立つ部員がハワードの手を握る。
「えっと……ど、どうすれば……」
「私達の真似をして」
ハワードの質問に部員が小声で返し、最後まで見てくれた観客へ深いお辞儀をした。
ハワードも真似て深々と頭を下げる。
なんとも不思議な気分であった。
本来人に頭を下げるというのは、誰かにお願いする時か、謝罪する時である、とハワードは認識していた。
しかし今はそのどちらにも当てはまらない。
頭を下げて拍手をもらうなど、初めての経験である。
その中で、全てをやり切ったという達成感に包まれ、ハワードの顔から自然と笑顔がこぼれた。
緞帳が完全に下がりきるまで、体育館は観客からの拍手が鳴り響いていた。
見事最後までやり遂げたハワードをルナ達は笑顔で迎え入れた。
「お疲れさま、ハワード!」
「とっても良かったわよ!」
「と、当然だろ?この僕が演技してるんだから!」
ルナとシャアラの言葉を受け、ハワードは鼻を高くした様な台詞を吐いた。
それが単なる照れ隠しである事が見え見えである。
先程の迫真の演技とは程遠いハワードの態度が可笑しく、周囲からクスクスと笑い声が聞こえてきた。
仲間と演劇部員に囲まれたハワードの元へ顧問が歩み寄る。
「初舞台にしてはとても良かったわよ、ハワード君」
「え……?あ……ありが……とう……?」
顧問からの賛辞を受け、ハワードがぎこちない礼を返す。
「ねぇ、ハワード君」
「ん?」
「あなた、このまま演劇部に所属する気はない?」
「……へ!?」
顧問から持ちかけられた突然の勧誘に、ハワードは間の抜けた声をあげた。
仲間達も驚きの表情を顧問へと向けた。
「もちろんハワード君が良ければの話だけど」
「い、いや……急にそんな事言われても……」
思わぬ展開にハワードは頭がついていけてない様子であった。
「入りなよ、ハワード!」
戸惑うハワードにそう提言したのは演劇部部長であった。
「マリア先生は高等部の演劇部顧問もしてるから、変わらず指導してもらえるよ。それに、ハワードには素質あると思うし、これで終わりにするのは何か勿体ないよ!」
「そ……素質……?ぼ、僕に……?」
部長から出た言葉にハワードは目を丸くした。
初めて言われる言葉に、どう反応したら良いのか分からないのだ。
「演劇部の顧問として色んな生徒を見てきたけど、演劇を始めてたった2ヶ月の初心者で、500人を超える観客の前で練習以上の実力を発揮出来る子は君が初めてよ。もっとも、演技力は荒削りでまだまだだけどね。どう?演劇部でその素質を磨いてみない?」
顧問のマリアや部長が言う様に、もし本当に自分に演劇の素質があるのだとしたら、試してみたい思いもある。
しかし、すぐに首を縦に振れないのは、ハワードの中に『迷い』があったからだ。
今から演劇部に入部すれば、確かに高等部に進級するまでに、さらに高いスキルを身につける事ができるだろう。
だが、その代わりに毎日が練習漬けとなり、仲間達と過ごす時間が格段に減ってしまう。
カオルがソリア学園を去るまで残りあと数ヶ月という状況で、それはハワードにとって厳しい事であった。
「僕は……」
どうするべきか分からぬまま、ハワードは仲間へと視線を向けた。
ふとカオルと目が合う。
その瞬間、ハワードの中にあった迷いがスッと消えていった。
「……悪いけど、今は出来ない」
「え!?どうして!?」
部長の問い掛けに、ハワードが心中を吐露する。
「今は……みんなと一緒に過ごす時間の方が僕にとっては大事なんだ」
ただそれだけの理由。
それなのに、その理由がどれだけの重みを含んでいるのかが、不思議とその場にいる全員に伝わった。
「そっか」
部長は納得した様に頷いた。
「でも約束するよ!高等部に進級したら、演劇部に入るから……その時は改めて演劇の指導してもらってもいいか……?」
ハワードの決意表明を聞き、マリアは口元を上げて微笑んだ。
「もちろんよ。その時はビシビシ厳しく指導してあげるから覚悟しなさい」
わざとらしく言うマリアの言葉に、ハワードは戦慄した。
「えーと……お手柔らかに……」
先程の決意表明の時の態度とは裏腹に、すっかり引け腰となっているハワードが可笑しく、ルナ達はどっと笑い出すのであった。
観客が退場し、ルナ達は舞台の後片付けをしていた。
丁度周囲に人がいないタイミングを見計らって、ルナが黙々と片付けをするカオルに声をかける。
「カオル、お疲れ様」
「ルナもな」
近づくルナに一度顔を向けると、カオルはすぐ視線を手の方へと戻した。
カオルらしいなぁ、と思いながらも、その反応にルナは少し寂しさを感じ、苦笑いを浮かべた。
「あ、あのね……」
「なんだ?」
カオルは視線を変えず、ルナに返事をした。
「……カオルの両親って……どんな人?」
ルナの質問に、カオルがピクッと反応する。
そして作業している手を止め、ルナへと視線を向けた。
「……聞いてどうする?」
その声がいつもより低く、まるで何かを警戒している様にルナには聞こえた。
そしてルナを見つめる眼差しは、漂流当初のカオルに戻ったかの様なものであった。
まるで、詮索するな、と言っているかのような鋭い眼光に、ルナはゾクリとした。
しかし、ルナも今回はこれで引くつもりは無かった。
ルナとて、単なる興味本位でこの質問を投じた訳ではない。
カオルが家族との間にわだかまりを抱えている事に、ルナは気付いていた。
それがカオルが時折見せる哀しげな表情と関係しているのだとすれば、何とか取り除いてあげたい、支えになりたい、という想いが今のルナを突き動かしているのだ。
「知りたいの……!カオルの事をもっと……!」
ルナの真剣な眼差しに折れたのか、カオルが小さく溜息をつく。
そしてゆっくりと重い口を開いた。
その言葉は、ルナにとって衝撃的なものであった。
「……死んだ。俺を産んですぐにな……」
「え!?じゃあアキラさんとガウディ教授は……!?」
「は?」
「あっ……」
カオルはアキラを『カトレアの親友』としかルナに説明していない。
レノックスに至っては、カオルとの会話で出た事すら無い。
うっかり口を滑らせ、ルナは口元に手を当てた。
「……カトレアから聞いたのか?」
「……ごめんなさい」
「別に謝る必要はない。アイツもルナになら話していいと判断したから教えたんだろうからな」
言葉に反してカオルは深い溜息をついた。
「5歳の頃だったか……施設にいた俺をレノとアキラが引き取ったんだ」
「それじゃあ……」
「あの2人は里親だ。血の繋がりは無い」
カオルの話を聞き終え、ルナは少しだけカオルの中に潜む闇に触れた様な気がした。
カオルを産んですぐに両親が亡くなったという事は、恐らくカオルは本当の両親の顔さえ知らないのだろう。
感傷に浸ったせいだろうか、カオルが珍しく心中を吐露する。
「時々思う……俺は何の為に生まれたんだろうって……もしかしたら俺はこの世に必要の無い人間なんじゃないかって……」
そのあまりにも悲しく切ない思いを聞き、ルナの中で何かが弾けた。
「そんな事無い!!」
ルナの声にカオルは目を丸くした。
「ルナ……?」
「カオルは必要の無い人間なんかじゃない!!だって……だって私はカオルの事が……!!」
「お、落ち着けルナ!」
カオルの言葉にルナはハッと我に返った。
(わ、私……い、今何を言おうと……)
勢いで告白してしまいそうになった事が堪らなく恥ずかしくなり、ルナはカオルから離れた。
「ご、ごめん……ちょっとムキになっちゃって……」
「あはは」と空笑いしながら、ルナは後退りした。
その後ろにある棚の存在に気付かず、ルナがそのまま背中をぶつける。
「あたっ!?」
その衝撃で棚の一番上に置いてあった工具箱がグラリとバランスを崩した。
「ルナっ!!」
「え……?」
ルナは頭上の工具箱に気付いていない。
カオルは「ちっ」と舌打ちすると、全速力でルナへと突っ込んだ。
カオルの突然の叫び声が聞こえた瞬間、ルナの体が横からの力で突き飛ばされた。
「きゃっ!?」
突然の出来事に悲鳴をあげ、ルナは床に倒れ込んだ。
それと同時に「ガシャーン!」という何かが地面に叩きつけられる様な音が耳に入った。
ルナは何が起きたのか分からず、ゆっくりと起き上がった。
そして、先程自分が立っていた位置に視線を向けた。
ドクン……
目の前の光景にルナの鼓動が突然大きくなる。
「……カオル?」
ドクン……
今ルナの青い瞳に映っているのは、倒れているカオルの姿。
その周囲にはふたの開いた工具箱とバラバラに散らばった沢山の工具。
カオルはルナの呼びかけにも応じず、ピクリとも動かない。
ドクン……
ルナは慌ててカオルの元へと駆け寄った。
「カオ……」
再度カオルへ呼びかけようとし、ルナは言葉を失った。
カオルの頭から血が流れ、滴り落ちた雫が床を紅く染めていた。
ルナの頭が真っ白になる。
「ウソ……やだ……カオル……」
動かないカオルを目の当たりにし、ルナの中に大切な人を失う恐怖感が蘇る。
「いや……ぁ……」
体は震え出し、瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「いやぁあぁぁあ!!」
ルナの悲痛な叫び声が、観客のいない体育館に響き渡った。
つづく