1期
第 6 話 『前哨戦(前編)』
バレンタインデー、それは地球暦269年の2月14日、ローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌス(ヴァレンタイン)に由来する記念日であると言われている。
その起源は、ローマ帝国皇帝クラウディウス2世が、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止した事から始まる。
しかし、キリスト教司祭だったウァレンティヌスは秘密に兵士を結婚させた。
その結果捕らえられ、処刑されたそうだ。
処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれ、ウァレンティヌスはルペルカリア祭に捧げる生贄とされたという。
このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日となり、恋人たちの日となった──
と地球史の文献に載っている。
ルナはそこまで読み終え、電子ブックの電源を落とした。
そして1つ大きな溜息をつく。
現在ルナは1人ソリア学園の図書室にいた。
彼女がこうして図書室で文献をあさっているのにも理由がある。
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それはその日の休み時間の事だった。
ルナは毎度の事ながら、クラスメイトの雑務に手を貸していた。
本日の任務は体育の授業の後片付け。
という訳で、担当である女子生徒と2人で体育館倉庫にいた。
片付けも何とか終わり、少女は手を貸してくれたルナに礼を言う。
「手伝ってくれてありがとね、ルナ」
「ううん、また何かあったら遠慮なく言ってね」
少女の礼に対し、ルナは笑顔で返す。
教室へ戻る道中、少女が「そういえば」と話を振る。
「もう少しでバレンタインデーね」
「ばれんたいんでー……」
少女が放った単語を、ルナは片言で復唱した。
その反応に少女は目を円くした。
「……ルナ、もしかしてバレンタインデーを知らないの?」
「え!?いや、知ってるよ!?」
ルナが慌てて首を振る。
「えっと、あれでしょ?確か……チョコ食べる日……?」
「……まぁ、間違ってはいないけど……随分と偏った解釈してるわね」
少女は呆れた様子でルナを見つめる。
「正確には、女の子が好きな男性にチョコレートを渡す日よ」
「そうなの?私が前にいた学校では女の子同士でチョコあげ合っていたけど……」
ルナは見解の相異に首を傾げる。
「あぁ、友チョコってやつね?最近はそういうのも当たり前になってるけど、基本は女から男へ、よ」
「ふ~ん、じゃあクラスの男子みんなにあげるとなると大変だなぁ」
「ちょっとちょっとぉ~!」
ルナの発言に対し、少女は間髪入れずツッコミを入れる。
「好きな男性って言ったでしょ!?」
「……?私みんな好きだよ?」
首を傾げてそう返答するルナを見て、少女はガックリと肩を落とした。
少女から「勉強してきなさい!」と叱咤された事により、ルナは放課後に図書室へ赴いた。
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そして現在に至る。
「……というか、何で私、バレンタインの歴史なんか読んでるんだろう?」
全て読み終えたルナの感想はそれだった。
図書室にあるバレンタインに関する書物は、その歴史に関する事ばかり。
最近のバレンタイン事情に関する書物が置いてあるはずが無い、という事にようやく気づく。
ルナは再び大きな溜息をついた。
それは目的の書籍が見つからなかった事に対してではなく、むしろ自分自身の無知さに対してのものであった。
年頃の女性なら意識してやまないこの特別な日を、ルナは今まで完全スルーして生きてきた。
母を、そして父を失い、チャコと2人で生きていかなければならないという状況であったためか、そういった行事に関しては無頓着となってしまっていた。
しかし、そんな事は言い訳に過ぎない、とルナは自分を責める。
現に、昔とは明らかに違い心身共に安定しているこの状況ですら、今日かの女子生徒に言われるまで、バレンタインデーという存在すら頭の片隅にも無かったのだから。
「……帰ったらチャコに聞いてみようかな」
図書室の天井を仰ぎながらルナはポツリとそう呟いた。
帰宅後、ルナは今日あった出来事をチャコに話した。
「おぉ、もうそんな時期かいな」
「チャコはバレンタインの内容知ってる?」
「当たり前や。ウチかて純情な乙女やで?」
チャコが冗談ぽく体をくねらせて(チャコ曰く乙女のポーズ)言い返した。
「だったら何で今まで教えてくれなかったの?私、友達の前で恥かいちゃったじゃない」
「何言うてんねん。何度も教えとるがな」
責任転嫁するルナに呆れた様子でチャコは反論した。
「え!?いつ!?」
「あれはお父ちゃんが亡くなる前の話や」
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「ねぇチャコ?」
幼き頃のルナがチャコを呼ぶ。
「何や?」
「ばれんたいんでーってなぁに?」
「まぁ簡単に言うたら、女の子が大好きな人にチョコレートをあげる日やな」
「ふーん、そっかぁ」
「何やルナ、大好きな人でもおるんか?」
チャコがニヤニヤした表情で問いかけると……
「うん!おとーさん!」
との返答。
幼きルナが満面の笑みでそう言いのけたため、チャコはガックリと肩を落とし、「そ、そらよかったなぁ……」としか返せなかった。
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チャコの話を聞き、思い出したのか、ルナは気まずそうな顔をした。
「そ、そんな事もあったかもね。でも、小さい頃の話だったから……」
「他にもあるで?」
ルナの言い訳を遮る様にチャコが続ける。
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それはルナが父を失って、とあるスペースコロニーの施設にチャコと移り住んでから1年後。
ルナも父の死のショックから立ち直り、施設での生活にも大分慣れてきた頃の話である。
「そういえば今日はバレンタインやな」
「ばれんたいん……」
「何や?忘れてしもうたんか?」
「お、おぼえてるもん!たしか……」
その時、タイミングが良いのか悪いのか、施設長が沢山のチョコを持ってきた。
「さぁみんな!今日はバレンタインデーだから、3時のおやつはチョコレートよ~」
それがルナに間違った認識を与える事となった。
「そう!チョコを食べる日!」
「いや、あのなルナ……」
チャコはルナの誤った知識を修正しようとするも、ルナはすでにチョコレートに夢中だった。
同じ施設の女の子と仲良く配られたチョコレートを頬張りながら「ばれんたいんでーっていいね」なんて言う始末である。
それ以来、チャコはルナの前でバレンタインの話題を出さなくなったそうだ。
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「何か異論あるなら聞くで?」
「……ありません」
チャコの話を聞き終え、ルナは完全に意気消沈していた。
「しかしあれやな、バレンタインの話題を振ってくれたルナの友達には感謝せな」
「何で?」
何故チャコが感謝するのか意味が分からず、ルナは聞き返した。
「決まっとるがな。ニブチンのルナが、やっとそういったものに興味を持ち始めるきっかけをくれたんやから」
「に、ニブチン!?」
「実際、その友達に言われるまで、バレンタインデーのバの字すら頭に無かったんとちゃうか?」
図星を突かれ、ルナは言葉を詰まらせた。
「しょーもないやっちゃなぁ。ルナはもうちょっと自分が女の子である事自覚して、気ィ遣わな」
「……気を遣うって、具体的には?」
「メノリみたいにバイオリンを習うとか、シャアラみたいに料理をするとか、ウチみたいにエレガントになるとか」
ルナが「最後のは余計でしょ」とチャコにツッコむ。
だがチャコの言うとおり、確かに自分にはメノリやシャアラの様に女の子っぽい所が欠けている気がする、とルナは自身を省みる。
それ程おしゃれに興味が強い訳でもなく、料理やバイオリンといった趣味を持っている訳でもない。
そう考えると自分には女性としての魅力が皆無なのではないか、とルナは軽く凹んでしまった。
「とにかく!せっかくのええ機会なんやから、参加してみぃ」
「う~ん……あまり気乗りしないなぁ……」
渋るルナを見て、チャコは溜息を落とし、ジッとルナを見つめる。
「な、なに?」
その視線に思わず身を引く。
「体の方は立派に成長しとるのに、勿体あらへんな~」
「なっ!?チャコ!!!」
チャコのセクハラ的発言にルナは顔を紅らめ、反射的に身を守る様に腕で胸部を隠しながら怒鳴る。
(本当にペット型ロボットなの!?)
ルナが、チャコの人格を設定した顔も知らぬ開発者に怒りを覚えた瞬間であった。
次の日、ルナはシャアラとメノリにバレンタインの話題を振ってみた。
「私は父にあげるつもりだ?あとベル達にも」
「私も」
それがメノリとシャアラの返答だった。
「……やっぱりみんなちゃんと考えてるんだ」
自分だけ何も考えていなかった事実を突きつけられ、ルナは肩を落とした。
「ルナ……もしかして何も準備してないのか?」
メノリに図星を突かれ、「うっ」と小さく唸るルナ。
「……というか、存在自体を忘れてました」
「だ、大丈夫よルナ!別に強制的なイベントじゃないんだし、ムリしてあげようとしなくてもいいと思うわ!えっと……ほら!ルナは2人暮らしで生活も大変じゃない?用意するのにお金だってかかるだろうし!」
シャアラが一生懸命フォローしてくれているのが分かる。
だが今は、そんなシャアラの親切心が胸に痛い。
「ありがとうシャアラ……でもね、不本意ながらやらざるを得ない状況というか……」
「どういうこと?」
「昨日チャコに色々と言われてね……こんな私にも一応女のプライドがある訳で……」
ルナは、昨日のやりとりを思い出した為か、ゲンナリとした顔つきになった。
チャコは元々歯に衣着せぬ物言いをするが、特にルナには容赦なくズバズバと言う。
家族だから、というのもあるからだろうが。
ルナが「色々言われた」と言うのだから、それはもう完膚なきまでに叩きのめされたのであろう。
メノリとシャアラは、ルナに同情しつつ、容易に想像できるその場面に苦笑いを浮かべるのであった。
つづく