3期
「──オル!」
耳に入ってきた声が、沈んでいた意識を浮上させる。
「──丈夫か!?」
「──理に動──ない方が──」
しかし聞こえてくる話し声も、意識がまだ朦朧としているせいか、部分部分にしか聞き取れない。
全身は倦怠感に襲われ、瞼を上げる事さえ困難を窮めていた。
「──がい……」
ふと耳へ入ってきた、今にも消え入りそうな弱々しい声。
しかしその声は、朦朧としていた意識をはっきりさせ、体に纏わりつく倦怠感を吹き飛ばした。
「お願い……目を開けて……カオル……!」
その声に呼応する様に、瞼がゆっくりと開く。
「「カオルっ!!」」
視界に入ってきたのは、心配そうにカオルの顔を覗き込む仲間達と演劇部員の姿。
そこで初めてカオルは自分が現在床に横たわっている事に気が付く。
次第に体に感覚が戻っていくのを実感し、カオルは体をゆっくりと起こした。
「……っ!!」
突然頭に走った激痛に顔を歪ませる。
「カオルっ!!?」
カオルの体をルナが咄嗟に支える。
頭の傷口からは、いまだ止めどなく血が垂れ落ち、傷口を押さえるカオルの手が徐々に流れる血で紅く染まっていく。
ルナは慌ててハンカチを取出し、傷口へと当てた。
清潔感のあるハンカチが、代わりにジワリと血で紅く染まっていく。
止まらない血が、ルナの中の焦燥感を募らせる。
「は、早く保健室へ行かないと……!」
「……大丈夫だ。これくらい大した事……」
「ダメっ!!!」
突然のルナの叱責にカオルは言葉を止めた。
「何かあってからじゃ遅いのよ!?お願いだから……今だけでいいから……私の言う通りにして……?」
瞳一杯に涙を溜めながら懇願するルナに、カオルは何も言えなくなった。
そして小さな溜息をつくと、諦めたように「……分かった」と小さく答えた。
カオルの言葉にホッとし、ルナは顔を仲間達の方へ向けた。
「誰かメノリの所へ行って、事情を伝えてきてくれる?」
「私が行くわ!」
「俺も行くよ」
ルナの頼みに、即座に名乗りをあげたのはシャアラとベルであった。
「じゃあ、お願いね?」
ルナの言葉にシャアラとベルは頷くと、メノリがいる教室へと駆け出した。
「僕はカオルに付き添うぞ!」
「僕も!」
そこは譲らない、とでも言うような表情のハワードとシンゴ。
ルナは「うん」と小さく頷いて了承した。
「私は職員室へ行って、親御さんに連絡をとってくるから。後片付け、よろしくね」
顧問であるマリアの言葉を受け、演劇部員らは「はい!」と力強く頷いた。
ルナが傷口に当てているハンカチをそのまま受け取り、カオルがゆっくりと立ち上がる。
しかし貧血のせいか、頭を打ったせいか、足元がふらふらとして覚束ない。
ルナはカオルの手を掴むと、その腕を首に回し、肩を貸した。
「無理しないで。私が支えるから……」
「……すまない」
カオルの謝罪にルナは小さく首を振った。
「謝るのは私の方……私がもっと周りに注意を払っていれば、カオルが怪我する事も無かったのに……ゴメンね?」
「ルナのせいじゃ……むぐ!?」
ルナがカオルの口を指で押さえ、首を横に振る。
その先は言わないで、と伝える為に。
それに従う様に、カオルは途中まで言い掛けた言葉を飲み込んだ。
「じゃあ行きましょ」
ルナに支えられながら、カオルは保健室へと向かっていった。
「とりあえず止血はしたけど、頭を打ったのなら、ちゃんと病院で診てもらった方がいいわね」
保健室の養護教諭に処置してもらい、カオルの頭には綺麗に包帯が巻かれていた。
その痛々しい姿に、ルナは苦悶の表情を浮かべた。
「カオル……ごめんなさい……私のせいで……」
カオルが気を失った時からルナはずっとこんな調子であった。
カオルに怪我を負わせてしまった事で、自責の念に捕らわれているのだろう。
「そんなに気にするなって!確かに今回の怪我はルナのせいかもしれないけど、カオルだってこの通りピンピンしてるんだしさ!」
「ハワード!全然フォローになってないよ!」
身も蓋もない事を口走るハワードを、シンゴが咎める。
「私のせいでカオルが……」
ハワードの一言がグサリと突き刺さり、ルナの気分を更に沈めていった。
「余計に落ち込ませてどうすんのさ!」
「な、何だよ!?別に変な事は言ったつもりはないぞ!?」
脇でギャーギャーと騒ぐ2人を余所に、カオルはうなだれるルナへそっと手を差し延べた。
そして……
ペチン!!
「痛っ!?」
ルナの額にデコピンを打った。
カオルの突然の行動に、ハワードとシンゴも唖然とする。
「か、カオル……?」
カオルの行動の意図が分からず、ルナは額をさすりながら、カオルへ視線を向けた。
「いつまでそんなシケた顔 してるつもりだ?」
「だって……私のせいで……」
ペチン!!
「痛っ!?」
カオルから2度目の洗礼を受け、ルナは再び額を手で押さえた。
「痛いよ……」
「こうでもしないとルナは理解できないようだからな」
涙目で訴えるルナに、カオルがしれっとした顔で答える。
「ルナは今後一切、俺に対して謝る事を禁止 する。もし破ったら、その度にコイツを食らわせるからな」
脅迫的な発言をし、カオルが指を弾く仕草をルナに見せつける。
「ええっ!?」
思わずルナは身を引いた。
どうやら先程の2発の痛みがすっかり染みついてしまった様である。
「……分かりました。もう言いません」
「それでいい」
カオルがそっとルナへ手を差し出す。
しかしさっきとは違い、その手はルナの頭に優しくポンと置かれた。
その手の温もりが心地よく、ルナの表情が恍惚なものへと変わっていく。
「「カオル!」」
その大声に、ルナはハッと我に返り、反射的にカオルから離れた。
声を荒げて保健室へ入ってきたのは、メノリとチャコ、そして彼女らを呼びに行ったシャアラとベルであった。
「はぁ、はぁ、頭から、血を流して、倒れたと、聞いたが……」
ここまで全力疾走してきたのか、メノリが息を切らしながらカオルへ話しかける。
「大した傷じゃない」
「そうか……はぁ、はぁ、よかった……」
とりあえず無事である事にメノリは安堵し、その場にへたりと座り込んだ。
「メノリ」
「なん、だ?」
「心配かけて悪かった」
カオルから突然の謝罪を受け、メノリは照れ隠しにプイッと顔を背けた。
「ま、まぁ……無事で何よりだ……」
そんな2人のやり取りを、仲間達が微笑ましく見つめていると……
「カオル!!」
今度は血相を変えたアキラが保健室へ駆け込んできた。
その後ろにはカトレアとレノックス、そしてマリアの姿もあった。
アキラは包帯の巻かれたカオルを目にすると、目を潤ませ、彼の元へ駆け寄り、ギュッと抱きしめた。
「お、おい!アキラ!?」
アキラの行動にカオルが激しく狼狽 える。
引き離そうと抵抗を試みるが、
「よかった……無事で……」
涙ながらにそう呟くアキラを見て、諦めた様に抵抗の力も次第に弱まっていった。
そんな2人の様子を、ルナ達は微笑ましそうに見つめるのであった。
その後、検査で病院へ行く事となり、カオルは早退する事となった。
当然カオルの本意ではないのだが、その場にいる全員に説得され、渋々了承した次第である。
道中ずっと不安げな表情をするアキラを、カトレアがずっと励ましていた。
MRIで脳の検査をし、「異常なし」の結果を知った所で、ようやくアキラの表情が安堵のものとなった。
そして現在、カオルは自宅へと帰っている。
すぐに夕飯の準備をする、と言ってエプロンを着けたアキラに「疲れたからもう寝る」と断りを入れ、自室のある2階へと上がっていった。
部屋へ入るなり、カオルは俯せの状態でベッドへと倒れ込んだ。
(体が重い……それに……すごく……眠い……)
襲い来る強い睡魔に抗う事も出来ず、カオルはそのまま意識を手放した。
学園祭2日目の朝、開場10分前のデモンズカフェ内。
「どうだ!似合うだろ!?」
演劇を完遂し、本日いよいよ参入となったハワードが自信満々な様子でクラスメイトに仮装姿をお披露目する。
ハワードは頭に獣耳のカチューシャ、フサフサの尻尾を付けた姿。
「……子犬か?」
「ワーウルフだよ!」
メノリの皮肉にハワードが憤慨する。
しかしメノリの言う通り、その姿は狼男と呼ぶには愛嬌がありすぎる。
言い得て妙だと、周りからは「ぷっ」と笑いが漏れる。
「いいじゃないハワード、可愛いわよ?」
「……何か素直に喜べないぞ?」
クスクスと笑いながら褒めるシャアラの言葉に、ハワードは釈然としない思いであった。
そんな中、教室内をキョロキョロと見回すルナの姿が目に入り、メノリが声を掛ける。
「どうした、ルナ?」
「あの……カオルの姿が無いなぁって思って……」
そういえば、とメノリも周囲を見渡すが、その姿を捕らえる事は出来なかった。
「今日この中でカオルを見かけた者はいるか?」
その質問に対する反応は無く、生徒達は首を傾げ顔を見合わせていた。
「昨日の事もあるから、今日は大事をとって休むとか?」
シンゴの言葉を聞き、周りから「えー!?」という声があがり、落胆の空気が流れる。
それと同時にルナの顔も曇る。
もしシンゴの言う通りだとしたら、その原因は自分にある。
カオルにとってソリア学園最後の学園祭となるにも関わらず、それを無碍 にしてしまったという罪悪感がルナを襲った。
そこへ突然聞こえた教室のドアが開く音。
中へ入って来た人物を見て、皆が声を揃えてその名を呼んだ。
「「カオル!!」」
「……悪い、遅れた」
カオルは淡々と謝罪の言葉を述べ、皆が集う所へ歩み寄った。
「平気なのか!?」
「あ~ん、痛そぉ~」
「何かして欲しい事があったら遠慮無く言って!カオルの為なら私何でもするから!」
頭に包帯が巻かれているカオルを見て、クラスメイトが労りの言葉を掛ける。
先程まで流れていた空気も一変し、皆の表情が歓喜のものへと変わっていた。
「カオル……」
声を掛けられ、カオルはルナへ顔を向けた。
ルナは、カオルを囲う生徒達から一歩引いた所に立っていた。
「本当に大丈夫……?」
「ああ」
不安げな顔で尋ねるルナに、カオルは口元を上げて頷いた。
「カオル!開場までもう時間が無い。急いで着替えろ」
メノリに急かされ、カオルは頷くと、仮装の衣装を持って教室内の着替えスペースへと向かって行った。
午後2時を過ぎ、ようやくルナは自由時間となった。
それまで自由時間だった生徒と交代し、私服に着替えると教室を出た。
廊下は学園の生徒や一般客が往来し、賑わっている。
人の波をすり抜け、ルナは小走りで目的の場所へと向かった。
学園のゲート前、そこでカオルと落ち合う約束をしている。
(カオル……まだ来てないのかな?)
周囲を見回しながら、フェンスに寄りかかり待っていると、程なくしてカオルがルナの目の前に現れた。
「すまない、遅くなった」
「ううん……って、カオル大丈夫!?すごい汗だけど……」
いつもと様子が違うカオルを、心配そうにルナが尋ねる。
「……待ち合わせに遅れそうだったから走ってきた」
「そう……なの?」
「ああ」
カオルの返答を聞き、ルナは心の中で引っかかるものがあった。
激しい運動をしても汗1つかかないカオルが、走ってきた程度でこれほどの発汗をするだろうか?
そう疑問を抱いたが、カオルがああ言っている以上、ルナに追及する術はない。
「行くか」
「う、うん!」
歩き始めたカオルの背中を、ルナは小さく頷いて追いかけた。
1つ1つ教室を見て回っていく中で、2人はシャオメイのクラスへと辿り着いた。
突然の2人の来場に、周囲から黄色い声があがる。
しかしこれはシャオメイのクラスに限った事でも無く、他のクラスでも同様の反応が返ってきていた。
それだけ2人は一際目立つ存在として認知されているのである。
周りの歓喜の声を聞き、シャオメイが2人の存在に気が付く。
「おっ、ルナにカオルじゃん!来てくれたんだ?」
「うん!シャオメイ頑張ってる?」
「まぁね!客足もそこそこってとこかしら」
シャオメイのクラスの出し物はアクセサリー店。
販売されているものは、全て生徒達の手作りである。
「ストラップ型のお守りってのもあるわよ。カオル、『無病息災』を祈って1つどう?」
「事後じゃ意味ないだろ」
「冗談よ、冗談♪」
舌をペロッと出してからかうシャオメイに、カオルは呆れた様に小さな溜息をついた。
そんなやり取りにクスッと微笑みながら、ルナは並べられているアクセサリーを眺めた。
「シャオメイのお勧めはどれ?」
「そうねぇ……このミサンガなんてどう?ウチの一番人気なんだけど」
提示されたものを、ルナは手に取って眺める。
「ミサンガかぁ……うん!いいかも!」
「カオルもどう?せっかく来たんだから1つくらい買っていってよ」
「……まぁ、それくらいだったら」
カオルにとってアクセサリーなど興味外の物であるが、ミサンガであれば許容の範疇だろう、と了承した。
「カオル、腕を伸ばして」
言われるがままにカオルはルナに向けて腕を伸ばす。
ルナは購入したミサンガをいそいそとカオルの手首に結び始めた。
周りから注目を浴びている恥ずかしさから、抵抗しようとも考えたが、「ミサンガにはジンクスがあってね~」と嬉々として話しながら手を動かすルナを見ていると、そんな思いすらどこかへ消え去ってしまう。
カオルの手首に結び終えると、「今度は私につけて」とルナは笑顔で自分の腕を差し出した。
何がそんなに楽しいのか、カオルには甚だ疑問であったが、どのような理由であるにしろ、ルナが笑っていられるのならそれで良い、と考え至り、カオルはルナの手首にミサンガを結んだ。
「じゃあシャオメイ、私達そろそろ行くね」
「うん!買ってくれてありがとう!」
手を振って礼を言うシャオメイにルナは小さく手を振ってカオルと共に教室を後にした。
2人が去ると、教室内はシーンと静まり返った。
その異様な雰囲気にシャオメイが怪訝な顔をする。
「どうしたの?」
「……ねぇ、シャオメイ」
皆の声を代弁する様に、ある女子生徒がシャオメイへ問う。
「あの2人って……付き合ってるの?」
シャオメイの返答に皆が耳をそばたてる。
しかしその返答は、あっさりとしたものであった。
「さぁ?私にもよく分からないわ」
そう発言するシャオメイは、不思議と楽しそうであった。
校内を2人で回っている最中、カオルは突然歩みを止め、ルナを呼び止めた。
「……悪い、ちょっとトイレに行かせてくれ」
「あ、うん。分かったわ」
カオルからの申告を受け、ルナはコクリと頷くと、彼が戻ってくるまでの間、廊下で待機する事にした。
「はぁ……はぁ……」
1人になった途端、カオルは洗面台に両手を手を付き、苦しそうに顔を歪めた。
呼吸は荒く、発汗も尋常ではない。
(くそ……目が霞む……体がだるい……)
気を抜けばあっという間に意識を失ってしまいそうな程、カオルの体は高熱に侵されていた。
熱で重い頭を醒まそうと、カオルは冷水で顔を洗った。
濡れた顔をハンカチで拭き、深呼吸を繰り返し呼吸を整えると、外で待つルナの元へ向かって行った。
日も沈みかけ、ソリア学祭も終盤へと向かっていた。
ルナとカオルは学園全体を一回りし、ゲート前に再び戻ってきた。
「あ~あ、もう自由時間も終わりかぁ……」
茜色に染まりつつある夕空を見上げてルナが残念そうに呟く。
「カオルはこの後、病院なんだよね?」
「ああ、悪いな。ホントなら後片付けまでやらなければいけないところなのに」
「ううん。カオルは病み上がりなんだから無理しないで」
ルナは首を横に振り、ニコッと優しく微笑んだ。
「今日はありがとう!とっても楽しかったわ!」
「俺もだ。今まで生きてきた中で、一番楽しい時間だった」
「もう、おおげさだなぁ」
そうは言いながらも、カオルが『楽しい』と感じてくれた事を知り、ルナの心は幸せな気持ちに満ち溢れていた。
「あ!そろそろ戻らなきゃ!じゃあカオル、またね!」
「ああ。みんなによろしく言っておいてくれ」
「うん!」
ルナは笑顔で頷くと、大きく手を振りながら急いで教室へと戻っていった。
遠ざかっていくルナの姿を見送り、その姿が校舎の中に消えると、ゲートを通り抜ける為に一歩足を踏み出した。
しかし、カオルの体力は既に限界を超えていた。
踏み出した足はぐらりとバランスを崩し、カオルの体は地面に向かってゆっくりと倒れていった──
「やれやれ……本当に君は無茶をするね。意識を保つのもやっとだったろうに」
聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
その人物の大きな腕に支えられたおかげで、カオルの体は地面に倒れるのを免れた。
「……レ……ノ……?」
カオルは虚ろな目でレノックスを見上げた。
その隣にはアキラの姿もある。
「アキ……ラ……」
彼女の、今にも泣き出しそうな表情を見たのを最後に、カオルは意識を手放した。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
学園祭2日目の朝、カオル宅。
「か、カオル!!!」
リビングでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいたレノックスは、突然のアキラの叫び声を聞き、廊下へと出た。
そこには壁に手を着きながら、苦しそうに荒い呼吸をし、フラフラと歩くカオルの姿があった。
アキラがカオルの額に手を当てる。
「すごい熱……」
「恐らく傷口が熱を持ったんだろう。ちょっと見せなさい」
レノックスはカオルの頭に巻かれた包帯を解き、ガーゼをはがすと傷口を見つめた。
「ふむ……化膿はしていないようだが……とりあえず今日は安静にした方が良いだろうな」
「はぁ……はぁ……そういう訳には……いかない……」
レノックスの手からガーゼと包帯を奪い返すと重い足取りで玄関へ向かって歩き出した。
「ちょ……ちょっと!どこへ行くの!?」
「……学校」
「何言ってるの!?そんな状態で学校なんて行ける訳ないじゃない!」
アキラは声を荒げ、カオルを行かせまいと彼の手首を掴んだ。
「ほら、ベッドまで戻りましょ?肩を貸すから」
「離せ……」
カオルが掴む手を振り解こうと抵抗するが、今のカオルにはその力すら発揮出来ない状態であった。
「ね?学校にも連絡は入れておくから……」
「余計な事をするな……!!……はぁ……はぁ……」
アキラのその発言にカオルが過剰に反応を示し大声をあげた。
「お前達が何と言おうと……はぁ……はぁ……俺は行くぞ……!……今日だけは……休む訳には行かないんだ……!!」
何故カオルがこんなにも必死になっているのか、2人には分からなかった。
だが、その気迫だけはひしひしと伝わっていた。
「カオル」
レノックスがカオルを呼び止める。
「理由くらいは説明してくれないか?何故今日休む訳にはいかないのか……でなければ、私もアキラも納得できなし、反対せざるを得ない」
レノックスに諭され、カオルは少し落ち着きを取り戻し、ゆっくりとした口調でその質問に答えた。
「はぁ……はぁ……ルナと……約束……したから……」
「約束?」
「学園祭……一緒に……回ると……」
「でも体調不良なら仕方ないじゃない!ちゃんと理由を説明すればルナちゃんだって……」
「バカを言うな……!!」
カオルの怒声にアキラは反論の言葉を止めた。
「もし……そんな事してみろ……はぁ……はぁ……アイツは……自分のせいだと思い詰めるに決まってる……!そういう奴なんだよ……!!アイツには……ルナには……ずっと……笑っていてほしいから……」
カオルを突き動かしているのは、ルナに対する想いであった。
ルナを守るためなら自分が傷つく事を厭 わない……そういう信念を持っているようにレノックスは感じた。
「……分かった」
「ちょっとレノ!?」
カオルの主張に同意する様な返答をするレノックスに、アキラが反論する。
「ただし条件がある」
そう言ってレノックスはカオルの前に2本の指を立てて提示した。
『条件』が2つある、という事だろう。
「1つ……ルナ君との約束を果たし次第帰って来る事。その後すぐに病院に行かなきゃいけないからね」
「もう1つは……?」
「薬は飲んでいきなさい。せめて解熱剤くらいはね」
レノックスの提示した条件を、カオルは呑んだ。
ルナとの約束を果たせるのならば、それで構わない、と考えたのだろう。
そんな2人のやり取りを、アキラは心配そうな面持ちで眺める事しか出来なかった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「……何もそこまでする事ないじゃない。心配する側の身にもなってよ……」
レノックスの腕に支えられ眠るカオルに、アキラが力無い不満をぶつける。
「それだけルナ君が大切な存在なんだろう」
「だからって……!」
「君の気持ちも分かる。『親』として『子』を心配するのは当然だ。でも一方で『子』が成そうとしている事を信じて見守るのも『親』の役目なんだと想うよ」
レノックスに諭され、アキラは反論の言葉を止めた。
「それに……もし私がカオルの立場だったら、カオルと同じ事をしただろうしね。だからカオルの気持ちが私にはよく分かるよ」
「……私には分からないわ。もっと自分を労って欲しい……それだけなのに……」
アキラが不満げな顔でレノックスに訴える。
しかし、レノックスは対照的に楽しげな顔をしていた。
「はっはっは、男とは意地を張ってしまう生き物なのさ。女性には理解できない事かもしれないけどね。カオルも一端の男だった、それだけの事だ」
「レノ……嬉しそうね」
「そうだな。子供が成長する様を見れたんだ。こんなに嬉しい事はないさ」
レノックスの言葉を受け、アキラは過去の出来事を思い出した。
『他人を本当に心配してる奴なんてこの世にはいない……どいつもこいつも偽善者ばかりだ……だから、俺は誰も信じない……!』
アキラの脳裏に浮かんだのは、当時5歳のカオル。
その瞳は冷たく、そして哀しげであったという印象をアキラは受けていた。
それが今では……
『もし……そんな事してみろ……はぁ……はぁ……アイツは……自分のせいだと思い詰めるに決まってる……!そういう奴なんだよ……!!アイツには……ルナには……ずっと……笑っていてほしいから……』
自分の方が他人を心配する様になっている。
それもきっとあのオレンジ髪の少女のお陰なのだろう。
そう考えると、カオルが彼女の為に無茶をする気持ちも少しは分かる気がする。
そんな考えに至り、アキラは自嘲気味にクスッと笑った。
「じゃあ、病院へ行こうか」
「ええ」
2人は通りかかったエアタクシーを止め、深い眠りに就くカオルを乗せて病院へと向かった。
その後も変わらず盛況をみせるソリア学祭。
その裏で、1人の少女の笑顔を守るため尽力した少年がいたという事実を、このソリア学園内で知る者はいない。
耳に入ってきた声が、沈んでいた意識を浮上させる。
「──丈夫か!?」
「──理に動──ない方が──」
しかし聞こえてくる話し声も、意識がまだ朦朧としているせいか、部分部分にしか聞き取れない。
全身は倦怠感に襲われ、瞼を上げる事さえ困難を窮めていた。
「──がい……」
ふと耳へ入ってきた、今にも消え入りそうな弱々しい声。
しかしその声は、朦朧としていた意識をはっきりさせ、体に纏わりつく倦怠感を吹き飛ばした。
「お願い……目を開けて……カオル……!」
その声に呼応する様に、瞼がゆっくりと開く。
「「カオルっ!!」」
視界に入ってきたのは、心配そうにカオルの顔を覗き込む仲間達と演劇部員の姿。
そこで初めてカオルは自分が現在床に横たわっている事に気が付く。
次第に体に感覚が戻っていくのを実感し、カオルは体をゆっくりと起こした。
「……っ!!」
突然頭に走った激痛に顔を歪ませる。
「カオルっ!!?」
カオルの体をルナが咄嗟に支える。
頭の傷口からは、いまだ止めどなく血が垂れ落ち、傷口を押さえるカオルの手が徐々に流れる血で紅く染まっていく。
ルナは慌ててハンカチを取出し、傷口へと当てた。
清潔感のあるハンカチが、代わりにジワリと血で紅く染まっていく。
止まらない血が、ルナの中の焦燥感を募らせる。
「は、早く保健室へ行かないと……!」
「……大丈夫だ。これくらい大した事……」
「ダメっ!!!」
突然のルナの叱責にカオルは言葉を止めた。
「何かあってからじゃ遅いのよ!?お願いだから……今だけでいいから……私の言う通りにして……?」
瞳一杯に涙を溜めながら懇願するルナに、カオルは何も言えなくなった。
そして小さな溜息をつくと、諦めたように「……分かった」と小さく答えた。
カオルの言葉にホッとし、ルナは顔を仲間達の方へ向けた。
「誰かメノリの所へ行って、事情を伝えてきてくれる?」
「私が行くわ!」
「俺も行くよ」
ルナの頼みに、即座に名乗りをあげたのはシャアラとベルであった。
「じゃあ、お願いね?」
ルナの言葉にシャアラとベルは頷くと、メノリがいる教室へと駆け出した。
「僕はカオルに付き添うぞ!」
「僕も!」
そこは譲らない、とでも言うような表情のハワードとシンゴ。
ルナは「うん」と小さく頷いて了承した。
「私は職員室へ行って、親御さんに連絡をとってくるから。後片付け、よろしくね」
顧問であるマリアの言葉を受け、演劇部員らは「はい!」と力強く頷いた。
ルナが傷口に当てているハンカチをそのまま受け取り、カオルがゆっくりと立ち上がる。
しかし貧血のせいか、頭を打ったせいか、足元がふらふらとして覚束ない。
ルナはカオルの手を掴むと、その腕を首に回し、肩を貸した。
「無理しないで。私が支えるから……」
「……すまない」
カオルの謝罪にルナは小さく首を振った。
「謝るのは私の方……私がもっと周りに注意を払っていれば、カオルが怪我する事も無かったのに……ゴメンね?」
「ルナのせいじゃ……むぐ!?」
ルナがカオルの口を指で押さえ、首を横に振る。
その先は言わないで、と伝える為に。
それに従う様に、カオルは途中まで言い掛けた言葉を飲み込んだ。
「じゃあ行きましょ」
ルナに支えられながら、カオルは保健室へと向かっていった。
第 10 話 『学園祭(後編)』
「とりあえず止血はしたけど、頭を打ったのなら、ちゃんと病院で診てもらった方がいいわね」
保健室の養護教諭に処置してもらい、カオルの頭には綺麗に包帯が巻かれていた。
その痛々しい姿に、ルナは苦悶の表情を浮かべた。
「カオル……ごめんなさい……私のせいで……」
カオルが気を失った時からルナはずっとこんな調子であった。
カオルに怪我を負わせてしまった事で、自責の念に捕らわれているのだろう。
「そんなに気にするなって!確かに今回の怪我はルナのせいかもしれないけど、カオルだってこの通りピンピンしてるんだしさ!」
「ハワード!全然フォローになってないよ!」
身も蓋もない事を口走るハワードを、シンゴが咎める。
「私のせいでカオルが……」
ハワードの一言がグサリと突き刺さり、ルナの気分を更に沈めていった。
「余計に落ち込ませてどうすんのさ!」
「な、何だよ!?別に変な事は言ったつもりはないぞ!?」
脇でギャーギャーと騒ぐ2人を余所に、カオルはうなだれるルナへそっと手を差し延べた。
そして……
ペチン!!
「痛っ!?」
ルナの額にデコピンを打った。
カオルの突然の行動に、ハワードとシンゴも唖然とする。
「か、カオル……?」
カオルの行動の意図が分からず、ルナは額をさすりながら、カオルへ視線を向けた。
「いつまでそんなシケた
「だって……私のせいで……」
ペチン!!
「痛っ!?」
カオルから2度目の洗礼を受け、ルナは再び額を手で押さえた。
「痛いよ……」
「こうでもしないとルナは理解できないようだからな」
涙目で訴えるルナに、カオルがしれっとした顔で答える。
「ルナは今後一切、俺に対して謝る事を
脅迫的な発言をし、カオルが指を弾く仕草をルナに見せつける。
「ええっ!?」
思わずルナは身を引いた。
どうやら先程の2発の痛みがすっかり染みついてしまった様である。
「……分かりました。もう言いません」
「それでいい」
カオルがそっとルナへ手を差し出す。
しかしさっきとは違い、その手はルナの頭に優しくポンと置かれた。
その手の温もりが心地よく、ルナの表情が恍惚なものへと変わっていく。
「「カオル!」」
その大声に、ルナはハッと我に返り、反射的にカオルから離れた。
声を荒げて保健室へ入ってきたのは、メノリとチャコ、そして彼女らを呼びに行ったシャアラとベルであった。
「はぁ、はぁ、頭から、血を流して、倒れたと、聞いたが……」
ここまで全力疾走してきたのか、メノリが息を切らしながらカオルへ話しかける。
「大した傷じゃない」
「そうか……はぁ、はぁ、よかった……」
とりあえず無事である事にメノリは安堵し、その場にへたりと座り込んだ。
「メノリ」
「なん、だ?」
「心配かけて悪かった」
カオルから突然の謝罪を受け、メノリは照れ隠しにプイッと顔を背けた。
「ま、まぁ……無事で何よりだ……」
そんな2人のやり取りを、仲間達が微笑ましく見つめていると……
「カオル!!」
今度は血相を変えたアキラが保健室へ駆け込んできた。
その後ろにはカトレアとレノックス、そしてマリアの姿もあった。
アキラは包帯の巻かれたカオルを目にすると、目を潤ませ、彼の元へ駆け寄り、ギュッと抱きしめた。
「お、おい!アキラ!?」
アキラの行動にカオルが激しく
引き離そうと抵抗を試みるが、
「よかった……無事で……」
涙ながらにそう呟くアキラを見て、諦めた様に抵抗の力も次第に弱まっていった。
そんな2人の様子を、ルナ達は微笑ましそうに見つめるのであった。
その後、検査で病院へ行く事となり、カオルは早退する事となった。
当然カオルの本意ではないのだが、その場にいる全員に説得され、渋々了承した次第である。
道中ずっと不安げな表情をするアキラを、カトレアがずっと励ましていた。
MRIで脳の検査をし、「異常なし」の結果を知った所で、ようやくアキラの表情が安堵のものとなった。
そして現在、カオルは自宅へと帰っている。
すぐに夕飯の準備をする、と言ってエプロンを着けたアキラに「疲れたからもう寝る」と断りを入れ、自室のある2階へと上がっていった。
部屋へ入るなり、カオルは俯せの状態でベッドへと倒れ込んだ。
(体が重い……それに……すごく……眠い……)
襲い来る強い睡魔に抗う事も出来ず、カオルはそのまま意識を手放した。
学園祭2日目の朝、開場10分前のデモンズカフェ内。
「どうだ!似合うだろ!?」
演劇を完遂し、本日いよいよ参入となったハワードが自信満々な様子でクラスメイトに仮装姿をお披露目する。
ハワードは頭に獣耳のカチューシャ、フサフサの尻尾を付けた姿。
「……子犬か?」
「ワーウルフだよ!」
メノリの皮肉にハワードが憤慨する。
しかしメノリの言う通り、その姿は狼男と呼ぶには愛嬌がありすぎる。
言い得て妙だと、周りからは「ぷっ」と笑いが漏れる。
「いいじゃないハワード、可愛いわよ?」
「……何か素直に喜べないぞ?」
クスクスと笑いながら褒めるシャアラの言葉に、ハワードは釈然としない思いであった。
そんな中、教室内をキョロキョロと見回すルナの姿が目に入り、メノリが声を掛ける。
「どうした、ルナ?」
「あの……カオルの姿が無いなぁって思って……」
そういえば、とメノリも周囲を見渡すが、その姿を捕らえる事は出来なかった。
「今日この中でカオルを見かけた者はいるか?」
その質問に対する反応は無く、生徒達は首を傾げ顔を見合わせていた。
「昨日の事もあるから、今日は大事をとって休むとか?」
シンゴの言葉を聞き、周りから「えー!?」という声があがり、落胆の空気が流れる。
それと同時にルナの顔も曇る。
もしシンゴの言う通りだとしたら、その原因は自分にある。
カオルにとってソリア学園最後の学園祭となるにも関わらず、それを
そこへ突然聞こえた教室のドアが開く音。
中へ入って来た人物を見て、皆が声を揃えてその名を呼んだ。
「「カオル!!」」
「……悪い、遅れた」
カオルは淡々と謝罪の言葉を述べ、皆が集う所へ歩み寄った。
「平気なのか!?」
「あ~ん、痛そぉ~」
「何かして欲しい事があったら遠慮無く言って!カオルの為なら私何でもするから!」
頭に包帯が巻かれているカオルを見て、クラスメイトが労りの言葉を掛ける。
先程まで流れていた空気も一変し、皆の表情が歓喜のものへと変わっていた。
「カオル……」
声を掛けられ、カオルはルナへ顔を向けた。
ルナは、カオルを囲う生徒達から一歩引いた所に立っていた。
「本当に大丈夫……?」
「ああ」
不安げな顔で尋ねるルナに、カオルは口元を上げて頷いた。
「カオル!開場までもう時間が無い。急いで着替えろ」
メノリに急かされ、カオルは頷くと、仮装の衣装を持って教室内の着替えスペースへと向かって行った。
午後2時を過ぎ、ようやくルナは自由時間となった。
それまで自由時間だった生徒と交代し、私服に着替えると教室を出た。
廊下は学園の生徒や一般客が往来し、賑わっている。
人の波をすり抜け、ルナは小走りで目的の場所へと向かった。
学園のゲート前、そこでカオルと落ち合う約束をしている。
(カオル……まだ来てないのかな?)
周囲を見回しながら、フェンスに寄りかかり待っていると、程なくしてカオルがルナの目の前に現れた。
「すまない、遅くなった」
「ううん……って、カオル大丈夫!?すごい汗だけど……」
いつもと様子が違うカオルを、心配そうにルナが尋ねる。
「……待ち合わせに遅れそうだったから走ってきた」
「そう……なの?」
「ああ」
カオルの返答を聞き、ルナは心の中で引っかかるものがあった。
激しい運動をしても汗1つかかないカオルが、走ってきた程度でこれほどの発汗をするだろうか?
そう疑問を抱いたが、カオルがああ言っている以上、ルナに追及する術はない。
「行くか」
「う、うん!」
歩き始めたカオルの背中を、ルナは小さく頷いて追いかけた。
1つ1つ教室を見て回っていく中で、2人はシャオメイのクラスへと辿り着いた。
突然の2人の来場に、周囲から黄色い声があがる。
しかしこれはシャオメイのクラスに限った事でも無く、他のクラスでも同様の反応が返ってきていた。
それだけ2人は一際目立つ存在として認知されているのである。
周りの歓喜の声を聞き、シャオメイが2人の存在に気が付く。
「おっ、ルナにカオルじゃん!来てくれたんだ?」
「うん!シャオメイ頑張ってる?」
「まぁね!客足もそこそこってとこかしら」
シャオメイのクラスの出し物はアクセサリー店。
販売されているものは、全て生徒達の手作りである。
「ストラップ型のお守りってのもあるわよ。カオル、『無病息災』を祈って1つどう?」
「事後じゃ意味ないだろ」
「冗談よ、冗談♪」
舌をペロッと出してからかうシャオメイに、カオルは呆れた様に小さな溜息をついた。
そんなやり取りにクスッと微笑みながら、ルナは並べられているアクセサリーを眺めた。
「シャオメイのお勧めはどれ?」
「そうねぇ……このミサンガなんてどう?ウチの一番人気なんだけど」
提示されたものを、ルナは手に取って眺める。
「ミサンガかぁ……うん!いいかも!」
「カオルもどう?せっかく来たんだから1つくらい買っていってよ」
「……まぁ、それくらいだったら」
カオルにとってアクセサリーなど興味外の物であるが、ミサンガであれば許容の範疇だろう、と了承した。
「カオル、腕を伸ばして」
言われるがままにカオルはルナに向けて腕を伸ばす。
ルナは購入したミサンガをいそいそとカオルの手首に結び始めた。
周りから注目を浴びている恥ずかしさから、抵抗しようとも考えたが、「ミサンガにはジンクスがあってね~」と嬉々として話しながら手を動かすルナを見ていると、そんな思いすらどこかへ消え去ってしまう。
カオルの手首に結び終えると、「今度は私につけて」とルナは笑顔で自分の腕を差し出した。
何がそんなに楽しいのか、カオルには甚だ疑問であったが、どのような理由であるにしろ、ルナが笑っていられるのならそれで良い、と考え至り、カオルはルナの手首にミサンガを結んだ。
「じゃあシャオメイ、私達そろそろ行くね」
「うん!買ってくれてありがとう!」
手を振って礼を言うシャオメイにルナは小さく手を振ってカオルと共に教室を後にした。
2人が去ると、教室内はシーンと静まり返った。
その異様な雰囲気にシャオメイが怪訝な顔をする。
「どうしたの?」
「……ねぇ、シャオメイ」
皆の声を代弁する様に、ある女子生徒がシャオメイへ問う。
「あの2人って……付き合ってるの?」
シャオメイの返答に皆が耳をそばたてる。
しかしその返答は、あっさりとしたものであった。
「さぁ?私にもよく分からないわ」
そう発言するシャオメイは、不思議と楽しそうであった。
校内を2人で回っている最中、カオルは突然歩みを止め、ルナを呼び止めた。
「……悪い、ちょっとトイレに行かせてくれ」
「あ、うん。分かったわ」
カオルからの申告を受け、ルナはコクリと頷くと、彼が戻ってくるまでの間、廊下で待機する事にした。
「はぁ……はぁ……」
1人になった途端、カオルは洗面台に両手を手を付き、苦しそうに顔を歪めた。
呼吸は荒く、発汗も尋常ではない。
(くそ……目が霞む……体がだるい……)
気を抜けばあっという間に意識を失ってしまいそうな程、カオルの体は高熱に侵されていた。
熱で重い頭を醒まそうと、カオルは冷水で顔を洗った。
濡れた顔をハンカチで拭き、深呼吸を繰り返し呼吸を整えると、外で待つルナの元へ向かって行った。
日も沈みかけ、ソリア学祭も終盤へと向かっていた。
ルナとカオルは学園全体を一回りし、ゲート前に再び戻ってきた。
「あ~あ、もう自由時間も終わりかぁ……」
茜色に染まりつつある夕空を見上げてルナが残念そうに呟く。
「カオルはこの後、病院なんだよね?」
「ああ、悪いな。ホントなら後片付けまでやらなければいけないところなのに」
「ううん。カオルは病み上がりなんだから無理しないで」
ルナは首を横に振り、ニコッと優しく微笑んだ。
「今日はありがとう!とっても楽しかったわ!」
「俺もだ。今まで生きてきた中で、一番楽しい時間だった」
「もう、おおげさだなぁ」
そうは言いながらも、カオルが『楽しい』と感じてくれた事を知り、ルナの心は幸せな気持ちに満ち溢れていた。
「あ!そろそろ戻らなきゃ!じゃあカオル、またね!」
「ああ。みんなによろしく言っておいてくれ」
「うん!」
ルナは笑顔で頷くと、大きく手を振りながら急いで教室へと戻っていった。
遠ざかっていくルナの姿を見送り、その姿が校舎の中に消えると、ゲートを通り抜ける為に一歩足を踏み出した。
しかし、カオルの体力は既に限界を超えていた。
踏み出した足はぐらりとバランスを崩し、カオルの体は地面に向かってゆっくりと倒れていった──
「やれやれ……本当に君は無茶をするね。意識を保つのもやっとだったろうに」
聞き覚えのある声が耳に入ってくる。
その人物の大きな腕に支えられたおかげで、カオルの体は地面に倒れるのを免れた。
「……レ……ノ……?」
カオルは虚ろな目でレノックスを見上げた。
その隣にはアキラの姿もある。
「アキ……ラ……」
彼女の、今にも泣き出しそうな表情を見たのを最後に、カオルは意識を手放した。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
学園祭2日目の朝、カオル宅。
「か、カオル!!!」
リビングでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいたレノックスは、突然のアキラの叫び声を聞き、廊下へと出た。
そこには壁に手を着きながら、苦しそうに荒い呼吸をし、フラフラと歩くカオルの姿があった。
アキラがカオルの額に手を当てる。
「すごい熱……」
「恐らく傷口が熱を持ったんだろう。ちょっと見せなさい」
レノックスはカオルの頭に巻かれた包帯を解き、ガーゼをはがすと傷口を見つめた。
「ふむ……化膿はしていないようだが……とりあえず今日は安静にした方が良いだろうな」
「はぁ……はぁ……そういう訳には……いかない……」
レノックスの手からガーゼと包帯を奪い返すと重い足取りで玄関へ向かって歩き出した。
「ちょ……ちょっと!どこへ行くの!?」
「……学校」
「何言ってるの!?そんな状態で学校なんて行ける訳ないじゃない!」
アキラは声を荒げ、カオルを行かせまいと彼の手首を掴んだ。
「ほら、ベッドまで戻りましょ?肩を貸すから」
「離せ……」
カオルが掴む手を振り解こうと抵抗するが、今のカオルにはその力すら発揮出来ない状態であった。
「ね?学校にも連絡は入れておくから……」
「余計な事をするな……!!……はぁ……はぁ……」
アキラのその発言にカオルが過剰に反応を示し大声をあげた。
「お前達が何と言おうと……はぁ……はぁ……俺は行くぞ……!……今日だけは……休む訳には行かないんだ……!!」
何故カオルがこんなにも必死になっているのか、2人には分からなかった。
だが、その気迫だけはひしひしと伝わっていた。
「カオル」
レノックスがカオルを呼び止める。
「理由くらいは説明してくれないか?何故今日休む訳にはいかないのか……でなければ、私もアキラも納得できなし、反対せざるを得ない」
レノックスに諭され、カオルは少し落ち着きを取り戻し、ゆっくりとした口調でその質問に答えた。
「はぁ……はぁ……ルナと……約束……したから……」
「約束?」
「学園祭……一緒に……回ると……」
「でも体調不良なら仕方ないじゃない!ちゃんと理由を説明すればルナちゃんだって……」
「バカを言うな……!!」
カオルの怒声にアキラは反論の言葉を止めた。
「もし……そんな事してみろ……はぁ……はぁ……アイツは……自分のせいだと思い詰めるに決まってる……!そういう奴なんだよ……!!アイツには……ルナには……ずっと……笑っていてほしいから……」
カオルを突き動かしているのは、ルナに対する想いであった。
ルナを守るためなら自分が傷つく事を
「……分かった」
「ちょっとレノ!?」
カオルの主張に同意する様な返答をするレノックスに、アキラが反論する。
「ただし条件がある」
そう言ってレノックスはカオルの前に2本の指を立てて提示した。
『条件』が2つある、という事だろう。
「1つ……ルナ君との約束を果たし次第帰って来る事。その後すぐに病院に行かなきゃいけないからね」
「もう1つは……?」
「薬は飲んでいきなさい。せめて解熱剤くらいはね」
レノックスの提示した条件を、カオルは呑んだ。
ルナとの約束を果たせるのならば、それで構わない、と考えたのだろう。
そんな2人のやり取りを、アキラは心配そうな面持ちで眺める事しか出来なかった。
★ ★ ★ ★ ★ ★ ★
「……何もそこまでする事ないじゃない。心配する側の身にもなってよ……」
レノックスの腕に支えられ眠るカオルに、アキラが力無い不満をぶつける。
「それだけルナ君が大切な存在なんだろう」
「だからって……!」
「君の気持ちも分かる。『親』として『子』を心配するのは当然だ。でも一方で『子』が成そうとしている事を信じて見守るのも『親』の役目なんだと想うよ」
レノックスに諭され、アキラは反論の言葉を止めた。
「それに……もし私がカオルの立場だったら、カオルと同じ事をしただろうしね。だからカオルの気持ちが私にはよく分かるよ」
「……私には分からないわ。もっと自分を労って欲しい……それだけなのに……」
アキラが不満げな顔でレノックスに訴える。
しかし、レノックスは対照的に楽しげな顔をしていた。
「はっはっは、男とは意地を張ってしまう生き物なのさ。女性には理解できない事かもしれないけどね。カオルも一端の男だった、それだけの事だ」
「レノ……嬉しそうね」
「そうだな。子供が成長する様を見れたんだ。こんなに嬉しい事はないさ」
レノックスの言葉を受け、アキラは過去の出来事を思い出した。
『他人を本当に心配してる奴なんてこの世にはいない……どいつもこいつも偽善者ばかりだ……だから、俺は誰も信じない……!』
アキラの脳裏に浮かんだのは、当時5歳のカオル。
その瞳は冷たく、そして哀しげであったという印象をアキラは受けていた。
それが今では……
『もし……そんな事してみろ……はぁ……はぁ……アイツは……自分のせいだと思い詰めるに決まってる……!そういう奴なんだよ……!!アイツには……ルナには……ずっと……笑っていてほしいから……』
自分の方が他人を心配する様になっている。
それもきっとあのオレンジ髪の少女のお陰なのだろう。
そう考えると、カオルが彼女の為に無茶をする気持ちも少しは分かる気がする。
そんな考えに至り、アキラは自嘲気味にクスッと笑った。
「じゃあ、病院へ行こうか」
「ええ」
2人は通りかかったエアタクシーを止め、深い眠りに就くカオルを乗せて病院へと向かった。
その後も変わらず盛況をみせるソリア学祭。
その裏で、1人の少女の笑顔を守るため尽力した少年がいたという事実を、このソリア学園内で知る者はいない。
完