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1期

その日の夜、ルナは1人明かりの消えているアパートの自室へ帰ってきた。

いつもは「ただいま」と声を発すれば、チャコが玄関へ出迎えて「おかえり」と返してくれる。

しかし今日は、チャコがハワード達に付き添っている為それも無い。

珍しくシンと静まり返った室内を、ルナは物鬱 ものうつげに歩む。

ダイニングキッチンを通り抜けるかたわら、ふと目を向けた時計は午後7時を指していた。

普段ならこの時間になると丁度お腹が空くはずであるが、不思議と今日は空腹を感じない。

ルナはゆっくりとした足取りでダイニングキッチンを通り過ぎ、エレベーターで2階へと上がった。

そして寝室へ入るなり、ベッドへ力無く倒れ込んだ。

「はぁ……」

ルナがうつ伏せの状態で深いため息をつく。

(何やってんだろ私……)

自分でも何故あの様な事を言ってしまったのか分からない。


『私は例えどっちを選んでもカオルを応援するから』


カオルへ言ったあの言葉に偽りは無い。

なのに、先程の発言はそれとは全く矛盾していた。

悩んで、苦しんで、ようやく決めたカオルの覚悟を、自分は踏みにじったのだ。

(私……最低だ……)

ルナの中を、強い後悔の念と激しい自己嫌悪感が渦巻いていた。



最終話
第 17 話 『決断⑤』



「ただい……まぁ」

ルナから1時間程遅れてチャコが帰宅してきた。

しかし見慣れているはずの室内は、不思議と異様な雰囲気をかもし出していた。

玄関の鍵が開いている為、ルナが帰っているのは明白なのに、室内は消灯されて薄暗く、出迎えも返答も無い。

ダイニングキッチンに入るも、そこには誰もいない。

が、微かにルナの声がチャコの耳に入ってきた。

音源は2階から聞こえてくる。

チャコはルナの様子が気になり、エレベーターで2階へと上った。


2階に到着すると、ルナの声がはっきりと聞こえてきた。

正確には、それは『言葉』ではなく、むせび泣く声であった。

それに気付いたチャコは、声の聞こえる寝室へ駆け出した。

「ルナ!」

チャコが寝室へ飛び込むと、ルナはベッドの上で肩を震わせて泣いていた。

その腕には、カオルから貰ったぬいぐるみが強く抱きしめられている。

「ルナ、どないしたんや!?」

チャコが慌てた様子でルナに駆け寄る。

声を掛けられ、ようやくチャコの存在を認識したのか、ルナは涙を溜めた瞳を向けた。

「チャコォ……」

ルナはチャコの体をぬいぐるみごと抱きしめ、再び泣き出した。

チャコは、何故ルナが泣いているのか事態を全く呑み込めていないが、今はルナが落ち着くまでこのままでいようと決めた。


しばらくして落ち着いたのか、ルナの抱きしめる腕の力が弱まり、チャコはようやく解放された。

「落ち着いたか?」

「……うん」

チャコの言葉にルナが小さく頷く。

「んじゃ、説明してもらおか?何で泣いとったん?」

「……私、カオルに酷い事しちゃった……」

「酷い事?」

「カオルが苦しんで……悩んで……やっと決心したのに……それを邪魔するような事、言っちゃった……!」

ルナの瞳が再び涙で一杯になる。

「何を言うたん?」

「もし『行かないで』って言ったら、カオルはここに残ってくれる?って……」

「カオルは何て答えたん?」

「何も……ううん、私が止めたの。何となく聞くのが怖かったから……勝手に質問して、勝手に悩ませて、勝手に終わらせて……私って、本当に自分勝手だよね……?こんな女……カオルが好きになってくれるはず無いよね……?」

ルナの顔が悲しみと絶望で歪む。

「私……カオルに嫌われちゃったかもしれない……」

そうか細く言葉を発すると同時に、再び涙が溢れ出た。


「何や、そないな事で泣いとったんかいな」

チャコの口から出た返答は、なぐさめの言葉ではなく呆れ返ったような言葉だった。

「何よ、そんな事って……!私、真剣に悩んで……」

「前に言うたやんけ。カオルの気持ちを勝手に決めつけるなて」

カオルへの恋心を自覚した日、その事でチャコと喧嘩したのを思い出す。

「最近のルナは随分とネガティブ思考やな。元気だけが取り柄のルナはどこ行ってしもたんやろ」

「……自分でも分からないわよ。カオルの事になると、自分の感情をいつもの様にコントロール出来なくなっちゃうんだもん……」

「やれやれ……ルナもすっかり恋する乙女になってしもうて」

「……バカにしてるの?」

ルナがジトッとチャコを睨む。

そんな視線も、チャコはあっけらかんとして受け流す。

「ホッとしとるんや。ルナにもようやくウチ以外に感情を表に出せる相手が見つかったんやなって」

チャコの言葉に、ルナは少し恥ずかしそうに頬を紅く染めた。

「それから、ルナは1つ大事な事を忘れとるで」

「大事な事……?」

「本音をぶつけ合わんと、本当の意味での信頼は得られへんっちゅー事や。ウチとルナかて最初から仲良しだった訳やないやろ?本音ぶつけて、傷ついて、お互いの気持ちを知って……それからようやく親しくなっていったやん」

チャコの言葉を聞き、ルナの頭に初めてチャコと出会った頃の情景が浮かび上がる。

「漂流した時かてそうや。始めはみんなバラバラだったやん。でも喧嘩して仲直りして、また喧嘩して……それを何度も繰り返して今の関係が築けたんやろ」

「……そう、だね」

チャコの言葉に励まされ、ルナは指で涙を拭った。

「ルナに本音をぶつけられて、カオルがどう思ったかは正直ウチにも分からん。けど、少なくともカオルが何かを感じたのは間違いあらへん。カオルがどんな答えを出すか、今はそれを優しく見守ってやり」

「……うん!」

ルナは力強く頷いた。

もう先程の悲しみと絶望に満ちた感情は無い。


「そういえば、バレンタインのお返し、貰っとったな。もう開けたんか?」

「ううん、まだ」

「せっかく貰たんやから、日付がホワイトデーのうちに見てしまい」

チャコに促され、ルナはカバンから包装された品々を取り出した。

まず開けたのはシンゴからのお返し。

可愛らしい袋の口を結んでいる紐を解くと、中にはクッキーが入っていた。

「わぁ、美味しそう!」

そのにおいが空腹を誘う。

夕食を食べていない事をルナは思い出した。

クッキーを1欠片かけらつまみ、口の中へ放り投げる。

「甘くておいしい!」

もう2、3個つまんだ後、残りはまた今度にして袋の口を丁寧に結び、ベッドの横に置いた。


次に開けたのはハワードからのお返し。

少し大きめの箱の包装を解くと、いかにも高級菓子といったパッケージの缶箱が露になった。

「さすがボンボンやな。これ、ルナが買うたら2、3日はメシを抜かなあかんくらい高級な菓子折りやで」

「はは……大事に食べさせていただきます……」

チャコの言葉が冗談に聞こえず、ルナは引きつった笑みを浮かべた。


続いて開けたのはベルからのお返し。

ハワードよりは小さめの箱の包装を解き、ふたを開けると、中に入っていたのは写真立て。

「わぁ……!可愛い!」

フレームは海のデザインで作られており、サヴァイヴの海をイメージさせる。

「これ、手作りやん。ベルらしいといえば、ベルらしいなぁ」

チャコがその完成度の高さに感心し、まじまじと写真立てを眺める。

ルナは飾る写真を何にしようか考えながら、写真立てを窓際に置いた。


最後に開けたのはカオルからのお返し。

カオルの品は、4人の中で最も小さい。

「愛情は物の大きさやないで~」と横から茶化されながら、ルナは緊張と期待に胸を膨らませながら包装を解いていく。

現れた小箱のふたをゆっくりと開ける。

「これ……」

ルナが箱の中を眺めたまま固まっている。

「何が入っとったん?」

箱の中身とルナの反応が気になり、チャコが中を覗き込む。

「これは……ピアスか?」

小箱には、綺麗に2つ並べられたピアスが入っていた。

そのデザインは『三日月』。

「ローマ神話に登場する月の女神は『ルナ』って言うんやで」

チャコが月のピアスに視線を向けたまま、ルナに説明する。

「……綺麗」

ルナは耳に付けている赤いピアスを外し、月のピアスを付けた。

「……どう……かな?」

少しはにかんでチャコにお披露目する。

「ほぉ、似合っとるで!大人の女性って感じで。ピアスを変えただけでこうも雰囲気が変わるもんなんやなぁ」

チャコがそう感想を述べると、ルナは幸せそうに笑った。




3月15日、決断の日の朝。

まだ誰も登校していない通学路をカオルは歩いていた。

本日、宇宙飛行士養成学校の理事長が直接答えを聞くために来校するのだという。

カオルの決心はすでに固まっている。

にも関わらず表情が冴えないのは、昨日のルナとのやり取りが脳内で反芻はんすうしているからであった。

カオルは自分自身に舌打ちをする。


『行かないでって言ったら……カオルはここに残ってくれる?』


ルナのあの発言に言葉を詰まらせたのは、返す言葉が見つからなかったからではない。

まさかルナがあのような事を言うとは思ってもみなかったからだ。

(まさか……だと?馬鹿か俺は!)

そんな事を一瞬でも考えてしまった自分自身をカオルは罵倒する。

ルナは他人の事となると、1人で突っ走ってしまう傾向が強い。

その時のルナは自分の信念に従って動いている。

頑固ともいえるだろう。

しかし自分の事となると、途端に相手に対して気を遣い、遠慮がちとなる。

笑顔という仮面を被り、本心を隠すのだ。

そんなルナの本質に、カオルは早くから気が付いていた。

今回ルナはただ本心を口に出しただけであり、そうするよう促したのはカオル自身である。

それがどうだ、ルナが本心をさらけ出した途端、驚き戸惑ってしまった。

それは、心の何処かでルナならきっと自分の選んだ道を肯定してくれるだろうと思い込んでいたからに他ならない。

(何が『分かりにくいようで一番わかりやすい』だ!俺は、ルナの事を勝手に分かったような気になっていただけじゃないか!!)

カオルは、ルナに対して言い放った言葉に対し、怒りと悔しさを顔ににじませ、拳をぎゅっと固く握りしめた。




ソリア学園に到着したカオルは、ゲートをくぐり抜け、人気ひとけの無い廊下を黙々と歩み、校長室のドアの前へと辿り着いた。

カオルの表情には、珍しく緊張の色が窺える。

このドアを開けたら、もう後戻りは出来ない。

カオルは一度深呼吸をし、覚悟を決めてインターホンに指を伸ばした。

「どうぞ」と返答が聞こえると、ドアが自動で開く。

カオルは「失礼します」と言い、校長室へと足を踏み入れた。


室内には、定席に着いている校長の姿。

そして応接用のソファーに腰掛けているもう1つの人影。

顎鬚あごひげを生やした渋めの男、おそらく彼こそが宇宙飛行士養成学校の理事長なのであろう。

「やぁ、待っていましたよカオル君」

校長は席から立ち上がり、ソファーに座る男の横に立った。

「紹介しましょう。彼が今回の件で君を推薦してくださった、レオナルド理事長です」

校長に紹介され、レオナルドも腰を上げて会釈した。

「はじめまして。私は木星支部・宇宙飛行士養成学校『アマルテア学院』理事長のレオナルドだ」

レオナルドから延ばされた手にカオルは一瞬躊躇するも「よろしくお願いします」と握手を交わす。

「さて……彼も何分忙しい身で、あまり時間を割けないですからね。早速ですが返事を聞かせてもらいましょうか」

校長から催促の言葉が出る。

カオルは今一度、気持ちを落ち着かせようと深呼吸をし、口を開いた。

「俺は──」


カオルが返答しようとしたその時、校長室のドアが突然開き、見慣れた人物が飛び込んできた。

「ちょっと待ったぁ!!」

そう叫んで乱入してきたのはハワードであった。

「こ、こら!待てハワード!!」

それを制止しようと、慌てた様子でメノリを先頭にぞろぞろと室内に入ってくる仲間達。

「おまえら!?」

カオルは目の前で起きている想定外の展開に唖然とした。

何故皆がこんな時刻に、この場にいるのかが不思議で仕方がない、といった様子だ。

「な、なんですか君達は!?今とても重要な話をしているんですよ!!用があるなら後に……」

「この話し合いの後じゃ遅いんだ!!」

ハワードが校長の言葉を強い口調で遮る。

その表情は珍しく真剣だった。

(ハワード……あのハワード財閥の社長殿の御子息か?その傍にいる少女は確か宇宙連邦議員のヴィスコンティ殿の御息女……これはまた錚々そうそうたる顔ぶれだな……)

レオナルドは突然の乱入者にも動じず、自身の顎髭を指で撫でながら冷静に状況を分析していた。

「ハワード!話が違うぞ!誰が乱入する事を許可した!?」

メノリが怒鳴りながらハワードの腕を掴み、廊下へと引っ張る。

「放せよメノリ!!僕はこの2人に言わなきゃならない事があるんだ!!」

それはハワードの意志の現れなのか、普段の彼とは思えないほど、抵抗する力は強く、メノリが全力で引っ張ってもハワードの体はビクともしない。

「お願いだ!カオルの編入を……もう少しだけ待ってくれないか!?」

「なっ……!?」

「1年でいいんだ!せめて中等部の間だけはカオルと一緒にいる時間が欲しいんだ!!」

ハワードからの思いもしない嘆願に校長が絶句する。

「僕からもお願いします!」

「私からもお願いします!」

ハワードの熱意に感化されたのか、シンゴとシャアラも頭を下げて嘆願する。


ハワードらをジッと見つめながら、レオナルドはゆっくりと言葉を紡ぐ。

「……君達は、訓練学校に通う生徒達の中で、宇宙飛行士になれる者が1年間でどれくらいいるか知っているかね?」

「え……?いえ……」

3人は顔を見合せ、首を横に振る。

その後ろでは、質問の意図を理解したベル、メノリ、チャコが表情を険しくさせている。

「2、3人ががなれれば大豊作……最悪0人という年だってある。それだけ宇宙飛行士という職業は狭き門なのだ」

ハワード達は言葉を失った。

難関である事は知っていたが、レオナルドの口から語られるそれは想像を絶するものであった。

「それだけ夢破れる者が多くいる現実を知りながらも、皆が宇宙飛行士を夢見て死に物狂いで挑戦しているんだ。君達はそんな彼らを前にして、思い出作りの為に推薦を1年待ってくださいと言えるかね?」

正論を突き付けられ、ハワード達は黙ってしまった。

「分かったのなら話はこれで終わりだ。さぁ出ていきたまえ」


メノリが俯くハワードの手を引き校長室を出ようとした。

しかし、ハワードはその手を払いのけ、レオナルドの傍へ駆け寄ると、両手と膝、そして頭を床に着けて懇願する姿勢を見せた。

それは、プライドの高いハワードからは考えられない行動であった。

「お、おい!ハワード!?」

カオルも動揺の色を隠せない。

「お願いします!僕達に時間をください!」

「ハワードよせ!」

カオルがハワードを立ち上がらせようと腕を引くも、ハワードは頑なに動こうとしない。

「みっともない真似はよせ!こんな事でプライドを失うつもりか!?」

「こんな事じゃない!!」

ハワードの叫びにカオルは圧倒され、思わず身を引いた。

「僕にとっては、とても大事な事なんだ!このまま別れたら絶対に心残りがある!絶対に後悔する!そんなのは嫌だ!だから、その為なら頭だって下げてやる!プライドだって捨ててやる!!」

ハワードの言葉がカオルの心を震わせる。

いや、カオルだけではない。

その場にいた全員が、ハワードの真摯な姿に心動かされていた。

それに扇動されたかの様に、ずっと沈黙を守っていたルナがゆっくりとハワードの横に立ち、深々と頭を下げた。

「お願いします。私達に時間をください……!」

「宇宙飛行士養成学校の実態を知ってもなお、そんな要求が通ると思っているのかね?」

淡々と告げるレオナルドの発言に気圧され、汗がルナの頬を伝う。

だが、見つめ返すその青い瞳は、決して折れないという意志を秘めた強い信念が宿っていた。

「宇宙飛行士の実情ももちろん理解できます。けど、編入の話にしても、それを考える猶予期間にしても、あまりにも急を要していませんか?つまりはそこまでしてでもレオナルドさんにとってカオルは喉から手が出るほど欲しい逸材だって事なんじゃないんですか?」

凛とした瞳を向けるルナの言葉にレオナルドは目を見開いた。

「人は心に迷いがあれば、その真価を発揮できません。だからこそ、カオルの為にも、レオナルドさんの為にも、もう1年だけ時間をくれませんか?」

「私の為にも、か」

ルナの言葉の意味を理解したのか、レオナルドは口角を僅かに上げた。

つまり彼女はこう言いたいのだ。

いて不完全なカオルを手にし失望するのと、1年待ち完全なカオルを手にし満足するのと、どちらのメリットが大きいと思うか、と。

(まさかこの状況で強気な交渉をしてくるとはな……)


レオナルドは改めてルナを見やる。

聞くに、この少女は『奇跡の生還者達』のリーダーだという。

宇宙全域に多大な影響力を与えるハワード、メノリを差し置いて、である。

そして彼らもそれを受け入れている。

彼女はきっと気づいていないのだろう。

この世界において、それがいかに異質であるのかという事を。

ルナの言葉には根拠がない。

1年待って、カオルが今以上のパフォーマンスが出来る保証など何一つ無いのだから。

しかし不思議な事に、彼女の言葉を信じても良い、と思ってしまっている。

それは、ルナの言葉がその場しのぎの発言ではなく、どこか確信を持っている様に感じられたから。

恐らくそれは、長い時間を共にした彼らだけが持つ絆から生まれた絶対的信頼によるものだろう。

面と向かってみて初めて分かる、ルナという少女の持つ自然と他者を惹き付ける天賦の才能。

そして、レオナルド自身も目の前の少女の言葉に図らずも引き込まれていた事実が滑稽に感じられた。

「くっ……はっはっは!面白いな君は」

レオナルドは高らかに笑うと、カオルへ顔を向けた。

「さて、そろそろ答えを聞かせてもらおうか。悪いが君達は席を外してもらえないか?」

レオナルドに促され、ルナ達は一礼すると校長室を退室した。


室内に静寂が戻り、カオルはルナ達を見送った後も、そのまま視線を扉に向けていた。

「私は長い事、学園で様々な生徒を見てきましたが……友人の為にここまでする生徒を見たのは初めてです」

校長が優しい口調で告げる。

「あなたは最高の友人を持ちましたね」

「俺もそう思います」

校長の言葉に、カオルは力強く返事をした。

「……では、改めて返事を聞きましょうか」

校長が本題を切り出す。

カオルは視線を2人に戻すと深く頷いた。

その瞳に、もはや迷いの色は見えない。

「俺は──」




校長室を出たルナ達は、教室に待機していた。

「カオル、どうするかな?」

シンゴがポツリと独り言の様に呟いた。

「それは分からないけど、私達の気持ちはしっかり伝わったと思うわ」

シャアラが優しくシンゴの呟きに答える。

「大丈夫だよ。カオルを信じよう」

ベルの言葉に励まされ、一同は小さく頷いた。


それから10分後、カオルが教室へと現れた。

その表情は、長い苦しみから解放された様な、穏やかな雰囲気をかもし出していた。

「……みんなに話がある」

一同に緊張が走る。

「俺は……ソリア学園中等部の卒業を機に宇宙飛行士養成学校へ編入する。残り1年、みんなと大切に過ごしていきたい。構わないだろうか?」

それを聞き、一同は歓喜に満ち、カオルを囲った。

こんなに喜ばれると、何だか恐縮してしまう。

「みんな、迷惑かけた」

そう言葉にするカオルに、ベルが微笑んだまま首を横に振る。

「言っただろカオル。仲間なんだから迷惑かけていいんだよ。こういう時に言うべき言葉はそれじゃないよ」

カオルは苦笑いし、学習しないな、と自嘲した。

「……そうだったな。言い直させてくれ。みんな、ありがとう」

カオルからの感謝の言葉に、皆が柔らかく微笑んだ。




「……よろしかったんですか?1年も先送りにして」

校長がレオナルドに問いかける。

「あぁ、構わないさ」

レオナルドは不思議と嬉しそうな笑みを浮かべていた。

「今回の事で彼は一歩成長した。答えを出した時の彼の表情を見れば分かる」

レオナルドは先程のカオルの表情を思い出す。


★ ★ ★ ★ ★ ★ ★

「俺は……正直ここへ来た時でさえ迷っていました。一時は推薦を受ける事を決意したはずなのに。あいつらの言葉を聞くうちに、その決意は簡単に崩れ去っていきました。俺の決意は、その程度のものだったんです」

「そうだろうとも。究極の選択を迫られる場面ではよくある事だ。今回の君の様に1人で悩む者には特にな」

「そう……俺には仲間がいたんです。今の俺があるのも、あいつらがいたからです。それなのに、1人で悩んで、覚悟を決めた気になって……大切な事を忘れていました」

「ふっ、今さら野暮だとは思うが聞かせてもらおうか。君の答えを」

レオナルドがそう尋ねた時、カオルの表情が先程より凛々しく大人びた様に見えた。

それは1つの壁を乗り越え、成長した証。

「今回の編入の件、お断りさせていただきます。あいつらと出会った、このソリア学園を一緒に卒業したいんです……!」

「宇宙飛行士の夢は諦めるのかい?」

レオナルドは少し意地悪そうな表情で尋ねる。

しかし、その質問に対してもカオルは余裕すら見える雰囲気で答えた。

「1年後……アマルテア学院を受験します。もちろん推薦もいりません。実力で勝ち取ってみせます」

そう言い切ったカオルの瞳は決意でみなぎっていた。

★ ★ ★ ★ ★ ★ ★


「くっくっく……1年後が楽しみだ」

レオナルドは、カオルのさらなる成長に心躍る気持ちで、笑みを洩らした。




またいつもの様にホームルームとなり、午前の授業が始まる。

昼休みになると仲間達で集まり昼食を摂り、また午後の授業が始まる。

ここ2、3日の出来事がまるで夢物語のような感覚に陥る。

何とも不思議な感覚であった。


放課後、バイトがあるルナは早々と帰る支度をする。

その最中、ルナの携帯に1件のメールが届く。

送信者はカオル。


『話がある。展望フロアに来てくれ』


内容はたったそれだけだったが、ルナは嬉々とした。

気になる相手からのメールは、淡々としたものであろうと嬉しいものだ。

(話ってなんだろう?ま、まさか……こっ、告白っ!?)

などと考え、頬を紅らめながら返信し、展望フロアへと駆け出した。


展望フロアに到着すると、カオルはいつもの様に窓から遠くを見つめていた。

ルナは高鳴る鼓動を必死に抑えながらカオルに近づいた。

「えっと……話って?」

ルナの言葉に、カオルはチラッと一度だけルナに視線を向けると、再び窓の外へと視線を戻した。

「……昨日はすまなかった」

「……へ?」

何の事について謝られているのか分からず、首を傾げる。

「バスの中でルナを困らせてしまった」

「あ……!あれは私が悪いの!カオルが謝る必要なんてないわ!」

ルナは昨日カオルに言った『我儘』を思い出し、慌てて首を振る。

「カオルが悩んでいた時にあんな質問されて答えられるはずかないのに……カオルを余計苦しめちゃった。……ゴメンね?」

「違う」

ルナの謝罪の言葉に対し、カオルは首を横に振った。

「え?」

「あの時俺はすぐに返答できたはずだったんだ。だが、まさかルナがあんな質問してくるとは思わなくて……驚いて反応に遅れてしまった。そんな事を考えていた自分が許せなかったんだ」

「えっと……そんな事って?」

「ルナの質問に対して『まさか』と考えてしまった事」

「……それって謝るほど重要な事なの?」

ルナはカオルが何故そこを気にしているのか、全くもって理解出来ていない。

「俺はルナの事をちっとも分かっちゃいなかった。そのせいでルナを苦しませた」

「ん?私そんな事考えてもなかったけど?」

何となく話が噛み合っていない。

「だが、答えられなかった時、ルナは泣き出しそうな顔をしていた」

それを聞き、ルナは理解した。

カオルは勘違いしているのだ、と。

「えっと……カオル多分勘違いしてる」

「勘違い……?」

「私あの時、酷い質問しちゃって、カオルに嫌われたと思ったら悲しくなって……」

ルナが少し俯いて理由を説明する。

「……そ、そうだったのか?」

真実を知り、カオルは自分自身に呆れ返り、深い溜め息をついた。

「……俺もまだまだだな。やっぱりルナの事を全然分かっちゃいない」

「ふふっ!そう簡単に分かられちゃうのも何だかね~」

ルナはカオルの様子にクスクスと声を立てて笑った。

「あぁ、それと……」

カオルが続けて言葉を紡ぐ。

「ルナを嫌うなんて事は絶対にないから、余計な心配はするな」

カオルの言葉を聞き、ルナの心臓が跳ね上がる。

(そんな事言ったら……期待しちゃうよ?)

ルナは今にも想いを告げてしまいそうな衝動を必死に押し込んだ。


「じゃあな。バイト頑張れよ」

口に出した言葉が恥ずかしくなったのか、カオルはルナに顔を合わせる事無くエレベーター向かってへ歩き出した。

エレベーターのドアが開いた所で、カオルの動きが止まった。

「ルナ」

名前を呼ぶ、カオルはいまだ顔をこちらに向けない。

「ピアス……似合ってるぞ」

そう言い残しエレベーターに乗り込み、ドアを閉めた。


展望フロアに残ったルナは、カオルに言われた言葉の余韻に浸り、チャコに褒められた時とは比べものにならない程の幸せそうな笑みを浮かべている。

その耳には、自身の名の由来となる月が、その幸せを祝福するかのように光り輝いていた。

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