3期
第 4 話 『始動』
ロカA2は『夏』から『秋』へ季節が移り変わる節目に秋雨が降るよう設定されている。
この日を境に外気温は下がり、涼しげな空気がコロニー内を包み込むのである。
そんな『秋』の到来が通達された日の翌朝のこと……
「37.8℃……完璧に風邪やな」
ベッドに横になるルナの額に肉球センサーを当てながら、チャコは呆れた様子で小さく溜息をついた。
「せやから『傘持って迎えに行こか?』って言うたやんけ。そしたら『バイト先に置いてあるから大丈夫』って言うとったのに、何で傘も持たんで、ずぶ濡れて帰って来よんねん?」
責め立てる様なチャコの言葉を受け、ルナは隠れる様に鼻の辺りまで布団を被せた。
「だって……傘取りに行くの……忘れちゃったんだもん」
「雨降っとるのに、傘の事を忘れるアホがどこにおんねん?って、ここにおったわ」
チャコの辛辣な言葉も相応に的を射ている為、ルナは返す言葉も無かった。
傘の事を忘れてしまった正当な理由ならある。
しかし、それを話すという事は、昨日の自分がやらかした未遂事件をカミングアウトしなければならない。
あの失態をチャコに知られれば、絶対にネタにされ、今後ずっとからかわれ続けるであろう。
それは何としても避けなければならない。
ルナは熱でボーッとする頭で、事の整理を行い、反論の言葉を飲み込んだ。
「まぁ何にせよ、今日は学校もバイトも無理やな。連絡はウチがしとくから、ルナはゆっくり休み」
さっきとは打って変わり、労りの言葉を掛けるチャコにか細い声で「ありがとう」と呟くと、ルナはゆっくりと瞼を閉じた。
「ふぁ~あ……」
朝、いつもの時間に登校してきたハワードは、大きなあくびをしながらいつもの様に教室へと向かう廊下を歩いていた。
その途中、廊下の真ん中で話し込む2人の女子生徒の姿が目に入る。
「やっぱり今回は諦めた方がいいんじゃ……」
「でも!今年が最後なんだよ?」
(……何の話をしてるんだ?)
深刻そうな雰囲気が気になり、ハワードは2人に近づき声を掛けた。
「おまえら、どうかしたのか?」
「あ、ハワード」
2人がハワードの存在に気付き、「おはよう」と挨拶をする。
「そろそろ学園祭の準備が始まるでしょ?」
「あぁ、そういえばそんな時期か」
言われて思い出す。
ハワードは今まで準備作業というものを一切やって来なかった。
当時のハワードの言葉を借りるならば、「何で僕がそんな事をしなきゃならないんだ?」という言葉からの行動であった。
今では過去の自分の振る舞いを後悔しているが。
「その学園祭で、演劇部は毎年劇を行ってるんだけど……今年は部員の人数が少なくて……」
「なるほどな~。それでさっき諦めるだの何だのって話をしてたのか」
ハワードが先程聞こえてきた会話の意味を理解し、納得したように頷いた。
「でも私達3年生にとっては中等部最後の舞台だし、どうしても諦めきれなくて……」
そう話すと、女子2人はしゅんとした。
「……実際その劇って、あと何人いればやれるんだ?」
「え?えっと……今、演劇部の部員が私達を含めて5人いて、本番は照明係とか音響係とかの裏方も必要になるから、最低あと5人いてくれたら何とかなるかな?」
ハワードの質問を受け、女子は少し考えると、確認するように指折りしながら答えた。
「最低5人……それなら僕が集めてきてやるよ!」
高々に宣言するハワードの意外な提案に、女子2人は目を丸くした。
「え!?で、でもクラスの出し物の準備もあるだろうし、当日だって忙しいんじゃあ……」
「それくらい何とかなるさ!僕に任せとけ!」
胸を叩いて自信満々に言うハワードに何かしらの不安を覚えてならないが、人手が足りないのもまた事実である。
女子2人は、双方同じ結論に至った事を悟った様に顔を見合わせ小さく頷いた。
「……じゃあ、ハワードお願いできる?」
その言葉を待っていたかの様に、ハワードは笑顔で頷いた。
「ああ!僕の人望にかかれば、5人や10人あっという間さ!」
(ハワードに頼んじゃって本当に大丈夫かなぁ?)
女子達のそんな不安に気付く事も無く、ハワードは「じゃあな!」と2人に手を振ると軽い足取りで自分の教室へと向かって行った。
「馬鹿者!!!」
今朝の事を教室にいた仲間達に伝え、まず返ってきた言葉はメノリの怒声であった。
「な、何をそんなに怒ってるんだよ!?」
何故怒られるのか意味が分からず、ハワードは反論の意を唱えた。
「当たり前だ!!まだクラスの出し物を何にするかすら決めていない段階で、そんな安請け合いなどして!!」
「別に出し物の準備の合間に、劇の練習に参加すれば問題ないだろ!?」
「出し物の準備がどれだけ大変で、時間と人手を要すると思ってる!?お前はろくに準備作業に参加していないからそんな軽率な考えが浮かぶんだ!!」
「何だとぉ!?」
その発言にカチンときたハワードが、メノリを睨み付ける。
メノリもまた腕を組んでハワードを睨み返していた。
穏やかだったはずの教室内が、一瞬にして殺伐とした空気に変わる。
「ちょ、ちょっと……2人とも~」
シャアラがオロオロとしながら険悪な2人の仲介に入るも、場の空気は一向に良くならない。
「僕はメノリに賛成だよ」
さらにこの状況で、火に油を注ぐ様にシンゴが口を挟む。
「ハワードは甘く見すぎてるよ。演劇部の劇って本格的なんだよ?前にルナの前で披露した寸劇とはレベルが全然違うって事ちゃんと理解してる?中途半端な練習じゃあ演劇部の人の迷惑になるし、本番も恥をかくだけだよ」
至極正論なシンゴの言葉に論破され、ハワードは二の句が継げなくなった。
「べ、ベル!!」
味方を求めてハワードがベルの名を呼ぶ。
「ハワード、俺も今回は断った方がいいと思う」
しかし返ってきたのはメノリを擁護する様な言葉であった。
「シャ、シャアラ……!」
「私は……見たりお話を作ったりするのは好きだけど、演技とかはちょっと……」
シャアラも、きっぱりとした否定ではないが反対意見の様であった。
「ルナ……!カオル……!」
最後の頼みの綱である2人の名を呼ぶ。
しかし、それに対する返答は無い。
居ると思っていた2人の姿はそこには無かった。
「あれ!?ルナとカオルは!?」
思えば、メノリと口喧嘩する際、いつも宥める様に仲介に入るルナの声も、呆れた様に皮肉を呟くカオルの声も、今日はまだ聞いていない。
キョロキョロと教室内を見回して2人の行方を探すハワードの疑問にメノリが答える。
「ルナは風邪で休みだ。カオルは知らん。まだ姿を見てない」
「は?風邪!?」
メノリの言葉にハワードは驚きの声をあげた。
それと同時ににチャイムが校内に鳴り響く。
「とにかく!劇の話はちゃんと断ってくるんだ!いいな!?」
そう吐き捨て、メノリは席へと戻っていった。
「あ、おい!まだ話は終わってないぞ!?」
ハワードが呼び止めようとした所で、タイミング悪く担任のスペンサーが教室に入ってきた。
「どうしたハワード?ホームルームを始めるぞ。席に座りなさい」
スペンサーに言われ、ハワードは渋々席へと戻った。
(くそっ!何だよみんなして!)
席に着いたハワードは、唇を噛みしめ、膝の上に置いている拳をギュッと握りしめた。
額にひんやりと冷たいものが触れるのを感じ、ルナの意識は浮上した。
「ん……」
どれくらい眠っていたのだろうか。
ルナはゆっくりと目蓋を開いた。
その視界に飛び込んできたのは……
「……カオル?」
熱で幻覚でも見ているのだろうか?
それともまだ夢を見ているのだろうか?
「済まない。起こしてしまったか?」
カオルの声が耳に入り、ボーッとしていた頭も少しずつ覚醒していった。
額に乗っているのは濡れタオル。
先程の冷たい感覚はこれだったのだろう。
そう理解すると同時に、目の前にいるカオルが現実のものである事に気付く。
「か、カオル!?」
驚きで起き上がろうとするルナの体を、カオルは優しくベッドへと押し戻した。
「大きな声を出すな。体に響くだろ」
カオルが至って冷静にルナへ指摘する。
「っていうか、何で!?どうしてここに!?学校は!?」
対してルナは冷静でいられる状況では無かった。
片思いの相手が、今自分の部屋にいるのだから。
「チャコから『ルナが風邪をひいた』と聞いてな。見舞の品を渡すつもりで寄ったんだが……出てきたチャコに『買い物に出かけてる間、ルナを看ててくれ』と言われてな。学校にはチャコが戻ってから行くつもりだ」
ルナの質問1つ1つに、懇切丁寧にカオルが返答する。
「もう、チャコったら……!ゴメンね、カオル。私は大丈夫だから、気にせず学校に行っていいよ?」
チャコの身勝手な行動に少し憤慨しつつ、ルナはおずおずとカオルへ謝った。
「こんな状態のルナを1人置いて、学校へ行ける訳がないだろ。それに……ルナがこうなった原因も、俺にある訳だし……」
そう話すカオルは、その時の情景を思い出した為か、わずかに頬を染め、顔を逸らしていた。
「か、カオルは悪くないわ!だって……あれは……私が……」
そこまで言いかけ、ルナは熱を帯びた顔が、恥ずかしさでさらに熱く感じ、紅くなった顔を隠す様に布団を被った。
「カオル……怒ってる?」
そっと目から上だけを覗かせ、ルナが恐る恐る尋ねる。
昨日のあの行動により、カオルに嫌われたのではないか、という恐怖心が少なからずルナの心に住みついていた。
「怒る……?何故?」
「だって……その……」
説明しようにも、それを言葉に出すのは憚られる。
「言葉に出せないなら、無理に言う必要はない。ただ1つ言えるのは、ルナが今心配している様な事は恐らく無い、という事だ」
「……私の言いたい事、分かったの?」
「ルナが無駄な心配をしている、という事は分かる」
「無駄って……」
「実際、俺は怒ってなんていない訳だから、心配するだけ無駄だろ?」
カオルにバッサリと言われ、ルナは苦笑いした。
しかしカオルのその一言で、今まで心にあった不安がスッと消えていく様に感じられるのだから不思議だ。
ルナの中で小さな期待が、勇気が、自信が、少しずつ芽生え始めていた。
それがルナに大きな一歩を踏み出させた。
「カオル……手、つないでもいい?」
「どうしたんだ?突然」
「ダメ……かな?」
その様に言われては断れるはずがない、という事をルナは自覚しているのだろうか?とカオルは内心小さな溜息をついた。
返事の代わりに、ルナが布団の横から覗かせた手を優しく握る。
ルナは安心した様な表情で、目を静かに閉じた。
「カオルの手、冷たくて気持ちいい……」
「ルナの体が熱いからだろ」
「そうかも……でも、ありがとう……カオル……」
ルナは礼を言うと、小さな寝息をたてて眠りについた。
「ルナ、ゆっくり休め。お前には元気な姿が一番似合ってる」
カオルは安らかに眠るルナにそう静かに呟くと、チャコが戻ってくるまでの間、繋いだ手を離す事は無かった。
昼休みの時間、ハワードは浮かない顔で1人廊下を歩いていた。
いつもなら仲間達とカフェテリアで昼食を摂っているはずなのだが、今日はとてもそんな気分にはなれなかった。
(何だよ……!もっと協力的になってくれたっていいじゃないか!!)
ハワードは今朝の事でずっと尾を引いていた。
『お前はろくに準備作業に参加していないからそんな軽率な考えが浮かぶんだ!!』
メノリの言葉がグサリと胸に突き刺さる。
(そんな事、僕が一番よく分かってるさ!だから今年はちゃんと思い出に残る学園祭にしようって思ったんじゃないか!だから演劇部の奴らにも手を貸したいって思ったんじゃないか……!)
ハワードは行き場の無いこの気持ちから逃れようとする様に、ふらふらと廊下を
ハワードがエントランスまで降りてきた所で、とある人物に声を掛けられた。
「……ハワード?」
聞き覚えのある声が耳に入り、ハワードはその方向へ顔を向けた。
「カオル……!お前、今まで何してたんだよ?」
人がこんな状況に陥っている時に、とハワードは理不尽な怒りをカオルに覚えてしまっていた。
「ルナの見舞いに行っていた」
しかし、カオルのその一言でハワードの怒りはフッとどこかへ消え去っていってしまった。
「ルナは大丈夫なのか!?」
「ああ、ただの風邪だ。栄養あるもの食べて、ゆっくり休めばすぐ治るだろ」
カオルの話を聞き、ハワードはホッと胸を撫で下ろした。
「次は俺の質問だ。お前は何かあったのか?」
さすがというべきか、鋭いカオルにはすぐ分かったようだ。
ハワードは今朝の事をカオルに話した。
「……それで?」
話を聞き終えたカオルの口から出たのは、そんな言葉であった。
「は?」
「お前はどうするんだ?」
「どうするって……みんなは反対してるじゃないか。演劇部の奴らには悪いけど、断るしか……」
少し俯いて答えるハワードに対し、カオルが続けて問い掛ける。
「他の奴の意見はどうでもいい。お前自身の意見を言え。お前はどうしたいんだ?」
「僕自身の意見……僕は……」
カオルに促され、ハワードは今一度自分の気持ちと向き合った。
自分はどうしたいのか?
「僕は……演劇部に手を貸したい!だって……中等部最後の学園祭なんだぞ!?悔いの残らない学園祭にしたい気持ちはみんなそうじゃないか!確かにレベルが違うかもしれない……迷惑になるかもしれない……!でも、何もしなければ思い出にすら残らないじゃないか!今までの僕がそうだったからよく分かるんだ!だから僕は……」
「だったらやればいい」
カオルは意外にもあっさりと言いのけた。
「……簡単に言うなよ。最低5人必要なんだぞ?僕だけやったって……」
「ベルが冬の到来を察知して
カオルの指摘にハワードはハッとした。
ベルもルナも、周りが反対しようと、自分の意見を曲げず1人黙々と作業していたのを思い出す。
「やる気が伝われば、人は自ずと付いてくる。あとはお前次第だ」
カオルの助言を受け、ハワードの目に意志が宿る。
何かをやりたい、という思い……
それはハワードにとって初めて芽生えた感情なのかもしれない。
「……そっか!よし、僕はやるぞ!!」
いつもの元気を取り戻したハワードの姿を見て、カオルは口元を小さく上げた。
「見てろよカオル!絶対に劇を成功させてみせるからな!」
まるで宣戦布告をするかの様に、ハワードはカオルに向かって高らかに宣言した。
ハワードにとって、生涯初めてとも言える挑戦が始まった。
完