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3期

第 15 話 『光と共に③』

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

とあるコロニーの児童養護施設。

ある目的を持って訪れた2人の男女は施設の職員に案内され、奥の部屋へと通された。

部屋に入って目に映ったのは、そこで生活する子供達の姿。

彼らは皆、様々な事情を抱え、この施設に共同で暮らしている。

この2人の男女の目的も、その『ある事情』を抱えた子供達の中の1人にあった。

一目ですぐに分かる、異質を放ったその存在に、2人は思わず目を奪われた。

頭や腕、脚など、体の部分部分に包帯が巻かれ、痛々しい印象を与える。

少年は1人、窓から外に広がる『青空』の天球を見上げていた。

「もしかして、あの子が……?」

女の呟いた言葉に施設職員は小さく頷くと、切ない表情で少年へと視線を移した。

「はい……前に引き取られた里親に虐待されて……。その里親は逮捕されて、あの子は再びこの施設に戻ってきたんですけど……心をすっかり閉ざしてしまって……」

施設職員の口から深い溜息が出る。

女は静かに少年を見つめた。

その横顔は、年齢よりも遥かに大人びた雰囲気を漂わせる。

その一方で、繊細なガラスの様に、少しでも触れてしまえば割れて砕けてしまいそうな脆い存在にも同時に感じられた。

「私達はあの子の『親』になれるかな……?」

少年を見つめ、自信なさげに尋ねる女の肩に、男はポンと手を優しく置いた。

「あまり気負うと、かえって警戒されるぞ?まずは話してお互いを知る事から始めないとな」

「……うん」

男の言葉に女は大きく頷き、少年の元へゆっくりと歩み寄っていった。


近づいてくる人の気配に気付き、少年は包帯の巻かれた顔をゆっくりと向けた。

「初めまして。あなたがカオル君ね?私はアキラ、彼はレノックスというの」

前屈みになり、アキラは笑顔で声を掛けた。

しかし、カオルは無表情のままアキラとレノックスを一瞥いちべつると、興味を無くしたように再び視線を窓の外へと戻した。

アキラは困ったような表情をレノックスへと向けた。

レノックスは何も言わず小さく頷いてみせる。

それは「諦めるな」「根気よく話しかけ続けろ」といった意味合いを含んでいるとアキラは悟り、答えるように小さく頷き返した。

「私達ね、あなたに会いに来たの。あなたと家族になりたくて」

「家族……?」

そのキーワードに反応し、カオルが目だけを2人へと向ける。

反応が返ってきた事に嬉しさを感じ、アキラの表情がぱぁっと笑顔になる。

しかし……

「そう!一緒に暮らして、美味しいご飯を食べて……」

「人の金を食い潰したり、殴ったり蹴ったりして楽しんだり……か?」

アキラの言葉に重ね、吐き捨てるように紡がれたカオルの言葉。

それは、カオルが受けた虐待の経験に他ならない。

「ち……違っ……」

「他人を本当に心配してる奴なんてこの世にはいない……どいつもこいつも偽善者ばかりだ……だから、俺は誰も信じない……!」

笑顔から一転、アキラはショックで顔を歪ませた。

わずか5歳の子供から出る言葉とは到底思えない。

だが、それこそカオルの心の傷であり、苦しみなのだ。


無意識に体が動く。

アキラはその小さな体を正面から強く抱きしめていた。

何が起きたのか分からず、カオルはしばし固まった。

「ごめん……ごめんね……」

カオルの頬に、ポタリと滴が落ちる。

「辛かったよね……?何もしてあげられなくて……ごめんね……でも……今度は必ず守るから……あなたを……傷つけさせないから……」


カオルは理解出来なかった。

何故彼女は泣いているのか?

何故拒絶したはずの人の温もりを心地よく感じてしまっているのか?

当時からずば抜けた知能を持っていたカオルにも、その時のアキラの、そして自分自身の心理状態を解明する事は出来なかった。

「一緒に……帰りましょ?私達の家に……」

抱きしめられたまま耳元で囁かれた言葉に戸惑うように、カオルの体が小さく震える。

それに対するせめてもの強がりを見せるかの様に、「……勝手にしろ」と呟くのであった。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


意識が浮上し、カオルは瞼をゆっくりと上げた。

視界に広がるのは、今ではもう完全に見慣れた自室の天井。

カオルは手の甲を額に当て、ボーッとその天井を見つめていた。

ついさっきまで見ていた夢が、嫌に鮮明に脳裏に焼き付いて離れない。

いや、夢と言うのは些か不自然だろうか、正確にはカオル自身の過去の記憶そのものである。

(……最近は全く見なくなったっていうのに……何だって今更……)

ベッドに仰向けになったまま、カオルは胸に纏わりつく鬱屈とした感情を吐き出すように、深い溜息をついた。


今日でクリスマス・イヴの夜から1週間が経とうとしている。

あれ以来、ルナとはまともに話はおろか、顔さえ合わせていない。

バイトで会う事になるだろうか、とも考えたが、ルナは26日以降バイトを休んだ。

カトレアには『体調不良』と連絡が入ったようだが、何故かカトレアはカオルに対し「ルナちゃん、何かあったの?」と尋ねてきた。

時々、カトレアの勘の鋭さは自分以上だとカオルは認めざるを得ない事がある。

おそらくカトレアはルナがバイトを休んだ原因が『体調不良』だとは微塵にも思ってはいないのだろう。

もしかしたらすでに事情を知った上で、敢えて聞いているのかもしれない。

チャコはカトレアの店によく通っていると聞く。

ルナがチャコに話していれば、それがカトレアに伝わっていても不思議ではない。

それでも、自分から『あの日』の事を口に出すつもりはなかった。


カオルは再び溜息をつくと、ゆっくりとベッドから起き上がった。

ふと、机の上に置かれたものが目に入り、自然と足が動く。

机上にはイヴの夜にルナから貰った黒曜石のペンダントが鈍い輝きを放っていた。

手を伸ばし、それを拾い上げる。


『カオル、もうすぐ編入しちゃうでしょ?違う環境でも怪我する事無く夢に向かって頑張って欲しいから、お守りみたいなものがいいかなって思って……』


あの時見せたルナの笑顔が胸に突き刺さる。

ルナの想いが込められた手作りのそれを見つめ、カオルは口元をわずかに歪ませた。




その日の朝、身支度を済ませ出かけようとするルナを見かけ、チャコは声を掛けた。

「朝からどないしたん?散歩でも行くんか?」

「ううん……バイトに行ってくる」

ここ1週間、ずっと塞ぎ込んでいたルナからの突然の外出宣言。

チャコは目を丸くした。

「……もう平気なんか?」

「ん。1週間も休んじゃったし、これ以上は甘えられないわ」

「せやかて……」

「大丈夫。完全に……とはいかないけど、吹っ切れてる……つもりだから」

わずかに口元を上げるだけの覇気の無い笑みを浮かべ、チャコの言葉を遮る。

チャコもこれ以上もの申すのも野暮だと悟り、出かけた言葉を飲み込んだ。

「……分かったわ。気をつけて行ってきぃや」

「うん。行ってきます」

ルナは小さく頷くと、玄関のロックを開け、出て行った。

その背中がとても小さく、そして弱々しく見えたのはチャコの気のせいではないだろう。

(何でルナばかりしんどい思いせなあかんねん……ルナが一体何したっていうんや……!恨むで神様!!)

理不尽にも過酷な運命を強いられるルナを憂い、チャコはやるせない思いを世界の創造主へとぶつけるのであった。




準備中の札が掛けられたカフェ。

カトレアはカウンターに立ち、開店前の下ごしらえを行っていた。

「明日で1年も終わりかぁ」

ふとカトレアが感慨深い呟きを放つ。

「ホント……今年は何だかあっという間に感じたわ」

彼女の呟きに答えたのは、カウンター席に座り、コーヒーを嗜むアキラであった。

1年間を想起し、アキラの表情が自然と綻ぶ。

奇跡の生還を果たしたカオルと再会した時の、彼の見せた小さな微笑みを、今でもずっと鮮明に覚えている。

カオルを変えたのが一人の少女の存在である事をカトレアから聞き、当時のアキラは強い興味を覚えた。

それから半年が経った体育祭の日、ようやくルナと対面する機会を得る事となる。


会ってアキラは感じた。

彼女もまた捨て去る事の出来ない重いものを背負って生きているのだ、と。

そして悟った。

2人が出会ったのはきっと偶然ではない。

2人は引き合うように、出会うべくして出会ったのだと。

自分の為し得なかった事をやってのけたルナに対し、アキラは感謝すると共に畏敬の念も抱いていた。

だからこそ、いまだ姿を見せない少女の事を考えると、アキラの表情は途端に曇ってしまう。

「ねぇ、カトレア。ルナちゃんは、まだ……?」

アキラの言葉に、カトレアは静かに首を横に振った。




クリスマスの翌朝、ルナから「しばらくバイトを休ませてください」という電話が入り、カトレアは目を丸くした。

理由を尋ねても、ルナはただ「すみません……」と謝るばかりで答えようとはしなかった。

こっそりチャコへ電話をした事もあったが、「今は少しそっとしてやってくれんか?」と深くは語ってくれなかった。

ならばルナが自分から話してくれるのを待つしかない。

カトレアは、この件をしばらく保留する事とした。

だが、その直後アキラから「カオルの様子が何だか変なの」と相談を持ちかけられた時、カトレアは半ば確信した。

2人の間に何かがあったのだ、と。

カオルはバイトには顔を出すものの、確かにどこか近寄りがたいオーラを纏っていた。

ルナの事を尋ねても無言を貫き、まるで昔のカオルに戻ってしまったようで、カトレアは胸がずきんと痛む感覚を覚えた。

それから事態は停滞したまま日が経ち、現在に至ってしまっている。


「「はぁ……」」

重苦しくなった空気に耐えかねた様に、双方から自然と深い溜息が洩れた。


カランカランッ

突如、開店前の店内に響き渡るベルの音。

「あ、あの……お、おはよう……ございます……」

入口の扉が開き、中へおずおずと入ってきた少女の姿と声に、カトレアとアキラは目を見開き思わず固まった。

「そ、その……ご、ご迷惑おかけしました!」

流れる沈黙が怒りからのものだと勘違いしたのか、ルナは顔を蒼白させ、深々と頭を下げた。

陳謝の言葉に、カトレアは慌てて首を横に振り、ルナへ優しい口調で話しかける。

「ううん!迷惑だなんて、そんな事思ってないわ。それよりも体調はもう平気?」

「は、はい!休んだ分しっかりと働かせて頂きますので!」

「そんな気負わないでいいのよ。元気になったのなら良かったけど、無理をしてはダメ!もっと自分を大切にしないとね」

「……はい、すみません」

「よし!じゃあ今日からまたよろしくね!」

「はい……!よろしくお願いします」

ルナは小さく頷きながら笑顔を繕った。

そして「準備してきますね」と続け、更衣室へと向かっていった。


ルナのいなくなったホールに、アキラの震えた声が耳に届く。

「カトレア……」

「ごめんアキちゃん……私……今、何も答えられない……」

返答するカトレアの声もまた震えている。

それに気づき、アキラは出かけた言葉を飲み込むと、きゅっと口を固く閉ざした。

ルナが戻ってくるまでの間、時計の針の音が聞こる程の静寂が2人を包み込んでいた。




閉店時間となり、客が自宅へと帰っていく。

先程まで賑わっていた店内も、今では静けさが広がり、カウンターで食器類を洗う音がやけに大きく耳に入ってくる。

食器を洗うカトレアと対面する形で席に座るアキラは、床をモップで清掃しているルナへと視線を向けていた。

「……ねぇ、ルナちゃん」

不意にアキラがルナへ声を掛ける。

「はい?」

ルナは一度手を中断し、アキラへと顔を向けた。

「この後ちょっと時間ある?少しお話しできるかしら?」

「あ、はい。大丈夫です」

ルナが頷くのを確認すると、アキラは「じゃあ、休憩室で待ってるから」と言って店の奥へと消えた。

(アキちゃん……?)

アキラの突然の行動に首を傾げ、その去りゆく背中をそっと見つめた。


後片付けを終え、ルナは約束どおりアキラの待つ休憩室へと向かった。

扉を開けると、綺麗な姿勢でイスに座って本を読むアキラの姿が目に入る。

ルナの存在に気が付き、本を閉じ机の上にそっと置くと、アキラは小さく微笑み「座って」とルナを促した。

ルナも促されるまま向かい合う様にして腰を下ろした。

「カトレアもそこにいるんでしょ?」

アキラが扉に向かって話しかけると、すーっと扉が開き、苦笑いしながら顔をひょこっと覗かせるカトレアがいた。

「気付いてたんだ?」

「聞くならちゃんと部屋に入って聞いたらどう?」

「いいの?」

「ダメって言っても盗み聞きするつもりだったでしょ?」

呆れた口調のアキラに、カトレアは「まぁね」と笑って答え、ルナの隣に座った。

「あの、話って?」

全員揃った所で、早速ルナが本題を切り出す。

アキラは少し間を置くと、ルナの目を見つめ口を開いた。

「……カオルと何かあったの?」

その言葉にルナがピクリと反応する。

「カオルね、近頃様子がおかしいの。何が、と聞かれると返答に困るんだけど……何だか昔のカオルに戻っちゃった様な……そんな雰囲気を感じてならないの」

俯くアキラの顔は、苦悶の表情を浮かべていた。

「それだけじゃない。様子が変なのはルナちゃんもよ?」

「わ、私も……?」

ルナとしては、いつも通りやれていたつもりでいた。

ややぎこちない所があったかもしれないが、それも気になる程のものではないと容易に考えていた。

しかし、それを真っ向から否定され、ルナは動揺を隠せない。

「正直言って、今のルナちゃんはとても見ていられない。だって……」

言葉が途中で止まり、アキラは唇を噛みしめていた。

言うのを迷っている様にも見える。

しかし、意を決したのか、先の言葉を続けた。

その表情は、今にも泣き出しそうであった。

「だって……今のルナちゃん、ちっとも笑えてないもの」

「っ!!!」


ルナはその言葉に強いショックを受けた。

心の落ち着きと共に『笑顔の作り方』も自ずと戻るであろうと甘く考えていた。

しかし、それがどうだ。

今もなお、ルナは『笑顔』を取り戻せていなかったのだ。

今日の接客の時、一体自分はどんな顔を向けていたのだろうか?

あの日から、一体いくつのものを自分は失ったのだろうか?

ルナは顔を俯かせ、絶望感に満ちた表情を浮かべていた。


「一体……何があったの?」

囁く様な小さな声で尋ねるアキラの言葉に促される様に、ルナはとうとう口を割った。

「……クリスマス・イヴにカオルに告白して……振られちゃいました」

「え!?」

カトレアが思わず驚きの声をあげる。

対するアキラは落ち着きながらも、哀しげな表情を浮かべ、「あの子、やっぱり……」と意味深な言葉を洩らした。

「で、でも大丈夫です!ちゃんと吹っ切りますから!もう少し心の整理をしたら……そしたらきっと……」

「ルナちゃん」

とても笑顔とは言えない笑顔を向けるルナの言葉を遮る様に、アキラがルナに呼びかける。

「ルナちゃんは……カオルの事、今でも好き?」

アキラからの突然の質問に、ルナは目を丸くした。

そして、しばらくの沈黙の後、震える声で言葉を紡いだ。

「……止まらないんです」

話し始めた途端に、ルナの顔が歪み、蒼い瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。

「忘れよう……諦めようって何度も自分に言い聞かせても……カオルが好きっていう気持ちが……心の奥から溢れ出て……止められないんです……!私……今後どんな男の人が現われたとしても、きっと……こんな気持ちになれない……カオル以外の人を好きになれない……!」

「ルナちゃん……」

ルナから「ひっく、ひっく」と嗚咽が洩れ始める。

カトレアはルナの肩を抱き、震えるそのか細い背中を優しくさすった。




室内に流れる沈黙。

やがて、アキラは真剣な眼差しで言葉を紡いだ。

「ねぇ、ルナちゃん……あなたに聞いて欲しい事があるの」

「……?」

ルナがわずかに顔をあげ、濡れた瞳をアキラへと向ける。

「本当はね、そのうちカオル本人が話してくれれば、って思ってたんだけど……だけど、そうもいってられない。何より、ルナちゃんとカオルが不幸になる所なんて見たくないから……だから聞いてほしいの」

「あ、あの……何を……?」

「カオルの過去……あの子の背負ってきたもの、を。ルナちゃんにはそれを聞く権利があるわ」


カオルの過去を知る。

それはつまり、今まで感じていたカオルの中に潜む闇に触れる、という事である。

何が飛び出すか全く予想の出来ない。

もしかしたら開けてはいけないパンドラの箱なのかもしれない。

ルナは少しだけ怖じ気づいた。

「……私なんかに話して大丈夫なんですか?」

自信なさげに言うルナに、アキラは首を横に振った。

「ルナちゃんだから言うの。カオルの心を開いたルナちゃんなら……」

その言葉を受け、ルナは暫し間を置くと、覚悟を決めたのか、涙を拭いアキラを見返した。

「私……カオルの事をもっと知りたいです……!だから……教えて下さい!」

ルナの力強い言葉を聞き、アキラはコクリと大きく頷いた。




肌を刺激する外界の冷たい空気に触れながら、カオルは1人、ネオンの輝く夜の繁華街を歩いていた。

今のカオルの脳内を支配するもの、1つはルナの事、もう1つは今朝方見た夢の事であった。

しかも、その2つが強い関連性を持っている為、余計に質が悪い。

否が応でも、あの当時の事を思い出さずにはいられなくなる。

カオルは自然と足を止め、白い息を吐きながら、星空の広がる天球を見上げた。


カオルは回想する。

カオルにとって忌々しく、それでも決して捨て去る事の叶わない過去……

ときは10年前に遡る──


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

レノックスとアキラに連れられ、カオルは衛星ロカへと降り立った。

2人の家は、ロカA5の住宅街に位置しており、ロカA2からはエアタクシーで15分程のところにある。


「さぁ、着いたわ。ここがあなたの新しいお家よ」

入口の扉を開け、アキラが笑顔で招き入れる。

カオルも大人しくその後に続いた。

一通り部屋の位置を案内し、最後にとある部屋へとカオルを連れて行く。

「ここがあなたのお部屋よ。カオル君の好みとか、まだよく分からないから、必要最低限の物しか置いてないけど、何か欲しいものがあったら遠慮なく言ってね?」

「……余計な気を遣わなくていい。寝泊まり出来る所を提供してもらえるだけで充分だ。お前達に迷惑をかけるつもりはない」

突き放す様なカオルの台詞に、アキラの表情が曇る。

「……今日は疲れた。悪いがもう休ませてもらう」

「……うん、分かった。お休みなさい、カオル君」

アキラの挨拶に返す事なく、カオルは部屋の扉を閉めた。

アキラがダイニングルームへ向かうと、イスに座り、腕を組みながらこちらへ視線を向けるレノックスがいた。

「彼は?」

「……疲れたからもう寝るって」

沈んだ顔を向けるアキラに対し、レノックスは「そうか」とだけ返した。

「レノ……」

「ん?」

一呼吸置き、アキラはレノックスを見つめた。

「私ね……あの子の笑顔が見たい。その為だったら、何だってするつもりよ」

その瞳は、何かを固く決心した様に強い意志を宿している様に感じられる。

「たとえ血は繋がっていなくても……カオル君は……ううん、『カオル』は私の子だから……!」

母は強し、とはよく耳にするが、それを目の当たりにすると、なかなかどうして圧巻させられるものだ。

つい数時間前まで、『親』になれるかどうかの不安を言葉に出していた彼女が、今では完全に『母親』の顔をしていた。

レノックスは小さく口元を上げ、「私『達』……だろ?」と追記した?

その返答にアキラはクスッと笑い、レノックスと向かい合う様に席へ着いた。

そして慈愛の宿った瞳を2階にいる我が子へと向けるのであった。




カオルが衛星ロカへ来てから1ヶ月が経過したある日の事。

アキラはとある目的を持ってカオルの部屋の扉をノックした。

「カオル、ちょっといい?」

扉の向こうから「……何だ?」と一言だけ返答があった。

端から見ると素っ気ない対応に見えるかもしれないが、これでも大分コミュニケーションが取れている方だとアキラは自負している。

当初は、返答すら無かった事が殆どであった。

その為、たった一言であろうと、反応を返してくれる事は、アキラにとっては非常に喜ばしい事なのである。

『母親』とまではいかなくとも、『会話してもいい相手』くらいには距離を縮められたのかも、とアキラはその小さな進歩を堪らなく嬉しく感じていた。


アキラが「入るわね」と一言添えて部屋に入ると、ベッドに仰向けになり本を読むカオルの姿が目に入る。

「あ、本を読んでたのね?今日は何を読んでるの?」

興味津々といった様子でカオルに歩み寄り、アキラはその本の背表紙に印刷された文字を見た。

その見覚えのあるタイトルに、アキラは目を丸くする。

「あれ?それ、もしかしてレノの?」

「……借りた。自由に読んでも構わないと許可ももらっている」

どうやらアキラの知らない間に、カオルとレノックスとの間でそんなやり取りがあったようだ。

その事に嬉しさを感じつつも、何だかレノックスの方が仲良くなっている様に感じられ、アキラは不満顔を露わにした。

「で?用件は何だ?」

カオルに指摘され、アキラはハッとし「そうだったわ」と本来の目的を思い出す。

「これからちょっと出かけるんだけど、カオルも一緒にどう?」

「……俺はいい」

予想通りの反応と返答。

1ヶ月も一緒に暮らしていれば、カオルの険のある態度に対しての免疫が自然と付くのだろう。

ここで引くアキラではなかった。

「そう言わないの!ホラ、本ばっかり読んでないで、たまには外の空気を吸わなきゃ」

そう言って強引にカオルの手を引き、外へ連れ出そうとする。

「お、おい!?」

アキラが強攻策に出るなど考えもしなかったのだろう。

珍しくカオルは慌てた様子で声を荒げた。

捕まれた手を振り払おうと抵抗するが、5歳のカオルに女と言えど大人のアキラに力で及ばない。

為す術もなく、カオルは諦めた様に深い溜息をついた。

「……俺を連れて行った所で何のメリットがある?」

「メリットならあるわよ?」

ぶっきらぼうな発言をするカオルに対し、アキラは柔らかく微笑んだ。

「カオルと一緒にお出かけ出来るんだもの。これ以上のメリットなんて無いわ」

アキラの言葉に虚を衝かれ、カオルの体から力が抜ける。

抵抗する気力すら失せてしまったようだ。

「さ、行きましょう」

「っ!分かったから手を離せ!自分で歩ける!」

手を掴んだまま外へ連れ出そうとするアキラに、カオルが声を荒げて抗議する。

カオルが行く気になってくれた事を確認し、アキラは満足そうな笑みを浮かべ、握った小さな手をそっと離した。


自宅からエアタクシーでおよそ10分、閑静な住宅街へと到着した。

タクシーから降り、カオルが怪訝な顔つきで周辺を見渡す。

「こんな所に一体何の用があるんだ?」

てっきり繁華街にて買い物でもするものだと思っていた為、思わず聞かずにはいられなかった。

「最近この辺でね、私の親友がカフェを始めたって言ってたから……あ!あそこだわ」

目的の場所を見つけたアキラの視線の先には、三角屋根の一軒家が周りの風景に見事に溶け込んで存在していた。

建物に近づき、カオルは壁に掛けられていた看板が目に留まった。

「……プレイス……ディ……?……何語だ?」

看板に書かれているのは恐らくこの店の名前だ。

しかし、見た事の無い綴りにカオルが眉をしかめる。

「ほら、いつまでも入口で難しい顔してないで入りましょ」

看板と睨めっこをしているカオルを笑顔で促し、アキラは店の扉を開けた。


カランカランと扉に取り付けられたベルが音をたて、店内に響き渡る。

店内はひっそりとしており、客の姿は見えない。

本当に営業しているのかどうか疑いたくなるが、内装は新店とだけあって綺麗であった。

と、そこへ「いらっしゃいませ~」とのんびりとした口調で1人の女性が店の奥から出てきた。

「って、アキちゃん!」

現れた女性はアキラの顔を見るなり、一瞬驚き、そして途端に笑顔へと変わり駆け寄った。

「わぁ!来るなら来るって言ってよ~!そしたらちゃんとしたおもてなしが出来たのに~」

(急な来店でもてなしができないカフェがどこにある……)

思わずカオルが心の中でツッコミを入れる。

女性のマイペースな言動に、カオルは胡散臭そうな表情で女性を見上げていた。

その視線に気づいたのか、女性はアキラからカオルへと目線を落とした。

「あら?もしかしてこの子がカオル君?」

名乗りもしていないのに突然名前を呼ばれ、カオルの表情が不機嫌なものへと変わる。

「ふふっ!急に名前で呼んじゃって怒っちゃった?ごめんね?」

まるでカオルの心を読んだかの様な発言に、カオルの警戒心も更に深まる。

「そうね、まだ私も名乗ってなかったのに失礼だよね」

カオルの様子も意に介さず、女性は笑顔で言葉を続けた。

「私はカトレア。このカフェのマスターで、あなたのお母さん、アキちゃんの親友よ。カオル君の事はアキちゃんとレノから話を聞いてたから知ってたの。あ、ちなみにレノとは幼馴染なのね。だからカオル君も、私をお姉ちゃんだと思っていいのよ?」

よくもまぁ、そんなに口が回るものだ、とカオルは心の中で呆れていた。

聞いてもいない事をベラベラと話してくる上に、勘が妙に鋭い。

相手の事を見透かしている様で、カオルが苦手とする部類の人物である。

警戒を強めたカオルの睨みにも、カトレアは「ホントに無口ねぇ」と楽しそうに笑うのであった。


テーブルに着くと、ようやくカトレアはマスターらしくコーヒーを煎れ始めた。

店内に充満するコーヒーの薫りが、このカフェが上質な名店に位置づけられるだろうという確証をアキラは得ていた。

にも関わらず、この閑散とした店内の様子はどうか。

アキラは鼻歌交じりにコーヒーを煎れるカトレアにおずおずと尋ねた。

「お店の方はどう?見た限り……その……」

アキラの言わんとすべき事を悟ったのだろう、カトレアはきゃらきゃらと何故か楽しげに答えた。

「まぁ、まだ始めたばかりだし、場所が場所だからあまり周知されてないのかもね~」

能天気に話すカトレアにアキラは呆れた様に小さなため息をついた。

その様子に苦笑いしながら、カトレアはコーヒーをテーブルの上に置き、自らも同じテーブル席の空いているイスに腰掛けた。

「アキちゃんが心配してくれるのは嬉しいけど、焦ったってこの状況がすぐに変わる訳じゃないし。少しずつでもこの店の事を気に入ってくれる人が増えていってくれたらそれでいいと思うの。ゆっくりでも前に進めているなら、それは成功って言えるんじゃないかしら?」

何も考えていないようで、意外にも芯の通った考えを持っていた事にアキラは驚いた。

同時に、カトレアはカトレアのペースを守ってきた事で今までも様々な場面で成功していた事を思い出し、アキラは妙に納得する事ができた。

「そうね。それがカトレアの良いところだものね」

「そういうこと!」

その受け答えが何だか可笑しく、2人は同時に笑い合った。

そこへ、店に入ってからずっと寡黙だったカオルが初めて口を開いた。

「……あの看板」

「へ?」

突然出た言葉の意味が分からず、カトレアは笑いを止め、カオルへと視線を向けた。

「入口に掛けたあった看板……あれは何語だ?何て書いてある?」

恐らくあれを目にした時からずっと気になっていたのだろう。

もしかしたら、先程までずっと押し黙っていたのは、あの言葉を解読しようと思考を巡らせていたからなのかもしれない、とアキラは勝手ながらに予想をたてていた。

一方のカトレアは、カオルの興味が自分の店の事に向いてくれていた事を嬉しく感じ、笑顔でその質問に答えた。

「あれはね『place de lumiereプラス・ド・リュミエール』って読むのよ。昔地球にあった『フランス』っていう国で使われていた言葉なんだって」

その返答に疑問を感じ、アキラが首を傾げ尋ねる。

「よくそんな言葉知ってたわね?カトレアって地球史に興味あったの?」

「私が知ってる訳ないでしょ?レノが付けてくれたのよ」

「レノが?」

自分の知らない間にそんなやり取りが為されていたとは知らず、アキラは本日2度目の疎外感を感じ、不満げな顔を顕にした。

「店の名前が決まらなくて『何かいい案ない?』ってメール送ったら、『これはどうだ?』って提示してくれたのがこの名前なのよ。」

「……意味は?」

カオルは尚も質問を投じる。

彼自身の中に、この言葉に何かを感じ取ったのだろうか。

カトレアは、同じ様に質問し、レノックスに教えてもらったその言葉を今度はカオルへと受け継がせた。

「えっとね、『光の場所』っていうんだって」

「光の……場所……」

カトレアの言葉を噛み締める様に、カオルはその言葉を復唱した。

「この店がやって来るお客さんの『光』になれたらいいなって思うから……何だかすごく気に入っちゃって即採用しちゃったの」

その言葉にアキラも頷く。

「私も素敵だと思うわ。『光』って、『希望』とか『安らぎ』っていう意味も含んでいると思うの。カトレアが、そしてこの店が希望とか安らぎを与えられる場所になれたら、それって素晴らしい事じゃない?」

「お!アキちゃんたら詩人ねぇ♪」

「もう!からかわないでよカトレア!真剣に言ってるんだから!」

2人の楽しげなやり取りが飛び交う中、カオルは何かを考えるかの様に沈黙を続けていた。


時刻はあっという間に夕方を迎え、カトレアは帰宅する2人を見送る為に外へと出た。

店の前には、電話で呼んだエアタクシーが停まっている。

「じゃあ、私たちはこれで。長居しちゃってごめんなさい」

「何言ってるのよ、遠慮なんかしなくてもいいのに。まぁ、アキちゃんもお母さんになったんだし、色々と忙しいだろうから無理に引き止めたりはしないけど」

やや残念そうな表情を浮かべながらも、カトレアは笑顔を向けた。

「それじゃあ、また今度ね」

「うん。……あ、ちょっと待って!」

タクシーに乗ろうとした2人をカトレアが呼び止める。

アキラは動きを止め、不思議そうな顔をカトレアへ向けた。

「せっかくだから記念に写真撮りましょ!」

カトレアの突然の提案に、アキラはやや考えた後、笑顔でコクッと頷いた。

運転手に「ちょっと待っててください」とお願いし、カトレアは慌ててカメラを取りに店内へと消えた。

それから数十秒後、カメラを片手に持ったカトレアが店の前に現れ、運転手に「撮ってもらえます?」と2度目のお願いをするのであった。

運転手は快く引き受け、カメラを構えた。

「ほら、カオルも入って!」

カメラの撮影範囲の外に立つカオルに、アキラが呼びかける。

「……俺はいい」

拒否を示すカオルの元へカトレアが歩み寄る。

「い・い・か・ら♪」

カトレアは半ば強引にカオルの手を引き、自分とアキラとの間に立たせた。

カオル自身も抵抗しても無駄だと悟ったのか、大人しくその場に留まった。

「ほーら、笑って笑って~」

運転手がシャッターを切ると同時に、3人の姿がカメラの放つ光に包み込まれた。




自宅へ向かうエアタクシーの車内、カオルが隣に座るアキラに話しかけた。

「……何で俺をあそこに連れて行った?」

カオルから話しかけてきた事に少し驚きながらも、アキラは柔らかく微笑んでその質問に答えた。

「カオルにね、私達の事をもっとよく知ってもらいたかったの。一緒に暮らし始めて1ヶ月になるけど、私もレノも、カオルの事をまだよく知らない。同じようにカオルも私達の事を知らないと思うから……だったらまずは私達の事を知ってもらうことから始めようって……そう思ったの」

アキラの返答に、カオルは何も答えなかった。

何か思う所があるのかもしれない。

「カトレアはどうだった?会ってみて」

その質問には返答があった。

「……やかましい奴。俺は苦手だ」

ストレートなカトレアの評価に、アキラはクスッと笑った。


そんな折、カオルの脳内ではある言葉が消える事なく反芻されていた。

その言葉が深く深くカオルの心に突き刺さり、やがてその心の奥に潜む『闇』の糧となって取り込まれ、一層彼への苦しみを増幅させる結果となった。


光の場所……か……

『希望』……『安らぎ』……俺にもそんなものを感じられる場所があるのか……?

いや……そんなものは存在しない……

あったとしても求めてはいけない……

だって俺は……




オレハ……

『ヤクビョウガミ』ダカラ……

つづく
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