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2期

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

リビングのソファーに座りながら本を読む女性の元へイヴが「ママー」と呼びながら笑顔で駆け寄る。

イヴの母は読んでいる本を閉じ、ソファーの上へ静かに置くと、駆け寄るイヴを優しく微笑みながら迎え入れた。

母はイヴを自らの膝の上に座らせ、彼女の頭を優しく撫でた。

イヴも嬉しそうに母を見上げる。

ふとその時、イヴはとある事が気になり、母へ質問を投じた。

「あれ?ねぇママ……」

「どうしたの、イヴ?」

「どうしてママは───」


イヴの質問を聞き、母はクスッと微笑み、イヴを後ろから優しく抱き締めた。

「これはね、約束の証なの。私の凄く大切な人との、ね」

「凄く大切な人……それってパパよりも?」

「ふふっ、そんなの比べられないわ。大切な人に一番も二番も無いのよ」

あまりよく理解できていないのか、首を傾げたままのイヴが可愛らしく感じ、母は抱き締めたまま再びイヴの頭を撫で始めた。

「それってどんな約束なの?」

「それはね──」


時と場所は変わり、とある研究所の様な施設の一室。

眼鏡を掛けた青年はイヴと向き合い、真剣な表情で口を開いた。

「あっちへ行く前に、イヴに必ず守って欲しい約束が3つあるんだ」

「な~に?」

「1つめ、自分の正体を明かさない事。名前はいいとして、どこから来たとか、目的とか、例え聞かれても答えちゃダメだよ」

「どうして?」

「あっちに無い情報が伝わっちゃうと、後から色々と面倒な事になっちゃう可能性があるからね」

青年の遠回しな説明に、イヴは「ふ~ん」と理解したのかしてないのか、曖昧な返事をした。

「2つめ、不用意に干渉しない事。本当なら誰とも関わらないのがベストなんだけど……まぁ、それはムリか」

今回の事も、好奇心旺盛なイヴが首を突っ込んだ事から始まった話である。

そんなイヴが、誰にも関わらずにいるなど想像も湧かない。

「要は、余計な事はしないようにって事だね」

青年の言葉にイヴは「はーい」と元気良く返事をした。

(本当に分かってるんだろうか……?)

無邪気な笑顔を見せるイヴに、青年は次第に不安を覚えていった。

「まぁいいや……。で、3つめ、これが一番重要なんだけど、滞在できるのは3週間まで。それ以上は危険だから絶対に帰ってくること」

「危険?」

「最悪の場合、こっちに戻って来れなくなる可能性があるね。パパとママに会えなくなっちゃうから気を付けるんだよ!」

青年の言葉を聞き、イヴは先程までの笑顔から一転、悲しげな表情を浮かべた。

「パパとママに……会えなくなるの……?」

「え!?あ、いや!違……っ!」

涙ぐむイヴを見て青年は慌てた。

「だ、大丈夫!!ちゃんと約束守ればパパとママに会えるから!」

青年が必死の慰めをする事数分、イヴは落ち着きを取り戻した。

青年としては、寿命が少し縮まった気分である。

「そうだ、覚えやすい様に合言葉にしてみようか。そうだな……明かさない・延ばさない・余計な事をしない、3つの頭文字を取ると……『あのよ』……いや、さすがにこれは……」

「『あの世』だね!わかったー!」

青年に有無も言わさず、イヴは笑顔で物騒な合言葉を脳内にインプットし、その言葉を復唱した。

「あ……うん……もういいよ、それで……」

青年はガックリと肩を落とし、投げやりに答えるのであった。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


イヴがはっと目を覚ますと、そこは夢で見たリビングや研究所ではなくベッドの上。

隣には安らかに眠るルナ。

イヴはのそりと上半身を起き上がらせ、ベッド横に設置されているデジタル式の時計へ視線を移す。

そこに掲示されている本日の日付と時刻を表す8月2日午前6時の数字。

それはイヴがここへ来てから今日で丁度3週間が経過する事を示していた。

それを思い出し、イヴの表情が途端に暗くなる。

(どうしよう……まだ全然……それに……)

夢に出た母の言葉、青年との約束、そして現在隣で眠るルナの存在……

それらの問題はタイムリミットという重圧となり、幼いイヴへ圧し寄せていた。



最終話
第 17 話 『真夏の夜の夢⑥』


臨海学校2日目の朝、朝食を済ませたルナはイヴを連れてフロントへと赴いた。

本日の予定は海水浴となっているのだが、如何せん、ここへ来る際何も持ってきていなかったイヴが水着など持ってきているはずもない。

着替えの問題に関しては、ホテルにクリーニングサービスがあった事が幸いしたが、水着の場合はどうしようもない。

ダメ元で水着のレンタルができないか問い合わせてみた所、これもまた幸運な事に水着の貸し出しを行っていた。

聞く所によると、はじめは泳ぐつもりの無かった宿泊客が、ここへ来て急に泳ぎたくなるという事もよくある話らしく、その為のサービスとしてあるらしい。

もちろんレンタル料は別途であり、ルナが支払わざるを得ない。

子供を養う事の大変さを、弱冠15歳にしてルナは味わうのであった。


着替えを済ませ、生徒達が続々と砂浜へと集結する。

そこへイヴの手を引きながらやって来たルナは、男子諸君の視線を一身に受ける事となった。

細身でありながら起伏のはっきりとした体躯、中学生にしてそのスタイルは、思春期の少年達の目を釘付けにした。

「全く男共は……!下心見え見えだっつーの!」

ルナへ向けられる男子からの視線に、シャオメイが不信感いっぱいの反応を示した。

「下心……?」

視線は感じるものの、それが自分へ向けられた下心からの視線だとルナは気付いていない。

「……あんた、どこまで鈍感なの?」

首を傾げて尋ねるルナに、シャオメイは小さく溜息をつき呆れた。

「でもまぁ、下心があるのは女子も同じか……」

そう呟きながら顔を向けるシャオメイの視線の先へルナも自然と視線を移した。

その先にはカオルを囲うようにして集まる水着の女子達。

途端にルナがわずかに沈鬱な表情を浮かべたのをシャオメイは見逃さなかった。

「今、あの子達にジェラシー感じてたでしょ?」

シャオメイに図星を突かれ、ルナは顔を紅くした。

「じゃあ行こっか!」

「行くって……どこへ?」

「決まってるじゃない。カオルのとこ!」

「え!?ちょ……待……」

ルナの反論も無視し、シャオメイはルナの腕を掴みながらカオルの元へ走り出した。


「カオル、一緒に泳がない?」

「あー!抜け駆け禁止~!私も上手な泳ぎ方とか教えて欲しいな!」

「え~?それよりもビーチバレーやらない?」

カオルの周囲を囲む女子達は争奪戦の真っ只中であった。

カオルは小さく溜息をつき、面倒くさそうに彼女達の間をすり抜けてその場から離れる。

「ねぇ、カオルってばぁ」

カオルのスルーにめげる事無く、女子達がカオルの後を追いながらアプローチを掛ける。

カオルはこの事態に終止符を打つべく、歩みを止め、ポツリと言葉を発した。

「悪いが先約がある」

カオルの衝撃的な言葉に女子達が固まる。

「だ、誰と!?」

「い、いつの間に!?」

先程までの黄色い声から一転、悲観の声へと変わる。

カオルが質問に答える事無く再び歩き出す。

女子達はその背中に質問を投げ掛けながら、沈黙を守るカオルに付いていった。


そんな光景を遠くから眺める仲間達。

「相変わらずの人気だな」

「というか、いつもより凄い事になってない?」

メノリの言う通り女子からの黄色い声は相変わらずだが、そのテンションがいつもと違うようにシャアラには感じられた。

「確かに。いつもよりみんな積極的だよね」

その異様な雰囲気を敏感に感じ取ったシンゴも同意する。

「まぁ夏やし、しゃあないやろ」

「夏だから……?どういう事だい?」

自分の肩に乗りながらジュースを飲むチャコの言葉の意味が分からず、ベルが聞き返す。

「夏は薄着になって開放的になるから、心も自ずと開放的になるって話や。今はみんな水着やし、開放感もMAX、積極的になってまるっちゅーこっちゃ」

チャコの心理学的根拠に一同はなるほど、と思わず唸った。

「でも納得いかないぞ!何で僕のとこには来ないんだよ!」

「そら、モヤシのヘタレよりは筋肉質の二枚目の方がええに決まっとるやん」

ハワードの不満の声にチャコがバッサリと切る返答で返した。

「何だと~!?」

「何やねん!」

「やめないか2人共!」

いがみ合うハワードとチャコを、メノリが叱責して止める。

「でも確かにカオルって細身なのに筋肉質だよね。何をしたらあんな体つきになるんだろう?」

シンゴの発言を聞き、一同は再びカオルへと視線を向けた。

シンゴの言う通り、カオルの体つきは無駄な筋肉が無く整っている。

しばらくジーッと観察していたメノリとシャアラが不意に視線を逸らした。

その顔はわずかに紅い。

「どうしたんだい?メノリもシャアラも」

2人の様子が気になり、ベルが声を掛ける。

「い、いや……同世代の男子の上半身をまじまじと見た事なんて無かったから……」

「何ていうか……その……は、恥ずかしくなって」

メノリもシャアラも思春期の女子、異性に対して様々な興味を持ち始める時期ではあるが、今はまだ刺激が強かった様だ。

乙女心とは複雑なものである。

メノリとシャアラの返答に男子3人は意味も分からずキョトンとしてしまった。

ただ1人、乙女の事情を知るチャコは「青春やなぁ」とベルの肩の上でうんうんと頷くのであった。


追い掛けてくる女子達から逃げるカオルを挟む様に、シャオメイがルナの腕を引きながら立ち塞がった。

「ほらルナ、アピールアピール!」

シャオメイがルナの耳元で囁く。

しかしルナは顔を紅くして首をブンブンと横に振り、拒否の意を示した。

「ここで頑張んなきゃ他の子に取られちゃうわよ?」

「そ、それはヤダけど……で、でも……!」

シャオメイとルナがコソコソと問答を繰り広げている光景を見て、疑心暗鬼となった女子達が確信を得た様に2人を囲った。

「な、何!?」

突然の事態にルナとシャオメイが困惑する。

「一体どっち!?それとも2人で!?」

「は?何が?」

やや興奮気味で話す女子の言葉の意味が分からず、シャオメイが聞き返す。

「抜け駆けよ!カオルを誘ったら、先約があるって言うんだもの!」

「せ、先約……?」

ルナはその言葉に小さなショックを受けた。

自分じゃない誰かと仲良く遊ぶカオルの姿を想像し、僅かに顔が青ざめる。

ルナの様子に気が付き、シャオメイが眉間に皺を寄せて睨み付ける。

「そんなの知らないわよ!変な言い掛かりはやめてよね!」

シャオメイの威圧に、女子達が畏縮する。

同時に高まっていた興奮状態も一気に鎮静化した。

女子達を静めたシャオメイは、次にカオルを睨み付けた。

「で?アンタは一体誰と約束を交わした訳?」

その言葉にはやや怒りの感情が込もっている。

ルナの近くにいながら、その気持ちに気付いていないどころか、ルナを悲しませる行動をしたカオルを憎々しく感じていた。

「何故お前が怒る?」

「別に怒ってないわよ!アンタにムカついているだけ!」

「……俺はお前の意味不明な言動にムカついているがな」

理不尽な怒りをぶつけられ、カオルが不機嫌オーラを発する。

「ち、ちょっと!何で2人がケンカ腰になってるの!?」

険悪な雰囲気を感じ取り、ルナが慌てて仲介に入る。

遠くで傍観していたメノリ達も雲行きの怪しさを感じ、カオル達の元へ駆け寄った。

「2人とも落ち着け!」

メノリも叱声を飛ばし、喝を入れた。

「何があった?」

「今この場では言えない。昨晩の件が絡んでるから」

シャオメイの遠回しの表現を理解出来たのは、昨晩ルナの部屋でガールズトークをした者のみ。

メノリとシャアラも何となく察した。

ルナの恋愛事情を男子達のいる前で言うわけにもいかない。

「……ルナ、シャオメイ、こっちへ」

少し考えた後、メノリは女子だけで話を聞く事を提案し、男子から少し離れた位置に集めた。

「それで?」

メノリが話すよう促すと、シャオメイが怒りの混じった小声で説明を始めた。

「カオルの奴、先約があるって言いやがったのよ!ルナの前で!」

「え!?シャオメイ、私の事で怒ってたの!?」

ルナからのまさかの返答にシャオメイは唖然とした。

「当たり前でしょ!あの状況で他に怒る理由ないでしょ!?」

「……てっきりシャオメイがカオルと一緒に遊びたかったから怒ってたんだと……」

ルナの言葉にシャオメイはガックリと肩を落とした。

当の本人が全く気付いていなかったとは、ルナの為に怒った自分がバカみたいである。

「ちょっとええか?」

チャコが挙手をして話に割って入る。

「どうしたチャコ?」

「そのカオルが『先約』したっちゅー相手なんやけどな……」

「チャコ知ってるの!?」

シャオメイが身を乗り出してチャコに問いただす。

「う~ん、まぁ知ってるっちゅーか、シャオメイにはちょっと言いにくいねんけど……」

「気にしなくていいから言って!一体誰なの!?」

チャコの勿体ぶった言い回しに、シャオメイが回答を急かす。


「それ、たぶんウチとイヴや」

「………………は?」

予想外の答えに、一同は唖然とした。

「いやな、昨日の晩にカオルとウチが『偶然』会った所にイヴも来おってな、そん時にイヴが砂のお城を作りたい言うから、海水浴ん時にウチとカオルで手伝ったるって約束したんや」

チャコの話を聞き終え、シャオメイは固まった。

今の話を聞く限り、カオルには何一つ非が無いのは明白であった。

要するに、シャオメイの完全な早とちり。


さっきとは打って変わり、シャオメイの態度はおずおずとしていた。

「えーと……カオル?」

「……何だ」

「その……話し合った結果……私の勘違いだったみたい」

「何だそりゃ!?」

意外な結論にハワードが声をあげた。

シャオメイは「あはは」と空笑いする。

一方でカオルは眉間に皺を寄せて沈黙した。

その沈黙が怖い。

シャオメイの全身から嫌な汗が噴き出る。

「……何か言う事は?」

怒気を含んだカオルの低い声を聞き、シャオメイはビクッとした。

「その……ご、ごめんなさい!!」

シャオメイが頭を深々と下げて謝罪する。

それを聞き、カオルは深い溜息を付いた。

「……トラブルメーカーはハワードだけで充分だ」

「ふっ、全くだ」

カオルの皮肉に、メノリが口元を上げて同意した。

「ちょっと待て!どういう意味だよ!?」

「そのまんまの意味や」

思わず反応するハワードにチャコが更に追い討ちの言葉をかける。

その瞬間周りに笑いが巻き起こる。

笑いながらシャオメイは気づく。

もっと自分を責めたてようと思えば出来たはず。

カオルに全く非は無いのだから。

しかしカオルは一度謝罪を受けると、話をハワードへ転換した。

それはもう自分が自責に囚われないようにする為に、カオルなりに考えた気遣いなのかもしれない。

ルナは昨晩言っていた。

カオルの見えない優しさが好きだと。

昨日はよく分からなかったが、今なら理解できる。

(こりゃあ、ルナが惚れる訳だわ)

シャオメイはクスッと笑い、その恋が成就するよう、心の中でルナへ激励を贈った。


一方で、いつの間にかカオルと約束を交わしていたイヴにルナが不服そうにもの申していた。

「昨日そんな約束してたのなら、教えてくれてもよかったのに」

ルナの言葉にイヴは「えへっ」と笑いながら舌をペロッと出した。

「だってチャコに言われてたんだもん」

「……何を?」

何となくそのフレーズを聞くと嫌な汗が出るのは条件反射だろうか。

ルナが恐る恐る尋ねる。

「えっとね『ママはまだ一度もでぇとした事無いんやから、ヤキモチ焼かせんよう秘密にしとくんやで?』って」

「っチャコォー!!!」

顔を紅くしたルナの怒声が海浜全体に響き渡った。

先程まで近くにいたチャコの姿はもう居なくなっていた。




約束通り、イヴはカオル、チャコと共に砂を使ってお城を作り始めた。

ルナはシャオメイから遊泳の誘いを受けたが、イヴの事が気掛かりとなっていた。

「カオル、本当にいいの……?やっぱり私も……」

「いいから行ってこい。イヴは俺とチャコが見てるから」

「でも……」

何だかカオルに押しつけて遊びに行くのは申し訳が立たない気がするのである。

「ルナは寧ろ頑張り過ぎだ。今日くらい羽を伸ばしてもいいだろ」

「カオル……ありがとう」

カオルの優しさに触れ、ルナはうっとりとした表情をした。

「何や、この辺メッチャ熱っついわぁ!」

わざとらしくチャコがパタパタと手で顔を仰ぐ仕草をする。

それに反応する様にルナとカオルは頬を紅く染め、お互い視線を外した。

「チャコ暑いの?私全然平気だけど」

チャコの発言の意図が分からず、イヴは素で返すのであった。


ルナ達が遊泳を楽しんでいると、シャオメイがとある提案を持ちかけてきた。

「ねぇ、みんなで向こう岸まで競争しない?」

「へぇ、面白そうだな!」

シャオメイの案にいち早く乗ったのはハワード。

「うん!やろうやろう!」

シンゴも同意を示す。

「少し距離がある様だが、大丈夫なのか?」

「ざっと200mって所かしら。25mプールを4往復って考えれば、それほど大した距離に感じないでしょ?」

「……本当に大した事無い距離か?」

さらっと言ってのけるシャオメイに、メノリは怪訝な顔をした。

「私そんなに泳ぐの得意じゃないんだけど……」

「私がフォローするからやってみない?」

運動があまり得意ではないシャアラが不安そうな表情を浮かべると、ルナが優しく前向きに促した。

「……ルナがそういうならやってみようかな?」

ルナが背中を押してくれた事で、シャアラも挑戦する勇気が湧いたようである。

一同はシャオメイの合図と同時にスタートした。

トップはやはりというかシャオメイ。

続いてメノリ、ハワード、シンゴ、ベルが続き、少し遅れてルナとシャアラが付いていく。

前の皆と少しずつ距離が離れていく事で、シャアラは次第に不安になっていった。

それでも強烈な不安とまでいかないのは、自分にペースを合わせてゆっくりと前方を泳ぐルナの存在が大きいからだろう。

ルナがいればどこまでも頑張れる気がする、シャアラはそう思うのであった。


「きゃっ!!!」

突然の悲鳴とバシャバシャと激しく水を叩く音が耳に入り、ルナが慌てて振り返る。

目に映ったのは溺れているシャアラの姿。

「シャアラ!!!」

水を必死にかいてもがくシャアラの元へルナは急いで戻り、彼女を抱き寄せた。

「あ……足が……!」

「大丈夫よシャアラ。しっかり掴まってて」

足の着かない海中で足をつってしまいシャアラは少しパニックとなっていた。

怯えるシャアラを安心させる様に、ルナが優しい口調で諭す。

少しずつ落ち着きを取り戻し始めたシャアラを抱えながら、ルナは岸へ向かって泳ぎ始めた。

(くっ……さすがに1人抱えて泳ぐのはキツいわ。でも諦めるもんですか……!シャアラは絶対無事に岸まで連れていくんだから!)

時折重みで沈みかけながらも、ゆっくりとルナは岸へ向かって泳いでいった。




『シャアラ!!!』

「……え!?」

突然聞こえてきた声に反応し、イヴは砂の城を作る手を止めた。

「どないしたんやイヴ?」

「今……ママの声が聞こえた……」

「ルナの?でもルナは今シャアラ達と………あっ!」

途中まで言い掛け、チャコはある事に気付きカオルへ目配せをした。

カオルも強く頷く。

(ナノマシンの共鳴……!!)

それはサヴァイヴでルナとアダムがテレパシーの様に以心伝心していた現象である。

イヴの中に同タイプのナノマシンが存在しているのなら、同じ現象が起きても不思議ではない。

そしてこの現象は、自らの意思でコントロールしている場合を除くと、彼女らの身に危機が迫っている時に起きている。

「イヴ!ルナの声はどっちから聞こえた!?」

カオルが緊迫した表情でイヴへ尋ねる。

「えっと……あっちだよ」

イヴの指差す方向は、海の沖側。

「チャコ!イヴを頼む!」

「任せとき!」

チャコの頷くを聞くとカオルは海へと飛び込み、イヴの指差した方角へ泳いでいった。




(マズいわ……このままじゃあ……)

人1人を抱えて泳ぎ続けた事で、ルナの体力も限界に近づいていた。

そこへ誰かの呼び声が聞こえてきた。

「ルナー!シャアラー!」

「ベル!!」

2人を呼んでいたのはベルであった。

岸へ到着してからしばし待つも、一向に姿が見えないルナとシャアラの事が心配となり、ベルが捜索に出て来たのである。

「ベル、シャアラをお願い出来る!?足をつったみたいなの!」

「あ、あぁ!分かった!」

ベルはシャアラを譲り受けつつ、ルナの事も気掛かりであった。

「ルナは!?」

「私は大丈夫!それよりも早くシャアラの治療をしなくちゃ!」

「そ、そうだね!」

ルナに促され、ベルはシャアラを背負いながら泳ぎ始めた。

ルナもベルの後に続く。

しかし激しく体力を消耗していた為、その差はどんどん広がっていく。


やがて後ろから水をかく音が聞こえなくなった事に気付き、ベルが慌てて振り返った。

そこにルナの姿は無かった。

「ルナ!!!」

ベルは焦る。

ルナを助けに行きたい。

しかし、負傷したシャアラを置いていけるはずもない。

(ど、どうすれば……)

ベルは絶望の淵に立たされていた。


(く……苦しい)

海中に沈んだルナは、空気が漏れないよう手で口を押さえながら、海面へ上がろうと必死にもがいていた。

しかし体力は既にゼロ、体に力が入らない。

(もう……ダメ……)

押さえていた口からゴボッと空気が漏れ、意識が次第に遠のいていく……


『ママ!!』


突然聞こえてきたイヴの声により、ルナはギリギリ意識を保つ事ができた。

海中にイヴがいるはずもないが、空耳であろうとその声がルナの中の『生きる』力を呼び覚ましたのは事実であった。

(諦めない……!生きるのよルナ!!)

ルナが微かな希望を胸に、海面へ向かって腕を伸ばした。

その腕を掴む誰かの手の感触。

海上から差し込む太陽の逆光で顔は識別出来ないが、ルナにはその人物が誰か分かった。

ルナの体が海面へと向かっていく。


「ぷはっ」

ルナを抱きかかえ、カオルが海面から顔を出した。

「げほっ!げほっ!」

カオルに背中を叩かれ、僅かに飲んでしまった水を吐き出す。

「ルナ、大丈夫か!?」

「うん……ありがと……カオル……」

助かった事に安堵し、ルナはカオルの腕の中で意識を手放した。


岸へと到着すると、すぐさまルナとシャアラを近くの木陰に休まする事にした。

「みんな……ごめんなさい!!」

シャオメイが頭を下げて謝罪する。

「何故シャオメイが謝るんだ?」

「だって……私のせいでシャアラに無茶させちゃって、みんなにも迷惑かけちゃって……」

メノリの質問に、シャオメイはシュンとしてうなだれた。

「シャオメイは悪くないわ。今回のは私の運動音痴が原因だったんだし。私こそ迷惑かけてごめんなさい」

「それを言うなら私だって、フォローするって言いながら全然出来てなかったし」

シャアラに続いてルナも反省を述べる。

「僕も競争に熱中してて、シャアラ達の事、考えてなかった」

「俺も、つい熱くなっちゃって」

「私もだ。周りを見ていないとはリーダー失格だな」

シンゴ、ベル、メノリも続く。

「僕は別に悪い事してな……ぃぎゃあぁ!?」

1人違う反応をするハワードの背中をカオルがギリッとつねる。

「な、何するんだよ!?」

「お前は少し空気を読め」

涙目で訴えるハワードに、カオルはそう呟いた。

「要するに今回はみんなが原因って事よ。シャオメイ1人のせいじゃないわ」

「……うん。みんな、ありがとう」

仲間の温かさに、シャオメイは心から感謝の気持ちを述べた。

「そういえば、あの時カオルが来てくれて助かりはしたんだけど、どうしてルナ達のいる位置がわかったんだい?」

「……色々あってな」

ベルの素朴な疑問に、カオルは一言それだけ答えると口を閉ざした。

そこは触れない方がいいのかな?とベルは何となく悟り、それ以上の追及はやめた。

「じゃあ俺は戻る。あまり無茶するなよ」

そう言い残し、カオルは立ち去った。

「……やっぱりカオルって謎だわ」

ポツリと呟くシャオメイの言葉に、皆苦笑いをしながら同意するのであった。




夕刻、海水浴の時間が終了し、ホテルへと戻った生徒達は入浴と夕食を済ませた。

時刻は7時を回り、外が次第に暗くなり始めた頃になると生徒達はぞろぞろと砂浜の方へと足を運んだ。

本日最後のイベント、海上から花火が打ち上げられる。

イヴもルナと一緒に砂浜へと向かっていた。

「ねぇ、ママ?」

「ん?なぁに?」

「もし……私がいなくなったらママは……どう思う?」

「え……?」

イヴの言葉を聞き、ルナの足が止まった。

「ど、どうして……そんな事聞くの……?」

ルナの声が震える。

ずっと続くと思っていたこの幸せ……それが崩れ去ってしまいそうな恐怖がルナを取り巻く。

「…………」

「…………」

2人の間に沈黙ができ、重い空気が漂う。

ザッ──

沈黙を破る様に砂を踏む音が聞こえ、2人が振り向くと、そこには歩み寄って来るカオルの姿。

「カオル……」

「どうした?こんなところで」

カオルが立ち止まると同時に、突然イヴが抱きつく。

カオルは戸惑いながらも、イヴをしっかりと受けとめた。

「お願い……今だけでいいの……3人だけでいよ?」

カオルに抱きついたまま、イヴが顔をあげ懇願する。

「イヴ……?」

「時間が無いの……お願い……!」

イヴの様子がおかしい。

どこか緊迫した様なものを感じる。

ただならぬ様子に、ルナとカオルは顔を見合わせた。




砂浜から少し離れた森の入口付近へ、ルナとカオルはイヴを連れ、やって来た。

「凄い……こんな場所があったんだ……」

「昨日の散策の時に偶然見つけたんだ」

他に人の姿は無い上に、高台にある為、海を見渡すには絶好の場所であった。

3人が到着したと同時に、ヒューと花火の打ち上がる音が聞こえる。

ドォン!!!

夜空を鮮やかに彩る巨大な花。

その美しさは、そこにいる全ての者を感動させる。

「キレイね……」

「うん……」


ヒュー……

ドォン!!


「……ねぇ、ママ」

「ん?」

視線を花火からイヴへと移し、ルナは驚愕した。

突然イヴの傍に出現したブラックホールの様な物質。

「イヴ……?それ……」

「私……ここから来たの。『時空間』っていうらしいんだけど、今日戻らないと次にいつ開くか分からないんだって。だから……今日で……お別れなの……」

(時空間……?それはまさか……)

イヴの話を聞き、カオルの中で1つの仮説が生まれる。

しかし、それはあまりにも非現実的なものであった。

「本当は……もっと早く言わなきゃ……いけなかったのに……ひっく……どうしても言えなくて……」

イヴの瞳から大粒の涙が溢れ出る。

その姿に堪え切れなくなり、ルナはイヴをギュッと強く抱き締めた。

まるで放すまいと、行かせまいとするように……

「どうして……?どうして一緒にいられないの……?せっかく家族になったのに……ヤダよイヴ……行かないでよぉ……ずっと一緒にいてよぉ……!もう嫌なの……家族がいなくなるのは……イヴまでいなくなったら……私……」

イヴの頬に、ルナの涙がポタポタと滴り落ちる。

イヴの心は不思議な思いで満ちていた。

悲しいはずなのに、幸せな気持ち……。

それは、ルナがどれだけ自分を大切に思ってくれていたか、どれだけ愛してくれていたかを身と心で感じる事が出来たからだろう。

イヴは涙を流しながら、しかし笑顔をルナに向けた。

「泣かないでママ……絶対にまた会えるから……だって……今までも……これから先も……私のママはママだけだもん……!」

「イヴ……」

ルナはイヴを抱き締める力を緩めた。

イヴは泣き出しそうな思いを必死に抑えて笑顔を繕った。

ルナに心配をかけないように。

それに比べ自分はどうだ、我儘を言ってイヴを困らせただけだ。

どっちが子供か分かりやしない。

イヴには向こうに帰りを待つ本当の母親がいるのだ。

なら、笑顔で見送ってあげるのが、こっちの母親としての務めだろう。

ルナはゴシゴシと涙を拭い、瞳を濡らしながらも笑顔を向けた。

「イヴ、手を出して」

イヴが言われるままに手を差し出すと、ルナは左耳に付けている『月のピアス』をイヴの手の上にそっと置いた。

「え……?これ……」

「私の宝物……イヴに預けるわ。次に会った時に必ず返しに来て。約束よ」

「……うん!」

イヴは失くさないよう、ギュッと手を握り締めた。

「元気でな、イヴ」

カオルの見送りの言葉が耳に入り、イヴはカオルの方へ顔を向けた。

イヴは駆け出し、カオルに抱きついた。

「今までありがとう。すっごく楽しかった」

「まるでもう会えないような言い草だな。ルナと約束したんだろ?」

「……うん!また一緒に遊んでね!」

笑顔で言葉を訂正するイヴに、カオルは口元を上げて頷いた。

「それから……」

イヴが耳を貸してほしいという仕草をし、カオルはその場に膝を付いた。

イヴがカオルの耳元でそっと囁く。

「ママと幸せにね」

イヴの言葉にカオルは目を丸くした。

イヴは悪戯っぽく笑うと、2人に大きく手を振り、『時空間』へ向かって駆け出した。

イヴの姿が『時空間』に触れた瞬間、閃光とドォン!という轟音が鳴り響く。


ルナとカオルが目を開けると、そこにイヴの姿は既になかった。

力を失った様に、ルナが膝から崩れる。

とっさにルナの体をカオルが支える。

「……またチャコと2人だけの生活に戻っちゃった」

ルナの言葉をカオルは黙って聞いていた。

「用意するご飯の数も減っちゃったし、ベッドもまた1人で寝る事になるのかぁ……」

ルナの肩が震えている事にカオルが気づく。

「……ここには俺以外誰もいないし、花火の音で誰にも聞こえない」

カオルの言葉を聞き、ルナがゆっくりと振り返る。

その瞳は今にも溢れそうなくらい潤んでいた。

「今ぐらい我慢しないでいいだろ?」

「うぅ………ぅあぁあぁあぁ!!」

カオルの優しい口調に、ルナの涙腺が再び崩壊した。

「寂しいよぉ……!イヴに会いだいよぉ……!」

カオルはルナをギュッと抱き締めた。

響き渡るルナの泣き声は花火の音にかき消され、2人の姿は上空に咲く花火の光で鮮やかに照らされていた。




「ネロ!!」

研究室に怒声と共に飛び込んできた青年の登場に、研究員達が慌てふためいた。

「シ、シンゴ・チーフメカニック……!!」

この業界で、シンゴの名を知らない者はいない。

それだけの技術と権威を持った優秀なメカニックへとシンゴは成長していた。

「お、お久しぶりッス!シンゴ先輩!」

ネロと呼ばれたメガネの青年が顔を引きつらせて挨拶をする。

「時空間の実験に被験者を使ったっていうのは本当……?」

「い、いや!だってイヴが……」

思わず口を滑らせ、ネロが手で口を押さえる。

「イヴだって!?まさかイヴを被験者に!?」

「いや、その……」

ネロの全身から汗が溢れ出る。

ネロにとってシンゴは大学時代の先輩、頭の上がらない人物でもある。

「時空間の実験は、発生が不安定だから人を使うのは危険だって言ったじゃないか!!」

シンゴに責めたてられ、ネロはガタガタと震えた。

そんな殺伐とした状況を救う様に、ドォン!という轟音が研究室内に響き渡る。

装置の中にはイヴの姿。

無事帰還した事に、皆胸を撫で下ろした。

「良かった!イヴ、無事に帰ってきたんだね!」

事の原因はこの少女であるはずなのに、今はイヴがこの状況を打開してくれた天使の様にネロには見えた。

装置の扉が開き、イヴがゆっくりと出てくる。

しかし心なしかイヴの元気が無い様に見える。

「イヴ、どうしたの?」

「…………たい」

シンゴの問いかけにイヴが小さく呟く。

「え?」

「ママに会いたい……!」

「……分かった。僕が家まで送ってくよ」

シンゴは頷くとイヴの手を引いて出口へと向かっていった。

その途中、思い出した様に立ち止まり振り返る。

「ネロ……この事は2人にも報告するから覚悟しといた方がいいよ」

シンゴの怒り口調の言葉を聞き、ネロは「はい……」と親に叱られた子供の様にうなだれた。


シンゴに車で家まで送られている間、助手席に座るイヴはジッと掌にある『月のピアス』を眺めていた。

そして今回のきっかけとなった出来事を思い出した。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

「どうしてママはピアスを片方しか付けてないの?」

「これはね、約束の証なの。私の凄く大切な人との、ね」

「凄く大切な人……それってパパよりも?」

「ふふっ、そんなの比べられないわ。大切な人に一番も二番も無いのよ」

「それってどんな約束なの?」

「それはね……次に会った時に、これを必ず返しに来て、そういう約束よ」

「ふーん、その人はいつ返しにくるの?」

「それは私にも分からないわ。でもきっと約束を守ってくれるって信じてる」


母と約束を交わしたという大切な人の存在……イヴは無性に気になり始めた。

そして出来る事ならその人を探して母に会うようお願いしようとも考えた。

母の喜ぶ顔が見たい、ただそれだけ。

少女の純粋な気持ちが今回の行動に至る引き金となった。


イヴは両親の知り合いの研究員の元を訪ねた。

『時空間』の存在を発見した若き研究者、天才シンゴの後輩とも聞いている。

イヴが思いついた事、それは過去の世界へ行き、母が約束を交わした人物を確認する事であった。

イヴは毎日の様にネロの研究所を訪れ、何度も頼み込んだ。

ついに折れたネロはイヴに協力する羽目となり、現在に至る。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


母が約束した人物に渡したというピアス。

それは今、イヴの手の中にある。

イヴはどうしても母に聞きたくなった。

全ての真相を……




イヴを乗せた車は、とある家の前に止まった。

車から降り、イヴはおずおずと家の扉を開けた。

「ただいまぁ……」

イヴの声を聞き、奥から出てきたのは、背中に掛かるくらいに伸びたオレンジ色の髪の女性。

「お帰りなさいイヴ。シンゴもいらっしゃい」

母の姿を見た途端、イヴの瞳から大粒の涙が溢れ、母へと抱きついた。

「どうしたのイヴ?」

母が優しい口調でイヴの頭を撫でて慰める。

「イヴの事も含めて、ルナに話したい事があるんだけど」

「分かったわ。あがって、シンゴ」

ルナはシンゴを家へと招き入れた。


リビングへと通されたシンゴは事の全てをルナへ話した。

「そっか……」

「……って、それだけ?」

ルナの反応にシンゴは拍子抜けした。

大切な娘を未完成の研究の被験者に使われ、もっと怒りを露わにするものだと思っていたが、意外にもルナは冷静であった。

「じゃあ次はイヴね。どうして泣いてるの?」

ルナに促され、イヴはスッと手を差し出した。

「これ……」

そう言って広げたイヴの小さい掌の上には、過去のルナから預かった月のピアスが1つ。

それを見て、ルナは優しく微笑みかけた。

「どういう事?これ……ママが大切な人との約束だって……」

「そうよ。私の大切な娘、イヴと交わした約束の証」

「え……?」

ルナはピアスをつまみ上げると、空いている左耳にピアスを付けた。

「ありがとうイヴ。約束ちゃんと守ってくれたのね」

イヴは理解した。

母はあの日からずっと信じて待っていたのだ。

また会えるという自分の言葉を微塵にも疑わずに。

「ずっと私を待ってたの……?どうして……?」

イヴの質問にルナはクスッと微笑んだ。

「だって、私はイヴの母親だもの。今までも、これから先も、イヴの母親は私だけだから」

それはあの時、イヴがルナに向けて言った言葉。

「娘の事を信じるのは当たり前でしょう?」

ルナの言葉がイヴの心に染み入る。

「ぅあぁあぁあん!!」

堪え切れず、イヴはルナに抱きつき泣き叫んだ。

「ごめんなざい……!寂じい思いざぜで……ごめんなざい……!!」

ルナは泣き付くイヴを優しく撫でた。

「……ルナは知ってたの?あの時のイヴが未来の自分の娘だって」

「何となく、だけどね。後からカオルとチャコにナノマシンの事を聞いて、それで確信を得たって感じかな?」

「そっか……ナノマシンは血液の中を循環するから、子供にも高い確率で遺伝するんだね」

シンゴは「なるほど」と納得した。

「ほらイヴ、いつまでも泣いてないで笑顔を見せて?ママはイヴの笑ってる顔の方が好きだなぁ」

ルナの言葉に促される様にイヴはしゃくりあげながらも泣くのを止め、手でグシグシと涙を拭くと、大好きな母へニカッと笑顔を見せた。




臨海学校を終え、ルナとチャコは自宅へと帰って来た。

しかし、ここにはもうイヴは帰って来ない。

いつも見慣れているはずの部屋が途端に広く感じられる。

「ルナ……」

イヴと別れたという昨日の晩から元気の無いルナを心配し、チャコが声を掛ける。

「大丈夫だよチャコ」

意外にも返答はすぐに返ってきた。

「いつまでも落ち込んでたら、イヴに会わせる顔が無いもの」

ルナの顔にはもう落胆の色はなかった。

「約束したから……!」

そう言ってルナはピアスの無い左耳を指で触れた。

何故カオルに貰ったピアスが片方無くなっているのかチャコは知らない。

しかし、それが今のルナを支えているのならあえて追及する必要もない。

チャコはそう結論付けてルナを見守る事にした。

「さ、チャコ!今日の夕食の買い物に行きましょ!」

ルナは笑顔でチャコに呼び掛けた。


寂しくないはずがない。

しかしそれを引きずっていては、いつまでも前には進めない。

ルナは笑顔で前へ進む決意をしたのだ。

ならば自分がすべき事もただ1つ。

「せやな!今日は豪勢にフルーツパーティーといこか!」

チャコも笑顔で答えた。

「残念でしたー!今日からまた節約生活ですー」

「何でやねん!!」

「臨海学校でかなりの出費が出たからね」

ルナとチャコは談笑しながら買い物へと出かけた。


外は8月初旬だけあってこの時刻であっても暑い。

スーパーまでの道を歩きながらルナは夕日で茜色に染まる天球の空を見上げた。

(イヴ……私、信じてるから。あなたが約束守ってくれるのをずっと待ってるから……!)

「どないしたん?」

空を見上げるルナが気になり、チャコが話し掛ける。

「ううん、何でも!」

ルナは笑顔で首を振り、視線を進行方向へ戻し歩き出した。




それは今から数年後先となる、ある未来の一端。

この星にまた1つの命が誕生した。

とある病院のベッドでは赤ん坊を抱くルナ。

そして、その側で赤ん坊を愛おしそうに見つめるショートヘアの黒髪の青年。

「目の辺りとか、ルナにそっくりだな」

「あら、カオルにだってよく似てるわ。輪郭とか、鼻の形とか」

ルナがクスッと笑いながらカオルに似ている部分を羅列する。

「そうか?」

「そうよ」

そんなやり取りが可笑しく、ルナとカオルは同時に笑いあった。

「ねぇ、カオル」

「何だ?」

「私ね、生まれてきた子に付けたいって思ってた名前があるんだけど……」

「いいんじゃないか、それで」

答えを言う前にカオルが賛同した事が可笑しくて、ルナはクスッと笑った。

「私まだ何も言ってないわよ」

「言わなくても分かるさ。……ずっと決めてたんだろ?あの日から」

「……うん」

カオルの言葉を聞き、ルナは静かに頷いた。

そして腕の中で眠る小さな我が子へと視線を落とした。

「やっと会えたわね。生まれてきてくれてありがとう……イヴ」

ルナは優しい口調で話し掛け、安らかに眠るイヴの額へそっとキスを落とした。

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