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帰路の黄昏

依頼は無事に終わった。
あの地下室での異能発動以降、
太宰さんは何も言わなかった。

けれど、それは拒絶でも詮索でもない沈黙だった。

むしろ、その空白のなかに宿るものの方が、ずっと多くて。
ずっと、優しかった。

帰り道、並んで歩く足音が、石畳に吸い込まれていく。
ときおり吹く風に、私の髪が揺れ、
太宰さんのコートの裾がひらりとめくれる。

何気なく、太宰さんが言った。

「……あいかわらず、能力のあとに顔が真っ青になるんだね」

「……見ないでください」

私は思わず俯いて返す。
隠せなかった熱と、揺らいだ呼吸。
額の汗を袖で拭いながら、小さく吐息をもらした。

太宰さんは、ふと足を止めた。

私は少し遅れて振り返る。
彼は、ポケットから飴玉をひとつ取り出し、私に差し出した。

「糖分、補給。乱歩式応急処置」

「……それ、乱歩さんにもらったやつじゃ……」

「いいんだよ、君が倒れたら報告書が倍になるしね。事務員さん、書類上の存在じゃ困る」

冗談めかした言い回しに、私は思わず笑ってしまった。

飴を受け取り、口に入れる。

甘さが、ゆっくりと喉の奥へ広がっていく。

しばらく歩いたあと、
太宰さんがぽつりと口を開いた。

「……君は、変わったね」

「……そうですか?」

「うん。昔は……もっと、猫みたいだった」

「……なかなか懐かなくて、隠れるところとか?」

「誰にも撫でられない顔をしてた」

一瞬、返す言葉に詰まった。

それは、たしかに。
あの頃の私だった。

「……今は?」

「……撫でようと思えば、たぶん逃げないだろうなって顔してる」

からかうように言いながらも、
その声音には、明らかに真実だけが込められていた。

私は答えなかった。
けれど、胸の奥がほんの少し、あたたかくなるのを感じた。

その後は、何も語らなかった。
けれど、静かな午後の空気が、いつもより穏やかに感じられた。

事務所が見えてきたとき、
太宰さんが少しだけ振り返って言った。

「ねえ、君。……“その能力”、嫌いじゃないよ」

「……ありがとうございます」

ただ、それだけ。

それだけだったけれど、
私の中では、確かに何かが変わりはじめていた。

かつて、届かなかった手。
かつて、届かなかった言葉。
それがようやく、同じ場所に立った今、触れられる気がした。
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