記憶の雲間
少しだけ、ほんの少しだけ変化していくある日
──静かだった。
任務から戻った社内。
机の上に置かれた紙袋の中から、微かに甘い香りがする。
中身は、数枚のラッピングされたクッキー。
「……焼いてきたので、よければ休憩のときに」
彼女──莉緒が、何気なく言っていた言葉を思い出す。
太宰は、それをひとつ手に取り、
窓際のソファに腰を下ろした。
噛みしめると、ほろりと崩れる生地。
甘すぎず、どこか懐かしい味がした。
(昔……こういうのをもらったことが、あっただろうか)
思い返そうとして、
代わりに思い出すのは、ひとりの友人のことだった。
──織田作。
静かで、優しくて、誠実で、
そしていつも、誰かの“明日”を守ろうとしていた人間。
彼が遺した言葉。
彼が守ろうとした子供たち。
彼の背中を見ていた少女。
(……君が、そうだったんだね)
今になってようやく確信に変わった。
ただ、それだけではなかった。
彼女が時折見せるしなやかな所作。
机に向かう横顔。
誰かに気を遣いすぎて黙ってしまうくせに、
いざというときは迷いなく動ける意志の強さ。
守られていた者ではなく、
守る側になろうとしている姿。
それは、かつて太宰が“失ったもの”ではなく、
今この場所に“生まれつつあるもの”だった。
(惹かれているな)
そう思った瞬間、
その感情があまりにも静かで、
そして抗いがたくて、太宰自身が驚いた。
織田作の影を見ていたはずなのに。
今、目を離せないのは──
“彼女自身”だった。
「……おそろしい子だね、君は」
誰にも聞こえない声で、ひとりごちる。
ただの事務員。
けれど、誰よりも“生きる”ことに対してまっすぐで、
気づけば、彼女の言葉が“今日を生きる理由”になる。
太宰治は、ようやく気づいた。
それは恋とは違う、
でも恋から遠くない、
生きたいと思わせるような感情だった。
その夜、彼は眠れなかった。
理由は簡単だった。
明日、彼女に会うことが、
少しだけ待ち遠しくなっていた。
──静かだった。
任務から戻った社内。
机の上に置かれた紙袋の中から、微かに甘い香りがする。
中身は、数枚のラッピングされたクッキー。
「……焼いてきたので、よければ休憩のときに」
彼女──莉緒が、何気なく言っていた言葉を思い出す。
太宰は、それをひとつ手に取り、
窓際のソファに腰を下ろした。
噛みしめると、ほろりと崩れる生地。
甘すぎず、どこか懐かしい味がした。
(昔……こういうのをもらったことが、あっただろうか)
思い返そうとして、
代わりに思い出すのは、ひとりの友人のことだった。
──織田作。
静かで、優しくて、誠実で、
そしていつも、誰かの“明日”を守ろうとしていた人間。
彼が遺した言葉。
彼が守ろうとした子供たち。
彼の背中を見ていた少女。
(……君が、そうだったんだね)
今になってようやく確信に変わった。
ただ、それだけではなかった。
彼女が時折見せるしなやかな所作。
机に向かう横顔。
誰かに気を遣いすぎて黙ってしまうくせに、
いざというときは迷いなく動ける意志の強さ。
守られていた者ではなく、
守る側になろうとしている姿。
それは、かつて太宰が“失ったもの”ではなく、
今この場所に“生まれつつあるもの”だった。
(惹かれているな)
そう思った瞬間、
その感情があまりにも静かで、
そして抗いがたくて、太宰自身が驚いた。
織田作の影を見ていたはずなのに。
今、目を離せないのは──
“彼女自身”だった。
「……おそろしい子だね、君は」
誰にも聞こえない声で、ひとりごちる。
ただの事務員。
けれど、誰よりも“生きる”ことに対してまっすぐで、
気づけば、彼女の言葉が“今日を生きる理由”になる。
太宰治は、ようやく気づいた。
それは恋とは違う、
でも恋から遠くない、
生きたいと思わせるような感情だった。
その夜、彼は眠れなかった。
理由は簡単だった。
明日、彼女に会うことが、
少しだけ待ち遠しくなっていた。
