2期
第 6 話 『ある雨の日(後編)』
豪雨が屋根を打ち鳴らし、暴風が窓を激しく震わす。
その音や振動が店内にまで響き渡る。
全てが人工的に作られているスペースコロニーにおいて、天災は起こり得ない事象である。
しかし、今回のケースの様な誤作動による人災は、唐突に起こり得る。
まさにその『人災』の渦中に巻き込まれているカオルは、再度携帯から気象管理局のホームページへ繋ぎ、早々に情報収集に取り掛かっていた。
「くしゅっ」
くしゃみをする音が耳に入り、カオルは視線を携帯の画面からルナへと移した。
ルナは寒さで身震いをしていた。
タオルで濡れた部分を拭いたといっても、水分を含んだ髪は額にひっつき、着ている服も上から下までグジョグジョである。
その証拠とでも言うべきか、ルナの足下には小さな水溜まりが出来ていた。
雨で濡れた着衣が肌にへばりつき、直に体温を奪っているのだから寒いのは当然である。
「本当に風邪引くぞ。シャワーでも浴びてこい」
「ううん、私は平気。カオルこそ先に浴びてきて」
微笑んで首を横に振るルナを見て、またいつもの遠慮が始まったな、とカオルは溜息を落とした。
「体震わせて、くしゃみしてる奴が何言ってるんだ。いいからさっさと行け」
強い口調で言われ、ルナは渋々シャワールームの方へ向かった。
いや、実際寒かったので、カオルの心遣いはありがたいのだが。
そのせいでカオルに風邪を引かれるのは申し訳が立たない。
そうならない為にもなるべく早く上がろう、とルナは自分自身に決意表明するのであった。
ルナがシャワーを浴びている間に、カオルは休憩室にあるテレビを付けて緊急速報を眺めていた。
放送局は急遽通常の番組を取り止め、コロニー全体に起きた今回の事態をアナウンサーが報道していた。
『今日の午後8時20分頃、ロカA2全土に暴風雨警報が発布されました。気象管理局の発表では、降雨量・風量を調整するシステムの故障が原因であるとして、迅速に復旧工事を行っているとの事です。明朝には回復する見込みの様ですので、今晩の外出は控えるようお願い致します』
一通り情報を頭に入れ、カオルはテレビの電源を切った。
(システムの復旧は明日の朝……か)
この暴風雨が収まらなければここから出られない。
明朝までには直るという事は、少なくとも今晩は店に泊まらなければならない。
……ルナと2人で。
(ルナの言葉を借りる訳じゃないが……今日は一体何なんだ!?)
ここまで想定外の出来事が立て続けに起きると、まるで誰かの陰謀によって引き起こされているのでは、と錯覚してしまう。
カオルは精神的疲労を感じ深い溜息をついた。
「……オル~、カオル~」
ふと耳にルナの呼び声が入る。
しかも急迫した声色の様に感じられる。
何事か、とカオルは声のする方へと向かって行った。
「ルナ、どうした?」
カオルはノックをして扉越しに声を掛けた。
「カオルぅ~……」
カオルが来てくれた事に安堵した為か、先程より急迫した様子は感じられない。
しかし代わりに、困惑・動揺、そういった感情がルナの声から感じ取れる。
「着替え……どうしよう……」
「……なるほど」
ルナに言われて気付く。
当然の事ながら、ルナが着ていた衣類は雨でびしょ濡れであり、再度着直す訳にもいかない。
そこへ気を回せなかった自分自身に心の中で舌打ちをし、カオルは「ちょっと待ってろ」と一言添え、その場を離れて行った。
去っていく足音にルナは寂しさを覚えたが、思っていたよりも大分早くカオルが戻ってくる足音が聞こえてきた。
「これを使え」
その言葉に促されるようにルナはロックを解錠し、恐る恐るといった様子でわずかに開けた扉から顔を半分だけ覗かせた。
カオルは顔を逸らしたまま、腕だけをこちらに伸ばしていた。
その手には何か布の様なものが握られている。
ルナはそれを受け取ると扉を閉め、布を広げた。
「これ……カーテン?」
「カーテンは布地が厚いから防寒に適してるんだ。一緒に渡した紐で縛れば簡素だが服の代用になるだろう」
カオルの説明を聞き、ルナは「へぇ~」と感心の声を出した。
「じゃあ俺は休憩室にいるから」
「うん……ありがとねカオル」
ルナのお礼を扉越しに聞き、カオルは口元を小さく上げて休憩室へと戻って行った。
入浴を終えたルナが休憩室へ入り、カオルへ「お待たせ、次いいよ」と伝える。
カオルは頷き、カーテンと紐を携えてシャワールームへと向かって行った。
カオルを待っている間、ルナは暇つぶしに室内に置いてある雑誌を手に取り、パラパラと読み始めた。
この時期流行りのファッション、芸能人御用達の三ツ星店、オススメのデートスポット、占いコーナー、恋愛系コーナー……などなど。
ルナが興味津々に雑誌を読み、とあるページを捲った所で、間に挟まっていたのか1枚の紙切れがヒラリと床に落ちた。
何だろう、とルナはそれを拾い上げる。
紙切れの隅には今から10年程前の日付、そして一文が綴られていた。
それは写真だった。
『新店前にて、アキちゃんとカオル君と』
そう綴られていた写真には2人の女性と1人の子供の姿が写っていた。
2人の女性のうち1人はカトレア、もう1人は見慣れぬ女性、そして子供は幼い頃のカオル。
おそらくこの見慣れぬ女性こそが『アキちゃん』なのだろう。
そういえば今日のカトレアからの電話でも『アキちゃんと旅行へ行く』と言っていたのをルナは思い出す。
(カオルと一緒に写っているということは、カオルの知り合いって事よね?一体誰なんだろう?)
考えた所で分かるはずもなく、ルナはひとまず頭の隅に寄せる事にした。
それよりも注目すべきなのは幼少期のカオルの方である。
日付からして写真のカオルは5歳の頃と推定できる。
しかし写真の中のカオルに笑顔は無く、カメラから顔を逸らしていた。
これを見て、ルナは違和感を憶えた。
確か、訓練学校での事故はカオルが12歳の頃に起きたはずである。
そして、それこそがカオルが抱える闇の元凶であるとルナは思っていた。
しかし……
(この表情……漂流したばかりの頃のカオルと同じだわ……)
カトレアとカオルの言葉が脳裏をよぎる。
『カオル君が私に心を開いた事なんて一度も無かったわ……』
『信頼という言葉を使うには、色々ありすぎたからな……』
2人のあの言葉は、例の事故の事だけを言っていた訳ではないのかもしれない……
ルナの中にそんな疑惑が生まれた。
もしかしたら、カオルが抱える闇はもっと濃く、根深いものなのかもしれない、とルナは思い至り、悲痛な眼差しで写真の中のカオルを見つめていた。
入浴を終えたカオルが休憩室に戻ってきた。
ソファーに腰掛け、テレビの電源を入れると、ニュースに聞き耳を立てている。
何か新しい情報が入っていないか確認しているようである。
カオルの邪魔にならないように、ルナは休憩室にある冷蔵庫から2人分の飲み物を取ってこようとした。
フッ……
突如、店内の灯りが消え、辺りは闇に包まれた。
「な……何!?」
「停電の様だな……」
突然の出来事に慌てふためくルナに対し、カオルは変わらず冷静な声で返答した。
カオルは携帯のライトで辺りを照らし、休憩室の戸棚からキャンドルを数個取り出した。
それをテーブルに乗せ、1つずつ丁寧に火を点ける。
「うわぁ、綺麗……」
キャンドルの灯火が、室内を幻想的な雰囲気へと変貌させる。
ルナは思わず感動の声を洩らした。
カオルは冷蔵庫から缶ジュースを取り出すと、ルナへ一本手渡しソファーに座った。
ルナも「ありがとう」と礼を言い、カオルの隣に腰掛ける。
「……何だかサヴァイヴにいた頃の、火の番を思い出すね」
「……そうだな」
その時の事を思い出すかの様にカオルは目を細めて頷いた。
「そういえば、カオルって火の番の時、いつも何か道具を作ってくれてたよね。あれってどこかで学んだの?」
「全部本に載ってた事を実践してみただけだ。仕組みと材料さえ分かっていれば何とかなる」
さも当然かの様にサラリと答えるカオルに、ルナは苦笑いを浮かべた。
ふと、ルナは先程見た写真の事を思い出す。
一瞬躊躇するも、意を決してカオルへと問いかけた。
「そういえばさ、『アキちゃん』って……どんな人?」
それを聞き、カオルの眉がピクリと動いた。
「何故ルナがその名を知ってる?」
カオルの口調に、ルナは聞いてはマズかったか、と少し後悔した。
「え~と……ほら!マスターが電話の時に『アキちゃんと旅行に来てまーす』って言ってたでしょ?」
「……そういえば言ってたな……」
カオルが納得してくれ、ルナはホッと胸を撫で下ろした。
「アキラ……カトレアの親友だ」
「マスターの親友……」
本当にそれだけだろうか?
ルナの中から疑惑は消えない。
でなければ、カオルの反応に説明がつかない。
しかし、ルナにそれを言及する術は持っていない。
下手に首を突っ込んで、カオルを傷つけてしまうかもしれない。
それだけは絶対にしたくない。
「……そうなんだ」
ルナは本心を飲み込み、納得する他なかった。
キャンドルの火がチラチラと揺れる薄暗い部屋に沈黙が続く。
沈黙の間、ルナは考え込んでいた。
カオルが本心を見せないのは、信頼されていないからなのではないか?
信頼されていないのは自分自身が本心を見せないからではないか?
では、自分が本心を見せれば、カオルは本心を曝け出してくれるのか?
色々な考えが頭の中を交錯し、加えて仕事での疲労、暴風雨に遭遇した精神的疲労、入浴により体が温まった事などの要因が重なり、ルナに突然の睡魔が襲いかかってきた。
ルナは眠気を振り払い、カオルに今の考えを問いかけてみる事にした。
「……ねぇカオル」
「何だ?」
「カオル前に言ってたよね?『俺はルナの事を全然分かってない』って」
「あぁ、言ったな……」
ルナの言葉に、その時のやり取りを思い出し恥ずかしくなったのか、カオルは少し顔を背けた。
「カオルは……私の事をもっとよく知りたい……?」
「……ルナ?」
キャンドルの灯りがルナの顔を照らし、色気を醸し出す。
併せて発する言葉は、ルナの雰囲気をさらに妖艶なものへと変貌させる。
カオルの心臓が大きく高鳴った。
停電のお陰で顔が紅くなっている事を隠せているのがせめてもの救いだった。
「私も……少しずつ自分の事を話していくから……カオルも……少しずつでいいから……カオルの事を……教えて……?」
言いながらルナの頭がコテンとカオルの肩に乗る。
「ル、ルナ!?」
カオルは体が硬直した。
ルナの見せるトロンとした表情が更にカオルの緊張感を高め、心の中で警鐘を鳴らす。
「私……カオルの事……もっと……知り……た……」
ルナの声が次第に小さくなっていき、言葉を完全に言い終える前に、寝息が聞こえ始めた。
「ルナ……?」
カオルが呼び掛けるも、ルナは反応を示さない。
カオルはルナを起こさないように、肩に乗っているルナの頭をゆっくりと外し、ソファーに横たわらせた。
そして更衣室からブランケットを1枚持って来ると、ルナにそっと掛けた。
キャンドルの火を全て消して室内を暗くすると、カオルは音をたてない様に休憩室を出ていった。
ルナの意識が浮上したのは朝の7時であった。
眠たい目を擦り、のそりと起き上がる。
その時に自分に掛けられているブランケットの存在に気付く。
(カオル……掛けてくれたんだ……)
カオルの優しさに頬を緩め、ルナは休憩室を出て行った。
昨晩雨で濡れた服は何とか乾いてくれていた。
着替えを済ませたルナはホールへと赴き、窓から外の様子を眺める。
昨晩の暴風雨はすっかり止み、天球は晴れ晴れとした空模様になっていた。
地面には排水しきれなかった雨水で、水溜まりがいくつも作られている。
そんな景色に溶け込む様に、カオルが店の外で空を仰ぐ姿が目に入り、ルナも外へと出た。
「おはようカオル」
「ああ」
いつもの挨拶を交わし、ルナもカオルと同じ様に空を仰いだ。
「わぁ……!!」
ルナは思わず歓喜の声をあげた。
見上げた空には、地平線から延びた虹が架けられていた。
「コロニーでも雨が降ったら虹ができるのね」
「普通は現れないさ。虹は光が空気中の水滴に屈折・反射される事で見える現象だ。コロニーでは湿度が一定に調整されているから、虹が発生する条件を満たさないはずなんだ」
「じゃあこの虹は、気象管理システムのエラーのお陰で出来た偶然の産物なのね?」
「そういう事になるな。コロニーの住人のほとんどが初めて見る事になるだろうな」
「私達はサヴァイヴで何度か見た事あったよね。その時はみんな作業の手を止めて虹を眺めてたっけ」
ルナは当時を思い出し、懐かしそうな眼差しで空に架かる虹を見つめた。
「私ね、小さい頃は雨の日が嫌いだった……何だか気持ちが沈むから……そんな時、チャコが決まって言うの。『つらい時は空を見上げてみぃ。どんな悪い天気でも、お日さんがある限り、必ず青空の日は来るんやで』って」
「『心はいつも青空』……だったか?」
「うん、でもその言葉には随分救われたわ。雨が降っても、止んだ後にはこんなに綺麗な虹が現れる……そう考えられる様になって、雨の日も好きになったわ」
「そうか……」
カオルはそれだけ返し、口を閉ざした。
頭に浮かぶのは昨晩のルナの言葉。
『私も……少しずつ自分の事を話していくから……カオルも……少しずつでいいから……カオルの事を……教えて……?』
ルナは少しずつカオルに本心を曝け出してくれるようになってきている。
それはカオルへの信頼の現れでもあった。
だが自分はどうだ。
ルナの話を一方的に聞いて、自分自身の事になると口を閉ざしてしまう……
ルナを信頼していないかと問われれば、断固として違うと否定できる。
理由は恐らく……
(つくづく自分の弱さが嫌になるな……)
カオルは、声には出さずに自分自身を罵倒した。
そして隣に立つ少女に一度視線を向け、心の中で謝ると、再び空を彩る虹へと視線を向けた。
完