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1期

現在カオルは展望フロアにいる。

あれから何十人もの女子からチョコを渡され、さらにその中の数名からは告白までされた。

いまだかつて経験したことのないこの状況に恐怖さえ覚え、ここへ避難してきた次第である。

(この大量のチョコを……どうしろと?)

カオルは脇に積み重ねてある大量のチョコを一瞥いちべつすると、深い溜息を落とした。

そしてしばし考えたのち、携帯を取り出して、とある人物にメールを打ち始めた。



第 9 話 『2月14日(後編)』



1限目が始まってもカオルが教室に現れる事は無かった。

「カオル、何かあったのかしら……」

授業中、シャアラが隣にいるルナに小声で話しかける。

「う、うん……どうしたんだろうね……」

ルナはそう一言返すと、視線を机上の電子テキストに向けた。

向けただけで、テキストの内容は全く目に入っていない。

それどころか、教師の説明も全く耳に入っていかない。

脳裏に嫌というほど繰り返し浮び上がるのは、朝に見た光景。

それを思い出す度にルナは顔を曇らせるのであった。




授業中、ベルの携帯が突如震え出した。

画面を見るとショートメールが届いていた。

(カオルから……?)

ベルは思わずカオルの席を見た。

しかし、そこにカオルの姿は無い。

ベルは視線を携帯へと戻し、メールを開く。


『授業が終わったら、袋を何枚か持って展望フロアに来てくれないか?』


詳しい説明は無く、それだけ書かれていた。

(袋……?)

それが何を意味するのかよく分からないが、きっと理由があるのだろう、とベルは納得した。

『分かった』と一言打つと、ベルは送信ボタンを押した。




授業が終了すると、ベルはカオルの頼み通り袋を数枚持って展望フロアへと上がった。

「ベル」

名前を呼ばれた方を向くと、窓際に座っているカオルの姿があった。

「言われた通り袋持って来たけど、何に使うんだい?」

「悪いな。こっちだ」

ベルがカオルの元へ向かい、その視線の先を見やる。

「……すごい数のチョコだね」

その光景を目の当たりにして、カオルの行動の真意を理解した。

「確かにこれは袋が必要だね」

「そもそも何故今日に限って、女子達はチョコを渡してるんだ?」

カオルの言葉に、ベルは目を丸くした。

「カオルはバレンタインデーを知らないの?」

「それは知っている。聖人ウァレンティヌスが処刑された日だろ」

「……誰?」

カオルは世間一般におけるバレンタインデーを知らない様子だ。

だからこれほどのチョコを突然渡されて戸惑っていたのだ、とベルは理解した。

今日という日の趣旨を知らなければ、その雰囲気は異様なものに感じられるだろう。

チョコを貰えて舞い上がっている男子の狂喜。

それを見て嫉妬に燃える男子の殺気。

チョコを渡すタイミングを見計らう女子の焦燥。

告白し恋が成就した女子の至福。

逆に恋に破れた女子の悲哀。

チョコを貰える気配の無い男子の絶望……

そんな強烈な喜怒哀楽の感情が一斉に入り混じった空間に、感性の敏感なカオルが居れるはずがない。

「世間では、バレンタインデーに女子が男子にチョコをあげる日ってなってるんだよ」

ベルの説明にカオルは「ふーん」とあまり興味無さそうに返した。

この反応を他の男子に見せたら、きっと殺意が生まれるんだろうな、とベルは苦笑いする。

「それ、みんなで分けて食べてくれ」

「え?でも、これ女子達がカオルの為に用意したものなのに……」

「俺1人でどうにかなる量じゃないだろ。かといって処分するのも悪いしな」

確かに捨てられるよりかは誰かに食べてもらったほうがいいのだろうが、カオルの事を想って作ったチョコが他人の口に入るというのは、どんな気持ちなんだろう、とベルは考える。

カオルは気を回せる人間だ。

きっと今自分の考えた事を既に思い悩んでいたに違いない。

カオルが考えた上での結果なら、自分が口出しする必要なんて無い、とベルは思い至り首を縦に振った。

「カオルはこれからどうするんだい?」

「放課後まではここにいる。その後はすぐにバイトに向かうつもりだ」

「要するに、今日は授業サボる訳だね?」

ベルが苦笑いして言う。

つられる様にカオルも口元をあげた。

「分かった。じゃあこれ、みんなでいただくよ」

「……悪いな。助かる」

カオルの礼に笑みを浮かべ、ベルはチョコで一杯になった袋を持って梯子を降りた。

「あ、そうだカオル」

ベルの呼びかけを聞き、カオルは給水塔からベルを見下ろした。

「ルナ達もチョコ持ってきてくれたから、せめてそれくらいは受け取って食べてあげなよ?」

珍しくベルが悪戯っぽく笑うと、昇降口から校内へ入っていった。

(……まだあるのか)

止まぬチョコ地獄に、カオルは深い溜息を再びついた。




大量のチョコの入った袋を提げて教室に戻ってきたベルを見て、一同は唖然とした。

「な……ど、どうしたんだよベル!?その大量のチョコ貰ったのか!?」

ハワードはショックを隠し切れない様子だ。

「そ、そんな……べ、ベルが……」

何故かシャアラも動揺していた。

「へぇ~、ベルってモテるんだねぇ」

シンゴが尊敬の眼差しでベルを見つめる。

「ち、違うよ!これはカオルの戦利品!」

「カオルの!?」

ルナは思わず大きな声をあげてしまった。

袋の中のチョコは少なくとも20個は下らないだろう。

「カオルに会ったのか?」

メノリの問いかけにベルは小さく頷いた。

「これ、みんなで食べて欲しいって」

「ホント!?うわぁ~カオルに感謝しなくちゃ!」

大好きなチョコがいっぱい食べられると知って、甘党のシンゴは歓喜の声をあげた。

「関心しないな。これには1つ1つ女の子の思いが詰まっているものだ。むやみに他人にあげるべきではない」

メノリは眉をつりあげて物申した。

「それはカオルも分かってるはずだよ。でも、さすがに量に限度があるし、かといって捨てるのは悪いって言ってた」

「ちなみにベルがいない間に、カオルの机のチョコがまた10個くらい増えたしね」

シンゴがベルを擁護する様に補足をする。

チョコはカオルの机の中だけに入り切らず、机の上、椅子の上にまで及んでいる。

「まるでお供え物だな」

メノリの皮肉に皆が苦笑いする。

「そうそう、カオルは今日は来ないそうだよ。放課後になったらバイトに直行するって」

「うん、さっきメール来たよ」

ベルの言葉にルナが頷く。

「じゃあ、私達のチョコはルナに渡してもらった方が効率的だな」

「そうね。ルナ、お願いできる?」

メノリとシャアラはそう言ってラッピングされたチョコをルナに差し出した。

「あ……うん、分かったわ」

ルナは沈む心を隠そうと、笑顔を作って受け取った。




放課後、ルナはカフェへと急いだ。

ドアを開けると、カウンターにはいつもの表情で作業しているカオルがいた。

「あ……カオル……」

今日カオルと、面と向かって話すのはこれが初めてとなる。

不思議な緊張感がルナにまとわりつく。

「どうした?そんな所に突っ立って」

「あ……ううん。な、何でもない!」

ルナはハッとして慌てて首を横に振り、早足で更衣室へと駆け込んだ。

ルナは閉めた更衣室の扉に寄り掛かって「はぁ~」と深い溜息をつく。

「あら、ルナちゃん」

突然かけられた声に、ルナはビクッと体を跳ね上がらせた。

ロッカーの陰からひょこっと現れたのはカトレアだった。

「ま、マスター!?い、いたんですか!?」

「いたけど、そんなに驚かなくても」

ルナの反応にカトレアはクスクスと笑った。

「そういえば、もうカオル君にはチョコ渡したの?」

カトレアの言葉にルナはギクリとする。

「えっと……その……まだ……」

「そうなの?まぁチャンスはいっぱいあるから頑張ってね♪」

力強くガッツポーズを取り、カトレアは鼻歌混じりに更衣室を出ていった。


ルナはカバンからラッピングされた箱を取り出す。

ベルが持ってきたカオル宛てのチョコは、どれも甘くて美味しかった。

自分の作ったチョコが、あれを上回っているとは到底思えない。

何より、あれだけ沢山のチョコを受け取って、今さらカオルが自分のチョコを受け取ってくれるとは思えない。

他の女子のチョコと比べて劣って見える手の中のチョコを恨めしく見つめ、ルナはまた1つ深い溜息をついた。




休憩時間に入り、ルナとカオルは休憩室に2人きり。

カトレアが余計な気を利かせて、2人同時に休憩を促したのである。

カオルは不審そうにカトレアを見るも、変なのはいつもの事か、と自己解釈して休憩に入った。

一方のルナは心中穏やかではない。

確かにシチュエーション的には渡しやすい空間ではあるが、これまでに無い緊張がルナを襲う。

「おい?」

「ひゃ、ひゃい!?」

突然声をかけられ、変な声を出してしまった。

「……お前、さっきから変だぞ?」

「そ、そんな事ないよ!?いつもどおりだって!!」

「じゃあ何でそんなにガチガチなんだ?」

カオルが疑惑の目で見つめる。

「えっと……その……か、カオル!!」

「な、何だ?」

ルナの勢いに、カオルは思わず体を引いた。

「その……だから……」

次の言葉が出てこない。

さっきの勢いはすぐにしぼみ、ルナの声がみるみる小さくなっていく。

「な……何でもない……」

ルナは自分自身に呆れた。

学校ではベル達にスッと渡す事が出来たのに、今はそれが出来ない。

理由は分からないが、カオルの前に立つと、言おうと思った事が頭から飛んでいってしまい、真っ白になる。

何を言えばいいのか、何を言おうとしたのかさえ。

「そこまで言っといて、何でもないはないだろ」

カオルの言葉にルナは更に肩を落とした。


『これ、バレンタインデーのチョコだよ』


そう言って渡すだけ。

たったそれだけの事を何故出来ないのか、自分に問い詰めるも、その答えは見つからない。

「ほーら!女の子をあまり困らせるものじゃないわよ?カオル君」

そんな言葉と一緒にドアを開けて入って来たのはカトレアだった。

あまりにもタイミングが良すぎる。

きっとドア越しに盗み聞きでもしていたのだろう。

「……仕事はどうした?」

カオルが眉間にしわをよせて問う。

「カオル君……悪いんだけどルナちゃんと話がしたいから、ちょっとだけ代わってもらえないかしら?」

カトレアの口調がいつになく真剣である事にカオルは気づく。

ルナが何の悩みを抱えているのか分からないが、女同士の方が話しやすいかもしれない、とカオルは思い至り、休憩室を静かに出ていった。


カオルがいなくなったのを確認すると、カトレアは改めてルナと向き合った。

「さて……ルナちゃん、チョコ渡せなかったみたいだけど、一体どうしたの?」

カトレアの質問にルナは俯いた。

「……自分でも分からないんです。カオルに渡そうとすると、急に頭が真っ白になっちゃって、言葉が出ないんです。今までこんな事無かったのに……私……どうしちゃったんだろう……?」

ルナは両手で顔を覆った。

苦悶の表情を隠すかの様に……

少しの沈黙の後、カトレアはゆっくりと口を開いた。

「ルナちゃんは、チョコを渡す時に必要なものって何か分かる?」

「必要なもの……?」

ルナは少し考え、ポツリと呟く。

「勇気……ですか?」

「そうね、じゃあ勇気を持つために必要なものは?」

続けざまの問いかけに、再びルナは考え込むも、答えが分からず首を横に振った。

「それはね……自信よ」

「自信……」

「ルナちゃんはもしかしたら、自分の作ったチョコに自信を持てていないんじゃない?」

カトレアの指摘は図星だった。

ルナは、カオルに宛てられた他の女子のチョコを目の当たりにした事で自信喪失に陥っていた。

「……そうかもしれないです。だって、他の女の子のチョコはどれもみんな上手で……私のなんかもらっても、カオル……喜ばないんじゃないかって……それが怖くて……」

ルナの表情が再び暗くなる。

それを聞き、カトレアは確信した。

本人も気づかぬルナの中に眠る感情を……

そうでなければ恐怖など感じるはずなどない。

(これだけ想っていて自覚無しとは……ルナちゃんの鈍感さも筋金入りね……)

カトレアは密かに思い、苦笑いを浮かべた。

「ルナちゃん、バレンタインデーのチョコにはね、特別な思いが込められているものなのよ?」

「……特別な思い?」

ルナはカトレアの言葉に反応する様に、俯く顔を少しだけ上げた。

「そう、チョコには女の子の真剣な思いが込められているの。一生懸命作れば、それだけその思いは強くなるのよ」

「真剣な思い……」

「ルナちゃんは作っている時、どんな思いで作ってた?」

ルナは思い返す。

自分がどんな思いでチョコを作っていたのか。

始めはチャコに言われて、気が進まないながらもやる事にした。

でも、カトレアと一緒に作る事でお菓子作りの楽しさを知り、完成した時には渡すみんなの顔が思い浮かんだ。

そこまで回想し、ルナは1つの結論にたどり着いた。

「みんなに喜んでほしい……そう思いました」

「その『みんな』の中にカオル君は入ってない?」

「まさか!当然入ってます!」

慌てて否定するルナに、カトレアは優しく微笑みかける。

「だったらその思いは本物のはずよ」

カトレアの言葉にルナは沈黙した。

「大切なのは形や味じゃないの。どれだけ一生懸命作ったか、どれだけその人の事を考えて作ったかなのよ。ルナちゃんは自分のその気持ちに自信がない?」

ルナは静かに首を横に振る。

味にも形にも正直自信は無い。

しかし、みんなを思って作ったという事実、それだけは自信を持って言える。

それに気づき、ルナの蒼い瞳に力が宿る。

「ふふっ、迷いは消えたみたいね」

ルナの表情を見て、カトレアは柔らかく微笑む。

「……はい!」

「じゃあ、カオル君を呼んでくるから頑張ってね!」

そう言ってカトレアは休憩室を出ていった。

カトレアが出て数分、カオルが休憩室に戻ってきた。

カオルはルナの顔から鬱屈うっくつな感情が消えている事に気づき、安堵の表情を浮かべた。

「どうやら元気になったみたいだな」

「うん、さっきはゴメンね?」

「いや、気にするな」

もうルナの中に、先ほどの緊張感は無くなっていた。

(大丈夫……今なら渡せる!)

ルナは一度深呼吸をし、カバンから1つの箱を取り出した。

「カオル……これバレンタインのチョコなんだけど……受け取って……くれるかな?」

ルナが恐る恐る箱を差し出すと、意外にもすんなりとカオルは受け取った。

「よかったぁ」

ルナは安堵の溜息を洩らす。

「何がだ?」

「カオル、今日いっぱいチョコ貰ってたみたいだったから、断られちゃうかと思ってたの」

「そんな事はしないさ」

カオルが苦笑いして答える。

「開けていいか?」

「あ……う、うん!」

ルナが頷くのを確認すると、カオルは箱の包装を丁寧に解き始めた。

ルナにはその手の動きさえ、繊細かつ美しく見えた。

箱の蓋を開けると、入っていたのは生チョコトリュフ。

「ルナが作ったのか?」

「う、うん。マスターに教えてもらいながらだったけど……」

昨日購入していたチョコはそういう事か、とカオルは心の中で納得する。

カオルはチョコを1つ摘み上げ、口の中に入れた。

ルナに緊張が走る。

「……うまい」

「ほ、ホント!?」

カオルから賞賛の言葉を聞き、ルナの顔が笑顔になる。

それを見て、カオルは小さく口元を上げた。

「やっと笑ったな」

「え!?」

「今日は珍しく笑顔が無かったからな」

「いくら元気だけが取り柄の私だって、いつでもニコニコしてる訳ではありませんよー」

ルナは冗談っぽく怒ってみせ、ぷいっと横を向いた。

その様子にカオルは苦笑いする。

「まぁそうだろうな。でも……」

「でも?」

言葉の続きが気になり、ルナは逸らした視線をカオルに戻した。

「ルナには笑顔が一番似合う」

その言葉を聞き、ルナの心臓が激しく高鳴った。

顔は一気に熱を帯び、茹でダコの様に真っ赤になっている。

(な、何この感じ!?嬉しいのに……恥ずかしい!!)

顔を紅潮させ、硬直しているルナを不審に思い、カオルが声をかける。

「おい?」

「ひゃ、ひゃい!?」

「………」

ルナの状態は先程に逆戻り。

いや、先程よりも酷い。

カオルは訳が分からず、またカトレアに任せるべきなのかどうか、真剣に考え込むのであった。

一方のルナは、自分を襲う現状にあくせくとなっていた。

顔は湯気が出ているかの様に熱く、心臓は周りにも聞こえるんじゃないかというほどドクンドクンと激しく高鳴っている。

それだけではない。

ルナがいつも目にするカオルの姿が、いつもとは違う視界で見えてしまう。

艶のある黒髪、低い声、細長い指、深みのあるブラウンの瞳、細いが無駄の無い筋肉質な体、整った顔立ち……

カオルが持つ1つ1つのパーツが、情報として事細かにルナの中へと入ってくる。

カオルへの未知なる感情が、心の奥底から泉の様に溢れ出て止まらない。

(何だろう、この気持ち……苦しいはずなのに……嫌じゃない……こんなの初めて……)

ルナはこの感情の正体をまだ知らない。

だがその正体不明の感情はゆっくりと、そして着実にルナの心中で孵化ふかし始めていた。

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